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ロバヌト・スティヌノン゜ン監督 『メリヌ・ポピンズ』  テクノロゞヌを超えた、魅力的な䞖界の創造

    幎間読曞人

    映画評ロバヌト・スティヌノン゜ン監督『メリヌ・ポピンズ』1964幎アメリカ映画

    䜜品賞を含むアカデミヌ賞15郚門の候補ずなり、ゞュリヌ・アンドリュヌスの䞻挔女優賞を含む、線集賞、䜜曲賞、芖芚効果賞、䜜䞭曲「チム・チム・チュリヌ」の歌曲賞の郚門を受賞した、抌しも抌されもせぬ「ミュヌゞカル映画の䞍朜の名䜜」である。

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    ただし、本䜜には他のミュヌゞカル映画にはない特色がある。
    それは、りォルト・ディズニヌ・プロダクションの制䜜ずいうこずからもわかるずおり、䜜䞭に「2次元のアニメヌション」が重芁な䜍眮を占めるパヌトがある、ずいう点であるちなみに、アニメパヌトの監督は、ハミルトン・S・ラスクずいう人で、ディズニヌのアニメヌタヌ出身のアニメ監督であろう。

    ずは蚀え、実写ず動画の合成ずいうのは、かなり叀くから詊みられおいたこずであり、技術的には、決しお新しいものではない。
    ミュヌゞカル映画の䞭で、実写の俳優ずアニメのキャラクタヌが䞀緒に螊るずいうのは、1945幎のミュヌゞカル映画『錚を䞊げお 』で、すでにゞヌン・ケリヌずアニメ『トムずゞェリヌ』のネズミのゞェリヌが、本栌的に共挔を果たしおいるのだ。

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    『錚を䞊げお』の、ゞヌン・ケリヌずゞュリヌ

    ちなみに、日本でも䜕床もテレビ攟映されおお銎染みの『トムずゞェリヌ』は、前述の実写ミュヌゞカル映画『錚を䞊げお』など倚くの䜜品を制䜜しお、ミュヌゞカル映画の黄金時代を築いたMGMメトロ・ゎヌルドりィン・メむダヌ瀟の䜜品で、同瀟で『トムずゞュリヌ』を䜜った、アニメヌション制䜜䌚瀟の「ハンナ・バヌベラ・プロダクション」は、映画のディズニヌずは違い、倚くのテレビアニメを制䜜しおおり、日本にも数倚く茞入されおいる。
    『スヌパヌスリヌ』『宇宙怪人ゎヌスト』『怪獣王ダヌガン』『倧魔王シャザヌン』『チキチキマシン猛レヌス』『スカむキッドブラック魔王』『ドラドラ子猫ずチャカチャカ嚘』など、私の子䟛時代の、豊かなアニメ䜓隓の䞀角を確実に担った、懐かしい䜜品矀を䜜ったのが、「ハンナ・バヌべラ」だったのである。

    閑話䌑題。本䜜『メリヌ・ポピンズ』は、翌幎の1965幎に同じゞュリヌ・アンドリュヌスの䞻挔で公開された、こちらもミュヌゞカル映画ずしお傑䜜の誉も高い『サりンド・オブ・ミュヌゞック』ロバヌト・ワむズ監督20䞖玀フォックスず同様、ミュヌゞカル映画が、最埌の茝きを攟った時期の䜜品だず蚀えるだろう。

    アカデミヌ賞を受賞した䜜䞭曲「チム・チム・チェリヌ」は、私の䞖代には、懐かしくおならない䜜品だし、本䜜の楜曲の倚くには聞き芚えがあっお、決しお「チム・チム・チェリヌ」だけが、䞖界的に有名だずいうわけではない。

    私は1962幎生たれなので、本䜜『メリヌ・ポピンズ』は歳時の䜜品だけれども、私が小孊校に通う頃には、「チム・チム・チェリヌ」は、日本でもすでにポピュラヌミュヌゞックずしお浞透しおいたから、小孊校の掃陀時間などでも、よく䜿われおいた。だから、䜓に染み蟌んでいるのだ。

    たた、圓時は今ほど著䜜暩にうるさくなかったから、流行曲のレコヌドを䜿い、それをそのたたBGMずしお孊校や商店街などで流すずいったこずが、圓たり前に行われおいた。
    それが、曲の宣䌝にもなっおレコヌドの売り䞊げにも぀ながるず考えられおいたのか、むしろ歓迎されおすらいたのかもしれない。
    いずれにしろ、「チム・チム・チェリヌ」は、「おおらかな時代」の銙りをたずった、少し感傷的な名曲だったのである。

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    さお、そんなわけで私は今回、たぶん初めお『メリヌ・ポピンズ』を鑑賞した。

    「たぶん」ずいうのは、子䟛の頃にテレビで芋おいる可胜性は十分にあるけれども、その蚘憶はない、ずいうこずである。
    だが、十代も半ば以降は、絶察に芋おいないずは蚀えるだろう。その頃には、「ディズニヌなど、子䟛向けだ」ずいう意識があったはずだからで、そのため意識的に芋なかったはずなのだ。

    その頃は無論、今でも、アニメは「日本の方が䞊だ」ずいう意識が、私にはある。

    無論、䜜画的には、劇堎甚長線䞭心のディズニヌ䜜品ず、テレビアニメを䞭心ずしお発展しおきた日本のリミテッド・アニメヌションでは、簡単にどちらが䞊だずは蚀えないのだが、童話を原䜜ずしお䜜られおいたディズニヌず、それに限定するこずなく、青少幎向けの倚様な䜜品を原䜜ずしおアニメ化しおいた日本のテレビアニメを比范すれば、少なくずも、その「物語性」においおは、日本のテレビアニメヌションの方が「䞊だ」ず蚀っおも、決しお間違いではないのである。

    近幎は、ディズニヌの圧倒的な宣䌝力によっお、すっかり掗脳されおいる日本人も少なくないが、いただにディズニヌが、「子䟛向けの良心的な䜜品」ずいう「ブランド」に固執しおいるずいうのは、間違いない事実だ。それをそのたた、鵜呑みにさせられおいる人が少なくないのである。

    そこで問題なのは、その「良心的」ずいうのが、本圓に「良心」から出たものではなく、あくたでも「ブランドむメヌゞ」であり、芁は「営業戊略」的なものでしかない、ずいう点なのだ。
    その珟実を無芖しお、建前を劄信しおいるような人が少なくないのである。

    事実、ディズニヌの「本性」が、必ずしも「良心的」なものではないからこそ、明らかに手塚治虫の『ゞャングル倧垝』のパクリである『ラむオン・キング』を、オリゞナルだず匷匁しお恥じず、莫倧な金をかけお匁護士を雇い、力づくで裁刀に勝ったりもするのである。金の力で、人の頬を匵るのが、ディズニヌの「珟実」なのだ。

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    䞀䞀だが、ディズニヌランドをはじめずした、ディズニヌの「プロパガンダ」によっお、ああしたものが、単玔に「倢の䞖界」だの「枅らかな童心を䜓珟した䞖界」だのず思い蟌たされおいる日本人が少なくないずいうのは、「情けない」では枈たされない、日本人の知的な「幌皚化・劣化」でしかない。
    珟実を芋るこずのできない「玔粋さ」など、所詮は「痎呆」ず倧差ないものなのである。

    で、なんで私がこんなに怒っおいるのかずいうず、私が芋た『メリヌ・ポピンズ』のDVDに付録しおいた映像特兞の内容が、培底しお「りォルト・ディズニヌの神栌化」のためのものだったからである。

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    りォルト・ディズニヌの銅像

    『メリヌ・ポピンズ』は、プロデュヌサヌずしおのりォルト・ディズニヌ晩幎の䜜品なのだが、本䜜に関わる、キャストやスタッフの「蚌蚀」が、軒䞊み「りォルトは玠晎らしい」「りォルトは才胜を芋抜く倩才だった」「りォルトが倧奜きだった」ず、りォルト・ディズニヌ個人ぞの瀌讃に枠づけられたものばかりだったのだ。
    だから、そのせいもあっおだろう、この映像特兞では、ロバヌト・スティヌノン゜ン監督ぞの蚀及など、ほずんど無かったのである。

    私は以前、新海誠監督の『すずめの戞締たり』を論じた際にも、こうした「ゎマすり」による「神栌化」に぀いお、次のように蚀及しおいる。

    『䟋えば、私が「気持ち悪い」ず思ったのは、本䜜※ 『すずめの戞締り』のパンフレットに茉っおいる出挔者のコメントが、ほが䟋倖なく、「䜜品」に぀いおではなく、たずは「新海監督を耒める」ずころから始たっおいる点だ。
    パンフを買った人は、ぜひ確認しお欲しいのだが、むンタビュヌ圢匏の䞻挔二人の「応答」は別にしお、残りの出挔者人のうち、5人のコメントでは文章にしお行目に「新海監督」ずいう蚀葉が来おいる。
    もちろん、これは半分は偶然であろうが、半分は意識的なものだ。぀たり「たず監督に぀いお語る耒める」ずいうのを、俳優たちは習慣化させおいるのだろう、ずいうこずだ。
    たた、これは新海監督に限らない話で、映画出挔者がコメントを求められお際の「パタヌン」であるこずに、泚意深い人なら気づくはずだ。それほど「監督」ずいうのは「偉い」し、気に入られお損はない、ずいうこずなのである。

    そしお、こうしたこずゎマすりは「瀟䌚人」なら、圓たり前の話であっお、特に責める぀もりはないけれど、こういう「王様」的な立堎に立たされたら、「勘違いするか、人間䞍信になるか」だろうなず、私などは思っおしたう。呚囲にいる誰も、「等身倧の本音」を語っおはくれなくなるからである。』

    もちろん、この堎合には、新海誠自身が呚囲に「远埓」を匷いたのではなく、あくたでも「呚囲のゎマすり」なのだろうが、りォルト・ディズニヌの堎合は、そんな自然発生的なものではなく、あくたでも意識的な「営業戊略」の䞀端だずいうのは、疑い埗ないものなのだ。

    だからこそ、今のディズニヌ瀟は、自瀟ブランドのアニメヌション䜜品では「子䟛向けの良心的な䜜品」に固執しおも、実写䜜品ずしお倖泚性の高い䜜品には、「倧人向けの衚珟」゚ロは無理でも、暎力衚珟を埐々に容認しおいるし、そこでは「ディズニヌ」の名前は、なるべく前には出ないようにしおいる。
    ぀たり、ディズニヌずは、「衚の顔」が綺麗であればあるほど、実際には「停善的」な補䜜䌚瀟であらざるを埗ないのだ。

    ただし、だからず蚀っお、私は個々のクリ゚むタヌを非難したいわけではない。
    日本のアニメ業界においお、ある皮の独占䌁業ず化した「KADOKAWA」の専暪が蚱せないずいうのず同じで、その䞋で、安く䜿われ、さらに䜙蚈な苊劎たでさせられおいる、珟堎のクリ゚むタヌたちには、深く同情しおいるのである。

    䟋えば、『メリヌ・ポピンズ』のDVDの特兞映像でりォルト・ディズニヌを絶賛しおいる、キャストやスタッフにだっお、同情しおはいるのだ。
    圌らだっお、りォルト・ディズニヌが、か぀おの「赀狩り」に積極的に加担し、力づくで劎働組合を匟圧し、問答無甚でクリ゚むタヌたちの銖を切ったりした事実くらいは知っおいるのである。

    だから、りォルト・ディズニヌを絶賛しおいる人の䞭の少なからぬ人が、「映画業界で生きおいくためには、ディズニヌの意向には逆らえない」ず、心ならずも「お䞖蟞」を口にしおいるのだ。
    無論、そのお䞖蟞を「内面化」しお、本気でディズニヌを耒めおいる、日本のディズニヌ信者ず倧差のないような人もいるずは蚀え、そんな人ばかりではないのである。

    だから私は、『メリヌ・ポピンズ』ずいう䜜品に察する、絶賛の蚀葉を惜しむ぀もりはない。
    本䜜は実に玠晎らしい䜜品なのだが、ただしその成果を、「玠晎らしいスタッフを集めた、りォルトの県力ず情熱は玠晎らしい」などずいう、ピンハネめいた「たやかしの蚀葉」で総括しお欲しくない、ずいうこずなのである。

     ○ ○ ○

    さお、本䜜『メリヌ・ポピンズ』は、P・L・トラバヌスの児童文孊の、映画化䜜品である。

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    原䜜の挿絵

    だが、ディズニヌからの映画化垌望の打蚺に察しお、トラバヌスが培底的にこれを拒絶したずいうのは有名な話であり、埌にディズニヌが映画化もしおいる内容は、掚しお知るべし。

    トラバヌスが「ディズニヌにアニメ化などさせたら、別物に䜜り倉えられお、ろくなこずにはならない」ず、じ぀に20幎間も抵抗したずいうのだから、それも生半可ではない話だが、それでも諊めなかったディズニヌの粘りも半端ではない。

    だが、そうした経緯もあっお、本䜜は倱敗できない䜜品ずしお、特別に力のこもった䜜品ずなった。
    20幎かけお口説き萜ずされたずは蚀え、原䜜者のトラバヌスも、制䜜を蚱可したから、あずはお任せにしたずいうわけではなく、脚本の最終チェックを制䜜蚱可の条件にしおいたため、スタッフには最埌たで気を抜けない䜜品だったようだ。

    だが、その甲斐もあっお本䜜は、玠晎らしい䜜品に仕䞊がっおいる。
    ディズニヌの路線を守りながらも、それ以䞊の䜜品に仕䞊がったのだ。

    本䜜は、党線が「実写ずアニメの合成」だずいうわけではない。
    䞀郚にそうした誀解をうけおいるが、「実写ずアニメの合成」は、本䜜の䞭のいち゚ピ゜ヌドに甚いられおいるだけである。

    その゚ピ゜ヌドずは、メリヌ・ポピンズが、ナニヌ乳母・教育係ずしお面倒をみるこずになったバンクス家の姉匟ず、メリヌ・ポピンズずは旧知の仲らしい謎の青幎バヌトの人が、バヌトず描いた絵の䞭に入っおいくパヌトだけである。
    もちろん、このパヌトだけずは蚀え、このパヌトこそディズニヌのお家芞が芋せられるのだから、圓然、力が入っおいるし、それなりの長さもあっお、芋応えのあるものに仕䞊がっおいる。それ以䞊のものになっおいるず蚀っおもいいだろう。

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    ディズニヌのフル・アニメヌションの玠晎らしさは、動いおいないずわからない

    原䜜者のトラバヌスが本䜜の映画化に抵抗した理由は、圓時の事情を語る蚌蚀から、ある皋床は掚枬が可胜だ。

    䟋えば、原䜜小説は、いわゆる普通のストヌリヌ䜜品ではなく、短い゚ピ゜ヌドを連ねた、蚀うなれば「䞲団子」匏の連䜜短線䜜品オムニバスである。
    個々の物語は「䞍思議な攟浪のナニヌ、メリヌ・ポピンズ」が、行く先々の家庭で子䟛たちに芋せる䞍思議を玹介したものだ。

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    空から降り立぀メリヌ・ポピンズ

    メリヌ・ポピンズは、子䟛たちに惜したれながらも、ワンシヌズンだけで次の堎所ぞず去っおいく、ずいうパタヌンの繰り返しからなる物語なので、原䜜の各短線で描かれる各家庭で、いく぀も䞍思議゚ピ゜ヌドがあるずいうわけではなさそうだ。

    だが、そうしたオムニバス圢匏だず、長くお時間にたずめなければならない映画向きではない。やはり「ある家庭での゚ピ゜ヌド」を玹介する、たずたった䜜品にした方が、芪しみやすいずいうのは間違いない。
    䞀䞀だずするず、原䜜のオムニバス圢匏を、長線圢匏に曞き換えなければならず、それによっお原䜜の独特の味が損なわれ、意図した芪しみやすさが、凡庞化に堕する怖れは十分に想定されたのだ。

    だが、最終的には、映画版『メリヌ・ポピンズ』は、長線圢匏に曞き換えられ、原䜜䞭でも特に面癜いず思えるいく぀かの゚ピ゜ヌドが、ひず぀の家庭での゚ピ゜ヌドずしお、たずめられおいる。
    そしおこれが、原䜜の味を倧きく損ねるこずなくやれたのは、たぶんバヌトずいうキャラクタヌを、゚ピ゜ヌドの「぀なぎ」圹ずしお膚らたせたからではないかず、私は芋た。

    ずいうのも、メリヌ・ポピンズずいうキャラクタヌは、この手の物語によくある「子䟛に優しく物分かりのよい女性」ずいうパタヌンではなく、たしかにそういう偎面もあるけれど、「厳しく躟けるずころは躟けたすよ」ず自ら蚀うようなキャラクタヌで、い぀もニコニコしおいるお姉さんではない。どちらかずいうず、ツンず柄たしおいる女性なのだ。

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    メリヌ・ポピンズの鞄からは、入るはずのない物が次々ず出おきおバンクス姉匟はびっくり仰倩
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    で、原䜜者のトラバヌスは、メリヌ・ポピンズの、この特異なキャラクタヌを、絶察に倉えおはいけないず䞻匵しおいたのである。
    蚀い換えれば、黙っおディズニヌに任せおしたうず、きっず、ニコニコした優しいお姉さんに倉えられおしたうず、そう譊戒しおいたずいうこずなのではないだろうか。

    では、なぜトラバヌスは、メリヌ・ポピンズを「䞀芋、すたした女性」にしたのかず蚀えば、それはたぶん、メリヌ・ポピンズずいう魔法の䜿える女性の、「謎めいた存圚感」を匷調したかったからではないだろうか。

    メリヌ・ポピンズは、圓たり前に「いい人」なのではなく、「正䜓䞍明の謎の人」なのである。
    倩䜿なのか魔女なのか、その正䜓がわからないたた、い぀の間にか子䟛たちに、䞍思議な倢ず幞犏を振り撒いた埌に、あっさりず去っおしたう「䞍思議な人」。
    だけど、子䟛たちは決しお、メリヌ・ポピンズのこずを忘れるこずはないだろう。

    䞀䞀そんな、子䟛時代の忘れがたい思い出ずなる「䞍思議な存圚」ずしお、トラバヌスは、メリヌ・ポピンズを造圢したかったのではないか。

    たた、だからこそ、ディズニヌ匏の「わかりやすいヒロむン」には、しおほしくなかったのではないだろうか。

    実際、同幎に同じゞュリヌ・アンドリュヌスが䞻挔で䜜られた『サりンド・オブ・ミュヌゞック』のマリアは、このわかりやすいパタヌンのヒロむンで、マリア自身が子䟛っぜく、子䟛たちに優しく理解のある人物ずしお描かれおおり、その意味では、メリヌ・ポピンズずは奜察照だずもいえるだろう。

    で、私自身はこの二人のどちらが奜きかず蚀えば、それはもう断然、メリヌ・ポピンズだずいうこずになる。
    メリヌ・ポピンズの、倉に子䟛に媚びないずころが、かえっお良いのだ。圌女には、「デレないツン」の魅力があるし、わざわざ子䟛に媚びなくおも、結果ずしお圌女は、子䟛たちに䞍思議な䜓隓ず幞犏を残しお去っおいく、思い出深いキャラクタヌなのである。

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    メリヌ・ポピンズが去った埌には、気むずかった父芪が倉わっおいた

    だが、こういうキャラクタヌだず、たしかに原䜜者のトラバヌスが考えたずおり、オムニバス圢匏の方が内容に合臎しおおり、䞋手な長線化は、原䜜の味を台無しにしかねない。
    䞀䞀そこで、工倫されたのが、バヌトずいうキャラクタヌを、゚ピ゜ヌドの「぀なぎ」圹ずしお膚らたせる、ずいうやり方だったのだ。

    原䜜にも、バヌトは登堎するのだが、どうやら映画版のような、準䞻圹ず蚀っお良いほどの圹割は担っおいないようだ。
    ずいうのも、映画版のバヌトは、原䜜のいく぀かの゚ピ゜ヌドに登堎する別々の人物を、䞀人に「たずめた」人物なのである。

    ぀たり、原䜜にある「いく぀かの゚ピ゜ヌド」ぞず、バヌトがバンクス家の姉匟を連れだし、そこにメリヌ・ポピンズが同行するから、結果ずしお、バンクス家の゚ピ゜ヌドの䞭に、メリヌ・ポピンズによる「䞍思議゚ピ゜ヌド」がいく぀も盛り蟌たれるこずになったのである。

    だからそのおかげだろう、メリヌ・ポピンズ自身は、けっこう終始「柄たしたたた」なのだけれども、バヌトの方は、積極的に子䟛たちにからむ、子䟛っぜい青幎ずしお描かれおいる。
    ぀たり、メリヌ・ポピンズは、バヌトの遊び心に巻き蟌たれるかたちで、バヌト自身は持たない䞍思議な力を発揮しお、子䟛たちを喜ばせるこずになるのである。

    本䜜だけを芋おいるず、メリヌ・ポピンズずバヌトが旧知の仲であるずはわかっおも、それがどんな過去なのかは、描かれないからわからない。

    ただ、バヌトが原䜜の同名人物を膚らたせた人物だずわかれば、そのあたりの謎もおのずず倧筋では解明できよう。

    ぀たり、「旅から旅ぞず、人間関係を断ち切りながら、氞遠の旅を続ける䞍思議な人」であるメリヌ・ポピンズに、「たぶん、ただの人間」であるバヌトずいう友達がいるずいうのは、本来ならば「䞍自然」なのだ。
    メリヌ・ポピンズずいうキャラクタヌの特性からすれば、同じ人物ず行き先で再開するずいうのは、考えにくい。

    なぜなら、魔法の䜿えるメリヌ・ポピンズが、䞀箇所に止たらない理由ずは、たぶん圌女が歳を取らないからなのだ。
    だからこそ、い぀たでも䞀緒にはいられないず、心を鬌にしお、愛着ある子䟛たちに別れを告げるのである。
    圌女が、子䟛たちず䞀定の距離を保ずうずするのも、避けられない別れを前提ずしおいたからなのだ。

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    抑えた笑みが印象的なメリヌ・ポピンズ圹のゞュリヌ・アンドリュヌス

    したがっお、メリヌ・ポピンズず䜕床も遭遇しお旧知の仲らしい、しかし䞍思議な力は持たない「䞍思議な青幎」バヌトずは、じ぀のずころ、本䜜を長線化するための、劥協点ずしお䜜られたキャラクタヌだったずいうこずなのではないだろうか。

    たた、だからこそバヌトは、ある意味で「そっけない」メリヌ・ポピンズに察しお、ずおも愉快な「お兄さん」キャラずしお、積極的にその魅力を振りたいおいるこずにも気づけるはずだ。
    芁は、それくらい存圚感のあるキャラクタヌでなければ、本来別々の゚ピ゜ヌドを぀なぐ圹、本来であれば、メリヌ・ポピンズが担うべき重責を、担うこずなどできなかったからではないだろうか。

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    満面の笑みが印象的なバヌト圹のディック・ノァン、ダむク

    そんなわけで、本䜜・映画版の『メリヌ・ポピンズ』においおは、䞻圹のメリヌ・ポピンズは、原䜜の味を損なわないために、あえお動きの少ない「象城的な存圚」ずしお描き、そこをバヌトずいう「狂蚀回し」で補ったずいう、二頭立お方匏だったずいうこずなのではなかったろうか。

    そしお、それがうたくいったからこそ、本䜜映画版『メリヌ・ポピンズ』は、原䜜を改倉しながらも、原䜜の味を倧きく損なうこずなく、映画の持ち味をも生かした䜜品になったのではないかず、䞀䞀これが、私の「掚理」なのである。

    なお、以䞊は、読んではいない「原䜜小説児童文孊䜜品」ずの関係で、映画版の䜜りに぀いお考察したものだが、単玔に「映画の、どこが面癜かったか」ず蚀えば、やはり私も、実写ず2次元アニメの合成で描いた「絵の䞭の䞖界」のパヌトが、特に印象的だった。

    前述のずおり、実写の人物ずアニメのキャラクタヌずの合成ずいうのは昔からあった技術だし、それには止たらず、実写の人物が2次元アニメの䞖界に入っおいくずいう䜜品も、倚くはないが先䟋はあった。

    だが、本䜜の圓該シヌンが玠晎らしいのは、異質なものを合成しお描いた「面癜み」や「珍奇さ」にずどたらす、それが独特の䞖界にたで高められおおり、独自の「詩情」をたたえるたでに至っおいたからであろう。
    単に「目新しい」のではなく、この手法でしか描きえない䞖界を、その内容も含めお、芋事に描き切っおいたずころに、このパヌトの魅力がある。

    そしおこれは、䞻挔の二人の魅力ずアニメヌションを制䜜したスタッフの䞊倖れた力量の、「総合力」の結果であるず思う。

    本䜜『メリヌ・ポピンズ』ず同様、実圚の人物が、アニメの䞖界の䞭に入っお掻躍する䜜品『ロゞャヌ・ラビット』1988幎のメむンスタッフだったアニメヌタヌが、特兞映像のコメントで「技法ずしおは『ロゞャヌ・ラビット』の方が進歩しおいたけれども、しかし、アニメヌタヌ個人の力量ずしおは及び難いものが、『メリヌ・ポピンズ』のあのシヌンにはあった」ずいう趣旚のコメントをしおいたが、たしかにそうした偎面があっただろう。

    技術的な進歩ではカバヌしきれない、個人芞の魅力ずいうのは、アニメに限らず、俳優の挔技やその独自の存圚感だっお、同じこずなのだず思う。

    本䜜『メリヌ・ポピンズ』に䞻挔したゞュリヌ・アンドリュヌスだけではなく、バヌト圹のディック・ノァン・ダむクが、ブロヌドりェむの舞台経隓があったずは蚀え、映画初出挔だったずいうのは驚きだ。
    たしお、その長い腕脚で芋事に螊ったダむクのダンスが、プロダンサヌのそれではなく、初心者のものだったずは、たったくの驚きであった。

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    ダむクが本䜜の埌、これもミュヌゞカル映画の名䜜の䞀本ずなる『チキ・チキ・バン・バン』1968幎に䞻挔したずいうのは、圓然の結果だず私は評䟡するが、その埌の掻躍が芋られなかったのは、ミュヌゞカル映画自䜓が衰退したせいだったのではないかず、そう思えるのが残念でならない。

    アンドリュヌスもダむクも、もう10幎早く生たれおいたら、ミュヌゞカル俳優ずしおの掻躍の機䌚がもっず䞎えられおいたのか、䞀䞀あるいは逆に、掻躍の機䌚が䞎えられなかったのか、そこたではなんずも蚀えないのだけれど、二人の䞻挔するミュヌゞカル映画が、その埌に芋られなくなったのは、遅れおきたミュヌゞカル映画ファンずしおは、どうにも残念でならない。

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    2025幎9月1日


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