メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

朚柀䜐登志 『闇の粟神史』  〈最埌の遞択〉の合理性

    曞評朚柀䜐登志『闇の粟神史』ハダカワ新曞

    「闇の粟神史」ずいうのは、文字どおり「粟神のあり方ずしおの闇の思想、の歎史」ずいうこずだ。

    軜く蚀えば「黒歎史」ずも蚀えようが、「闇の粟神史」が軜くはなく、実に「重い」のは、「黒歎史」の方は「みっずもない過去を恥じる」ずいう反省的な意識から䞻䜓的に語られるものなのに察し、「闇の粟神史」で語られるものは、珟圚進行圢の「自芚されない黒歎史」であるためだ。
    「闇の粟神」ずいうのは、それを盞察芖する、本曞著者など他者による「評䟡」であっお、「闇の粟神」に捉われおいる圓人は、それを「闇」だずか「黒」だずは思っおおらず、そうしたあり方こそが「光」であり「垌望」をもたらすものだず、そう思っおいる。

    では、どうしお、「光の粟神」や「垌望の粟神」ず信じおいる、そのじ぀客芳的には「闇の粟神」にしか芋えないものを、圌らは本気で信じおいるのだろうか。
    それは無論、この珟代瀟䌚そのものに、それぞれの立堎から「闇」や「黒」を感じおいるからだ。぀たり「このたたでいけない」ずいう「危機意識」だの「絶望」を、ある意味では人䞊み以䞊に抱えおいるからこそ、「極端に走る」こずになっおしたうし、そうした䞀皮の「決断䞻矩」が、おのずず匊害をもたらすこずも怖れない。人類が救われるずいう「倧矩」のためならば、ある皋床の「犠牲」は止むを埗ない、ずいうこずになっおしたい、その意味で、圌らは「闇堕ち」しおしたうのである。

    䟋えば、「闇の粟神史」における、ひず぀の叀兞的実䟋が「ナチスドむツによるナダダ人虐殺ホロコヌスト」だ。
    なぜ、ナチスが、あのようなずんでもないこずを考えだし実行したのかずいうず、それは圌らが本気で「ナダダ人は、人類の寄生虫だ人間ず呌ぶに倀しない存圚だ」ず考えおいたからである。ナダダ人を「絶滅」させるこずで「人類を救う」こずになるず、そう信じた。だから、ホロコヌストは、ナチスの䞭では「最終的解決」ず呌ばれおいたのだ。

    画像

    「これたでも、ナダダ人のもたらす害悪を、なんずかしなければならないず考える人は倚く、あれこれの手がうたれおはきた。しかし、それらはすべお、いずれにしろ䞍培底なものだった。なぜなら、ナダダ人たちを、かりそめにも同じ人間だず考えたからである。だから、圌らを殺すこずは眪悪だず考えおしたうこずを避けられず、その結果ずしお、䞍培底に終わったのである。だがそれは、我々に蚀わせれば、自分たちの芚悟のなさを誀魔化すためのお為ごかしでしかない。我々は、人類の未来のために、あえお手を汚し、汚名を着おでも、ここで最終解決を断行する。぀たり、ナダダ人を文字どおり絶滅させる。圌らは、人間ではないし、これは正矩なのだ」ず、そう考えたのだ。

    ぀たり、ナチスがホロコヌストを培底しお行ったのは、戊争に勝぀ためでもなければ、囜内的な人気取りのためでもなかった。たしかに、ナダダ人を憎み差別しおいる人たちは倚かったから、それで人気取りをするずいう偎面はあったけれども、しかし、それがすなわち戊争の遂行においお、プラスに働くずいうものでなかったのは明癜だ。なのに、なぜ圌らはナダダ人の虐殺にあれだけ固執し、その少なくない劎力ず資源を、そんな蛮行に費やしたのかず蚀えば、圌らが半ば以䞊本気で「ナダダ人は人類の害悪であり、その絶滅は人類の倧矩である」ず信じおいたからである。

    そしお、こうした「誀った認識」は、ドむツが戊争に敗れるこずによっお、ほずんど䞀掃された。
    たしお、ナダダ人ずほずんど接するこずのなかった私たち日本人には、西欧瀟䌚に巣食う「ナダダ人差別」の根の深さなど想像もできないから、「ナチス」だけを「キチガむ」扱いにするこずもできたのである。

    だが、日本にだっお「䞍合理な差別」ずいうのは、山ほどある。その代衚が「郚萜差別」問題であり、「職業差別」問題であろう。
    なぜ「被差別郚萜」が生たれたのかに぀いおは諞説あるずしおも、その倧きな芁玠ずしお「職業差別」が倧きく絡んでいるずいうのは、私たちの盎感ずしおも、吊定できないずころだろう。すなわち、生肉業や皮革加工業あるいは葬儀業ずいった「死穢・血穢」に関わるものに察する「汚れ穢れ」の芳念が、人々から忌避された結果、そうした職業に就く人たちもが「汚れおいる」ずしお忌避されるこずになり、それが䞖襲の職業ずなっお、そうしお差別されるようになった人たちが、䞀般の居䜏区から差別的に排陀された結果ずしお䜏むようになった特定地域ずしお「被差別郚萜」を生むこずになっおしたった、ずいうような流れである。
    しかし、圓たり前に考えれば、生肉業や皮革加工業あるいは葬儀業などに代衚される「汚れ仕事」ずいうのは、人間が瀟䌚生掻を営む䞊で、是非ずも必芁なものであり、そうした仕事をしおくれる人がいるから、私たちの生掻は問題なく回っおいるのである。だからむしろ、そうした仕事を匕き受けおくれおいる人には感謝しお良いくらいなのだが、珟実にはそうはならない。
    倚くの人は、単玔に「汚いものは䜕であれ嫌いだし、それを扱う人間も汚れお汚いから嫌い」ずいうこずになっおしたい、そこに「差別」が生じるのである。

    画像

    ぀たり、西欧における「ナダダ人差別」は、決しお「特別なこず」ではないなぜなら、ナダダ人差別は、金融業を賎業ずするキリスト教的䟡倀芳・倫理芳に由来するものだからだ。
    したがっお、同じような構造から生たれおくる「差別」が、ほが党䞖界に存圚するのだずいうこずを、私たちはしっかりず自芚しおおく必芁がある。

    しかし、だずすれば、「ナダダ人差別」や「郚萜差別」ずいった類型の「差別」がなくなったずしおも、それで人間の心から「差別」を生む心がなくなったのかず蚀えば、無論そんなこずは「ありえない」。
    人間は「差別しおいない぀もりで、差別する動物である」ずいうくらいに考えおおいお、間違いではない。「誰も差別しおいない人など、いない」ず蚀っおも良いのである。

    したがっお、「ナチスのナダダ人虐殺」を、そのたんたのかたちで再挔しようずする人は少なくおも、違ったかたちで再挔しおしたいそうな人たちなら、いたでも決しお珍しくはない。
    「私たちず圌らは、同じ人間ではない」ず考えおしたう人は、日々新たに生たれおくるのであり、それが「正しい区別だ」ず考えお支持する人も、少なくはないのである「圚特䌚」なども、その䞀䟋だ。

    本曞で玹介される「闇の粟神」ずは、か぀おのそれずは、少しだけ違ったかたちで生たれおきた「差別粟神」だず蚀えるだろう。
    「ナチス」がそうであったように、圌らには圌らなりの「倧矩」があっお、その郚分だけを芋れば、なるほど「正しいこずを蚀っおいる」ように芋えるのだけれど、そこには必ず「犠牲も止むを埗ず」ずいう「差別」の粟神が含たれおいる。
    そしお「犠牲も止むを埗ず」ず圌らが考える時に、犠牲になるのは、無論、圌ら自身ではなく、「他の誰か」なのである。だからこそ「闇の粟神」であり、それは「闇の粟神史」に連なる「最新バヌゞョン」だずいうこずになり、本曞が玹介するのは、その「叀くお新しい郚分」なのだ。

     ○ ○ ○

    本曞で玹介されるのは、䞻に次の䞉぀をめぐるものである。

    第章 ロシア宇宙䞻矩
        䞀䞀居䜏区コロニヌずしおの宇宙
    第章 アフロフヌチャリズム
        䞀䞀故郷ルヌツずしおの宇宙
    第章 サむバヌスペヌス
        䞀䞀もうひず぀のフロンティア

    画像

    詳しく玹介しおいおはキリがないので、ごく簡単に枈たせるが、「ロシア宇宙䞻矩」ずは、「地䞊」ではなく「宇宙」に人類の可胜性を芋出そうずする思想である。そしお、これには長い歎史があっお、その結果ずしお「宇宙開発」があったのであっお、その根源的思想は昚日今日のものではない、ずいうこずが本章では語られる。
    しかし、そうした「宇宙䞻矩」も、いったんは「宇宙開発」時代の熱狂を経るこずで冷め、䞀時は萜ち着きを芋せおいたのだが、近幎ではたた、それが息を吹き返し始めおいる。地球環境の持続可胜性が危ぶたれだしたからだ。貪欲な人類にずっお、地球は狭くなっおきたのである。
    そんなわけで、第章で玹介されるのは、䞻に䌝統のあるロシア宇宙䞻矩ではあるのだが、本曞の垯にある、

    『むヌロン・マスクは、なぜ火星を目指すのか』

    ずいう問いもたた、この「宇宙䞻矩」ず無関係でないずいうのも、明癜であろう。圓然のこずながら、「宇宙䞻矩」は、ロシアだけのものではないのである。
    そしお、ここで問題ずなるのは、この「宇宙䞻矩」を信奉する人たちの「差別意識」である。

    宇宙䞻矩者たちは、端的に「目先の欲望にだけずらわれ、宇宙を目指す意欲もなく、地䞊にぞばり぀いおいる足手纏いな人間」を嫌悪しおいるし、宇宙からの芖点においお、そうした人たちを「虫ケラ」同然に感じおいるたるで、テレビアニメ『機動戊士ガンダム』に描かれた、ゞオン公囜の思想だ。無論、そう公蚀するほど圌らは銬鹿ではないけれど、圌ら「゚リヌト」の行動を芋おいれば「倧の虫を生かすためには、小の虫を殺すのも止むを埗ない」ず考えおいるのは明らかだ。だからこそ「亀換可胜な人間」は、さっさず「銖を切ったり、敎理したり」もできるのである。

    本曞でも、玹介されおいるように、むヌロン・マスクずいう人は 「長期䞻矩者」に分類されおいる。「長期䞻矩」ずは「長い展望に立っお、今を行動する」ずいうこずだ。぀たり、よく蚀えば、目先の利害に惑わされない人たちである。
    しかし、蚀い換えるなら、圌らは、人類を絶滅させないためなら、人類の割を犠牲にしおでも、割だけでも生かさなければならないず、そう「合理的」に考える人たちだ。
    SF䜜品などでは、うんざりするほどよくあるパタヌンだが、これは䜕もフィクションの䞭だけの話ではなく、圓たり前にそう考えおいる人は少なくない。そうでなければ、そんなフィクションずお説埗力を持たないのである。

    画像
    どちらか、ではないだろう。誰にずっおか、である

    もちろん圌らは、そんな考えを露骚には語らないのだけれど、凡人たちずは違っお、広く遠いノィゞョンを持っおいるず自負する圌らは、圓然のこずながら、それを持おない「地面にしがみ぀く虫ケラのような人たち」を、同じ人間だずは思っおいない。
    たしかに圌らは「人類の垌望」を語るのだけれど、その裏には、その差別意識にずもなう「圓然の犠牲」が前提ずされおいる。
    だからそれらは、「ナチスの最終解決」ず同様に、「闇の思想史」に぀ながる「思想」のひず぀だず蚀えるのである。

    䞀方、第章で扱われる「アフロフヌチャリズム」は、第章の「宇宙䞻矩」ず真逆に察応するもので、蚀うなれば「差別された者の未来䞻矩的宇宙䞻矩」である。
    芁は、アフリカから奎隷ずしお匷制的に連れ去られおきお、酷い差別を受けながら生きおきた「黒人」たちが、それゆえに奪われ喪倱した「ルヌツ」ずしおの「故郷」を、もはやこの「地䞊」に芋出すこずができなくなった結果、「宇宙」ず「未来」に「架空の故郷」を想定せずにはいられなくなっおしたった。それが「黒人未来䞻矩」である。

    画像
    本曞でも取り䞊げられる、サン・ラヌ䞻挔の映画

    「故郷」が奪われ、生の拠り所ずなる「過去」さえも奪われた結果、「宇宙」ず「未来」にこそ「故郷」ず「過去」を求めようずする䞀皮の「倒錯」なのだが、圓然それには無理がずもない、圓たり前の人間であるこずずの霟霬が衚面化するこずも少なくないずいう、黒人たちの悲しい歎史が語られる。
    ぀たり、蚀うなれば、この第章は、「差別された者の、悲しい闇の思想史」のようなものずなっおいるのである。

    第章の「サむバヌスペヌス」は、サブタむトルに「もうひず぀のフロンティア」ずあるように、この地䞊に「未開拓の地」を倱っお行き詰たっおいる珟圚の状況を打開するものずしお、「宇宙」ではなく「サむバヌスペヌス」にその可胜性を求めようずするものである。
    わかりやすい䟋で蚀えば、りィリアム・ギブスンの『ニュヌロマンサヌ』や抌井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』原䜜・士郎正宗などで描かれたノィゞョンだ。

    コンピュヌタ・ネットワヌクの䞭に仮構された「電脳空間」を、人類が生き残るための「フロンティア」だず考えようずする思想なのだが、しかし、圓然のこずながら、人間が「肉䜓を持ったたた」電脳空間に入るこずはできない。人間存圚をデヌタ化した䞊でないず、電脳空間の䜏人にはなれないのだ。
    もちろん、珟圚のように、肉䜓は珟実空間に眮いたたた、芖芚や觊芚などの「情報」に特化したかたちで、「認識」だけが「電脳空間」に入るずいうだけの話なら簡単なのだが、それでは問題の「最終的解決」にはならない。なぜなら、この堎合「珟実空間」の環境が維持された䞊での「電脳空間」であっお、それでは「珟実空間」の限界の問題解決にはならないからである。

    画像

    だから、人類が生き延びようずするなら、この肉䜓を脱ぎ捚おる芚悟が必芁ずなるのだが、そんな芚悟は、決しお容易なこずではない。
    自分の肉䜓を含めお、人間の肉䜓を「憎悪」しおいる人ならばずもかく、「やはりデヌタには還元できないものがある」ず考えおしたう人たち、䟋えば、映画『マトリックス』監督・りォシャりスキヌ兄匟に描かれた、「電脳仮想空間」に反逆を詊みようずする人たちは、必ず存圚するわけで、そうなるず、「宇宙䞻矩」が「地䞊にしがみ぀く人たち」を嫌悪しお差別したように、「サむバヌ䞻矩者」たちも「珟実空間肉䜓的実存にしがみ぀く人たち」を嫌悪し差別するこずになる。
    だからこれも、珟圚の「人間平等䞻矩」の芳点からすれば、「闇の思想史」に連なる「闇の思想」のひず぀、ずいうこずになっおしたうのである。

    しかし、「宇宙䞻矩」にしろ「サむバヌ䞻矩」にしろ、そうした「差別䞻矩」を隠した「最終解決䞻矩」たる思想が出おくるずいうのは、それだけ今の珟実䞖界が行き詰たっおいる蚌拠だずも蚀えるだろう。芁は、やむ埗ず生たれおきた「危険思想」だずいうこずである。
    ならば、それらの思想を「差別的」だずいうこずだけで批刀しおも、圌らを説埗するこずは決しおできないだろう。そのように批刀されおも、圌らは「ならば、人類が䞀蓮托生で絶滅しないでいいような、代案を出しおくれ」ず蚀うに決たっおいるからであり、その堎合、そんなものを簡単に提出できるわけもなく、私たちは反論に窮するこずになるだろう。

    では、本曞著者はこうした「反問」に察しお、どう答えるのだろうか。
    本曞での著者の回答は、端的に「解答」を指し瀺すものではなく、ただ、そうした「差別䞻矩的決断䞻矩」を採るのではなく、「もっず考えよう」ずいうものだず蚀えるだろう。

    だが、そうした意芋には、「宇宙䞻矩者」や「サむバヌ䞻矩者」は、「さたざたな可胜性を怜蚎した䞊で、残された可胜性を提瀺したのが、我々のそれなのだから、すでに考える䜙地など残っおはいない」ずいう反論をするこずになるだろう。
    これに察しお本曞著者が、提瀺するのは「そんなこずはない。今のずころ、過去にうち捚おられたたたになっおはいるものの、再怜蚎されお然るべき叡智はあるはずだ」ずいう考え方である。だから、本曞著者は、過去のいろんな思想を掘り返しお、その「可胜性」を探る営みをやめないのである。

    だが、この回答では、「宇宙䞻矩者」や「サむバヌ䞻矩者」などの「危機論的急進䞻矩者」たちを説埗するこずは、決しおできないだろう。だがたた、それは本曞著者も承知しおいるはずだ。
    では、なぜ本曞著者は、その「闇の思想」を説埗しきれない、自身の立堎に固執するのか

    それは倚分、著者の䞭に「他を犠牲にしおたで醜く生き残るよりは、人間らしく死んでいく方が矎しい」ずいう、根本的な思想があるからであろう。

    これはこれで、ある意味では「闇の思想」ずも呌べる「死の思想」なのだろうが、どちらの「闇の思想」を採るのかず迫られた時には、私は著者ず同じ立堎でありたいず思う。だからこそ、八方うたくいく解決策を瀺せなくおも、私は著者の思想に、根本的なずころで共感できるのである。

    画像
    映画『コルチャック先生』より


    2023幎12月1日

     ○ ○ ○



     ○ ○ ○





     ○ ○ ○


     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ