メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo by1twoba

ヒバリが歌うのをきいていた【連載小説・第3話】

    第1話はこちら


    【美雪】

    わたしは自分の名前がずっと好きじゃなかった。
    だいいちに古風すぎる。冬生まれだからって「美雪みゆき」なのも安直だ。

    ほかの意味は込められていないのか、とお母さんに聞いたら、名付けたのはお父さんだという。でも両親は離婚しているので、結局詳しい由来は分からない。


    そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれたのが、原田はらだ先生だった。先生に名前を褒められたのは、去年わたしが美術部に入部した時だ。

    最初の活動は、手のデッサンだった。わたしは黙って取り組んでいたが、ほかの子たちはおしゃべりしながら作業している。美術部は思っていたよりにぎやかだ。

    名簿を持った原田先生が歩いてきた。
    「平沢ひらさわさん」
    と軽いトーンで呼ばれた。わたしはスケッチブックから顔を上げた。
    「はいっ」
    「平沢さん、美雪っていう名前なの?」
    思わぬ質問に驚いたが、「そうです」と答えた。
    「へぇ、いい名前だね」
    わたしはぽかんとして、素直にお礼を言えなかった。

    「そんな風に言われたの初めてです。自分では、古臭い名前だと思ってるんですけど……」

    「まぁ、今っぽい名前の生徒はたくさんいるけどね。でも、名前に古いも新しいもないよ。だって、その人が生きていくうえで、ずっと一緒にいるものじゃない?名前に込められた魅力は変わらないよ」

    そう言った先生を、わたしはまじまじと見上げた。背の高いひょろりとした立ち姿、黒縁メガネ、癖毛っぽい髪。
    入学式の時、体育館で並んでいた先生たちの中でも、原田先生は見た目の若さでひときわ目立っていた。

    「せんせー、デッサン見てくださーい」
    遠くから声がかかり、「はいよ」と返事をして先生は去った。

    頭の中に、さっきの言葉が残る。ずっとネガティブだった考えが少し晴れた。
    ――その人が生きていくうえで、ずっと一緒にいるものじゃない?

    それ以来、わたしは自分の名前が好きになった。


    美術部の活動は、火、木の放課後にある。コンクールに向けて絵を描いたり、美大への進学を目指す子は個別指導を受けたりする。

    顧問の原田先生は29歳。東京の美大を出ている。
    教師になった理由を聞いたら、「アーティストになるほどの才能がなかった」とぼやいていた。人に教えるのが好き、とかじゃないんだ。わたしはおかしかった。


    受験はまだ来年だけど、わたしは東京の大学に行きたい。今住んでいる仙台よりも、もっと大きな街で、いろんな経験がしたいのだ。

    昔から小説が好きだし、国語の科目の成績もいいから、日本文学の勉強がしたい。そして休日は美術館やギャラリーを巡りたい。夢は膨らむ。

    その夢には、東京で個展を開いている原田先生に会いに行くことも、含まれていた。


    次の話はこちら


     
     
    エッセイ/日記/小説などを書きます。 ・双極性障害を抱えています。 ・健康、生活、恋愛、音楽の記事が多め。 気軽な気持ちで読んでもらえたら嬉しいです!

    あなたへのおすすめ