
【陶奔星霜】第6話「福猫暗号」2/6
新学期を迎えた瀬戸中央高校。
放課後の教室には、まだ新春の光が残っていた。
陶揮、碧釉、颯太、翠──いつもの四人が机を囲んでいる。
「幻の器!?」
翠が思わず声を張り上げ、教室に反響した。 颯太が慌てて手を伸ばす。
「シッ、声が大きいって!」
「だって、いきなりそんな話されたら驚くでしょ!」
碧釉は目を瞬かせながら、陶揮の横顔を覗き込む。
「陶揮、本当にそんな器があるの?」
陶揮は少し考えてから、ゆっくりと頷いた。
「よく分からないけど……
颯太のお父さんがわざわざ頼んでくるくらいだし、
本当にあるんじゃないかって思ってさ。
それに…まだ誰も見たことのない器って、ちょっとワクワクするだろ?」
半信半疑ながらも、陶揮の声には確かな熱があった。
颯太が勢いよく机を叩く。
「だからさ!俺たち四人で探すんだよ!見つけて左団扇の生活、ってな!」
「はいはい、調子いいんだから……」 翠が呆れたように笑う。
「で、颯太。どこから探すつもりなの?」
「そうだな……器がある場所と言えば──家庭科室!」
「……安直すぎない?」 翠が眉をひそめる。
「可能性だよ、可能性! ほら、考えてても始まらないだろ。行くぞ!」
冷や汗をかきながらも先頭を歩き出す颯太。
その背中を追うように、陶揮と碧釉、翠も立ち上がった。
こうして、四人の“幻の器探し”が静かに幕を開けた。
「……誰もいないよね」
陶揮がそっと扉を押し開けると、家庭科室には湯気が立ちこめていた。
調理台のIHヒーターでは、大鍋がぐらぐらと沸騰している。
その前に立っていたのは、
吹奏楽部のユーフォニアム奏者 若宮 遥翔(わかみや・はると)。
隣には、アルトサックスの川端 葵(かわばた・あおい)が
寄り添うように立っていた。
まな板の上には、打ち立ての蕎麦が整然と並んでいる。
今まさに鍋へ投入されるのを待っているところだった。
「……何やってんの?」
陶揮たちに気づいた遥翔が、驚いたように顔を上げる。
「いやいや、こっちのセリフだよ!お前こそ何やってんだよ!」
颯太が即座にツッコミを入れた。
「見れば分かるだろ。蕎麦を茹でるんだよ」
遥翔は胸を張って言う。当然だと言わんばかりの態度だ。
「今日はね、遥翔が“新作を食べてほしい”って言うから。
部活も休みだし、ちょうどよかったの」
葵が手を振ると、栗色のポニーテールがふわりと揺れた。
その仕草に、颯太が「リア充め……」と小声で呟く。
陶揮はそっと颯太の耳元で囁いた。
「颯太……これ、いつものことだから」

遥翔は既に蕎麦を鍋へ投入している。
茹で上がると素早く冷水で締め、白い皿へ手際よく盛りつけた。
「良かったら陶揮たちも食べていけよ。
今日は挽き方をちょっと変えてみたんだ」
「碧釉、ラッキーだね。遥翔くん家の蕎麦、美味しいから」
「うん、私もお腹空いてたところ」
碧釉と翠が顔を見合わせて笑う。
遥翔の実家──瀬戸記念橋の袂にある老舗蕎麦屋「草庵(そうあん)」。
その跡継ぎ息子である遥翔は、蕎麦を愛しすぎて放課後の家庭科室に入り浸るほどだ。
蕎麦をすすり終えた頃、陶揮が箸を置いた。
「ところで遥翔、家庭科室で変わった皿や器を見たことない?」
遥翔は肩をすくめる。
「さぁな。どう見たって業務用の皿だろ。
俺としてはザルとせいろを置いてほしいくらいだが」
(置くわけないだろ……蕎麦屋じゃないんだから)
陶揮は心の中でツッコミを入れつつ、“家庭科室の常連”である遥翔が知らないなら、ここには珍しい器はないと判断した。
そのとき、葵がぽんと手を打つ。
「ねぇ、器と言えば……昔、陶芸部ってなかったっけ?」
「うん。私たちが入学する前まではあったみたい。
指導できる先生が退職して、廃部になったって聞いたよ」
碧釉が答える。
蕎麦を食べ終えた翠が、颯太に向き直った。
「ところで颯太、幻の器ってどんな特徴なの?」
「親父が言うには、桐の箱に入ってる
“緑がかった白い灰釉の茶碗”らしいぞ」
その瞬間、翠が勢いよく立ち上がった。
「ちょっと!それを早く言いなさいよ!
そんなものが家庭科室にあるわけないじゃない!
茶道具と言えば、茶華道部でしょ!」
「まぁまぁ、翠。いいじゃない。 美味しい蕎麦も食べられたんだし」
碧釉がなだめると、翠は渋々肩を落とした。
遥翔と葵に手を振って別れた四人は、
次なる目的地──茶華道部の部室へと向かった。
茶華道部の部室は、校舎の一角にひっそりと佇んでいた。
廊下のざわめきが遠のくにつれ、空気がどこか澄んでいく。
入口には、木の格子戸。
放課後の光が縦の隙間からこぼれ、畳の香りがほのかに漂ってきた。
翠が格子戸に手をかける。
「ここよ。茶華道部の部室」
カラリ、と控えめな音を立てて戸が開く。
その奥には、玄関のような小さな土間があり、さらに襖を開けると──
畳の和室が静かに広がっていた。
部屋の中央には、季節の花を生けた花器。壁には掛け軸。
まるで別世界のような、凛とした空気が漂っている。
その空間に、ひとりの女子生徒が正座していた。
茶華道部の部員であり、翠の友人──城ヶ根 咲良(しろがね・さくら)だ。
畳の上に座る咲良は、黒髪をすっきりと結い上げ、白い肌に柔らかな光を宿した涼やかな少女だった。控えめな所作のひとつひとつに品があり、まるで茶華道部の空気そのものが形になったような佇まいをしている。
「ごきげんよう、咲良ちゃん」
翠は、まるで舞台に立つ女優のように自然な所作で挨拶する。
その声は柔らかく、しかし不思議と場の空気を掌握してしまう力があった。
咲良は顔を上げ、ぱっと花が咲くように微笑む。
「翠ちゃん、ごきげんよう。今日はどうしたの?」
翠は一歩進み、まるで自分の部屋のように馴染んだ動きで畳に上がる。
「ちょっとね、咲良ちゃんに見せてもらいたいものがあってさ。
茶道で使う器──茶碗とか茶入れとか、いろいろ。
咲良ちゃん、詳しいでしょ?」
断るという選択肢を自然に消してしまう“翠の最強コミュ力”そのものだった。
咲良は小さく笑い、頷く。
「もちろん。どうぞ、上がって。ちょうど片付けが終わったところなの」
翠が振り返る。
「ほら、みんなも。遠慮しないで」
陶揮、碧釉、颯太の3人は、翠の圧倒的な社交力に半ば呆れながらも、
畳の部屋へと足を踏み入れた。
咲良は奥の棚から、そっと桐の箱を二つ抱えて戻ってきた。
畳の上に丁寧に置くと、木の香りがふわりと広がる。
「これね。茶会で使う大事な茶碗なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、颯太の目がギラリと輝いた。
「おおっ、これこれ!桐の箱だ!絶対それだろ!」
「ちょっと、まだ中身見てないでしょ……」
翠が呆れたようにため息をつく。
咲良が慎重に紐を解き、蓋を開ける。
中から現れたのは──深い緑の織部茶碗と、白く柔らかな肌の志野茶碗。
「うわぁ……綺麗……」 碧釉が思わず息をのむ。
しかし陶揮は、茶碗を手に取るとじっと見つめた。
高台、釉薬の流れ、土の粒子── その目は完全に“職人”のそれだった。
「……これ、現代の茶碗だよ」
「えっ?」 咲良が目を瞬かせる。

陶揮は落ち着いた声で続けた。
「釉薬の溶け方が均一すぎるし、土も精製土だ。
高台の削りも機械的。桃山期の織部や志野とは全然違う」
颯太が口を開けたまま固まる。
「ま、マジかよ……」
陶揮はさらに追い打ちをかけるように言った。
「そもそも志野や織部の釉薬が登場するのは、
藤四郎の時代より三百年くらい後なんだ。時代が合わないよ」
「三百年……」 翠が額に手を当てる。
そのとき、咲良がぽつりと呟いた。
「……陶揮くん、何だか鑑定団の人みたい」
その瞬間、部屋に笑いが弾けた。
「確かに!」、「分かる!」、「陶揮、似合いすぎ!」
陶揮は耳まで赤くしながら、茶碗をそっと桐箱に戻した。
こうして── “幻の器探し”は、またしても空振りに終わったのだった。
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