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📌真の科学とは何か?(by分身主義)

    Markey Toku 徳永真亜基


    農民芸術概論


    残念なことに、科学者と言われる人たちでも、「真の科学」とは何かをよくわかっていない人がたくさんいると思う。

    科学に「真の科学」も「真じゃない科学」もあるわけないと思われる方もいるだろうけど、自然界に教えを乞う謙虚な学問だったはずの「科学」が、あまりにも間違った理解をされている。

    今言った「科学者」というのは、大学で専門的に科学的な分野の学問を学んできて、その後もなんらかの形でその研究を継続している人たちという意味で言っているんだ。

    だから、企業の研究部署や大学の研究室、国や公的機関の研究所などで研究を続ける人たちや、その中でノーベル賞を受賞するような人たちもそれに含まれる。

    「真の科学」とは何かを知ること
    は、科学の研究をすることよりも、人間にとってはむしろずっと難しい課題であり、それ故に疎おろそかにされがちなことかもしれない。

    「科学者」というのは、当然のことながら「真の科学とは何か」を知っている人のことであって欲しいと思う。

    「真の科学」を知ってそれを実行している「真の科学者」という人たちがいるとしたら、むしろ僧侶に近い苦行の道を歩んでいるかもしれない。だけど科学者というのは、我々一般庶民を導く立場にあるのだから、ある意味、僧侶と同じと言ってもいい。

    今ジジイが「科学」と言っているのは、この赤い枠で囲った部分のことを言っているんだけどね。

    科学とは2


    ジジイは、子供のころは、普通の男の子のようにそれなりに科学には興味を持ってはいたけど、文系か理系かを選択させられる現況の教育制度のせいで大学は文系だったし、環境的には科学とはあまり関係のない道を35歳くらいまで歩まされてきた。だから、もちろんジジイは科学者ではない。

    幼い頃から科学に興味を持ち、ずっと科学者に憧れて、大学でも科学を学んだ人たちから見れば、専門外の人が何を言っているんだ、と思われてしまうかもしれないけど、でも、こんな自分だからこそ、むしろ客観的に見れるので、「真の科学とは何か」ということがわかっているつもりだ。

    科学は、勉強するプロセスに気を付けなければとんでもない非科学になってしまう危険性があることを、これから科学という学問を志そうとしている学生さんたちに遺書として書き残しておきたいと思う。大学で科学のどんな分野の研究をするにしても、最低限、次の6つのステップは踏んで、自分の心構えの中で解決を付けてから研究に臨んでほしい。

    だけどこれから話すことは、本当は、「世界中の人たちが仲良く助け合って生きるような世の中になってほしい」と願う人たちにも聞いてほしいんだ。



    1.まずは、自分が科学を勉強したい意味を確認すること

    「自分の興味ある科学の分野を活かせる企業に入るため」とか言うのなら、それはそれで構わないのだけれど、それはジジイの言う「真の科学」を学ぶ姿勢なんかじゃ全然ない。

    厳しいことを言うようだけど、科学を勉強する意味は「自分とは何か?」「人間とは何か?」「この自然界はどのように成り立っているのか?」などの根源的な疑問を解明したいためにするものなんだ。

    それはついには、この自然界が僕たちに求める生き方ができるようになるため、つまり自分や世界中の人が幸福に生きるための道を探るためなんだ。就職のためにする勉強なんて「真の科学」とは言えないんだよ。

    いや、ジジイはその人たちを強く批判するのが目的でこんなことを言い出したわけじゃなくて、科学とは関係のないみんなにも「真の科学」とは何かを知ってほしいんだ。

    さっきも言ったけど、「真の科学とは何か」を知らなければならないのは、本当は科学者ばかりじゃない。世界が平和になって世界中の人が幸福に生きれるようになることを望む人たちみんなに知ってほしいことなんだ。

    なぜなら、自然界様から唯一謙虚に学ぶ学問である「真の科学」にしか、それを成し遂げられないからなんだ。

    2.この宇宙、約140億年の歴史を一年のカレンダーにして、その中で人類が出現したのは何日くらいかを常に意識しておくこと

    科学者はその職業柄、近視眼的になりやすいと思うけど、最低限これを知識として知らないと「真の科学とは何か」もわからない。もっとも、知っていてもそれを常に意識していない科学者が実に多い。

    宇宙は約140億年前のビッグバンによって始まり、その時に散らばっていた素材が様々にくっついたり組み替えられたりして地球ができたのは約45億年前で、それから今の人類(ホモ・サピエンス)が出現するのはずっとずっと後の、今から約20万年前のことだよね。

    この宇宙の140億年を一年のカレンダーにすると、地球ができたのは約4ヶ月前だけど、ホモ・サピエンスが出現するのは、12月31日の日付が変わるわずか7~8分前ということになる。(時間があったら紙に書き出して計算してみてください)

    いつ頃人類が言語を獲得したかははっきりわかっていないけれど、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外へと躍進する頃ではないかとする学者がいる。そうすると、今から7万年前頃なので、「幻想」を持つ脳が生まれたのは年が変わるわずか2~3分前ということになる。

    それでも、現代の僕たちの脳と比べると情報量の違いから言っても、今よりずっと単純な反応しかしなかったんじゃないかなと思う。複雑な思考をしたり、複雑な感情表現をしたとは到底想像できない。

    まして科学を扱うような脳を持つ人類が出現したのは、年が変わるわずか1秒前と言ってもいいのではないだろうか!?

    この事実を知り常にそれを意識しておくことはとても重要なことだ!

    人類が出現する前に、この宇宙に長いこと無言で暮らしてきた先住民(=人間以外の生物や無生物)たちに対する十分な敬意を払い、昨日今日訪れた新参者の我々人類が、決して傲慢になってはいけないからなんだ。この宇宙は人類の植民地ではない!

    自然界は傲慢な人類を一番嫌っている。でも謙虚な「真の科学」の目で見ない限り、それが見えないんだ。


    さて、ここからわかることは、「科学を扱うような脳を持つ人類が出現するまでは、間違いなく ”物質” だけの世界だった!」ということだね。

    今ここでジジイが「物質」と言っているのは、生物も含めているんだよ。つまり科学をするような人間の脳ができる前の「宇宙の万物」という意味だ。

    人間が科学するようになった時点から、人間がこの自然界と対峙たいじすることになったわけで、それまでは生物も含めてこの宇宙の全てのものは「自然界と地続き」だったからね。人間が勝手に生物と無生物に分けてしまっただけなんだからね。( ⇐ ここ特に重要)

    皮肉なようだけど、自然界のことをもっと知りたい、自然界にもっと近づきたい、と強く願ってしまった人類が、もっとも自然界と遠く離れてしまったんだね。でも科学を始めてしまった以上、もう後戻りはできないんだ。

    そして人間が科学をするということは、この自然界のモノを言葉や数字に置き換えるということ。それは明らかにモノそのものとは別物で、言葉や数字に置き換えて認識しようと試みたものでしかない。

    君のことを説明するためにどんなに言葉や数字を用いても、それは君自身ではないよね。もちろん数値に表した方が、それまで見えていなかった君の身体の様子を如実に表している場合もある。だけどそれがすべてではない。

    それなのに、このたった数秒前に出現した新参者の人類たちは、君のことを言葉や数字に置き換えて、すべて理解したつもりになっている。

    いいかい?
    「真の科学」というのは、「科学は、この自然界のモノを言葉や数字に置き換えたものでしかない」ということをちゃんと理解しているものなんだ。それを知った上で、それでも自然界のモノを言葉や数字に置き換えようとしているんだ。

    では人間はなぜそんなことをするのだろう?

    それはまぎれもなく、「自分とは何か?」「人間とは何か?」「この自然界はどのように成り立っているのか?」を人間のわかる言葉で、自然界様に教えてもらうためだよね。

    それを知りたいために人類は科学を必要としたはずだ。

    だけど、さっきも言ったけど、それを願ったせいで人類は最も自然界から遠く離れてしまった。だからと言ってもう後戻りはできないなら、このまま突き進むしかない。今、人類は迷子になってしまっているんだ。

    毎日のように世界中のあちらこちらで繰り返される争い‥‥、それは人類がどう生きたらいいのかがわからずに、ある日「お金」というものを作り出し、「お金」に頼り、ついには「お金」に支配され、そして欲と欲がぶつかり合って起こされている。

    でも安心してほしい。AI も活躍する科学時代のこの21世紀、その「真の科学」が、迷子になっている我々人類に、自然界と手を繋ぐ道を指し示してくれている。

    自然界にはお金なんて不要だったんだ。だって、この宇宙の中で迷子になっている人間だけが必要としているだけじゃない!?

    お金とは、ある意味、迷子の人類が見つけた羅針盤のようなものかもしれない。でもその羅針盤は、お金を持っている人の方向ばかりを指し示し、そちらの方向にお金は引き寄せられていくとんでもなく不公平な羅針盤だったんだ。

    いいかい!?
    科学の本当の役目は、迷子になってしまっている人類を、自然界の声を聴いて、自然界が望む方向に軌道修正してもらうためにあるんだ!

    そこまでが「科学」の役目であって、そこから先はもう「科学」ではなくて、いわば「科学を利用した何か」でしかないということを、絶対に科学者は忘れてはいけないよ!

    科学を利用して、人類に役に立つものを作るのはとても素晴らしいことだし、遺伝子を書き換えて病気になりにくい人間を作るなどということは、ある意味、とても評価すべきことかもしれない。

    だけどそれらをしている人たちに言っておきたい!

    それはあくまでも「真の科学」ではなくて、まして「科学」でもなくて、「科学の名を借りた、科学を利用した何か」でしかない。

    「科学」でもないということは、それをする人たちはもはや科学者ではなく、他の名前で呼ぶべきなんだ。例えば‥‥。えーっと、すぐに名前が思い浮かばないので、例えば‥‥、医者とか、発明家とか、エンジニアとか、占い師とか、会社員とか、公務員‥‥とか、とにかく別の名前でね。



    3.この宇宙の全てのものを、まずは物質(実体)と人間の脳内の現象(幻想)に分けること

    「真の科学」とは、自然界を唯一師と仰ぎ、間違いを何度も何度も自然界に修正してもらいながら歩む謙虚な学問のことだ。

    電磁気の研究などで有名なジェームス・マクスウェルという科学者の言葉を紹介しよう。

    マクスウェル

    「科学こそ学問の真実に到る王道である。どこかで間違っても自然がその誤りを指摘するからだ」

    すばらしく謙虚な言葉だ。年取って涙もろくなってしまったジジイは、この言葉を聞くといつも涙が出そうになってしまう。

    人間というものは自分の知識や経験などから、あるいは自分の感情や価値観などから、あらゆるものに都合よく意味づけをしたり、身勝手な評価や判断をしたりしてしまうものだよね。

    自然界中心に、自然界のふるまいを研究するこの上なく謙虚な学問であるはずの科学まで、人間中心に解釈されるようなことになってしまっては困る。

    それなのに、科学者と言われる人たちでさえ自分の知識や経験などで、あるいは自分の感情や価値観などで研究対象に対して意味づけをしてしまうことがそれこそ無数にある。

    それを避けるために、真の科学を実践しようとする科学者は、研究に入る前に次の2つを明確に分ける能力が必要となる。そう、これは「能力」と言ってもいいくらい重要で、科学者を目指す人たちにも難しい課題かもしれないくらいだ。

    ・実体‥ ‥ 人間が意識しなくても存在する全ての物質、全ての物体。またそれらが作り出す現象。

    ・幻想‥ ‥ 人間の脳の記憶と外部からの刺激との相互作用によって脳内に浮かび上がる全ての現象。意識、認識、連想、想像、思考、感情、意思‥ ‥ など。( *人間の脳の記憶とは、もちろん言語も含めます)

    「真の科学」を行うためには、この二つの違いを、まずははっきり区別できなければいけない。

    科学を扱うような脳を持つ人類が出現するまでは、実に長い年月、この宇宙は「人間が意識しなくても存在する物質とそれらが作り出す現象で満ちていた」はずだよね。

    それをジジイは「実体」と呼ぶことにした。

    なぜかと言うと、科学を扱うような脳を持つ人類が出現するまでの長い長い年月のことを学ぶためには、「人間が意識しなくても存在するもの」と「人間が意識しなくては存在しないもの」を混同してはいけないからなんだ。

    この好例として、1930年に交わされたアインシュタインさんとインドの大詩人タゴールさんの「月は見えていなくても存在するか否か」という議論を取り上げようと思う。

    アインシュタイン&タゴール

    この対話の中では、アインシュタインさんは「自分が見ていなくても月は存在する」という立場で、タゴールさんは「月は人間の意識の中にしか存在しない。意識しなければ月はそこにない」とする立場なんだ。この対話は最後まで平行線で終わる。だけど実に興味深いよね。

    今、ジジイは、「人間が意識しなくても存在するもの」と「人間が意識しなくては存在しないもの」を混同してはいけないと言ったけど、このことなんだ。

    科学は人間が意識しなくても存在するものを扱う。そう、アインシュタインさんの立場だよね。

    科学とは、自然界の声を人間のわかる言葉(理論や数字)に置き換える翻訳機と言ってもいい。だけど、科学がたとえ月を言葉や数字に置き換えても、それは月そのものではない。つまり、本物の月が人間の目に飛び込んでくるものでない限り、人間は月というものをその人の記憶や感情などを通して認識しているだけなんだ。

    その意味で言うなら、タゴールさんの言うように、人間が意識しない限り月は存在しない、ということも言える。

    本当は100人の人間が月を見上げたら、それぞれがその人の記憶や感情などに照らし合わせて100通りの月を見ていることになる。それでも「昨日、綺麗な月を見たよ」と言って相手に通じるのは、互いの記憶の中の「月」のイメージが近似きんじしているからなんだ。

    この二人の議論の違いをわかりやすく説明すれば、科学者であるアインシュタインさんは、自然界を中心とした「実体」を重視する立場。タゴールさんは人間を中心とした「幻想」を重視する立場と言える。


    「真の科学」が対象とする「実体」は、あくまでもタゴールさんが言う「幻想」と区別しなければならない。

    具体的な例を挙げると、今、道の真ん中にピアノが置かれているとイメージしてみてくれるかな。ある人がスマホに夢中になって歩いていてぶつかってしまう。それはピアノが意識していなくても存在する「実体」だからだね。

    でも、そのピアノで、ある曲が演奏されたとする。それを聞いて感動して涙を流す人がいたかと思えば、「こんな道の真ん中でうるさい騒音をまき散らしやがって」と腹立たしく感じた人もいたとする。

    音は、空気という「実体」の振動だけど、名演奏や騒音は人間の脳だけに浮かび上がる「幻想」だね。

    名演奏か騒音かは、人間の感情が決めるもので、そういう類たぐいのものは人によって違う受け取り方をしてしまうから、この人間の脳内だけに浮かび上がる脳内現象を「幻想」と名付けて区別することが大切なんだ。

    もっと例を挙げると、ある人から心温まる手紙をもらったとする。まだ読む前の手紙は「紙」という「実体」だから、ヤギに見せたら食べてしまうかもしれない。でもそれを読んだ人は嬉しくて涙を流すかもしれない。文字(の意味内容)というものは「幻想」の範囲だからだ。でも、文字として書かれている「インクの染み」は「実体」。

    この二つをしっかりと意識して区別しておかないと、「実体」を解明するはずの科学に、人間の好き嫌いや欲望などの感情が入り込んでしまって事実が歪められてしまったり、客観的な判断ができないからなんだ。

    だけど恐ろしいことに、この二つを明確に分けた上で研究をしている科学者は実に少ないんだ。

    その意味で言えばあのアインシュタインさんも間違っていた。「実体」の月を扱うのが科学なのだから、「幻想」の月を扱う詩人のタゴールさんに巻き込まれて無意味な議論をしてはいいいけなかったんだ。実は、アインシュタインさんの欠点は、あの有名な「相対性理論」にも表れている。

    「相対性理論」は、時計という「実体」の作る「時間」と、我々がビッグバンからの変化に付けた「時間」という「幻想」を一緒にして一つの数式に表してしまっていたんだ。これはまだ誰も気づいていない。


    だからまずは、この二つを明確に分ける「能力」を鍛えることが大事なんだ。

    それができたら、さらにもう一段階、上がある。

    年が変わるわずか数秒前に生まれたというこの人間の脳の「幻想」だけど、それが生まれたせいで人間は「科学」を必要とすることになってしまったんだよね。だから、「真の科学」を実行するためには、「意識、認識、連想、想像、思考‥‥」などの「幻想」は必要で、むしろフル活用しなければいけない。

    だけど人間の脳に浮かび上がる「幻想」の中で、「感情、価値観、欲望、思い込み、偏見、理想」などは絶対に排除しなければならない。

    そのために、人間が意識しなくても存在する「実体」と、人間の意識にしか存在しない「幻想」を最初に明確に分ける必要があったんだよ。

    それにどんな意味があるかって?

    気が付かないと言うなら、言ってしまうけど‥‥。
    ほとんどの人が医学は「真の科学」だと思っているよね。そして、医学者は「真の科学者」だと思っているだろうけど、とんでもない。これほど人間の欲や理想が関与しているものはないくらいなんだ。

    つまり「似非えせ科学」なんだ。


    4.自然界には「意味」や「目的」や「理由」はないし、「敵」など存在しない

    ジジイが言う「真の科学」ではないものを、先ほど、仮に「似非科学」と呼んでみたけど、この二つを見分ける良い方法がある。

    「真の科学」は「意味」「目的」「理由」「敵」という言葉は使わないが、「似非科学」はそれらを頻繁ひんぱんに使いたがる。

    この宇宙の全てのものを、「実体」と「幻想」に分けると見えてくるものがある。

    この宇宙の歴史を一年のカレンダーにした場合、年が変わるほんの数秒前に出現した新参者の「幻想」が、それまでの長い長い「実体」の世界を勝手に意味づけをしてしまっていることが実にたくさんあるんだ。

    前にも言ったと思うけど、人間の日常を見てごらんよ。

    人間って、自分の知識や経験などからあるいは自分の感情や価値観などから、あらゆるものに都合よく意味づけをしたり身勝手な判断をしたりしてしまうものだよね。子どもだってそうしてる。

    でも驚くことに、自然界中心に自然界のふるまいを研究するこの上なく謙虚な学問であるはずの科学にまでそれをしてしまって、科学的真実が歪められてしまう例がたくさんあるんだ。

    では、一緒に考えて欲しい。
    科学をするような脳を持つ人類が出現するまでの、実に長い長い期間、「実体」には、それが存在する意味も目的も理由もなかったはずだよね。「意味」や「目的」や「理由」は、人間が言葉を持つようになってから生まれてきた概念だ。人間の脳の習性と言ってもいい。

    実体としての君が生まれてきた、そのことには「意味」も「目的」も「理由」もないはずだよね。あるとすれば、それは親の考える「意味」や「目的」や「理由」に過ぎない。

    そして君が自分の生まれてきた「意味」や「目的」や「理由」を知りたいと考えたとしたら、それは後付けの「意味」や「目的」や「理由」に過ぎない。「意味」や「目的」や「理由」とは、人間だけが後から付け足す ”アイデア” のことなんだ。それは宗教や文学などのやることで科学のやることではない。

    だけど、次のように言う科学者が本当に存在する。と言うより実に多いんだよ。

    そもそも宇宙は知的生命(=人間)を生むようにデザインされていた。もし人間によって観測してもらわなければ宇宙はその存在を誰にも認知されないで終わることになり、それでは宇宙の存在意義もないことになってしまうからだ。

    宇宙がこんな「意味」や「目的」や「理由」で人間を作ったなどと本気で考えてしまう科学者は、全くもって科学者とは言えない。

    この人は才能あふれるロマン派の作家かもしれないね。確かにインドの大詩人タゴールさん寄りだものね。次のようなことを口にする科学者も多い。

    免疫系は、自己と非自己を区別して《わたし》の体を危険な敵の攻撃から守るために存在している。

    テレビでも盛んに医学者先生が我々にわかりやすくするためか、そのように説明しているのを聞いたことがあるはずだ。そして我々庶民はそれを鵜呑みにしてしまう。なんという害悪だろう。

    科学的な意味ではこの宇宙に「意味」や「目的」や「理由」など存在しないのと同じように、「危険な敵」などどこにも存在しないんだ。

    科学的な意味では、自分を攻撃する敵なんて、実は、現在の環境に置かれた人間の脳が見る幻影に過ぎない。

    まして自己と非自己を区別しているのは免疫系ではなく、それは人間の「幻想」つまり感情に由来するものだったんだよ!

    免疫系とは、生物が自然界で適応していく過程で生まれる単なる生体的化学反応に過ぎない。その反応に対して、人間が感情移入してしまい、このような物語を作ってしまうんだ。

    いいかい?
    実は、食ったり食われたりしている弱肉強食の世界にだって、本当は敵も味方もないんだ。自然界と地続きである彼らは、自然界でそのような反応をする種しゅが、災害や捕食から逃れて、たまたまそれらの反応をする遺伝子が現在繁栄しているだけなんだ。

    人間が、人間の脳だけの「幻想」である価値観や感情で自然界を歪めたり、勝手に自分たちの生活パターンを投影してしまって、彼らの行動を意味づけてしまっているだけなんだ。

    次の言葉はどうだろう!?

    カレハカマキリは自分の体の色や形や動きを枯葉そっくりに似せているが、それは敵の捕食から身を守り獲物の捕食を有利にするための戦略である。

    カレハカマキリ

    これも、テレビなんかに出演した生物学者先生なんかがよく好んで使う説明パターンだね。どうやら彼らの間では「戦略」という言葉が流行っているようなんだ。「敵の捕食から逃れるためにそのような身体に進化させた」などという説明もよくされる。これも聞いたことあると思う。

    カレハカマキリを含める擬態ぎたいをする動物たちには、敵の捕食から身を守り、獲物の捕食を有利にするなどという意識などない。ましてそれが彼らの「戦略」で、そのように自分で体を進化させたはずもない。

    人間が、自分たちの思考パターンを昆虫たちに投影して彼らの形態やふるまいに意味づけしてしまっているんだ。つまり人間中心の解釈ということ。

    真実は、「自然界というあらゆる形態や反応の生まれる無限の可能性の荒海の中で、遺伝子は時々コピーミスを起こすのだけど、その時たまたまそれらの形態や反応を獲得したものが捕食や天災から免れているので、そのDNAを引き継ぐ形態や反応をするものが現在の環境で繁栄している」というだけの話なんだ。

    まるで「免疫系」や「カレハカマキリ」には、人間にはあると思われている「意思」があって、その自分の「意思」で自分の体を作り替えたり、敵を攻撃したり守ったりしているような絵が見えてくる。

    だけどそれは全く間違った解釈で、彼らは「自分の意思」なんかで動いていたわけじゃないんだ。彼らはこの自然界という環境の中で、環境に反応して生きていただけなんだ。

    なんで「免疫系」でも「カレハカマキリ」でもないあなたに、彼らの気持ちがわかるんだ!? って言われそうだけど‥‥、わかるんだ。

    なぜって、本当は人間にだって、今まで言われていたような「自分の意思」なんてものはなかったんだから。人間だってこの自然界という環境の中で、あるいは人間社会という環境の中で、環境に動かされて(反応して)生きていただけなんだ。

    この真実も、「真の科学」の視点を持てばスーッと見えてくる。
    これはむしろ簡単に理解できる当たり前のことなんだ。

    「ネコでもわかる」とまでは言わないけどね。
    いや、ある意味、ネコの方がまだわかっているのかもしれないよね。

    その当たり前のことの理解を拒こばんでいるのが、「真の科学」の視点を持てない人たちの、感情や偏見や固定観念というものなんだよ。

    そしてこの感情や偏見や固定観念というものを、科学者と言われる人たちの実に多くの人たちが固持してしまっている。さらに悪いことに、彼らの中には「権威」というものに拘こだわる人たちがいて、それが、この科学的な真実の理解を強烈に拒んでしまっているんだ。

    冒頭にも言ったけど、本当は僕たちを導いてくれなければいけないはずの科学者たちが、むしろ僕たちの明るい未来を阻はばんでしまっているんだ!  


    ジジイはNHKの『ダーウィンが来た!』という番組が大好きでよく見る。あれだけの貴重な映像を撮るためのスタッフの努力は本当に大変だと思う。だけど、それだけ努力して撮影した映像も、「これがこの生き物の戦略です」とか、「親が子を守る愛が大きな敵に立ち向かわせたのです」などのような非科学的な解説を聞くと、ガッカリしてしまう。

    もったいないなあと思う。
    せっかく科学が神話の時代から抜け出したと思ったら、また神話の時代に逆戻りしてしまったようで‥‥、努力が報われないよね。

    次の言葉はどうだろう。ある科学者の言葉だ。

    生命発生の確率は100万ドルの宝くじが100万回連続して当たったような信じられない幸運が重なった結果だ。

    生命発生の確率は、腕時計をバラバラにして箱に入れ、それを振っているうちに腕時計が完成するくらいの確率である。

    これも科学者と言われている人たちの驚くべき発言だ。

    宝くじに当たることを「幸運」と考えたり、飛行機事故に遭うことを「不運」と考えるのは、人間の感情に基づく評価。客観的に見れば、どちらも低い確率で起こった出来事に過ぎない。しかも、それらの出来事が低い確率で起こったと考えるのも人間の脳の特性である想像力のいたずらなんだ。

    それに「腕時計が完成する」と言ってるけど、「完成」という言葉も「幸運」や「不運」と同じように人間の感情に基づく言葉で科学的な言葉じゃないよね。自然界には完成形はあり得ない。常に変化の過程の一時的な姿なんだ。

    だって、別に現在の僕たちの身体や思考方法が人間の「完成」形でもないじゃない! 

    実際、この身体の脳(と心臓)以外の全ての細胞は、細胞分裂を繰り返していて、皮膚の細胞などは2週間もすれば全て入れ替わると言われている。いずれにしても10 年もすれば、足の爪の先から髪の毛一本に至るまで、同じ細胞は一つも存在していない。全く別人と言ってもいいんだ。

    つまり、今見ているこの身体だって常に変化の過程の一時的な姿でしかないんだ。

    最後に、医学について見ておこう。

    医学は誰もが認めるれっきとした科学だと思われているけど、「真の科学」ではない。

    医学の扱うものは「病気」だけど、「病気」という言葉の中にこもっている我々の感情に目を向けてみて欲しい。
    恐れ、不安、憂え、怒り‥‥、それらの感情と無縁ではないよね。

    だから現代の医学は「人間の感情や価値観に科学を利用した何か」であり、言葉は悪いかもしれないけど、まさしく「似非えせ科学」なんだ。応用科学などという言葉もあるようだけど、人間の欲や感情に科学を利用すると、たいがい、自然界様から手痛いしっぺ返しを食う。


    つまり、医学者は「真の科学者」ではない。それは「似非科学に従事する方たち」なんだ。

    そして「病気」に対して、人類の敵と言わんばかりに戦いを挑むのが今の医学のようだ。現に、「闘病」などという言葉も存在する。その医学の現場に携わる医学者の姿は、「自然界を唯一師と仰ぐ謙虚な科学者」どころか無謀にも自然界に反旗はんきを翻ひるがえす姿じゃないか!?

    下の記事は、現役のお医者様が「延命」の実際を教えてくださっている。

    こわ~い「延命」という行為は、ジジイにはむしろ人間を冒涜ぼうとくしている行為にしか見えない。

    「真の科学」が何かを知って、真の医学を目指す医学者だったら、こんなことになるはずがない!


    科学的に見れば、この宇宙の中のどんな ”ふるまい” もすべて自然界に適応している状態だよね。当たり前のことだ。それ以外のことは絶対に起こりようがない。

    例えば、月に向けて飛ばしたロケットが途中で爆発してしまったとしたら、それはロケットが自然界にうまく適応できなかったからじゃない。そのロケットが適応した結果が爆発なんだ。

    我々が「病気」と呼んでいるものも例外ではなく、その状態こそ、その身体がこの宇宙の中で適応している姿だったんだ。

    この解釈は宗教でも文学でもなく、この視点こそ「真の科学」だということをわかって欲しい。その上で、「病気」と呼ばれていた適応の仕組みを研究するのが「真の医学」のはず。

    つまり、現代の医学は、人間の作り上げた「病気」という怖い物語に科学を利用しているだけなんだ。

    人間の作り上げた物語に科学を利用したものとして、真っ先に思い浮かぶのは他に何があるかい?

    そうだね。
    敵を殺すために作られた様々な武器もそうだ。

    それは人間の感情の一つである「恐怖」が、「敵」を作り上げてしまったせいなんだ。恐怖が、そこにいないはずの幽霊を見てしまうようなものなんだ。

    自然界を、「幻想」を排除した「真の科学」の視点でよく眺めれば、「病気」というものも、「敵」というものも、人間の作った物語の中にしか存在しないことがわかる。だからと言って、人間の作る物語を排除するのが科学の立場だ‥‥などと言っているのではないよ。

    人類は言葉を使用するようになってから「ものがたり」がなければ生きられない動物になってしまったんだ。

    だから物語を排除するのではなくて「人間主体」で作られてきた今までの傲慢な物語を、自然界から謙虚に学ぶ「科学主体」で作る物語に、つまり、科学時代に合わせた物語に書き換えるべきだと言っているんだ。

    今こそそれが必要とされ、今こそそれができる時代だから‥‥。

    科学こそ、全人類が寄りかかっても倒れない太い一本の大木。科学は、今、我々に新しい物語を見せてくれている。

    ここまでの話を、以前、動画にして You Tube に 3本アップしたことがある。今でこそジジイだけど、ジジイがまだ若かった頃に作ったものなんだ。まだ今のように設備もなかったし動画の作り方も知らなかったから、ホームページビルダーで試行錯誤しながら作ってみた。


    時間があったら見てください。4本目は力尽きて作れなかった。ごめんなさい。(ちなみに最後に表示されるURLのページは今はありません)

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    5.最後には、排除していた「幻想」を必ず戻すこと


    科学は唯物主義なので、「実体」を扱うものだと言ってもいい。

    だけど、科学を始めたのも科学をするのも人間だよね。

    この宇宙の歴史を一年のカレンダーにした場合、年が変わるほんの数秒前に出現した人間の「幻想」に過ぎないけど、でも「科学を始めたのも科学をするのもその人間の幻想」だったよね。

    だから科学をするためには、「意識、認識、連想、想像、思考‥‥」などの「幻想」は必要で、むしろフル活用しなければいけないけど、「感情、価値観、欲望、思い込み、偏見、理想‥‥」などは絶対に排除しなければならない。
    そうしないと、せっかく努力して見つけた科学的真実を歪めてしまうことになるからだ、と言ったよね。

    だけど、最後の最後に「感情、価値観、欲望、思い込み、偏見、理想‥‥」それらを戻さなければいけない。

    このタイミングが実に難しいんだ。
    これに失敗すると、先ほど見てきたように、それまでの科学の功績がすべて無になってしまうくらいに重要なんだ。


    いいかい?
    今からとても大事なことを話すのでよく聞いてほしい。

    まずは、科学者は「自分とは何か?」「人間とは何か?」「この自然界はどのように成り立っているのか?」を解明するために、科学的方法論を用いて自然界様に教えを乞い、正否のお伺いを立てたはずだよね。

    そして「実体」を扱うために、そこに科学的真実を歪めてしまうような「幻想」が入り込まないように細心の注意を払わなければいけなかった。

    タイミングを間違えると、先ほどの「医学」や「殺りく兵器」の間違いのようなことが起こってしまうんだ。

    それは決して我々人類を幸福にしてくれる「科学」じゃない。世界中のみんなを平等に幸福にしてくれる「科学」じゃない。死だって大切な自然界からの贈り物なんだ。「真の科学」ならそれを知っている。

    自然界からの大切な贈り物だと思っていないから、人間の手で執行するようなことまでしてしまう。

    自然界からの大切な贈り物なのに、生に感謝する気持ちばかりで、死に感謝する気持ちや世界中の人たちが仲良く助け合うことに喜びを感じる気持ちが湧いてこないのは、どこか「科学」が間違って使われてしまっている。



    6.そこから見えてきた人類の未来

    科学をする脳ができたおかげで、自然界と最も遠い存在になってしまった人類だった。つまり、親元からはぐれて道に迷ってしまっているのが今の人類なんだ。

    だけど、これからは「真の科学」が人類の進むべき道を教えてくれている未来の話をしよう。

    さっき言ったように、最後の最後に「感情、価値観、欲望、思い込み、偏見、理想‥‥」それらを戻して「人類が進むべき道を照らしてくれる物語」を作ろうという話だ。

    もし今までのプロセスを確実に踏んできたなら、今までのような自分たち中心、あるいは人間中心の傲慢な物語ではなく、自然界中心の謙虚な物語が、僕たちには作れるはずだよね。

    そして、真の科学が教えてくれた「世界中の人たちが仲良く助け合い、平等で幸福に生き、祝福と喜びの中で死んでいける世の中」にするための物語が自然に生まれてくるはずだよね。



    そんな物語をジジイも作ってみたかった。
    それが「分身主義」という物語なんだ。


    これ ⇧ は「真の科学」を通して、自然界様から人間の進むべき道を教えていただいたジジイが、生活していく上でその教えを実践してみようと考え、メールマガジンを発行したものなんだ。

    まだ青二才の頃のジジイが、世界が平和になるための道を、模索しながら、思考錯誤しながら、歩いている様子が描かれているので、よかったら読んでみてください。


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    ★★★ 関連記事(保存版) ★★★
    📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
    📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ(ジジイの遺言書-8-)

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    子供の頃に見た青く透き通った空、静かで永遠を感じさせる空、平和で争いのない空、そんなものが苦しいほど心の中をいつも支配していました。 今となって思うんだけど、大人は自分たちが実行できない正義を、子供たちに教えていたんだな。そしてそれを守れなかった子供が成功者と呼ばれる大人になる。

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