
50万円の古伊万里
10年以上前のこと、奥様の60歳の誕生日祝いに日本旅行に来たカップルを案内した。オーストラリア在住だが、もともとは南アフリカの出身のご夫妻。
そのお客様と東京から日帰りで鎌倉に行った。
小町通を歩いていると、骨董屋のショーウィンドーに飾られた古伊万里の大皿に奥様が一目ぼれした。
値段は50万円。カード払いは出来ず、現金のみ。
ご主人がATMに行ってもおろせたのは10万円。アメックスのブラックカードだったのに….奥様は恨めしそう。
なので、「私が貸します」とATMで40 万円引き出し、貸した。困っているご主人を助けたかった。
その大皿は骨董屋で風呂敷に包まれ、大喜びしている奥様に抱きかかえられ、私たちのハイヤーは東京に向かった。
絶対返すからね、と何度も言われ、その日から毎日ご主人に付き添ってATMに行く。でも一日10万しかおろせない。申し訳なさそうにおろしたばかりのお金を渡されると、借金取りのようで居心地が悪い。
箱根で奥様の還暦の誕生日だったので夕食に誘われ、私はプレゼントに赤いハンカチ(私の予算で買える赤いもの!)を持ってお客様の宿に向かった。
いつもエレガントで知的な奥様が落ち込んでいた。
宿が気に入らなかったのだ。誕生日なのに。
「日本の旅館てこんなところなの?!」と少し冷たい、悲しそうな声で聞かれた。
部屋を見て欲しいと言われて付いていくと、ドアがグレーの鉄扉だった。
日本の旅館はこんなものじゃない、と伝えたくて、近くの高級旅館のHPを見せた。奥様の目が大きくなった。
「どうして私たちにその宿を教えてくれなかったの?」
当時、富裕層旅行という言葉の意味を知らなかった私に、
――昨年のフランス旅行では、古城に泊まり、シェフにフランス料理を教わり、立入禁止のエルメスの工場を見学したり、そんな旅をしたわ、と奥様が教えてくれた。
そして奥様は、
「あなたは、富裕層旅行のガイドをしなさい。あなたなら出来るわ。」
と続けた。
翌日、手配した旅行会社に報告した。
「お客様の予算内で手配した宿だから仕方ない」
違う。
提案さえしていれば、どんなに高くても自分達の望む宿を選んだだろう。
どんな旅を求めているのか、想像していなかったのだ。
最終日までに全額返金してもらい、小田原駅でお見送りした。
お客様から、京都に来るなら京都オークラに立ち寄って欲しいと言われた。
翌週、オークラのフロントに立ち寄ると、私宛の封筒があった。
お礼状とチップ。
毎日ATMで引き出しても返金するだけで、チップを渡せなかったのが心残りだったのだろう。無事その封筒は私の手元に届いた。
あの時の奥様の落胆を思い出すたび、今のお客様が望んでいる旅とは何なのか考える。
それを感じ取ることが、富裕層ガイドの役割。
そして今私は、富裕層旅行のガイド育成に携わっている。
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