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【人生で一番困ったことを考えてみた】-日々の実務の断片

この前は、人生で自慢できることを振り返った。

では、人生で一番困ったことは何だろうかと考えてみた。

困難はいろいろあるが、“物理的に困ったこと”という意味では、タイでスリに遭った出来事が思い浮かぶ。

ただ、そもそもなぜ自分がタイにいたのか。
それを思い返すと、当時の仕事の状況に行き着く。

英語ができないまま、仕事がグローバル化していった頃

お恥ずかしながら、私はビジネス英語ができない。
だからこそ、ドメスティックな仕事で生きていこうと思い、今の会社に入った。

しかしIPO後、海外子会社の買収で一気にグローバル化していった。
2012年に買収したのは、米国・英国・インドに拠点がある会社で、バックオフィスはインドで行っていた。

そのため、買収後しばらくは四半期決算ごとにインドへ行き、現地スタッフや監査法人と打ち合わせをしていた。
現地には日本人駐在員がいるので会議自体は通訳してもらえるが、当時は学生のようにNHKの語学講座をやっていた。
残念ながら、あまり身につかなかった、笑。

今は生成AIで英訳したり、同時文字起こし通訳があったり、語学スキルの概念はこの10年で様変わりした気がする。

インドへ向かう途中、バンコクでスリに遭った

インドはバンガロールに子会社がある。
ここ最近まで日本から直行便がなく、タイ、香港、シンガポールなどを経由する必要があった。

数えてみると、2013年4回、2014年2回、2015年2回、2016年1回、2017年1回、2018年2回、2019年1回、合計13回行っていた。

コロナ後はスタッフがインドに行ってくれるようになり、自分自身で行く機会がなくなったが、個人的にインドという国を気に入っている。
noteで使っている写真もインドで撮ったものが多い。

その13回のうちの一度。
2013年7月、タイ・バンコク経由でバンガロールへ向かう際、バンコクで1泊した。

空港から宿泊地へ電車で移動したときのこと。
駅のホームから改札へ向かう上りエスカレーターで、背後でゴソゴソする気配があった。

気に留めずに改札を出たが、ショルダーバッグが背後から開けられ、財布をすられていたことに気づいた。

異国の地で、十分な語学力もない。
途方に暮れた。

ホテルのミニバーが撤収された夜

幸い、パスポートとスマホは無事だった。
予約していたホテルへ行き事情を話すと、宿泊料は事前決済なので泊めてくれた。

ただ、追加料金が発生しないように、部屋のミニバー(冷蔵庫の中身やスナック類)はすべて撤収された。
「信用できない日本人が来た」と思われたのかもしれない。
世知辛いが、仕方ない。

部屋で電話やネットを使ってクレジットカードとキャッシュカードを止める手続きをした。
クレジットカードは4枚持っていたが、3枚はすでに使われていた。
1枚だけ、セキュリティが働いたようだった。

後日カード会社に聞いたところ、使われた3枚は、1枚につき“車が1台”買われていたらしい。
わずか数時間の間に、足がつかないようにする換金連鎖のネットワークがあるのだろう。(自分のカードで車が3台買われたという事実は、人生で二度と経験したくない。)

被害額を免責するには、現地警察でポリスレポートを発行してもらう必要がある。
翌日の夕方のバンガロール便までに、何とかしなければならない。

その夜は、部屋にあったバナナを食べて寝た。(ミニバーが撤収されているので、選択肢がない。)

翌朝、異国の地で“人の情け”に触れた

翌朝はビュッフェ付きだったので、久しぶりにご飯にありつけた。

駅の窓口では筆談を駆使したが取り合ってもらえず、 駅の警察に行くと、車でどこかへ連れて行かれた。
何かよからぬ場所へ連れて行かれるのではないかと、 恐怖心があった。

連れて行かれた先で、ツーリストポリスを手配してもらえた。
日本語で被害を申告すると、警察官へ翻訳してくれ、ポリスレポートを作成してもらうことができた。

ツーリストポリスの女性は、「スマホを盗まれたと嘘をついてポリスレポートを作って保険金を請求する日本人が多くて困っている」と言っていた。

それでも、私が本当に困っている姿を見て、「ジュースでも飲みなさい」と100バーツをくれた。

今でもその100バーツを使わず持っている

空港までの電車代がないことを伝えると、警察官2人が先導して空港まで連れて行ってくれた。

異国の地の人の情けに、泣けた。

空港まで着けば、フライトは予約済みでバンガロールへ行ける。
バンガロールへ着けば、現地子会社がタクシーやホテルを手配してくれている。
クレジットカードが必要な場面では、ポリスレポートがあれば説明できる。

人生で一番困ったことだったと思う

スリに遭ったのは初めてだった。
それが異国の地で、語学力も十分でない状況だったこともあり、おそらく人生で一番困った出来事だったと思う。

困った日の記憶は、あとから静かに笑えるようになって、ようやく人生の一部になる。

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