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エッセイ集(創作大賞2026エッセイ部門応募作品)

    1、ガソリンスタンドにて

    私は、北海道のとある田舎で教師をしています。休日、最寄りのガソリンスタンドへ行き、自分で給油を済ませ、ついでに洗車をしようと車を移動させていると、向こうから視線を感じました。その先をパッと見ると、若い男が駆け寄って来て「スミマセン、スミマセン」と言いながら、給油ノズルの側に置いてあるスクーターを指さしたのです。

    色黒で彫深い顔立ちの彼は、昨今、よく見かける技能実習生でしょう。普段、口が重い性分、英語はもちろん、日本語も大して話さない私は、面倒なので従業員を呼ぼうかと思いました。

    それでも、困り顔の男を見ていると、何だか不憫に思い、コミュニケーションを少し取ることにしたのです。

    要領を得ない私は、仕方がないので、自分のスマホを取り出し、Google翻訳機に任せてみると、彼は母国語でごにょごにょ喋り出しました。
    本当に便利な時代です。

    「ガソリンの給油のサポートをお願いします」

    「何だ、カンタンじゃないか」と安心した私は、支払いは現金なのか、カードなのか、給油は金額指定か、リッター指定か、ガソリンの種類は…まぁ、年季の入ったヤマハのJOGだったので、レギュラーだと思うが…それはそうと、原付の給油口ってどこだっけ…?と、なりつつも何とか補給を済ませるのです。

    一連を終えると、彼は「アリガトゴザマス、アリガトゴザマス」と頭を下げたので、私も「いえいえ」とだけ言って、その場を立ち去りました。

    「見知らぬ人に給油の仕方を教えるなんて、日本も平和だな」と思った次第ですが、帰り道、車内で冷静に振り返ってみると、時代の変化に気づきました。

    1、地方の有人ガソリンスタンドは、休日が閉まっており、セルフスタンドに頼らざるを得ない。
    2、互いの言語が分からずとも、AIを使いこなせば、ある程度コミュニケーションが取れる。
    3、外国人労働者は、もはや全国各地に点在しており、彼らは逞しく生活している。そして、それを受け入れざるを得ない日本の現状。

    遠因、深刻な人手不足があるとして、私たちは自国の未来のために、社会に順応していく術を知っておく必要があります。

    時流に合わせたツールと、人と調和する精神を持ち合わせ、世情の行く末を憂うのではなく、社会の繁栄が生まれるために。

    2、虫

    残暑続く日本列島ですが、しぶといのは暑さだけではありません。夏バテ気味の人間とは対照的に、生き生きとしている奴らは、この季節も昼夜問わず現れます。今現在、本記事を書いている真夜中でも、スズムシやコオロギ、アオマツムシなど、家の外で随分鳴いています。

    日中、私は自然に囲まれた学校に勤めていますが、校内のトイレにはコオロギやカマドウマ、職員室にはゲジゲジ、授業中にハチが入るものなら生徒は大騒ぎです。もはや、生徒よりも虫の方が目立つ学校です。

    因みに私は、虫に抵抗がありません。室内に出る虫は、基本手づかみで窓から外へ捨てます。

    以前、とある喫茶店で一人くつろいでいると、突然、女性の「きゃぁ!」という悲鳴とともに店内が騒然としました。どうやら、ゴキ〇リが現れたようで、向こうに目をやると、床を静かに這う黒い物体があったのです(しかも結構デカい…)。見かねた私は、自分の靴を片方脱ぎ、それを手にはめてバチンと一撃で仕留めると、店内は「おー」という歓声とともに拍手が起こりました。その後、何事も無かったかのように席へ戻る私でしたが、内心ドキドキが収まらず、店を出たことがあります。

    まぁ、そんな手柄話は良しとして、一般的に虫に対する嫌悪感は、大人になるにつれて強まる傾向です。私自身、子どもの頃は、カマキリやバッタ、カブトムシなどを捕まえて飼っていた記憶があります。

    一方で、「外にいる虫は平気だけど、室内にいると無理!」という人もいます。確かに、部屋にいる場合は不意を突かれるので、ぎょっとします。

    そんな嫌われ者の奴らですが、私はある少年との出会いがきっかけで、虫への見る目が少し変わりました。はとこに当たる少年は、とにかく虫が大好きで、夏休みの自由研究では自分で虫図鑑を作ったほどです。今から10年以上前の話ですが、盆休み、田舎に帰省した私は、この少年とホームセンターへ買い出しに行ったときのことです。殺虫剤を買おうとした私に向かって、彼は大きな声で言いました。
    「殺虫剤はダメ!」
    「なんで?」
    「殺虫剤で死んだ虫は土の肥料にならないから!」
    「…そっか」
    確かに、虫の役割は様々です。植物の受粉の媒介や土壌の改良、動物にとって貴重なたんぱく源にもなります。
    仕方ないので、私は彼の意向を汲むことにしました。
    代わりに、ハエたたきは買いましたが。

    3、古着

    日中、日射しにはまだ夏の残りはありますが、吹く風は秋の気配を感じるようになり、夕方になると、西空に沈む太陽もいくらか早足になった気もします。

    季節の変わり目において、悩ましいのは服装です。昼夜、寒暖差があるので、羽織るもの一枚あった方が良い時期です。

    三連休だったので、久しぶりに洋服屋に足を運んでみると、秋物はもちろん、ショーケースのマネキンはダウンジャケットを着ていました。ファッション業界は、常に先々のことを考えています。

    因みに私は、年中通して、黒のポロシャツに黒のカーゴパンツなので、流行どころか季節感も無視しています。

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    先日、アパレル産業に勤めている友人と会いました。彼女によると、「最近の若いコは、きれいめでいるか、古着を楽しんでいるか、どっちかな気がします」

    確かに、街界隈の若者を見ると納得できます。ファストファッションが台頭する昨今、ぱっと見、同じような格好、似たような色味になりがちです。

    一方、古着はユニークな風合いかつ1点モノなので、自分の個性を出すことができ、他人と被る心配がありません。ただし、サンプルが無いので、服選びにセンスが問われるかと思います。

    かく言う私も、学生の頃はダメージジーンズにバンドTシャツ、コテコテのチェック柄のネルシャツを着ていました。

    その友人も随分と古着にハマっているようで、彼女はこんなことも言っていました。

    「それに…古着って、何でしたっけ…SDGsっぽくないですか?」

    …なるほど、はるばる海を渡って、再び購入されるわけですから、壮大なエコ事業なわけです。確かに、捨てるよりは良いかもしれません。

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    因みに、日本国内では、年間約30億着の衣類がつくられていますが、そのうち半分の約15億着が売れ残りのため廃棄されているそうです。

    と言うことで、最寄りの古着屋に立ち寄ってみました。

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    余談ですが、古着屋の店内に香る独特な匂いの正体は、サンダルウッドをベースにした「チャンダン」というお香です。嗅いだ瞬間、学生の頃に戻りました。

    流石に仕事着にはしませんが、たまには古いモノを着てみようと思った次第です。

    結局、ジャケットを1着購入しましたが、タグを見るとマジックでMichaelと書いてありました。

    「マイケル君のおさがりかー」

    4、学生と教師

    先日、学校行事である海浜清掃がありました。いわゆる、奉仕活動の類ですが、郡部の学校では定番かもしれません。

    夏の終わりの田舎道を生徒らぞろぞろ引き連れ、浜へ向かうこと20分…

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    ゴミの写真は不快なので、敢えて載せませんが、主にビンやペットボトル、空き缶など、やはり飲み物の容器が殆どでした。よく見ると、海辺に流れ着いたゴミというよりも、残念ながらポイ捨ての方が多い印象です。壊れた家電もありました。

    身近なことを題材にして、批判的な記事を書きたくありませんが、はっきり言って、不法投棄が多い町は民度を疑ってしまいます。

    かと言って、私は環境問題を自分事として訴えたいわけではありません。たとえ、自室にゴミがあっても、拾わない人は拾わないからです。

    ましてや、ゴミ拾いを通じて、学生たちにボランティア精神を育むような表向きな話も好きではありません。

    当初、しぶしぶ掃除をする彼らでしたが、活動を終えると、その表情は割とすっきりとしていました。

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    良い姿勢を形成するためには骨と筋肉の発育発達を図ることが第一であり、そのためには栄養にとんだ食べ物を十分にとり、戸外で日光を楽しみながら適当に運動することである。(後略)

    阿部三亥 著【学生と健康:4、姿勢と健康より】

    いつだったか、教員間による研修会で、とある高校の先生がこんな愚痴をこぼしていました。

    「何か…最近の教育って、生徒に気を使うこと多過ぎませんか?」

    確かに、一昔前であれば、授業中居眠りする生徒がいれば、教師は閻魔帳でその頭を引っ叩いたり、素行の悪い奴には「こらこら」で済んでいましたが、今では友人関係や心身の様子、家庭事情やSNSの使い方など…個人の問題に首を突っ込みまくりです。

    もはや、生徒の課題は教師の課題になりつつあり、本人の自己責任では済まされない背景が潜んでいます。←良いか悪いかは置いといて…

    1限目、私は普段通り教室へ向かうと、ある生徒との会話の切り出しは大抵決まっています。

    パターン①
    「先生、お腹空きました…」
    「…朝ご飯は?」
    「メロンパン食べました」←時々、あんパンになります。
    「…」

    パターン②
    「先生、眠いです…」
    「…何時に寝たの?」
    「多分2時くらいです」
    「…」

    まぁ、高校生あるあるなので、特段、変わったやり取りではありません。ただし、私が返答に窮するのは、この傾向が学生だけではなく、教師にも見受けられるからです。つまり、我々は大人になるにつれて、模範的な生活習慣が自然と整うわけではない点です。

    5、教師と学生

    日中、じんわり暑さがありますが、朝晩は漸く秋めいてきた気がします。土地柄、夏の夜は騒がしいので、秋の夜は静かであって欲しいです。

    先日、学校行事である地域貢献活動がありました。町の空き家を利用して、学生らが主となり、カフェや飲食販売、軽スポーツを通して地域住民に交流の場を設ける取り組みです。

    普段の授業では、のんびりしている生徒ですが、対外的になると案外テキパキ動いてくれます。

    「若い声が聞けて、とっても嬉しいです」

    会場を巡回している私に向かって、通りがかりの老婆が一言だけ口にしました。確かに、子どもが持つエネルギーからは元気がもらえます。

    つまり、前回の記事「【ESSAY】学生と教師」の補記になりますが、教師も同様で、学生と共存するとなれば、説得力とは何を言うかではなく、誰が言うかにかかっています。これは、権威バイアスの一種ですが、我々教師にも、その力は本来備わっているはずです。

    ただ、大人がいくら品行方正なふりをして、真っ当なことを言ったとしても、尊敬に値されない人物であれば、何を言っても馬の耳に念仏となってしまいます。厳しい言い方ですが、自戒の意も込めて、今現在の職場のことを言っています。あくまでも、私の周囲の話です。

    加えて、私が相手している学生は高校生なので、子どもでもなければ、大人でもありません。彼らも馬鹿では無いので、薄々と気付いています。

    1、「俺に(私に)勉強面や生活面をあれこれ注意してくるが、先生こそ大丈夫か?」という疑念
    2、教壇以外での言動を察するに、先生たちも思ったほど大人ではないという不信

    近頃、私は彼らに見透かされている気がしてなりません。模範的になれないのであれば、考え方を変えなくてはなりません。

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    教育のすべて、とくに学校教育と施設の教育は、人生の真面目さを強調しすぎて、遊びをなおざりにする危険にさらされているので、このことはきわめて重要である。

    ボルノー 著、浜田正秀 訳【人間学的に見た教育学:3、子どもの楽しい気分】より

    たとえば、真面目な人が善として、不真面目な人が悪だとします。真面目さが高じると「俺が正しくて、お前が間違っている」となり、人を責め、やがて争いを生みます。かと言って、不真面目さも度が過ぎると罪を犯しかねません。「人の物を盗っても良いだろう」みたいな考えです。

    月並みな落とし所ですが、我々は善も悪も両方含んでいます。真面目さ一辺倒では互いの心は通じ合わず、逆も然りです。

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    6、なぜ、眠れないんだ!

    私には、行きつけの床屋と美容室が1軒ずつあります。傍から見ると、馴染みの店が2ヶ所あるのは、不思議にうつるかもしれませんが、特に理由はありません。何となくの気分です。

    私の担当者は、いずれも同世代のアラフォー男性なので、割と話が合います。散髪してもらう間、よく雑談しています。

    【床屋にて】
    理容師「最近、夜に目が覚めてさぁ…年取ると寝れないって言うけど、ホントだよー」
    私「あー、ありますね。そういう時どうしてます?」
    理容師「いやぁ、どうもしねぇよ。便所行って、ベランダでタバコ吸って、ぼーっとしてるよ」
    私「あー、私も似てます。牛乳飲んで、本読んで、軽くストレッチしてます」
    理容師「それ、俺と似てないだろ…ナオヒコらしいよ(笑)」

    悲しいことに、知らず知らずのうちに、我々は年配者の仲間入りになりつつあります。若い頃は、友達に寝てないアピールをしていたのに、今やもう、本当に寝てません。

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    ただ、幸いなことに日常生活に支障がありません。仕事している間、眠くなるとなれば問題ですが、至って健康なのが却って不思議でなりません。

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    要因①仕事のストレス
    大抵の場合、人生の前半は生活のために仕事をして、後半は目的のために仕事をします。いずれにせよ、人は何かを背負って働きますが、私の場合、睡眠に影響するほどではありません。ましてや、今現在の職場では正直考えにくいです…

    要因②運動不足
    本書には「身体のエネルギー燃焼不全が不調のもとである」とあります。現代人は、思考や感情による精神的エネルギーの消費が多い反面、身体を大して使わないので、互いの燃焼量のバランスが悪い傾向にあります。結果、不眠に繋がります。ただ、私の場合、筋トレを日課としているため、これも考えにくいです。むしろ、運動過多かもしれません…

    いずれも当てはまらないので、どうしたものかとモヤモヤしていました。

    【美容室にて】
    美容師「最近、夜中に目が覚めるんですよ…これって、どうしてですかね?」
    私「あー、分かります。私も色々調べたんですけど、何か腑に落ちないんですよね。ストレスとか運動不足とか…」
    美容師「そうですよね。でも、ご高齢の方は、寝てなくても元気ですよね」
    私「あー…もしかすると、年を取ると体力の使い方が上手になってくるのかもしれませんね」
    美容師「そうですよね。それに、新しいことに挑戦しないでいると、体力使いませんよね」
    私「(笑)あ、それだ!」

    おそらく、自宅と職場と往来、慣れ切った仕事に安住していることが原因です。それはまるで、対して使用していないスマホを寝る前にせっせと充電しているような、いわゆる過充電の状態でしょう。

    たまには、新しい挑戦をやるようにします。

    7、年末に向けて

    師走、厳しく冷え込んできました。旧暦の由来は諸説あるようですが、「普段落ち着いている師匠(お坊さん)でさえ、読経や供養のため東西奔走するくらい忙しい」というのが語源説だそうです。

    日本のサラリーマンも同様、会社は年末調整や経理業務の精算、物流業界も繁忙期になります。クリスマスや正月などのイベントも想定すると、何かと多忙な季節です。

    こうした慌ただしい時期に気を付けたいことは、年の瀬(ゴール)が見えることによる気持ちの焦りです。

    普段は何でもない仕事であっても、「あと少しで終わる!」という気持ちが、自らを急き立ててしまい、結果的にミスに繋がる場面をしょっちゅう目の当たりにしています。経験上、12月は敢えてマイペースで働くべきかと思います。


    昔話になりますが、私はバドミントン部の顧問を数年やっていました。私自身、ラケットスポーツの経験はありませんし、ルールも当然分かりません。とりあえず、生徒にあれこれ教えてもらいながら、彼らの練習の邪魔にならないようサポートするという、何とも歯がゆい日々でした。

    大会へ引率したある日のことです。自校の生徒が試合に出場する際は、顧問がベンチコーチを務めるので、私もやむなしに、それっぽく椅子に腰かけていましたが、専門的なアドバイスは勿論できません。「気持ちで負けてる!」だの「ここが踏ん張りどころだ!」だの、精神論で声かけをする自分に、何ともやるせない思いです。←部活動顧問あるある

    当時、部員だったA君のエピソードです。
    A君は、真面目で練習熱心でしたが、彼の試合運びは、序盤から終盤にかけて常に優勢であるにもかかわらず、マッチポイントになると、途端にミスを連発するというものです。その日も逆転されそうになったため、インターバルのタイミングで私は声をあげました。

    「あと1点と思うな!だから焦ってミスに繋がる!もう5、6点取りにいくつもりでいけ!!」

    汗だくだった彼は、その言葉にはっとしたのか、顔をタオルで拭くと、ラケットを握りコートへ戻っていきました。


    特段、終わりを意識するなということではありません。
    それでも、今年が終わると同時に、翌年が始まるのは毎年のことです。であれば、刻一刻という毎日の瞬間に集中した方が良いと私は思っています。

    また、仕事納めのタイミングで張り詰めていた気持ちがプツリと切れて、体調を崩す人をたまに見かけます。熱発の寝正月は何とも悲しいので、ここは敢えて平常心でいる姿勢が大切です。

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    8、アルコール、ニコチン、カフェイン

    「卑怯な健康より、デカダンスを!」これは、昭和初期において、知的な青年を熱病のように襲った心理です。デカダンスとは、フランス語で退廃や衰微、衰退を意味します。

    当時の大学生は政治への関心も高いので、最寄りの喫茶店に集って論議していたに違いありません。その昔、流行した文学運動も似たスタイルかと思います。

    若者の溜まり場に付いて回るのは嗜好品です。不健全な気風にピッタリな、それでいて少し粋にみえてしまう三種の嗜みは、単なる若気の至りとして片付けてくれます。

    まァ、今も昔も学生というのは、未熟で無分別であるが故に、良くも悪くも無茶が利くので、当時を振り返るとあのバイタイリティがもう少し健全な方向であれば…と後悔することがあります。


    1、アルコール
    若い時分、コンパになればビールを食らい、赤ら顔で態度が横柄になっていました。行く春、せっかくの花見の場にも拘わらず、酩酊状態だった私は、桜の木に登ったきり降りて来なくなり警察にお世話になりました。

    あの頃は、お酒の場が楽しいだけで日本酒やウィスキー、ワインなど飲んでみせても、お疲れ様の一杯を覚えずして雰囲気に酔っていただけです。

    2、ニコチン
    大学の校門で一服二服するのが日課でした。講義をテキトーに済ませると、バイト先の悪い先輩に連れられて雀荘や純喫茶、パチンコ店に出入りしては店内でプカプカしていたので、当時の天井は大概黄ばんでます。容易に手に入る大人とのコミュニケーションが、恰もスマートだと勘違いしていました。

    因みに、私の周りではタバコは「吸う」ではなく「喫(の)む」と言っていました。←今思い返してもよく分かりません…

    3、カフェイン
    「ちょっとサ店で話そうか」なんて女性への口説き文句は今や古いでしょうが、私からするとコーヒーの味は二の次です。慢性的な寝不足だったため、カフェでブレイクしては気持ちがハイになっていました。

    また、試験期間になると近場のファミレスを拠点にしてはフライドポテトと栄養ドリングを代わる代わる片手に徹夜で勉強します。


    要するに、ありがちな大学生活を一通り経験した人間です。
    先日、同窓会で旧友らと再会しましたが、話題になるのは当時のことだったりします。

    今思い返しても生産性のある日々ではありませんでしたが、壮年になった現在、皆がまともな社会人なのでとりあえずOKにしておきます。

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    9、ビタミン、ファイバー、ポリフェノール

    「潔癖なアンヘルシーから健やかに!」これは、令和初期の現代に向けた私なりのテーゼ(命題)になります。というのは、以前の私が現在の私にとって反面教師になったからです。

    時は遡り、古代ギリシャの医学の父、ヒポクラテスの言葉に「すべての人が、多すぎずまた少なすぎず、適切な量の栄養素を摂取し、適度の運動を行うことができれば、それはもっと安全に健康を手に入れる方法となるだろう」とあります。

    今から2500年ほど前の言葉ですが、現代において実践できる人は少ないと思います。肥満や過剰なダイエット、偏食などは本人の課題なので、他人が首を突っ込むのは余計なお世話です。

    以下、マイブームになりますが健体康心であるための3要素について紹介します。ただし、それらを推奨する記事ではなく、単に身体の調子を整える機能性成分を指します。


    1、ビタミン(特にA、C、E)
    現代における「ビタミン不足」は、身体の不調や肌トラブルといった大きな括りで済みますが、一昔前は違います。ビタミンC不足による壊血病、ビタミンB1不足による脚気、ビタミンA不足による夜盲症など、一歩間違えると深刻な欠乏症になったようです。

    健康のために摂取する錠剤型のサプリメントは、成分を濃縮しているため「これを飲んでおけば大丈夫!」となりがちです。また、昨今の食品添加物には、酸化防腐剤としてビタミンC、B1、Eなどが含まれており、我々の食生活に自然と摂り込まれています。

    2、ファイバー(食物繊維)
    人間の消化酵素では消化・吸収されずエネルギーにもならないので、摂る理由が分かりにくい栄養素です。それでも、糖の吸収を緩やかにし、脂肪を吸着して排出させる働きがあるので、食べ過ぎに効果的です。

    飽食になりがちなサラリーマンにとって「第6の栄養素」は整腸作用になります。

    3、ポリフェノール
    私が最も強調したい機能性成分になります。
    植物の色や苦味・渋味のもとになる「第7の栄養素」は、強力な抗酸化作用として過剰な活性酸素を除去します。

    また、細胞内のミトコンドリアの機能向上に大きく貢献します。実は、人間のエネルギー代謝は、加齢とともに糖質からミトコンドリアに移行することが分かっています。

    例えば、子どもは焼肉でご飯を何杯もおかわりできますが、彼らは糖質をほぼほぼエネルギーにしています。
    一方で成人になると、ビール(ホップ)やコーヒー(クロロゲン酸)、緑茶(カテキン)などの苦味成分に抵抗がなくなります。これは、エネルギーの使い方が変化した適応反応の一つです。


    要するに、近年では身近な食材で身体の調子の変化を楽しめるということです。身体づくりは、アスリートや格闘家など身体を資本とするプロだけではなく、私のような凡俗サラリーマンでも気軽にできてしまうのです。

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    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    北海道で教師をしています。世の中に対する自分の考えや健康に関すること、短編小説やエッセイなど9つのマガジンをベースに発信しています。個人的な体験・経験による疑問を解くために、書籍や漫画、動画などを参考にしながら、一般的な答えに落とし込む帰納性を心掛けています。

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