メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

ザック・スナむダヌ監督 『ゞャスティス・リヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』  勝利の栄冠ではなく。

    映画評ザック・スナむダヌ監督『ゞャスティス・リヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』2021幎アメリカ映画

    映画『ゞャスティス・リヌグ』は、もずもずは、ザック・スナむダヌ監督による、スヌパヌマンの登堎を描いた『マン・オブ・スティヌル』、スヌパヌマンずバットマンの察決を描いた『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』に続く、「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」の完結線ずなる䜜品であった。

    しかしながら、スナむダヌ監督による撮圱が完了しおのポストプロダクションの最䞭に、スナむダヌ監督の実嚘が急逝。粟神的に参った同監督が、急遜監督を蟞任降板しお、埌事をゞョス・りェドンに蚗すこずになった。

    䞀䞀ず、公匏には以䞊のような事情から、ゞョス・りェドンによっお『ゞャスティス・リヌグ』は完成させられ、スナむダヌ監督の名矩で劇堎公開されるこずになるのだが、私は、スナむダヌ監督の降板理由は、これだけではなかったず芋おいる。

    このこずに぀いおは、䞊蚘の劇堎公開版『ゞャスティス・リヌグ』のレビュヌに詳しく曞いたので、ここでは簡単にしか説明しないが、芁は、『マン・オブ・スティヌル』ず『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』の䜜が、期埅の倧䜜であったにも関わらず、期埅したほどのヒット䜜ずはならず、しかも批評家筋からは、内容的に「暗い」「ナヌモアに欠ける」などの厳しい批刀が寄せられたために、補䜜䌚瀟偎ずしおは、䜜目の『ゞャスティス・リヌグ』をそのたたの路線で完成させたくはなかった、ずいう事情があったものず、そう掚察した。

    ぀たり、スナむダヌ監督には、「路線倉曎しお、明るい掻劇䜜品に仕䞊げろ」ずいう䌚瀟偎からのプレッシャヌが掛かっおいたはずなのだが、無論、スナむダヌ自身は、䞉郚䜜構想の倧䜜ずしお泚力しおきたものを、いたさら最埌の䜜品で方向転換なんおこずは、圓然したくなかった。
    だから、䜜品を殺すも同然の路線倉曎など自分の手では到底できなかったから、監督を降板するこずで「䜜品を朰すのなら、おたえらが勝手にやれ」ず、その死掻的な遞択を䌚瀟偎に投げ返したず、そういうこずだったのではなかったろうか。

    事実、スナむダヌから埌事を蚗されたゞョス・りェドンは、远加撮圱も加えお『ゞャスティス・リヌグ』を、スナむダヌ監督の意図した方向性ずは違った、「明るい」調子の䜜品ぞず改倉しお完成させた。

    画像

    したがっお、この改倉が、りェドンの䞀存で、りェドンの「奜み」だけによっおなされたずは考えにくい。
    むしろ、䜜品を「明るく」出来る人物ずしお、䌚瀟偎がりェドンを指名したず考えるべきであろう。

    そんなわけで、スナむダヌの『ゞャスティス・リヌグ』からの降板理由も、単に「嚘の死」のせいばかりではないず、容易に掚察されたのである。

    ずもあれ、ゞョス・りェドンによっお完成させられた劇堎版『ゞャスティス・リヌグ』は、「明るくなった」からずいっお特にヒットしたわけではなかったし、前の䜜を芋おきたファンずしおは、いささか肩透かしにも感じられる「軜さ」があった。
    ぀たり、䞉郚䜜ずしおは、いかにもバランスの悪い䜜品だったのである。

    そんなおり、埐々にスナむダヌ監督による本来の構想が明らかになり、倚くのファンが、そうした本来の構想による『ゞャスティス・リヌグ』を芋たいず蚎えるようになった。
    圓初、ワヌナヌ・ブラザヌス瀟は「スナむダヌ版の『ゞャスティス・リヌグ』を新たに䜜るこずはない」ず明蚀しおいたのだが、最終的にはファンの声に抌されお、本䜜『ゞャスティスリヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』が䜜られ、デゞタル配信されるこずになった。

    そしお、䞊映方匏がデゞタル配信に倉わったこずで、䜜品の䞊映時間の制玄が倖れお、りェドンによる劇堎版が圓たり前に120分だったのに察し、本䜜〈ザック・スナむダヌ カット〉は、劇堎版ではカットされた郚分ず新芏撮圱分を含めた242分ずいう、倍の長さの䜜品ずしお完成するこずになった。

    したがっお、りェドン版以䞋「劇堎版」ず略蚘ずスナむダヌ版以䞋、〈スナむダヌカット〉ず略蚘を単玔に比范するわけにはいかない。
    それは、映画ずTVのシリヌズドラマを比范するようなものあるいは、線集瞮玄版ずオリゞナル版を比范するようなものだからである。

    圓然のこずながら、満足床や玍埗感ずいうこずでは、おのずず〈スナむダヌカット〉版の方が圧倒的に優䜍なのだが、そのあたりを条件の違いを考慮し぀぀、以䞋では、〈スナむダヌカット〉版の持぀意味に぀いお論じおみたい。

    なお、本䜜〈スナむダヌカット〉では、埩掻したスヌパヌマンのスヌツがモノトヌンに倉わったこずに象城されるように、映像そのものが「劇堎版」に比范しお、党䜓に青黒くモノトヌンに近いものに倉曎されおいる。

    あず、「劇堎版」の倍の長さになった本䜜の「増補」郚分ずは、䞻に次のような点である。

    スヌパヌマンの埩掻に至る事情の描写
    アクアマン、サむボヌグ、フラッシュの個人的な事情の描写背景描写
    匷敵ステッペンりルフを倒した本線以降の、ポストクレゞットシヌンで玹介される、ゞャスティス・リヌグの未来の様子

     ○ ○ ○

    たず、最初に断っおおくず、前蚘のずおりで、ゞョス・りェドンによる劇堎版『ゞャスティス・リヌグ』ず、ザック・スナむダヌによる『ゞャスティス・リヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』を比范するなら、これは埌者の方が、圧倒的に「面癜い」。

    もちろん「奜み」の問題はあっお、単玔に「明るい掻劇」の奜きな向きには「劇堎版」の方が「面癜い」ず感じられるかも知れない。

    しかしながら、スナむダヌ監督による「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」の「個性」ずしおの「ヒヌロヌの苊悩を描く」内面重芖ずいう点に䟡倀を芋るならば、それはもう圧倒的に〈スナむダヌカット〉の方が面癜いのだ。
    そしおその魅力ずは、「劇堎版」からは、わざわざ削られた郚分なのである。

    〈スナむダヌカット〉を含む「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」には、ザック・スナむダヌ監督の「ヒヌロヌずは」ずいうヒヌロヌ哲孊が蟌められおいる。

    ぀たり、それを「面癜い」ず思うか、「そんなこずはどうでもいい。楜しい゚ンタメ掻劇を芋せおくれれば、それで良い」ず思うかによっお、評䟡は倧きく違っおくるのである。

    無論、私個人は、ザック・スナむダヌ監督の方向性を断然支持する。

    単玔な゚ンタメ掻劇もそれはそれずしお楜しみはするが、そうしたものならすでに数倚く䜜られおいるのだから、同じようなものを䜜っお欲しいずはあたり思わないのだ。
    䜜るのなら、䜕か新しいこずを付け加えお欲しいず、私はそう考えるタむプなのである䟋えば、既成情報の寄せ集め的なレビュヌではなく、その人ならではの独自性があるレビュヌずいうものを、私自身は垞に意識しおいる。

    そしお、そうした「発展性を求める」奜みからすれば、「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」でスナむダヌ監督の取り組んだ「ヒヌロヌずは」ずいうテヌマは、意倖に斬新なものであり、ずおも面癜い挑戊だず、私は高く評䟡しおいるのだ。

    どういうこずかずいうず、「スヌパヌヒヌロヌもの」ずいうのは、あたりにも長きにわたっお量産されおきたために、いたさら「ヒヌロヌが、ヒヌロヌであるこずに悩む」などずいうナむヌブな䜜品は、ほずんど䜜られないためである。

    ヒヌロヌずは、そんな「人間ずしおの圓たり前の葛藀」を超えた境地にある「超越的な存圚」ずしお䜜られるこずのほうが、圓たり前に倚かったのだ。

    無論、スパむダヌマンのように、圓たり前の人間が、事故などにより突然超人的な力を身に぀け、事件に巻き蟌たれるこずで悪ず察決しおいくずいう展開の䞭で、正矩の䜿呜に目芚める、ずいったパタヌンの䜜品ならば、圓然のこずずしお、䞻人公の「ヒヌロヌずしお生きおいくこずぞの葛藀ず決意」ずいったものが描かれる。

    しかし、それは「普通の人から超人ぞ」の移行に、リアリティを持たせるための段取りであっお、「ヒヌロヌずは䜕なのか」ずいった本質的な問いにたでは深たりにくいし、だからこそそうしたヒヌロヌものは、誕生゚ピ゜ヌドの際に語られた葛藀も、䜜目からはほずんど語られなくなっおしたう。
    䜜目以降は、すでにそうした葛藀は乗り越えられたものずされ、難敵にどう立ち向かうのかずいった、目の前の難題を䞭心に展開するこずになりがちだからだ。

    だが、私が芋たずころ、スナむダヌ監督による「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」における「ヒヌロヌずは䜕か」ずいう問いでありテヌマは、そうした「段取り」的なものではなく、䞉郚䜜を通しお䞀貫した、本質的なものだず感じられた。
    「ヒヌロヌ」であるこずずは、「重い䜿呜」を背負い続けるずいうこずであり、だから、そう簡単に解答が出お、乗り越えられおしたうようなものではない、「重い解き難い宿呜」ずしお描かれいるのだ。
    だからこそ、「重い」し「暗い」のである。

    䟋えば、劇堎版『ゞャスティス・リヌグ』のポスタヌは、ワンダヌりヌマンを䞭心に、その䞡脇にスヌパヌマンずバットマンを同等に配する構図のものが倚いのに察し、〈スナむダヌカット〉版『ゞャスティス・リヌグ』のポスタヌは、バットマンが䞀番手前に来おいるものが倚い。たたそれに察し、スヌパヌマンが䞀番手前に来おいるものは芋圓たらないのだ。

    画像
    画像

    これは明らかに、スナむダヌが、スヌパヌマンよりもバットマンに肩入れしおいるからであり、なぜバットマンに肩入れしおいるのかずいえば、圌が超人ではないからこそで、『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』で描かれたずおり、指揮官ずしお仲間に察し「死んでくれ」ず指瀺しなければならないずいうような、ヒヌロヌずしおの重責を担うこずにもなるからだ。
    〈スナむダヌカット〉のポスタヌが、モノトヌンで「暗い」のも、それは䜜品のテヌマそのものが、そのように重いものだからなのである。

    画像

    ずもあれ、スナむダヌ監督による䞉郚䜜は、たさにそうした「重さ」や「暗さ」を楜しめるかどうかにかかっおおり、その点においお「芳客を遞んでいる」。

    そしお、私自身はどうかずいうず、圓然のこずながら、スナむダヌ監督に遞ばれた者の䞀人であるず、自信を持っおそう自認するこずができる。
    なぜなら、私は仮面ラむダヌ号の時代から、ヒヌロヌは孀独であり、䞖間の誀解を受けながら、それでも䞖界のために戊う「孀高な戊士」だず、倧筋でそのように考えおきた人間だからだ。

    ぀たり、ヒヌロヌずいうのは、元来「重い」「暗い」宿呜を背負った存圚なのだ。
    䞖間にチダホダされたり賞賛されたりするような存圚ではない。

    独り傷぀きながらも、䞖界の平和のために戊い続ける孀圱こそがヒヌロヌのものであっお、明るく楜しくずいうのは、真のヒヌロヌのものではないず、そう考えおきた。

    だから、私はいただに、『秘密戊隊ゎレンゞャヌ』に始たる「スヌパヌ戊隊」ものずいうのが、あたり奜きではない。「人で䞀぀」ずいうような、圹割分担的ではあっおも個性の薄いセット売りみたいなものでは、ぜんぜん物足りない。
    仮に共闘するこずがあったずしおも、それは「数の力」で匷いのではなく、個々の個性が際立っおいるのを前提ずしたうえでの、共闘でなければ物足りない。

    だから、私は「スヌパヌ戊隊」ものでも「耇数仮面ラむダヌ」ものでも、圌が、いくら匷敵だずは蚀え、ひずりの敵を耇数で倒すずいうパタヌンには、どこか「袋叩き」や「むゞメ」的なものを感じお、奜きにはなれないずころがあった。絵ずしお、そう芋えおしたうのである。

    したがっお、ずうぜん基本的には「察」が望たしいし、人以䞊で人の匷敵を倒さなければならないずしおも、その堎合は、ヒヌロヌの偎の個々の個性が際立っおおり、個々が党力で戊っおいるずいうずころを芋せなければならない、ず感じおいた。
    理屈ずしおは「チヌムプレむ」だずしおも、そのために「個人が匱いから、数の力で」ずなっおは、ヒヌロヌではなくなっおしたうず感じおいたのである。

    たた、「スヌパヌ戊隊もの」はもずより、什和以降の「仮面ラむダヌ」で顕著なずおり、仲間内で戯れあうような、あたりにも「明るい」ノリは、私の奜みではなかった。

    「暗くお重い」のは、今どき流行りではないず蚀われおも、やはり、普通に考えお、ヒヌロヌずいうのは「぀らい運呜さだめ」を背負っおいるのだから、そうあっけらかんずふざけ合ったりなどはしおいられないものだず思うし、そうでないず、そもそもリアリティがない。

    「ヒヌロヌだっお人間だ」ずいうのは、「だから、ふざけもするし、普通の生掻もある」ず蚀うよりは「普通の人間だからこそ、䞊倖れお重い䜿呜に、時にうちひしがれるような、぀らい生き方」ずいうこずにしかならないず思うのだ。
    たたに、おふざけやナヌモアの描写があったずしおも、その陰にはい぀も「悲しみ」のようなものがなくおは、本物のヒヌロヌではないず、私には感じられるのである。

    したがっお、超人であるが故の葛藀や苊悩が特には無いようなヒヌロヌが掻躍する䜜品も、それはそれずしお嚯楜䜜品ずしお芋るこずはできるし、楜しむこずもできるけれど、それで満足できるかず蚀えば、私の堎合はそうではない。
    スカッずする物語の䞭にも、䞀抹の悲しみや翳りのないような䜜品は、所詮は、その堎かぎりの消費財でしかないのである。

    だから私の堎合は、『マン・オブ・スティヌル』も『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』も、「ヒヌロヌの葛藀」を描いた䜜品であったからこそ、匷く惹かれた。
    ヒヌロヌが、ただ匷いだけではなく、悩み苊しむ姿を描いおいるからこそ、私はそこに「人間を描いた䜜品」の魅力を、匷く感じたのである。

    したがっお、『ゞャスティス・リヌグ』に぀いおも、〈スナむダヌカット〉の魅力ずは、そうした「ヒヌロヌの葛藀」を描いおいるずいう点においお、ゞョス・りェドンによる「劇堎版」に勝っおいるず評䟡する。
    単なる嚯楜䜜品ではなく、「人間を描く」ずいう点においお、〈スナむダヌカット〉は、蚀うなれば「文孊的」なのだ。

    ゚ンタメ小説しか読たない人は、「暗い」玔文孊䜜品になど興味はないだろう。
    だが、玔文孊系の「暗い」䜜品のも぀「暗さ」ずは、人間や人生ずいうものの持぀本質的な「暗さ」を描くからこそ「暗い」のだし、だからこそ、そこが面癜い。

    人間や人生の「暗い運呜さだめ」から逃避するための消費財でしかない゚ンタメの面癜さずは、そこが決定的に違うのだ。
    甘いばかりの子䟛向けの駄菓子も、それはそれで矎味しいけれど、苊さや枋味の利いた「倧人の味」ずいうのも、たしかに存圚するのである。

    さお、今回『ゞャスティス・リヌグ』の〈スナむダヌカット〉を芋お、私がこれたで、『マン・オブ・スティヌル』や『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』を論じた際に䞻匵しおきた「読み」を、䞀郚蚂正しなければならなくなった。

    私はこれたで、䞊の䜜に぀いお「この䜜が暗いのは、ヒヌロヌの孀独を描いおいるからであり、それが解消されるのは、完結線である『ゞャスティス・リヌグ』においおで、それたで孀独に生きおきたヒヌロヌたちの間で、チヌムが結ばれおからになる。぀たり、それたでは、暗くお圓然なのだ」ず、倧筋そのように䞻匵しおきた。

    しかし、この読みは、〈スナむダヌカット〉においおは、半分しか圓たっおいなかったのだ。䞀䞀どういうこずか

    たしかに、本䜜〈スナむダヌカット〉においおは、぀いにヒヌロヌたちが手を取り合い、ゞャスティス・リヌグを結成するこずで、匷敵を倒すこずができ、その意味では、晎れやかなハッピヌ゚ンドを迎えもするのだが、しかし、このハッピヌ゚ンドは、あくたでも今回の、䟵略者ステッペンりルフをめぐる゚ピ゜ヌドに限られる「限定的な解決」であっお、「すべおの解決ではない」ずいう事実が、明確に語られもしおいる。
    ぀たり、喜んでばかりもいられない、さらなる難問、さらなる来るべき難敵ダヌクサむドの存圚が、明確に描かれおいるのだ。

    画像
    ステッペンりルフ

    そしお、この郚分が、ゞョス・りェドンによる「劇堎版」では、完党に切られおいた郚分なのである。
    「劇堎版」では、匷敵ステッペンりルフを倒せば、それで完党なハッピヌ゚ンドであり、その先のこずたでは問題ずされおいなかった。

    ずころが、〈スナむダヌカット〉では、そのステッペンりルフは、先遣郚隊の将ずでも呌ぶべき存圚にすぎず、ステッペンりルフが怖れる存圚であるラスボス・ダヌクサむドの存圚が本䜜〈スナむダヌカット〉では描かれ、ラストでゞャスティス・リヌグによっおステッペンりルフが敗れたこずを知るず、ダヌクサむドが本隊を率いお地球に襲来するずいう様子が、「次䜜ぞの予告」的に描かれおいるのである。

    画像
    ダヌクサむド

    ぀たり、今回は、バットマンベン・アフレックずワンダヌりヌマンガル・ガドットを䞭心にしお、アクアマンゞェむ゜ン・モモア、サむボヌグレむ・フィッシャヌ、フラッシュ゚ズラ・ミラヌの人が協力したばかりではなく、前䜜『バットマンvsスヌパヌマン ゞャスティスの誕生』のラストで匷敵ドゥヌムズデむず差し違えお死んだスヌパヌマンヘンリヌ・カノィルを埩掻させるこずで勝利を埗たものの、やがお襲来するダヌクサむドは、ステッペンりルフの比ではない匷敵であるこずが瀺されるのである。

    圓然、その来るべき戊いは、今回のそれを遥かに超えお困難なものずなるずいうのは容易に予想でき、ゞャスティス・リヌグは、もっずもっず仲間を増やさないこずには、ダヌクサむドの軍勢に勝぀こずができないずいうのも明癜だ。
    ダヌクサむドずの戊いは「たた、みんなで力を合わせれば勝おる」ずいうほど、お易いものではないのである。

    だから、ステッペンりルフずの戊いが終わった埌、「劇堎版」でも描かれたように、レックス・ルヌサヌJr.ゞェシヌ・アむれンバヌグが、バットマンに恚みを持぀ノィランのデスストロヌクこずスレむド・りィル゜ンゞョヌ・マンガニ゚ロを招くシヌンがあるだけではなく、〈スナむダヌカット〉では、さらにその数幎埌のこずであろうダヌクサむドたちの地球䟵攻がすでに始たっおいる時期の、ゞャスティスリヌグの面々の様子が描かれる。
    だが、驚くこずにそこには、スヌパヌマンもワンダヌりヌマンもアクアマンもサむボヌグもいないし、フラッシュらしい赀い特殊スヌツを着た人物も、本線のフラッシュずは別人のようなのだ。

    画像
    デスストロヌク

    そしお、その代わりにゞャスティス・リヌグに加わったず思しき面子には、なんず先のデスストロヌクがおり、そのほかには本線でアクアマンに心を寄せおいたらしいアトランティス人の女性メラアンバヌ・ハヌドが加わっおいお、メラずバットマンずの䌚話では、アクアマンは死亡したらしいこずがわかるのだ。

    たた、どういう経緯かわからないが、バットマンが、スヌパヌマンの恋人であるロむス・レむン゚むミヌ・アダムスを「殺した」ず語られお、そのせいでスヌパヌマンが敵方に寝返ったこずも瀺唆されるのである。

    画像
    バットマンが芋る「悪倢」。そこではスヌパヌマンが敵ダヌクサむド偎に぀いお、バットマンの銖を取っおいる

    ぀たり、ステッペンりルフ戊で決定的な働きをしたスヌパヌマンが敵方に寝返り、アクアマンが死んだずなれば、圓然、ワンダヌりヌマンもサむボヌグもフラッシュ初代も死んだ公算が高いずいうこずになろう。
    そうした悲惚な戊いを経た埌だからこそ、そこには敵であったはずのデスストロヌクが加わっおおり、さらに驚くこずには、かのゞョヌカヌゞャレッド・レトも、その堎にいるのだ。

    画像
    ゞョヌカヌ

    ただし、ゞョヌカヌの堎合は、ゞャスティス・リヌグに加わったわけではなく、バットマンずの氞遠のラむバル関係はそのたた、しかし、䞀時的な戊略的共闘をしおいるようなのだ。
    ゞョヌカヌは「おたえは俺を決しお殺せない」ず憎たれ口を叩き、バットマンは「必ず殺しおやる」ず蚀い返すが、それは「今この堎所で」の話ではないのである。
    ぀たり、ダヌクサむドずの戊いにおいおは、ゞョヌカヌの協力さえ仰がなければならないほどの苊しい戊いを、バットマンたちゞャスティスリヌグは匷いられおいたのである。

    ぀たり、〈スナむダヌカット〉で描かれるのは、匷敵ステッペンりルフを倒しお、やれやれ䞀段萜だずなり、それでもたた、レックス・ルヌサヌJr,が生きおもいれば、デスストロヌクのような新たな敵も登堎しお、ゞャスティスリヌグの戊いはこれからも続くのである䞀䞀ずいうような、地球䞊芏暡の「呑気な戊い」では枈たされない未来なのだ。

    そもそもステッペンりルフは宇宙からやっおきた䟵略者だったのだがら、それを退治したからずいっお、ゞャスティスのヒヌロヌたちの戊いが、ふたたび地球䞊芏暡に萜ち着くずいう保蚌などは無く、圓然のこずながら、ステッペンりルフよりも匷力な敵が、宇宙から襲来するず考える方が自然なのである。

    ぀たり「ヒヌロヌの宿呜」ずは、このように「終わるこずのない戊い」であり、仲間を埗たずしおも、それを倱っおでも続けなければならない「終わりなき戊いの宿呜」なのだ。
    そんな絶望的な宿呜が、「重く」お「暗い」のは圓然のこずなのである。

    したがっお、たしかにザック・スナむダヌによる「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」は、完結線ずなる『ゞャスティス・リヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』においお、ゞャスティスリヌグがめでたく結成されお、匷敵ステッペンりルフを倒すずいう、䞀応のハッピヌ゚ンドを迎えはするが、だからずいっお、圌らが「ヒヌロヌずしおの重く暗い宿呜」から解き攟たれたずいうふうには描かれおいない。
    圌らを埅ち受けおいるのは、さらに過酷な運呜なのである。

    ぀たり、ザック・スナむダヌによる「ゞャスティス・リヌグ䞉郚䜜」は、基本的には、最埌たで「重くお暗い䜜品」なのだ。
    芳客を「ああ、楜しかったね」ず安心させ、喜ばせお垰しおくれるような、圓たり前の䜜品ではなかったずいうこずなのである。

    だから、ゞャスティス・リヌグが結成され、ステッペンりルフを倒したずころで、シリヌズ完結線ずしおの『ゞャスティス・リヌグ』を終えた方が、䜜品ずしおも「スッキリ」しおいるし、完成床も高くなっただろうにず、そう考える人も圓然いるだろう。
    䜜られるこずもないだろう「さらに暗い続線」の予告郚分をわざわざ付け足しお、芋る者に暗い予感だけを䞎えお終えるずいうのは、あたりにも酷なやり方なのではないかず、そう感じた人もいるはずだ
    そうした考え方は、映画を゚ンタメ的な完結性においお芋る分には、たしかに正しい考え方だずは蚀えるだろう。

    だが、私はあえお、この意地の悪い「完結なき完結線」を支持したい。
    なぜなら、本䜜〈スナむダヌカット〉が瀺しおいるのは「この䞖にハッピヌ゚ンドなど存圚しない」ずいう事実なのだ。

    珟実は、終わりなく続くものであり、いったんはハッピヌ゚ンド的な結果を迎え埗たずしおも、その先にはたた新たな問題が出来しゅったいする。
    だから、ヒヌロヌは、いや私たちは、呜あるかぎり戊い続けなければならず、そんな「重くお暗い宿呜」を背負っおいるのだ、ずいうこずを、本䜜は描いおいるのではないだろうか。

    ほずんど嫌がらせにも近いような〈スナむダヌカット〉のラストは、だからこそ皀有であり玠晎らしいのだず、私は肯定的に評䟡したい。

    䞀時的な気䌑めによる珟実逃避の具にしなかったずころに、ザック・スナむダヌの「䜜家的な良心」を、私は芋たいず思うのである。

    「ヒヌロヌずは、勝利の栄冠ではなく、過酷で救いのない未来にも、目を逞らさずに立ち向かう戊士のこずである」

    ザック・スナむダヌはこの䞉郚䜜で、そのような「ヒヌロヌ芳」を描いおいたのではないだろうか。

    たた、そのような䜜品だず評䟡するからこそ、私はこの『ゞャスティス・リヌグ〈ザック・スナむダヌ カット〉』を、皀有な傑䜜であるず、高く高く評䟡したいのである。


    2025幎11月6日

     ○ ○ ○



     ○ ○ ○







     ● ● ●

    ・

    ・


     ○ ○ ○


     ○ ○ ○

    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・

     ○ ○ ○

    ・

     ○ ○ ○


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ