
永遠の毛皮のマリー
先日、美輪明宏さんが亡くなった。91歳だった。
あの眩しい光を放つ不思議なエネルギーのような存在に、「生き死に」を超越していると錯覚していた。
そうであって欲しいという願望だったのかもしれない。それ以上に美輪明宏さんは当たり前に「人」であった。
美輪明宏さんといえば、私は20代の頃、寺山修司という底なし沼に引き込まれ、知った存在であった。
毛皮のマリーの美輪さんを見ると、なぜだかいつも胸の奥がどきりとするような美しさを感じていた。
黒蜥蜴も然りである。
どうして舞台をちゃんと観に行かなかったのだろう。今になってもその後悔は大きい。
しかし、20代の私には恐れ多くて舞台を観に行くという選択肢に至らなかった。行ってはいけない、見てはいけない、そんな世界観を感じていた。だから余計に引き込まれた。
映画「Michael」の時と同じく、もう少し早く生まれていたらと思うばかりだ。
そんな美輪明宏さんの訃報を聞いて、自分が思っている以上に気持ちが落ち込んでしまった。ものすごく寂しい気持ちでいっぱいだった。
憧れていた世界が、「現存」から「歴史」に変わってしまったような、息づかいを探れない切なさのような、何とも言葉にし難い思いが胸に迫ってきたのだ。
20年ほど前だったか、息子が毎月通っていた病院に行くため、渋谷駅からバスに乗った。バスがゆっくり渋谷駅を離れた頃、隣を走るシトロエンを運転する美輪さんをお見かけしたことがある。別珍のシートに黄色い髪に釘付けになった。テレビで見る美輪さんは、普段のままの美輪さんなんだ、と「美輪明宏としての生き方」みたいなものを感じたことを今でもしっかり覚えている。
そんなふうに美輪さんを心で偲んでいたら、ふと浮かんできた言葉があった。
現世は期限のある場所
この地球は3次元の世界
自分がどうにかしないと伝わらない場所
私たちはうまく行かないことを学びに地球に降りてきた
だから美しいものも醜いものも、あらゆる喜怒哀楽も
思う存分、この生きているという時間に味わい尽くしておきなさい
それがあなたの人生を豊かにする
人は自分の経験や知識を積んでいて、誰かを思うときにその人について知っていることやイメージから、思い浮かべる言葉や景色がある。それを、その人からのメッセージとして受け取るのだと思う。多分だけど。
だから上記の言葉は私が美輪さんに頂いたメッセージだと思って受け止めることにした。
言葉が浮かんだ後、涙が溢れてきた。だからやっぱり美輪さんからのメッセージだと思う。多分だけど。
美輪明宏さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。