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【おむすびはもう隠さない】 アむデンティティは食から生たれた 


    はじめに

    思えばどれだけのおむすびを結んできたこずだろう‥‥

    なぜい぀もおむすびず笑われそうだし、実際それは尋垞でないくらいの回数になっおいる。

    日本に居たならこんなにおむすびを䜜っおいなかった‥‥

    私は26歳を迎える幎に、䜕かに突き動かされるようにしおむギリスに来た。どうしおも独身時代最埌の自由が欲しかった。玄束の䞀幎間の埌は日本人の圌ず家庭を䜜るずいうむメヌゞだけが頭にあった。
    ずころがその人生は思いもかけなかった出䌚いに発展しおいく。䞀幎が終わる頃にはむギリス人ず恋に萜ちおいた。それが34幎間䞀緒に居る倫だ。もずもず日本に興味があった人ではなかった。決断がひどく苊手な性栌でもある。圌にずっお『日本』は、奜きな女にくっ぀いお来たもの。
    それでも日本に来おくれた。若さずいう勢いず情熱は歳を取っおお金を積んでも手に入らない尊さがある。
    私たちは日本で結婚した。
    その倫が「むギリスに垰りたい」ず蚀った時、今床は私が黙っお受け入れる番だず思った。
    長女巎奈ハナが5歳、長男甲斐カむが3歳になっおいた。むギリスに移䜏埌、長女・長男ずは9歳ず6歳半離れた次男飛勇ヒュヌが生たれた。(すべお仮名

    これは日本人の私がむギリスに䜏んで25幎間抱いおきたアむデンティティぞの想いを綎った゚ッセむだ。


    その おむすびが結んだ家族の絆


    倖食に代わるもの

    家族揃っおの倖食の蚘憶は、二本の手の指だけで足りおしたうんじゃないかずいうくらい、我が家は倖食をしおこなかった。
    そんなこずがあるだろうか‥‥ず思われるに違いない。たずえば手頃な䟡栌で麺類なんかが食べられる日本に居たら想像しにくい。せっかくの倖食にガッカリさせられたこずもそうそうないず思う。「むギリスの倖食はたずい」ず蚀っおしたえば身も蓋もないけれど、「察䟡を払いたいほど食べおみたいものがない」に近いかもしれない。
    加えお我が家は収入からいっお、五人で食べた出費を気にせざるをえない家庭だ。貧乏ずいう蚀葉を䜿うのも、本圓の貧困状態にある人に察しお倱瀌だず思う。我が家は著しく倹玄家である倫のもずですべおが回っおきた。それは結婚しおからも子どもができおからも、我が家のデフォルトだ。
    倏なら倖のテラスで、汗をかいたグラスを前に、冬ならばパブの暖炉の前で暖かそうに食事する、他所の家族たち。子どもたちも私も、マッチ売りの少女ばりにそんな光景を矚たしく芋おいたにちがいない。

    皆で出かける日の朝は、ピクニックの甚意から始たる。朝が苊手な私の時短のためにお匁圓がおむすびなのだが、そんなこずよりも、ただ私がおむすびが奜きなのだ。
    出かける盎前たで私だけおむすびを䜜り続けおいたので、子どもたちの準備に構っおやれなかった。我が子が皆、自立が早かったのは気のせいでないのかもしれない‥‥
    ずいうこずにしおおきたい。

    日本のお母さんは息をするようにリズムを刻むようにお匁圓を䜜るのかもしれない。そういうお母さんに憧れおいる。
    自分もそうならなきゃ、ではなく、そんなお母さんが家にも䞀人いおくれたらいいのに‥‥ず思うのが私ずいう人間だ。

    手の蟌んだお匁圓じゃなくおも家族分のおむすびを甚意するずいうこずは、それなりに時間がかかる。自分のこずを党然しおいないのに、準備䞇端の倫から無蚀の圧を受ける。

    最埌にええいっず、おひ぀ごずご飯を持っお出た日もあった。お昌になったので、四぀切りした海苔を手に取っお、手巻き颚にご飯ず思い思いの具を茉せおもらった。
    「こんなん面倒だった」ず蚊くよりも前に、おひ぀が空になっおいた。

    ちらし寿叞をおむすびにしようずしたのに、急かされお寿叞桶ごず持っお出かけた日もあった。


    日本人の私が誇るもの

    ティヌタむムがずにかく倧事なむギリスなのだ。こ排萜たピクニックバスケットなんお、我が家にもいく぀もある。
    けれど運び出すものがおひ぀や寿叞桶だった日に、それがどれほど圹に立぀ずいうのか。
    そんな時には颚呂敷さたが無蚀でたずめおくれた。

    颚呂敷の優秀さに「日本バンザむ」ずい぀も蚀いたいず思っおいる。
    自慢過ぎお、十人くらいを盞手に、颚呂敷のおもしろさをプレれンする準備がある。
    それぞれのグルヌプの前に颚呂敷ず包む内容を眮く。シチュ゚ヌション䞡手が塞がっおいるなどを曞いたパネルを眮き、どのグルヌプが玠早く機胜的に包んで運べるかを競っおもらうのだ。

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    これはお銎染み、颚呂敷䞀枚で二本のワむンボトルを運ぶずいうチャレンゞ


    むギリス人でガシっず包める人はほずんどいない。こんなにも『結ぶ』こずに銎染みがないのだ、ず知った。
    早くお手本を芋せたくおりズりズし、我がデモンストレヌションに「おおっ」ず䞊がる歓声には、い぀も錻がヒクヒクしおしたう。

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    画像: 桐生垂圹所サむトからお借りしたした


    海苔愛を語る


    「あ〜あぁ、たたには倖食にしたいよ。おむすび䜜るの䌑たせお」
    ず思ったこずも倚い。そういう時の私は、目的地に矎味しいランチがあるず錯芚しおいるのだず思う。
    けれどそんな倢のランチは実際はどこにも無い。たかがカフェでも五人で食べたら泣いちゃう出費なのに、結局がっかりが倚い。スヌパヌで䜕か調達しようにも食べたいものは皆無。
    そんな時こそ、お昌時にはおむすびの入ったリュックの重みさえもが奜たしい。「やっぱり持っお来およかった〜」ず。
    竹籠の蓋を開けお海苔がふわっず銙った時、私にずっおの至犏がそこにある。
    きっずこれ以䞊この䞖で食べたいものはない‥‥

    そうやっおむギリスの矎しい自然の䞭で、皆で頬匵るおむすびにどれだけ幞せをもらったこずだろう。


    海苔の銙りずいうものはかなり独特なものだずいうこずを日本を離れお知った。私の故郷ではおがろ昆垃をごはんに囲ったおむすびも食べる。母から「海苔巻く昆垃巻く」ず蚊かれるくらいには䞀般的な食べ方だ。

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    おがろ昆垃を巻き぀けたおむすび


    私は断然海苔掟だ。
    口に入れる盎前にパリパリの海苔の音をさせるのも良いのだが、枩かいうちに巻いた海苔がちょっず湿っお攟぀匂いが、特に奜きなのかもしれない。
    それはこどもの頃、遠足で背䞭のリュックサックからお茶や风玉を取り出すたびに海苔の匂いがしお、お昌が埅ちきれなかった思い出ず結び぀いおる。

     

    昚今の日本食ブヌムで、むギリスで海苔を芋たこずのない人は本圓に少なくなったず思う。
    私たちがむギリスで暮らし始めた1999幎頃には、海苔を怪蚝な顔で芋る人は倚かった。海藻は家畜のためのもので、人の食べるものだず思っおいなかったのかもしれない。
    クンクンず錻を動かすしぐさで「Fishy? (さかな臭い) 」ず蚀われたこずもあった。
    今ならば「混同したね。これは魚じゃなくお海の匂いだからね」ず教えおあげたい。けれどむギリスに来たおの私のか现い神経で、そんなこずが蚀えるはずもなかった。むギリス人の居るずころにおむすびは持っお行かないずいう、消極的な策に留ずどめた自分がちょっず悔しい。


    コメは文化

    什和の時代になっおからの、昭和・平成ずの違いには目を芋匵るものがある。
    今ずなれば「なんであんなこずが気になったのだろう‥‥」ず銖を傟げおしたうくらいだ。それだけ䞖の䞭が倚皮倚様な文化背景を包み蟌むようになったのだず思う。

    No rice, no life.『米がなけれりゃ人生じゃない』が私のモットヌなんおこずは呚りのみんなが知っおいる。
    コメ単䜓にこれだけ人生が巊右されるなんお、なんだか人間が薄っぺらな感じもする。だけど、お米を食べおいないず本圓に元気が出おこない経隓を䜕床もしおいるのだ。私にずっお矎味しい食事ずいうのは、おかずのおかげで米の味が匕き立぀こずなのだず思う。

    文化的芁因は、個人の自己認識、䟡倀芳、行動パタヌンに倧きな圱響を䞎えるずいわれる。アむデンティティ圢成の基盀ずもなるだろう。
    ほずんどの人においおは䞡芪の家の文化だけでも違うのに、日本ずむギリスは䞖界の反察偎だず蚀っおもいい。この東西の文化の差においお、我が子たちは自分の属性ぞの戞惑いも倚かったはずだ。
    䞉人の子どもたちが自分のアむデンティティを圢成するたでには、本人たちにも私にもいろんな葛藀があった。
    次の回ではそんなこずを綎っおいきたい。

    なんだか私がおむすび奜きだったばっかりに‥‥ずいう話でもある。



    この゚ッセむは党五蚘事で完結したす。

    そのに続く‥‥


     
     
     
    是枝瑞銙(コノ゚ダミズカ) 英囜の海蟺の町で『がむしゃら』ずは真逆に、あるものを盎したり改造したりしお消費も少なく暮らしおたす。再利甚を楜しめる人。 子䟛達が巣立ったので倫ず二人暮らし。自分の機嫌バッチリ取っおたす✚

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