
1つの卵
「僕はね、神を演じなければならなかった。」
リチャード先生はそう言った。
外務省の招聘の仕事で、第二次世界大戦中、日本に抑留されていた元捕虜の和解プログラムを10本以上エスコートした。
その一本目がオーストラリアの元捕虜たちだった。
オーストラリアが対外的に対戦したのは日本のみ。
ベテランズデーになれば退役軍人が町を歩く。
日本人の若者は、その人たちが日本と戦ったことを知らずにオーストラリアの旗を振る。
招聘された5人の元捕虜の内、1人が元軍医のリチャード先生だった。
彼らの話を聞く会が東京と京都で開催された。
東京では、参議院会館で国会議員も傍聴するなか、なぜか私は通訳ブースに入れられた。
招聘者の年配男性たちのオーストラリア訛りは全く分からず、その上歴史的背景が分かっていなかった私は、議員秘書から訳語の指摘が入るほどのひどい通訳。
「Thai-Myanmar Railway」
秘書からメモが入る。ーー「泰緬鉄道」
そう、あの時の私は「泰緬鉄道」という言葉の重みすら知らなかった。
私は同時通訳じゃない。「あなたがやってください。」とメモを持ってきた秘書に言った。「いえ、私は」とその秘書は議員の方に目を向けた。結局、私は最後まで通訳ブースに居させられた。
器具の使い方も覚束ない。恥ずかしく、情けなく、同時通訳を付けなかった外務省の職員に文句を言った。
京都ではNPOが主催で公民館で談話があった。
連日、省庁や大使館での表敬訪問が続き、高齢の招聘者たちは目に見えて疲れていた。普段は、普通の町で普通に暮らす老人たち。人前では精一杯気丈に振る舞う。でも、ホテルへ戻る頃には、糸が切れたように脱力していた。
そんな姿を見ていた私は、滞在時間を短くして欲しいと頼んだ。
東京で懲りたので、私は同時通訳ではない、と言い、NPOの方が頑張って通訳することになった。
会場に到着すると、老齢の男性一人が最前列の真ん中に座っていた。
談話は私の希望通り少し早く切り上げられた。
すると、その老齢の日本人男性が怒り出した。
「もっと話が聞きたい!」
招聘者が立ち上がると、その男性が「軍医様ですか!」と言って、リチャード先生に握手を求めた。
私は早く招聘者をホテルで休ませたくて、出口に誘導した。
その男性に事情を説明し、謝ろうと声をかけた。
その男性は元シベリア抑留兵だった。
「兵隊にとって軍医様は神様なんです。」
とその男性は言った。
バスに戻った私は、その男性がシベリア抑留兵だったことを伝えると、誰かの静かな声が聞こえた。
「彼には私たちの気持ちが分かる。」
私には分からないのかもしれない。彼らが経験した戦争。
あのシベリア抑留兵の方の話を聞きたいと思った。
リチャード先生が私と二人の時にこう言った。
「僕はね、神を演じなければならなかった。
例えば、ここに卵が1つある。
それを、最後の食事として死にゆく兵士に食べさせるのか、
それとも、明日生き続けることが出来るかも知れない兵士に与えるのか。
それが毎日続いたんだよ。」
人は、自分が経験できない人生を生きている。
だから私は、相手の話を聞く。
経験できなくても、想像はできるから。
そして、彼らの人生が私の一部になる。
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