チロル会音楽部~ロック青春記 第1話*チロル会発足
1968年春。
中学に入学して間もなく、音楽の先生から声をかけられ、器楽合奏部に入部することになった。
詰襟の学生服。教科ごとに入れ替わる先生たち。小学校とは何もかも勝手が違う。まだ誰も、その新しい生活に馴染みきれてはいなかった。
木造校舎だった小学校に比べ、中学校の校舎は白を基調とした鉄筋造りで、教室も廊下も広く、窓も大きくて明るかった。中でも音楽室は、普通教室よりひと回り広く、どこか別世界のように感じられた。
そこに集められた部員たちは、知らない顔ばかりだった。
その中に、のちにプロのギタリストとなる末原康志君の姿もあった。
この出会いが、三年間の中学生活を濃く彩ることになる。
僕が生まれた昭和三十一年という年は、戦後十年が過ぎ、「もはや戦後ではない」と宣言された年だったらしい。だが、子どもだった僕らにとって、戦争は遠く過ぎ去った歴史の中のできごとであり、近所の空き地と駄菓子屋こそが、この世のど真ん中だった。
四歳のとき、母の意向でヤマハ音楽教室に通い始めた。とはいえ、家に音楽好きの空気が満ちていたわけではない。両親がクラシックやジャズに熱心だった記憶もない。きちんと向き合って耳にした音楽といえば、ピアノのレッスンで与えられたツェルニーの練習曲、モーツァルトやベートーヴェンのソナタ、あとは学校の音楽の時間に流される鑑賞教材くらいのものだった。
部活動が始まって間もないころ、先生に指名され、末原君が部員全員の前でギターを披露したことがあった。
その時の彼の姿が、今でも目に浮かぶ。
彼はケースを静かに開け、丁寧な手つきでギターを取り出した。
そして聞こえてきたのは、『禁じられた遊び』だった。
― 誰に言われたでもなく、自分の意志で始めた ―
そんな空気が、彼の仕草から自然に伝わってきた。
指先が直接弦に触れ、繊細な音が生まれる。
愛しむようにつま弾かれる柔らかな響き。
静かに耳を傾けているうちに、それまで僕の中にあった「演奏」というものへの、生真面目で堅苦しいイメージが、すっとほどけていくのを感じた。音楽が、こんなにもやさしく穏やかに響くものだったとは…。
ギターを弾く彼の姿は、この部活には何か面白いことが待っているのではないか、という漠然とした期待を抱かせた。
ところが…、
その期待は、見事に裏切られる。
器楽合奏部で男子部員が置かれた立場は、決して居心地の良いものではなかった。打楽器を除けば、ほぼ全員がハーモニカ担当。来る日も来る日も、あの小さな道具を口にくわえ、右に左に、もそもそと動かす。そこに面白さを見出している者など、いなかった。
ピアノ担当として誘われたはずの僕まで、なぜかハーモニカ組に回された。ピアノ要員は三、四人いて、弾かない時はピアニカ担当になる決まりだったが、台数が足りず、いつも僕だけがあぶれていた。新しく買うという話は何度も出たが、ついに実現しなかった。
そんなわけで、不満を抱えた男子部員たちは、部活帰りの下校途中、自分たちだけの秘密の遊びを始めるようになった。
ジャンケンで負けた者が、当時一個十円だったチロル・チョコレートを全員に奢る。ただそれだけの罰ゲームである。
名付けて「チロル会」。
小さな道草として始まったこの遊びが、やがて僕らにとってのメインストリートとなり、様々な方向へ発展し、その中には「音楽部」もあり、さらにはそれがロックのバンド活動へと育って行くのだが、この時点では、誰ひとりそんな未来を想像していなかった。
そもそも、ロックというもの自体が、まだ僕らの視界に入っていなかった。
その頃、海の向こうのイギリスでは、レッド・ツェッペリンがデビューへ向けて動き始めていた。だが日本列島の南の端、僕らの鹿児島では、テレビやラジオからロック・サウンドが流れてくることなど、滅多になかった。
ひとまずロックの話は脇へ置いておき、まずは、チロル会という名の、中学生たちの「秘密結社」について、こっそりとお話することにしよう。
