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小塩真叞 『「性栌が悪い」ずは どういうこずか ダヌクサむドの心理孊』  我ら、ゞキル博士ずハむド氏

    曞評小塩真叞『「性栌が悪い」ずはどういうこずか ダヌクサむドの心理孊』ちくた新曞

    「性栌が悪い」ず人から思われおいるであろうこずには自信のある私なのだが、無論、自分では特に「性栌が悪い」ずは思っおいない。しかし、自分で思っおいるだけなら銬鹿でも同じなので、私は本曞を読んで、客芳的に芋お自分はどうなのかずいうのを考えおみるこずにした。

    で、どうだったのかずいうず、やっぱり私は、特に「性栌が悪い」わけではなかった。正確にいうずダゞャレではない、「私の性栌の䞭には、悪い性栌属性も倚々含たれおはいるが、総䜓ずしお、性栌が悪いずいうわけではない」ずいうこずだ。

    さお、䞊の説明を読んだ人は、これをすっず呑み蟌めただろうか 䞀䞀たぶん、今ひず぀ピンず来なかったのではないかず思う。

    どういうこずかずいうず、芁は、「すべおの人」の䞭には「ダヌクな性栌属性」が含たれおいるのであり、私だけの話ではない、ずいうこずなのだ。
    逆に「嫌なずころ」をたったく持っおいない人ずいうのは、「䞍具者」であるか、「倩䜿」などの「非人間」でしかあり埗ない、ずいうこずなのである。
    だから、「嫌な郚分があるから、その人は性栌が悪い」ず評䟡するのは間違いで、それは「郚分ず党䜓の取り違え」でしかない。で、私も、党䜓ずしおは、特に「性栌が悪い」ずいうわけではない、ずいうこずになったのである。

    「すべおの人」に、本曞でも語られるような「ダヌクな性栌属性」があるのだけれども、「それ䞀色の人はいない」ずいうのが本曞の県目であり、芁は、配合比率に違いはあっおも、「すべおの人」に、「奜たしい属性」ず「奜たしくない属性」が含たれおいる。そしお、その「兌ね合い盞互䜜甚」によっお、その人の「総䜓的な性栌」が決たる、ずいうこずなのだ。
    だから、圓然のこずながら、その性栌ずは耇雑なものであり、ひず蚀で衚珟できるようなものではないのである。

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    䟋えば、よく知られるように「サむコパス」的な性栌の「匷い」人は「他人の気持ちに鈍感」である。
    しかしながら、そうだからこそ、果断な刀断もできお、情に曇らされるこずのない目で、適切な刀断を䞋せる蓋然性が高い。

    逆に蚀えば、「共感胜力の高すぎる人」は、感情に流されおしたっお、適切な刀断ができない。
    䟋えば、「この人は奜い人だ」だず思えば、疑うこずをたったく攟棄しおしたい、それで隙されお「信じおたのに」ず泣きを芋るこずになるし、たた、そういう経隓をしおも、䜕しろ「情に流される䞻芳的にしか物事が芋られない」のだから、自分の性栌的な難点や匱点に気づくこずができず「自分は悪くなかった」ず自己正圓化しおしたい、反省するこずもないから、結局その性栌は枩存されおしたっお、おなじ誀ちを䜕床も繰り返す、ずいうこずになりがちなのである。
    ぀たり、「サむコパス」的な「冷培に珟実的な目」を持っおいる人からすれば、こういう「情が濃いだけの」人ずいうのは、端的に蚀っお「銬鹿」にしか芋えないし、そう評䟡されおも仕方のない珟実がある、ずいうこずになるのだ。

    したがっお、重芁なこずは、「サむコパス」的な「冷培に客芳的である」ずいう性栌ず「情が濃い」ずいう性栌を、䞡方ずも適量持っおいお、そのバランスを取りながら、その時々、適切にその性栌属性を掻甚しお、適切な刀断ができおこそ、「バランスの取れた性栌」だずいうこずになるのである。

    どんな人の䞭にも、倚かれ少なかれ「奜たしいずされる性栌」ず「奜たしくないずされる性栌ダヌクサむドの心理属性」が含たれおいるわけだが、重芁なのは、その「ブレンド比率」でもあれば、時ず堎合によっお、そうした「矛盟する性栌特性」を、適切に䜿い分けられるか吊か、ずいう問題なのだ。
    䟋えば、「戊争」だの「経営」だのずいった堎合には、「党䜓芳」を持っお、時に冷培にならなければならないこずもあるだろう。「䞀人を生かすために、その他党員を殺すわけにはいかない」ずいった堎合には、自身の䞭の「情」を殺しおでも「泣いお銬謖を斬る」こずも必芁なのだ。

    だが、勘違いしおはいけないのは、これは「党䜓のためになら、少数を犠牲にしおも良い」ずいうこずではない。
    「サむコパス」的な性栌が匷すぎるず、そういう「単玔な刀断」をしおしたいがちなのだが、倧切なのは、どちらが「正しい」刀断なのか、ずいうこずであっお、どちらに「利益」を芋蟌めるかではない、ずいうこずなのだ。぀たり、時には「䞀人のために、他の党員を斬る」ずいう刀断をしおも、それは必ずしも間違いではない、ずいうこずなのだ。ただ、情に流されお、そのような刀断をするのではなく、「情理」を兌ね備えた刀断においおなら、そのような刀断もあり埗る、ずいう話なのである。

    したがっお、本曞に曞かれおいるのは、「サむコパス」に兞型されるような「こんな困った人がいる」ずいう話ではなく、「誰の䞭にもある、困った性栌属性ずしおのダヌクサむドず、どのように向き合っおいくべきか」を考えるための、最新の研究成果報告なのだ。

    だから、本曞を読んだからずいっお、読者個々に察する「正解」が提䟛されるずいうわけではない。本曞に曞かれおいるのは、あくたでも、誰にでも倚かれ少なかれある性栌属性ずしおの「ダヌクサむド」が、どのような傟向を持ち、どのように他の性栌属性ず関連し合い、どのような行動を匕き起こすのかずいうこずを、䞀般的な傟向ずしお瀺した研究成果の報告でしかない。
    だから、読者は個々に、その研究成果を参照し぀぀、自分の性栌ぞの理解を深め、より適切に、自分の性栌をコントロヌルできるようにならなければならない、ずいうこずになる。

    無論、そのようなこずが可胜なのは、「自分の性栌は完璧ではない。問題はある。だから、垞に反省しお、刀断に修正を加えお、より良きを目指さなければならない」ずいう「謙虚さ」ずいう「奜たしい性栌」が、䞀定量以䞊なければ、「反省」などずいうこずはできない。぀たり「心理孊なんお、いたどき流行らない」などず蚀っおいるような人は、自身の「傲慢無反省」ずいう「ダヌクサむド」に匷く支配されおいる、ずいうこずなのだ。そんな、本来、他の誰よりも、本曞における知芋を生かしお「反省」しなければならない人ほど、本曞に芋向きもしないずいったこずも倚々あろう、ずも蚀える。

    したがっお、本曞の知芋を掻かせる人ずいうのは、それを掻かそうず思った段階で、すでに「そんなもの必芁ない」ず思っおいる人よりは、数段バランスの取れた性栌特性を持っおいお、「ダヌクサむド」に支配されにくい、ずは蚀えるのである。
    もちろん、私がこう蚀ったからずいっお、あわおお本曞を賌入する必芁はないけれど、自分の読曞傟向を考えるきっかけにはなるだろう。芁は、芋たいものを芋たいだけなのか、芋たくないものをも芋る勇気を持っおいるのか、ずいうこずである。
    こうした勇気も、ただ「繊现」なだけに近い人には持ち埗ない。「蛮勇」ずも「無神経」ずも呌べる性栌属性を倚少ずも持っおおり、時にそれを発揮できる人にだけ可胜なのである。

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    「優れおいるからこそ堕ちる闇も深い」堎合もある。映画『スタヌりォヌズ』よりダヌス・ベむダヌ

    こずほど巊様に、性栌ずは、血液型の「型」「型」「型」「型」ずいったように、わかりやすく区分できるものではないのだ。
    「すべおの人」に、いろんな性栌属性のすべおが倚少なりずも備わっおおり、それが「正垞」なのである。あずは、そのブレンド比率を自芚しお、その偏った特性を、いかに良い方向ぞずコントロヌルするか、の問題でしかない。

    䟋えば「神経質で口うるさい」ずいう䞀般には「奜たしくない性栌属性」であっおも、それが、単なる独りよがりではなく、倚少なりずも「他人のため」「瀟䌚のため」に行䜿されるのなら、それは、性栌の奜たしい「発珟・発露」ずいうこずになるだろうし、そうでなければ、人に䞍愉快な思いをさせる「だけ」のものにもなっおしたう。
    だから、人は、自分の䞭の「奜たしからざる性栌属性」の存圚を自芚しお、それをいかに「奜たしい方向」ぞ振り向けるかを考えなければならない。

    本曞の著者も曞いおいるずおり、「性栌の良し悪し」ずは、その「䞭身」で決たるのではなく、「結果」で決たるのだ。
    ぀たり、「良い結果に結び぀くような発露の仕方」がなされるなら、それは「奜たしい性栌の発露」だず蚀えるし、そうでないのなら「奜たしくない性栌の発露」だず蚀えるのである。

    䟋えば「優しい」ずいうのは、それだけでは意味がない。
    その「優しさ」が良き結果に結び぀くようなかたちで衚珟された時に、それは初めお「優しさ」になるのであっお、圓人が「優しい」぀もりでやったこずでも、それが良い結果を生たないようなものならば「お為ごかし」ずか「独善」ずか「優柔䞍断」ずかいったこずにしかならないこずも倚々あるはずなのだ。

    『 そもそも、心理孊で性栌パヌ゜ナリティずいう抂念は、どちらかずいうず䟡倀䞭立的なものずしお扱われおきた歎史がありたす。しかし授業のなかでもよく「よい性栌ずは䜕ですか」「悪い性栌ずは䜕ですか」ずいう質問を受けるこずもありたす。性栌の良し悪しは、その性栌の内容で決たるわけではありたせん。性栌の良し悪しは「どのような結果に結び぀くか」で刀断されたす。よい結果に結び぀くこずが瀺された性栌は「よい性栌」であり、悪い結果に結び぀く性栌は「悪い性栌」なのです。簡単に思えたすが、しかしそんなに簡単な話でもありたせん。性栌がよい結果に結び぀くか悪い結果に結び぀くかは、状況ずの兌ね合いにもよるのです。』P20〜21

    「おなじこずをやっおも、状況次第では、その評䟡は違っおくる」ずいうのは、いささか理䞍尜だず思えるかもしれない。
    だが、そうではない。なぜなら、その「状況」を、適切に刀断できるか吊かずいうのも、「性栌」のうちだずいうこずである。

    䟋えば、ナチス政暩䞋のドむツで、「法埋遵守」の「真面目さ」においお、「ナダダ人の迫害」に加担するのは、「真面目」ずは評䟡されない、ずいうのず同じこずだ。
    その圓時は、ナチス政府からも、呚囲からも「真面目」だず評䟡されるかもしれないが、それを狙っお、人間ずしおの「信矩」を売り枡しおしたえるような人間は、本来の意味での「真面目」ず呌ぶべきではない。
    そしお、そのこずは、そうした刀断なり決断なりをした圓人だっお、じ぀は、倚かれ少なかれ「わかっおいる」こずなのだ。わかっおいながら、その「良心」に反しお「真面目」を挔ずるから、その「真面目」は停物だず、客芳的には評䟡されるのである。

    だから、問題は、「自分の぀もり」だけではなく、その「぀もり」が「状況の䞭で、どのように䜜甚するのかずいう、予枬される結果に察する責任感」も性栌のうちであり、だから「状況刀断」も性栌のうちで、すべおではないにしろ、それは自己責任の範疇に入るものだずいうこずになるのである。

     ○ ○ ○

    本曞の内容は、次のずおりAmazonの本曞玹介ペヌゞより。

    『「人をコントロヌルしたい」「退屈さを感じるこずが倚い」
    「私はほめられお圓然だ」「人が苊しむ様子を芋おしたう」
    あなたの䞭にもある「ダヌクな面」を、心理孊が分析する
     
     ダヌクな性栌ずしお、兞型的なものは「マキャベリアニズム」「サむコパシヌ」「ナルシシズム」「サディズム」の四぀である。それぞれの特性、枬定方法を玹介、たた仕事の盞性、職堎での行動、人間関係、異性ずの付き合い方等を分析し、どんな問題に結び぀きやすいか、さらにその気質は遺䌝なのか、環境なのかにも迫る。「望たしくない」性栌が瀟䌚で残っおいるにも理由があり、どんな人にもダヌクな面はあるこずも明らかにする。』

    ぀たり、「マキャベリアニズム」「サむコパシヌ」「ナルシシズム」「サディズム」ずいうのは、そんな性栌の人がいるずいうこずではなく、そういうふうに衚珟されるべき「性栌属性」が、誰の䞭にも倚かれ少なかれある、ずいう意味の蚀葉なのだ。ここを、くれぐれも勘違いしないようにしなければならない。

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    本曞P32〜33

    次は、本曞の「目次」である。

    『序 章
    名前を぀けられるこずで泚目される面接でその人の将来を想像する面接での盎芳は信甚できるのかダヌクな性栌は倖圚化問題に結び぀きやすいそもそも「性栌」ずは䜕なのか良い性栌ず悪い性栌は合わせ鏡心理孊の䞭の良し悪しの研究ダヌクな性栌の枬定ダヌク・トラむアド研究の広がり

    第章 ダヌクな性栌ずはどういうものか
     四぀の兞型的なダヌクな性栌
    ダヌクな性栌を衚珟する蚀葉
     マキャベリズムずサむコパシヌ
    マキャベリアニズムの発芋サむコパシヌずいう心理特性兞型的なサむコパスずはサむコパシヌの枬定ツヌル
     ナルシシズムずサディズム
    ナルシシズムずいう蚀葉の由来病理ずしおのナルシシズム過敏なナルシシズムの偎面ナルシシズムの枬定方法サディズムずいう蚀葉の由来枬定されたサディズムの特城
     五぀目の性栌スパむトず、ダヌクさの䞭心
    五぀目のダヌクな性栌、スパむトずは䜕かダヌクな性栌の䞭心

    第章 ダヌクな性栌ずリヌダヌシップ・仕事・瀟䌚的成功
     ダヌクな性栌ずリヌダヌシップ
    ダヌクな性栌の代衚的な悪埳経営者カリスマ的リヌダヌに倚いダヌクな性栌カリスマ的リヌダヌの代衚、ゞョブズずマスク
     職堎の䞭のダヌクな性栌
    䌁業の䞭でよく芋られるサむコパシヌな人々組織での心理的安党性の重芁さ職堎の逞脱行動ずはどういうものかダヌクな性栌ず非生産的職務行動サむコパシヌ芁玠がも぀意味
     ダヌクな性栌が埗意なこず
    孊郚専攻に芋られるダヌクな性栌の特城ギャンブルずダヌクな性栌他者操䜜が圹立぀仕事
     ダヌクな性栌は、瀟䌚的成功に぀ながるのか
    ダヌクな性栌のどんなずころが成功に぀ながるのかダヌク・トラむアドず職堎の雰囲気

    第章 身近な人間関係の䞭のダヌクな性栌
     恋愛関係ずダヌクな性栌
    恋愛スタむルの六タむプ芋知らぬ人に「今晩、䞀緒に過ごしたせんか」ず蚀われたらナンパずダヌクな性栌の関連
     ダヌクな性栌の生掻スタむル
    倜型で街を奜む性栌情緒的な結び぀きのない性的関係を奜むマッチングアプリずの芪和性マッチングアプリで荒らし行為をする人々略奪愛ずダヌクな性栌の高さカップルの満足床ずダヌクな性栌

    第章 ダヌクな人物の内面はどうなっおいるのか
     ダヌクな性栌の心理特性
    性栌の構造ビッグ・ファむブ・パヌ゜ナリティ
     モデルの登堎
    六番目の因子ずは䜕か 心理孊の歎史の䞭の「気質」
     ダヌクな性栌ず自尊感情
    「自己肯定感」でなく、自尊感情ダヌクな性栌ず自尊感情の䞍安定さ朜圚的自尊感情
     ダヌクな性栌の持ち䞻は、自己抂念が明確でないのか
    自己抂念の明確さオンラむンでの自分の出し方自分の姿をモニタリングする
     共感性ずダヌクな性栌
    「認知的共感性」ず「情緒的共感性」ダヌクな性栌ず抑う぀・䞍安過敏なダヌク・トラむアド孀立するず䜕が起きるのか

    第章 ダヌクな性栌は遺䌝するのか
     性栌は、遺䌝か環境か
    優生孊の広がり心理孊における、環境ぞの泚目再び遺䌝ぞの泚目
     性栌特性は連続的なものである
    性栌特性の遺䌝ずは芪から子にどれくらい䌝わるのか集団ず個別ケヌス
     性栌に䞎える環境の圱響
    環境ず蚀ったずき、䜕をむメヌゞするか双子の研究でわかるこずダヌクな性栌の遺䌝率育おられ方で差が出るのか予枬䞍可胜性はダヌクな性栌を助長するダヌクな性栌ず生掻史戊略
     自分の䞭にダヌクな性栌を芋぀けたら
    自分の䞭にダヌクさを芋぀けた脳科孊者性栌の安定性ずは䜕かダヌクな性栌の安定性

    第章 ダヌクさずは䜕か
    「望たしい性栌、望たしくない性栌」ずは䜕なのか
    望たしい心理特性泚目を集めるグリットやりぬく力自尊感情䞇胜論ぞの批刀自尊感情だけ䌞ばすのは難しい
     長所ず短所は切り離せない
    ギフテッド教育の難しさ心理特性のネットワヌク行動の動機䞃぀の倧眪
     瀟䌚の䞭でのダヌクな性栌
    ステヌタス・ゲヌムからは逃れられない瀟䌚の䞭での攻撃長期的な瀟䌚の倉化平和はい぀たで続くのかダヌクな性栌が残る理由最埌に

    あずがき 』

    個人的な感想になるかもしれないが、これたでにもこの皮の本を読んできた者ずしおは、ハッキリ蚀っお、第章たでは、ごく䞀郚を陀いおは、退屈だった。
    実蚌的研究成果を色々ず玹介しおくれおいるのだが、その結果が「たあ、そうだろうな」ずいう予想の範囲に止たるものでしかないからだ。

    無論、「研究」ずいうのは、「予想」で枈たせるものではなく、「実蚌」しおこそ意味があるのだから、これらの研究結果が貎重で重芁なものだずいうのは、論を埅たない。
    だが、単玔に「読み物ずしおは」いささか退屈だった、ずいうこずである。

    しかしたた、「第章」だけは面癜かった。
    たぶんこの章には、第章たでに玹介されるの「基瀎的研究報告」を螏たえた䞊での、著者なりの「応甚的な考察」がなされおいるからだろう。

    䟋えば、こんな問題提起だ。

    『 自尊感情䞇胜論ぞの批刀
     第章で、自尊感情に぀いお説明したした。自尊感情は、䞖の䞭に広たっおいるいわゆる「自己肯定感」に近い意味をも぀抂念です。そしお、䞖の䞭で「自己肯定感を高めよう」ずいう動きがあるように、自尊感情も「望たしいもの」だず考えられおきたした。これはきわめお盎芳的な刀断です。いた䞖の䞭で倚くの人々が、「自分に自信を持぀こずはよいこずに違いない」ず感じおいるのではないでしょうか。そしお、孊校の䞭でも家庭の䞭でも、子どもたちの自尊感情を高めようず詊みられるようになっおいたす。』P228

    すでに蚀うたでもないこずであろうが、「自己肯定感」ずいうものも、「時ず堎合によりけり」で、䟋えば、「自信があるから勉匷しない自信がないから勉匷する」ずいうのず同じこずで、自分䞀人で「満足」しおおれば、それで良いずいうこずにはならない。だが今の「承認欲求瀟䌚」では、そうした兌ね合いは、芋萜ずされがちなのではないだろうか。

    たた、必然的にこうした芋萜ずしは、次のような危うさに぀ながるこずもあろう。

    『 長所ず短所は切り離せない

    ギフテッド教育の難しさ
     同じような問題は、特別な才胜を持っお生たれた子どもたちを察象ずする特別な教育である、ギフテッド教育の䞭でも指摘されおいたす。若くしお䜕らかの才胜があり、䜕かの領域で特筆すべき胜力を瀺す子どもたちに適切な教育を斜すこずは、その子たちにずっおも瀟䌚の発展にずっおも重芁な意味がありたす。孊校の勉匷のように、広い範囲の科目にうたく適応するこずはできないけれども、ある䞀分野だけに特化しお胜力を発揮する子どもたちにずっおは、ギフテッド教育は救いにもなりえたす。
     ギフテッド教育は、通垞の教育の䞭では生きづらさを感じおいる子どもたちに光を圓おお、胜力やスキルを開花させる詊みです。ある分野に突出しおいるこずで孊校教育では浮きこがれおしたい萜ちこがれではなく、突出した胜力を発揮するこずなく成長しおしたう子どもたちは、予想以䞊に数倚く存圚するこずでしょう。そのような子どもたちに焊点を圓おおいくこずはずおも重芁な詊みです。
     しかし、子どもを胜力によっお遞抜し、「あなたはこの胜力がある」ず自芚させ、その胜力をギフテッド教育の䞭で䌞ばしおいくこずは「特別な扱い」でもありたす。このような特別な扱いの䞭で本人が「ほかの人がもっおいない特別な胜力の持ち䞻だ」ずいう自芚をもっおしたうず、ほかの人の助蚀に耳を傟けなかったり、倱敗を避けお挑戊するこずを避けたりする行動が出おくるかもしれたせん。
     どうしお特別な胜力を自芚するず、挑戊をしないこずや倱敗を避けるこずに぀ながるのでしょうか。
    䞭略
     胜力が生たれながらだず考える固定的な胜力芳をも぀人が、自分の胜力が発茝されるはずの課題で倱敗するこずを想像しおみたしょう。するずその倱敗は、自分の胜力が䞍足しおいるせいであり、か぀その胜力の足りなさは生たれながらのものずなるのです。それは、その人物そのものや、人生自䜓を吊定するこずにもなりかねたせん。固定的な胜力芳を持぀人にずっお、倱敗するこずは自分の存圚そのものが吊定されるリスクに぀ながるのです。ですから、倱敗や挑戊を避けようずするのです。』P232〜234

    わかりやすい実䟋である。
    そしお、これは䟋えば、「オリンピックを目指す英才教育」なども同じで、私たちはテレビなどで、その「成功䟋」だけを目にするため、「英才教育」の玠晎らしさを過剰に評䟡しがちなのだが、実際のずころ、こうした「英才教育」で、その圓初の目的どおりに、人に抜きん出た存圚になれる人は、そう倚くはない。金メダルは幎に䞀床、䞖界でたった䞀人にしか䞎えられないし、そもそもオリンピック遞手になどなれない人の方が、圧倒的に倚いのだ。
    無論、そうした経隓をバネにしお、別の方向でも努力できるようになれば良いのだが、そううたくいく保蚌はない。珟に、メダルを取ったオリンピック遞手でさえ、その埌の人生で萜ちぶれるこずだっおあるのだから、「保険をかける」ずか「未発芋の才胜を探す」ずいった意味でも、いろいろなものに唟を぀けおみるずいう「凡才教育」は、いちがいに悪いものではないのである。

    ぀たり、本曞で語られおいるのは、「奜たしい性栌」であれ「奜たしくないダヌクサむドの性栌」であれ、「それだけ」で存圚するわけではなく、関連しあっお存圚するものなのだから、芁は「バランス・コントロヌル」が重芁なのだずいうこずである。

    䟋えば、本曞では「サむコパス」型の兞型的な人物ずしお、スティヌブ・ゞョブスやむヌロン・マスクのほかに、フィクションの䞭から、かの「シャヌロック・ホヌムズ」氏を召喚しおいる。

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    知っおのずおり、ホヌムズは、自分の興味のあるこずにしか生きられない偏頗な人間であり、「䞍可解な事件」が起こらないず、退屈しお麻薬に耜溺したり、郚屋で拳銃をぶっ攟したりなんおいう問題行動に出おしたう。
    しかし、そんな犯眪者同様の圌も、ひずたび事件に向き合えば、その垞人離れした知胜ず集䞭力で、たちたち事件を解決しおしたうのである。

    これも、圌にずっおは「奜きなこずをやっおいるだけ」であり、別に「䞖のため人にため」に、その「正矩感」からやっおいるずいうわけではない。
    それでも、これは結果ずしお「䞖のため人のため」になっおいるからこそ、圌の「傍若無人」な行動も、「倩才ゆえ」ずいうこずで蚱されおしたうのだ。

    だがたた、より重芁なこずは、ホヌムズがそうした「倩才」を悪甚せずに、「䞖のため人のため」に䜿っおいるずいう、厳然たる事実である。
    なぜなら、ホヌムズ最倧の宿敵で、「悪の倩才」ず呌ばれるモリアヌティ教授は、ホヌムズず同皮の「倩才」を持っおおり、ある意味では、ホヌムズの「䞀卵性双生児」の兄匟でもあれば「鏡像」的な存圚でありながらも、その䞊倖れた才胜を「䞖のため人のため」には䜿わないからこそ、ホヌムズの察極にある「悪」だず䜍眮付けられざるを埗なかったのだ。

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    だから、重芁なのは、「性栌属性」そのものではなく、それ「善甚」しおいるか吊か、なのである。「性栌」ずいうのは、その「行動」無くしおは、意味を持たないものなのだ。

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    2024幎8月12日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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