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ノィットリオ・デ・シヌカ監督 『自転車泥棒』  矩務ではない「共感ず同情」


    映画評
    ノィットリオ・デ・シヌカ監督『自転車泥棒』1948幎むタリア映画

    ノィットリオ・デ・シヌカ監督の代衚䜜。第二次䞖界倧戊埌の貧困にあえぐむタリアの庶民をリアルに描いた、「ネオレアリズモ」映画の代衚䜜のひず぀でもある。

    私が子䟛の頃には、「名䜜」映画ずしお、よくタむトルを耳にした䜜品だが、最近ではそうしたこずも、すっかりなくなっおしたった。
    たぶん、囜は違っおも、「戊埌の貧困」ずいう共通䜓隓においお、むタリアのネオレアリズモ映画に共感できた䞖代、぀たり、私の芪以䞊の䞖代が、すでにほずんどいなくなっおしたったからだろう。

    私自身、「高床経枈成長」の䞭で育った䞖代であり、その私がすでに還暊を過ぎたのだから、今の珟圹䞖代が「戊埌の貧しさ」を知らないのは圓然のこずだ。なにしろ、すでに「高床経枈成長」の埌の「バブル経枈期」を経お、再び日本の経枈が䞋降線をたどっお「経枈的二極化」が進み、新たな貧困局が増えおさえいるのだから、はるか過去の話である「戊埌の貧しさ」に興味を持぀者など、いなくお圓然なのである。

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    幎埅った仕事を職業安定所から玹介される。だが、採甚には自転車の所有が必須であった
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    シヌツをすべお質にいれ、代わりに質屋から自転車を取り戻した倫婊
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    公務員ずしおのポスタヌ貌りの仕事に初出勀する父ず、その息子
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    制垜ず䜜業服、そしお梯子などの道具が貞䞎される。公務員は、民間に比べ絊料が良く、保蚌もあっお生掻が安定する。だが、仕事初日に肝心の自転車が盗たれた。このたたでは銘銖だ)
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    譊察は自転車を探しおはくれない。そこで友人たちも自転車の捜玢に協力しおくれるが、自転車の数は膚倧だ
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    息子も協力しおの自転車捜玢。雚にも降られおしたう
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    途方に暮れながらも、自転車の捜玢を続けるしかない

    それでも、「戊埌の貧困瀟䌚」ず「珟圚の貧困瀟䌚」には、あきらかな違いがあろう。
    戊埌の堎合は、ごく䞀握りの富裕局が豊かであっただけで、それ以倖は「みんな」が貧しかったのであり、そうした倧半の人には、自分たちが貧しいのだずいう自芚があった。
    ずころが、今の「経枈的ニ極化」の䞭で生きおいる私たちは、か぀おの経枈的繁栄を経おきた者が少なくないためか、生掻が苊しいずいう実感は倚少あっおも、自分が「貧乏人」であるずいう実感たでは持おないでいるのではないか。
    䞀䞀私には、そのように疑われおならない。

    「たしかに、あたり経枈的な䜙裕はないが、それでも私は、貧乏人ではない」ずいうような劙なプラむドの高さがあっお、「貧乏」ずいう珟実を認めようずはしたがらない、ずいったこずがあっおも、その人が比范的豊かな瀟䌚の䞭で生きおきた䞖代であるならば、ある意味でそれは、圓然のこずなのかもしれない。

    たた、そうした傟向があるのは、昔ずは違っお今の瀟䌚には、「珟実逃避」をうながす情報が満ちみちおいるからなのかもしれない。
    テレビなんかを芋おいるかぎりにおいおは、自分が貧乏人ではなく、テレビの䞭の日本人ず同レベルの「平均的な日本人」だず、そんな錯芚を芚えおしたうのではないだろうか。なにしろ䞖界には、貧しい人たちがごたんずいるのだし 。

    戊埌すぐのように、戊前ずの比范においお呚囲はみんな、芋るからに「貧乏人」だずいうのであれば、貧乏人ずしおの自意識も生たれやすければ、貧乏人同士の連垯だっお生たれもしよう。
    だが、少なくずも倖芋的には、呚囲に「貧乏人らしい貧乏人」がいないずなれば、誰も自分だけが貧乏人だずは思いたくないので、貧乏人であるずいう自意識など持おないのが、道理なのではないか。
    しかもこうした状況は、「経枈的ニ極化」を歓迎し、掚進しさえする「䞊玚垂民」的な人たちにずっおは、きっず、ありがたいこずなのだ。なにしろ、貧乏人が埒党を組んで、今の「二極化瀟䌚」を揺るがすような事態など、想定しないでも枈むからである。
    だからこそ、自芚のない貧乏人たちには、安手の「パンずサヌカス」を䞎えおおけば良いずいうこずにもなるのだ。

    そんなわけで、「豊かそうな倢」ばかりが投げ䞎えられる瀟䌚では、「貧乏人ぞの同情」も、おのずず薄れおしたうだろう。
    なにしろ「同情」ずは、「情を同じくする」ずいうこずなのだから、ある皋床の「感情の共有」が前提ずなるものであるはずだからだ。぀たり、倚少なりずも、自分が「貧乏人」であるずか、今は貧乏ではなくおも「貧乏に苊しんだこずがある」ずいう気持ちがないかぎり、「貧乏人ぞの共感」は難しいはずなのである。

    無論、この私自身、「貧乏」らしい「貧乏」を経隓したこずがないし、自分を「貧乏人」だずは思っおいない。
    特別豊かではないし、「経枈的二極化」瀟䌚の䞭では「䞋局」に属するんだろうずは思うものの、珟にひずたず、働かずに奜きなこずだけをしお生掻を営んでいるのだから、これで「貧乏人」を名乗るのは、さすがに烏滞がたしいず、自分でも思っおいる。

    だが、そんな経枈的に苊劎知らずで生きおきた私が、どうしお本䜜『自転車泥棒』などに描かれる「貧乏人」に同情できるのかず蚀えば、それはたぶん、戊前・戊䞭掟の䜜った、「貧乏人ぞの同情ず共感を描いた」映画やテレビドラマや挫画やアニメ、あるいは小説などの䜜品に、接しおきたからではないだろうか。
    自分自身は、盎接「貧乏」を䜓隓しなかったものの、フィクション䜜品を通しお、仮想的にではあれ、「貧乏」を䜓隓しおいたのである。

    デ・シヌカ監督には『靎みがき』1946幎ずいう䜜品があっお、䞻人公は「靎みがきの少幎」である。
    䞀䞀ず、このように曞いおも、私より䞊の䞖代なら、「靎みがきの少幎」ず蚀われお、すぐにその姿が思い浮かび、ピンずも来るだろうが、はたしお、今の䞉十代以䞋の人には、それは可胜なのだろうか

    もちろん、叀い映画やドラマが奜きだずいう、䞀郚の趣味人は別にしお、若い䞖代の倚くにずっおは、「靎みがきの少幎」などずいうものは、珟実は無論、映画やテレビドラマ、挫画やアニメの䞭ですら、芋たこずがないはずなのだ。

    䟋えば、私の䞖代で「靎磚きの少幎」ずいえば、その原むメヌゞのひず぀ずしお、テレビアニメ『タむガヌマスク』1969幎10月2日 - 1971幎9月30日の䞻人公・䌊達盎人の「回想シヌンにおける少幎時代」の姿を思い出す。
    圌は「戊灜孀児みなしご」の「孀児院」育ちであり、孀児院を飛び出したあず、路傍での「靎みがき」をしお、独りで生蚈を立おおいた。
    このような子䟛たちが、戊争盎埌の日本には、倚く実圚しおいたのである。

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    アニメ『タむガヌマスク』の゚ンディング。高架䞋を通りがかった䌊達盎人が、そこで靎磚きをしおいた、自身の少幎時代を想起する。曲は、有名な「みなしごのバラヌド」

    アニメ『タむガヌマスク』には原䜜挫画があっお、その原䜜者である「梶原䞀階」は「1936幎生たれ」だ。だから、圓然のこずながら、戊前・戊䞭・戊埌を経隓しおいる䞖代であり、戊埌の挫画に「戊埌颚俗のひず぀」であった「靎みがきの少幎」を描いたずいうのは、ごく自然なこずであった。
    梶原䞀階自身が、「靎みがきの少幎」の存圚を珟に目にしおおり、たた、デ・シヌカ監督の『靎みがき』も芋おいるのかもしれない。

    ずもあれ、私の䞖代は、こうした戊前・戊䞭・戊埌を経隓しおいる䞖代の䜜家たちの䜜品に接しおきたからこそ、圌らが描いた「貧乏人ぞの共感ず同情」ずいうものを、間接的に䜓隓するこずが出来た。そしお、そんな「間接䜓隓」を持぀者ずしお、ある皋床は「貧乏人」に共感するこずも出来たのだ。

    だが、そうした䜜品にすら接する機䌚のなくなった、今の珟圹䞖代が、果たしお「本気で」、貧乏人に「共感」するこずなど、出来るものなのだろうか たしおや、「同情」などできるのか
    䞀䞀ず、そんなふうに疑われおならない。

    もちろん、そうした「貧乏」䜓隓や間接䜓隓が䞀切なくおも、「共感や同情はできる」ず蚀う人も、少なからずいるこずだろう。なぜなら、そういう䜜品に接した堎合、珟に「可哀想になあ」ず「思う」こずが出来るからだ。

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    自転車の捜玢に疲れた父息子は、サッカヌ堎前に駐められた膚倧な自転車を眺める

    しかし、その「同情」ずいうのは、はたしお自然なものなのだろうか 「自然な感情」の発露なのか

    もしかするずそうではなく、「貧乏人に共感できないような者は、心の冷たい、共感胜力の䜎い人間だ」ず、そう吊定的に評䟡されかねないからこそ、自己防衛的・自己正圓化的に、同情的な気分になっおいるだけの、「自己欺瞞」なのではないのか

    ぀たり「共感・同情できる」から「貧乏人に共感・同情できる」のではなく、「恵たれない人には、同情すべきである」「恵たれない人に共感できる心の枩かい人間であるべきだ」ずいったような「瀟䌚倫理芏範」があり、それを内面化しおいるから、あるいは「瀟䌚倫理芏範」に埓っおいないず「䞖間䜓が悪い」からこそ、自分は、そうした「瀟䌚倫理芏範」を備えた「心の枩かい人間」だず、そう思われたいがために、「共感・同情できる」ず䞻匵し、「共感・同情できる」ず思い蟌んでいるだけ、なのではないだろうか

    䟋えば、本䜜『自転車泥棒』は、䞀蚀でいえば「貧乏人の悲哀」を描いた䜜品だが、映画マニア以倖に、今どきこんな映画を芋たいず思うような人が、䞀䜓どれだけいるだろう

    芋るんなら、もっず楜しく心螊るような映画が芋たいのではないだろうか
    それでなくおも「今の䞖の䞭」は、ろくでもなく暗いニュヌスが溢れおいるずいうのに、そのうえ「映画」でたで「嫌な珟実」を芋るなんおこずは、したくないず考える方が、よほど自然なこずなのではないだろうか。
    䞀䞀むしろ私には、そのようにさえ思えるのである。

    しかしながら、だからこそ、倚くの人に本䜜『自転車泥棒』を芋おほしい。
    本䜜だけではなく、「嫌な珟実」を描いた、映画や小説などに接しお、間接的に「恵たれない人々の䜓隓」を共有しおほしい。

    そのこずによっお、「実感を䌎っお芋えおくる珟実」ずいうものが確実にあるず、そう考えるからだ。

    「嚯楜䜜品」が悪いずいうのではないし、「珟実逃避」がいちがいに悪いずいうのでもない。
    ただ、「嫌な珟実」から逃げおばかりしおいるず、その人は、自分自身の「嫌な珟実」からも逃げるこずになるだろうし、そうなれば、その人自身がいずれは、「冷たい瀟䌚」から芋攟されるこずにもなるのではないか。
    なぜなら、瀟䌚党䜓が、その人ず同様に「嫌な珟実」から目を背ける人たちばかりになっおしたうからである。

    そしおそうなった時に、「嫌な珟実」から逃げおいた私たちは、もはや「冷たい䞖間」を責める資栌などなくなっおいるのである。なにしろ、私たち自身が「冷たい人間」なのだから。

    あなたは、本䜜『自転車泥棒』の䞻人公芪子に、同情・共感できるだろうか
    矩務や芋栄からではなく、本圓に、心の底からのそれが、可胜なのか

    以䞋の「あらすじ玹介」を読んで、ぜひ、自身を詊しおほしい。

    『第二次䞖界倧戊埌のむタリア、ロヌマ。

    2幎間職に就けなかったアントニオ・リッチは、職業安定所の玹介で圹所のポスタヌ貌りの仕事を埗る。仕事に就くためには自転車が必芁だず蚀われるが、生掻の厳しいアントニオは自転車を質に入れおいた。劻のマリアが家のベッドのシヌツを質に入れ、その金で自転車を取り戻す。新しい職に浮かれるアントニオを芋お、6歳になる息子のブルヌノも心を躍らせる。

    ブルヌノを自転車に乗せ、意気揚々ず出勀するアントニオ。しかし仕事の初日、ポスタヌを貌っおいる最䞭に自転車を盗たれおしたう。譊察に届けるも「自分で探せ」ず蚀われる始末。自転車がなければ職を倱う。新しい自転車を買う金もない。アントニオは自力で自転車を探し始める。

    友人のバむオッコに盞談し、翌朝に広堎のマヌケットぞ探しに行くこずに。広堎には倧量の自転車が売りに出されおいたが、アントニオの自転車は芋぀からない。

    雚が降り、二人はずぶ濡れだ。息子ずもに途方に暮れおいる䞭、アントニオは犯人らしき男が老人ず䌚話しおいるのを芋かける。男を远いかけるも逃げられおしたい、戻っお老人を远う。老人は「䜕も知らない」ず蚀い匵り、斜しを行う教䌚に入った。アントニオはミサの行われる䞭で老人を問い詰め、男の䜏所を聞き出す。アントニオは老人をその男のずころたで同行させようずするが、老人は「せめお斜しの食事を食わせおくれ」ず頌む。アントニオはそれを蚱すが、その隙に老人は逃げる。アントニオの䞍手際を責めるブルヌノの顔を、アントニオはぶっおしたう。

    いじけたブルヌノを慰めるために、高玚レストランに入るアントニオ。呚囲が豪華な食事をする䞭、肩身の狭い思いで食事をする。ポスタヌ貌りを続けられればもっず生掻が楜になるんだ、だからなんずしおも自転車を芋぀けたい、ずアントニオは息子に語る。

    昚日たでむンチキだずこき䞋ろしおいた占い垫にも頌っおみるが、「すぐに芋぀かるか、出おこないかだ」ずしか蚀われず䜕の進展もない。

    貧民街で犯人ずおがしき男を芋぀けたアントニオは、激しく男を問い詰める。しかし男は䜕も知らないず蚀い匵り、発䜜を起こしおそのたた倒れる。昂ぶった街の男たちに取り囲たれたアントニオの元ぞ、ブルヌノが譊官を連れおくる。譊官ずずもに男の家を捜玢するが、自転車は芋圓たらない。蚌拠もなく、蚌人もいなければこれ以䞊の捜査はできないず譊官が蚀う。アントニオはあきらめ、䜏民に激しくなじられながら貧民街をあずにする。

    あおもなく歩き、サッカヌの詊合を開催しおいるスタゞアムの前で座り蟌む二人。目の前には芳客が乗っおきた倧量の自転車。背埌には人気のない通りに䞀台の自転車が止たっおいる。アントニオは立ち䞊がり、䜕床も振り返っお䞀台の自転車を気にする。やがお詊合が終わり、退堎する芳客で通りが混雑し始める。思い぀めたアントニオは息子に金を枡し、先に垰っお埅っおいろず蚀う。そしお背埌の通りぞ恐る恐る歩いおいく。

    人気のないこずを確認し、自転車を盗むアントニオ。しかしすぐに気づかれ、远いかけられる。必死に逃げるアントニオを、路面電車に乗り遅れたブルヌノも芋぀ける。アントニオはあえなく捕たり、取り抌さえられた。泣きながら父にしがみ぀こうずするブルヌノ。 捕たえた男たちはアントニオを譊察に突き出そうずしたが、自転車の持ち䞻はブルヌノを芋お、「もういい、芋逃しおやる」ず蚀う。アントニオは男たちの眵倒を背䞭に受けながら解攟された。

    匱匱しく歩くアントニオ。次第に涙がこがれ始める。父の涙を芋たブルヌノは、匷くアントニオの手を握る。手を぀ないだたた、芪子は街の雑螏の䞭を歩いおいく。』

    Wikipedia「自転車泥棒」

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    アカデミヌ賞受賞䜜


    2025幎5月20日


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