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【陶奔星霜】第6話「福猫暗号」6/6

    昼前、陶揮、碧釉、鉄平、志野の4人は、
    陶祖公園から市街地へと続く坂道を
    洞窟探検の余韻をまだ少し引きずりながら歩いていた。
    「……ほんと危なかったな。もしあの扉が開かなかったら……」
    陶揮の言葉に碧釉も頷く。
    「みんなで力を合わせたから助かったんだよ。
     それに志野ちゃんが助けてくれたから……ありがとう志野ちゃん」
    志野は先ほどまで泣いていたのが嘘のように、
    「えへへ」 と胸を張っている。
    鉄平は「まぁ……生きて帰れて何よりだ……」 と、
    ほんの少し疲れた声で言った。
    丸一商店まで帰ってきたその時──
    颯太と翠が、まるで遠足帰りのようなテンションで現れた。
    「おつかれ~、クリアしたぞ!」
    颯太はコンビニのコーヒーを片手に、信じられないほど爽やかな笑顔。
    翠は手を振りながら、
    「ねぇ聞いて!福猫、簡単に見つかったよ〜。
     ロールケーキも美味しかったし」
    陶揮たち4人は、同時にピタッと足を止めた。
    鉄平が眉をひそめる。
    「……ロールケーキ?」
    颯太は悪びれもせず、
    「沢山歩いたしな。そっちはどうだった?楽勝?」 と笑う。
    その瞬間、4人の頭の中に“洞窟の入口が土砂で塞がれた瞬間”が
    フラッシュバックした。
    碧釉は、じとーっとした視線を翠に向ける。
    「……楽勝じゃなかったよ?」
    陶揮が苦笑しながら「俺たち、ちょっとだけ死にかけた」と言うと、
    志野は「コウモリさん、いっぱいいたよ〜、びっくりした〜」
    と無邪気に笑う。
    鉄平がぼそっと言う。
    「……なんでそんなに楽しそうなんだよ……」
    颯太は全く気にしていない。
    「ま、無事ならいーじゃん!それより昼飯どうする?腹減った!」
    と満面の笑み。
    4人は思わず同時にため息をついた。
     
    国府院家の母屋に戻ると、6人は再び客間へ集合した。
    福猫探しの緊張がようやく解け、皆少しだけ肩の力が抜けている。
    「昼ごはん作るから、ちょっと待ってて」
    陶揮がそう言って台所へ向かおうとすると、碧釉がすぐに立ち上がった。
    「私、手伝うよ」
    その声はいつも通り優しかった。
    けれど── 
    志野はその小さな手で、離すまいとするようにしっかりと碧釉の袖を握っていた。
    陶揮はその様子を見て、洞窟の暗闇で志野が一瞬だけ見せた“怖さ”を思い出す。
    「ありがとう。でも、すぐできるからいいよ。
     というか……実はもうできてるんだ。
     碧釉は志野ちゃんの傍にいてあげて」
    陶揮は柔らかく微笑んだ。
    碧釉は少し驚いたように瞬きをし、志野の手をそっと握った。

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    ほどなくして── 陶揮は大きなお盆にカレーライスを乗せて戻ってきた。
    「早っ!」 颯太が素で叫ぶ。
    「えっ、もうできてるの!?」 翠も目を丸くする。
    陶揮は照れたように笑った。
    「昨日の晩から煮込んでたんだ。 瀬戸山麓牛のカレーだよ」
    その名を聞いた瞬間、颯太が「嘘だろ…」と声を漏らした。
    「瀬戸山麓牛って……飼育数が少なくて、瀬戸市以外にはほぼ流通してない 
     ブランド牛だぞ?よく手に入ったな……」
    陶揮は肩をすくめる。
    「関屋さんのところで、ちょっとだけ分けてもらったんだ」
    スプーンを口に運んだ瞬間、6人は同時に息を呑んだ。
    ほろほろと柔らかく、赤身の旨味が舌の上でとろける。
    「おいしい……!」志野が目を輝かせる。
    鉄平は黙々と食べながら、
    「これ……店で出せるレベルだろ……」と本気で呟く。
    颯太と翠は「うまっ!」「やばっ!」と騒ぎながら食べ進める。
    碧釉はカレーをひと口食べたあと、
    そっと陶揮の方を見て、ふわりと微笑んだ。
    「……陶揮、ありがとう。こうして帰ってきたら、
     もうご飯ができてるって……なんかすごく安心するね。
     陶揮がいてくれると、ほっとするよ」
    温かいカレーの香りが客間に満ち、食卓には穏やかな笑顔と柔らかな空気が広がっていった。
     
    食後、和やかな空気のまま、6人は“開かずの間の鍵”を探る作戦会議を始めた。
    まずは、福猫が見つかった7つの場所の頭文字を並べ替えてみることにした。
    【福猫の頭文字】
    ・①御蔵会所(おくらかいしょ)・・・お
    ・②小長曽陶器窯跡(こながそとうきかまあと)・・・こ
    ・③洞本業窯(ほらほんぎょうがま)・・・ほ
    ・④霞仙鉱山(かせんこうざん)・・・か
    ・⑤陶彦社(すえひこしゃ)・・・す
    ・⑥窯神神社(かまがみじんじゃ)・・・か
    ・⑦日乃出屋(ひのでや)・・・ひ
     
    紙に書き出すと、ずらりと並ぶ「お・こ・ほ・か・す・か・ひ」の
    文字列が、妙に存在感を放つ。
    志野が首をかしげながら、ぽつりとつぶやいた。
    まるでひらがなを味わうように、ゆっくりと。
    「お・か・か……?」
    碧釉も続けて、真剣に考えながら口にする。
    「か・か・お……?」
    その横で、颯太が突然閃いたように身を乗り出した。
    「か・か・お・ほ・す・こ・ひ……
     カカオ・干す・コーヒー……
     つまり、カカオを干すとコーヒーになるのか!」
    翠は思わず吹き出し、肩を揺らして笑った。
    「ならないわ!」
    陶揮は苦笑しながら、紙を見つめる。
    「……おかかでもカカオでもなさそうだな」

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    鉄平は腕を組み、天井を見上げた。
    「うーん……全く分からん」
    客間には、真剣さとゆるい笑いが混ざり合った空気が流れていた。
    そんな中、陶揮がふと紙から目を離し、考え込むように言った。
    「……場所じゃなくて、福猫そのものにヒントがあるんじゃないかな?」
    その言葉に、全員が顔を上げた。
    陶揮は立ち上がると、「ちょっと待ってて」と言い、自室へ向かった。
    パソコンを立ち上げ、それぞれが撮った福猫の写真を一枚の紙に収まるよう編集して、プリンターで打ち出した。
     
    そのころ客間では、碧釉のスマホが軽い音を立てて鳴った。
    画面には、今や親友となった香坂 友梨(こうさか・ゆり)の名前。
    全国ツアー中のアイドルグループ”Stella☆note(ステラノート)”で
    キャプテンを務めており、今は福岡に滞在しているらしい。
    ビデオ通話の画面越しの友梨は、明るい笑顔で手を振った。
    「碧釉ちゃん、何してるの?」
    碧釉は少し照れながら答える。
    「幻の器が隠された”開かずの間”を開くために、
     福猫の謎を解いてるところだよ」
    友梨は目をぱちぱちさせた。
    「えっ……なにそれ?全然わかんないんだけど……」
    ちょうどそのとき、陶揮がプリントした紙を手に戻ってきた。
    碧釉はスマホを友梨に向け、「これが福猫だよ」と画面越しに見せた。
    7体の福猫は同じ形をしているが、耳や首輪、身体の模様がそれぞれ違う色で彩られている。
    友梨はそれを見るなり、ぱっと表情を明るくした。
    「なんか、アイドルの衣装みたいだね。
     同じデザインでも、メンバーカラーがあるじゃん?私なら赤。
     それに、同じように見えてもディティールとかアクセサリーは違うから、  
     細かく見るといろいろ気づくよ」
    その言葉に、客間の空気が少しだけ変わった。
    福猫の“色の違い”に視線が集まる。

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    そして友梨は、少し照れたように声を弾ませた。
    「それとね、碧釉ちゃん。聞いてほしいことがあるの。
     私、お芝居の仕事が決まったんだ。しかも主役。
     詳しいことはまだわからないけど、
     “女の子が自分の色を見つけるお話”なんだって。
     碧釉ちゃんに観に来てほしいな」
    「えぇっ、すごい……おめでとう。絶対に観に行く!」
    碧釉の言葉に友梨は嬉しそうに頷いた。
    それから碧釉はスマホを胸の前でそっと持ち直し、
    画面の向こうの友梨に微笑む。
    「そういえば……翠もいるよ」
    そのひと言で、碧釉はスマホを横に向けた。
    画面に映った翠は、少し照れたように手を振る。
    友梨の顔がぱっと華やいだ。
    いとこ同士らしい、遠慮のない柔らかさが一瞬で空気を変える。
    「翠、久しぶり。元気そうでよかった」
    翠は肩をすくめ、苦笑しながら答えた。
    「うん、元気だよ。なんかよく分からないないんだけど……
     巻き込まれて宝探ししてるの。
     気づいたら瀬戸のあちこち歩き回っててさ…」
    友梨は目を輝かせた。
    「え、楽しそうじゃん!いいなぁ……私も今度、瀬戸に行きたいな。
    みんなで回ったら絶対おもしろいよね」
    翠は照れながらも嬉しそうに笑った。
    「うん、来てよ。案内するから」
    画面越しの二人は、まるで距離なんて存在しないかのように
    自然に言葉を交わす。
    碧釉も横でそのやり取りを見守りながら、
    どこかほっとした表情を浮かべていた。
    友梨は名残惜しそうに息を吸い、
    「それじゃ、そろそろ午後のリハーサルが始まるから……またね」
    と手を振った。
     
    6人は、テーブルの上に置かれた7体の福猫のプリントへ視線を戻した。
    【福猫の色と込められた意味】
    ・①御蔵会所(おくらかいしょ)・・・金
     (権威・価値・選別)
    ・②小長曽陶器窯跡(こながそとうきかまあと)・・・藍
     (古瀬戸・伝統)
    ・③洞本業窯(ほらほんぎょうがま)・・・黄
     (豊穣・多彩・本業の火)
    ・④霞仙鉱山(かせんこうざん)・・・白
     (陶土・根源・清浄)
    ・⑤陶彦社(すえひこしゃ)・・・緑
     (陶祖・常磐・安寧)
    ・⑥窯神神社(かまがみじんじゃ)・・・紫
     (磁祖・高貴・祈り)
    ・⑦日乃出屋(ひのでや)・・・赤
     (雛段・商売繁盛・魔除け)
     
    7つの色──金、藍、黄、白、緑、紫、赤。
    それぞれの福猫が持つ意味を読み上げながら、6人は再び頭を寄せ合う。
    しかし、色の象徴をいくら並べても、鍵の場所を示す答えには辿りつけない。
    「色じゃないのかな……」 碧釉が小さくつぶやく。
    陶揮はプリントをじっと見つめ、ふと眉を寄せた。
    霞仙鉱山の福猫──その身体の白い部分だけ、わずかに色味が違う。
    他の福猫の白より、どこか赤みを帯びているように見える。
    そのとき、客間の襖がすっと開いた。
    「ニャ~」
    国府院家の飼い猫、大福が、のんびりとした足取りで入ってきた。
    白黒の斑模様の大福は、何かを口に咥えている。
    そのまま陶揮の足元まで来ると、ぽとりとそれを落とした。

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    小さな盾のような形をした、釉薬のテストピースだった。
    テストピースとは窯に入れて焼き、
    釉薬がどんな発色をするかを確かめる為の陶器片である。
    陶揮が拾い上げると、鉄平がはっと息を呑む。
    「……もしかして」
    鉄平はスマホを取り出し、霞仙鉱山で撮った写真を表示した。
    後ろから撮った福猫の尻尾──
    その先が少し欠けていて、断面が黒っぽく見える。
    「陶揮、分かったぞ」 鉄平の声に、全員が顔を上げた。
    「俺たち、耳とか首輪とか模様の色ばっかり見てたけど……
     この福猫だけ、土が違うんだよ。
     他の福猫は素焼きして透明釉をかけて、その上から色絵で絵付けしてる。
     でも霞仙鉱山の福猫だけは、土の配合が違ったんだと思う。
     だから他の福猫の白に合わせるために、志野釉をかけてから絵付けした。
     そのせいで、白い部分の色味が他と違うんだ」
    陶揮は大福が咥えてきたテストピースを見つめ、
    福猫の赤みを帯びた釉薬の表情に、胸の奥が熱くなった
    「そうか…江戸時代には電気窯なんてないから、
     使うとしたら薪窯か登り窯。
     酸化焼成じゃなくて、還元焼成が起きていた……つまり……」
    陶揮が言いかけたところで、颯太が首をかしげた。
    「ごめん、何だ?その酸化とか還元とか言うのは?」
    陶揮が分かりやすく説明する。
    「酸化焼成は、窯の中に空気がたくさんある状態で焼くこと。
     炎がしっかり酸素を使えるから、釉薬の色が明るく、安定して出るんだ。
     逆に還元焼成は、窯の中の酸素が少ない状態で焼くこと。
     炎が酸素を奪おうとして、釉薬の成分を変化させる。
     その結果、志野釉みたいに赤みが出たり、渋い色になったりするんだよ」
    陶揮は思い出した。
    文化祭の作品展で作った花器「護りの炎」。
    志野釉を還元焼成させ、炎のような赤を出したあの瞬間を。
    霞仙鉱山の福猫の身体── ところどころ赤っぽいのは、
    “還元焼成”が起きていた証拠だ。
    「なるほど……炎の性格が変わるってことか」
    颯太はようやく納得したように頷いた。
     
    そして、7体の福猫の中で“赤い部分”を持つのは──
    霞仙鉱山(か)、日乃出屋(ひ)の2つ。
    「か」と「ひ」。
    その二文字を見た瞬間、碧釉が息を呑んだ。
    「……歌碑?」
    陶揮も頷く。
    「学校の中庭にある校歌の歌碑。開かずの間の鍵はきっとそこだ!」
    長かった謎が、ついに一本の線でつながった瞬間だった。
     
    翌日の月曜日。
    放課後の部活が始まる前の静かな時間、
    校庭を吹く風はどこか落ち着いていた。
    中庭にある歌碑の前では、陶揮と碧釉が周囲を見張りながら立っている。
    その後ろで、颯太と翠が小さなスコップを手に、
    歌碑の周りの土を掘っていた。
    颯太がニヤリと笑い、声を潜める。
    「なんか悪いことしてるみたいで、ドキドキするな」
    翠も苦笑しながら頷いた。
    「ほんとだよ……学校で穴掘るなんて、普通しないし」
    そのとき、翠のスコップがコツンと硬いものに当たった。
    「……え?」
    掘り返すと、土の中から小さなフィルムケースが姿を現した。
    中には、古びた鍵がひとつ。
    「……あった!」
    翠の声に、見張りの二人も駆け寄る。
    4人は顔を見合わせ、胸の奥が一気に熱くなるのを感じた。
    鍵を手に、鉄平が待つクラブハウス裏の備品倉庫へ向かう。
    倉庫の奥にあるもうひとつの扉、何十年もの間、
    誰も開けなかった「開かずの間」。
    陶揮が鍵を差し込み、そっと回す。
    カチャリ……
    「……開いた」
    息を呑む気配が、狭い倉庫の空気を震わせた。
    陶揮は勇気を出して、ゆっくりと扉を押し開ける。
    薄暗い小部屋の中には、金属製の古びた棚があり、
    段ボール箱や理科室で見かけるような空の瓶が無造作に並んでいた。
    その棚の一番奥──
    ぽつんと置かれた桐の箱が、静かに存在を主張していた。
    陶揮はそっと蓋を開けた。
    中には、颯太の言葉どおり、白っぽい”灰釉の茶碗”が入っていた。
    「……本当にあったんだ……これが幻の器……」
    5人は思わず色めき立った。
    颯太は、父親から言われていた
    「箱のふたは開けずに持ってきてほしい」という言葉など、
    すっかり忘れていた。
    陶揮は茶碗を手に取り、じっと見つめる。
    その目は職人のそれだった。

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    「……これ、藤四郎の器じゃない」
    颯太が驚く。
    「えっ、なんで分かるんだよ?」
    陶揮は静かに説明した。
    「手作りで、すごく丁寧に作られているけど、土が違う。
     鎌倉期の茶碗はもっと粗くて、粒子が大きいし、
     荒々しい“手の跡”が残るんだ」
    茶碗をそっと戻そうとすると、
    箱の底に一枚の便箋が入っていることに気が付いた。
    それは、丁寧な筆跡で綴られた手紙だった。
    陶揮は静かに手紙を読み上げた。
     
    幡野 透 先生へ
    この器は、私が初めて「誰かのために作りたい」と思って作ったものです。
    想いを伝えることは叶わないと分かっています。
    それでも、私の気持ちの形を、先生に受け取ってほしいと思いました。
    どうか、この器が先生の心のどこかに残りますように。
                              寺本 さつき

    碧釉が息を呑み、翠は胸の前で手を組んだ。
    呆気にとられた颯太は「……マジかよ」と呟いた。
    「……俺、そろそろ部活、行くわ」
    鉄平も苦笑いしながら、倉庫を出て行った。
    しかし、まだ大きな謎が残っていた。
    颯太の父・祖母懐 隆成が依頼した「幻の器探し」。
    学校に眠る器を探してほしいと頼んだ人物──
    どう考えても、吹奏楽部の顧問である幡野先生しかいない。
     
    吹奏学部の練習後、椅子やパーカッションの片付けが終わると、
    陶揮、碧釉、翠それに颯太の四人は、
    吹奏楽部の部室へ幡野先生を呼び出した。
    桐の箱を差し出すと、幡野先生は肩を落とし、静かに言った。
    「……バレちゃったか」
    そして、すべての真相を語り始めた。

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    ──あの出来事から、もう三十年になる。
    若かった頃の私は、まだ教師という肩書きに慣れず、毎日が手探りだった。
    そんなある日、担任していたクラスの女子生徒──
    寺本 さつきが、帰り際に私を呼び止めた。
    歴史ある窯元の娘で、陶芸部に所属している聡明な子だった。
    彼女は両手で桐の箱を抱えていた。
    「先生、これ……受け取ってください」
    その声は震えていたが、瞳はまっすぐだった。
    箱の中には、灰釉の茶碗と一枚の便箋。
    告白の言葉が綴られていた。
    もちろん、教師として受け入れるわけにはいかなかった。
    「気持ちは嬉しいけれど、これは受け取れない」
    そう言いながらも、私は茶碗と手紙を受け取ってしまった。
    断りきれなかったのだ。若さゆえの、愚かさだったと思う。
    捨てることもできず、机の引き出しにしまったまま数日が過ぎた。
    そんな折、陶芸部の顧問だった效範(こうはん)先生が言った。
    「もう使わないから、倉庫奥の小部屋の鍵を預かってほしい」
    釉薬や呉須(ごす)──
    陶磁器の絵付けに使う顔料の保管庫を新しく買ったから、
    古い部屋は不要になったという。
    私はその鍵を受け取り、ふと思いついた。
    あの茶碗と手紙を、そこに隠してしまおう、と。
    小部屋の棚の奥に箱を置き、鍵は別の場所へ。
    だが年月が経つうちに、鍵のありかを忘れてしまった。
    古い倉庫が取り壊されると聞いたとき、私は焦った。
    高校の後輩だった祖母懐 隆成に頼み、探してもらうことにした。
    まさか“福猫暗号”なんて奇妙な方法で見つかるとは思わなかったよ。
    偶然の産物だ。私自身、驚いたくらいだ。
    ──そして、あの告白の後。 寺本さつきは家を飛び出した。
    新聞には「女子生徒失踪事件」として載った。
    胸が締めつけられる思いだった。だが一週間後、彼女は無事に帰宅した。
    今では窯元を継ぎ、立派にやっていると聞く。

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    すべてを語り終えた幡野先生は、桐の箱を胸の前でそっと抱えた。
    「手紙は……私が責任を持って処分するよ」
    陶揮は気を利かせて言った。
    「器は……丸一商店で買ったことにしておきますね」
    幡野先生は「……助かるよ」と小さく頭を下げた。
    4人は先生のほろ苦い過去に、どこか温かい気持ちになった。
    しかし同時に──
    「あ~あ、幻でも何でもなかったな……
     陶揮たちなんか、生き埋めになりかけたのに……」
    颯太が不満そうに漏らした。
    幡野先生は申し訳なさそうに笑い、
    「器を探してくれたお礼と口止め料だ、今度の休み、焼肉を奢るよ」
    と宣言した。
    部室に、思わず歓声が上がった。
    幻の器探しは、少しほろ苦く、でも温かい結末を迎えた。
     
    土曜日の夜。 瀬戸の街にゆっくりと灯りがともり始める頃、
    市内の焼肉店の一角に、8人の笑い声が満ちていた。
    幡野先生の後輩であり、颯太の父親である祖母懐 隆成、
    そして颯太、陶揮、碧釉、翠、鉄平、志野──
    福猫探しの冒険を共にした面々が勢揃いしている。
     
    隆成は、苦笑いしながら幡野先生のグラスにビールを注いだ。
    「息子には箱を開けるなって言ったのに……
     手紙まで読んでしまって、すみません」
    幡野先生は肩をすくめ、どこか晴れやかな顔で笑った。
    「いや、いいんだ。むしろ助かったよ。これで安心して眠れる。
     茶碗も……使うつもりだ」
    陶揮はその言葉に嬉しそうに頷いた。
    「器は使ってこそ価値がありますから」
    その横で、志野は網の上でソーセージを転がしながら、
    「見て見て、いい色になってきたよ〜!」と満面の笑みを浮かべている。
    颯太はホルモンの皿を抱え、目を輝かせていた。
    「瀬戸のホルモンって最高なんだよ。
     昔は陶工のスタミナ源だったんだってさ」
    陶揮も鉄平も頷く。
    「確かに、窯場の人たちってホルモン好きだよな」
    「体力仕事だし、分かる」
    その横で、翠が冗談めかして言った。
    「今日は捨ててもいい服で来たんだよ。焼肉って油はねるし、匂いつくし」
    碧釉は目を丸くした。
    「えっ……それ、絶対高い服じゃん!」
    颯太がすかさず口を挟む。
    「捨てるなら俺にくれよ」
    翠はジト目で睨んだ。
    「何に使うのよ。変態!」
    テーブルがどっと沸いた。

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    タレの付いたカルビとロース肉を焼きながら、
    吹奏楽部の陶揮、碧釉、翠の3人は
    次の演奏会で何の曲をやりたいかという話題になった。
    陶揮は、少し照れながら言った。
    「俺は……“イーストコーストの風景”がやりたいかな。
     “ニューヨークへ行きたいかー!”……なんてね」
    碧釉は目を輝かせる。
    「私は、“海の男たちの歌”かな。陶揮のトランペットソロ、聞きたいな」
    翠は手を挙げて元気よく言った。
    「私は定番だけど“アルメニアン・ダンス”がやりたい!」
    三人は口々に言いたい放題。
    「幡野先生、スコアとパート譜、探してきてくださいね〜」
    「よろしく〜」
    幡野先生は苦笑しながら、完全に弱みを握られた顔をしていた。
     
    デザートのバニラアイスが運ばれてくると、
    鉄平はスプーンを手に、幸せそうに頬を緩めた。
    「……うまい」
    そんな鉄平がふと思い出したように言う。
    「そういえば、藤四郎の器はまだ見つかってないんだよな。
     また探しに行こうぜ!」
    その瞬間── 他の全員が声を揃えた。
    「幻の器なんて、もうこりごり!」
    店内にどっと笑いが広がった。
    こうして、幻の器と福猫を巡る冒険は、
    賑やかな焼肉の夜で幕を閉じたのだった。
     
    To be continued…

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    瀬戸・尾張旭で30年育ち、瀬戸の街を歩きながら物語を紡いでいます。実在の風景と日常の不思議を重ねた“歩ける物語”を書いています。瀬戸では焼き物の工房をモロと呼びます。器作りに関わる方達、瀬戸旭の皆さま、全ての皆さまの灯になれたらと言う願いです。

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