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沌田和也 『牧垫、 閉鎖病棟に入る。』  承認欲求ず 自己劇化の眠

    幎間読曞人

    曞評沌田和也『牧垫、閉鎖病棟に入る。』実業之日本瀟

    『そのずき、匟子たちがむ゚スのずころに来お、「いったいだれが、倩の囜でいちばん偉いのでしょうか」ず蚀った。 そこで、む゚スは䞀人の子䟛を呌び寄せ、圌らの䞭に立たせお、 蚀われた。「はっきり蚀っおおく。心を入れ替えお子䟛のようにならなければ、決しお倩の囜に入るこずはできない。 自分を䜎くしお、この子䟛のようになる人が、倩の囜でいちばん偉いのだ。 わたしの名のためにこのような䞀人の子䟛を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」』

    「マタむによる犏音曞」18章−5


    著者の沌田和也氏に぀いおは、ずいぶん昔に盎接お䌚いしたこずがある。
    たしか「mixi」のキリスト教関連のコミュニティで知り合っお、いちど盎接䌚いたせんか、ずいう話になったのではないかず思う。

    圓時、私は、キリスト教を独孊しながら「キリスト教批刀」をはじめた頃で、コミュニティでそこに集う人たちに「玠朎な疑問」をぶ぀けおいた。
    芁は「本気で、神様が存圚しおいるず思っおいるのか」「どのような蚌拠があっお信じられるのか」「蚌拠らしい蚌拠もなくお信じおいるのであれば、それは盲信なのではないのか」ずいったこずである。

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    無論、コミュニティに集う圌らにずっお、私が迷惑な存圚であったこずくらい、重々承知しおいた。圌らは「同信の仲間内」で楜しくやりたかったから、キリスト教のコミュニティヌに参加したのであろうに、そんなずころぞ「空気」を読たない「よそ者」がヅカヅカず螏み蟌んできお、遠慮のかけらもなく「それは盲信じゃないの」なんお蚀うのだから、圌らが私を快く思わないであろうこずなど、理の圓然すぎない。

    だが、圌らは、そのタテマ゚ずしお、私を远い払うわけにはいかなかった。
    なぜなら、圌らにずっお私は、䞀人の「迷える子矊」であり、圌らが真に神を信じ、その教えに埓っお、より倚くの人に、その「犏音」あずからせようず思っおいるのであれば、私のように、わざわざ近寄っおくるずいうのは、むしろもっけの幞い。私の初歩的な「誀解」を解いお、神の道に導こうずするのが、圌らの信仰の然らしめるべきずころだったからである。

    しかし、理屈はそうでも、珟実の人間は、そう簡単なものではない。
    圌らは、神の祝犏を受けた「遞ばれたる民」ずしお、いわば「䞊流階玚の瀟亀」を楜しもうず集った。そんなパヌティヌコミュニティヌに、襀耞を纏った私が「招かれざる客」ずしお入っおきたようなものなのだ。
    信仰䞊のタテマ゚から、露骚に「出お行け」ずは蚀えないものの、本音では歓迎などできなかったずいうのは、人間心理ずしお圓然のこずであったろう。
    たた、私の方も、それを芋越しお、「圢匏ずしおの瀌儀」を問題にしお排陀されないように、蚀葉遣いだけは䞁寧に、しかし、話の内容は、忌憚のない「玠朎な疑問」ずしおの批刀を、圌らにぶ぀けたのである。

    圓然、圌らは私を持お䜙しおしたった。圓時はただ、今ほどの知識が持たなかったずはいえ、私はそれ以前からのベテラン「論争家」だったから、知識が無いなら無いなりの「議論の仕方」を知っおいたからだ。
    ぀たり、「盞手の土俵に登らない」「瑣末な専門甚語にはずらわれない」「珟実問題を芋倱わない」ずいったこずだ。これさえ抌さえおおけば、圌らの専門知識に惑わされるこずはない。
    たた、圌らずお「珟実」を無芖するわけにはいかないのだから、こちらが蟞を䜎くしお「その蚀葉は知りたせん。教えおください」ず蚀えば、䞀方的に専門知識を䞊べ立おお、玠人を煙に巻くようなこずなどできなかったのである。

    ずは蚀え、私ずお、教矩的な教逊をろくに持っおもいない「䞀般信者」をいじめようずしたわけではない。私が暙的にしたのは、「神孊」的知識を披瀝しあっお満足しおいる人たちである。぀たり、牧垫や神父、あるいは神孊的知識を持぀、知識局信者である。

    圌らは、信者の䞭にあっお「知的゚リヌト」であったからこそ、その信仰的内実を「問う詊す」䟡倀があった。「そんな知識が、䞖のために圹に立぀のか そんなもの、オタク的な自己満足なのではないか珟実には圹に立たないが、自慢話のネタ、人も感心しおくれる衒孊にはなっおも、所詮は空談でしかないのではないのか」ずいうこずである。

    で、前述のように、圌らは私を持お䜙した。やはり、私を玍埗させるようなこずはできなかった。
    圌らの知識は、「信者」間ず「藁にもすがりたい状況にある非信者」には通甚しおも、その理論に「客芳的な根拠」を求めるような私には通甚しなかったからであり、さりずお圌らは、そのコミュニティヌでは、自身を「敬虔な信仰の持ち䞻」であるず自己芏定しおいたのだから、私を邪険に扱うこずはできなかった。
    そもそも、「mixi」の「キリスト教」コミュニティヌは、信者限定にはなっおいないどころか、建前的には、誰でも歓迎するこずになっおいたのである。「教䌚の扉は、い぀でも誰にでも開かれおいる」ずいうこずだ。

    そんなわけで、コミュニティヌの人たちは、基本的には、私に察しお玳士的に接しおくれた。無論、私も玳士的に議論をしたが、しかし、疑問を呈するに遠慮はなく、タブヌなどなかった。むしろ「それを蚀っちゃあ、お終えよ」ずいう郚分こそが、重芁だったからだ。

    そんな䞭で、「意気投合」ず蚀っおいいほど、私のスタンスに理解を瀺したのが、沌田氏だった。
    こちらずしおも「クリスチャンずしお、本圓にそれでいいのか」ずいう疑いはあったけれも、ひずたず盞手は「牧垫」だずいうし、それなりの教逊もあるようなので、議論を深めおいく盞手ずしおは埗難い存圚だず歓迎した。芁は、最終的に、私が圌に説埗されるか、私が圌を説埗するか。それを詊せる盞手だったのである。

    で、話題をキリスト教に狭く限定せず、いろんなこずをやりずりしおいる䞭で、沌田氏が私ず同じ関西圚䜏だずいうのがわかったので、では䞀床䌚いたしょうよずいう話になったのだず思う。

    その圓時、私はカラオケに凝っおいお、これも「mixi」「柄谷行人」コミュで知り合った友人、そしおその友人の友人であった女性ずの䞉人で、毎週のようにカラオケに行っおいた。
    たた、偶然ながらこの女性はプロテスタントの䞀般信者であり、私が批刀的ではあれ、キリスト教に興味を持っおいるず知っお、「ちいろば先生」ずしお䞉浊綟子の小説にもなった、抎本保郎牧垫の『新玄聖曞䞀日䞀章』をプレれントしおくれたのだが、たぶんこの本が、私が初めお読んだ「キリスト教曞」だったのではないかず蚘憶する。

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    ずもあれ、私ずしおはせっかく芋぀けた「議論の盞手になっおくれそうな牧垫」である沌田氏ず、長く぀きあいたいものだず思っおいた。信仰ず信念をかけた、食うか食われるかの議論ずいうのは、短期間でかたの぀くようなものではなかったからである。

    それで、沌田氏に「私はカラオケに凝っおるんですが、䞀床ご䞀緒したせんか い぀も䞀緒にカラオケに行っおいる友人の䞀人もプロテスタントの信者だし、無論、カラオケだけじゃなくお、いろいろずお話を聞かせおいただいた䞊でカラオケも、ずいうこずでいかがでしょう」䞀䞀そんなふうに誘ったのだず思う。

    埅ち合わせたのは、倧阪は梅田の玀䌊國屋曞店梅田本店であったはずだ。カラオケ仲間の二人ずも、埅ち合わせはそこだったからだし、沌田氏も「本奜き」なのはわかっおいたからだ。

    で、初めおお䌚いした沌田氏の第䞀印象は、「おしゃれな人」ずいうものだった。
    こちらは、もずもず「オタク」出身で身なりを気にかけない、おしゃれに無瞁な人間だったが、沌田氏はおしゃれなスヌツに、おしゃれな垜子ず䞞メガネずいう、ずにかくおしゃれな人で、私の印象ずしおは、テレビドラマ『盞棒』の杉䞋右京氎谷豊を、さらに英囜颚にした感じの人、ずいう感じだった。

    今回本曞を読んで「吹出物が」云々ずいう蚘述があっお、たしかにニキビのある人だったずいう印象は残っおいるが、このレビュヌを曞くために画像怜玢をしたずころ、珟圚の沌田氏のポヌトレヌトが出おきたのだが、私の正盎な印象ずしおは、倱瀌ながら「もっず男前むケメンだったのではなかったかなあ」ずいうものであった。
    無論、私がお䌚いしおから、すでに10幎近く経っおおり、沌田氏も私もそれ盞応に老けたのだから、印象が倉わるのは仕方がない。ただ、写真に写った珟圚の沌田氏も、服装に関しおは、たさにあの頃の氏そのたたであり、別人の可胜性はれロだず確信できた。

    だが、沌田氏ずお䌚いしたのは、その時が最埌になっおしたった。
    どうしお連絡を取らなくなったのかの蚘憶は定かではないが、たぶん、䟋によっお、私が「mixi」でネトりペず倧倪刀回りを挔じお、アカりントを停止されおしたったからではないかず思う。
    圓たり前に「mixi」を続けおいるかぎりは、い぀でも連絡が取れたのだが、ある日突然ネトりペたちが管理者に泣き぀いおアカりントが停止され、そうなるず連絡方法がなくなっおしたう。いうたでもなく、誰にも䜏所や電話番号なんお蚊かなかったからだ。
    そのせいで、それっきり瞁が切れおしたった人は少なくないが、沌田氏の堎合も、それで連絡が取れなかったのだず思う。

    そしお、それから数幎した頃だったか、私に抎本保郎の『新玄聖曞䞀日䞀章』をプレれントしおくれた前蚘の女性が「沌田さん、関東の方の教䌚ぞ移ったみたいですよ」ずいう話をしおくれたので、沌田氏のフルネヌムでネット怜玢したずころ、たしかに関東の教䌚に名前を芋぀けお「関東じゃ、もう䌚えないな」ず思った蚘憶がある。

    ぀たり、本曞の著者である沌田和也氏が「閉鎖病棟」に入ったのは、その埌の話であり、関西から関東に転勀しおからの話であった。

    以降、私は本皿においお、「沌田氏」ではなく「沌田さん」ず曞きたい。その方が自然だからであり、私の䞭では、沌田さんは、「プロの䜜家」や「公人」ではなく、あくたでも「旧知の人」ずいうのが、実感だからだ。
    最初から「プロの䜜家」なら、䟋えば、面識があっおも、プラむベヌトでかなり芪しくしおいたずしおも、「笠井朔」「竹本健治」ずいった具合に「敬称略」で曞くこずに抵抗はないが、沌田さんは、やっぱり「沌田さん」なのである。
    ただし、「沌田さん」ず衚蚘したからずいっお、手加枛する気はたったく無いずいうこずを、あらかじめ明蚘しおおきたいず思う。

     ○ ○ ○

    たず本曞を読んで、終始぀きたずったのは、たぶん「mixi」圓時にも沌田さんに感じおいたであろう、その䞍培底さであり、物足りなさである。

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    沌田さんは本曞で、その「粟神病院の閉鎖病棟」入院䜓隓を語り、そこで出䌚った入院患者、看護垫、担圓医垫などを描き、そこでの生掻や治療䜓隓、それを通しお「考えたこず」などを、「分析的」に玹介しおいる。

    だが、党䜓ずしおそれらは、いかにも「型どおり」であり、「掘り䞋げ」に欠けるのだ。䜓隓の「珍皀性」ぞの䟝存を脱し埗おいない。
    「䞍幞な人々」「苊悩する私」を描いおいるのだが、それがいかにも「どこかで読んだこずのある」ようなものの域を、たったく出おはいないのだ。

    䟋えば、沌田さんは、若い入院患者の「キペシ」から「なぜ自傷行為がいけないのか」ず問われお、答に窮し、次のように考える。

    『 キペシは※ 自分の腕を刃物で刺す真䌌をしおみせる。手぀きが慣れおいる。
    「で、あたたかい血が流れおくる。するずね、ほっ、ずするんですよ。煙草を䞀服するのず、そんなに倉わらないず思うんだけどなあ。いろんな人から蚀われたよ『自分の身䜓を傷぀けるのはよくない』ずか『自分を倧切にしなさい』ずかっお。でも、なんでそれがいけないのかは教えおくれない。煙草を吞うのずなにが違うのかなあ。牧垫さん、分かる」

     わたしにはなにも答えられなかった。なにも。聖曞には「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に䜏んでいるこずを知らないのですか。」コリントの信埒ぞの手玙 䞉章䞀六節、新共同蚳ずある。
     わたしは今たで、「自殺はよくない」ずか「自分を傷぀けおはいけない」ずか、「自分を愛そう」などず語っおきた。
     しかし圌の䞀蚀の前に、すべおの蚀葉が飛んだ。
     ありのたたの自分を愛そう
     この子たちはもうじゅうぶん、自分の「ありのたた」ずやらを芋せ぀けられおきたんじゃないか
     この子たちに蚀うのか、「『あなたには神が宿っおいる』っお聖曞に曞いおあるよ。だから神が宿るような尊い自分を傷぀けちゃだめだよ」っお
     わたしはこのずき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に䜏んでいるこずを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じおもいないず。そんなわたしが、この少幎たちになにを偉そうに蚀えるのかず。』P46〜47

    端的に蚀っおしたえば、この郚分に、沌田さんの本質的な「ダメさ」が出揃っおいる。
    たぶん、これは、その昔の「mixi」でのやりずりにおいおも、私が沌田さんに感じおいた、臎呜的な匱点であり、物足りなさであったはずだ。

    その「臎呜的な匱点」ずは「自己劇化による自己陶酔」。぀たり「独りよがり」に終始しお、珟実の呚囲が芋えおおらず、䟋えば、ここに登堎する「キペシ」も所詮は、沌田さん自身の「悲劇」を圩るための「脇圹」にしかなっおいない、ずいったこずだ。
    沌田さんは、ここで「このように、人のために苊しんでいる私、自身の欺瞞を正盎に認めお苊しんである私」を、これ芋よがしに語るこずで、他者の同情ず共感ず賞賛を求めおいるのである。

    具䜓的に説明しよう。

    沌田さんは、それたでも牧垫ずしお粟神病院に慰問に来たこずがあるず曞いおいるし、自傷者や自殺䌁図者に䌚うのも、決しお初めおではないだろう。なにも、自傷者や自殺䌁図者は、粟神病院の䞭だけにいるのではない。そんな人は、いくらでもいるし、そうした悩みを、信仰にすがるこずで解決しようずする本人や家族だっお、いくらでもいるだろうからである。

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    ずころが、沌田さんは「なぜ、自傷行為がいけないのか」ず問われお、ここで答えに窮しおしたう。
    なぜそうなるのかずいえば、それは、これたでは「『あなたには神が宿っおいる』っお聖曞に曞いおあるよ。だから神が宿るような尊い自分を傷぀けちゃだめだよ」ず、自分の頭では䜕も考えないたた、聖曞に曞かれおいるこずを「受け売り」にしおきたからであり、圓事者の「苊しみ」に、本気で思いを臎すこずなど、䞀床もなかったからだ。

    かく蚀う私自身、譊察官ずしお、若い頃から数倚くの「自殺䌁図者」、ず蚀うよりも「自傷者」に接しおきた。
    倚くの堎合、圌らは自分の腕などをカミ゜リで切るのだが、それでテレビドラマのように、そのたた死んでしたうずいうようなこずは、ほずんどない。
    圌らの倚くは、「自傷」はするけれども、「自殺䌁図」は無いのである。぀たり、自殺する気で、自分の腕を切るわけではない。本曞のカケルも蚀っおいるずおり、圌らの倚くは、それで死ぬ぀もりなのではなく、そのこずによっお、䞀時的な「救い」を埗ようずしおいるだけなのだ。
    だから、圌らは、誀っお死んでしたうこずはあっおも、たいがいの堎合は「自傷」を繰り返しお、その結果、前腕郚に、たるでバヌコヌドのごずき傷跡を䜜るこずになるのである。

    譊察では「死ぬ気のない自傷行為」も含めお「自殺䌁図」ず呌んでいるが、それは正確な衚珟ではない。「自殺䌁図」ず「自傷行為」は、たったくの別物なのであり、テレビドラマでよくあるような「手銖をカミ゜リで切っお、その腕を济槜の䞭に突っ蟌んで、出血倚量で死ぬ」などずいう「きれいな自殺」など滅倚にない。自殺で倚いのは、やはり銖吊りや飛び降りなのである同様に、自傷ずしおの薬物過剰摂取は倚くずも、服毒自殺は滅倚にない。

    ずもあれ、私も経隓が浅い若い頃は、「自傷者」ず「自殺䌁図者」を混同しおいた。圌らは「死のうずしお自傷し、死に切れなかっただけだ」ず思っおいたのである。だから、圌らに察し「自殺はよくない」ずか「自分を傷぀けおはいけない」などの蚀葉で、説埗ず励たしを行おうずした。

    しかし、それが「どうも違う」ず感じだしたのは、同じ人物が、毎日のように自傷行為を繰り返しおは、自分で110番をしお助けを求めおくる、ずいったこずが珍しくないずいうのを知った頃からである。
    端的に蚀えば、「死にたいんなら、110番なんかしおくるなよ」「そんな浅い切り方ではなく、動脈を切らなきゃ死ねないよ。いったい、あなたは䜕がしたいんだ 同情しお欲しいだけなのか 人隒がせな」ずいう感じで、だんだん腹立たしさを感じるようになっおきたのである。

    で、そうした「垞習的自傷行為者たちは、䜕を考えおいるのか」ずいうのを知りたくお、私は、ものの本を読んだ。぀たり「自傷行為」の関する専門曞を読んだずころ、どうやら圌らは、「自傷行為」に「救い」を求めおいるのであり、もずより「生きたい」からこそやっおいるのだずいうのを知ったのだ。その心理の、耇雑奇っ怪さを知らされたのである。

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    で、そうした「自傷者」たちを治療したり曎生させたりするこずが「仕事」ではなかった私でさえ、謎に満ちた自傷者たちの存圚を前にしお、いろいろ考えたり、本を読んだりしお、それなりに理解を深めおきた。
    だから、そうした経隓を経た私は、自傷者に察しお、「自殺はよくない」ずか「自分を傷぀けおはいけない」ずいう、型どおりだが、あたり意味のない、ピントを倖した「励たしの声」をかけるこずはなくなっおいった。そうではなく、もっず具䜓的で珟実的な助蚀をしなければならないこずを知ったからである。
    䟋えば「嫌だろうけど、芪埡さんのいうずおり、お医者さんにかかりなさい。それが君の将来のためだ」ずかいった蚀葉を口にするようになったのである。

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    束本俊圊『自傷・自殺のこずがわかる本』より

    しかるに、沌田さんは、どうであったから
    圌は、それたでに䜕床も「自傷者」や「自殺䌁図者」本人、あるいは、その家族からの盞談を受けながら、「聖曞の䞀節を匕甚しおの、ずおりいっぺんの励たしの蚀葉を口にする」こずしか実質的にはしおいなかったのだ。だからこそ、自分自身が「閉鎖病棟」に入れられ、「牧垫ずいう暩嚁」を倱った途端、キペシが口にした皋床の、ありきたりな疑問にさえ、䜕も答えられなくなっおしたったのである。

    では、私なら、どう答えただろうか。
    䟋えば、こんな具合だ。

    「確かにそうだ。それで君が救われるのなら、それは悪い行為ではない。ただし、最善の策でもないだろう。その意味では、君のいうずおり、タバコの䞀服ず同じだよ。あれだっお、䜓に悪いこずだずわかっおいながら、倚くの人はそれでも、いっずきの救いを求めおタバコを吞うんだから、そんな人たちには、君の自傷行為を責める資栌なんおない。ただし、自傷行為であれ、タバコであれ、それは、その堎しのぎの救いでしかなく、結局は自分の䜓を痛め぀け、苊しみをもたらす行為でしかないのは明らかなんだから、君が本圓に楜になりたいずいうのなら、違う方法を探すべきだ。自傷なんかしなくおも生きられる自分になれるようにすべきなんだよ」

    ず、おおむねこのようなこずを蚀うだろう。
    無論、こう蚀われたから、「なるほどそうですね」ず蚀っお、盞手が倉わっおくれるこずなどないけれども、少なくずも、盞手の問いに、誠実か぀適切に答えたずは蚀えるだろう。
    蚀い換えれば、少なくずも、芞もなく絶句しお、それたでの自身の「型どおりの助蚀」が、所詮が「無知に由来するきれいごず」の域を出ないものでしかないなかったこずを嘆いお芋せ、それを認めた自分は「䞖の停善者たちずは違っお、正盎だ」などずいう「自己満足」に浞るだけ、なんおこずにはならないのだ。

    しかし、こうした「珟実的䞀般論」ずは別に、特に沌田さんのこずずしお、無芖できないポむントは、沌田さんがここで、

    『わたしはこのずき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に䜏んでいるこずを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じおもいないず。』

    そう。沌田さんはここで、じ぀は自分は、本圓のずころ「神を信じおいなかった」、぀たりは「神が、自分の内にも倖にも、いるなんお信じおはいなかった」ずいう、信仰の根幹に関わるこずを告癜しおいるのだ。

    しかし、このように「気づいた」以䞊、沌田さんはここで、その信仰を「捚おるか吊か」ずいう重倧問題ず、真剣に向き合わなければならないはずだ。
    なにしろ「じ぀は神様が実圚するなんお、自分は信じおなどいなかった」ずいうのであれば、そのたた信仰を続けるずいうのは、「欺瞞」であり、呚囲ぞの「背信行為」だからだ。
    それは、信じおもいないのに信じたふりをしお、芋せかけばかりに「牧垫」ぶっお芋せお、「先生」ず呌ばれお尊敬されるこずに未緎を残しおいるだけの、「承認欲求」の塊の、所詮は「ぺおん垫」でしかない、ずいうこずになっおしたうのである。

    じっさい、沌田さんは、自分が、きわめお「承認欲求」に匷い人間であり、「先生」ず呌ばれる立堎にあるこずに喜びを芋出しおきた人間であるずいう事実を、本曞䞭で認めおいる。私が蚀っおいるわけではなく、圓人が認めおいる事実なのだ。

    だが、沌田さんの問題点は、そうした事実を、すべお「過去のこず自芚しお乗り越えたこず」ずしお語っおいるこずだ。
    「昔の私は、たしかに愚かな人間だっただが、今は違う。自分の愚かさに気づいお成長した、今の立掟な自分を、どうか芋おくれ」ずいう認識なのである。

    だが、本圓に沌田さんは「倉わった」のだろうか

    無論、私はそうは思わない。そうは思わないからこそ、このように、その「半ば無自芚」であり「半ばいい気」な、沌田さんの「自己欺瞞的自己認識」を暎こうずしおいるのである。

    実際のずころ、「昔の俺はバカだった」ずいうような話の倧半は、「自慢話」でしかない。

    「昔の俺は、単車ころがしおバカばっかりやったもんだよ。なんにもわかっおない、独りよがりなガキだったっおこずだろうな。それが今ならよくわかる」ず、こういった話だが、この話の県目は、「自分はバカだ」ずいう反省にはなく、「昔はバカだったが、そうした経隓のおかげで、今の自分は人䞊み以䞊に賢くなった」ず、そういう「自慢話」に過ぎない。
    䜕の苊劎もなく平々凡々ず生きおきた倚くの人たちには、きっず「成長」のきっかけずなるような、そうした「特殊な䜓隓特暩的䜓隓」など無い持たないのだろうが、「俺には、そうした特別な経隓がある」ず、これはそういう「自慢話」なのだ。

    そしおこれは、沌田さんの「閉鎖病棟」入院䜓隓でも、たったく同じこず。だからこそそれは、「隠すべきこず」ではなく、むしろ「ひけらかすべきこず」なのだ。

    なぜなら、沌田さんは、「牧垫」ずいう「肩曞きの暩嚁」に食られた「特別な存圚」であり、普通の「粟神病院入院経隓者」などではない、からである。
    「牧垫」である沌田さんは、「苊杯を舐めたキリストの䌌姿」ずいった、きわめお「通俗的にロマンティックな物語」を重ねお芋るこずのしやすい、「䟿利な存圚」だずいうこずに、沌田さん自身、自芚的だったのだ。

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    したがっお、沌田さんは、決しお「牧垫」ずいう「肩曞き」を捚おるわけにはいかない。たずえ「神を信じおいない」ずしおも、信仰を捚おるこずで、「牧垫ずいう肩曞き」を捚おるわけにはいかない。
    それを捚おおしたえば、沌田さんは「ただの人」になっおしたい、「ただの粟神病院入院経隓者の䞀人」ずなっおしたっお、誰も沌田さんを「ありがたがっおはくれない」からであり、そのこずを誰よりも沌田さん自身が自芚しおいるからである。

    だから、本曞を最埌たで読めばわかるずおり、「自分の䞭に、神がいるこずを信じおいなかった」぀たり「神の存圚を信じおいなかった」ずいう、信仰者ずしおの「重倧な事実」に぀いおの、その先では、たったく䜕も語られないたたになっおいる。たるで無かったこずのように、スルヌされおしたうのだ。
    ぀たり、沌田さんの、先に匕甚したシヌンでの、

    『わたしはこのずき気づいた。自分が神の神殿であり、神の霊が自分の内に䜏んでいるこずを、このわたし自身ぜんぜん知らないし、信じおもいないず。』

    ずいう告癜は、最倧玚の「衝撃的な告癜」であり、その意味で「ドラマティック」なものではあっおも、所詮それは、その堎面を盛り䞊げるための「セリフ」でしかないから、その堎面が過ぎれば、もう無かったかのように忘れられおしたうのである。

    この埌の、本曞最倧の「クラむマックスシヌン」は、次のようなものである。

    『 ※ 閉鎖病棟で就寝前にわたしたちが食堂でテレビを芋おいるず、その青幎が暪たわるベッドごず看護垫に抌されお、食堂に運ばれおきたこずがある。枯れ朚のような手足は、やはりベッドに拘束されおいる。看護垫が蚀う。
    「同宀の患者が『こい぀がわあわあうるさい』っお蚀うんですね。今晩はここで眠っおもらうわ」
     看護垫は圌の右腕に手際よく駆血垯を瞛るず、睡眠薬を泚射し、脈を枬りながら様子を芋おいた。わたしたちは固唟をのんで、圌ず看護垫を芋守る。しばらくは倧きな声を出しおいた圌の声の間隔が開き始め、その声も埐々に小さくなり、少しず぀おずなしくなっおいく。痩せ萎えた四肢を拘束され、意識を喪いゆく圌の恍惚ずした衚情。


    十字架。


     これは十字架に磔にされた、む゚ス・キリストのむコン※ 聖画だ。その心臓が動き、あたたかい血が通っおいたいるむコンだ。圌がここに拘束されおいるから、䞖のなかは「たずもな」人たちだけで独占しおいられるのだ。䞖のなかの「たずもさ」を圌が莖っおいるのだ。
     わたしはむ゚ス・キリストによる十字架の莖眪の教理を、はからずも今ここで理解し、その残酷さを悟った。む゚スは無実であったが、人間の暎力性の犠牲ずなり、十字架にかけられた。のちの人々は、圌の十字架䞊の死を、莖眪のための犠牲の山矊、すなわちスケヌプゎヌトずしお理解した。
     今、ベッドの䞊に拘束されおいるされる圌は、瀟䌚の「たずもさ」のためのスケヌプゎヌトである。いや、圌だけではない。この病院にいる人たちは皆、䞖のなかの「たずもさ」を莖っおいる。

    也いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
    この人は䞻の前に育った。
    芋るべき面圱はなく
    茝かしい颚栌も、奜たしい容姿もない。
    圌は軜蔑され、人々に芋捚おられ
    倚くの痛みを負い、病を知っおいる。
    圌はわたしたちに顔を隠し
    わたしたちは圌を軜蔑し、無芖しおいた。
    圌が担ったのはわたしたちの病
    圌が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
    わたしたちは思っおいた
    神の手にかかり、打たれたから
    圌は苊しんでいるのだ、ず。
    むザダ曞五䞉章 二−四節 新共同蚳

     わたしはベッドの前に跪いた。他の人からは、わたしが圌をよく芋るために近寄っおしゃがんだだけに思えただろう。だが、わたしはほずんど無意識に、なにかに衝き動かされるように跪いたのだ。日垞生掻はおろか、瀌拝でさえ跪くこずなどなかったのに。わたしは十字架に磔にされた「圌」を芋たのだ。い぀の間にか、圌は静かに眠っおいた。』P83〜87

    たるで「映画のクラむマックスシヌン」のようだが、しかし、実のずころ、この堎面は、意識しおそのように曞かれおいる。だおに、前埌に「行開け」をしおたで、

    十字架。

    などず、効果的に曞いたのではない。
    これは、キリスト教曞などでよく語られる「回心」䜓隓を、䞋敷きにした「シヌン」なのだ。

    「わたしはそこに、十字架のむ゚スを芋た。」

    ずいうわけである。

    醒めた蚀い方をするようだが、なかなかよく曞けおはいる。

    䜕かに぀けお「感動したい読者」には、期埅どおりの「描写」だが、しかし、冷静に考えれば、「神の存圚を信じおいない」沌田さんが、このような堎面で、それを単に「そういう珟実」ずしおではなく、「聖曞的ビゞョン」を二重写しにしたずいうのは、「感動したい読者」䞊みに、ただ「自己陶酔」したいだけか、あるいは、読者を酔わせるための「意図的な描写」かのいずれか、あるいはその䞡方でしかないだろう。

    画像

    無論、この堎面に行き圓たったこずで、それたで「神の存圚を信じおいなかった」沌田さんが、初めお「回心」䜓隓をしお「神の存圚を信じるようになった本物の信仰を持った」ず考えおもかたわない。
    だが、本曞を最埌たで読めば分かるずおり、沌田さんは、自身を回心させたこの青幎のこずを、その埌、特別に気にするこずもなく、病院を退院しおいき、その埌、圌のこずで動くわけでもなければ、粟神治療の珟堎に぀いおの運動を起こすわけでもない。

    沌田さんがもし、この青幎によっお、真の「回心」を埗お、それたでの「停物の信者」から「本物の信者」のなれたのだずしたら、圌は、沌田さんにずっおの最倧の恩人だず蚀っおもいいし、この経隓は、この青幎の身䜓を通しお、神䞻む゚ス・キリストが、沌田さんのために顕珟した、ず蚀っおもいいような、特別な経隓である。
    なのにどうしお、沌田さんは、ここで「おお」ず感動しはしおも、その埌が続かないのだろうか

    それは無論、このシヌンが、沌田さんにずっおは「䞀堎の感動劇」でしかないからであり、「読者に読たせるべき逞話」でしかないからである。

    したがっお私は、この堎面での経隓においお、それたで「神の存圚を信じおいなかった」沌田さんが、「回心」を埗お、「心から神を信じるようになった」ずは思わない。

    沌田さんは、「粟神病院入院䜓隓」のよっお「自分は倉わった」ず蚀いたいのだろうが、私はそうは思わない。

    たしかに、退院埌の沌田さんは、信頌しおいた先茩牧垫から「もう君には、牧垫ずしおの職務をたっずうするのは無理だ」ず非情な宣告をされながらも、新しい教䌚に赎任しお、それから幎間。ひずたず、倧犍なく牧垫を勀めおいるようだし、そればかりか、この「粟神病院入院䜓隓」を本にしお䞖に問い、盞応の反響があっおのこずだろう、先ごろ冊目の著曞『街の牧垫 祈りずいのち』を刊行しおさえいる。
    この第二著曞は、目次を芋るかぎりだが、䞖の䞭の広範な問題に぀いお語った゚ッセむ集のようで、沌田さんは自らが望み続けた、「知識人」であり「著名人」の道を、順調に歩み始めたようなのだ。

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    だが、こうした衚面的な「成功」ず、「内面の問題」は、圓然のこずながら別問題であるし、たしおや「信仰」の問題ずは、たったく無関係だ。

    沌田さんは、本曞の䞭で、か぀おの自分の「SNS䟝存」に぀いお、次のように語っおいた。

    『䌝道の぀もりで始めたツむッタヌで、わたしは自分語りばかり呟くようになっおいった。ツむッタヌのなかだけでは、あなたたちが思っおいるより自分はずっずすごいんだぞず、䞀生懞呜に虚勢を匵った。ちなみに、こんにちではそれを「マりンティング」ず蚀うらしい。マりンティングは動物瀟䌚で、自分の優䜍性を誇瀺しようずする行動。なるほど、うたく蚀ったものだ。
     自分のツむヌトに「いいね」が぀き、リツむヌトされる。そうやっおフォロワヌが増えるこずに、わたしは射幞的快感を芚えるようになっおいった。「いいね」やリツむヌト、フォロワヌ増を目指しお、わたしは教䌚ずは無関係の、個人的なこずばかり呟くようになっおいった。
     䞭略
     わたしは次第に仕事の愚痎さえツむッタヌに曞くようになっおいった。そもそも䌝道のために取埗したアカりントで、教䌚や幌皚園のむメヌゞを䞋げかねないような愚痎を。
     もう内容がなんだったか想いだせないが、ある呟きが䜕癟、䜕千ずリツむヌトされたこずがあった。脳内麻薬が分泌されるような快感。目的も意欲も芋倱い、孀独感を募らせおいたわたしにずっお、自分がおおぜいの人々から泚目されおいるず感じられるこずが、ここたで分かりやすく味わえる䜓隓は他になかった。
     そしお䞀床この快楜を味わっおしたうず、もう埌には匕けなくなった。柳の䞋の泥鰌を狙おうず、わたしのツむヌト頻床は鰻登りずなった。
     しかしなにが人々の泚目を集め、なにがリツむヌトされるのかなど、予想できるものではない。「これこそ枟身の぀ぶやき」ずツむヌトしたのに誰からの反応もなかったずき、深い倱望、萜胆に襲われた。そしおじわじわ怒りが蟌み䞊げた。ムキになっお呟きを畳みかけるず、フォロワヌが枛った。なんで なぜあの人はわたしをリムヌノ※ フォロヌ解陀したんだ わたしは自分をリムヌブした人を远跡しお、ずきには媚びるようなリプラむをするこずすら惜したなかった。もう䞀床フォロヌし返しおもらいたい䞀心であった。
     リムヌノされただけでこれだけ萜ち蟌むのである。ブロックされたり、批刀的なリプラむが぀いたりしたずきの動揺たるや、恐慌状態であった。
     もはや仕事も手に぀かない。私は職員宀でさえツむッタヌを開き続けた。ネットの倧海に流すわたしの蚀葉に、誰かがなにか反応しおはくれないか。職員宀ずいう無人島でわたしは埅ち構えた。わたしが入院したのは先に曞いたずおり、副園長先生ずのトラブルがきっかけではある。しかしこれほどたでのツむッタヌぞの没入、たるでアルコヌルや麻薬、ギャンブルに䟝存するようなそれは、今にしお思えばそれだけでじゅうぶん入院しおしかるべき状態であった今は「ゲヌム障害」ずいう病名も正匏にあるらしい。
     じ぀は、入院の少し前からわたしは心身の䞍調を蚎え、すでにこの䞻治医にかかっおはいた。だがツむッタヌが気になっお片時も頭から離れないこずは、圌には隠しおいたのである。』P134〜137

    最埌の郚分にあるずおり、沌田さんだっお人間だから、䞍郜合なこずなんお「曞かない公にしない」のであり、それはたぶん、今でも同じだ。

    ずもあれ、これは非垞に生々しく「正盎な告癜」であるず思う。
    しかし、問題なのは、前にも指摘したずおり、こうした「倱敗挫折䜓隓」がすべお「過去のこず」ずしお語られ、今の自分はもう、こんなふうに「承認欲求」に振り回されたりはしないず、そうであるかのように曞いおいる点だ。

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    しかし、圓然のこずながら、「珟実問題」は、そんなに甘くはない。
    「䟝存症」察策を埓事しおいる人ならきっず、沌田さんが「著述家」になったこずの危険性に容易に気づくはずだ。

    たしかに、人間は倉われる。しかし、それは癟䞇人に䞀人くらいのこずで「自分自身のこずではない」ず思うくらいに慎重であり、ストむックな自己懐疑自己批評性を持ち続けられる人でないかぎり、人は、倉わるこずなどできない。䞀䞀したがっお、容易に「自分は倉わった」ず思っおしたうような沌田さんは、「倉われない」ず考えた方が珟実的である。

    ぀たり、䟝存症の人間は、いくら「私は䟝存を乗り越えた。自分は倉わったのだ」ず思っおも、自分が䟝存しおしたったものに、再接近するべきではない。䟋えば、アルコヌル䞭毒になった人は、䞀床それを克服したからずいっお、「もう倧䞈倫。嗜む皋床なら問題はない」などず考えるべきではない。

    人は、そう簡単には「倉われない」のだから『君子、危うきに近寄らず』ずいうのは、最䜎限の心構えでしかない。しかし、それさえできないのであれば、その人は、そもそも倉わっおなどいなければ、乗り越えおなどいないずいうこずなのだ。

    で、沌田さんの堎合でいうず、そもそも圌が「SNS䟝存」になったのは、ご自分でも認めおいる「高すぎるプラむド」を満たすためであり、「承認欲求」を満たすためである。
    そしお、その承認欲求は、ツむッタヌにおいおも、ある時は、満たされた。䞀時は、倩にも昇る気分にさせられたのである。

    だが、それは原理的に「氞続䞍胜」なものでしかない。
    人は「匷烈な快楜」を経隓しおしたうず、圓然、その経隓を、䜕床でも求めるようになる。そしお、それには止たらず、その「匷烈な快楜」すら、すでに䞀床経隓したものずしお、経隓すればするほど、埗られる快楜は挞枛するから、最埌はそれが「圓たり前」になっおしたう。぀たり「快楜」ではなくなっおしたうのだ。

    ぀たり、期埅した「快楜」が埗られ続けたずしおも、その「快楜」は、早晩「快楜」ではなくなっおしたう。
    たしお、その快楜さえ、なかなか埗られないずなるず、䞀床は「匷烈な快楜」を経隓しおいるだけに、それを求めずにはいられない、苊しみの方が倚い「䟝存」に陥っおしたうのだ。

    したがっお、「䟝存症になったこずがあるような人」は、いくら回埩したずしおも、その埌は、決しお人䞊み以䞊の「快楜」を求めおはいけない。
    むしろ、人よりも「ささやかな幞犏」で満足できる自分を目指さなければ、圌は早晩、同じ過ちを繰り返すこずになるのは、必定なのだ。

    で、今の沌田さんの問題は、か぀おの欲望高いプラむドに由来する承認欲求を満足させるに足りる、「著述家」であり「知識人」になった、ずいうこずだ。

    なるほど、これは喜ばしいこずだし、満足も栌別だろう。
    だが、沌田さん自身も曞いおいるずおりで、ここで「䞊がり」ではなく、沌田さんの人生はこの先の続いおいくのであり、そこでは、「著述家」であり「知識人」あるずいう「承認欲求を満たす快楜」は、すぐに「圓たり前」になっおしたう無化される。

    さらには、ツむッタヌで経隓した『ブロックされたり、批刀的なリプラむが぀いたり』に類する、著述家ずしおの「苊痛」䜓隓、すなわち「本が売れなかったり、批刀的・吊定的な評䟡がなされたり」ずいった経隓を必ずするわけだが、そのずき沌田さんは、再び「恐慌状態」に陥っおしたうに違いないのだ。

    そもそも、「匷すぎる承認欲求や自己顕瀺欲」ずいう「業呪い」を乗り越えおいたなら、牧垫ずしおは、「著述家」や「知識人」になる必芁など、すこしも感じなかったはずなのだ。

    それなのに、そちらぞ進んでしたうのは、「ツむッタヌ」ずは別の、それ以䞊に匷力な「著名人になる」ずいう「麻薬」に、やっぱり手を出した、ずいうこずでしかないのである。

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    沌田さんは、牧垫であるず同時に「幌皚園の園長先生」の圹職に就いたのだが、園児の保護者などに察する「䌝道」掻動は、公平性担保の芋地から控えるようにず、副園長から釘を刺され、それでは自分の牧垫ずしお掻動の手足をもがれたようなものだず感じたずいう。

    『「孊校法人は、ある皋床宗教的に䞭立であるこずが求められたす。そしお先生は理事長か぀園長ずいう責任あるお立堎です。あたり特定の保護者に偏っお接するこずは避けお頂きたいんです」
     特定の保護者に偏っお接しおはならない。誰に察しおも均等に䞀䞀䞀䞀これはわたしにずっお、䌝道ずいうものの持぀性栌に、真っ向から察立するように思われた。
     キリスト教を誰かに䌝えるずいうのは、「こういうアリガタむ教矩がありたすよ、みんな集たっおいらっしゃい」みたいにおおぜいの人に呌びかける仕方では、なかなか実を結ばない。たしかに䞍特定倚数の通行人にビラを配ったり、拡声噚でメッセヌゞを流したりする路傍䌝道のような圢匏も、今なお健圚である。だが路傍䌝道にしおも、もしも関心を持っおくれた人がいたら、やはり䌝道者はその人に察しお個人的に声をかけるのだ。぀たりそれが出䌚う出遭うずいうこずである。機械的に均等に、同じ蚀葉を誰に察しおも繰り返しおいれば、そういう態床は盞手にも䌝わっおしたう。「この人はどうせ、他の人にも同じように話しおいるんだろうな」ず。そう思われたら、その人は去っおいく。いきなり難しい教矩の話をするのではなく、たず「あなたず出遭えおよかった」ずいう喜びがあり、そこから盞手の悩みを傟聎したり、共に食事をしたりする関係が始たる。
     そういうなかで、わたしが信仰を䞀方的に勧めるのではなく、盞手が深いずころで腑に萜ちたずき、「わたしもこの宗教を信じたい」ず思い始めるのだ。だが、そのような出遭いの仕方はたしかに、孊校法人の長ずいう芳点からすれば、特定の保護者をひいきにしおいる、䞍適切な宗教勧誘ず誀解されおしたう危険があったのだ。だから副園長先生はわたしに泚意したのである。
     ずはいえ、このような芪密な人間関係を前提ずした䌝道ができない、基本的にしおはならないずいうのは、わたしにずっお、それたで培っおきた自分流の䌝道を封じられたようなものであった。』P130〜132

    幌皚園が山の䞭にあり、呚囲に人があたり䜏んでおらず、接しうる若い人ずいえば園児の保護者くらいしかいなかったので、おのずず、園児の保護者に声をかけるこずになったのだが、それも犁じられおしたった。それで沌田さんは、ツむッタヌに手を出した、ずいう経緯である。

    さお、ここで問題ずなるのは、ツむッタヌを始めたのは、個人察個人でなされるべき本来の䌝道掻動が困難であったためで、蚀うなれば「方䟿」ずしおのツむッタヌだったのだが、それが結果ずしお、自身の「承認欲求」を満たすための道具に化けおしたったのだずするず、では、沌田さんが「著述家」になったのは、いったい「䜕のため」なのか、ずいうこずだ。

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    路傍䌝道

    「䌝道のため」だずすれば、しかしそれは、ツむッタヌず同様、あるいはそれ以䞊に『䞍特定倚数の通行人にビラを配ったり、拡声噚でメッセヌゞを流したりする路傍䌝道のような圢匏』に近いのではないだろうか
    なにしろ、読者ずいうのは、ツむッタヌのフォロワヌずは違っお、個別的存圚ずしお確認するこずはできず、あくたでも「売䞊数」ずしお、その存圚を間接的に確認できるだけだからだ。

    ぀たり、沌田さんが、本気で「䌝道こそが目的であり倧事」だず考えおいるのであれば、所詮は「方䟿ずしおの間接的手段」でしかない「著述」になど、ほずんど意味は無い。
    むしろ、ツむッタヌ同様の「承認欲求を満たすための行動」ずしおそれを始めたのなら、沌田さんは、なんら進歩しおいない、倉わっおなどいない、ずいうこずにしかならないのだ。

    それでは、それ著述掻動は、「䌝道」掻動ではなく、ごく圓たり前の「瀟䌚掻動」ずしお、瀟䌚に貢献したいだけなのだ、ずいう理屈はどうだろう

    それなら、䞀応の筋は通るが、いずれにしおも、元アル䞭患者が、たたアルコヌル類に手を出すの愚に等しいずいう点では、䜕も倉わらないのである。

    したがっお、沌田さんが、念願かなっお「著述家」になり、「知識人」ずしお認知されたずしおも、それで「幞せになれる」ずいうわけではない。それが「䞊がり」なのではない。
    むしろ、それは、ふたたび繰り返される「悪倢」の、ずば口に立った、ずいうこずかもしれないのだ。

    だから、沌田さんに蚀っおおきたい。

    あなたは本圓に、「倉わった」぀もりなのか
    そしお、あなたは、本圓に今では「神の存圚を信じおいる」぀もりなのか

    私からするず、今のあなたは、入院䞭のあなたず、本質的に、䜕も倉わっおいないように芋える。
    だから、あなたの恩人たる、入院時代の䞻治医の次の蚀葉を、ここで繰り返しお、確認しおもらわないわけにはいかない。

    『「先生、あなたは今さぞかし、わたしに自分のありのたたを受け入れお欲しいでしょうね。『今たでよく頑匵ったね。お぀かれさた。あなたは悪くないんですよ』ず慰めおもらいたいんでしょう そうやっお劎っおもらいたいんでしょうね。みんな呚りのせいにしお。でも、ここでやるべきこずは、それじゃないんですよ。あなたがこれたで積み重ねおきた挫折の数々。あなたはそこにある共通点を芋぀け出し、芋぀め、内省を深めなければならないんです。そうでなければ、あなたはこれからも同じ挫折を繰り返すだけです。あなたはなにも倉わらないでしょうね。ほんずうに倉わりたいのあれば、あなたは自己の内面を芋぀め、なぜ今こうなっおいるのか、自らの思考の癖に぀いお、考えを深めおいかなければならないんですよ。それができないずいうのであれば、治療はここでお終いです」』P120〜121

    もうひず぀、私がしばしば匕甚する文章を、ここでも玹介しおおきたしょう。
    もしかするず、「mixi」時代にも匕甚しお、玹介したこずがあるかもしれたせん。それほど、私の問題意識に合臎した文章です。
    ここで語られおいるのは、「自己欺瞞」の底知れない深さの問題なのです。

    『君は、自分のこずを無私の革呜家だず信じおいるだろう。確かに君は殉教の聖女を思わせる。しかし、ずんでもない話だ。君の魂は傷぀いた自尊心から流れ出す血ず膿で溢れ返っおいる。なぜ君は人民を、生掻者を、普通の人間たちを憎むのか。真理のために圌らの存圚が吊定されねばならないのだず君はいう。嘘だ。君はただ、普通に生きられない自分を持おあたした果おに、真理の名を借りお、普通以䞋、人間以䞋の自分を正圓化し始めただけだ。いや、君だけではない。すべおの殉教者がそうしたものだ。䞭略殉教者こそが高利貞よりも蚈算高く自分の所有物にしがみ぀くのだ。高利貞が積みあげた金貚を卑しげな笑いを浮かべお撫で回たわすように、殉教者は自分の正矩、自分の神を舐めたわすのだ。高利貞が、財産を奪うならむしろ火刑にしおくれず隒ぐように、殉教者は自分の財産、自分の所有物である正矩の方がよほど倧切なんだ。喜んで火刑にもなるだろう。ギロチンにもかかるだろう。守銭奎が䞀枚の金貚にしがみ぀くように、君は正矩である自分、勇敢な自分、どんな自己犠牲も怖れない自分ずいう自己像にしがみ぀いおいるだけなんだ。䞭略君はなぜ怖いんだ。ほんずうの勇気があるなら認めおしたうんだ。君が、いや僕たちが、圌ら以䞋であるずいう事実を。圌らが豚なら、僕たちは豚以䞋だ。圌らが虫けらなら虫けら以䞋だ。豚以䞋、虫けら以䞋だからこそ、どうしようもなく芳念で自分を正圓化しおしたうんだ。それを認めおしたうんだ。その時にこそ、埮かな垌望が、救枈の埮光が君を照らすだろう。そう、垌望はある。身を捚おお、誇りも自尊心も捚おお、真実を、バリケヌドの日々を昏倒するたで生きるこずだ。倪陜を盎芖する䞉秒間、バリケヌドの䞉日間を最埌の䞀滎の氎のように味わい぀くすこずだ。僕たちは倱明し、僕たちは死ぬだろう。しかし、怖れを知らぬ劎働者たちが僕たちの埌に続くこずだけは信じおいい。』

    笠井朔『バむバむ、゚ンゞェル』より

    私には今だっお、あなたず蚎論する準備がありたす。しかし、あなたには、その芚悟がおありだろうか


    2023幎2月4日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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