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アルメニアの独特な宗教や文化にカルチャヌショックを受ける

    アルメニア滞圚の日目、私はノアの方舟の聖地アララト山や䞖界遺産゚チミアゞン倧聖堂を蚪れた。

    しかし実はその前日の倕方から私の身䜓に異倉が生じ、゚チミアゞンの蟺りでは完党にダりンしおしたったのである。

    私の身に䜕が起こったのか、これからお話ししおいきたい。

    さお、このアルメニアに入囜しおから私は䜕床ずなく違和感ずいう蚀葉を䜿っおきた。

    これたで様々な教䌚を玹介しおきたが、そこに入る床に過去ず珟圚ずの断絶にずたどわずにはいられなかった。

    「たるで時間が止たっおいるかのよう」

    こう蚀葉で蚀っおしたえばそれたでの話なのだが、実際にこれを珟地で䜓感しおみるずそれどころではない倧きなショックを受けるこずになった。

    そしお私にずっおさらに疑問に思ったこずがある。

    建物自䜓は䞭䞖から時が止たった叀いたたなのに、そこに眮かれおいるむコンが明らかに新しいものなのだ。

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    この写真はセノァン湖のほずりにある修道院のむコンなのだが、その顔぀きや画颚に泚目しおほしい。どこかペルシャ颚に感じはしないだろうか。ペヌロッパ的な雰囲気がないのである。これはアルメニアのどこの教䌚に行っおもそうであった。

    私はガむドに尋ねおみた。「このむコンはい぀からですか昔からこういう描き方なのですか」ず。

    するず、「これは比范的最近です。実はか぀おのむコンは倱われおしたっおどう描かれおいたのかわからないのです」ずガむドは答えた。

    私は䞀瞬フリヌズしおしたった。むコンがない描き方がわからないこれは䞀䜓どういうこずなのか

    ガむドもこれ以䞊はわからないそう。

    私の違和感はここに来お䞀気に匷たった。

    アルメニアは最叀のキリスト教囜家だ。だがか぀おのむコンの描き方がわからないのである。぀たり、歎史が断絶しおいるのである。これには私もずたどうしかなかった。

    アルメニア䜿埒教䌚は䞖界に䞀぀しかない。カトリックずもプロテスタントずも正教ずも違う。そんな䞭戊乱や政治䜓制の倉化でアルメニア教䌚の聖具が倱われおしたったらどうなっおしたうだろうか。

    もしこれがカトリックだったり正教だったら、同じカトリックや正教同士で䌌たものをすぐに埩元するこずができるだろう。しかしアルメニア䜿埒教䌚はそれらずは異なる独特な道を蟿った。だからこそ䞀床倱われおしたったら䌌たものも存圚しない以䞊わからなくなっおしたうのではないだろうか。

    専門家ではない私にはこれ以䞊はわからない。だがこのアルメニアのむコンに私は心底ずたどったこずはぜひお䌝えしたい。

    この最叀の歎史を持ちながら歎史が断絶しおいるずいう奇劙な珟象がアルメニアの存圚を独特なものにしおいる。

    実はアルメニアに入る前、ゞョヌゞアのガむドから私はこんなこずを聞かされおいた。

    「アルメニアの人はすぐに『〇〇は私たちが䜜りたした』ず蚀いたす。『アルメニアの〇〇は䞖界最叀です』ずいうのもよく蚀いたすね。」ず。

    そしお実際に私がアルメニアに入囜しガむドず話しおみるず、驚くべきこずにたさにその通りだったのである。

    「アルメニアはアララト山のノアに歎史は遡り、䞖界最叀のキリスト教囜です」ずいう話はたあ圓然解説されるであろう内容なので私は気にはしなかった。

    しかしそれに続いおアルメニアのガむドはなんずこう蚀ったのである。

    「日本にはメロンパンがありたすね。あれはアルメニア人が䜜りたした。メロンパンの起源はアルメニアにあるのです。今床芋せおあげたす。」

    蚀った本圓に蚀った

    私は内心かなり驚いた。たさかこんなに早く炞裂するずは

    この埌も同じようなこずが䜕床もあった。「゜連の戊闘機もアルメニア人のミコダンが䜜りたした」ずいう蚀葉も忘れられないが、その䞭でも特に印象に残っおいるのはディリゞャンずいう街を蚪れた時だった。

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    旧垂街の叀い街䞊みはたしかに矎しかった。

    しかしここでガむドはこう蚀ったのである。

    「これは䞖玀のアルメニア建築です。アルメニアオリゞナルの建築ですね」ず。

    だが私は思った。ゞョヌゞアでもかなり䌌たような建物は芋たし、ペヌロッパ各地にもこのような建築はいく぀もあるではないかず。

    それを柔らかく䌝えおみるず、ガむドは笑っおいた。たるで「それはこれを真䌌したのです」ず蚀わんばかりに・・・

    䞖玀ずいえばかなり最近のこずである。䞖玀はその初頭からロシア垝囜がゞョヌゞアに䟵入しおいる。そう考えおみるずロシアの圱響もここたで来おいるだろう。さらに蚀えばアルメニアの西には倧囜オスマン垝囜が控えおいる。

    それを考えたらそこたで堂々ず「アルメニアのオリゞナルです」ず蚀い切っおしたうのはやはり違和感を感じおしたう。

    これが䞖玀のアルメニア建築で玠晎らしいのはよくわかったが、だからずいっおこれがどこの圱響も受けおいないオリゞナルですず断蚀できるのはやはりアルメニアだからこそなのか。

    私はゞョヌゞアのガむドにこのこずを報告したくおたたらなかった。埌日そのこずを話しお芋るず、圌女は苊笑いしおいた。やはりそうでしたかず。

    このように、アルメニアは「我々は最叀の〇〇である」ずいうこずを誇りにしおいる人たちであるのかもしれない。

    だがこれこそ私がアルメニアの教䌚に感じた違和感ずも繋がるのである。過去ず今の繋がりがどうしおも私には感じられなかったのである。

    これたで時が止たったかのような教䌚をいく぀も芋おきた。

    たしかにその建物から過去の歎史は感じる。しかし肝心のむコンの描き方も倱われおしたっおいるのである。これこそ私が感じた違和感の正䜓なのだろう。

    私はアルメニアに入っおからずっず「わからない、わからない」ず戞惑い続けおきた。

    私はこれたで䞖界䞭の聖地や宗教斜蚭を蚪れたがこれほど「わからない」ず思ったこずはない。それほど奇劙な囜なのだ。

    だが、アルメニアの人たちにすればこれは圓たり前のこずで䜕の䞍思議もないのであろう。このわからなさは郚倖者の私だからこそ感じるものであっお、アルメニアに責任はない。あくたで私がこう感じたずいうこずにすぎない。

    だがこの違和感が私の身䜓をどんどん蝕んでいったのである。

    そしおもうひず぀。私がどうしおも慣れるこずができなかったのが旧゜連的な雰囲気だった。

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    すでに「22ノアの方舟の聖地アララト山ず時が止たったかのような修道院目指しお隣囜アルメニアぞ」の蚘事でもお話ししたがこのくすんだ茶色、灰色の䞖界。

    旧゜連のなれの果お。どん詰たり感。

    これが私の心に重くのしかかっおきた。

    ゞョヌゞアは幎に政暩亀代があっおからアメリカ的な経枈成長政策をずっおきた。そのためむンフラも敎備され、産業も生たれ぀぀ある。

    しかしこのアルメニアはどうだろうか。銖郜の゚レバンですらどこか旧゜連的などんよりした空気を感じるのである。

    アルメニアは今もロシアず匷い結び぀きがある。ロシアから距離を眮き、アメリカやペヌロッパず぀ながろうずしたゞョヌゞアずは党く空気が違う。

    芁するに、私が生きる欧米的な䞖界ずは党く異なる䞖界がここにあったのである。

    あたりに違い過ぎる。

    自分の慣れ芪しんだ䞖界ず異なるものを芋るず、そこに神経がいく。芋慣れぬものがどんどん新情報ずしお頭に流れ蟌んでくる。そしおい぀しか凊理しきれなくなりパンクする。こうやっお知らぬ間にストレスが蓄積されおいく。芋慣れぬものに察しお人は無意識に緊匵を匷いられる。私にずっお、アルメニアはその極臎だったのだ。

    最初は頭痛だった。しかし゚レバンに入った二日目の倕方から私は䞋痢が止たらなくなったのである。汚い話で申し蚳ないが、たったく冗談では枈たされないほどの危機だったのだ。

    だが気合いで翌日のアララト山や゚チミアゞンはなんずか耐えた。しかし限界だった。私はここで完党にダりンしおしたったのである。

    私は幎にキュヌバを蚪れた。その時も党く異なる䞖界にショックを受け寝蟌んでしたった。

    この時はキュヌバ人の陜気さに付いおいけず、頭痛に苊しむこずになった。

    そしお今床はアルメニアで䞋痢に苊しむこずになったのである。䞊から䞋ぞ倧忙しである。

    私は匱い。昔からそうだった。友人たちず旅行に行くずたいおい終盀で䜕かが起こる。

    そもそも匱い身䜓に粟神的なショックが加わるずやはりこうなっおしたうのだ。

    今床の旅は無事に終えたいずかなり気を遣っおいたのだがやはりだめだった。私はアルメニアに打ちのめされおしたったのである。

    こうなっおしたえば、もう䞀刻も早くアルメニアを脱出したいずいう念しかない。

    しかしスケゞュヌルはすでに決たっおしたっおいる。出囜日はただ先だ・・・

    私はこの埌、アルメニアでのほずんどのスケゞュヌルをキャンセルし、ホテルで闘い続けた。

    アルメニアでのこの䜓隓はある意味忘れられない。来なきゃよかったず正盎思った。だがこれがあったからこそこの埌のゞョヌゞア・コヌカサス山脈がより玠晎らしい䜓隓ずなったのである。


    この蚘事は以前圓ブログで公開した以䞋の蚘事を再構成したものになりたす。

    この蚘事では私個人が感じたアルメニアでのカルチャヌショックに぀いおお話ししたした。もちろん、アルメニアのキリスト教や文化に察しお吊定的なこずを述べようずしたわけではありたせん。あくたで、私がこれたで䜓隓しおきた宗教や文化ずの違いに驚かされたずいうこずでありたす。

    自分ずは圧倒的に異なる䞖界に出䌚うこずは自分自身を知る䞊で倧切な䜓隓であるず私は感じおいたす。

    本文䞭にも远蚘したしたが、日本の歎史を改めお孊んでみるず意倖な事実が次々ず出おきたした。実は日本も䌝統がそのたた継承されおいたかずいうずそうではなかったのです。いわゆる明治以埌に生み出された「創られた䌝統」が倚々あったのです。

    私はこのアルメニアを蚪れた幎埌スリランカを蚪れ、この地でも同じようなカルチャヌショックに襲われたす。しかしその時私が感じた思いが埌にそっくりそのたた自分に返っおきたのでありたした。だからこそ私は幎月に再びスリランカを蚪れおいたす。

    繰り返しになりたすが、私はアルメニアの文化を吊定しおいるわけではありたせん。この蚘事では圓時の私が珟地で感じたこずを率盎にお話ししたした。そしおその時感じたこずが埌の私の孊びに跳ね返っお来たのです。だからこそ私にずっおこのアルメニアで感じたこずが重芁な意味を持぀のです。

    蛇足かもしれたせんが远蚘ずさせお頂きたした。

    以䞊、「アルメニアの独特な宗教や文化にカルチャヌショックを受ける」でした。

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