チロル会音楽部~ロック青春記 第2話*チロル会中心人物、山下君
一個十円という低価格から、気楽に始められた「チロル会」。奢り奢られを繰り返しているうちに、規模はどんどん膨らみ、ジャンケン勝負をすっ飛ばして、気前の良い子が、大盤振る舞いするようになっていた。
活躍の場となったのは、学校のそばにあった《まるみ屋》というパン屋だった。売り場の奥に、簡単な食事スペースがあって、皆でそこでわいわいと盛り上がった。
その店の一番の人気商品は、何と言ってもカツパン。濃厚ソースのかかった分厚いハムカツと刻みキャベツが、ロールパンに挟まっていた。パンの焼き面には艶があって、中は柔らかい。そこに加えて、こっちは食欲まっ盛りの十代ときている。その美味さと言ったら、もう「破壊的」としか言いようがなかった。
カツパンのわき役として、ベビーコーラも人気があった。栄養ドリンクサイズの小さなビンで、チロルチョコレートと同じ十円という価格だった。
このコーラに関して、末原君がこんなことを言っていたのを思い出す。
「ベビーコーラってさあ、“コーラ”っていうぐらいだから当然コカコーラと同じ色をしてると思ってるだろう? ところがさあ、この前コップに注いでみたら、ショック! だってさあ、カルピスみたいに白かったんだぞ」
これには、みんながビビった。
「それにさぁ、一度に三本以上飲むと、必ず腹を壊すらしいんだよ。山下が言ってたんだけど、朝下痢をしたときは、いつも前の夜ベビーコーラを三本飲んでるんだってさ。小さいビンで売ってる理由は、値段を安くするためだけじゃないかも知れんぞ」
十代前半の男の子特有の、笑いの混ざった、はじけるような口調だった。ベビーコーラ可愛さに、まるで「ちょっかい出してからかってる」みたいな感じだった。
いつだったか、チロル会の中心人物、山下君が、校庭で自転車通学の生徒の自転車を借りて乗っていたことがあった。その姿が、なんだか妙にぎこちなかった。ヨロヨロとフラつきながら、こわ張った顔付きでペダルを漕いでいる。ハンドルにしがみ付きながら、彼は小さくつぶやいた。
「初めて乗った」
それにしては、なんとか倒れずに進んでいくので、上手いもんだと思って、心の中で応援しながら、しばらく見物していた。
すると、彼は涼しい顔でのたもうた。
「嘘だぞ」
そう言ったかと思うと、次の瞬間、自転車はスーッと一直線に走り出した。
ベビーコーラの噂も、たぶん山下君が面白半分で始めたに違いない。かつて全国を騒がせたトイレの花子さんや口裂け女なども、たぶん日本列島のどこかで、同じようにして生まれたのだろう。
器楽部という名のしゃっちょこ張った表舞台と、下校途中でのクスクス笑いに満ちた裏舞台。この2つが表裏一体となって、心理的なバランスが保たれていた。生徒間のこの繋がりがなければ、たぶん早々と器楽部をやめていただろう。
中学生たちの晩餐は、次第に派手になってゆき、甚だしいときには、調理パン二個にコカコーラのホームサイズをラッパ飲み、なんていうダイナミックなことをするヤツもいた。我らが山下君だった。
長身で飄々とした感じの彼の、またのあだ名は“馬”。体も胃袋も、サイズは大きめだった彼にしても、それだけのモノを胃袋に入れると、避けては通れない難題が待ち受けていた。
夕食が喉を通らないのである。
そこで彼が考案した対応策は、こんなものだった。
家が近づくと、暫く走り、息を切らしながら帰り着き、家族が誰か見ているところで、水をカブ飲みする。食事中に、さも不思議そうに首を傾げながら「水を飲み過ぎて、食べられない」と呟く。
この作戦には、皆腹をかかえて笑った。
「家のそばまで来て急に走るって…、それ全然意味ないじゃん!」
ある日のこと、会員間でこんな話が持ち上がった。
「チロル会も、“会”というからには、会長がいてもいいね」
「なるほど」
「じゃ、誰がいいと思う?」
「それは、やっぱり山下しかいないだろう」
「うん、そうだな」
こうして、ある日突然、山下君は会長となった。
ここまでの話でお解りいただけるとおり、彼の風体と巧みな話術、そして人を笑いに誘うパフォーマンスは、全会員の中でも突出しており、会長らしきオーラをたっぷりと漂わせていたのである。
器楽部では、ひたすらハーモニカを吹き、放課後はパン屋の奥で笑い転げる。
あの頃の僕らには、まだロックも未来も見えていなかった。
ただ、何かが始まりそうな気配だけはあった。
