📌分身主義とは
思いっきり想像してみるんだ。
長い夢から覚めて見えてきた、全く新しい時代の到来を。
過去を懐かしいアルバムに綴じて希望に満ちた歴史を踏み出した、自分たちを感じてみるんだ。
自然界様としっかりと手を繋いだ、宇宙の年齢を生きる真実の自分の姿を知った人々。
宇宙という自分の全身をいつもどこかに感じながら、その宇宙の分身であるお互いを誇り合って生きる人々。
武器もお金もいらなくなり、犯罪も消えて、心から安心して助け合って笑顔で生きる人々。
ついに科学が発見したんだ。
遠い昔に、自然界からはぐれて迷子になっていた我々の、本来の居場所!
2003年5月13日、その日、彼はユートピアへ至る扉の前に立っていました。ついに、子どもの頃からの夢が実現したのです。
科学が語ってくれた「分身主義(bunshinism)」という物語が、彼をその場所に導いてくれたのです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
彼は、我々人類を産み育んでくださった自然界様に、科学を通して教えを乞いました。科学という学問だけが、自然界と唯一通じていると直感したからです。
科学は、誰もが認めるように、この自然界の法則を発見し、自然界で機能するたくさんのモノを作りました。それは科学が唯一自然界と通じている学問だからできたのです。
そしてもし発見した法則や作ったモノがうまく機能しなければ、何度でも何度でも最初に戻って、自然界様に問いかけを繰り返す「唯一謙虚な学問」であると彼は知ったからです。
また、もし世界中の人の気持ちを一つにしてくれるものがあるとすれば、科学をおいて他にないと彼は確信していたからです。
だから彼は、科学を通して自然界様に教えを乞いました。
「自然界から迷い出てしまった人類は、"人間界" で争いに明け暮れ、奪い合い、搾取し、独占し、その結果、ごく少数の富める人々とたくさんの貧しい人々を作りました。そして、それはまた過激な争いを招き、時々その立場は入れ替わったりもしています。
その争いを抑止するためには、より強力な武器や兵器が必要だと競い合っています。
こんなことを繰り返していて、一体、人類はこの先どこへ向かってしまうのでしょうか?
もしみんなが仲良く、誰もが平等に幸福に暮らせるユートピアというものがあるのなら、そこへ通ずる道をお示しください」
そしてわかったことは、この21世紀に至って、迷子だった我々人類が求めていた自然界様の言葉を、科学は完全に聴き取っていたのです!
そして科学は我々にわかる言葉に、それを翻訳してくれました。
科学は言いました。
「星も、大気も、木も、草も、石ころも、机も、鉛筆も、それに、生きとし生けるもの、この宇宙に存在するありとあらゆるものは、ビッグバンという小さな種から分化した身です。
まったく同じ素材でできている、みんなみんな分身同士です」
それを聞いた彼は、それに「分身主義(bunshinism)」と名前を付けました。
だから‥‥、
分身主義とは、科学が導いてくれた究極の平和主義です。どこにいても見守ってくれている温かい眼差しと、しっかりとつながれた優しい手です。
だから分身主義とは、科学が気づかせてくれた最上永遠なる愛です。
あなたが自分を愛することがみんなを愛することとなり、みんなを愛することが自分を愛することとなる世界です。
そして分身主義とは‥‥、この21世紀の科学時代に生きる我々誰もが持たなければならない、新しい視点です。
分身主義は非科学的なこじつけでも宗教でもありません‥‥。れっきとした科学です。
ただし「普通一般で言う科学」ではなく、「真の科学」です。
「普通一般の科学」とは、科学を自分たちの都合に合わせて、願いや欲望や利益などの目的のために利用するものです。
だけどこれは自然界から迷い出て傲慢になってしまった我々人類が、科学を利用しているだけで、本当の科学ではありません。
「真の科学」とは、このような人間を中心とした視点ではなく、我々を産んでくださった自然界様に「人間とは何ですか?」「この自然界はどのように成り立っているのですか?」「自然界からはぐれて迷子になっている人類が、楽園に戻る道をお示しください!?」と謙虚な気持ちで教えを乞うものです。
分身主義とは、その真の科学が解明している事実を整理して行った先にたどり着いた、世界を平和にするための「視点」です。
科学は、この宇宙の成り立ちは次の二点に集約できると言いました。
【1】この宇宙は、ビッグバンの時に存在していた「素粒子」たちが、自然界の法則というシナリオに基づいて演じさせられている劇場である。
我々は、その劇場の中で、人間という配役を任されて演じさせられている、電気仕掛けの期限付きの役者である。
【2】その「素粒子」たちの振る舞いによって、長い年月をかけて作られた我々の脳は、個人の持ち物でもないし、個人の意識でどうにかなるものでもない。
「この真実を知って全ての人がそれを受け入れた時、人類は、その向こうで両手を拡げてずっと待ってくれていたユートピアに踏み入ることができるでしょう」
これを「分身主義の第1定理と第2定理」としました。

科学が自然界様に問いかけを続けて、ようやく教えていただいたユートピアへの道を彼は一人で辿り、2003年5月13日、その扉の前に立ちました。しかし、彼の弱い力では重くてとても開けることはできません。
彼はみんなに呼びかけましたが、その声はあまりにも小さくて誰にも届きませんでした。
17年経ち、彼は今では貧しく、年も取っています。あと何年、お金が続くかわかりません。今の世界ではお金が無くなれば死ぬしかないのです。
それで、その前に、科学から聞き取った話をここnoteに書き残しておこうと思ったのです。
(2020.10.23)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(公開していた自分のホームページを閉じると同時に、そこに書いていた文章をnoteに移させていただいて、遺言の一つに代えさせていただきたいと思います)
1-1
分身主義は、たった一人だけの天才も、たった一人だけの落ちこぼれも、たった一人だけの英雄も、たった一人だけの犯罪者も作りません。
天才も落ちこぼれも英雄も犯罪者も、一人だけの力で作られるものではないことを知ったものが分身主義だからです。
天才も落ちこぼれも英雄も犯罪者も、それはこの宇宙に存在するありとあらゆるものの総力の結集で作られ、ありとあらゆるものの分身として、そこにいます。
1-2
総力の結集とは、広く見ればビッグバンから約140億年途切れることなく続いている全ての現象のことです。ごく近くに目をやれば、我々の脳を取り巻いて、常に脳に働きかけてくる情報、あるいは《環境》と言い換えることができるもののことです。
1-3
人間の行動のメカニズムは、
1.その人の《環境》からの刺激(情報)が、五感を通して電気信号となって脳に送られます。
2.その体験の積み重ねが、その人の脳内に「記憶」を作り、その人特有の反応の道が作られます。
3.その後、《環境》から何らかの刺激(情報)が入力されると、その人特有の脳の反応が起こり、電気信号となって筋肉に届き、そして我々はしゃべったり動いたりしていたのです。
1-4
それが、「我々は総力の結集に作られ動かされている電気仕掛けの役者である」という言葉の意味です。
* * *
2-1
どこかの国の大統領であっても、英雄であっても、はたまた犯罪者であっても、一人の例外もなく、みんなが作っているこの《環境》に思考させられ、しゃべらされ、行動を取らされていたのです。
2-2
言い方を換えれば、この宇宙の万物は、そして我々人類は、この《環境》の中における「媒体(一方から他方へ伝えるためのなかだち)」的存在だったのです。
* * *
3-1
一人の人間が全ての《環境》に身を置くことはできません。
だから分身主義では、ある英雄を目の前にしたら、「自分の代わりに、その《環境》に身を置いて、その偉業を成し遂げてくださっている分身さん」 と見て、彼を自分の分身として誇りに思います。
だから、分身主義は嫉妬や羨望とは無縁です。
3-2
誰かが悪いことをしたとしても、それもみんなの総力の結集なので、その人一人を責めることはしません。
分身主義は、その犯罪者を、「自分の代わりに、その《環境》の被害となって、その犯罪を犯してしまった分身さん」 と考えて、その人に救いの手を差し伸べます。本当の自分(自分の全身)が救われるために‥‥。
だから、分身主義は怒りや恨みとも無縁です。
* * *
4-1
「分身主義」などと言っていますが、これは「個人主義」という言葉にならってつけられただけで、何らかの主義や主張や思想ではありません。まして、分身主義者なる集団がいるわけでも、またそのような集団を作ろうとしているわけでもありません。
4-2
分身主義とは、科学時代を生きる世界中の全ての人々が持たなければならない、新しい「視点」です。本当は、これからの時代のみんなが、世界を平和にするために、どうしても受け入れなければならない義務のようなものなのです。
* * *
5-1
分身主義という名前は、個人主義にならってつけられたと言いましたが、個人主義を否定するものではなく、むしろそれを拡大することでその欠点を乗り越えたものです。
5-2
つまり、「自我の滅却」ではなく「自我の拡大」です。
個人主義の意識の底にある「自分、自分、自分」を、むしろ拡大させるものです。
5-3
「自我の滅却」は、どんな高僧が厳しい苦行を行っても成し遂げられなかったものですが、しかし、「今までの自我」を拡大させることで「今までの自我」を瞬時に消し去ることができるというパラドックスが起こります。
そして、今まで我々を苦しめていた「煩悩」からも瞬時に解放されます。
* * *
6-1
自我 (=自分という意識) の境界線が強いと、自己愛的な様々な人格障害に陥ってしまうこともあります。
自我の境界線が少しだけ拡大すると、「自分たちの側」 という境界線を引けるようになります。
その境界線は、「自分の家族 < 自分の友達や仲間 < 自分の会社 < 自分の州 < 自分の国 < 自分の宗教」と拡大させることができます。でもこれらの境界線では、まだ争いや戦争が起こります。
6-2
もう少し拡大すると、「同じ地球人」 という境界線を引けるようになります。
ここまでの境界線なら、世界の平和と地球環境を守る意識が生まれます。
6-3
しかし、分身主義の境界線はもっともっと宇宙にまで拡大したものです。
それは、「自分は宇宙に存在するあらゆるものの分身」 という意識で、同時に「自分は宇宙である」という感覚です。
つまり、個体としての自分は「分身」に過ぎず、その「全身」は宇宙であるという感覚です。
6-4
ここまで至ると、最上永遠なる愛の境地で、あらゆる苦悩から解放されます。これを分身主義では、「自我が育つ」と表現します。
6-5
イメージで言えば、「個人主義」は、夏みかんの皮をむかれて一房一房バラバラにされて、ひからびてしまったのに対して、「分身主義」は、まだむかれたばかりの、みずみずしい一房一房って感じです。
しかも、その一房一房は、宇宙という一つの皮で包まれていたことを知っている一房一房です。
* * *
7-1
自称個人主義者たちは、「本当の個人主義とは、自分勝手ということではなく、個人個人を尊重する思想である」 とうまい方便を使います。
7-2
でも、個人主義には、本当の意味で一房一房を大切にすることはできません。
それができるのは個人主義ではなく、むしろそれを拡大し、その欠点を乗り越えた「分身主義」です。
* * *
8-1
分身主義は全体主義とも違います。
8-2
全体主義とは、個人は全体の部分であるという考え方をするものです。全体の利益を、個人の自由よりも優先するというものです。
一見、良い社会が生まれそうです。しかしそれも方便で、「個人主義的な我々」が、いくら全体の利益を優先すると言っても、それはある個人の利益と結びつき、ファシズム(独裁体制)になってしまうだけです。
8-3
分身主義の視点は、個人は全体の部分というものではありません。
部分と全体が同じもの、同価であるという見方をするものです。
「部分=全体」
ちょっと難しいですが重要です。例を挙げますので理解してください。
8-4
例えば、車を作るという目的のためには、プラグやラジエーターやハンドルなどの部品が用意されます。
しかし、我々は、それとは違って何かの目的‥‥例えば、宇宙を作るという目的のために用意された部品ではありません。
部分が、たまたま、今ある全体を作っているのであって、決して全体を作るためにあらかじめ計画を立てて、用意された部分ではないですよね。
8-5
では、今、縦・横・高さが1メートル(1立方メートル)の立方体の粘土があるとします。それが今この瞬間の宇宙だとします。
8-6
そこから、あなたの手で、グイッと好きな部分をくり抜いてみてください。
そのくりぬいた部分があなただとします。
あなたは、今までこの宇宙を作っていた部分ですが、あなたを消失した宇宙は、1立方メートルに満たない宇宙に変化してしまいました。
1×1×1の宇宙は、あなたがいて初めて1×1×1の宇宙だったわけです。
だから、今この瞬間の宇宙の中では、あなたは部分でありながら同時に全体だったのです。

8-7
科学的に言えば、この宇宙全体の原子の総数は決して減りもしないし、新たに作られることもありません。それは化学の実験によって確かめられています。これを質量保存の法則(物質不滅の法則)と言います。この1×1×1の宇宙の中では、あなたはくり抜かれて消失するのではなく、リサイクルされて存在し続けることになります。
8-8
「部分がそのまま全体であり、全体がそのまま部分である」という意味をわかっていただけましたか!?
8-9
部分がそのまま全体であるということは、あなたが死なない限り、そしてあなたの中に 「自分」 という意識がある限り、次のように言うことも可能です。
「わたしとは、この宇宙である!」‥‥と。
* * *
9-1
今、あなたに究極の質問をします!
自分(自我意識)とは何でしょうか!?
それは、あなたが言葉を覚えたことによって、あなたの脳の中に生まれた 「これが自分である」 という「概念」のことです。
9-2
言葉を持たない人間以外の動物には「自分」という概念はありません。本能的な「自分」があるだけです。それは「自然界と地続き」の状態です。
人間だけが言葉を持ったことによって、自然界と対峙することになってしまったのです。
9-3
「自我=自分という意識」は、あなたの身体の中を走っている「神経系」の働きと「言葉」との合作によって、あなたの脳が「これが自分である」 と錯覚しているもののことです。
9-4
その錯覚は、道具やモノまでも自分自身であると錯覚することができます。
例えば、杖はその人の手の延長です。
眼鏡はその人の目の延長です。
自動車はその人の足の延長です。
それが錯覚である以上、その錯覚(自我意識)は、宇宙にまで拡大させる(自我を育てる)ことも可能なわけです。
9-5
例えば、あなたの身体はこの地球や空気と接しています。その空気は宇宙と接しています。そのようにしてあなたの身体は、この宇宙の中ではどこにも切れ目がなくつながっていることを知ると、宇宙はあなたの延長だと言えるわけです。
あり得ない話ですが、もしあなたが地面や空気と断絶されたら、その瞬間あなたも消滅します。だから、宇宙こそ、あなたをあなたならしめていた一部分でもあったのです。
9-6
もし、あなたが死んだら、脳が作っていた 「自分」 という幻想(=錯覚) は消滅します。
それは、まさしく、「自分」という意識が幻想(=錯覚)にすぎなかったことの証です。同時に「わたしは宇宙である」 という 幻想も消滅します。
9-7
だけど、その時消滅するのは 「自分という幻想」 だけであって、あなたの身体は火葬に付され、「分子」に分解されてリサイクルされ、あなたはこの宇宙がある限り永遠に生き続けるのです。形を変えて‥‥。
こちらは幻想(=錯覚)ではなかったという証です。
だから、あなたはこの宇宙を作っている部分であり、全体であるという事実には変わりありません。
* * *
10-1
ところで、科学が我々に貢献してくれたことは、何だったか考えてみてください。
人間を思うままに支配するための、恐ろしい兵器の作り方を教えてくれたことでしょうか?
神に代わってこの自然界を支配する、人類の偉大さ尊大さを教えてくれたことでしょうか?
10-2
違います! 違います! 全くその反対です!
10-3
それは、自然界から迷い出て傲慢になってしまった我々人類が、自分たちの利益や価値観のために利用している科学の話で、本当の科学の話ではありません。
10-4
およそ地球上に存在するどんな謙虚よりも謙虚な「真の科学」は、人類は自然界の元では全くの無力であることを突きつけたのです。人間を支配するどころか、自分の支配すらもままならなかったことを教えたのです。
10-5
そして、「真の科学」は、人類は偉大でも尊大でもなく、地上の生物の中で最も弱いということを教えたのです。本能の赴くまま生きている他の動物と違い「理性」を持ってしまったことで、優しさや思いやりという弱さを持ってしまったのです。
10-6
この、「真の科学」が語る言葉を、初めは自分も信じられませんでした。そして信じようとしませんでした。
10-7
しかし、これこそが科学が導いてくれたユートピアへの入り口だったのだと気づきました。
* * *
11-1
今までの人類は自分たちを優れたものとみなし、強さ、健康、富を価値の最上位において生きてきました。神の姿さえも自分たちの似姿に作りました。
しかし今、その価値観こそが限界にきています。
もうこの価値観では、幸福も平和も手に入れられない時代になりました。
これからの人類は、自分たちの無力と弱さを直視する時代に入ります。
11-2
でも、逆説のようですが、その時人類は、自然界様がくださった本当の強さ、本当の健康、本当の富を手にしたことに気づくはずです。
11-3
もう何も、恐れることはありません‥‥。我々分身を産んでくれた母なる海に、全身の力を抜いて仰向けにその身体をゆだねてみてください。
溺れまいとして人間社会で必死でもがいていた人類は、ゆったりと自分の身体が浮く驚きを体験するでしょう。
11-4
それを知った人類には、もう敵はどこにも存在しません。この宇宙の万物と手をつないだからです。
科学が導いてくれたユートピアが我々を待ってくれています。
* * *
分身主義とは、科学時代に生きる我々誰もが、持たなければならない新しい視点です。受け入れなければならない義務のようなものなのです。
分身主義とは、科学が導いてくれた究極の平和主義です。
分身主義とは、科学が気づかせてくれた最上永遠なる愛です。
今、分身主義は、科学が導いてくれたユートピアへの入り口に立ちました。
でも、まだ誰もその先には踏み入ったことはありません。
ユートピアへの重い扉を開くには
全人類が力を合わせる必要があります!
だけどそれは少しも難しいことではありません。
科学が翻訳してくれた、自然界様の声を
ただ理解すればいいだけです。
そして、全てを清算して、その場所から
まったく新しい人類の初めの一歩を踏み出しましょう!

★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)
📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。
noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。
でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。