
【陶奔星霜】第6話「福猫暗号」5/6
──陶揮、碧釉、鉄平、志野のAチームは、
瀬戸蔵から駅に向かって歩いていた。
日曜日の午前中、瀬戸の冬らしい、
きりっとした冷たい空気が街を包んでいる。
碧釉はマフラーをぎゅっと巻き直しながら、陶揮の袖を引く。
「陶揮、小長曽陶器窯跡って、どこにあるの?」
「確か、鉄平の家の近くだったよね?」 陶揮が鉄平に尋ねる。
鉄平はスマホの地図を眺めると、眉を寄せる。
「あぁ、近くと言えば近くなんだが、けっこう山奥だぞ。
赤津のバス停から徒歩で33分……まあまあ覚悟がいる距離だな」
「わたし、山道でもへっちゃらだよ! お菓子もたくさん持ってきたし。
あとね、今日のラッキーカラーは”赤”だよ、ってお母さんが言ってた」
「そっか、志野ちゃんのお母さんも占い師だもんね」
碧釉に手を引かれている志野は、嬉しそうに赤い手袋を見せる。
──4人が丸一商店の前を通り過ぎようとしたとき、
「ワンッ!」
元気な柴犬の声が響き、作務衣に白いタオルを頭に巻いた男が歩いてきた。
鐘場 藤吉(かねば・とうきち) 55歳。
陶芸教室を開きつつ、忙しい窯元の応援にも行く“流しの職人”で
今風に言うと”フリーランス”の陶工である。
丸一商店の陶房にも出入りしており、
陶揮の父・駿作とは飲み仲間であり将棋仲間。
陶揮にとっては、”昔からよく知っている近所の愉快なおじさん”
といったところである。

藤吉は、ペットの愛犬”コロ”のリードを片手に、
いつものように陽気な笑顔を見せた。
「よう、トキ坊! 何してるんだ? 今日は4人で遠足か?」
「藤吉さん、今日も散歩なんですね。寒いのに元気ですね!」
トキ坊と呼ばれた陶揮が元気よく挨拶する。
「おうよ。コロは寒い方が調子ええでな」
コロは尻尾をぶんぶん振りながら、碧釉の足元にすり寄る。
碧釉はしゃがんで頭を撫でた。
「コロくん、今日もかわいいね……」
碧釉と志野も藤吉とは何度か顔を合わせており、面識がある。
陶揮が遠慮がちに口を開く。
「藤吉さん、今から僕たち、小長曽陶器窯跡まで行くんです」
藤吉は目を丸くした。
「小長曽?あんな山奥まで歩いて行くのか?」
陶揮は碧釉から借りた『福猫縁起』を見せながら説明した。
「藤吉さん、”福猫”って聞いたことありませんか?
僕達、それを探しているんです」
すると、藤吉は腕を組み、ニヤッと笑った。
「福猫か……昔、職人仲間から聞いたことあるぞ。
アレだろ?7体集めるとでっかい龍が出て来て、
願いを叶えてくれるヤツだろ?」
「藤吉さん、漫画の読みすぎですよ……」
鉄平が苦笑いする。
赤津焼の陶房である鉄平の実家も、藤吉とは長い付き合いである。
「よし、分かった。面白そうだし、車、出したるわ」
藤吉は豪快に笑うと、陶揮たちを丸一商店から歩いてすぐの
自宅の車庫まで連れて行き、仕事で使っているプロボックスに
4人とコロを乗せて出発した。
車窓から見える瀬戸の街並みが、穏やかな光の中でゆっくりと
後ろへ流れていく。
今の時代、普段使いの皿や茶碗は100円ショップでも買える。
そうしたライフスタイルの変化や安価な外国産の台頭に加えて、
美濃焼や有田焼など他の産地との競争、人口の減少や後継者不足など、
瀬戸の窯業を取り巻く環境は厳しい。
昭和初期には1000社ほどあった愛知県陶磁器工業協同組合の組合員も
現在は282社ほどに減っているという。
もともと小さな窯元を営んでいた藤吉だが、
子供に恵まれず、後継者もいなかった。
そして5年前、長く使っていた窯の故障を期に、窯元を畳む決意をした。
陶揮はハンドルを握る藤吉の横顔を眺めるうち、
最近、彼と交わした会話を思い出した。
──なぁ、トキ坊。
窯ってのはな、人の人生みたいなもんだ。
火が強い日もあれば、弱い日もある。
時には、どうしても消えちまう日だってある。
けどな── 火をつけ直すのは、いつだって“次の誰か”なんだわ。
俺の窯はもう閉じちまったけど、俺の火まで消えたわけじゃねぇ。
お前さんみたいな若い職人が、
どこかでまた新しい火を灯してくれりゃ、それで十分だ。
器は割れる。人間はいつか土に還る。
でもな、技と心は、ちゃんと誰かに残るんだ。
それが瀬戸の窯業のええところだ。
心配はいらん。
俺は風来坊みたいに見えるかもしれんけどよ、
蓄えはしっかりあるし、この間、白坂さんって言う人に、
キャッシュフロー表まで作ってもらったんだわ。
“100歳まで長生きしても大丈夫”って言われたでな。
……でも路子(みちこ)がよ、
『アンタみたいに毎晩飲み歩いてて、
100歳まで生きられるわけないじゃない』
って言うんだわ。ガハハ!
まぁ、あいつの言うことはだいたい正しい。
だからトキ坊、
自分の火を絶やすな。それだけで、俺は十分なんだわ──
いつも冗談ばかり言っているのに、あのときだけは妙にまっすぐで、
胸の奥に火を置いていくような声だった。
思い返すたび、心のどこかがじんわり熱くなる。
やがて車は、赤津の奥へ続く細い山道へ入った。
冬枯れの木々が左右から迫り、道はゆるやかに登っていく。
白いプロボックスが、慎重に路肩へ寄せて停まった。
「さぁ、着いたぞ。 俺はここで待っとるで、行ってきな」
いつもの豪快な声なのに、
どこか背中を押してくれるような優しさがあった。
陶揮は深く息を吸い込み、仲間たちとともに車を降りた。
森の奥へ続く細い林道を抜けると、ぽっかりと開けた空間に、
窯跡を雨風から守るための建物”鞘堂”(さやどう)が見えてくる。
「ねぇ、碧釉お姉ちゃん、あれかな?」
志野が碧釉の袖を引き、鞘堂のほうを指差した。
「うん、きっとそうだよ。それじゃ”福猫縁起”を読むね」
②小長曽陶器窯跡(こながそとうきかまあと)
小長曽の地は、室町の初より窯火絶えず、
古瀬戸(こせと)と称する施釉の器を焼き出す所なり。
工房の跡には、器形を成す轆轤(ろくろ)の痕、
素地を乾かす棚の礎(いしずえ)、地下に穿たれし窯体(ようたい)一基、
また焼成に失敗せし器や灰を捨つる灰原(はいばら)の広がりを見る。
福猫一体は、古窯の守りとして、窯口の傍らに置かれしといふ。

鞘堂の中は、冬の光が薄く差し込んでいた。
囲いの向こうに、土でできた古い窯の跡が静かに横たわっている。
触れることはできないが、そこにあるだけで空気が変わるようだった。
陶揮は、胸の奥がざわつくほどの興奮を抑えきれず、
囲い越しに身を乗り出した。
「この窯……室町初期の古窯なんだよね。
瀬戸の焼き物の原点みたいな、そんな空気がまだ残ってる」
鉄平も、同じ温度で言葉を重ねる。
「だよな。しかもさ、室町時代の窯を江戸時代でも
使い続けてたってのが面白いよな。
古い窯をそのまま再利用できるって、
この土地の粘土と地形がよほど窯に向いてた証拠だな」
陶揮は石積みの奥を指さした。
「見て。あそこ、焼成室の跡が残ってる。
ここに器を並べて、焚口から熱を送って……
炎がこの空間を満たしていったんだよね」
鉄平は少し身をかがめ、地面の傾斜を確かめるように目を細めた。
「この窯、地下式だな。焚口から奥へ向かって熱が抜ける構造になってる。
ほら、あれ──分煙柱(ぶんえんちゅう)だ。
炎を分散させて、窯全体に火が行き渡るようにしてある。
江戸時代に改造したんだよな。古い窯道具を使って補強してある」
二人の声は、冬の森の静けさを完全に押しのけていた。
まるで、窯跡そのものが二人の言葉に応えるように、
ひっそりと息をしているようだった。
陶揮がふと後ろを振り返ると、
そこにいるはずの碧釉と志野の姿がなかった。
「……あれ? 二人ともどこ行った?」
鉄平も気づいて、肩をすくめる。
「たぶん、俺たちのマニアックな話なんて聞いてないぞ」
その言葉どおり、少し離れた祠のほうから、
キャッキャと弾む声が聞こえてきた。
碧釉と志野が、祠の前で何かを見つけてはしゃいでいる。
祠の中央には── 福猫が鎮座していた。
耳と首輪は深い藍色。斑模様は、刷毛で描いたような淡い青。
冬の光を受けて、静かに、しかし確かに存在を放っていた。
陶揮と鉄平は顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
「……まぁ、あっちはあっちで楽しそうだね」
「だな。俺たちは窯、あの二人は福猫。 役割分担ってやつだ」
冬の森に、四人それぞれの“発見の声”が響いていた。
車に戻ると、藤吉は水筒のお茶を飲みながら、
朝の冷たい空気を楽しむように腰を落ち着けていた。
「よう早かったな。次は洞(ほら)だな。
半次郎さんのところだろ?すぐ近くだ」
そう言って、いつもの豪快な笑みを浮かべる。
ひとりでも多くの職人を育てたい、
身体が資本……そんな想いから窯を畳んだときに
タバコをやめたせいか、どこか呼吸が軽くなったようにも見えた。
車の中で、碧釉は”福猫縁起”を読み上げた。
③洞本業窯(ほらほんぎょうがま)
洞の地にては、鎌倉の頃より土を捏ね、器を焼く業続けり。
寛政の頃に「本業」の名初めて用いられ、
刷毛目(はけめ)の鉢、紅鉢、石皿、呉須絵(ごすえ)の碗など、
周辺の窯場と趣を異にする品々を産す。
福猫一体は、洞の陶工らが窯の安寧を祈り、
工房の梁上に祀りしものと伝う。

車はゆるやかに山道を下り、ほどなくして、
黒い瓦屋根の大きな建物が姿を現した。
瀬戸本業窯──瀬戸の”洞(ほら)”と呼ばれる地域にあるその場所は、
最も古い窯のひとつであり、代々「水野 半次郎」を襲名する家だ。
民藝館のギャラリーを抜けると、
石造りの巨大な”連房式登り窯”が姿を現した。
石積みのアーチが角度を変えながら続き、
炎が駆け上がる道筋がそのまま形になっている。
その姿に、陶揮と鉄平は思わず息をのんだ。

瀬戸では、陶器を“本業焼”、磁器を“新製焼”と呼び分ける。
もともと陶器の産地だった瀬戸では、陶器こそが本来の仕事=本業であり、
磁器は江戸後期に入ってきた新しい技術だったからだ。
瀬戸本業窯は、その名の通り、
約250年ものあいだ実用陶器を焼き続けてきた窯である。
陶揮は、石の表面に残る焼成の痕跡を見つめた。
黒く焦げ、赤く焼け、灰色にくすみ、火の記憶が幾層にも重なって、
貼りついている。
昭和54年の焼成を最後に薪窯としての役目を終え、
資材の減少などの理由から、現在はガス窯で焼成が行われている。
登り窯は文化財として静かに保存され、その巨大な体躯だけが、
かつての熱を語っていた。
二人は言葉を交わさずとも、
この窯が積み重ねてきた時間の重さを感じ取っていた。
その静けさを破るように、志野の元気な声が聞こえた。
「碧釉お姉ちゃん、こっちこっち!猫ちゃんいたよ!」
「あった……。志野ちゃん、よく見つけたね!」
工房の梁上…ではなく、
登り窯の脇の階段を登りきった先に小さな祠があり、
深い黄土色の耳と首輪をつけた福猫が、窯を見守るように鎮座していた。
斑模様は刷毛で描いたような淡い黄色。
陶揮と鉄平は顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
窯の静けさと、少女たちの明るい声、その対比が妙に心地よかった。
登り窯の横に併設された「窯横カフェ」は、
古い窯場の空気をそのまま抱えたような素朴で落ち着いた場所だった。
木のテーブルに腰を下ろすと、
ほんのり温かい器に入ったお茶の香りがふわりと立ちのぼる。
「それじゃ、次の目的地、”霞仙鉱山”のところを読むね」
そう言うと、碧釉は「福猫縁起」の続きを読み上げた。
④霞仙鉱山(かせんこうざん)
瀬戸焼の根源たる蛙目(がいろめ)粘土は、霞仙山中より産す。
その粘り強く可塑に富むこと、器成形に最も適すと古来より知られたり。
坑道は深く、土の匂ひ濃く、採掘の難儀絶えず。
福猫一体は、採土の安全を祈るため、坑口の祠に納められしといふ。
碧釉の声は、冬の空気にすっと溶けていった。
志野はコップに入ったオレンジジュースを飲みながら、
碧釉のスマホで撮った福猫の写真を見て「かわいい……」と小さく呟いた。
陶揮は、カフェのテーブルに古地図を広げた。
実家から持ってきた、紙が少し黄ばんだ瀬戸の古地図。
その地形を指でなぞりながら、霞仙鉱山の位置を探る。
「蛙目粘土ってさ……」 鉄平が湯気の立つカップを手にしながら言った。
「思い通りに成形しやすくて、白く綺麗に焼ける。
しかも耐火温度が高い。
瀬戸焼が発展した理由のひとつだよな」
陶揮も地図を見つめたまま続ける。
「“ガイロ”って蛙の方言なんだよね。
粘土の中の石英の粒が、蛙の目みたいに見えるから
そう呼ばれたって聞いた」
鉄平は頷き、指先で古地図の北側を軽く叩いた。
「この古地図の“須原”って地名、たぶん須原町のことじゃないか?」
陶揮は、古地図と現代の地図に引かれた等高線を見比べながら言った。
「うん。市街地のすぐ北にある丘陵地帯。
この地形なら……坑道の入口があってもおかしくない」
碧釉が顔を上げた。
「じゃあ、陶祖公園の森の中に……?」
陶揮は静かに頷いた。
「可能性は高いと思う」
話がまとまったところで、藤吉が立ち上がった。
水筒を腰にぶら下げ、軽く背伸びをする。
「ほんなら陶祖公園まで送ったるわ。
午後は陶芸教室の予約があってな。
それが終わったら──駿さんと焼き鳥に行く約束しとるで」
そう言って、豪快に笑った。
「くれぐれも危ないことはするなよ……それじゃ!」
藤吉が手を振りながら走り去っていくと、
陶祖公園の森の中には静けさだけが残った。
陶揮たちは、地図を頼りに森の奥へ進んでいく。
落ち葉を踏む音が、乾いた空気に軽く響く。
やがて── 木々の影の向こうに、ぽっかりと口を開けた暗がりが見えた。
洞窟の入口のような、人の手が入った痕跡をわずかに残す、古い穴。
陶揮が息を呑む。
「……ここが鉱山へ続く道?」
冬の森が静まり返り、その暗がりだけが、
過去から続く物語の続きを語ろうとしていた。

洞窟の奥へ進むと、空気は急に冷たくなり、
懐中電灯の光だけが頼りになった。
陶揮、碧釉、鉄平、志野の4人は、
湿った土の匂いの中を慎重に歩いていく。
そのとき── 背後で、地面が裂けるような轟音が響いた。
「えっ……!?」 碧釉が振り返る。
崖崩れのような音が洞窟全体に反響し、昨日の雨で緩んだ地盤が、
入口付近の土を一気に押し流していた。
「戻るぞ!」 陶揮が叫び、4人は慌てて引き返す。
しかし── 洞窟の入口は、巨大な土の山で完全に塞がれていた。
「うそ……でしょ……?」 碧釉の声が震える。
志野は半泣きになり、碧釉の手を握る手が小刻みに揺れていた。
「やだ……やだよ……出られないの……?」
その声は洞窟の壁に吸い込まれ、余計に心細く響いた。
鉄平はすぐに土の山へ駆け寄り、素手で掘り始めた。
「どけよ……! こんなの、掘れば……!」
「鉄平、やめろ!」 陶揮が腕を掴んだ。
「上からまた土が落ちてきたら危ない! ここで掘るのは無理だ!」
鉄平は歯を食いしばり、拳を握りしめた。
陶揮は深く息を吸い、洞窟の奥へ懐中電灯を向けた。
「……坑道なら、鉱山まで続いてるはずだ。
出口がある。前に進むしかない」
その言葉に、碧釉は小さく頷き、志野の肩をそっと抱いた。
4人は再び奥へ進む。
湿った空気が肌にまとわりつき、足音だけが洞窟に響いた。
そのとき── 「ギャッギャッ!」
鳥のような甲高い鳴き声が闇の奥から響いた。
「な、なに……!?」 思わず身を縮める。
黒い影が4人に向かって一斉に飛んできた。
洞窟に棲むコウモリたちだ。
「くっ……!」 陶揮は懐から3枚の皿を取り出し、
洞窟の天井に向かって投げた。
「指弾三連・召雷(しょうらい)!!」

3枚の皿が闇へ飛び、 天井に当たった瞬間──
雷鳴のような甲高い音が洞窟全体に響き渡った。
「ギャッ!!」 コウモリたちは驚いて散り、奥の暗闇へと逃げていった。
「……助かった……」 碧釉が胸を押さえる。
その先は行き止まりになっていた。
古い木でできた扉が、洞窟の壁に埋め込まれるように立っている。
「ここから出られる……!」 陶揮が駆け寄る。
鉄平が肩で息をしながら、全力で扉を押した。
しかし── 怪力の鉄平の全力を以てしても、扉はびくともしない。
「なんでだよ……!」 鉄平が悔しそうに叫ぶ。
陶揮たちはスマホを取り出し、電波を確認した。
「……圏外だ」 陶揮と鉄平が呟く。
「私も……」 碧釉も言葉を失う。
志野はついに泣き出した。
「……やだよ……ほんとに帰れないの……?
お父さん、お母さん、おばあちゃんに会いたい……
もう会えないなんて、そんなの……いやだよ……
ここにずっと閉じ込められちゃうの……?」
碧釉はしゃがみ込み、志野の手を優しく握った。
「大丈夫。絶対に帰れるよ。 私たちがいるから」
その言葉に、志野は涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
今度は、鉄平、陶揮、碧釉の3人で扉を押す。
力を合わせれば何とかなるかもしれない……。
──その時、背後で、志野の声が変わった。
まるで大人の女性のような、落ち着きと響きを持つ声。
「古き鉱脈よ、眠りし道をいま示せ。
封ぜられし扉よ、時の理(ことわり)に従い、再び息を吹き返せ。
乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・
巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)!!」

洞窟の中なのに、風が吹いた。
冷たい風が3人の背中を押し、木の扉がゆっくりと軋みながら開いていく。
外から光が差し込んだ。
眩しい白さ。
一面に広がる白い陶土の鉱山。
霞仙鉱山── 瀬戸焼の根源たる土の源。
洞窟の外に出た瞬間、4人はしばらく言葉を失った。
鉱山に満ちる光が、まるで救いの手のように全身を包み込む。
冷たい洞窟の空気から解放され、胸の奥がじわりと温かくなる。

陶揮が、ほっと息を吐いた。
「……助かった……」
鉄平は膝に手をつき、しばらく空を見上げていた。
碧釉は志野の肩を抱きながら、涙の跡をそっと拭う。
「志野ちゃん、さっきの……何だったの?」 碧釉が優しく尋ねる。
志野は涙の残る目を細め、
洞窟の奥で見せた“大人の声”とはまるで別人のように、
いつもの調子でにへっと笑った。
「えへへ〜、八卦呪(はっけじゅ)って言うんだ。
おばあちゃんに教えてもらったの」
その言葉に、3人は同時に息を呑んだ。
洞窟の闇の中で響いた、あの落ち着いた声。
風を呼び、扉を開いた不可思議な力。
それを、志野はまるで秘密のおまじないのように軽く言ってのけた。
「そうだ…福猫は?」
陶揮の言葉に後ろを振り返ると扉のすぐそばには、小さな祠があり、
その中央に福猫が静かに鎮座していた。
耳と首輪は光り輝く白。斑模様は、刷毛で描いたような淡い灰色。
「Aチーム、任務完了…だな」
鉄平が穏やかな声で呟く。
「見て……道がある」
陶揮が指を差したその向こうには、街へ帰る細い山道が続いていた。
「……帰れる……!」 碧釉が涙を浮かべて言った。
陶揮は碧釉の手をぎゅっと握り、鉄平は大きく息を吐いた。
4人は顔を見合わせ、無事に帰れる喜びを噛みしめると、
光の中へと歩き出した。
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