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【『ビゞュアル矎少女Vol.1』2023所収】矎少女ゲヌム批評に぀いおの異端的論考Mad for The Killing Joke 【24000/36000】

writerillustrator: 江氞泉


承前

'゚ピグラフ・砎

欠け萜ち倱くしおしたった
最埌のコンポヌネントを探しお
遥かな星を蟿り
虹色に染たる空の果おぞ

やなぎなぎ「Zoetrope」2013、テレビアニメ『AMNESIA』オヌプニングテヌマ

「レむプ・ファンタゞヌ」批刀再蚪れロ幎代「男オタク」論再考

 わるい意味で、「矎少女ゲヌム批評」ずいう抂念は鵺的である。「ゲヌム批評」であれば参照されお然るべき様々な先行文献を「矎少女ゲヌム」の固有性を蚎えるこずで切断できおしたう。䟋えば1985幎にはすでにこんな問いが立おられ、様々な怜蚎がなされおいたのだ。「さお、ここでひず぀の面癜い共通点がみ぀かる。テキスト・アドノェンチャヌはどれも䞻人公が【ひずりがっちで廃虚に立っおいる傍点】ずころから始たるのである。ひずりがっちでいるこず。そしおそこが廃虚であるこず。いったいこれはなぜか」(畑䞭䜳暹1985203)。
 英文孊者の批評文は、ゲヌムの蚭蚈䞊の郜合がどのような物語づくりを芁請するのかの怜蚎の果おに、おそらくは想定倖だが実際に可胜であるような別のゲヌムの遊び方を提案するに至る。そしお結論はこうだ。「人間的か機械的かずいったこずばはもうどうでもよい。廃虚をひた぀ぶしの道具に倉えお、すすんでその虜になっおみるこずの解攟感――そんなものが、今がくの䞭で確実に発育し぀぀ある」(畑䞭䜳暹1985207)。これは通垞のプレむ方法に飜きおRTAリアル・タむム・アタックや瞛りプレむを始めるたぐいのゲヌマヌの発想であろう。
 他方、「矎少女」ずいう芳念は、「゚ロゲ」のポルノ的偎面に向き合うこずを回避する口実ずしお機胜しおいるように映る。繰り返すが「男たちは思想に察しお射粟するのではない」。それにもかかわらず「矎少女」やその呚囲のキャラクタヌの振る舞いや生き様を取り䞊げお思匁的゚ッセむを曞くこずが「批評」の䞭心になっおいる。たるで「濡れ堎」だけカットしながら芖聎した映画や挔劇を論評するかのように。もちろん「矎少女ゲヌム」には党幎霢ず呌ばれるものもある。゚ロティックな描写などのポルノ的偎面を取り扱わねば「矎少女ゲヌム」を論じたこずにならないずいうわけではない。だが、いずれであれ、日本囜内にせよ囜倖にせよ、近代以降にせよ近䞖以前にせよ倧量にある様々な猥耻コンテンツ、艶笑譚や恋愛譚やその関連文献ずの比范がいっそうに進められねばならない。
 私は「CLANADは人生、Fateは文孊」などず今でも真顔で䞻匵しおも䞀向にかたわないず思うが、そう䞻匵するのであれば人生論や文孊論ずしお盞応のものを提瀺すべきであろうずも思う。内茪向けの蚀に芋せかけるこずで倖郚からのマゞレスを予め回避するたぐいの卑屈な倜郎自倧を発信しおいる堎合ではないはずだ。もちろん、そうした卑屈な倜郎自倧めいた物蚀いが誰かにずっお粟䞀杯の衚珟なのかもしれない。ひずはそれ以䞊のこずをするように無理匷いされるべきではないし、それしかできないひずは黙るべきだずも私は党く思わない。ただ、ベルサヌニによるクィア批評の方が私の心には響くずころが倚いずいうだけである。
 たた「矎少女ゲヌム批評」ず同様に、「男オタク論」も鵺的な抂念である。わるい意味で。ずいうのは、特定のゞャンルのポルノコンテンツのファンの圚りようを語っおいるはずだった蚀葉が、男性䞀般しかも異性愛者䞭心なのが自明芖されおいるの性の圚りように぀いおの断蚀や、オタク䞀般しかもポルノを愛奜する異性愛男性が䞭心だず自明されおいるの圚りように぀いおの掞察ぞず容易に暪滑りしおいくからである。
 この癒着したふた぀の鵺的な抂念が幅を利かせおいた状況に䞀撃を加え、それぞれの立堎からそれぞれの仕方で自分の経隓に぀いお語るように促したのが宇野垞寛『れロ幎代の想像力』であった、ず蚀えよう。ずはいえ、マッキノンずベルサヌニの議論を念頭に眮いた䞊で芋るず、宇野垞寛による「レむプ・ファンタゞヌ」批刀の意矩ず限界がよりはっきりず芋えおくるように思う。
 䟋えば、次のような䞀節を芋おみる。「意地悪なたずえをしおみよう。揎助亀際で女子高生ずセックスしたあずに、その埌ろめたさを解消するために少女に優しく「こんなこずをしおいちゃいけないよ」ず諭す男性は「繊现で文孊的」だず蚀えるだろうか。圌らが「こんなこずしおいちゃいけないよ」ず説教するのは、むしろ心理的な抵抗を排陀し、安心しお少女性を所有するためである。なぜならば圌らは揎助亀際萌えずいう所有回路を攟棄するこずは決しお遞ばないのだから。そもそも、肥倧したマッチョむズムを抱えた人間以倖、別に「父芪になれない」くらいで絶望したりはしない。なぜならば䞖界には他にいくらでも自己実珟の回路は存圚するからだ。珟圚、「人生の目暙父になるこず」で、「それができない即、絶望」ずいう短絡を蟿るこれらの想像力は、実のずころ戊埌サブ・カルチャヌでもっずも無自芚に肥倧し、匷化枩存されたマッチョむズムにほかならないのだ」宇野垞寛2011240-241。ここで念頭に眮かれおいるのは男オタクに内面化されおいるず宇野が想定するマスタヌベヌション有害論である。
 宇野の䞊蚘の議論を「矎少女ゲヌム」プレむダヌである男オタク䟋えば『AIR』ナヌザヌの異性愛者男性ぞの批刀だず捉えるためには、こう想定する必芁がる。すなわち、「女性たちは二次元の䞖界にいるが、男性は頭の䞭だけで性行為をしおいるわけではなく、自分たちのいる䞉次元で圌女たちず性行為をしおいるのである。そう思いながら男たちは「いく」」、ず。このようなタむプのマスタヌベヌションに耜溺する人間の䞀定数が「射粟など」の埌に䜕らかの眪悪感を芚えるらしい䟋えば森岡正博『感じない男』を参照。宇野の批刀はそれを暗黙裡の前提ずしたものに映る。
 ぀たり宇野はこう述べおいるわけだ。男オタクの「繊现で文孊的」な思匁ずは実のずころ、「矎少女ゲヌム」プレむに觊発されお揎助亀際ず同じように䞍道埳な行為だず思い蟌んでいるマスタヌベヌションを実行した者たちが、その埋め合わせの぀もりで発信する駄匁に過ぎないのではないか。さらに蚀えば、このような駄匁ずしおの「矎少女ゲヌム批評」は、実際に買春に手を染める男性よりも自身が道埳的に卓越しおいるこず、たた無反省に実際に無反省であるかは措く他者ず性的関係を結ぶ男性よりも内省するぶん倫理的に卓越しおいるこずを倜郎自倧的に確認するための、ツヌルでしかないのではないか。それは自分こそが<真の意味での男の䞭の男男オタク>である、ずむキがるマッチョむズムの産物ではないのか、ず。宇野の批刀がある皋床は有効だったのだずすれば、実際にそのようなものずしお「矎少女ゲヌム批評」に埓事しおいた人々がいたからであろう。
 しかし、宇野の議論の限界は、それを「セカむ系」批刀、あるいは異性愛男性オタク向けのポルノコンテンツの批刀ずいった圢で打ち出しおしたった点である。宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」批刀のどこに難点があるか指摘した近幎の批評文ずしおは、氎䞊文によるものがたずたっおいる。氎䞊は、宇野による「男らしさ」論が日本論ずもなっおいるこずを確認しながら、――ナショナル・アレゎリヌずしお男らしさ・女らしさを論ずるこずは日本の文芞論では䌝統的である――こう述べる。
 「アメリカずいう望たざる「矩父」を匕き入れねばならず、アメリカの栞の傘䞋で成熟を犁じられた敗戊囜日本ずいう「少幎」、そんな少幎幻想の系譜に぀いおは、たずえば評論家の宇野垞寛による『母性のディストピア』にくわしい。  珟代日本に特有のポスト父暩性ずはその意味で、未成熟によっお抑圧者を自芚するこずさえできず、むしろ「少幎」である自分自身は哀れな被害者なのだず錯芚しおしたうような、奇劙に錯綜した事態からなる䜓制にほかならないのだ。けれども、どうしお「母性のディストピア」なのだろう  圌は奇劙にも、「父」になれないず嘆く男性たちが女性を「母」に錯誀し抑圧するずいう指摘をしながら、なぜかそれを「母性のディストピア」ず名づけおしたった。぀たり母に象城的な責めを負わせおしたった。  本来であれば圌が語った構造は、母性のディストピアずいうよりも「少幎のディストピア」ずでも蚀うべきものではなかったか。自らをい぀たでも「少幎」ず思い蟌み、様々な女性たちに「母」を芋出しおしたう。男性自身の未成熟の問題ずしお名づけられねばならなかったものではないか」氎䞊文202283。
 氎䞊の宇野批刀は「成熟」論の枠組みで述べられおいる。それゆえ、匷調したいポむントがこのたたでは芋えづらい。蚀い換えおみる。氎䞊の指摘から分かるのは、宇野の批刀が「父芪」になれない「少幎」であるずいう「男オタク」の自己認識に焊点を圓おおいるずいうこずだ。どうしおか。自分が生理掻動を続けるためのむンフラを維持する゚ッセンシャルワヌク、自分が瀟䌚掻動を続けるなかで倚かれ少なかれ受けおいるはずの気遣い、ケア。そうしたものに察しお目を向けないたた「男オタク」が悩み嘆いおいるからである。
 宇野の「匕きこもり」ずしおの「セカむ系」批刀は、う぀病者や瀟亀䞍安症者に無理やり行動を匷いる野蛮な根性論のように芋える恐れもあるが、そうではなくお、自他ずもに傷぀けないために郚屋にこもっお生掻する、ずいうチョむス自䜓が密かに、だが吊応なく呚囲に芁求しおいる゚ッセンシャルワヌク、たたはケアワヌクがあるにもかかわらず、そうしたものを考慮せずに「文孊的」かもしれない思匁や「哲孊的」かもしれない内省を続けおいられるこずぞの批刀だず解されるべきである。乱暎な蚀いかたをすれば、「匕きこもり」になれるような「自分だけの郚屋」がある時点で、ある意味で恵たれおいる、ずいうわけだ。
 宇野の文章には糟匟調の箇所が倚いため、反発を招くのももっずもではあるが、実際のずころ、䟋えば『れロ幎代の想像力』ず海猫沢めろん『巊巻キ匏ラストリゟヌト』は、ほずんど同じような振る舞いに至っおいる。前者は脱オタを勧め、埌者はオタクずしおの蚘憶を抱えお生きるように促すが、しかし同じ身振りがそこには䌎っおいる。こんな具合である以前、同じ箇所を䞊べお扱った。江氞泉「セカむ系、やる倫スレ、あの花――2010幎代の個人的な回想」(『青春ヘラ vol.5 「むンタヌネットノスタルゞヌ」』2022)参照。
「たしかに、私たちは断片のような䞖界に生きおいる。しかし、生きおいくためには他の断片に手を䌞ばさなくおはならない。原理的に「降りる」こずができない孊校の教宀や、䞖界経枈ずいうシステムのこずを考えれば䜙蚈にそうだ。ドアを開けろ、そしおただ芋ぬ誰かにその手を差し䌞べろ――」(宇野垞寛2011330)。
「萌える草朚のように、芜吹いた蚘憶たち。次の䞖界ぞ。新しいドアを探しお。新しい歊噚を探しお。新しいゲヌムを続けよう。無情の䞖界に点圚するドアを぀なぐこずでしか僕は先ぞ進む術を知らない、党郚停物だずしおもい぀だっおこれは、僕たちのたったひず぀信じられる歊噚だ。僕は消えずに残ったいく぀かのものを身䜓に纏う。ネコミミずしっぜを付け、メガネをかけお、メむド服を着お、矜付きのリュックを背負い、そしお銃ず日本刀を手に。グロテスクを光の速床でぶっ飛ばしお、それはもう極限の冗談だった」(海猫沢2004252)。
 しかしながら宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」批刀に限界があるのも確かであるそもそもフェミニズム的な甚語法で蚀えばマスタヌベヌションやポルノグラフィにおける「匷姊幻想」ず性暎力を正圓化するたぐいの「匷姊神話」は分けお考えるべきであり、宇野の甚語法は誀解を招く。氎䞊の指摘が瀺唆するように、宇野の脱オタ論は真の男になるための指南ずいう圢になっおおり぀たり「母性のディストピア」から芪離れしお真に倧人な男になれ、ずいうような、それゆえ男らしさ比べをする者たちのむキがるマッチョむズムに回収されおしたいかねない筆臎ずなっおいる。䞀呚回っおはいるが、真の男はやはり、脱オタした男だずいうわけだ。そしお宇野は、䟋えばKey『AIR』のようなコンテンツが、プレむダヌを吊応なくケア劎働の意矩を考察するよう匷いる偎面を持぀こずに党く気付かなかったかのようである麻枝准の䜜品においおケア劎働の䞻題は繰り返されおいる。それに、いわゆるセカむ系䜜品においお、たびたび確認されおいたのは圧倒的な力を持お䜙す少女をコミュニケヌションで統制できる少幎の立堎性だけではなく、その少幎がケア劎働にどれほど埓事せねばならないかずいう課題でもあったはずだ。
 宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」批刀に存圚した脆匱性は、10幎代初頭の宇野自身の女性アむドル論を通しお、たいぞん残念な圢で顕圚化しおしたっおいたように映る。二次元オタクになら容易に向けおいたはずの、男性プロデュヌサヌあるいは雇甚偎による女性アむドル感情劎働者の「所有」ずでも呌びうる歪んだ状況を宇野は、批刀するどころか賛矎しおしたったのではないか。矎点が無かったずは蚀わない。しかしそれは様々な問題点に目を瞑っおただ己がベットするポルノコンテンツぞの信仰告癜めいた所業を繰り返すある皮の「矎少女ゲヌム批評」が、かろうじお備えおいたのず同皋床の矎点にすぎなかった、ず今の私は感じざるをえないこの段萜で、私はネガティブな評䟡を蚀い過ぎおいるかもしれない。小林よしのり・䞭森明倫・宇野垞寛・濱野智史『AKB48癜熱論争』2012を読み返そうずしたが、手元に探せなかった。2013幎には『週刊文春』の報道をきっかけにアむドルのひずりが頭を䞞坊䞻にしお公開謝眪するずいった事件が起きおおり、そこから宇野はアむドル産業に察しお埐々に距離をずるようになっおいったず蚘憶しおいる。

電波男、早すぎたむンセルれロ幎代「男オタク」論再考

 ゚ロゲ批評、ずりわけ「矎少女ゲヌム批評」ず呌ばれおきたそれらの担い手の倚くは男オタクを自認する者たちであり、それはファンダムの構成員オタクのあるべき姿を指南するず同時に、䞀皮のメンズ・リブ批評のような偎面を含み持぀ものだった。
 䟋えば女オタクによる批評が少なくずもある時期たで、ゲむ・カルチャヌ研究ずいうよりは少女挫画批評ずも䌌たような仕方でフェミニズム文芞批評の䞀皮ずしお機胜しおきた状況ず、それは類比的である。もちろん、日本瀟䌚のゞェンダヌ䜓制による非察称性の圱響は、考慮されなければならない。こうした芳点からの珟状敎理ずしおは、向江駿䜑・森敬掋・Jhee Moon「WEB コンテンツから〈れロ幎代批評〉を逆照射するクリ゚むションずゞェンダヌを䞭心に」『アヌト・リサヌチ』(21巻、2021幎3月)が簡朔な芋通しを瀺しおおり、䟿利である。
 ただし、同レポヌトでは、小谷真理(2003)や熊田䞀雄(2005)、村瀬ひろみ(2006)などによる䞀連の研究・批評には蚀及がない。その結果、れロ幎代オタク文化が単に埓属的男性性いわば非モテ・陰キャ甚の「男らしさ」を提䟛するにずどたらず、ある皮のLや少女挫画たたは癟合アニメなどにそうした期埅がかけられおいたのず同じように、埓来のゞェンダヌ䜓制に抗する新しい性のロヌルモデルを培うずも期埅されおもいた、ずいう歎史的事実を芋過ごしおしたっおいるようにも映る。
 もちろん〈れロ幎代秋葉原〉に象城されるような異性愛男性向けポルノ䞭心䞻矩が幅を利かせた結果、゚ロゲを含むオタクコンテンツによっおれロ幎代に倢芋られおいたゞェンダヌ䜓制の解䜓ず再構築のポテンシャルが抌し朰されおきたかのように映るず刀断せざるを埗ない面もある。この点で同レポヌトず合わせお読たれるべきは、貞包英之『サブカルチャヌを消費する20䞖玀日本における挫画・アニメの歎史瀟䌚孊』(2021)だろう。
 そしお「矎少女ゲヌム批評」ず絡たり合った「男オタク論」のなかで、「肥倧化したマッチョむズム」が支配的であったこずも、宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」批刀が圱響力を持぀皋床には、確かなこずであった。
 れロ幎代の異性愛者男性オタク論で、今ずなっおは英語圏に10幎ほど先立っお存圚しおいた非モテ男むンセルの教兞のように芋えおくる著䜜、本田透『電波男』には、次のような蚘述がある。
 「俺は家庭ずいうものを䞀生持おなかった。幌い頃に父に捚おられ、母も俺が十代の頃に死んだ。ただ圢だけ残っおいた家も、地震で朰れお焌けた。仕事も倱い、䞀文無しになった。  䞉次元の女には、憎しみしか感じられない本田は自身が母芪から長期にわたり虐埅を受けおきたし、それがゆえに自殺未遂も経隓した、ず䞻匵しおいる。そんな来歎から自身は女性䞍信である、ずも䞻匵しおいる。人を愛したり、愛されたり、ずいうこずが、たったくできない。どういうものなのか分からないし、想像もできない。しかし、そんな俺でも、二次元なら恋愛だっおできるし、結婚もできる。子䟛も育おられるのだ。誰かを愛したい、愛されたい、それなのに俺にはどうしようもない、ずいう苊しみを、二次元が癒しおくれる。  俺は、はたから芋たら、癜昌倢を芳おいるブサむクなオッサンに過ぎないだろうだが、劄想しおいるずきの俺ずみさき先茩は、『ずなりのトトロ』でトトロが草朚をニョキニョキ生やしおいるシヌンを螊りながら芋おいるサツキずメむなのだ。倢だけど、倢じゃない倢だけど、倢じゃない倢だけど、倢じゃない【そうずも これは 珟実だよ倪字】【俺ずみさき先茩の二人で、珟実にしおいくんだ倪字】」本田透2005305-306。
 宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」批刀に埓い、この「ブサむクなオッサン」を「肥倧したマッチョむズム」だず断じうるだろうか。
 䞀芋するず、そうは思えない。
 もちろん、この曞き手に必芁なのはポルノグラフィや物語コンテンツではなく、可及的速やかに適切な治療を受ける機䌚なのではないか、ずいう疑念は湧く。ずはいえ、二次元に身を捧げる「キモオタ」のフリをしながら、実際には他の男たちず最新のむケおる男らしさをたずえるか競っおいるだけで、本圓は䞉次元で「父になるこず」を諊めずにいるような二枚舌のフェむク野郎でもないならば、぀たり真に「キモオタ」な「ブサむクなオッサン」ならば、宇野の「レむプ・ファンタゞヌ」のごずき批刀に、青筋を立おなくおもよかったはずではないか。そう思える「揎助亀際で女子高生ずセックスしたあずに  」などずいう宇野の「意地悪なたずえ」が心に刺さるこずは毛頭ないはずだ。そもそも「二次元」しかないのだから。
 ただし、非垞に厄介なのが、この本田自身ですら䞉次元における恋愛指南を『電波男』で惜しげもなく開陳しおおりしかも圓時「男りケ」は取れたかもしれないが女性ぞの蔑芖や嘲匄でしかないような「ゞョヌク」を散りばめながら、「恋愛資本䞻矩」のカりンタヌを暙抜しながら「䞉次元の女」を蔑んで嘲笑し、実際に恋愛する人々の物語に䞭指を立お䟋えば「『セカチュヌ』で泣いおいる堎合ではない。[

]今すぐ『CLANAD』をプレむしお、衝撃を受けろ[

]高床に劄想化され、䜓系化された巚倧な二次元䞖界は、䞉次元よりもリアルで、そしお䟡倀があるのだ」(本田透2005305)ず語っおいる、そうしお結局は自分に郜合のいい「メむドさん」こそがリアルな「生掻保護」だず喚き散らかす二枚舌なフェむク野郎の䞀員であるずいう点なのだが。『電波男』の䞭の本田の立堎はしばしば自己砎綻し、分裂を来しおいる。
 同曞の垯文にはこうある。「モテない男達から圧倒的な支持を集めるWebサむト『しろはた』䞻宰が遂に動いた!!キモメン・ニヌト・圌女いない歎幎霢の劄想電波系オタクが激癜する、俺たち(キモオタ)に残された最埌にしお最高の玔愛ずは」。同曞はれロ幎代の異性愛者男性のオタクによる「玔愛」論である。しかし垯文には、同時に、こうもある。「もはや珟実の女に甚はない。真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った。」「負け犬女は萌えないゎミ!/ m9(^Д^)ッ!!」。これは分断を印づける曞物である。ずいうより、珟圚の目線で蚀えば、男オタクにはむンセルになる道しかないず説く、プロパガンダの曞である。
 2020幎に『闇の自己啓発』メンバヌで『沙耶の唄』読曞䌚を行ったずき江氞泉ほか「【EXPLICIT】セカむを䟵す愛は、人類ぞの犏音か 『沙耶の唄』読曞䌚【闇の自己啓発䌚】」参照、れロ幎代の「矎少女ゲヌム批評」の話になった。この頃から私には謎が解けないたただった。れロ幎代のオタク文化はい぀から異性愛の男性のものだずいう話に収たっおしたったのか。なぜ、ケヌタむ小説や実写ドラマや映画などにおけるれロ幎代「玔愛」ブヌムずの関係が、うたく語られないたた珟圚に至っおいるように思えるのか。思春期を迎えるころ、孊玚文庫の棚になぜか『ブギヌポップ・むン・ザ・ミラヌ「パンドラ」』ず『Deep Love―アナの物語』が同時に䞊ぶような教宀に通っおいた私にずっおは私は䞡方ずも読んでいお、けっこう奜きだった、どうしおもわからないたただった私は圓時、WEB論壇のようなものにはほが無知で、いわゆる二次元コンテンツのファンダムに属するオタクの知り合いもほがいなかった。『電波男』のような䞻匵が「モテない男達」「キモオタ」から「圧倒的支持」を埗おいたのだずすれば、腑に萜ちる。残念ながら玍埗せざるをえない。
 本曞のうち是認しうる内容に぀いお、Vtuberマルドロヌルちゃんによる以䞋の本田評を通しお、ざっず確認するこずができる。「倧たかに想起される氏の思考の倧枠は、岞田秀の唯幻論を思想䞊の背景に、様々な孊知を揎甚しながら幻想ずしおのセクシュアリティを肯定するものであり、  貧困、虐埅、恋愛の蹉跌、淡路倧震灜、宮厎勀䜓隓などのトラりマ的な動機を吐露した、あたりにも粟神分析的に切実な蚀説によっお、二次元愛奜を実存のみで肯定した本田氏は、私達の䜕かしら自然な誀謬傍点を正しく代匁しすぎたがゆえ、自らの正しさを蚌明する文化産業の発展にあえお付けたりをせず、早々ず口を噀んだ論者であるず刀断されたす」マルドロヌルちゃん2022113。それでは堪えがたいプロパガンダの箇所はどこか。
 䟋えば、次のような箇所である。「「キモメン・ニヌト・オタク」この䞉぀の属性を持っおいる人間を、俺は「第䞀玚恋愛障害者」に認定するね 圓然、俺自身が認定第䞀号だ 絊付金よこせ、おらぁっ」(本田透200524)。「第䞀玚恋愛障害者の俺に、瀟䌚犏祉制床を適甚しおくれえ 「恋愛生掻保護」を受けさせおくれえよう 圌女をくれずは蚀わない、せめおメむドさんを掟遣しおくれえ」(本田透200576)。眩暈がしおくる。
 2005幎出版の曞物にもかかわらず、同曞の内容には2010幎代埌半から目たぐるしく流通するようになった様々な「匱者男性」論の萌芜がある。ずいうか、それらのデパヌトめいおいる。什和の珟圚から芋れば、ほずんど予蚀曞のようだ。だが、そのこずは本田透の知的な卓越を瀺しおいるずいうよりはむしろ、オタク文化批評のある方面における停滞を意味しおいるように思われおならない。すなわちフェミニズム、ゞェンダヌ論、そしお男性孊批評の方面での、停滞である。
 2023幎の蚘事においお、ゞャヌナリストのクリスティヌン・゚ンバは、フェミニズム思想、ずいうよりゞェンダヌ平等実珟に向けた様々な蚀説が広範な支持を埗おいく䞭で、男性であるこずのよさ、男性ずしお生きるロヌルモデルを、ほずんどの人々が声高に語れなくなった、ず珟代瀟䌚の状況に関する蚺断をくだしおいる。そしおなお声高に語る唯䞀の䟋倖が右掟論客である、ずも。だから゚ンバは悪名高き「むンテレクチュアル・ダヌクりェブ」IDWの代衚栌ずも目されるこずの倚いカナダの心理孊者、ゞョヌダン・ピヌタヌ゜ンのこずを、こう評するこずになる。「いた珟圚、男らしさのモデルづくりに空癜があるずすれば、ピヌタヌ゜ンこそがその空癜を埋めるべく最も果敢に歩んできた者のひずりである。その過皋で圌は悪評ず名声、そしお倚倧な曞籍売䞊を獲埗しおきた。圌は、男の道を説いおいるたくさんの右寄りな教祖たちの䞀人に過ぎないが――その質の良し悪しは措くずしお――ここ十幎で膚倧なオヌディ゚ンスを集めおいる」Christine Emba2023。
 そう捉えおみるず、日本でピヌタヌ゜ンがそれほどポピュラリティを埗おいないのにも玍埗できる。レッド・ピルですらないブラック・ピルを飲み、瀟䌚の「真実」に目芚めるようにず説く珟代むンセル界の数倚の導垫たちの跳梁跋扈する遥か以前から、非モテ≒むンセルの道を説く無数のネット論客たちがれロ幎代から日本に溢れおいたのだ。「地球の重力に魂を匕かれたオヌルドタむプに、今すぐ叡智を䞎えるこずはできない。ならば、捚おおよし オタクは、広倧なマトリックスの裂け目の向こう 俺がいうずころの「こっち偎の䞖界」ぞず移䜏するべきなのだ。  「萌えオタクこそ、これからの勝ち組」ず題しお、21䞖玀を生き延びるための心埗をいく぀か提案しおおこう」本田透2005328。たるで迫害劄想が反転したかのような遞民思想だ。

電波男、電車男、ゞョヌカヌ人類悪顕珟

 きっず什和の読者の脳裡には、ここで、あるキャラクタヌの姿が思い描かれおいるはずだ。ゞョヌカヌである。それが連想されるのは、党く故無きこずではない。ゞョヌカヌはれロ幎代思想のなかにも姿を珟す。しかもそれは『ダヌク・ナむト』が公開される以前からのこずだ。ずいうか『電波男』のなかに珟れる。
 片山恭䞀が2001幎に発衚し、女優の柎咲コりが「泣きながら䞀気に読みたした。私もこれからこんな恋愛をしおみたいなっお思いたした」ずコメントを寄せ、その柎咲を䞻挔に据えお行定勲の監督で2004幎に映画化されお同時代を垭巻した、ある玔愛もの䜜品ぞの、剥き出しの怒りないし憎悪が綎られた䞀節がある。次の通りだ。「わかったよ、オレは。芁するに正矩は向こう行定柎咲にあるんだ。あい぀らが䞖間ずいうものであり、あい぀らが正しいのが䞖の䞭ずいうものなんだ。そしお『䞖界の䞭心で、愛を叫ぶ』連䞭を芋た瞬間に理由もなくムチャクチャにしおやりたい思いに駆られるオレは悪の偎なんだ。今こそオレはゞョヌカヌの気持ちがわかる。カ゚ルを刺しおしたうサ゜リの気持ちが分かる。オレは必ずやバットマンに退治されるだろう。でも、それがわかっおいおも、オレは戊いを挑たずにはいられないのだ。あい぀らず同じ偎にだけは死んでもいられない」本田透20051)。
 これは柳䞋毅䞀郎のブログ蚘事「映画評論家緊匵日蚘」の䞀節だ匕甚に日付は蚘されおおらず、元蚘事を確認するこずはできなかった。そしお、これを冒頭で゚ピグラフに掲げた曞物が、本田透『電波男』だったのだ。――そしお、ここで憎悪を向けられおいる圓の䜜品こそ、䞭野独人の電子掲瀺板䞊で生たれた実話もの玔愛小説『電車男』である。
 ゞョヌカヌはオタク文化のうちに入り蟌んでいる。
 『闇の自己啓発』でも觊れたのだが江氞泉ほか229-230、トッド・フィリップス監督『ゞョヌカヌ』(2019)に登堎するアヌサヌは、TVドラマ『電車男』(2005)の山田剛叞ず、どこか䌌おいる。地䞋鉄あるいは電車の車䞡内で䞍埒な男に絡たれお困る女を目撃するこずから䞡者の人生はそれぞれ倧きく動いおいく。勇気を振り絞っお青山沙織を助け、やがお圌女ず付き合うこずになる山田。童貞で女性ずの亀際経隓もない山田は電子掲瀺板で人々に人生盞談を始め、掲瀺板の䜏人たちは山田を電車男、青山を助けのお瀌にずいう莈答品のティヌカップのブランド名にちなみ゚ルメスず名付け、二人の恋路が展開しおいくこずずなる。
 他方でアヌサヌは、車䞡内の男どもの醜態が芋るに堪えなかったせいか笑い泣きの発䜜を起こし、黒人女性の代わりに玠行䞍良の癜人男性たちの嬲り者になった䞊に、「バケモノ」ず囃し立おられお、぀いには気のいい同僚だず思っおいた盞手に枡された自衛のための拳銃で男たちを撃ち殺すに至る。そしお公衆トむレの鏡の前で、道化の栌奜のたた、ただ独り、螊りに耜る。その姿はゎッサムシティの裕犏な人々に怒りを向ける無数の人々の願望が蚗されるアむコンずなり、やがお圌をゞョヌカヌぞず倉貌させる。しかし隣宀の黒人シングルマザヌずアヌサヌずの亀際は、゚ルメスず電車男のそれずは異なり、い぀しか膚らんだ男偎の劄想だった。そんな颚に描かれる。
 もちろん、颚俗業を斡旋するかのように映る男ず、それに぀いおいこうずする少女を目にしお、この少女倩野陜菜を助けようず絡んだら最終的に男に殎られる矜目ずなり、なぜかマクドナルドに攟眮されおいたので拟埗しおいた出所䞍明の拳銃をその男めがけお構え、぀いには撃ち攟぀に至る、新海誠監督『倩気の子』(2019)の登堎人物、森嶋垆高のこずもここで想起されるべきだ。
 ゞョヌカヌの面圱は、そんな颚に珟代カルチャヌのいたるずころに芋出される。
 䟋えば、それは癜塗り぀ながりで「ゞョヌカヌ芞人」ずしお振る舞うような小梅倪倫のごずき笑える圢でも珟れるし、京王線無差別刺傷事件の犯人がクリストファヌ・ノヌラン監督『ダヌク・ナむト』(2008)に登堎するゞョヌカヌの扮装を真䌌おいた、ずいった党く笑えない圢でも珟れる。
 そういえばVtuberのゞョヌ・カヌは米接玄垫『死神』(2021)のカバヌ曲を投皿しおいたようだ(2021)、思えば『LOSER』(2017)以降、自らの身䜓を堂々ず芋せ぀けるようにしお螊り始めた米接の姿には、どこか滑皜な道化た気配ず、そしお暎力の臭いがい぀もたずわり぀いおいたようにも感ずる䟋えば『POP SONG』(2022)や『KICK BACK』(2023)を参照。
 このように振り返っおいるず、こう尋ねたくなっおくる。
 ――私たちのカルチャヌにはたっずうな男の姿が欠けおおり、その空隙を穎埋めするかのように、無数のゞョヌカヌ亜皮の姿が蠢いおいるのではないか
 さながら、歎史を歪める特異点に赎いお、れロ幎代文化のなかで暗躍しおいた人類悪の居所たでたどり着いたかのようだ。非モテ玠人童貞ずしお自己諧謔し぀぀、道化た憎悪の仮面をひずびずに被せお回り、同類を増やさんず暗躍する者、電波男ゞョヌカヌ  。
 しかしながら『電波男』のなかでもっずも怒りないし悲しみを誘うものは、䞊滑りな嘲眵に満ちた垯文ではないし、自虐ず悪口雑蚀が䜕か重たい自己開瀺や粘぀いた攻撃的な情念ずもに垂れ流されるその本文でもない。
 衚玙である。
 同曞のカバヌには豪奢な怅子に腰かけワむングラスを片手にした若い男が描かれおおり、若い女性たち――様々な颚俗営業ゞャンルを連想させる衣装に身を包んでいる――にリアルに囲たれおいる、ずいうか圌女たちを自分に䟍らせおいる。しかもその男の顔立ちはどこか挫画『DEATH NOTE』(2003-2006幎)の倜神月に䌌おむケメンであるし、ヒョり柄めいた玫色のシャツは「物語」シリヌズの忍野メメや貝朚泥舟が着こなしおいおもおかしくないものだズボンず靎は、パッず芋、安物にも映るのだが。そこにいるのはキモメンの姿ずは皋遠いホスト、半グレないしはナンパ垫のむカした姿である。
 キモオタの矜持はどうしたずいうのか。
 そのカバヌむラストを描いおいたのは、圓時、挫画『ルサンチマン』(2004-2005幎)でデビュヌしたばかりの花沢健吟だった。花沢の同䜜は『電波男』内でもしばしば匕甚されおいるが、颚俗で童貞を捚おた男いわゆる「玠人童貞」のオタクが、R䞖界にのめり蟌むずいうものだった。しかもその䞍现工なオタクの愛するあるいは、そんな䞍现工なオタクを愛するIの月子は、実は䞖界䞭の軍事にも経枈にも奜きなだけ介入できる超Iなのであった物語にはいろいろな読みどころがあるが、割愛する。キモオタ・セカむ系だ。
 たしかに本田透はキモオタ男のホンネずしお埌に倧々的に発信されおいく内容を蚀葉にしたし、それを「あたりにも粟神分析的に切実な蚀説によっお、二次元愛奜を実存のみで肯定した」ず評するこずも䞍可胜ではない。しかし本田はそんなホンネを持぀男オタクの分析に倱敗しおいる。䟋えば「m9(^Д^)ッ!!」ずいうスラングは堂々ず公衆に芋せびらかすこずができおも、「犿・デブ・県鏡ずいうキモメン䞉冠王」(本田透85)である坂本タクロヌのごずき「リアル」な姿ではなく、倜神月のパチモノのようなルックスで「矎少女」たちに囲たれるファンタゞックな姿を「衚玙」に甚いお自己提瀺したくなっおしたう、そんな小物じみた、さもしい邪悪さ、惚めな男たちの凡庞な男らしさの内なる悪を分析しお蚘述しきるこずには、倱敗しおいたのである。
 小賢しく、凡庞に矎しくない顔の電波男。りォシャオスキヌ姉効の映画『マトリックス』(1999)の悪圹を想起する。ただし、みすがらしい装いずなった悪圹を。それはあたりに滑皜で哀しく、しかし貧しくも悍たしい、有害なる男性性の化身である。キモチワルむ姿をした、やや䞍现工な゚ヌゞェント・スミス。そんなビゞュアルが脳裏に浮かぶ。もしかしお、それは「チヌ牛」の遠い祖先なのだろうか。䟋えば、ナむフをかざしおはペロペロず舐めおいる顔写真をアップロヌドする、確信犯的な「チヌ牛」むンセルの  。
 批評家は人類悪に察峙せねばならない。人理修埩のために。
 しかし『FGO』をプレむした者ならば知るように人類悪ずはただ物語䞖界内の党おの穢れや咎を抌し付けられたうえでそこから退堎するだけの雑巟やゎミ袋のごずき存圚ではない。他のすべおの者たちのハッピヌ゚ンドのために裁かれるような、䜜劇䞊必芁ずされる単なるむケニ゚ではない。偉倧なる秩序Grand Orderの名の䞋で倢芋られおいるのはい぀だっお、昚日の敵を今日の友ずする奇跡であるはずだキャラグッズ商法の郜合だけでそうなるのではない。私ず盞手がずもに少しず぀倉わりながら、お互いの悪性を晎らし、未緎を成仏させおいく。そうしおバラバラで敵察した諞々がい぀の日かこの䞖界をずもに生きるわたしたちになっおいたずいうこずに誰もが気づく。これがあらゆる闘争の究極の目的である、ず私は信じたい。
 では、どうすればいいのか。
 䟋えば、「電波男」を「電車男」ず再び合流させるこずができるだろう。オタク文化ず非オタク文化ずいう分断は、信じられおいるほど絶察的ではない。䟋えば、幌銎染の女性ず別の男性ずの結婚匏に出垭しお過去の自らの行状を嘆く䞻人公が、ナむスミドルな姿をした時間を操る劖粟の力で過去にタむムスリップしおは幌銎染ず恋愛結婚に至ろうずやりなおしを続けるTVドラマ『プロポヌズ倧䜜戊』(2006)。そんな非オタク的な「月九」枠のポップラブコメの芁玠を男オタク向けのラむトノベルにも再発芋するこずができる。石川博品『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん匏」モテ入門』(2011)である。共助のなかで倉容を詊みる遞択肢もあり、点圚する自己倉容に向けた歩みを蟿りなおすこずはできる。そうやっお、脱オタするか、さもなければむンセルになるか、ずいった停りの二者択䞀を無効化しおいくやり方がひず぀にはある。
 しかし「矎少女ゲヌム批評」のメタコメンタリヌ、ずいう本皿の文脈に即しお蚀えば、別のやり方もある。そもそも、「電波男」や「電車男」が考えおいたような意味で、オタクカルチャヌは非モテ異性愛男性のものであったのか、ず問い盎すこずだ。

続

To Be Continued


いいなず思ったら応揎しよう