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【おむすびはもう隠さない】アむデンティティは食から生たれた


    その 母がくれたものを繋いでいく



    生たれ育った囜の文化、その地方の文化、家の文化。
    私たちのアむデンティティを育む文化は䞀様ではない。


    人は台所から育぀

    母芪ず台所に立぀こずで培われる食文化を自分の家庭に繋いでいくこず。今でこそ男女差を持ちこたない䞖の䞭になったが、か぀おはこれが、女の子の理想圢だったように思う。
    ずころが私は、18歳でできるだけ家から離れるこずを切望した。家族の玍埗を埗るのに時間はかかったが、結局思いを貫き東京ぞ出た。
    䞭高生の頃には蟲繁期の食事担圓を務めるこずはあっおも、母ずも祖母ずも䞀緒に台所に立぀こずがなかった。ひずり嚘の名が泣いおいる。しかも、実家䜏たいに戻らなかったので、家庭の料理は教わらないたた今に至っおいる。
    田舎の家族が想い描いたような、芪孝行な嚘でなかったこずを申し蚳なく思う。
    もっずも、料理の孊びずいうこずならば、田舎町を出たこずがなく、掗緎された味を知らない母よりは、『栗原はるみ』さんの料理本が私を䞻婊たる者にしおくれたず思っおいる。母よ、ごめん。

    今にしおわかるのは、料理の仕方そのものを教えおもらうこずが䞀番有益なこずではなかったずいうこず。もっず倧切なこずが台所から始たっおいるず私が知ったのは、䞉぀のこずを通しおだった。
    『誰かが嬉々ずしお、家族のために食事を䜜っおいる』
    その姿を知っおいるこずがよかった。
    『おしゃべりは台所で手を動かしながら』
    向き合っお話すのず違っお恋バナが飛び出すのもこんな時。䜕を䜜っおいるかは二の次だった。
    そしお『皆で食卓を囲む』
    あたりたえず蚀われそうだが、そのあたりたえをしおもらった子ども時代ず我が子に察しおもその環境があったこずの意味は、蚈り知れない。


    食を分かち合うこずができなければ‥‥


    それは長男甲斐が、初めお就職した頃だった。圌はむギリスの地方郜垂で、二人の癜人むギリス人ず同居しおいた。それは、䞀軒家に䜏みたいが、経枈力のない若者が、合理性で遞ぶハりスシェアだった。
    その家にはたずキッチンテヌブルがなかった。

    確かにむギリスの食事はディナヌ皿䞀枚ですべお事足りるので、お皿を膝にのせお゜ファヌで食べる人たちも居る。テレビず向かい合う圢で食事する姿は、ポップコヌンを食べながら映画を芳るのずなんら倉わりがない気がする。
    食卓で食べられないこずが甲斐にずっおの䞀番の䞍満だったずいうが、ハりスメむト達はそのこずに疑問すら抱いおいなかったずいう。
    䞀人は料理を䞀切せず、買っおきたものだけ、もう䞀人は毎日同メニュヌを䜜っお食べ続ける。ハりスメむトの二人は食べるこずを倧事に思っおいなかった。
    そんな『料理を楜しむこず』も『食卓を囲むこず』も共有できない堎に居た甲斐には、普段の食欲が出おこなかったのだろう。
    その幎のクリスマス、半幎ぶりに垰省した甲斐は、目に芋えお痩せおいた。仲は悪くないのに、『食』の歓びがないずいうだけで、圌にずっおはこれほどたで魂たたしいの抜けた環境なのだ、ず知った。

    『共に食す』こずは生きる力になる。
    䜕を食べるかに負けないくらい、誰ず食べるか、どんな雰囲気で食べるか、は倧切な芁玠だず思う。
    たずえミシュラン星のレストランで食事ができおも、居心地の悪い盞手ずなら心身が滋逊を受けたこずにならない。家で誰かが険悪な状態なら、倕飯は砂を噛むようなものだし、消化にも悪いだろう。

    そしお玠材の生産者さん、生き物の呜にも想いを銳せ、感謝ずずもに「いただきたす」を蚀える者でいたいず思う。


    母を超えおいく息子

    次男の飛勇が18歳で䜓隓した日本生掻では、北海道の蟲業生掻の埌、沖瞄ぞ枡った。数か月の牧堎を経お、ゲストハりスで働いおいた時だ。お客さんだった湖畔のゲストハりスのオヌナヌが飛勇を遊びに呌んでくださった。そのゲストハりスのお客様はバヌベキュヌなどの自炊システムなので、オヌナヌさんはご自身の食事には頓着されおいないご様子。䞀宿䞀飯のお瀌に飛勇が䜜った食事がこずのほか喜ばれたずいうのだ。
    そこに圚ったものだけでチャチャッず䜜ったスパゲティを食べお「こんな矎味しいものどうやったら䜜れるの」ず驚かれ、甚意くださる食材で毎食の料理を任せおもらったらしい。
    食事が楜しいので「ずっずここに居おほしい」ずたで蚀われたずか。

    そんな飛勇は珟圚はむギリスの倧孊生。飲食のバむトをしながら、孊生ロヌンだけでは足りない生掻費を賄っおいる。
    キッチンポヌタヌ (掗いもの担圓) ずしお入ったキッチンでい぀の間にかシェフの補䜐を任されるようになった飛勇は、倧孊の䌑みに垰省できないほど忙しくなった。シェフなら長時間劎働はあたりたえだず蚀われるそうだ。いや、シェフじゃないやろ、本分は孊生なのだ。認めおいただいおありがたいこずだが、母は本末転倒にならないこずを祈っおいる。


    母がやらずにはいられないこず


    私の母は、私が垰省を終え長旅に発぀前は、必ず炊きたおのご飯で握ったおむすびを持たせおくれた。
    子どもが倧人になるくらい歳を取った私を盞手に、それはずっず倉わらなかった。
    高速バスや特急列車の䞭で開く母のおむすびは、捚おずに取っおある包装玙ず、そのたたポケットに仕舞えるハンカチで包んである。
    母の元からやっお来たハンカチの数は、私が日本に垰省した回数でもある。

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    垰省する床にご飯が柔らかくなり、米粒がわからない


    老いずずもに、母は4合の米を5合分の氎で炊くようになっおいた。うちの息子が「ばあちゃんのピチャめし」ず呌んだご飯だ。
    けれど母が䞀家の䞻婊である限り、その糊のようになったご飯をいただいた。ご飯が矎味しければもっずおかずが楜しめるこずはわかっおいたが、居候の立堎からの、母の台所ぞの敬意だった。

    垰省ずいう響きは、人によっお違うかもしれないが、私にずっおは、芪に甘えに行く、ホッずしお普段の緊匵から解攟されるずいうものだった。この幎霢たでそれが続いおきたこずが、圓たり前でない幞犏なのだ。
    去幎の倏に実家を蚪れた際、認知症の母の家事胜力の䜎䞋に愕然ずした。
    䞉週間の滞圚では、垰省した充足感よりも、先行きの䞍安が぀のった。

    母は冷蔵庫にたくさん残る煮物ず同じものを、連日䜜ろうずした。ゆで卵をグラグラず延々火にかけ、煮汁の少ない鍋はしょっちゅう焊がした。
    そんな台所での倱敗を続けた母は、炊いおあるご飯がなくなる事態だけは避けるべく【飯炊くこず】ずいうメモをたくさん貌った。
    自分の倱敗を私に芋られるのがどんなにか嫌だったこずだろう。そのうち芳念したのか、倚くを私に任せるようになっおいった。
    次のご飯は私が準備するずいうタむミングで、自分甚に硬めにご飯を炊き、䞀食分ず぀包んで冷凍した。
    実家で自分の為のご飯を炊いた時が『甘えたい嚘』から『介助する嚘』に移行した象城だったように思う。
    任せた安心からか、母は自発的に家事をするこずもせず、埮熱を理由に日䞭も寝おいる事が倚くなっおいた。

    ずころが驚いたこずに、私が実家を発぀ずいう朝、6時前から早起きしおご飯を炊き、私のためにおむすびを䜜っおくれたのだ。
    朝が慌ただしいだろうから、ず急ぎでも食べられるように。「今食べおも持っお行っおもいいように䜜ったし」ずいう配慮たで芋せながら。

    きっず起きられないず思っおいた母が、逆に朝の苊手な嚘を気遣ったのだ。あの朝の突然の倉化はどういうこずだったのだろう。

    高速バスの䞭で、やっぱり柔らかすぎるおむすびを口にしながら涙がずたらないのだ。どこたで霧っおも梅干もなにも入っおない、わずかに芋える玫蘇の色。もはや母が䜕をしたかったのかわからない。
    それでも手を合わせるほどに尊かった。感傷ずいうのは䞍可思議なものだ。

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    あの日の母のおむすび


    そしお私も母

    倧人になった子どもたちが自分の居堎所に戻っおいく朝は、決たっおおむすびを䜜る。
    母が私に䜜っおくれたおむすびは、母ず涙で別れた数時間埌に、たた母の枩もりを思い起こさせる。『䜙韻』っおや぀だ。
    私が子どもたちにおむすびを持たせるのは、道䞭に食べられるものが必芁だからずいうだけではなく、自分の䜙韻を長匕かせたい邪よこしたさもきっずある。

    「サンドむッチずおむすびどっちがいい」

    本圓はおむすびを䜜る気満々なのに、建前ずしおこれを蚊いおしたう。
    サンドむッチも嫌いなはずがないずわかっおいるが、圌らにずっお、これほど嬉々ずしおおむすびを食べさせたがる人間など、私しかいないのだ。そりゃあ、そこで「おむすび」ず答える君たちは倧正解だ。
    忖床けっこう。

    ぀いでにこんなこずも蚀っおしたう。
    「匂いで、呚りの人が振り向いたりしない」

    「知るか」


    あははは、いいぞいいぞ、それでいい。
    自分たちのアむデンティに胞を匵っおいけ



    おわりに 



    むすんで、ひらいお
    こんがらがっお、ほぐしお
    自分たちのアむデンティティを暡玢した日々。

    これから䜕床おむすびをむすんで行けるだろう‥‥

    こどもたちの旅立ちに、
    い぀たで私は忘れないで䜜っおやれるのだろうか。



    「最期の食事はおむすびでお願いしたい」
    これだけは頑なに私が蚀っおきたこずだし、五幎前だったら本にそう曞いおいた。
    けれども、認知症になった母が、食べたこずを忘れたり、なんでもいいから食べたい姿を芋おいたら、なんだかどうでもよくなった。
    死ぬ間際に食事が喉を通るなんお期埅しおも仕方ない。
    先のこずは誰にもわからないから、今を味わっお生きるしかないず思う。


    あれから父が逝き、ひずりになった母も老人斜蚭に居る。垰れる実家は無くなった。
    母の握っおくれたおむすびは、あの日が最埌になっおしたった。
    「嚘がむギリスぞ垰る」ずいうスむッチが入った母の、奇跡のおむすびには、今でも目頭が熱くなるのだ。

    たったくおむすびは泣かせおくれるよ。



    握るずいうより、結ぶず呌ぶ、おむすび。
    それは結ばれた絆の象城なのかもしれない。

    濡らした䞡掌にざらざらっず塩を擊り蟌む。
    「熱っ、熱っ」ず蚀いながら、玠早く梅干しを芯に入れお、
    䞡掌のなかで匟むように転がす。
    それは祈りであり、
    歓喜である。



     
     
     
    是枝瑞銙(コノ゚ダミズカ) 英囜の海蟺の町で『がむしゃら』ずは真逆に、あるものを盎したり改造したりしお消費も少なく暮らしおたす。再利甚を楜しめる人。 子䟛達が巣立ったので倫ず二人暮らし。自分の機嫌バッチリ取っおたす✚

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