
もう、その気配を知っている。|#17 もうひとつのかたち
少し奇妙な道を歩いてきた。
はじめから、
どこへ向かうのかが
はっきり見えていたわけではない。
ときには、
自分がどこにいるのかさえ
わからなくなることもあった。
けれど、進むたびになにかを捨て、
なにかを拾ってきたような気がする。
それがようやく、かたちを持ち始めた。
世界は、
わたしとは無関係に流れていると思っていた。
悲しみや苦しみ、怒り。
それらを含む出来事が急にやってきて、
わたしの人生に侵入してくる。
それが、世界だった。
けれど、
何を見るときにも、
そこにはわたしが滲んでいた。
過去は変えられないと思っていた。
未来も、大抵予想がついていた。
そう思っているのは、わたしだった。
世界。
その主体は、わたしだ。
そう思えたとき、
人生が、わたしの手の中に戻ってきた気がした。
世界の軸が、傾いて見えたとき。
わたしは少し自由になる。
「よりよい形になるために。」
その重りが、抜け落ちた。
中心に据えていた軸が、
変わり始める。
選択が、
歩く道が、
以前とは少し違う。
気づけば、
上下に延びていた世界は、
横に広がり始める。
世界は、
はじめから横に繋がっていたのかもしれない。
位置の違いは、
役割の違いにみえてくる。
ここにいるわたしは、何ができるのか。
わたしのために、
人に与える。
その戦略は、
わたしと世界を繋げはじめる。
人と繋がるということは、
誰かと親密に振る舞うことではない。
わたしは他者を支え、
他者もまた、わたしを支えている。
その関係の網を、知っているということ。
他者と共存するために、
わたしの偏りと共存するために、
わたしは、どう生きるのか。
その意味を引き受けるとき、
気づけばわたしは、
わたしを引き受けている。
新しい自分になるわけではない。
否定したいわたし。
生きづらいわたし。
すべて引き連れたまま、引き受ける。
気づけば、
それは月明りのように
人生を照らしている。
「ユーダイモニア」
幸福には、
もうひとつのかたちがある。
ヘドニック。
それは一瞬の快だった。
火花のように、
目の前で光っては消える、
日々を彩る幸福。
ユーダイモニア。
それは、人生を包み込む幸福。
満ちていても、
欠けていても。
じんわりと、
内側から満ちていく。
生き方に宿る幸福。
もう、その気配を知っている。
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