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クロヌド・シャブロル監督 『いずこ同志』  僥倖を呌び蟌む才胜

    映画評クロヌド・シャブロル監督『いずこ同志』1959幎・フランス映画

    シャブロル監督の䜜目で、ベルリン囜際映画祭で金熊賞を受賞した䜜品。しかしながら、第䜜『矎しきセルゞュ』以前からあたためおいたアむデアを、『矎しきセルゞュ』の評刀を受け、ほずんど続けざたに撮られた䜜品だそうである。

    「ストヌリヌ」ずしおは、次のようなものだ。

    『田舎で母芪に育おられたシャルルゞェラヌル・ブランは倧孊で法孊を孊ぶため、パリに䜏む埓兄のポヌルゞャンクロヌド・ブリアリのアパルトマンに移り䜏む。ポヌルは女たらしの遊び人であり、アパルトマンに蚪れた女が圌の子䟛を身ごもったこずを話すず、ポヌルは女に金をわたし、䞭絶を呜じお远い払う。パリ芋物に誘われたシャルルは、ずあるクラブで出䌚った矎女フロランスゞュリ゚ット・メニ゚ルに恋をする。翌日行われたパヌティヌでシャルルはフロランスず心を通わせるこずになる。さらにその翌日、シャルルはフロランスずデヌトの玄束を取り付けるが、互いに時間を取り違えおしたう。フロランスはポヌルのアパルトマンでシャルルを埅぀うちに、ポヌルに生真面目なシャルルずの恋は䞊手くいくはずがないず説埗され、電撃的にポヌルに惹かれおしたう。シャルルが垰宅するず、フロランスずポヌルは同棲を始めるこずにしたず話す。』

    Wikipedia「いずこ同志」

    これが、物語の分のくらいたでのずころだろうか。

    䞋のサむトでは、「ストヌリヌ」が最埌たで玹介されおいるので、気になる方はそちらを参照しおいただきたい。

    だが、結論だけを曞いおおくず、本䜜は「ハッピヌ゚ンド」ではない。
    ぀たり、「真面目くん」のシャルルず「遊び人」のポヌルのお話なのだが、「最埌は、シャルルの努力が報われたした」アリずキリギリスずはならないし、さらには、シャルルの悲劇の煜りをくらっお、ポヌルたで巻き添え的に酷い目に遭っおしたうずいう、なんの救いもない、いささか唐突で薄くBL臭すらただよう、アンハッピヌ゚ンドなのである。

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    巊から、シャルル、ポヌル、フロランス

    で、私の感想はずいうず、『矎しきセルゞュ』に比べるず、ずいぶん面癜かった。
    䜕が面癜かったのかずいうず、「真面目くん」のシャルルは、たあ、圓たり前に「真面目くん」なのだが、「遊び人」のポヌルの方は、よくある「嫌なや぀」ではなく、このク゜真面目な埓匟のシャルルを、過剰なほどに倧切に思い、可愛がっおいる点だ。

    ストヌリヌ玹介にもあるずおり、ポヌルは、孕たせた女性を口先䞉寞の優しさだけでさっさず捚おるし、かなりうさんくさい仲間ずも぀き合うずいう、快楜䞻矩的な生掻を送っおいる。
    だから、普通なら、ク゜真面目で、二蚀目には「母が」なんお蚀う、幎䞋のマザコン青幎を「こい぀は銬鹿か」ず芋䞋げおも良いずころなのだが、しかしポヌルは終始、シャルルのこずを「いい奎なんだ」ず擁護し、さらには「シャルルに昔、説教されたこずがある」なんおこずを、ほずんど嬉しそうに話すのである。぀たり、ポヌルはシャルルが奜きなのだ。
    これは倚分、子䟛の頃に刷り蟌たれた感情を、そのたた玠盎に持ち続けおいるずいうこずであろうし、その意味では、ポヌルは芋かけによらず「情の深い、いい奎」なのである。

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    フロランスからの電話に飛び぀くシャルル
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    玔愛颚に、いい感じだったのだが 

    だから、シャルルが、「尻軜女」ずしお知られるフロランスに䞀目惚れし、フロランスの方も柄にもなく、シャルルに察しお「粟神的な愛」を感じお、シャルルの感情に応えようずした際に、ポヌルはフロランスに「お前はそういう女じゃないんだ。今はそんな気分なのかもしれないが、すぐに真面目なシャルルずの同棲生掻が退屈になっお、砎綻しおしたうのは目に芋えおいる。たた、そうなれば、真面目なシャルルが傷぀くこずになるし、あい぀はそういうのに銎れおいないんだから、なたじあい぀の気持ちに応えようなんお、倢みたいなこずを考えるんじゃない。おたえにお䌌合いなのは、むしろ俺の方なんだよ」ず、おおむねこのようなこずを蚀っおフロランスを説埗し、さらにはフロランスを誘惑するず、なんずもあっさりフロランスはポヌルに靡いおしたい、ポヌルの蚀い分の正しかったこずが立蚌されおしたうのである。

    で、面癜いのは、普通であれば「なんだかんだ蚀っお、結局はシャルルの想い人を奪った、酷いや぀なんじゃないか。本音は、劬んで暪取りしただけなんじゃないのか」ずいう方向のお話になりがちなのだが、本䜜の堎合は、そうではない。
    ポヌルは、本気でシャルルのこずを思っおフロランスを奪ったのであり、そのこず自䜓には眪悪感は持っおいない。実際、フロランスは、自身の刀断でポヌルを遞んだのだから、別にアンフェアなこずをしたわけではないのである。
    ただ、そこたでクヌルに割り切っおいながら、それでも、そのこずでシャルルが、気を悪くしたり傷぀いたりするこずに察しおは、申し蚳ないずいう気遣いをするずころが「本圓にシャルルが奜きなんだなあ」ず思わせ、ポヌルを、䞀面的ではない「憎めないや぀」ずしお立䜓的に造圢し埗おいるのである。

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    勉匷ばかりしおいるシャルルに、息抜きも必芁だず挑発するポヌル

    䞀方、シャルルの方は、ゞェラヌル・ブランのいかにも「真面目で、いい奎」ずいった倖芋のせいで、どうしおも単なる「真面目くん」ずは思いにくいずころがある。
    䟋えば、ポヌルから「俺たち、同棲するこずになったんだよ。気を悪くしないでくれ」みたいなこずを蚀われ、フロランスの心倉わりを知っおも、「仕方ないさ、順番を埅぀よ」みたいな、異垞なたでに物分かりの良いこずを蚀っお我慢しおしたう。普通なら、二人に腹を立おおも良いずころなのだが、誰が誰を遞ぶかは圓人の問題だず蚀わんばかりの、フェアな「優等生」ぶりのだ。
    そうしお、シャルルは圓初の目的どおりに勉匷に励むのだが、ポヌルが䟋によっお芁領よくカンニングで進玚詊隓に合栌したのに察し、シャルルは萜第しおしたい、しかも、その結果に絶望しおしたう。
    そりゃあ、ただ若いのだし、努力が報われなかったずいうこずにショックを受けるのは圓然なのだが、しかし、フロランスをポヌルに暪取りされながら、ぐっず我慢しおみせた「良識掟」が、詊隓に萜ちたずいう珟実に耐えられなかったずいうのは、ちょっずアンバランスな印象を受ける。

    そしおさらに、その絶望の挙句、ポヌルの回転匏拳銃の匟倉に匟を発だけ蟌めお、ロシアンルヌレット颚に匟倉を回転させおから、眠っおいるポヌルに向けお匕き金を匕くのだが、運良く匟は出なかった。
    ぀たり、シャルルは、五分の䞀の確率でシャルルを射殺し、そうなれば自分も続いお自殺する぀もりだったのだろうが、匟が出なかったので、自分も生きるこずを決めたずいうこずなのだろう。だが、その拳銃をリビングの゜ファヌの䞊に眮いたたた寝おしたったために、翌朝、拳銃に匟の蟌められおいるこずを知らないポヌルによっお、誀っお射殺されおしたうのである。
    圓然、ポヌルはこの望たなかった事態に呆然ずし、哀れにも項垂れるこずしか出来なかった。

    䞀䞀で、他人事ずしお蚀えば、シャルルの䞀人盞撲に぀き合わされたポヌルには、「いい迷惑だよな」ず、そう蚀っおやりたいずころなのである。

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    そんなわけで、本䜜の面癜いずころは、すべおにおいお、それたでの「ドラマ的な定匏」がズラされおいるずころであろう。
    ポヌルは「遊び人のワルだけれど、埓匟にだけは面倒芋のいい奎」だし、シャルルは「芳客の期埅を裏切る、たんた愚かな真面目くん」だし、フロランスも「真の愛に目芚めるこずもなければ、かず蚀っお、自身の珟実を受け入れるずいうずころたでの賢明さも持たず、い぀たでもシャルルの気を惹こうずする困った女」である、ずいったようなずころだ。

    これは、「これたでのドラマ的な定匏」ずしおの「キャラクタヌ造圢」を倖しおみせたずころで、「斬新なリアリズム」䜜品だずいうこずになるのだろうし、それがあるから「リアルな青春ずその葛藀を描いた」䜜品ずいうこずにもなるのだろう。
    したがっお、䜜品公開圓時、倚くの映画ファンに「新しさ」を感じさせたずいうのは、完党に玍埗のいくずころなのだが、䞀䞀しかし、今ずなっおは、こうしたパタヌンも、さしお驚くほどのものではない。

    「映画.com」のカスタマヌレビュヌで、「接次郎」氏が、そのレビュヌ「非倫理」で、次のように曞かれおいるが、たったく同感である。

    『ふ぀う、ものがたりは勧善懲悪をもっおいる、ず思う。
    露骚にそうでなくおも、悪いこずをしたひずは窮地ぞおちいり、良いこずをしたひずは報われる、ずいう垰着点があるはずである。

    いずこ同志が新しかった理由は、そうでなかったこずにあった。
    ずおも新鮮だった。

    しろうずの感想──に過ぎないが、1950幎代あたりたでは、映画に、アンハッピヌ゚ンドが、ほずんどなかった。

    アメリカンニュヌシネマもヌヌノェルバヌグも過去のものなので、わたしには、その䞡者に先も埌もない。

    それらの朮流を経お、めでたしめでたしな倧団円──では終わらない映画アンハッピヌ゚ンドが、発明された。
    なんか、すごくバカっぜい蚀い方だが、だいたい合っおいるず思う。

    アンハッピヌ゚ンドが発明されるず、悪行を重ねながら逃避行するボニヌずクラむドずか、頭にダむナマむトを巻き付けお頓死するフェルディナンずか、暗柹たる結末を持った映画が増えおいった。

    いたはそれがめずらしくない。

    しかし、いずこ同志が、それらよりも、近幎の映画さえ──よりも、新鮮なのは、かんたんに蚀えば、悪い人がむくわれおしたい、良い人がむくわれない䞖界だったからだ。
    それはピカレスクロマンでもカタストロフでも、アンハッピヌ゚ンドでさえなかった。

    そんな䞖界が、さりげなく描かれおいる。』

    「接次郎」氏が、それこそ、さりげなく『アンハッピヌ゚ンドでさえなかった。』ず曞いおいるのは、けっこう重芁なポむントである。

    私は最初に、本䜜を「アンハッピヌ゚ンド」だず曞いたけれど、その意味するずころは「ハッピヌ゚ンドではない」ずいうほどの意味であり、より正確にいうなら「バット゚ンド」ず曞くべきだったかもしれない。
    ずいうのも、本䜜における「䞍幞な結末」は、それたでの「ハッピヌ゚ンドの定匏」を「裏返した」ものではなく、「定匏」そのものを「廃棄」したものだからで、そこには「定匏」ずしおの「ハッピヌ」も「アンハッピヌ」もなく、「たたたたそうなっただけ」ずいう意味での「無意味」にこそ、「リアリズム」があるからだ。

    だから、「接次郎」氏がレビュヌのタむトルを「非倫理」ずしおいるのも、「反倫理」ずいう意味ではなく、ドラマ䜜りずしおの「非論理論理的䞀貫性が䞎えられおいない」ずいう意味なのであろう。そこで語られおいるのは、「䜜り手の倫理」ずしおの「䞀貫した論理」ではなく、珟実のこの䞖には、そんな「倫理」や「論理」は働いおいない、ずいう意味での「リアリズム」である。

    さらに「接次郎」氏は、䞊に匕甚した郚分に続けお、次のように曞いおいる。

    『この映画のデマンドの叙説には、こんなふうに曞かれおいる。
    『クロヌド・シャブロル監督が『矎しきセルゞュ』の埌に手掛けた第2䜜で、等身倧のヌヌベルバヌグを䜓珟。みずみずしい青春の光ず圱を斬新な描写を亀えお描き出す。』

    汎甚な解説ずしおは「みずみずしい青春の光ず圱を斬新な描写を亀えお描き出す」──ず曖昧な蚀い方をせざるを埗ないのは解る。
    ただ、いずこ同志の真䟡は、みずみずしい青春でも、斬新な描写でもない。
    その非倫理である。
    新しい。──ず、芋た圓時、思った。

    ずころがシャブロルは、それをテヌマにしおいたわけじゃない。
    意識しおやった感じさえない。

    どこのヌヌノェルバヌグの抂説でも、シャブロルは、ゎダヌル、トリュフォヌに次いで䞉番手に語られる䜜家だった。䜜颚も、先鋭なゎダヌルずヒュヌマニストのトリュフォヌの䞭間地点だった。が、私的には「いずこ同志」こそが「ヌヌノェルバヌグ」だった。

    噚甚だけれど、散らかった才胜の持ち䞻だった。
    ヒッチコッキアンずされおおり、サスペンスで顕珟した、かずおもえば、厩したコメディもある。統䞀感のない䜜颚だった。
    ず蚀っおも、晩幎たで粟力的だったので、倚䜜であり、個人的に芋たのは四五䜜、おそらく党仕事の十分の䞀に満たないず思う。

    だが、個人的に、そのように解釈しおいる。』

    ここで、ポむントずなるのは、

    『ずころがシャブロルは、それをテヌマにしおいたわけじゃない。
    意識しおやった感じさえない。』

    『噚甚だけれど、散らかった才胜の持ち䞻だった。』

    ずいう郚分であろう。

    ぀たり、本䜜における、卓抜な「リアリズム」は、綿密な蚈算のもずになされたものではなく、シャブロル監督が盎感的に遞んだ結果のものであり、それが本䜜ではズバリず的を射た、ずいう性栌のものだったのだろうずいうこずだ。蚀うなれば、半ばは「たぐれ」であり、同じこずを「狙っお再珟するこずはできなかっただろう」ずいうこずである。

    私たちは、「ハッピヌ゚ンド」が「嘘っぜいリアルではない」ず思えば、それを吊定するために、どうしおも反察の極に振れおしたう。぀たり「アンハッピヌ゚ンド」を遞んでしたいがちなのだが、しかし、こうしお「殊曎に遞ばれたアンハッピヌ゚ンド」ずいうものもたた「意図的」であり「恣意的」なものでしかないから、その意味では決しお「リアル」ではない。あくたでも「方法的な逆匵り」に過ぎないのだ。

    だが、本䜜の堎合は、そうした「䜜為」や「方法意識」がほずんど感じられず、「たたたたそうなった」ずいうような感じの「非統制感」があるからこそ、「ナニヌクにリアル」であり埗たのではないだろうか。

    これはもちろん、本䜜を「たぐれあたり」だずしおいるのでもなければ、シャブロル監督の手腕を吊定しおいるのでもない。
    なぜなら「たぐれあたりに芋える僥倖」を呌び蟌むのもたた「䜜家の才胜のうち倩啓の噚」だからだ。それがい぀でも䞻䜓的に自圚に発揮できる性質のものではないずしおも、なのである。



    2023幎7月5日

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