
真珠館の静寂を粉砕した、元重役秘書による「一撃」【野生の継承②】
「うちの娘が、大変申し訳ございません!」
祖母が我が家の敷居をまたぐ時の恒例儀式。
玄関で出迎える父に土下座する祖母。これが、我が家の夏の風物詩だ。
会社員時代は完璧な猫かぶりで過ごしていた母だったが、妻としてはイマイチどころではない。娘の至らなさを、ひたすら謝り続ける祖母の姿はあまりに痛々しい。
特に、母の料理は酷すぎる。
焼くだけ・煮るだけ・茹でるだけが基本。
後は、それらを皿の上にバーンと乗っけるだけ。
(味付けは、どうした?)
祖母が我が家へやって来ると、1か月は滞在する。
我が家は転勤族だから、祖母は毎年同じ土地にやって来るとは限らない。
かしこまる祖母を父は温かく迎え入れる。
「お義母さん、気にせんでよかよ!」
一方、母は激怒。
「あの婆さん、何、謝っとるんか?」
「卑屈になりよってからに!」
「もっと堂々とできへんのか!」
「謝っとったら、厄介な娘をお払い箱できると思っとるんやろう?」
「ずるい婆さんや!」
まあ、これも毎年のこと。
祖母は、母が言うところの「ドロキン野郎」(祖父)と結婚して、苦労の連続。夏休みに我が家へやって来て、命の洗濯をする。
父は祖母の過酷な人生に思いを馳せ、いたわりの言葉をかける。
「お義母さんは今まで散々苦労して来たから、我が家では楽しんだらよかたい!」
祖父は、病気で死にかけた祖母を放置した過去がある。
「オマエなんか、死んでもかまわへんのじゃわ~」と。
父は毎年、祖母と母と私を車に乗せて観光地へ赴く。
ある年のこと。
観光の帰り、お土産館に立ち寄ったのは良いのだが...…
やたらと広いお土産会館は静寂に包まれ、鈍い日の光が差していた。
そして、ピカピカに磨かれたショーケースには、穏やかな光を纏った真珠が整然と並べられ、観光客の心を洗っていたはずだった。
物欲のかけらなど一切無い父は真珠に興味を示すことは無く、そそくさと、薄暗い館内の隅っこにあるコカ・コーラの赤いベンチへ向かった。
この間、親子三代で館内をゆっくりと歩いていると……
突然、横から静寂を切り裂く破裂音が鳴り響く。
「パッカーン」
私の思考は、一旦、フリーズした。
もう、平静な心で真珠を見ている場合ではない。
私の頭の中で、真珠は見事に粉砕されてしまった。
それでも、館内は何事も無かったように時を刻み続けていた。
お店の人や観光客はあえて平静を装った。
祖母もまた沈黙のままだったが、その顔は長年の悩みが再発したかの如く曇っていた。
私は本能的に、遠くの父の方を見た。
そこには、想定内の光景が広がっていた。
(やっぱりか!)
赤い自販機の横で、例の赤いベンチに座って、缶コーヒーを飲んでいた父が、反りながら嬉しそうに笑っているではないか……
(あんなに嬉しそうな父の顔は、初めて見るのだ!)
無声で笑う父とは対照的に、祖母の表情は冴えないまま。
館内の人達は大人の貫禄を見せつけているというのに。
そして、母は知らん顏。
当時幼子だった私は、父の自制心の無さに呆気にとられていた。
その後も、私達親子三代はゆっくりと館内を練り歩いた。
祖母は動揺し、母の心は日常へ、私は父に呆れながら。
もはや、目の前の真珠など、取るに足らないものに成り下がっていた。
館内を一周し終えた時、家族四人は一言も口を利かずに駐車場へ向かった。
この日、帰りの車の中で何を話したのかは覚えていない。
帰宅した祖母が複雑な表情をして、口を開いた。
「あれな~、みんな、ばあちゃんがやったと思ったかも知れへん」
「歳食って、恥じらいの無い婆さんやと思われた!」
すると、我が家のギャング登場。
私の頭の中に、騒々しい効果音が鳴り響いた。
「ジャジャジャジャ~ン」
(なんと、絶世の美女なんだぜ!)
そして、不機嫌そうに言い放った。
「な・ん・や・てー?」
「そんなモンな~、店員がふったかも知れへんやないかっ」
「何、しょうもないこと、気にしとんかっ!」
「お父さんも、お父さんや!」
「私がふったと決めつけてからに」
「出物腫れ物ところ嫌わずなんじゃわ~」
「大体な~、みんな屁ぐらいふるんじゃわ~」
「もっと、堂々としとけ!」
「分かったか!」
(この姿は、神々しいのかい?)
この間、祖母は恨めしそうな顔をしていたが、沈黙を貫いていた。
かつて、母に食べさせてもらっていた祖母は、母に頭が上がらないのだ。
母は、大手企業の受付嬢を経て重役秘書まで務めた過去がある。
当時の母は、大手銀行の取締役に「うちの銀行に来ないか?」「アンタに会うのが楽しみや!」と言われるぐらい、評判が良かったのだから、意外にも程がある。
母は組織と言う枠に大人しく収まっているタマではなかった。
父は言った。
「おかあ以外、誰もそんなことするワケ、なかっ!」
「『遂に、やったな!』と思ったと!」
「ハハハー」
祖母は自分の不甲斐なさを棚に上げて、妻を教育しない父を呪った。
「お父さんは、一体、何をやっとるんか?」と。
これに対し、父は言う。
「ばあちゃんも出来んかったことを、お父ちんにできるワケ、なかっ!」
それにしても……
父は、血が繋がっていないから、笑えるのかも知れない……
今思えば、放屁ぐらいで驚くなんて、私も未熟だった。
美しいばかりが、思い出ではないのだ。
やがて、あまりにも自由すぎる両親の血が、私の中でどう混ざり合い、発酵していったのか。その答え合わせをする時がやって来るのだった。
本作は、普通という檻を壊し、独自の野生で生き抜く家族の軌跡を綴った**【野生の継承 三部作】**の第2弾です。
【野生の継承 三部作】
第1弾
エリート上司の毒を抜く、父の「そろばん」と「猛毒の直言」【野生の継承①】|花甘露
第3弾
真昼の銀河を履く女 ―母から授かった「狂気」という名のお守り―【野生の継承③】|花甘露
▼このシリーズをまとめたマガジンはこちら
真昼の銀河を履く ―わが家の野生生存記録―|花甘露|note