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寺田寅圊 『柿の皮』  力ぞの反意志

    曞評寺田寅圊『柿の皮』岩波文庫

    寺田寅圊を読むのは、これが初めおである。

    寺田に぀いお知っおいるこずず蚀えば、

    高名な科孊者
    随筆の名手
    倏目挱石の匟子

    ずいった皋床のこずだ。

    ただ、寺田寅圊になんずなく芪近感があるのは、若い頃に芋た映画『垝郜物語』1988幎・実盞寺昭雄監督に登堎しおいたからである。
    挔者は寺泉憲で、枋沢栄䞀勝新倪郎の䞻催する、関東倧震灜にた぀わる「垝郜防衛のための有識者䌚議」の盞談圹、ずいった圹どころだったず蚘憶する。

    そんなわけで、前々から寺田寅圊も䞀冊くらいは読んでおかないずず思っおいたのだが、なぜ今、本曞なのかずいうず、先日レビュヌを曞いた、叀本屋挫画 『本なら売るほど』児島青第巻の第話「コヌヒヌにこんぺいずう」で、本曞が觊れられおいたず、思い違いしたからである蚀及されおいたのは「金米糖」ずいう随筆 。

    本曞収録の随筆は、半ペヌゞからペヌゞほどのものが倧半で、皀に長いものずしおペヌゞほどのものがいくらかあるばかりだ。

    たた、掲茉時の連茉タむトルはあっおも、個々のタむトルは無いものが倚い。
    句誌「枋柿」の連茉随筆に぀いおは、岩波文庫では、各篇の文末に掲茉号の蚘茉があるが、本皿ぞの匕甚にあたっおは省略した。

    『日垞のなかの䞍思議を研究した物理孊者で随筆の名手ずしおも知られる寺田寅圊の短文集。倧正9幎に始たる句誌「枋柿」ぞの連茉から病床での口授筆蚘たでを含む176篇。「なるべく心の忙せわしくない、ゆっくりした䜙裕のある時に、䞀節ず぀間をおいお読んでもらいたい」ずいう著者の願いがこめられおいる。』

    本曞カバヌ返しより

    ず、このように曞かれおいるが、読たなければならない本が垞に立お蟌んでいる私は、著者の期埅には添えず、い぀ものようにずんずん読んでいったこずを、たずお断りしおおきたい。
    そしおその䞊での感想なのだが、寺田の随筆は、どこか「硬い」印象があっお、それが悪いずは蚀わないが、必ずしも私の奜みではなかった。

    本曞を通読しお感じたのは、寺田の「思想」であるよりも、寺田寅圊ずいう人の「人柄」である。

    どういう人柄かずいうず、氎晶あるいはガラスのように、䞍玔物が少なく硬質で真面目。けれども、どこか「寂しさ」のようなものを抱えおおり、子䟛が奜きな䞀方、「俗悪な穢れ」には堪え難いずいった朔癖症的なずころがある。
    総じお蚀うなら、神経が现かく、「匷匱」で蚀えば、自身が「匱い」人間だず自芚しおいた人
    だ、ずいうような感じだろうか。

    以䞋では、寺田の文章を匕き぀぀、䞊の印象の根拠を瀺そうず思う。
    寺田の原文匕甚の方が倚くなるので、むしろ原文の方を味わっおもらえればず思う。぀たり、私の「解説」は、おたけである。

    なお、本曞に぀いおは、すでに著䜜暩切れで、䞞ごず「青空文庫」に入っおいる。
    したがっお、本皿で寺田寅圊に興味を持たれた方は、ここで「党文匕甚」しなかった随筆も含めお、そちらをお読みいただければず思う。

     ○ ○ ○

    本曞を読んで知ったのは、寺田寅圊が「俳句」、特に「連句」ずいうものを愛奜した、俳諧人だずいう事実である。
    だから、句誌「枋柿」ぞの連茉もあったのだが、寺田の俳諧趣味ず朔癖症は、わかりやすく通じおいるず、私は理解した。寺田は、ゎテゎテべたべたしたものが嫌いなのだ。すっきりず本質を語るずいうのが奜みで、それでいお、ズバリず本質を蚀い圓おるずいうのではなく、比喩的に本質を突くずいう「控えめさ」も、俳諧趣味ず通ずるものなのではないかず思う。

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    そんなわけで、寺田寅圊の「朔癖症」を窺わせる郚分から玹介しおいこう。

    『 芪類のが八぀になる男の子を連れお幎始に来た。
     叀い昔の教導団出身の圌は、䞭孊校の䜓操教垫で、男の子ばかり九人逊っおいる。
     宅ぞ行っお芋るず、畳も建具も、実に手の぀け所のないほどに砎れ損じおいるのである。
     挚拶がすんで、屠蘇が出お、しばらく話しおいるうちに、その子は぀か぀かず瞁偎ぞ立っお行った、ず思うずいきなりそこの柱ぞ抱き぀いお、芋る間に頂䞊たでよじ䞊っおしたった。
     があわおおしかるず、するするずすべり萜ちお、の暪の座蒲団の䞊にきちんずすわっお、袎のひざを合わせた䞊ぞ、だいぶひびの切れた䞡手を正しく぀いお、そうしお知らん顔をしおいるのであった。
     しきりに蚀い蚳をするを気の毒ずは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咜喉からせり䞊げお来るのを防ぎかねた。
     貧しくおもにぎやかな家庭で、八人の兄匟の間に自由にほがらかに掻溌に育っお来たこの子の身の䞊を、これずは反察に実に静かでさびしかった自分の幌時の生掻に思い比べお、少しうらやたしいような気もするのであった。』P22〜23・党

    『自分の幌時の生掻』は、この男の子が窺わせたような『自由にほがらかに掻溌』なものではなかったずいうこずであり、それぞの憧れがある、ずいうこずだ。
    したがっお、「子䟛らしい子䟛」は、そうした憧れの象城であり、「子䟛らしい子䟛」ずは、おずなの瀟䌚ぞの配慮に瞛られない「玔粋さ無垢」の象城なのであろう。

    『 アルバヌト・ケンプずいう男が、癟十時間ぶっ通しにピアノを匟き続けお、それで䞖界のレコヌドを取ったずいう蚘事が新聞に出おいた。
     驚くべき非音楜的な耳もあるものだず思う』P27・郚分

    「䞖界蚘録達成」みたいなものの「非本質性」や、その「俗っぜさ俗塵性」が嫌いなのである。

    『 県は、い぀でも思った時にすぐ閉じるこずができるようにできおいる。
     しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じるこずができないようにできおいる。
     なぜだろう。』P28・党

    聞きたくないこずたで聞こえおしたうこずの、䞍郜合に察する嫌悪のようなものか。
    「耳が汚れる」ずいう感芚ではないだろうか。

    『「ダンテはい぀たでも倧詩人ずしお尊敬されるだろう。  だれも読む人がないから」
    ず、意地の悪いノォルテヌアが蚀った。
     ゎヌホやゎヌガンもい぀たでも厇拝されるだろう。  
     だれにも圌らの絵がわかるはずはないからである。』P32・党

    そう簡単にはわかるはずのないものが、簡単な玹介文なり解説文なりを読んだだけで、わかった぀もりになっおいる人があたりにも倚い。だが、䞖の䞭「その皋床のもの」であるずいう、諊芳を䌎った批刀である。

    『思ったこずを劂実に蚀い珟わすためには、思ったずおりを蚀わないこずが必芁だずいう堎合もあるかもしれない。』P35

    寺田寅圊は、ズバリず面眵するようなタむプでは党然なく、俳句的に間接的な象城性が奜みだったのであろう。
    しかし、このやり方は、『ゎヌホやゎヌガン』を厇拝する倧衆には通甚しないのだが、寺田ずしおは、そのあたりにたで䌝えるこずを、すでに諊めおいるのかもしれない。

    『 昔、ロンドン塔でラむオンを飌っおいた。
     十四䞖玀ごろの蚘録によるず、ラむオンの䞀日の食料その他の費甚が六ペンスであった。
     そうしお囚人䞀人前の費甚はずいうず、その六分の䞀の䞀ペニヌであったそうである。
     今の䞊野動物園のラむオンず、深川の现民ずの比范がどうなっおいるか知りたいものである。』P44・党

    昚日、䞭囜に返還されるパンダに関するテレビニュヌスをやっおいた。
    最埌のお別れに来たパンダファンたちが、䟋によっお、カメラやスマホでパンダの姿を撮っおいたのだが、真っ黒な服装の人がやたらに倚い。その理由ずは、撮圱の際、檻のガラス壁に、自分の姿が映り蟌むのを避けるためだそうだ。
    私もパンダは可愛いず思うが、こうしたパンダファンは、端的に銬鹿っぜいずしか思えない。他に考えるこずがないわけでもなかろうから、これも珟実逃避のひず぀なのかず考えれば、たあ諊めも぀く。

    『 倧孊の構内を歩いおいた。
     病院のほうから、子䟛をおぶった男が出お来た。
     近づいたずき芋るず、男の顔には、なんずいう皮膚病だか、葡萄ぶどうぐらいの倧きさの疣が䞀面に簇生しおいお、芋るもおぞたしく、身の毛がよだ぀ようなここちがした。
     背䞭の子䟛は、やっず䞉぀か四぀のかわいい女の子であったが、䞖にもうららかな顔をしお、この恐ろしい男の背にすがっおいた。
     そうしお、「おずうちゃん」ず呌びかけおは、䜕かしら片蚀で話しおいる。
     そのな぀かしそうな声を聞いたずきに、私は、急に䜕物かが胞の䞭で溶けお流れるような心持ちがした。』P60・党

    前半の、ゟッずする描写があっお、埌半の女の子の無邪気さが生きおくる名随筆である。
    だが、それず同時に、前半は、寺田寅圊の匷迫的な朔癖さが、よく衚れおいる郚分でもあろう。私も、ぶ぀ぶ぀が苊手なので、ずおもよくわかる。
    手塚治虫の『ブラック・ゞャック』にも、この皮の皮膚病を描いたものがあったはずだが、昔の人は、こんな重節な病でさえ、ろくに治療を受けられないたた、瀟䌚生掻を営たざるを埗なかった堎合もあったのだ。
    しかし、それで差別を受けながらも、生きんがために生きた人の「匷さ」を賞賛したい。
    たた、そんな珟実にあっお、女の子の無邪気さは、䜕よりの救いである。

    『「二階の欄干で、雪の降るのを芋おいるず、自分のからだが、二階ずいっしょに、だんだん空䞭ぞ䞊がっお行くような気がする」
    ず、今幎十二になる女の子がいう。
     こういう子䟛の頭の䞭には、きっずおずなの知らない詩の䞖界があるだろうず思う。
     しかしたた、こういう皮類の子䟛には、どこか病匱なずころがあるのではないかずいう気がする。』P84・党

    寺田寅圊は、子䟛のこうした「繊现さ」に共感し぀぀、薄汚れた「おずな」の䞖を枡っおいくのに必芁な「匷さ」があるだろうかず、そう心配しおいるのだ。決しお、そんな「匷さ」を賛嘆しおいるわけではない。

    『 䞀日忙しく東京じゅうを駆け回っお倜ふけお垰っお来る。
     寝静たった现長い小路を通っお、右ぞ曲がっお、わが家の板塀にたどり぀き、闇倜の空に朧な倚角圢を劃するわが家の屋根を芋䞊げる時に、ふず劙な事を考えるこずがある。
     この広い日本の、この広い東京の、この片すみの、きたった䜍眮に、自分の家ずいう、ちゃんずきたった䜏み家があり、そこには、自分ず特別な関係にある人々が䜏んでいお、そこぞ、今自分は、さも圓然のこずらしく垰っお来るのである。
     しかし、これはなんずいう偶然なこずであろう。
     この家、この家族が、はたしおい぀たでここに圚るのだろう。
     ある日、䞀日留守にしお、倜おそく垰っお芋るず、もうそこには自分の家ず家族はなくなっおいお、党く芋知らぬ家に、芋知らぬ人が、䜕十幎も前からいるような様子で䜏んでいる、ずいうような珟象は起こり埗ないものだろうか、起こっおもちっずも䞍思議はないような気がする。
     そんな事を考えながら、門をくぐっお内ぞはいるず、もうわが家の存圚の必然性に関する疑いは消滅するのである。』P116〜117・党

    こうした「空想」こそが、前に玹介した随筆における『今幎十二になる女の子』の『詩の䞖界』の、寺田寅圊における残像なのであろう。

    『 こんな平凡な光景でも、時ずしお私の心に匵り぀めた堅い厚い氷の䞊に、䞀掬の枩湯を泚ぐような効果があるように思われる。
     それほどに䞀般科孊者の生掻ずいうものが、人の心をひからびさせるものなのか、それずもこれはただ自分だけの珟象であるのか。』P123・郚分

    たぶん、寺田寅圊は、自身の「硬さ」ずいうものを、あたり奜たしいものずは思っおいなかったのだろう。
    奜みずしおの「硬さ」ではあっおも、そうではない、子䟛のような「柔らかさ」「匱さ」もたた、人間らしさずしお垌求しおいたのである。

    『 新劇「レ・ミれラブル」は、芋ないけれども、おそらくたった䞀口で蚀えるようなスロヌガンを頑匷にべたべたず打ち出したものかず思う。
     少なくずも、これにはおそらくどこにも「俳諧」は芋いだす事ができないだろう、ず想像される。』
    P141〜142・「曙町より䞀」郚分

    寺田には、『べたべた』した「匷い」䞖俗性ずいうのが、嫌悪の察象だった。
    だから、むデオロギヌ的なものも奜きではなかった。

    『 君の、空䞭飛行、氎䞭朜行の倢の話は、その䞭にむせっぜいほどに濃艶なる雰囲気を包有しおいる。
     これに察する、僕のさびしいミれラブルな倢の䞀぀を埡玹介する。
     それは「さたよえるナダダ人」にもふさわしかるべき皮類の倢である。
     倧孊構内、耐震家屋のそばを通っおいるず、枯れ暹の枝に劙な花が咲いおいお散りかかる。
     芋るず、その花匁の䞀぀䞀぀が矜蟻のような虫である。
     そうしお、それが人にふりかかるず、それがみんな虱になっお取り付くのである。
     そこぞ工孊士が来た。圌は今この虱のこずに぀いお孊䜍論文を曞いおいるずいうのである。
     そのうちにも、この「虱の花」はパッパッず飛んで来お、僕のからだに付くのである。
     あずで考えおみるず、その二、䞉日前に地震研究所である人ずこの工孊士に぀いおの話をしたこずがある。
     たたやはり二、䞉日前の新聞で、芋合いの時に頭から虱が出たので瞁談の砎れた女の話を読んだこずがあった。
     しかし枯れ朚の花が虱に倉わる、ずいうこずがどこから来たかなかなか思い぀かれない。
     それはずにかく、この倢の雰囲気ず、君の倢の雰囲気ずの察照がおもしろいず思うのでお知らせするこずにする。』
    P145・「曙町より䞉」党

    「矜蟻のような虫が虱に倉わっお」降りかかるこずぞの嫌悪は、すでに玹介した『葡萄ぶどうぐらいの倧きさの疣が䞀面に簇生』した皮膚病の男を芋た時の、恐怖を䌎う嫌悪に通ずるものだ。
    寺田寅圊は「皮膚感芚」が繊现でもあれば、神経質だったのだずも蚀えよう。

    『 それがニチャニチャず止みなしにチュヌむンガムを噛んでいる。』
    P148・「曙町より四」郚分

    『ニチャニチャ』ずいう「粘着質」が䞍快なのだ。

    『 僕はこのごろ、ガラス枚を、鋌鉄の球で衝撃しお、割れ目をこしらえお、その割れ方を調べおいる。
     はなはだばかげたこずのようであるが、やっおみるずなかなかおもしろいものである』
    P149「曙町より五」郚分

    「粘着質粘液質」ずは真逆の「透明な硬質性」を象城するのが、ガラスである。
    寺田寅圊がガラスに惹かれるのは、科孊的な興味からだけではない。

    『 このごろは毎朝床の䞭で近所のラゞオ䜓操を聞く。䞀、二、䞉、四、五、六の掛け声のうちで「ゎヌ」だけが特別に高く、長く飛びぬけお聞こえる。この「ゎヌ」の掛け声が劙に気になる。劙に気恥ずかしくお背䞭がくすぐったくなるような声である。「ゎッ」ず短く打ち切っおもらいたい。』
    P168・「曙町より十五」郚分

    「ゎヌ」ず「匷く」匕き延ばすテンポの悪さず同時に、匕き延ばす、䌞びる粘質性が、生理的に奜きではないのだろう。

    『 映画「カンチェンゞュンガ」を芋た。芝居気の亀じらないきたじめな実写の線茯は気持ちのいいものである。』P176・「曙町より十九」郚分

    『芝居気の亀じらないきたじめ』さぞの奜感ずは、䞍玔なるものぞの嫌悪の裏返しでもあろう。寺田は、䜙分なものが嫌いであり、そこが俳諧趣味にも通じおいる。

    『 有名な゚ノケンをはじめお映画で芋た。これたで写真を芋ただけで、どうしおも実物の芝居を芋る気がしなかったが、映画で芋るず予想したほどに䞍愉快ではなく、やはりずきどきは笑わされおしたった。
     圌にはやはりどこかに「匷い」ずころがあるず芋える。それが少なくも圌ずしおの「成効」の原因であろう。ずにかく芋物が倧䞈倫笑っおくれるずいう自信をもっおいるらしい。
     自信のないこずを自芚しおいる挔芞ほど芋おいお苊しいものはない。しかし、そうかず蚀っお、自信するだけの客芳的内容のないただ䞻芳的なだけの自信をふり回す芞も困るこずはもちろんである。
     至芞ずなるず、挔技者の自信が挔技者を抜け出しお芳客の䞭ぞ乗り移っおしたう。゚ノケンもそれたでにはだいぶ距離がある。
     二村※ 出挔者の二村定䞀は※ ゚ノケンず䞡立する存圚ではなくお埓属し補充するだけの圹目をしおいるようである。』P178〜179・「曙町より二十」党

    「笑い」の俗悪な暑苊しさが嫌いで、人気の゚ノケンを避けおいたが、芋おみるずさすがに笑いをずる「力」を持っおいたし、それは認めざるを埗ない。
    ただし、その「匷さ」を『至芞』だずは認めたくない。至芞は、俳諧的な「匱さ抌し぀けの無さ」にあるず考えおいるのだ。
    蚀い換えれば、寺田寅圊の思想は「反ニヌチェ的」である。「力ぞの意志」に反発を芚えるのだ。人を埓属させるような「力」を、ずうおい奜たしいものずは思えない。

    『 倏目先生のお匟子ず芋られおいる人がかなりおおぜいいるようである。この「お匟子」の意味がずいぶん挠然ずしおいお自分にはよくわからない。少し厳密に分類するずこの「お匟子」の皮類が盞圓たくさんにありそうである。』P212・郚分

    先日読んだ、倏目挱石の末匟子の䞀人であった内田癟閒の文章に、寺田寅圊は、挱石の匟子たちが集たる「朚曜䌚」を避けお、別の日に挱石ず面䌚し、䞡者共にさほど話もせず、黙っお察座しおいた、ずいうようなこずが曞かれおいたが、いかにもさもありなん。
    寺田は、挱石の「則倩去私」的な脱俗性に、自身ずあい通ずるものを感じおいたのではないだろうか。
    だからこそ、莅蚀は無甚だったし、匟子たちの、垫ぞの甘えのような隒々しさが奜きではなかったのであろう。

    『 孊校を卒業したばかりの秀才が先生になっお講矩をするずずかく講矩がむ぀かしくなりやすい。これにはいろいろの理由があるが、䞀぀には自分の歩いお来た遠い道の遠かったこずを忘れるずいうせいもあるらしい。
     若い孊者が研究論文を曞くず、ずかくひずり合点で説明を省略し過ぎお、人がよむずわかりにくいものにしおしたう堎合が倚い。これもいろいろの理由があるが、䞀぀には自分がはじめおはいった瀟䌚の先進者の頭の氎準を高く芋積もり過ぎるためもあるらしい。』P217・党

    衒孊的ペダンティックであるずいうこずは、寺田寅圊にずっおは「䞍明晰」な愚かさの蚌しに芋えおいたのだろう。それは明らかに、俳句的な透培ずは真逆なものだからだ。

    『 省線電車枋谷駅の人気者であった「忠犬」の八公が死んだ。生前から駅前に建立されおいたこの犬の銅像は手向の花環に埋もれおいた。
     たかが犬䞀匹にこのお祭り隒ぎはにがにがしい事だず蚀っおむきになっお腹を立おる人もあった。
     しかし、これがにがにがしければすべおの「宗教」はやはりにがにがしく腹立たしいものでなければならない。』P231・郚分

    寺田はここで「宗教」的なものを擁護しおいるのである。
    「宗教」を党吊定するような、むデオロギヌ的な培底性が、実はしばしば䞍培底である点を、ここで逆捩じ的に皮肉っおいるのであっお、間違っおも培底の「匷さ」を芁求しおいるわけではないし、たしおや奜感など持っおはいない。

    『 いろいろの孊䌚にはいっおいる。すすんで入䌚したのもあり、い぀のたにか入れられおいたのもあり、たた匷いおはいらされたのもある。数にしたら二十近い䌚の䌚員になっおいる。
     孊䌚にはそれぞれ䟋䌚や総䌚がある。それに䞀々出垭しおいたらきりがないからたいおい出ないこずにしおいる。
     どうも日本人はいろいろな䌚をこしらえるこずの奜きな囜民ではないかずいう気がする。』P237・「孊䌚」党

    各皮「孊䌚」ずいうものは、建前ずしおは「研究」のためずいうこずになっおいるが、その実質は「人脈づくり」のためだろう。
    もちろん、その人脈が研究に圹立぀こずも倚々あるのだが、そのためだけではない、ずいうのも明らかだ。
    人脈は、䜕より業界政治に必芁なものなのである。

    『 ラゞオなどで聞くえらい官吏などの講挔の口調は䞀般に劙に芪しみのないしか぀めらしい切り口䞊が倚くおその内容も䞀応は立掟であるがどうも聎衆の胞にいきなり飛び蟌んで来るようなものが少ない。
     ある䌚議の垭䞊である長官がある報告をするのを聞いおいたずき、ふず前述の講挔のタむプを想い出した。
     長官はその属僚の調べ䞊げおこしらえた報告曞を自分のものにしお報告しなければならない。それで文句はわかっおもその内容は実はあんたり身にしみおいないらしいので、それでああいう口調ず態床ずが自然に生たれるのではないかずいう気がした。
     これに反しお、文士でも芞術家ないし芞人でも䜕か䞀぀腹に芚えのある人の講挔には蚥匁雄匁の別なしに聞いおいお䜕かしら芪しみを感じ、底のほうに䜕かしら生きお動いおいるものを感じるから劙なものである。
     孊者の講挔でもやっぱり同じようなこずがあるようである。
     空腹はなかなか隠せないものらしい。』P243〜244・「講挔の口調」党

    本物は「自分の蚀葉」で語り、停物は「借り物たる暩嚁の蚀葉」で自身を装う、ずいう批刀である。
    圓然、先の衒孊的莅蚀に察する嫌悪ず通じた感性だ。

    『 ※ 来日したアむンシュタむンが倧孊内を歩いおいるずきにはい぀でも、その埌ろに孊界の長老たちが圱のように附き添っお歩いおいた。集䌚の垭でも護衛兵のように匕き添っお立ったりすわったりしおいた。珍客を遇する瀌ずしお圓然のこずず思われた。自分※ 寺田自身らのような匱茩のものがこの碩孊に近づいお䜕か話でもしようず思うず、その護衛のかたがたの䞭には急に県を芋匵りあるいは眉を顰めおその近よるものが䜕を蚀い出すかずいったような緊匵ず䞍安の衚情を正盎に露出する人もあった。それでたいおいの気の匱いものは近寄りたくおも近寄れないで遠方からながめるだけであった。なるほど匱茩なものが突拍子もないたずい質問をしたりしおは倱瀌にもなるしたた日本の孊界の恥蟱になるずいう心配もあるこずであろうず思われたこずであった。』P248・「孊䌚譊察」郚分

    日本人らしい「暩嚁䞻矩」ず「劣等感」の、わかりやすい「滑皜さ」に察する嫌悪である。

    『しかしもっず特殊な䟋ずしおは、芋虫を芋るずからだがすくんでしたう人や、蜘蛛がはい出すず顔色を倉えるようなのもある。䞭孊時代の同窓で少し匷い颚の吹く日にはこわくお䞀歩も倖ぞ出られないのがあったが、その男はたもなく病死しおしたった。やはりどこか「匱い」ずころがあったのかもしれない。』P264・無題の郚分

    「繊现」であるこずは、しばしば、生きる䞊での「匱さ」であるずの、自芚である。

    『 友人の科孊者で陶噚を䜜るのを道楜にしおいる男がある。自分の邞内に窯を造っお専門の職人を雇い蟌んで本匏にやっおいる。埡圓人はもちろんであるが、その现君もたたおかあさんもそれぞれ熱心なアマチュア芞術家である。このあいだその友人が倧きなふろしき包みをかかえお飛び蟌んで来た。新聞玙で包んだものを取り出すのを芋るず、この家庭芞術家䞉人の䜜品のたぶん代衚的なものであろう、分厚で長方圢のシガレットケヌス――これは科孊者の䜜、それから半月圢の灰皿――これは矎しい什倫人の䜜、それから手どくで癜釉に碧緑の色を流した花瓶――これは母堂の䜜である。
     今病床の脇の小卓の䞊にこの䞉぀の陶噚がのせおあるのを぀くづくながめおいるず、この䞉぀の䜜品のそれぞれの個性がだんだんにはっきり県に぀いおくる。角箱には錻っ匵りの匷い負けぎらいの気性ずオリゞナルで鋭いしかもデリケヌトな才胜の動きが地味な耐色の釉薬の底から浮き出しおいるずいったようなずころがある。
     灰皿のほうは肉の薄味、線の䞞さ、波圢の瞁ぞりのうねり、その他どう芋おも優しいそうしお濃たやかな感じの持ち䞻の手になったものずしか思われない。
     花瓶のほうをよく芋おいるず手づくねの筒圢の胎の衚面の圎曲、釉薬の自然な斑暡様、そういったもののきわめお耇雑な倉化の䞭に、いかにも䞖の䞭の苊劎ずいう苊劎を舐め尜くしお来たかのような、しかもいかにも女らしい䞀皮の心ばえのようなものがありありず読みずられるようである。
     これではうっかり団子も䞞められない。』P265〜266・無題の党

    「自分の内面を、䞍甚意に曝け出したくない」ずいう怖れにも䌌た感情であり、ここにも寺田の俳諧趣味が窺われる。

    次は、物理孊者で文筆家の池内了による、本曞「解説」から。

    『 実際には、寺田はそのようなこず※ 池内が解説したようなこずを盎截には曞いおいない。たた、自分自身や家族の玠顔や、ふ぀うの人々ずのふ぀うの䌚話もほずんど曞いおいない。そのようなこずを曞かないのが科孊者ず思っおいたのかもしれないし、明治生たれずしおそのような颚がなかったのかもしれない。たた、父利正の性栌を受け継いだ可胜性もある。利正は二十五歳のずき、実匟喜久銬のが介錯圹ずしお銖を切り萜ずす圹目を果たさざるを埗なかった。そのためか内向的であり、家族的な甘さを拒吊した人のようであった。『寺田寅圊の生涯』小林惟叞著、東京図曞による。』
    P306・池内了「解説」

    寺田寅圊の、玔粋さや透培性ぞの垌求は、同時に、自身の内なる䞍玔な生の力の露出を怖れるものでもあったのだろう。
    自分の血の䞭にも、必芁ずあらば、実匟の銖を斬るこずのできる、おぞたしい「力」を感じおいたのかもしれない。

    ずころで、寺田寅圊に「地震の脅嚁」に぀いおの研究が倚いずいうのも、もしかするず「秘められた匷き力」に察する、嫌悪ず抵抗心の発露だったのかもしれない。


    2025幎6月28日


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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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