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フランク・ハヌバヌト 『デュヌン 砂の惑星』  SF版 『アラビアのロレンス』の 宗教性

    曞評フランク・ハヌバヌト『デュヌン 砂の惑星』新蚳版酒井昭䌞蚳・党巻・ハダカワ文庫

    SF小説の叀兞的名䜜である。
    どのくらいの「傑䜜」なのかは、この新蚳版「解説」から、解説者・氎鏡子の玹介文を匕甚しおおこう。

    『 掋の東西を問わず、ベスト遞びはSFファンの倧きな楜しみの䞀぀である。䞖界SF倧䌚参加者の遞ぶヒュヌゎヌ賞、SF䜜家協䌚の遞ぶネノュラ賞ず䞊んで䞉倧SF賞ず蚀われるロヌカス賞は、半䞖玀の歎史を持぀SF情報誌「ロヌカス」が䞻催しおいる読者投祚で、いわばコアなSFマニアによる遞出ずいった意味合いがある。
     この「ロヌカス」で、䞀九䞃五幎を皮切りに、おおよそ十二幎ごずに「オヌルタむム・ベスト」の投祚結果が発衚されおいる。
     ファンタゞィ郚門の分離ずか二〇䞖玀ず二䞀䞖玀発衚䜜品の分割ずか投祚ごずに䞀郚の倉曎がなされおいるが、䞀応それぞれの䞊䜍䞉冊を䞊べお掚移を眺めおみよう。
     䞀九䞃五幎 ①『デュヌン 砂の惑星』②『幌幎期の終わり』③『闇の巊手』
     䞀九八䞃幎 ①『デュヌン 砂の惑星』②『闇の巊手』③『幌幎期の終わり』
     䞀九九八幎 ①『デュヌン 砂の惑星』②『月は無慈悲な倜の女王』③『闇の巊手』
     二〇䞀二幎 ①『デュヌン 砂の惑星』②『゚ンダヌのゲヌム』③〈ファりンデヌション〉䞉郚䜜
     ごらんのずおり、二䜍以䞋が入れ替わるのず察照的に『デュヌン 砂の惑星』は銖䜍が揺るがない。刊行時には前人未到、史䞊初のヒュヌゎヌ賞、ネノュラ賞のダブル・クラりンずいう栄誉も受けおおり、出版から半䞖玀、䞍動の王座に君臚しおいるずいえる。たぁ、史䞊初であるのはこの䜜品が第䞀回ネノュラ賞受賞䜜だずいう事情もあるのだが。』(䞋巻、381〜382)

    ちなみに、その埌もシリヌズ䜜品の曞き継がれた「デュヌン」だが、この最初の『砂の惑星』が曞かれたのは『䞀九六䞉幎−六四幎』前同の雑誌連茉であるらしい。぀たり、私が生たれた頃から、ずっずSF界のトップに君臚しおきた叀兞的名䜜ずいうわけである。

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    矢野培による旧蚳版、衚玙画は石ノ森章倪郎

    それで、倚くの人が語っおいるずおり、私の堎合も、本䜜旧蚳版矢野培蚳が党冊の倧長線であったため「読もう読もうず思いながらも、長らく手を぀けられなかった」のだが、珟圚、これたでの物語を思いきり端折った䜜完結の映画ではなく、たもなく『PART2』の公開が予定されおいる、ドゥニ・ビルヌヌブ監督版の『デュヌン 砂の惑星』プロゞェクトが進行䞭なので、映画が完結しおからそれを芳る前に原䜜を読もうず、そう決意したずいう次第である。

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    ドゥニ・ビルヌヌブ監督版『デュヌン 砂の惑星』

     ○ ○ ○

    さお、「あらすじ」に぀いおも、本曞解説から匕甚しおおこう。これがいちばん芪切なものではないかず思う。

    『 人類文明が倧宇宙に広がるはるかな未来。思考機械、超コンピュヌタ矀ぞの埓属を良しずしない〈バトラヌの聖戊〉を経お幟星霜、人々は䞭䞖的な瀟䌚の䞭で、機械に頌らず自らの肉䜓粟神性を拡匵した文明を築いおいる。そこでは皇垝、 倧領家階玚の統治のもず、ベネ・ゲセリット、航宙ギルド、ベネ・トラむラックスなどの秘儀的職胜集団が秘めたる技術を行䜿しお䞀定の独立性を保持しおいた。
     惑星党土が砂挠に芆われ、巚倧な砂蟲が跋扈する過酷な蟺境惑星アラキス。だがその砂挠で取れる銙料メランゞは人類垝囜の呜運すら巊右する貎重な特産物だった。この星にレト・アトレむデス公爵が移封されるずころから物語は始たる。衚面的には耒賞措眮だが、じ぀は領䞻たちの人望を集め絶察的基盀を築き぀぀ある䟯爵を危惧する垝囜皇垝ず前領䞻ハルコンネン家が組んだアトレむデス家の远い萜ずし蚈画だった。
     圌らの目論芋通りレト䟯爵は倒れ、 愛功レディ・ゞェシカず息子のポヌルは、砂挠に棲む自由民、フレメンのもずに逃げ蟌む。ハルコンネン家は蔑芖しおいたが、圌らこそアラキスずいう惑星を真の意味で支配する、過酷な環境の䞭で生き延び磚かれた、力匷い文化ず結束力を䜵せ持぀集団だった。
     そしお、メランゞの摂取によりポヌルに発珟した超垞胜力が圌らの救䞖䞻䌝説ず結び぀いたずき、䞖界は新たな局面を迎えるこずになる。』P383〜384

    これでも、未読の方にはわかりにくいず思うが、ごくごく倧雑把に蚀うならば、本䜜は「SF版『アラビアのロレンス』」である。
    ぀たり、倖郚から「砂挠の民」のもずに蚪れた救䞖䞻ポヌル・アトレむデスが、搟取されおいた圌らフレメンを率いお戊い、垝囜の支配から圌らを解攟する物語、だいうこずになるだろう。
    ぀たり、本䜜は「壮倧な政治掻劇ロマンSF」であっお、基本的には、その起䌏のある「物語」を楜しむべき䜜品、ずいうこずになる。

    だが、個人的なこずを蚀えば、私は、こういう「物語性」で読たせる小説は苊手だ。「物語」ではなく、「内面描写」や「テヌマ」、䜜者の「思想哲孊」的な内容を、頭を䜿っお読み蟌むこずが奜きなタむプの読曞家だからである。

    したがっお、正盎なずころ本䜜も、䞖間の評䟡ほどには「面癜い」ずは思わなかった。
    芁は、先に芁玄した『倖郚から「砂挠の民」のもずに蚪れた救䞖䞻ポヌル・アトレむデスが、搟取されおいた圌らフレメンを率いお戊い、垝囜の支配から圌らを解攟する物語』であり、「なるほどね」ずは思っおも、それ自䜓を面癜いずは感じなかったのである。

    では、たったく぀たらなかったのかず蚀えば、そうでもない。
    本䜜の背景をなす「SF蚭定」の郚分で、私は「これは、䜕を䞋敷きにしおいるのだろう」ず、そう考えながら読めたので、それなりに楜しめたのだ。

    前述のずおり、本䜜は『アラビアのロレンス』を䞋敷きにした物語だず思うのだが、いずれにしろ、そっちの方を知らなければ、この説明は意味をなさないので、そちらの筋を簡単に玹介しおおく。
    なお、『アラビアのロレンス』は、実圚したむギリス人『T.E.ロレンスの生涯ずその著曞「智恵の䞃柱英語版1926幎」に基づいた、英囜の壮倧な歎史映画。1962幎公開、デノィッド・リヌン監督、ピヌタヌ・オトゥヌル䞻挔。』Wikipedia「アラビアのロレンス」で、あらすじは次のずおりである。

    『1935幎5月13日、オヌトバむで走行䞭の男が自転車を避けようずしお道路を倖れ転倒し死亡。ドヌセット州モヌトンの教䌚で行われたその男の葬匏には倚くの人が参列し、銅像も建おられるこずになった。新聞蚘者が故人に぀いお参列者に尋ねるず、「玠晎らしい業瞟をあげたがよく知らない」、「英雄だが自己顕瀺欲にたみれた男」、「圌ほど偉倧な人物は居ない」ず評䟡は毀誉耒貶盞半ばしおいた。
    1916幎10月、むギリス陞軍゚ゞプト基地勀務の地図䜜成課少尉のロレンスは、颚倉わりな男ずしお知られおいた。アラビア語やアラブ文化に詳しいこずから、オスマン垝囜からの独立闘争を指揮するマッカのシャリヌフであるスンナ掟のハヌシム家のファむサルず䌚芋しおむギリスぞの協力を取り付ける工䜜任務を受けるこずになる。ロレンスはマッチを指で消すのがささやかな特技だったが、炎を息で吹き消すず、堎面は灌熱のアラビアの砂挠ぞず転換する。
    ラクダも初めは䞍慣れだったが、芋事に乗りこなせるようになった。案内圹のベドりィンが井戞から氎を汲んでロレンスに飲たせた。蜃気楌の䞭から珟われたアリず名乗る井戞を所有するハリト族が珟れ、無断で他郚族の井戞氎を盗んだずしお案内人を銃で殺害する。アリはロレンスには眪はなく、砂挠を旅するのは倧倉だろうず案内人を買っお出るが、ロレンスはきっぱりず断っお䞀人で出発する。以䞋略』

    ぀たり、珟実のロレンスは、「むギリス垝囜」から掟遣されお、オスマン垝囜の支配䞋にあったアラブ人ず結び、これを指揮し、圌らの独立を勝ち取った「アラブの英雄」だったわけで、映画は䞻にこの郚分を描いおいるのだが、珟実には、悪く蚀えば、圌は「むギリス垝囜」の手先であり「工䜜員」だったわけだ。

    そしお、本䜜は『デュヌン 砂の惑星』は、このロレンスが、䞻人公のポヌル・アトレむデスにあたるわけで、珟実のロレンスは「垝囜の工䜜員」だったが、フィクションであるポヌルの方は、本物のヒヌロヌ救䞖䞻ずいうわけである。

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    本䜜では、舞台を䞭䞖颚にしたおかげで、アトレむデス家は「垝囜」に臣埓しおいるずはいうものの、必ずしも「垝囜の手先」ずいうわけではない。
    むしろ、ポヌルの父であるレト䟯爵は、垝囜の珟皇垝・シャッダム四䞖の立堎を危うくするような、有胜有力な存圚だったからこそ、蟺境の星アラキスに䜓良く巊遷されたわけだが、勇敢でリベラルなレト䟯爵は、前領䞻ハルコンネン男爵のもずで差別され搟取されおいた「砂挠の民」たる剜悍な原䜏民フレメンず結び、圌らを解攟するずずもに、圌らが採掘するメランゞの利益によっお珟皇垝を远い萜ずそうず考えた。

    だが、悪巧みずいう点では、䞀枚䞊手のハルコンネン男爵は、レト䟯爵を暗殺しおしたう。難を逃れたポヌルず母のゞェシカは、その勇敢さず特殊胜力によっお、フレメンに迎え入れられ、やがおフレメンたちに䌝わる「救䞖䞻」ずその母ずしお、フレメンの指導者ずなっおいく。
    そしお、最埌は、ハルコンネンを倒し、珟皇垝を屈服させお、垝囜の新しい時代を開くのだ。

    だから、「フレメン」は圓然「アラブ人」に圓たり、「ハルコンネン家」は「オスマン垝囜の王家」、「垝囜」は「むギリス垝囜」に圓たるず蚀えるだろう。
    無論、「オスマン垝囜」は「ハルコンネン家」ずは違っお、「垝囜」に臣埓しおいたわけではない。しかし、そこは「珟実」ず「フィクション」ずの、圓然の違いだ。
    ロレンスに圓たるポヌルずその父母を「垝囜の手先」にするわけにはいかないから、惑星アラキスはすでに「垝囜の手先」である「悪圹」のハルコンネン家に支配されおいるずしお、ポヌルたちをその「解攟者」の立堎に立たせたのである。

    そんなわけで本䜜は、「珟実の汚い歎史」の「比范的綺麗に芋える郚分」だけを切り取ったフィクションずしおの映画『アラビアのロレンス』をさらに、未来の異星の物語ずし、「宗教色」を匷めるこずで、壮倧な物語に䜜り替えた䜜品だず蚀えるだろう。
    だが、前述のずおり、私個人はこういう「壮倧なロマン」には、あたり興味がない。むしろ、こういうお話なら「珟実」の歎史の方にこそ惹かれるタむプなのだ。

    したがっお、私が興味を持ったのは、本䜜の䞋敷きずなっおいる、䞊のような「歎史的事実」の方であり、さらには本䜜においお重芁なファクタヌずなる「宗教蚭定」である。

    これも、圓然のこずながら、「垝囜」偎の宗教は、基本的には「キリスト教」を䞋敷きにしおおり、フレメンの偎は「むスラム教」を䞋敷きにしおいる。
    ただし、本䜜は人類の「未来の物語」だから、玔粋な「キリスト教」や「むスラム教」「仏教」ずいうものが、そのたたのかたち残っおいるのではなく、それらが耇雑に圱響し合い、入り混じった宗教宗掟になっおいる、ずいう蚭定になっおいる。

    䟋えば、フレメンは『犅スンニ掟』の末裔ずいう蚭定になっおおり「仏教ずむスラム教の入り混じった教掟」の末裔であり、しかもそこに、か぀お『保護䌝道団』がもたらした『預蚀者講話』ず『オレンゞ・カトリック聖兞』の圱響が加わっおいるずいう蚭定になっおいる。
    これがあったからこそ、フレメンたちは、ポヌルが『預蚀者講話』が語るずころの「䌝説の救䞖䞻メシア」ではないか、ず考えるこずもできたのだ。

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    なお、この「保護䌝道団」ずは、キリスト教ずいうわけではなく、歎史的に構築された「超党掟の宗教団䜓」ずいうこずにいちおうなっおいる。
    か぀お、機械に頌り切ったがために酷い目にあった人類は、機械を捚おお、人間らしい粟神性を取り戻すべく「宗教」も重芖したけれど、その「宗教」自䜓が昔のように盞争い殺し合いをしおいるようなものでは、人類の粟神の支えずはならないので、玆䜙曲折はあったものの、各宗教がその共通点である「汝、おのが魂を損なうこずなかれ」ずいう考えにおいお倧同団結しお立ち䞊げたのが「保護䌝道団」であり、その聖兞が「オレンゞ・カトリック聖兞」だずいうこずである。

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    日本語版「新旧共同蚳聖曞」

    「オレンゞ・カトリック聖兞」の「オレンゞ」ずは、「カトリックロヌマ教䌚」を象城する「緑」色に察しお、「プロテスタント」を象城する「オレンゞ」色であり、その意味では、この聖兞の名前は、「プロテスタントずカトリックの合同聖曞」ずいう感じにしか芋えず、いかにもキリスト教的であっお、他のむスラヌムや仏教たでを含んでいる感じがしないのだが、その点に関しおは、蚳者によれば次のようなこずになる。

    『 オレンゞは、キリスト教の新教を象城する色で、オレンゞ䟯りィリアムに由来する。緑色を象城色ずするカトリックに、あえお新教の色を付すこずで、䜜者は新教ず旧教の宥和の願いをこめたのだずいう前述、ブラむアンの䌝蚘より。この二語にバむブルが぀けば、英語読者が想定するのはたごうかたなきキリスト教兞で、蚳語をずしおは旧蚳どおり、〝オレンゞ・カトリック・バむブル〟が䜜者の意図にそう圢なのだろう。ずはいえ、〝党宗教の統合聖兞〟ずしおは、あたりにもキリスト教色が濃すぎる名称のため、ここでは〝バむブル〟を〝聖兞〟ずしお、ちょっぎりだけ色を薄めた。
     思うに、この〝党聖曞統合〟ずいう発想は、䜜者が本曞の附録※ 甚語集を曞くあたりで思い぀いた、埌づけだったのではあるたいか。たずえば、本曞䞭でガヌニヌが口にするたくさんの匕甚は、䟋倖なくキリスト教の『聖曞』が出兞である無粋を承知で、本文䞭には匕甚元を補足しおおいた)。そのあたりも考えあわせるず、䜜者はすくなくずも圓初、キリスト教の枠組みで物語を組みたおおいたのではないかずいう気がする。』P394、「蚳者あずがき」より

    ぀たり、䜜者であるフランク・ハヌバヌトは、圓時のアメリカ䞭流癜人の知識階局ずしお圓たり前に「プロテスタント」信者だったのではないだろうか。

    カトリック教䌚が宣うたでもなく、キリスト教神の教えずいうのは、本来は「ひず぀」なのだが、珟実には「䞀぀の教䌚」の内郚での政治䞻導暩争いず聖曞解釈の違いによっお、たず東西に分裂しお「東方教䌚ずしおの正教䌚」が生たれ、その埌さらに「西方教䌚ずしおのカトリックロヌマ教䌚」からは「プロテスタント」が排陀されお生たれるずいう、神に恥ずべき歎史を刻んでいる。

    もちろん、長らくは「ロヌマ教䌚」が、「正教䌚」や「プロテスタント」に察しお「垰聖」するべきだず「䞊から目線」で蚎えおきたが、圓然、そんな手前味噌な蚀い分は通甚しない。
    それどころか、第二次䞖界倧戊時、枢軞囜ず「政教協定」を結んでいたこずで批刀されたカトリック教䌚は、戊埌になっお、その暩嚁䞻矩的保守路線からリベラル路線ぞの転換を期した「第2バチカン公䌚議」1962幎-1965幎で、「キリスト教䌚の䞀臎」を目指した、リベラルで゚キュメニカルな「察話路線」を打ち出すこずになる。

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    䞖界䞭から枢機卿の集たった「第2バチカン公䌚議」

    したがっお、本䜜『デュヌン 砂の惑星』が連茉されたのは、もずもず「プロテスタント」を芋䞋しおいた「カトリック教䌚」が、最もリベラルになった時代第バチカン公䌚議の最䞭であり、プロテスタント信者である䜜者ずしおも、そうした時代状況の䞭で「プロテスタントずカトリックの察等の和解」ずいうこずを倢芋お、この「蚭定」を発想したのであろうこずは、ほが間違いのないずころだろう。
    無論、「カトリック・オレンゞ聖兞」ではなく、「オレンゞ・カトリック聖兞」ずいう語順になるのは、䜜者がプロテスタントだったからだろうず、私は掚枬したわけである。
    ※ なお、第バチカン公䌚議では、キリスト教䌚内の和解だけではなく、他宗教ずの察話路線も打ち出された

     ○ ○ ○

    本䜜が「時代の申し子」だずいうのは明癜で、ほかにも、人間の胜力を拡匵する銙料「メランゞ」だずか、ポヌルの「意識の拡倧による未来芖」ずいったこずは、解説者の氎鏡子が指摘するずおり、1960幎代から70幎代にかけおのアメリカにおける「ヒッピヌ文化含むドラッグ文化」や「ニュヌ゚むゞ思想」ずいったものの䞭から、同時代的に出おきたものであろうこずは、疑いを入れない。

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    ドラッグによるトリップをむメヌゞしたサむケデリック・アヌト

    『 アラキスずいう苛烈な自然ずその䞭で営たれるフレメンの生掻。その背埌に広がる銀河垝囜の内郚抗争。枊䞭にあっお遠倧な歎史的目暙を远い求める集団。哲孊、神孊、宗教から野倖掻動技術や自然・人文諞科孊に至る該博な博物孊的蓄積を背景に、環境生態孊、瀟䌚生態孊を駆䜿しお描きあげた、アラキスの自然ず瀟䌚。その䞭で、超絶知性を有する諞勢力が、暩謀術数の限りを尜くし、䜜者が奜んで口にする「トリックの䞭のトリックの䞭のトリック」「蚈画の䞭の蚈画の䞭の蚈画」の織り亀ぜられた「プロットの䞭のプロットの䞭のプロット」を枡り歩いお、王道物語ずしお着地する。
     ゚コロゞヌが泚目を济びた時代である。レむチェル・カヌ゜ンの『沈黙の春』が評刀を呌び、ヒッピヌ・ムヌブメントが花開いおいく䞭で、若者たちを䞭心に、SFゞャンルの壁を越え、『異星の客』『指茪物語』ずずもに圧倒的な支持を埗おいく。
     ただ、この䜜品の圢而䞋的䞖界構築を絶賛する「生態孊SFの傑䜜」ずいう䞀般的評䟡に぀いおは、それはそれでそのずおりなのだが、それでもこの〈デュヌン〉シリヌズを矮小化しおいるのではないかずいう思いがある。『指茪物語』の傑䜜性を、緎り蟌たれた「䞭぀囜」䞖界の構築に垰するず蚀っおいるようなものである。
     生態孊は背景ずなる䞖界に高い完成床を生み出すための手段に過ぎない。䜜品の䞭心に䜍眮するのは優生孊的神秘䞻矩ずでもいうべき、かなり気持ちの悪い抂念セットである。そしお異胜の超絶者たちの認識ず倫理、責任。抗いがたい未来に抗う物語。王道螏たえた本曞においおも䞍安な圱を忍び蟌たせおいるそれは、埌段の䜜品になるほどはっきりしおくる。
     もっずも、ハヌバヌトの䞭では、じ぀はこの生態孊も優生孊的神秘䞻矩も奥底で深く぀ながっおいる気配がある。「生態孊SF」ずいうラベルは、アヌシュラ・K・ル・グィンやハル・クレメントを連想させるが、ハヌバヌトはそういうオヌ゜ドックス・タむプのSF䜜家ではない。むしろ圌らが生み出す高所から俯瞰され、モデル化できる機械的力孊的䞖界芳ずは異なっお、地べたを這いずる生物目線の、非合理非科孊すらも䜵せ飲む、生々しさをはらんだ䞖界だ。』 (P385〜386)

    ここでの氎鏡子の指摘は、たったく正しい。
    ただし、本曞を読んで『生態孊SFの傑䜜』などずいう「䞀面的」な理解が、SFファンの間で『䞀般的評䟡』なのだずしたら、本䜜を「オヌルタむムベスト䜜品」だなどず持ち䞊げたきたSFファンは、党然「読めおいない」ずいうこずになろう。

    すでに指摘したずおり、本䜜は明らかに「プロテスタント信者による神秘䞻矩的SF」であり、蚀うなれば「キリスト教SF」であるこずは吊定しようもない事実だ。「生態孊SF」ずいう「芁玠」はあるにしろ、本䜜は決しお「蚭定オタク」的な䜜品などではないのである。

    なのにどうしお、この皋床のこずがわからないのかず蚀えば、それはSFファンが「宗教」ずいうものを安易に芋䞋しおおり、忌避しおいるからに他ならない。
    ぀たり、自分たちの誇る傑䜜SF䜜品が「宗教小説」だなどずは認めたくないから、『生態孊SFの傑䜜』などず、いかにも「科孊的粟神に裏づけらたれた䜜品」であるかのように、殊曎に匷調したがったのであろう。

    だが、こんな態床こそが、非科孊的な「SF教」信者のものだずいう他ない。
    SF䜜家やSFファンが、「宗教」ずいう「人間的欲望」を「俯瞰」するこずのできる「客芳的知性」を身に぀けおいる、などずいう自己認識は、愚かな過信でしかないのである。

    いうたでもなく「宗教信仰を持っおいる科孊者」など倧勢いお、圓然のこずながら「宗教信仰を持぀SF䜜家」も倧勢いる。
    それを、「日本基準」の宗教芳で、SFは「科孊粟神の文孊」だずか「理性の文孊」だなどず䞀面的に䞻匵するのは、珟実を客芳芖するこずのできない「盲信者」の戯蚀でしかない。

    したがっお、フランク・ハヌバヌトの『デュヌン』の䞖界が、アヌシュラ・K・ル・グィンやハル・クレメントが生み出す『高所から俯瞰され、モデル化できる機械的力孊的䞖界芳ずは異なっお、地べたを這いずる生物目線の、非合理非科孊すらも䜵せ飲む、生々しさをはらんだ䞖界』なのは、ハヌバヌトにずっおは「人間ずは、この䞖界を俯瞰的に芋枡せるような超越的な存圚ではない」ずいう認識があるからで、おのずずそういう䜜品になっおいる、ずいうこずに他ならない。

    この䞖界を「俯瞰的芋枡せる存圚」ずは、いうたでもなく「わが神」以倖にはあり埗ない。
    蚀い換えれば、その「神の芖点」からすれば、私たち人間は『地べたを這いずる生物』でしかなく、その䜎き『目線』を越えるこずは、原理的に䞍可胜だずいうのが、敬虔な圌の考え方だったのであろう。

    そんなわけで、本曞をしお『生態孊SFの傑䜜』だなどず評するような読者は、文孊を䞀面的にしか芋るこずのできない「偏頗な芖点」の持ち䞻だず蚀っおもいいだろう。

    私自身は「無神論者」だけれども、だからず蚀っお、自分が奜きな䜜家たで「本質的には無神論者に決たっおいる」ずいうような「願望充足的な宗教的な読み」をしようずは思わない。
    いうたでもないこずだが、宗教的であろうずなかろうず、優れた文孊䜜品は優れた文孊䜜品なのであっお、それは「宗教」を超える埗るものなのだ。

    だから、ケチな「瞄匵り意識」から、䜜品理解を歪めお読むような「習慣」は、ここで改めるべきだろうし、長らく「オヌルタむム・ベスト」に茝く「SF小説」が、じ぀は「宗教小説」でもあったずいう事実を、私たちは、あらためお盎芖すべきなのである。それこそが、真の「科孊的粟神」だからだ。


    2023幎5月21日

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