
【陶奔星霜】第6話「福猫暗号」1/6
──祖母懐隆成探偵事務所
薄暗い部屋に、青白い蛍光灯がジジ……と低く唸っている。
壁一面に貼られた地図と、積み上がった書類の山。
外はまだ朝の気配が残り、窓のすりガラス越しに白い光がぼんやり差し込む。
探偵 祖母懐 隆成(そぼかい・りゅうせい)は湯気が立ち昇るコーヒーを2つ、テーブルに置くと、目の前の依頼人を静かに見つめた。
男の顔は影になり、表情は読み取れない。
「……つまり、器を探してほしいと?」
低く落ち着いた声が、狭い部屋に響く。
依頼人は落ち着かない様子で椅子に身を乗り出した。
「……あぁ、頼む。時間が無いんだ。
早く見つけないと、大変なことになる」
隆成は眉をひとつ上げ、机の上の万年筆を指先で転がす。
「わかりました。他ならぬ先輩の頼みですからね……」
一拍置いて、「それで、どんな器なんです?」
依頼人は視線を泳がせ、部屋の隅に置かれた古いストーブをちらりと見る。
火は入っていないのに、汗がにじんでいる。
「……それは言えない。箱に入っているが、開けずに持ってきてほしい。
それなりのお礼はさせてもらう」
隆成は深く息を吐き、椅子の背にもたれた。
依頼人の声の震えが、ただ事ではないことを物語っている。
薄暗い事務所に、不穏な気配がゆっくりと満ちていった。

元旦の朝。
冬の澄んだ空気が境内を包み、釉泉寺には早くから参拝客の列ができていた。
吐く息は白く、焚火の煙がゆっくりと空へ昇っていく。
本堂脇の寺務所の縁側では、碧釉が甘酒の湯気に頬を赤らめながら、
参拝客に頭を下げていた。
「明けましておめでとうございます。
お参りいただき、ありがとうございます」

柔らかな声に、年配の女性が目を細める。
「おめでとう、碧釉ちゃん。すっかり綺麗になって……
ねぇ、いい人いるんじゃないの?」
「えっ……えぇ……はい……」
碧釉は耳まで赤くしながら、湯気の向こうで小さく笑った。
子どもには蜜柑を渡し、手を振る。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「また来てね」
その笑顔は、冬の朝をほんのり温めるようだった。
境内の焚火のそばでは、陶揮が火ばさみを手に薪をくべていた。
そこへ、碧釉の父 藍原 覚(あいはら・さとし)住職が歩み寄る。
「陶揮くん、ご苦労様。いつも済まないね」
「いいんですよ。小さい頃からずっと来ていますし……
ここに来ると落ち着くんです」
覚は満足そうに頷いた。
国府院家と藍原家は、丸一商店が創業する前からの深い付き合い。
正月の修正会(しゅうしょうえ)の日は、門徒たちが自然と集まり、
境内の掃除や誘導を手伝うのが恒例だった。
「それにしても、さすが陶工の家の子だ。火の扱いが上手いね」
「うちは電気窯ですけどね」
「ははは、そうだったか」
そこへ、碧釉の母 葉子が顔を出す。
「陶揮くん、ありがとう。
今日はもういいから、碧釉とゆっくりしていって」
「はい。ありがとうございます」
陶揮は軽く頭を下げ、寺務所へ向かった。
「碧釉、お疲れ!」
「陶揮もお疲れ様。朝からありがとう。甘酒、飲む?」
「うん、いただくよ」
湯気の立つ甘酒を口に含むと、冷えた体の奥までじんわり温かさが広がった。
二人は並んで縁側に腰を下ろし、しばし静かな時間を共有する。
「私たちも、お参りしようか」
本堂に入り、二人は並んで手を合わせた。
蝋燭の灯りが揺れ、木の香りが静かに漂う。
「ねぇ、何をお願いしたの?」
陶揮が横目で尋ねる。
「え?内緒だよ」
「教えてよ」
碧釉は少し考えてから、微笑んだ。
「……たぶん、同じこと考えてると思うよ」
その言葉に、陶揮の胸が温かくなる。
「陶揮の家、今日は親戚の人たちが来るんだよね?」
「うん。恒例の食事会。そろそろ行かなきゃ」
「途中まで一緒に行っていい?」
「もちろん」
二人は境内を出て、冬の青空の下、手を繋いで歩き出した。
雪をかぶった三国山の稜線が遠くに見え、空気は冷たいのに、
手の温もりだけは確かだった。
やがて分かれ道に差し掛かる。
「それじゃ、ここで……」
碧釉が立ち止まり、陶揮を見上げる。
「陶揮、さっきの答え……何だと思う?」
そう言うと、そっと陶揮の袖を摘んだ。
その仕草があまりに愛しくて、胸が締めつけられる。
「……分かるよ。“ずっと一緒に居たい” だよね」
碧釉は嬉しそうに頷いた。
「正解だよ」
周囲に人がいないことを確かめると、陶揮は碧釉の肩をそっと抱き寄せた。
冬の冷たい空気の中で、二人の距離だけがゆっくりと近づいていく。
そして── 静かで優しいキス。
短いけれど、胸の奥に灯りがともるような温かさが残った。
碧釉が小さく笑う。
「行ってらっしゃい、陶揮」
「うん。また後で」
陶揮は幸せな気分のまま、家族と親戚の待つ国府院家へと歩き出した。

「ただいま…」
正月休みの丸一商店は、まるで器たちまで眠りに落ちたように静まり返っていた。
しかし母屋の玄関を開けた瞬間、客間からは早くも賑やかな笑い声が漏れてくる。
襖をそっと開けると、畳の香りとともに温かな空気が流れ出た。
座卓にはおせちの重箱が並び、瀬戸焼の器の上には鰤の照り焼き、有頭海老の塩焼き、黒豆、昆布巻き── 色彩豊かな料理が、器の釉薬の揺らぎを受けてきらりと光っていた。
「やぁ、明けましておめでとう、陶揮くん!」
父・駿作の弟、国府院 晋作(こういん・しんさく)が、
陶揮の顔を見るなり満面の笑みで手を振る。
「叔父さん、新年おめでとうございます」
「ずいぶん立派になったなぁ。
ほら、陶揮くんの好きなマスの寿司だ。カニもあるぞ!」
「わぁ……ありがとうございます」
陶揮が座布団に腰を下ろすと、和やかな食事会が始まった。
晋作は煮しめの盛られた瀬戸焼の鉢を手に取り、しげしげと眺める。
「……この釉の溜まり方、絶妙だな。
縁の火の入りが綺麗で、煮物の照りが映える。
瀬戸の職人は“料理がどう見えるか”を本当に分かってる」
駿作は満足そうに頷いた。
「そうだな。瀬戸焼も越中瀬戸焼も、元を辿れば同じ“瀬戸の技”だ。
だが、土地が変われば土も変わる。
土が変われば釉薬の流れも、火の入り方も、器の顔つきもまるで違う。
同じ技でも、別物になるんだよ。
……で、富山のほうは最近どうなんだ?」
晋作は器をそっと置き、肩をすくめて笑った。
「昔は百を超える窯元があったらしいけどね。今は数軒だけだよ。
コスパだタイパだって時代に、現役の登り窯が残ってるのは奇跡みたいなもんだ。
でも、俺たちが守ってみせるさ。
あのスティーブ・ジョブズも愛した“越中瀬戸焼”を」
陶揮は、誇らしげに語る晋作の横顔を興味深く見つめた。
国府院 晋作──富山県立山町に伝わる”越中瀬戸焼”の陶工。
その歴史は430年以上前、加賀藩主・前田利長が尾張国瀬戸から陶工たちを招いたことに始まる。
言わば“もうひとつの瀬戸焼”である。
晋作は若い頃、バックパッカーとして世界を放浪し、インドの奥地やアフリカの村、中東の紛争地帯まで旅した男だ。駿作が「人類が滅んでもお前だけは生き残る」と冗談を言うほどの生命力を持つ。
立山連峰を旅していたとき、山小屋で働く女性に一目惚れし、その実家が越中瀬戸焼の窯元だった──そんな運命めいた馴れ初めも、陶揮は何度聞いても好きだった。
「ところで陶揮くん、高校生活はどう?彼女できた?」
晋作の娘で、富山の大学に通う国府院 琴音(こういん・ことね)が身を乗り出す。
肩のあたりで揺れるゆるふわのセミロングは、冬でも軽やかに見える。
前髪は薄く整えられ、自然なシースルーバングが彼女の目元を柔らかく縁取っていた。
「うん、いるよ……」
言いかけた瞬間、陶揮の母・縁(ゆかり)が勢いよく割り込んできた。
「いるいる!琴音ちゃん、これ見て!
これが陶揮の可愛い彼女、碧釉ちゃん!」
どこから持ってきたのか、縁はティーンズ雑誌『Kira²style』を開いて琴音に差し出す。
「ちょっ……母さん、それは……!」
陶揮が止めるより早く、琴音は懐かしそうに雑誌を手に取った。
「わ、これ高校のとき読んでたやつ……どれどれ──」
ページをめくった瞬間、琴音の動きが止まる。
「……え? ちょっと待って。 なにこれ……めっちゃ可愛い子じゃん!?
え、読モ!? 陶揮くんの彼女!? マジで!?」
親戚たちが「何事だ」と集まってくる。
さらにページをめくった琴音が叫んだ。
「ちょっ……香坂 友梨ちゃんと並んで写ってる!!」
「え、あの歌番組の!?」
「Stella☆note(ステラノート)の友梨ちゃん!?」
琴音の母、深雪(みゆき)も驚きの声を上げる。
「友梨ちゃんと並んで違和感ゼロってどういうこと!?
陶揮くん、一体どんな世界線で生きてるの?」
「いや、その……母さん、ほんとやめて……」
陶揮は耳まで真っ赤だ。
「だって可愛いんだもん。自慢したいじゃない」
縁は悪びれもせず笑う。
「陶揮くん、おめでとう〜!!」
親戚一同が祝福の声を上げ、陶揮は耐えきれず客間を飛び出した。

客間の座布団の上で、大福が「ニャ〜」と鳴く。
そこは、かつて誠磁が正月の集まりで座っていた場所だった。
「似てるなぁ……」
晋作がぽつりと呟く。
「やっぱりそう思うか」
駿作も静かに頷いた。
陶揮が縁側で風に当たっていると、颯太が顔を出した。
「あけおめ、陶揮。正月早々、賑やかだな」
「明けましておめでとう、颯太。どうしたの?お年玉くれるの?」
「いや、それよりもっとスゲー話がある!」
颯太は興奮気味に身を乗り出す。
「親父から頼まれたんだ。うちの学校に眠る“幻の器”を探してくれって。
どんなモノかは分からないが、ものすごいお宝らしい」
「幻の器?うちの高校、古い窯跡に建ってるから、
器の一つや二つ出てきてもおかしくないけど……。
まさか、藤四郎の器だったりして……いや、そんなわけないか」
陶揮は肩をすくめた。

“藤四郎(とうしろう)”とは、瀬戸焼の陶祖(とうそ)として知られる”加藤四郎左衛門景正(かとう・しろうざえもん・かげまさ)”の通称である。
鎌倉時代、景正は曹洞宗の開祖で永平寺を開いた道元禅師に従って中国へ渡り、現地で焼き物の技法を学んで帰国したと伝えられている。
帰国後、景正は瀬戸の 祖母懐(そぼかい)の地で良質な陶土を発見し、そこに窯を開いた。
これが後に「瀬戸焼」の始まりとなった── そう語り継がれてきた人物である。但し、藤四郎の伝記は江戸時代以降に整えられたもので、同時代の史料は残っていない。
そのため、彼は、歴史と伝説の境界に立つ“半ば神話的な陶工”として扱われている。
だからこそ── もし藤四郎の器が現代に見つかるようなことがあれば、それは瀬戸焼の歴史を揺るがすほどの大事件となる。
「藤四郎の器って、どれくらいの価値があるんだ?」
「真面目に考えても数億から十数億……国宝級だよ」
「おいおいマジかよ。親父のところに来た依頼人、
“器の値段に見合う報酬を出す”って言ってたぞ。
狂ってるだろ。……どうだ?俺たちで幻の器、探そうぜ」
「もしそうなら夢のある話だね。学校が始まったら俺も探すよ」
「決まりだな!俺たち瀬戸のビリオネアになれるぞ!!」
颯太の声が、冬空に弾むように響いた。
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