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【陶奔星霜】第6話「福猫暗号」4/6

    ──日曜日、国府院家の客間に朝の光が障子越しに柔らかく差し込んでいる。
    陶揮、碧釉、颯太、翠、鉄平、志野── 座卓を囲む顔ぶれは、
    いつもの放課後よりもどこか特別な雰囲気をまとっている。
    テレビでは淡々と天気予報が流れているが、誰も画面を見ていない。
    「東海地方は、今日も概ね晴れる見込みです。
     ただし、昨日の大雨の影響で、
     山間部では土砂崩れに十分ご注意ください──」
    その静かな注意喚起は、客間の賑やかさにかき消されていった。
     
    陶揮が周囲を見渡し、軽く息を整えて言う。
    「これで全員揃ったね。 それじゃ、碧釉、お願い」
    座卓の中央には、碧釉が父から預かった古い書物
    ── 福猫縁起 がそっと置かれている。
    表紙は時代を経た紙の色をしていて、
    触れれば崩れそうなほど静かに存在していた。
    碧釉は両手で書物を支え、少し緊張した声で話し始めた。
    「これは、私のご先祖様── 釉泉寺の初代住職、
     藍原 寛栄(あいはら・かんえい)さんが
     江戸時代の文政年間(1818〜1831年)に書いた本なの。
     瀬戸の街には“福猫”っていう七体の猫の像があって、
     街の守り神になっているの。
     陶工の人たちが窯の安全と家業の繁栄を願って作ったものらしいんだけど……
     すべての福猫に願掛けをすると、願いが叶うんだって」
    志野は目をまんまるにして身を乗り出す。
    「えっ、願いが叶うの!? すごーい!」
    颯太はすぐに食いついた。
    「なるほど! その福猫を探すことで、“開かずの間”の鍵が見つかるってわけだな」
    しかし、鉄平は腕を組んで首を捻る。
    「そうなのか……? あの古い倉庫が建ったのは江戸時代より後だろ?」
    陶揮は少し考えてから答えた。
    「推測だけど…… 誰かが福猫の言い伝えをヒントに、鍵をどこかに隠したんじゃないかな?」
    志野はもうワクワクが止まらない。
    「宝探しみたいで楽しそう!」
    鉄平も珍しく上機嫌でソワソワしている。
    「俺は純粋に藤四郎の器が見てみたい。見つかれば世紀の大発見だぞ」
    皆の反応に颯太はニヤリと笑うと、窓の外を指差してポーズを決める。
    「探せ! この世のすべてを瀬戸に置いてきた……だな」
    翠は呆れながらも、核心を突く。
    「それで、福猫の場所については何か書かれていないの?」
    碧釉はうなずき、書物をそっと開いた。
    「書いてあるよ。
     1つ目の福猫は、御蔵会所(おくらかいしょ)にあるんだって」
    ページがめくられ、古い紙の匂いがふわりと客間に広がった。
     
    ~『福猫縁起』より”御蔵会所”について~
    享和二年、尾張侯、瀬戸村の陶器産を統べるため、御蔵会所を設けらる。
    村内にて成る陶磁の品々は、ことごとく此の蔵に納められ、役人これを選り分け、良品は藩の御用として専売に供せらる。
    福猫一体は、商いの始源を守るものとして、会所の北隅に安置されたりと伝う。
     
    碧釉が読み終えると、陶揮が「あっ」と声を漏らした。
    鉄平も同じタイミングで顔を上げ、2人は目を合わせる。
    「これ……知ってる」
    陶揮の言葉に、翠が驚いたように身を乗り出した。
    「え、どういうこと?」
    陶揮は古書を見つめながら説明する。
    「今の”瀬戸蔵(せとぐら)”が建ってる場所だよ。
     江戸時代に尾張藩が陶磁器の製造や販売を監督していた役所が
     あったって聞いたことある」
    鉄平も続ける。
    「実際に、過去の発掘調査で御蔵会所の時代の器が見つかってるしな」
    颯太が勢いよく立ち上がる。
    「さすが陶工コンビ! よし、行こうぜ瀬戸蔵に!」
    6人は勢いそのままに立ち上がり、国府院家を出発した。
     
    瀬戸川のほとりに建つ”瀬戸蔵”は、ガラス張りの外観と濃いベージュ色の壁が印象的な近代的な建物で、2005年の愛・地球博(愛知万博)を契機に
    建てられた複合施設である。
    ・瀬戸焼の歴史・文化・産業を展示する博物館
    ・陶磁器ショップ
    ・和カフェ
    ・観光案内コーナー
    ・市民交流ホール
    などを備え、瀬戸の“今と昔”が同じ場所で息づいている。

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    御蔵会所(左)・瀬戸蔵(右)

    6人は建物の周囲を歩きながら、福猫の痕跡を探した。
    瀬戸蔵の裏手に回ると、木々の間に小さな祠が見えた。
    「……あれ、祠じゃない?」 碧釉が指さす。
    祠の前に近づくと、そこには 古びた陶製の猫の像が静かに佇んでいた。
    その猫は、瀬戸焼特有の温かみのある土の色をしていて、
    左手──いや、左前脚をゆっくりと上げている。
    丸い目は優しく、釉薬の艶が年月を経て柔らかくなり、
    胸元には小さな鈴が付いた金色の首輪が描かれていた。
    耳の先もほんのりした黄金色で、体の模様は刷毛で描いたような素朴な斑模様。瀬戸焼の招き猫らしい、「福を呼ぶ」姿そのままだった。
    陶揮は思わず息を呑む。
    「……これが、福猫」
    志野は目を輝かせて跳ねる。
    「かわいい〜!ほんとに猫ちゃんだ!」
    鉄平は祠の位置を見て眉をひそめた。
    「北隅じゃなくて、南側にあったな……」
    碧釉は書物を抱えながら、静かに言った。
    「”福猫縁起”にはね、“福猫の所在は時によりて移ろひ、常に定まらず” って 
     書いてあるの。だから、時とともに場所が変わっている可能性があるわ」
    翠は祠を見つめながら小さくうなずいた。
    「よし、一体目クリアだな。 次の福猫も探しに行くぞ!」
    颯太の気勢が明るく響いた。

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    「それじゃ、福猫の場所について、もう一度整理するね」
    瀬戸蔵の壁に反射した光が、碧釉の横顔を柔らかく照らす。
    碧釉は『福猫縁起』を開き、七体の所在を現代語で簡潔に説明した。
     
    ~『福猫縁起』が示す7体の福猫の場所~
    ・①御蔵会所(おくらかいしょ)
     江戸後期に設けられた瀬戸村の陶磁器を集め、尾張藩が選別していた公式の蔵所
    ・②小長曽陶器窯跡(こながそとうきかまあと)
     室町初期から続く古窯で、古瀬戸の施釉陶器を焼いた歴史的な窯跡
    ・③洞本業窯(ほらほんぎょうがま)
     江戸後期に「本業窯」と呼ばれた窯場で、刷毛目や紅鉢など特徴的な器を生産した地域
    ・④霞仙鉱山(かせんこうざん)
     瀬戸焼の原料となる蛙目(がいろめ)粘土が採れる鉱山で、陶土の白が象徴となる場所
    ・⑤陶彦社(すえひこしゃ)
     陶祖・加藤四郎左衛門景正を祀る神社で、窯業の始まりを象徴する聖地
    ・⑥窯神神社(かまがみじんじゃ)
     磁祖・加藤 民吉を祀る神社で、瀬戸に磁器技術をもたらした功績を伝える場所
    ・⑦日乃出屋(ひのでや)
     瀬戸村にあった陶磁器問屋で、商売繁盛の守りとして福猫が祀られた商家
     
    碧釉が読み終えると、木々を通り抜ける風が少し強くなり、枝の葉がさらさらと揺れた。その音を聞きながら、翠がアイスティーの入ったペットボトルを持ち上げて言った。
    「ねぇ、効率よく探すなら二手に分かれたほうが良くない?
     ②小長曽陶器窯跡、③洞本業窯、⑤陶彦社、⑥窯神神社は今も残っていて 
     場所もはっきりしてる。
     だから、サクッと回れるように分担したほうがいいわ」
    陶揮と鉄平は顔を見合わせる。
    「古い窯跡や陶土の産地なら、俺たちが詳しいしな」 鉄平が言うと、
    「瀬戸の中心から東側にある②小長曽陶器窯跡、③洞本業窯は、
     俺たちが行ったほうがいいと思う。
     ④霞仙鉱山は……古地図で探してみる」 陶揮も頷いた。
    颯太はスマホを握りしめると、
    「じゃあ俺は情報収集担当だな。
     瀬戸の中心から西側にある⑤陶彦社、⑥窯神神社は任せろ。
     ⑦日乃出屋は……ノーヒントだけど、多分何とかなる!」
    「何なの、その根拠のない自信は!」 翠が呆れたように言う。
     
    碧釉は迷わず言った。
    「私は陶揮と一緒に行く」
    志野ちゃんも元気よく手を挙げる。
    「わたし、碧釉お姉ちゃんについていく!」
    翠はアイスティーを飲み干し、
    「じゃあ私は颯太とコンビね」と静かに宣言した。
    こうして──
    Aチーム:陶揮、鉄平、碧釉、志野
    Bチーム:翠、颯太
    という組み合わせが決まった。
    瀬戸蔵の裏手の静けさの中で、鉄平が突然、手を叩いた。
    「これさ……ゲームの職業に例えるとアレだな。
     Aチームは──
     勇者(陶揮)、戦士(俺)、僧侶(碧釉)、魔法使い(志野)
     ……のバランス型パーティー
     Bチームは──
     賢者(翠)、遊び人(颯太)……の凸凹コンビだな」
    颯太は思わず、「誰が遊び人だよ!」と目を細める。
    翠は冷ややかに笑い、祠の前で腕を組んで一言。
    「これ以上ないくらいピッタリじゃない。
     教室でメントスコーラやって怒られたの誰よ……?」
    颯太はしまった!とばかりに眉を寄せる。
    「それは……俺だけど……!」
    瀬戸蔵の裏手に、6人の笑い声が明るく響いた。
    こうして、福猫探しの旅は、2つのチームに分かれて始まることになった。
    それは、やがて彼らを思いもよらない出来事へと導いていくことになる。
     
    ──Bチームの颯太と翠は、深川神社の参道を歩いて、陶彦社へと向かった。
    「遊び人はな……“悟りの書”が無くても賢者になれるんだぞ……」
    颯太が、先ほどの鉄平の発言にブツブツと文句を言いながら歩く。
    翠は涼しい顔で、肩にかけた高級そうなリュックを軽く揺らした。
    「はいはい。それじゃ、福猫縁起を読んでみるね」
    参道の木漏れ日の中で、翠はタブレットPCを取り出し、
    データ保存した『福猫縁起』をスラスラと読み上げた。
     
    ⑤陶彦社(すえひこしゃ)
    陶祖・加藤四郎左衛門景正公を祀る社なり。
    景正公、古瀬戸の技を興し、瀬戸陶の祖と仰がる。
    文政の頃、陶工ら相議し、景正公の徳を顕彰せんと社を建つ。
    福猫一体は、社殿の脇に置かれ、陶祖の御前にて窯業繁栄を祈られたり。

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    陶彦社

    翠は読み終えると、タブレットを閉じて言った。
    「つまり、景正公の社の横に置かれてるってことね。
    場所ははっきりしてるし、すぐ見つかるはずよ」
    「よし、行くか賢者さま」 颯太が軽口を叩くと、
    「遊び人は黙ってついてきて」 翠はさらりと返した。
     
    深川神社の敷地内の木々に囲まれた小さな社──陶彦社が姿を現した。
    社殿はこぢんまりとしているが、織部釉の美しい屋根瓦は丁寧に手入れされ、拝殿の前には新しい榊が供えられている。
    「ここだな」 颯太が周囲を見渡す。
    翠は社殿の脇へ歩き、すぐに声を上げた。
    「……あったわ。これね」
    そこには、瀬戸蔵で見た福猫と全く同じ形の陶製の猫が、
    静かに置かれていた。
    ただし──
    耳と首輪は深緑、斑模様は刷毛で描いたような落ち着いた茶色。
    瀬戸蔵の福猫が明るい色合いだったのに対し、こちらはどこか“古窯の土”を思わせる渋い色彩だった。
    「色が違う……でも形は同じだな」 颯太がしゃがみ込んで覗き込む。
    翠は腕を組み、静かにうなずいた。
    「陶祖の社に置かれてるんだから、
     瀬戸蔵の“商いの福猫”とは役割が違うのかもしれないわね」
    颯太は満足げに立ち上がる。
    「よし、あと2つだな」
    「次は窯神神社ね」
    2人は陶彦社を後にし、次の場所へと向かって歩き出した。
     
    尾張瀬戸駅から北の方角、窯神町の住宅街の細い道を抜けると、
    急に視界が開け、長い石段がまっすぐ空へ伸びていた。
    颯太は階段を見上げて息をつく。
    「けっこう登るな……」
    翠は日傘を軽く持ち直し、
    「でも、ここまで来たらすぐだよ」と淡々と言った。
    2人は石段をゆっくりと登り始めた。
    住宅街の静けさが背後に遠ざかり、代わりに鳥の鳴き声と木々のざわめきが近づいてくる。
    階段を登り切ると、そこには小さな境内が広がっていた。
    コンクリート製で登り窯の形をした拝殿の前には清らかな空気が漂っている。
    瀬戸の街の喧騒が嘘のように、ここだけ時間がゆっくり流れていた。
    翠はタブレットPCを開き、『福猫縁起』の該当箇所を確認する。
     
    ⑥窯神神社
    磁祖・加藤 民吉翁を祀る社なり。
    民吉翁、肥前に赴き磁器の法を学び、瀬戸に新たなる技を伝へし功大いなり。
    文政七年、陶工らの請願により遥拝所を設け、のち社殿整ひて窯神と称す。
    福猫一体は、民吉翁の御霊を敬い、窯火の守護として奉納されたり。

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    窯神神社

    「民吉さんを祀る社で、
     福猫は“窯火の守護”として奉納された……って書いてあるわね」
    颯太は社殿の脇へ視線を向けた。
    「……あれじゃないか?」
    木漏れ日の影の中に、ひっそりと陶製の猫が置かれていた。
    瀬戸蔵や陶彦社で見た福猫と形は同じ。
    しかし──耳は深い紫、首輪も紫の釉薬で艶やか、
    斑模様は薄い藤色で刷毛目のように描かれている。
    紫は、炎が夜に沈む瞬間の色。窯火のゆらめきが静かに宿っているようだった。
    翠はしゃがみ込み、猫の顔を覗き込んで小さく息をつく。
    「……綺麗。民吉さんの“磁器の技”を象徴してるみたい」
    颯太も隣にしゃがみ、紫の釉薬の艶をじっと見つめた。
    「瀬戸蔵の福猫より落ち着いた色だな。 こっちは“技術の守り神”って感じだ」
    2人はしばらく紫の福猫を見つめていた。
    境内の風がそっと吹き抜け、木々の影が福猫の体に揺れて落ちる。
    翠は立ち上がり、「次は日乃出屋ね」と静かに言った。
    颯太は頷き、2人は階段をゆっくりと降りていった。
    窯神神社の境内には、紫の福猫が変わらぬ姿で佇み続けていた。
     
    「楽勝モード」の2人だったが、窯神神社の長い階段を降りた頃には、
    さすがに足が重くなってきた。
    翠が日傘を閉じながら言う。
    「……ちょっと休憩したい。甘いもの食べたい」
    颯太は即答した。
    「じゃあ、あそこ行くか。翠が行きたがっていた、
     パティスリーエイセンドウの本店」
    「行く!」
    翠は目を輝かせた。
    中水野町ののどかな田園風景に突然、ヨーロッパの片隅に迷い込んだような建物が現れる。
    赤茶色の外壁に尖塔のような屋根、レンガ調の装飾が施された外観は、まるで西洋のお城そのもの。
    入口には木々が植えられ、ガラス扉の向こうにはショーケースが輝いている。
    奥にはお洒落なイートインのカフェスペースが併設されており、
    木目のテーブルと白い壁に照明が柔らかい光を落としていた。
    「…素敵……」 翠は店内を見渡しながら、思わず声を漏らした。
    2人は名物のロールケーキ ”品野ロール”と紅茶を注文すると、窓際の席に腰を下ろした。
    翠はタブレットPCを取り出し、 『福猫縁起』の最後の項目を開いた。

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    ⑦日乃出屋(ひのでや)
    瀬戸村にて陶磁器を扱ふ商家なり。
    主は日村 松治郎(ひむら・まつじろう)と号し、器の目利きに優れ、村内外の陶工より信を得たり。
    福猫一体は、商い繁昌を祈るため、 松治郎自ら工人より贈られしものと記す。
     
    翠は画面をスクロールしながら眉を寄せた。
    「……でも、日乃出屋って現存してないのよね。
     住所も残ってないし、資料もない」
    颯太はスマホで検索を続ける。
    「日村 松治郎……っと。 ……うーん、出てこないな。
     瀬戸の陶磁史の本にも載ってない」
    翠はタブレットPCをテーブルに置くと、少し肩を落とした。
    「福猫縁起に書かれているのに、実在の記録が残ってないなんて……
     どうやって探せばいいの?」
    2人はしばらく黙り込み、窓の外の青空をぼんやり眺めた。
    “日乃出屋の福猫”だけが手がかりゼロという事実に、完全に途方に暮れていた。
    エイセンドウの店内には、ケーキを焼く甘い香りと、ゆったりした空気が流れていた。
     
    翠が諦めずに福猫縁起の続きを読んでいると、とある一文を見つけて、目を見開いた。
    「……ちょっと待って!何か書いてある」
    颯太が視線を上げた。
    「弥生の頃、余、日乃出屋主人・日村 松治郎殿の茶会に招かれたり。
     広き屋敷の庭には、紅梅・白梅ことごとく咲き競ひ、
     また桃の花もほころびて、春の色いよいよ深し。
     その枝間よりは、鶯(うぐいす)の声ほのかに聞こえ、
     まことに心なごむ有様なりき。
     この日は桃の節句にて、座敷には緋毛氈(ひもうせん)を敷き、
     享保雛(きょうほうびな)の飾り見事に据ゑられたり。
     男雛・女雛の御姿、雅にして気高く、その調度の細工もまた巧みにて、
     余しばし見入れたり。
     松治郎殿の御娘、六つと三つになると聞く二人、
     いと愛らしき姿にて余を迎へ、
     つつましげに挨拶するさま、まことに微笑ましく
     茶会は終始和やかにて、愉しきひとときとなりぬ」
     
    腕を組み、黙って聞いていた颯太は
    「古文って難しいよな……よし、俺が今の言葉に翻訳してやる」
    と言うと、スマホの翻訳アプリを起動し、音声読み上げのアイコンに触れた。
    すると──
    「3月ごろさ〜、ウチ、日乃出屋のオーナー松治郎サン家のお茶会に
     呼ばれちゃってマジ草〜!

     お屋敷の庭、紅梅も白梅もバチバチ咲きまくりで桃の花まで
     “春きた〜♡”って感じで、盛れててウケるんだけど〜!
     ウグイスちゃんの声もエモすぎて、
     もう心ほぐれまくりでリラクゼーション確定〜!

     んでさ、この日ひな祭りだったから座敷に緋毛氈ドーン!享保雛ドーン! 
     って飾られてて、男雛も女雛もビジュ良すぎてガチ見惚れたし、
     調度品の細工も職人才能ダダ漏れ〜!

     さらにさ〜、松治郎サンの娘ちゃん2人、6歳と3歳らしいんだけど、
     もう天使すぎて、“こんにちは〜♡”って挨拶してくれて
     ウチ、可愛すぎてむり〜!

     茶会ずっと平和で、まじハピネス空間だったんだけど〜!」
     
    「……なにこれ?」
    翠はティーカップを手に持ったままフリーズし、思わず眉をひそめる。
    颯太は「ごめん、”ギャル語モード”になってた…」と慌てて終了ボタンを押した。
    「これくらい翻訳しなくても分かるわ!
     あぁ……寛栄さん、ごめんなさい……」
    翠は恥ずかしそうな顔をすると肩を落とし、ため息をついた。
     
    颯太は気を取り直して検索を続ける。
    「ところで、”享保雛(きょうほうびな)”って何だ?」
    「ひな祭りって言ってるんだから、ひな人形じゃないの?調べてみたら?」
    颯太が検索すると──

    • 享保年間(1716〜1736)に流行

    • 豪華な天冠、金の冠

    • 金襴をふんだんに使った衣装

    • 袖・裾・袴に厚みを持たせた豪華な親王飾り

    • あまりに華美で、奢侈禁止令の原因にもなった

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    享保雛

    「……めっちゃ豪華じゃん。 こんなの持ってるって、
     松治郎さん、かなりの豪商だったんじゃないか?」
    翠も頷きながら、検索を続ける。
    「瀬戸のお雛めぐり……?
     確か、瀬戸の街じゅうの雛飾りを見て回るイベントだよね。
     “旧 山繁商店(きゅう・やましげしょうてん)”で
     ”享保雛”が飾られてたって書いてある」
     
    その瞬間、翠の視線がテーブルの上の品野ロールのうずまきに吸い寄せられた。ぐるぐる巻き、巡り巡って誰かの手に・・・。
    そして──閃いた。
    「颯太、旧山繁商店って、どんな商売してたの?」
    颯太が検索する。
    「えっと……明治19〜20年頃から昭和にかけて、
     陶磁器の卸問屋をやってたらしい」
    翠は息をのむ。
    「日乃出屋も陶磁器の卸問屋……
     享保雛が日乃出屋から旧山繁商店に渡った可能性がある。
     もし雛人形が移ったなら── 福猫も一緒に移ったんじゃない?」
    颯太は目を見開いた。
    「……それだ! 碧釉ちゃんが言ってたよな、
     “福猫の所在は時によりて移ろひ、常に定まらず”って!」
    2人は同時に立ち上がった。
    「旧山繁商店、行くぞ!」

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    旧山繁商店

    旧山繁商店は、瀬戸市の中心部に残る歴史的建物群で、
    黒い板壁と白い漆喰のコントラストが美しい商家跡だった。
    母屋、蔵、離れが連なり、往時の陶磁器問屋の姿を今に伝えている。
    2人は息を切らしながら敷地の前に到着した。
    その瞬間──
    屋敷の前の祠に、本日4度目の対面となる福猫が鎮座しているのが見えた。
    耳は朱色、首輪は深紅、斑模様は刷毛で描いたような赤。
    「……あった!!」
    「福猫だ……!」
    2人は思わずガッツポーズし、勢いよくハイタッチした。
    「Bチーム、完全勝利だな!!」
    旧山繁商店の前で、2人の歓声が明るく響き渡った。

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    瀬戸・尾張旭で30年育ち、瀬戸の街を歩きながら物語を紡いでいます。実在の風景と日常の不思議を重ねた“歩ける物語”を書いています。瀬戸では焼き物の工房をモロと呼びます。器作りに関わる方達、瀬戸旭の皆さま、全ての皆さまの灯になれたらと言う願いです。

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