
めっけもん|第ニ章 純情編(11)
荷物を提げて飛び出した手前、毅の家には戻りづらかった。
履物が所狭しと並ぶ森のおじさんの店に足を踏み入れると、奥からおじさんがばつの悪そうな顔をして出てきた。
「ひでちゃん、あんじょうでけへんで悪かったな」
「こっちこそ、迷惑かけてすんませんでした」
「かまへん。文ちゃんは文ちゃん、ひでちゃんはひでちゃんや」
「おっちゃんにせっかく世話してもろたのに」
「若い時の苦労は買うてでもせぇって言うやないか」
森のおじさんは、気にするなと励ましてくれながら、次の店も探してくれると言ってくれた。
しかし、親戚筋の日食亭を辞めた以上、これ以上世話になるわけにはいかなかった。
新聞の求人欄を見て、自分で料理人紹介所へ行くことにした。
紹介所といえば聞こえは良いが、職人の口入れ屋で、今日は○○店に何人、△△食堂に何人という具合に日雇いの職人を斡旋し、紹介料として給料の一割を取っていた。
今でいうところの派遣会社のようなものだ。
そこへ行くと、朝早くから何十人、いや何百人いただろうか。
それぞれ行き先を告げられ、毎日働く場所を変えながら日当を貰っている人も多くいた。
毎日働く場所が違うのでは、仕事を覚えるのもひと苦労だった。
私は難波にある「あなご屋」へ通いで働くことになった。
この店には何十人もの料理人がいて、大変繁盛していた。
だが、ここで働いている職人は、大半がろくでもない連中だった。
職人というのは遊び人が多いが、仕事の空いている時間は博打ばかりで、その日暮らしの者ばかりだった。
口ばかり達者で、料理の技術も向上心もない。
昨日は負けた、今日は勝ったという話ばかりで、その場にいるのが苦痛でたまらなかった。
この店に来て十日目のことだった。
着替えと一緒に置いてあった鞄から財布がなくなっていた。
日食亭でのわずかな蓄えだけではない。
島地村から出てくる時に持ってきたへそくりまで鞄の中から盗まれ、腹巻きに入れていた数千円しか残っていなかった。
自分の不注意を嘆いたが、後の祭りだった。
ここに来て、ほとんど無一文になってしまった。
警察に届けたい気持ちはあったが、どいつもこいつも怪しそうな奴ばかりで、犯人を特定できそうもなかった。
こんな所は見切りを付けようと思い、店主に相談して辞めることにした。
「辞めんと、ここで腕を磨いたらどうや」
「ここの職人にはまともな奴がおらん。わしゃ料理人になりたいんじゃ」
「はっきり言う奴やのぉ」
「辞めさせてもらいますわ」
店を出る際、おやじさんからなぜか餞別を渡された。
「何も言わんと取っとけ」
「これは受け取れませんわ」
「若いのに向上心がある。お前さんの心意気にやるんや」
「……」
「遠慮せんと取っとき。次の所が決まったら連絡してや」
料理の世界は広いようで狭い。
いつかどこかで再び関わることもあると言って、半月分に相当する給料と、おやじさんの電話番号を書いたメモをくれた。
店の職人は腐っていたが、おやじさんはまともな人だった。
思うように事は運ばず、大阪の街がうらめしく感じることもあったが、それでもこれが世間で生きていくということなのだと、身にしみて感じていた。
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