
【美術展2026#17】いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年@横浜美術館
会期:2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)
横浜美術館リニューアルオープン記念展の最後を飾る企画展として、「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」を開催します。
地理的にも文化的にも近しい他者として、長い歴史を歩んできた日本と韓国。
ドラマや映画、音楽、ファッション、メイクといったKカルチャーはいまや世界を席巻し、わたしたちにとって、韓国の文化はますます身近で、なくてはならないものになっています。
そんなとなりの国のことを、もっと知ってみたいと思いませんか。
この展覧会は、ゆたかな歴史を育んできた日韓両国のアートを通して、たがいの姿や関係性を、あたらしく発見しようとするものです。
あるものの特徴をよく理解するためには、別のものと比べてみる、というとてもシンプルな方法があります。
アートを理解する時にも、この方法は有効です。
「いつもとなりにいるから」、刺激を与えあったり、時にぎくしゃくしたり――
歴史的なわだかまりや政治的なまさつを、簡単にのり越えることはできません。
けれども、アートを入口に「おとなりさん」のことを考え、わたしたち自身を見つめ直すことは、これから先もともに生きるための、勇気やヒントを得ることに繋がるはずです。
本展は、1965年の日韓国交正常化から60年となる節目に合わせ、韓国の国立現代美術館との共同企画により開催します。
同時に、「おかえり、ヨコハマ」「佐藤雅彦展 新しい×(作り方+分かり方)」につづき、横浜美術館リニューアルオープンの理念である「多文化共生、多様性尊重」を表現します。
2024年の「第8回横浜トリエンナーレ」後、「リニューアルオープン記念展」を冠して「おかえり、ヨコハマ」「佐藤雅彦展」と行われてきたが、ようやく最終章の「リニューアルオープン記念展」。

今展は横浜美術館と韓国国立現代美術館の共催展で、それぞれで展示が行われるのだが、日本展タイトルは「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」で、韓国展タイトルは「ロードムービー 1945年以降の韓日美術」となっている。
なんだか違和感を覚える。
共催展なのだから揃えればいいのにと思うのだが、今展担当主任学芸員の日比野民蓉氏のインタビューを読むと、どうやらそれぞれの事情が複雑に絡み合っているようだ。
横浜側は正直、ほとんど制約はなかったです。館長、副館長が理解のある人であることが大きいですね。それから、一地方自治体の市立の美術館で、かつ指定管理になっているので職員は公務員ではないですし、本当に、私が純粋に企画趣旨に沿った視点でラインナップしました。でも韓国側は国立、しかも直営の館なので、あちらはみなさん国家公務員という立場もあって、私たちにはわからない難しさがあるようには思います。
MMCAと共催事業としてやるっていう契約を交わした段階から、完全に出品リストをわけています。今回の展示のラインナップは、本当に日本側だけで展示する日本側の横浜だけのリストです。構成、章立ては両国で一緒ですが、リストは完全に別。もちろん共通の作品もあるけれども、半分以上違うんです。
ということで共催としながらも、横浜展は日比野氏の史観と主観が大きく影響しており、その内実は別の展覧会として捉えた方がよさそうだ。
センシティブな題材で収入的にもそれほど大きな期待はできなそうだが、横浜美術館的には前回の「佐藤雅彦展」の収益を見越しつつの開催だったようだ。
(2020年4月に就任した蔵屋美香)館長の指揮のもと、リニューアル後の美術館の理念は「多文化共生、多様性」っていうキーワードで行こうと決まったのですが、これはチャンスだと、もうここしかないと思い、このリニューアルの理念に合致するのはまさにこの展覧会ですというプレゼンをして、幸運にもみんなも賛同してくれました。採算についても、当館ではリニューアル後、ひとつの展覧会で収支がトントンにならなくても、とにかく年間で収支を合わせるという方針を固めつつあって……。実際に今回、この展覧会の直前に佐藤雅彦さんの個展があり、もともとの予算上でもあれで黒字を出して、この日韓展の費用を捻出する計画を立てていたんですけど、そのもくろみが見事に当たって、おかげさまで無事に開催できたといういきさつです。
そもそも今展は北朝鮮への帰国事業の話から始まって、後半、朝鮮大学校の話でピークを迎える構成で、韓国というより在日コリアンの話が軸になっている。
途中でもちろん韓国系アーティストの話も入ってくるが、大きな流れとして「いつもとなりにいる」のは在日コリアンであるというスタンスが強い。
よく韓国側の許可が降りたもんだとも思うが、GOサインを出した横浜美術館もなかなかなもんだ。
ちなみに日比野氏の略歴↓
日比野民蓉(ひびのみよん)
横浜美術館学芸員。国立新美術館を経て、2016年より現職。日本帝国占領下の朝鮮半島で開催された「朝鮮美術展覧会」の日本人画家たちについて学位論文を執筆し、慶應義塾大学大学院美学美術史学専攻修士課程を修了。2010-2011年、ソウル大学大学院人文学科考古美術史学専攻交換留学。国立新美術館での主な担当展に「アーティスト・ファイル2015 隣の部屋――日本と韓国の作家たち」(2015)
日比野氏曰く、
私自身のルーツの話になってしまうんですけれども、国籍も日本ですし、正直ほぼ日本人として生きてきたので、在日コリアン社会に全然コミットしてこなかったんです。だから本国の状況とリンクして、分断されてしまっている在日のコミュニティの複雑さとかも、全然わからない。実感としてないんです。
とのこと。
前置きが長くなったがそれらの事情をある程度踏まえつつ、今展は日比野民蓉氏による研究論文的な展覧会だという前提を頭の片隅に置いておくと流れがわかりやすくなると思う。
Chapter1 はざまに 在日コリアンの視点
チョ・ヤンギュという作家の話から始まる。
故郷の師範学校卒業後しばらく教師をしていたが、1948年に密航によって来日。
日本では、武蔵美に通うも中退し、家畜業や倉庫番などの仕事をしながら細々と制作活動をしていたそうだ。
1960年に北朝鮮に渡り、しばらくは日本の知人と交流していたものの1968年以降消息不明になる。
後半の武蔵美の話の伏線だろうか、この章では他にも武蔵美に通っていた朝鮮人作家を紹介している。
その他、動乱の朝鮮半島から日本への密航や、日本から朝鮮への帰国事業などをモチーフにした作品が並ぶが、それらは美術的に取り立ててどうこういうほどの作品ではないものの、時代の空気感を今に伝える資料という意味では貴重な品であり、よく探してきたなあと感心する。
その他、1960〜70年代の在日コリアン居住地区の写真、北朝鮮に渡った日本人妻を取材した写真作品などが並ぶ。
Chapter2 ナムジュン・パイクと日本のアーティスト
私の知っている世界的にも有名な韓国人アーティストといえば、ナムジュン・パイクと李禹煥の二人。
はっきり言ってそれ以外の方はあまりよく知らない。

「時代のプリズム」展より
第2章ではそのナムジュン・パイクを中心に、ハイレッドセンターらとの関わりなどを紹介している。
1988年にソウルオリンピックが開催されるが、その少し前の時代。
マイケル・ジャクソンらが「We Are the World」を歌い、アフリカで飢餓に苦しむ子供たちにフォーカスが当てられ、まだソビエト連邦が存在し、ドイツは東と西に分かれていて、中東ではイラン・イラク戦争が行われていた、そんな1980年代中頃、ナムジュン・パイクが34年ぶりに韓国へ帰国した際の映像は、韓国がまだまだ開発途上のアジアの一国だった頃の雰囲気をありのままに伝える貴重な資料として興味深かった。
1986年の《バイバイ・キップリング》は、世界がまだ広かった時代に衛星放送やビデオなど当時の最先端技術を駆使して東と西を繋ごうとした美術界の「We Are the World」。
Chapter3 ひろがった道 日韓国交正常化以後
1965年に韓国と国交を正式に樹立する。
その3年後の1968年には早くも東京国立近代美術館にて「韓国現代絵画展」が開催されており、この展覧会で李禹煥が本格的にデビューした。
この章では関根伸夫ら「もの派」の作家たちから「ポストもの派」たちへ流れを辿りながら日韓美術界の交流を描いている。

1970年代の美術関係者の往来を写した貴重な写真。


1960年代以降の同時代作品には日韓似たような雰囲気が漂っている。
互いに影響し合いながら東アジア的な美意識を磨いていったのだろう。



ブラウン管テレビの生産が世界的に途絶えて久しいが、この作品はブラウン管テレビでなければ成立しないだろうし、ナムジュン・パイクの作品も同様にブラウン管テレビを用いてこそだ。

1986
Chapter4 あたらしい世代、あたらしい関係
1988年、韓国でソウルオリンピックが開催される。
当時私は小学生だったが、それこそ佐藤雅彦の「ソウル、オリンピック、ミロ!」のフレーズが頭に焼き付いている。
ちなみに当時はNestléのことをネッスルと呼んでいたがいつの間にかネスレになっていた。
で、この章では若き日の中村政人と村上隆、そしてイ・ブルらの作品が並ぶ。
この章は撮影不可だったが、展示室外には《トコヤマーク》が立てられていたりした。

1992
1990年、中村政人は韓国の弘益大学に国費留学する。
その際に感じた日韓の差異や違和感や気づきを写した膨大な量の路上系写真が並んでおり、これが大変面白いのだが残念ながら撮影不可。


《トコヤマーク》は「時代のプリズム」展でも出品されていた。

1992
「時代のプリズム」展より
初期の村上隆やイ・ブルの作品は撮影不可だったが、この辺りの作品は「時代のプリズム」展とかなり被ってくる。

1991
「時代のプリズム」展より

1988
「時代のプリズム」展より
Chapter5 ともに生きる
現在の若い子達には信じられないかもしれないが1980年代まで韓国は軍事独裁政権で国内でドンパチやったり、大統領を暗殺したりされたりしていた。
1987年の韓国民主化宣言後、急速な発展を遂げるが、なんなら今だって北朝鮮とは「休戦」しているだけで戦争状態は続いているし、大統領は相変わらず退任後逮捕されたり死刑判決を受けたりと悲惨な末路を辿るケースがほとんど。
この章で展示されている在日コリアン2世との結婚式を記録した《Baby Insa-dong》の作者、高嶺格氏は「時代のプリズム」展でも恋人とのプライベートをさらけ出した作品が出品されていたが、(秋田公立美大教授を経て現在は多摩美大教授という立場になったからというわけではないだろうが)歳を重ねて作品の方向性はさすがに変わってきている。
日本人同士でも3組に1組が離婚しているというが、2004年の結婚からすでに20年以上経っている高嶺氏の夫婦関係は現在でもうまくいっているのだろうか。
Geminiによるとそのパートナーとはすでに離婚しているという情報もあるようだが芸能人のように公表しているわけではないので、それについてここではなんとも言えないが、もしそうだとしたらこの作品の意味もまた変わってくるのだろう。
金仁淑の《SAIESEO: between Two Koreas and Japan》という映像作品内では在日2世の男性が、
自分の子供の世代になると(帰属意識は)もっと薄れてなくなっていくだろうなと。
子供には自分が日本社会にいたから日本人になるのではなく、在日コリアンでもあるし、日本人でもあるよと。それに対してフェアな気持ちで育ってほしいので、そういう意味で韓国を見てほしい。その時までに韓国と北朝鮮が統一していたら、1つの国として違う気持ちになるのかと思うけれど、そういう視点がほしいと思います。
だから民族教育は思想は別として右でも左でも構わないけれど、韓国人とか朝鮮人とか民族的な事は覚えさせたほうがいいと思います。
と話していた。
部分的に日本語が正確でない部分もあるが意味はわかる。
もし私が在韓ジャパニーズだったとしても同じようなことを言うだろう。
私の友人には韓国人も在日コリアンも北朝鮮籍から韓国籍に変更したという者もいるが、彼ら彼女らとはただ気が合うから友人になっただけで、国籍で判断して友人になったわけではないし、国籍への差別意識なども当然ない。
日本人同士でも気が合う人もいれば合わない人もいるのだから、韓国人や朝鮮人でも気が合う人もいれば合わない人もいるのは当然のことで、それは国籍云々よりも個々の人間性によるところなので、何人だろうが関係ない。
日韓に限らず、異文化間での美意識や価値観や史観の相違は必ずある。
違いはある。
だがどちらかに媚びたり擦り寄ったりする必要もないし、主張すべきことは主張し合えばいい。
違いを無くすのではく、違いがあるということを認め、違いを尊重し合うことが大切で、それは別に外国人に限らず日本人同士でも同様。
その上で、個人的には「郷に入れば郷に従え」と思っている。
異文化に入るならばまずその文化へのリスペクトを持った上で、謙虚な姿勢、理解、タブーやルールの遵守などが必須だと思う。
それは私自身が異文化を旅をしたり住んだりした上で学んだことだ。
武蔵美とそのとなりにある朝鮮大学校のプロジェクト《突然、目の前がひらけて》は、当時界隈でも話題になっていた。
あれからもう10年以上経つのか。
序盤に登場した武蔵美に通っていた在日コリアンの伏線回収という感じだが、これをピークに持ってくるのは展覧会の構成上ちょっと一時代古い気もした。
この後に田中功起、百瀬文の近年の映像作品が控えているとはいえ、ここへきてそれらの長めの映像作品はちょっと負荷が強すぎて消化しきれない。
個人的にはここでは日本人の作品ではなく、ちょうど美術手帖でも特集していたような最新の韓国アートを見たかった。
日比野氏は、
なんというか、若い世代の人たちは、おそらくアートよりも韓国が身近で親しみやすくなっているからこそ、アートだから見にいくのではなくて、日本と韓国、朝鮮半島のことを知りたいっていう動機で来てみたら新しい発見があった、みたいなつながり方になると、とてもうれしいなと思っています。そして、ちらほらそういう人がいるのかなっていう。SNSなどでそういう反応を見るとすごくうれしい気持ちにはなりますね。
とのことだが、逆に私は美術館なのだからアートで見せるべきだと思う。
2〜4章くらいは当時の美術による日韓交流が描かれていて興味深かったが、展覧会としては全体的にオールドリベラルな香りが漂っていたようにも感じたし、やはり韓国展と違う「いつもとなりにいるから」というタイトルに対しても違和感は拭いきれなかった。
「おかえり、ヨコハマ」展以降、横浜美術館のリニューアルに対するスタンスに関しては個人的に思うところが多々ある。
リニューアル後の美術館の理念は「多文化共生、多様性」とのことだが、それらは普遍的に意識し取り組むべき事柄であるのはもちろん大前提なのだが、コンセプトや思想だけが先行して独り歩きしていないだろうか。
それらがともすれば本来美術館の主役であるべき作品の邪魔になってないだろうか。
多様性の押し売りになってないだろうか。
鑑賞者の余白部分にまで踏み込んでいないだろうか。
什器に関しても一時的なキャンペーンやイベントならまだしも、一過性の流行りでもてはやされた後、そう遅くない時期に古臭くなってしまうのではないか、ということは「おかえり、ヨコハマ」展の時にも書いた。
日比野氏は「(横浜美術館は)一地方自治体の市立の美術館で、かつ指定管理になっているので職員は公務員ではないですし、本当に、私が純粋に企画趣旨に沿った視点でラインナップしました。」と言うが、職員が公務員であろうがなかろうが横浜美術館は日本最大の政令指定都市が設置した公立の美術館で、森美術館のような私立美術館とは立ち位置が決定的に違うはず。
「時代のプリズム」展の担当学芸員尹志慧氏曰く、
個人的に警戒したいなと思うのがPC(ポリティカル・コレクトネス)的な作品です。政治的正しさですね。アートや文化に携わる人が取りやすい政治的なスタンスってあると思うんです。例えば、フェミニズムや社会問題に対してアート業界の人たちが取るスタンスには、ある程度決まったコードがあると思います。リベラルな態度、柔軟な態度をとりながらも、美術館の中で展示できる程度のレベルを守る、そういう暗黙の了解があります。
でも、政治的正しさが作品の面白さを保証するわけではないと思います。日本だけじゃなくて、韓国や東南アジア、欧米でもPC的な作品はあります。作品を見る時の見方、答えがすでに決まっているので、そういう点ではプロパガンダ作品と同じくらいつまらないものになる危険性がある。だから、時代の流れを理解していながらも、作品の視覚的な完成度を諦めない作家さんには惹かれますね。
とのことだが、さて、横浜美術館はどうだろう。
企画展後、コレクション展もざっくり回る。

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2006

この日は荒天だったため、外に出たらランドマークタワー上階が雲に隠れていた。

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