📌個人主義からの脱却、そして分身主義へ

今回はちょっと長い(朗読用のアプリで検証したところ1時間くらい)ので、リラックスして最後まで読んでいただけるように、少し語調を変えて、中学生に話しかけるような気持ちで書いてみようと思う。
* * *
今回はかなりすごいことを語るつもりなんだ。
間違いなく、今まで君たちの誰もが耳にしたことのない話をたくさんすると思う。
でも、誰も耳にしたこともない話なんて、まやかし臭くて聞きたくもないと思うなら、ここから先はパスしてくれても一向に構わない。
ジジイはこの先、貯蓄をまもなく使い果たして餓死する生き方を選択したので、どんなに声高に叫んでも、自分が生きているうちに、若いころから夢見ていた『What a Wonderful World!』色に世界が染め上げられるなんてこと、あり得ないとわかっている。だから、そんなにいきり立ってもいないんだよ。
ちなみに、「誰も耳にしたことのない話」の一例として挙げておきたいんだけど、今言った「餓死する生き方を選択した」という言葉は、科学的に言えば「選択させられた」と言い直すべきところなんだ‥‥。
そのことに関連してもう一つ言っておきたいんだけど、誰もが普通に使っている「自殺」という言葉、これも科学的に言うならば、本当は誰もが《環境》に殺されているだけなんだ。だからすべて「他殺」ということになる。自分の意思で自分を殺めることを「自殺」と呼ぶのだけど、それは絶対に不可能なんだ。
変わったことを言うジジイだなあ、と思うかもしれないけど、最後まで聞いてくれたらこれらの意味もわかってもらえると思う。
ジジイは超引っ込み思案な性格なので、スウェーデンの環境活動家のグレタちゃんのように、人前で何かを訴えたり抗議をしたりすることは苦手だし、今流行のユーチューバ―のような大勢の人の前に顔を出す仕事、もしやらされるとしたら死んだ方がましだと思うくらいだ。
そんなわけなので、誰かに影響を与えようなどと大それたことはこれっぽちも考えたことない。
でも、これから話す内容は、ジジイが死んだ後にでもいつかは理解してくれる人たちが現れて、そしてその人たちが影響力のある人たちであったなら、一気にジジイの夢見ている「素晴らしき世界!」になることはまったく夢物語ではないとわかっている。
そのような人たちに読んでいただきたいから、この素晴らしい場所を提供してくださっている「note」様様に、遺書として書き残しておきたいと思っているんだ。
この場所で語ろうと思っていることは、前回『究極の断捨離(遺言書-6-)』や『真の科学とは何か?(遺言書-7-)』で書いたように、「どうしたらこの世の中もっと良くなるのですか?」と、科学を通してこの自然界様にお伺いを立て、そこから得られた回答なんだ。
科学って、多くの人に誤解されているようだけど、そして多くの科学者も誤解しているようだけど、本当の科学とは、僕たちを産んでくれた母であるこの自然界様に、「どうしたら人類はみんな仲良く幸せに生きていけるのですか?」と、何よりも謙虚に謙虚にお伺いを立てる学問のことなんだ。
そして誰もが本当の科学をするなら、人類を、いや、この地球の全ての生き物を、いや、この宇宙の万物を仲良く一つに結び付けてくれるはずなんだよ。
当たり前の話だよね。
だって、繰り返すけど、科学とは、この宇宙の万物を産んでくれた母に教えを乞うものだからなんだ。何より自分の産んだ子どもたちが仲良くしてくれることを願っているに決まっている。(⇐ 科学の話をしようとしているのに擬人法を使ってすみません)
でも他の動物たちと違って、人間だけがある日、母である自然界様に背を向けて、母の望まぬ方向に歩き始めてしまったんだ。そして、まるで自分の力でこの世に生まれてきたとでも言わんばかりに、傲慢に傲慢になってしまったんだ。
母親の悲しそうな顔が見えるようだよね。😢
これから話そうとしていることは、その自然界様が科学を通して教えてくれた、今まで誰も聞いたことがなかった科学的真実の話なんだ。
1.個人主義とは
まず今回のタイトル『個人主義からの脱却‥‥』の「個人主義」の定義から始めようと思う。
『大辞林』によると、「個人主義」は二つの意味に解釈されるらしい。
🅰〔individualism〕 個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場。
🅱 その人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに、個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度。
(三省堂 大辞林 第三版)
この解説の注目すべき点は、🅰 と 🅱 は全く正反対のことを言っているように感じることだ。
🅰 は個々人の自由や権利を尊重しようとする立場。
🅱 は個々人の自由や権利などはどうでもよく、自分の利益だけを貫こうとする身勝手な立場。
そこでジジイはこの二つを、
🅰 理性的な個人主義(対義語は全体主義)
🅱 本能的・利己的な個人主義(対義語は利他主義)
と区別しようと思う。
このうち 🅱 はとてもわかりやすいよね。「個人主義」を「利己主義」と言い換えるともっとわかりやすい。
いくら僕たちは理性を持った人間だとは言っても本来は本能を温存している動物だから、本能的に自分に関することを最優先してしまうはずだ。人間は放っておけば誰でも利己的に行動してしまうものなんだよ。良い悪いは別にして、それが当たり前の行動なんだよ。
もっと言わせてもらえば、「人類とは本能を知性で強めてしまった動物」と言える。
だからジジイはこれが本来の個人主義の意味だと言ってもいいと思うんだ。
だけどこれって、人道的に見たらあんまり褒められた態度じゃないよね。
自分のことを「私は個人主義だから自分の利益を最優先します!」などと威張る人はあんまりいないはずだ。むしろその褒められない態度をなんとか正当化しようとするはずだよね。
人類は本来誰もが、🅱の利己的な個人主義の方なのだけど、それを頭が良い人が国会の答弁のようにうまく正当化したのが 🅰 だ‥‥とジジイは確信している。
「人は主義・主張で動くのではなく、自分の行動を正当化するために主義・主張を必要とする偽善的動物である」とうまいことを言った人がいるけど、まさにその好例だと思うんだよ。
🅰のように正当化している人たちの理屈っぽい定義を、いろいろな文献を参考にして、ジジイ流に簡単に言い換えると次のようになる。
・個人主義は自分勝手(=利己主義)とは違い、一人一人の個人を尊重する思想である。
・一人一人かけがえのない存在であり、その個性を尊重する思想である。
・だから、自分だけでなく、他人も一個人として尊重するものである。
・義務と責任をわきまえた、他人に依存しない、真に自立した生き方を目指すものである。
なかなか良いことを言っている感じがするよね。そして、このような主張をする人たちは、最後に「これこそが本来の個人主義の意味である」と付け加えるはずだ。
だけど、これらの言葉の根本にあるものは、「自分という一個人を尊重してほしい」という利己的な思いなんだ。自分が、誰かに自由を束縛されたり権利をはく奪されたりしたくないための予防線だ。
つまり、悪く言えば、自分の利己主義を大目に見てもらうために、互いに取り決めをしているわけだ。良く言えば、社会はこうあれば理想的だな、という願望なんだ。
個人主義を擁護する人たちにとって一番大事なのは「自分の自由と権利を尊重してもらうこと」なのだけど、そのためには「個人主義とは一人一人を尊重する思想です」と明言しておけばいいわけだ。
そうすれば、いざという時、利己的な行動をしてしまった自分に対して、誰も強く責めてこれないはずだからね。もし利己的な誰かを強く責めたら、結局は自分にも何らかの火の粉が降りかかってきてしまう。
この個人主義者たちの言葉が単なる正当論に過ぎない証拠は、このように主張する人たちに限って、もしお互いの利害がぶつかり合ったら、自分の自由と権利をとことん主張し合うはずだ。
どこの国とは言わないけど、個人主義の国と聞いて誰もがすぐに思い浮かべるあの大国‥‥。
その大統領が、「America first, America first!」と叫んで世界を驚かしたことがあったけど、この人はもはや、利己主義を恥とも思わなくなってしまい、正当化の必要性すら感じないレベルに達してしまったのかもしれない。慣れって恐ろしいよね。
でも彼だけではなくて、実は科学的に見れば、我々の脳が関心があるのは自分と自分に関係するものだけであり、自称個人主義者たちは、他人への「無関心」を「尊重」と言い換えているだけなんだよ。その反対の、他人への「関心」や他人への「愛」も、煎じつめれば「自分への関心」や「自分への愛」が変化したものでしかないんだ。
その証拠に、他人に注ぐ関心や愛も、相手が関心や愛を自分に返してくれなかった場合、激しい憎しみに変化してしまうよね。あの怖いストーカー事件などはほとんどがこれが原因だものね。
それに、自称個人主義者たちは「真に自立した生き方を目指す」などと立派な言い方をしているけど、この社会で経済的に成功して自立していると言われている人をよく見てごらんよ。実は、他人の力を借りるのが超うまい人たちで、彼らこそ他人に依存して生きているということがわかるよね。
先ほど例に挙げたような、国のトップになるような人や企業のトップになるような人たちが、他人の力を借りるのがいかにうまい人たちかを想像してみればわかる。
このジジイが様々な仕事を経験した中でトップにつけなかったのは(というより始めからつくつもりはなかったけど)、他人の力を借りることに申し訳なさを感じてしまう性格で、むしろ「誰の力も借りずに真に自立しようとしてしまう人間だった」からかもしれない。
いずれにしても、このように利己的な脳を持つ我々人類が、社会を良くできないのは当然のことだったんだよ。
では人類がそこから抜け出すためにはどうしたらいいのか?
ジジイは「科学」がそのカギを握っていると考えている。
いいかい。
この世界から対立や争いをなくし、誰もが幸福に暮らせる世の中にするためには、まずは正当化などしてごまかそうとしたり綺麗ごとを言ったりしていないで、人間の本能に根差している利己的行動にしっかりと目を向けるところから始めることが大事なんだ。
たとえ、社会主義の国の人たちだって、共産主義の国の人たちだって、あるいは戦前の国家主義的な日本の人たちだって、一人ひとりは、みんな利己的な個人主義者なんだよ。もちろん、別に大仰に主義として掲げているという意味じゃなくて内面的にという意味だけどね。
例えば、社会主義や共産主義の理想が、すべての人が平等に暮らせる社会を目指すというものだとしたら、本当はこの上ない、ジジイが理想とするとても素晴らしい夢のようなシステムが築けるはずだと思う。
でも、かつて一度でも本当の社会主義や共産主義は実施されたことはないんだよ。なぜなら、いくら最初はすばらしい理想を描いても、一人ひとりはみんな利己的な個人主義者だから、どうしても最後には頂点に立った人間たちの、つまり、その「個人」たちの欲に、民衆が利用されてしまうだけの独裁政権になってしまうんだよ。そうでしょう!?
そんなもの、ちゃんとした社会主義でも共産主義でもない!
一人ひとりが利己的な個人主義から卒業できない限り、本当の社会主義も共産主義もあり得ないんだ。
ではどうして、人間は本来、誰もが 🅱 の利己的な個人主義者なのだろう。
🅰 理性的な個人主義(対義語は全体主義)
🅱 本能的・利己的な個人主義(対義語は利他主義)
2.どうして人間はみんな「利己的な個人主義者」なのか?
この問いに答えるためには、人類が「自我」に目覚めた頃にまで遡らなければならない。
「自我」に目覚めるという言葉を聞いて、『旧約聖書』の一節を連想する人も多いと思う。
アダムとイヴが蛇にそそのかされてリンゴを食べた時に自我に目覚め、自分たちの裸が恥ずかしくなり局部をイチジクの葉で隠したと言われているよね。
これは現代の科学が解明していることを、その当時の人間たちは科学的な実験も検証もせずに、想像だけで本質を見抜いていたという驚くべき事実なんだ。

ただし、「人類は自我に目覚めた」と誰もが言うけど、それは我田引水で、本当は、人類は自我に目覚めたのではなく「自我という眠りに落ちてしまった」んだ。つまり、「自然界に背を向けて寝入ってしまったのだ」と、ジジイはいつも言っている。(⇐ ここ特に重要)
我々の脳が何かを認知するというのは「脳内の記憶や感情の回路などに基づいて何かを錯覚している状態」と結論付けることができる。
ちょっと考えればわかることだけど、人間が何かを認知する場合、それそのモノを正確に認知するなんてことできるはずないものね。
例えば夜空の月を認知したという場合、月そのモノが目に飛び込んでくるわけではない。その人の記憶や感情の回路を通過して、月を認知しているんだ。でも「昨夜は綺麗な月だったよ」と言って相手に伝わるのは、互いの記憶の中の月が近似しているからなんだ。もちろん記憶が変わればその人の月も微妙に変化するけど、理解し合うには大した誤差ではない。
ジジイはこの錯覚という脳の習性を「常に夢を見ている状態」と形容している。ただし眠っている時に見る夢と違うのは、その錯覚を、現実の中で常に行動と五感を通して誤差を最小にすべく確かめながら生きている点だ。
どちらにせよ、寝ている時も起きている時も、脳に関して言えば夢を見ているのと同じような状態なのだから、「人類は自我に目覚めた」のではなくて、「自我という深い眠りに落ちてしまった」と言った方が科学的にはより正確なんだ。
その逆に、自我のない動物たちのことや、まだ「自・他」の意識が薄かったころの人類のことを、ジジイは「自然界と地続き」と表現することにしている。
自我というのは、言葉を持った人間にしかなくて、動物には自我はないよ。
京都大学霊長類研究所の正高信男元教授は「サルには自意識はありません。自意識は人間だけにしかない」と言っている。
ムツゴロウ動物王国の畑正憲さんも「動物には自我という概念はない。本能としての自我があるだけ」と言っている。
確かにそうだ。
概念とは言葉で表現された内容なので、言葉のない動物にあるのは「本能としての自我だけ」なんだよね。
ちなみに、人間はどうして言葉を用いるようになったのかというと、二足歩行をするようになって咽喉を通る空気の流れが自由になり、それで複雑な音が出せるようになったのが最初だと言われている。
では、動物にはなくて言葉を持った人間だけにある「自我」とは一体何かというと、これは、「これが自分であると勝手に脳が思い込んでいるところのもの」ということになる。つまり、これも錯覚なんだ!
『人類の育てた果実(2002年制作)を齧ってくれた人には理解してもらえると思うけど、現代科学は、「自我」というのは、言葉を持った人類の脳に浮かび上がっている「錯覚」だと解明している。
ただし科学者みんなが、このことを知っているかと言うと、逆にほとんどの科学者は知らないと思う。何故なら彼らの視野が狭すぎるからなんだ。彼らは専門分野に埋没した研究をしていて、その中で研究費を捻出することや成果を上げることや名声を得ることに一生懸命で、それどころじゃないんだ。
例えば同じ眼の研究者でも、角膜と網膜の研究者は違うらしい。このような視野の狭い環境で働いている科学者が、自我のことを考える余裕なんてないかもしれないよね。しかも、「自我意識」を扱っていいはずの脳科学者や認知科学者や精神分析学者などでさえも、その事実から目を背けている人が多いみたいなんだ。権威が邪魔をしちゃってるんだよ。
「自我は脳が作り上げている錯覚だった」と知った科学者で、そのような本を出した人は結構いる。でも彼らは、自分自身は観察者として、あたかも神のように外側から眺めているかのように他人事で、自分も「錯覚の自我」で本を書いているとは気づかないみたいだし、自分の本が人々の好奇心を煽り反響を呼んで、たくさん売れてくれることだけに関心があるようなんだ。
つまり、彼らにとっては、まったく世界平和に通じるための研究ではなかったということだ。
「科学者が世界平和に通じる研究をしようが、戦争のための武器を作ろうが、そんなの科学者の自由だ‥‥」そのように言う科学者がいたら、即刻、科学者を名乗るのをやめて欲しい。
科学とは、この自然界を唯一の師と仰ぎ、そこから謙虚に謙虚に学ぶ学問なんだ。
この自然界がどのように生まれ、どのような性質を持ち、どのように成長し、そこからどのようにして人類が産まれてきたのか、それらを謙虚に学ぶことが科学だとしたら、そこから何かを学んだ人間が、自然界を壊すようなことは断じてできるはずはない。
でも今の科学者を見てごらん!
彼らは、僕たちをこの地球に産んでくれた自然界様に、むしろ反旗を翻しているかのように見えるじゃないか!
ジジイの大好きな言葉がある。
それは電磁気の研究などで有名なジェームス・マクスウェルという科学者の言葉なんだ。
「科学こそ学問の真実に到る王道である。どこかで間違っても自然がその誤りを指摘するからだ」

何と謙虚な言葉だろう。
これこそが本当の科学だと思う。
本当の科学者とは、人々に褒められて称賛を浴びるためではなくて、自然界様に褒められるために研究をする人たちのことなんだ。
それは武器を作るためではなくて世界を平和にして人々を幸福にするためだということは、科学という学問の基本中の基本なんだ。
でも今は本来の謙虚さはどこかに行ってしまって、一部の人間たちの利益や欲望のための傲慢な学問になってしまっている。
(話が脱線してしまったけど、この章『どうして人間はみんな「利己的な個人主義者」なのか?』の結論を言います)
言葉を持ってしまった我々人間の脳だけに浮かび上がっているこの「錯覚の自我」だけど、それは、常に「自分、自分、自分」をうるさいくらいに主張するもんだから、それがこの地球上に、利己的な個人主義者をたくさん作り上げてしまったということだ。
つまり、自・他の意識が強くなりすぎて、病的と言ってもいい程までに自分の利害(利益と損害)ばかり、常に秤にかけて考え行動してしまうようになっちゃったということなんだ。
もはや、「本能の自我」の命ずるままに行動する他の動物を、はるかに超えてしまったんだ!
3.旧約聖書の意味するところ
先ほど引用した『旧約聖書』では、エデンの園で人類の祖であるアダムとイヴが邪悪な蛇にそそのかされて神の教えに背き、「禁断の木(=善悪を知る木)の実」を食べた、という人類最初の罪(原罪)を犯したことになっている。
そのことで、彼らの子孫である我々が罪を背負うことになったと言うんだよね。
凄い想像力だと思わないかい!?
まだ科学が十分でなかった時代に、人間の想像力というのは、現在の科学が気の遠くなるような粘り強く緻密な実験や観察を繰り返して、そして解明したことを先取りしてしまっていたんだな。
ジジイはクリスチャンじゃないので、旧約聖書の言う「子孫が背負うことになる罪」の真意はわからないけど、科学が解明したことと重ね合わせてみると、「禁断の木の実(=善悪を知る木の実)を食べてしまった」とは、つまり、言葉を用いるようになって脳の活動が活性化し、やがて「理性的な(=善悪を知るような)脳になってしまった」という意味にも解釈できる。
これがどうして、彼らの子孫である我々が「罪を背負う」ことになったのかと言うと、理性を持たなければ他の動物と同じように、ただただ本能的に生きていればそれで良かったからだ。何も悩むこともない。
だけど理性を持ってしまったことで、本能のままに生きることを罪として自覚させられることになったんだ。
この「本来なら罪ではなかったものが罪として自覚させられることになった」ことこそが、「アダムとイヴの子孫である我々が罪を背負った」という意味ではないか、というのがジジイの解釈なんだよ。と言うより、科学を通しての問いかけに、自然界様が答えてくださった回答だと考えている。
ところで、人間が言葉を用いるようになり、物に名前を付けるようになるということは、それは物を切り刻むようになったということだよね。
科学の基本は物を切り刻んでその一つ一つに名前を付けて行くことだとも言える。
例えば一つのつながっている人体にしても、脳、神経、血管、心臓、胃、腸、皮膚、細胞、遺伝子‥‥などとどんどん細かく切り刻んで名前を付け、それぞれの役割を調べていこうとする。だからこそ科学は素粒子という最小の単位にまでたどり着くことができたんだ。
だけどそこまでは良かったんだけど、切り刻んだ後、また元通り戻すことを忘れちゃったんだ。だから先ほどのように、角膜の研究者と網膜の研究者が違うままになってしまっているんだね。
だけど逆に言えば、このように一点集中で狙いを定めて研究をしてくれる人たちがいるから、それぞれの深い領域に踏み込んで解明されるのだけどね。
ジジイのような飽きっぽい人間にはとても無理だな。でも、彼らには不得手の「元に戻す」ことなら得意みたいなんだ。
(また脱線してしまったので話も「元に戻し」ます)
『旧約聖書』に書かれていることを知ると、本当に人間の想像力の卓越性はすごいと感心する。
だけどここで、どうしても忘れてはいけないことがある!
どんなに卓越した想像力でこの自然界を解釈しようと、それが科学的に証明されるまでは、あくまでも『信念』に過ぎない、ということだ。
科学は、人間が立てた仮説を、本当に間違いではないかどうかを確かめようと何度も何度も実験や観察を繰り返して結論付けようとするものだよね。
しかし、「信念」は残念なことに100人いれば100通りの信念を持つことだって可能になってしまう。だからこそ、科学の力が必要なんだ。
これは忘れられているけど、とても大切なことなんだよ!
どんな考えも、どんな思想も、どんな教義も、どんな理論も、それが科学によって証明されない限りは、単なるその人の「信念」でしかない。「その人だけの信念」というものをあまりにも過信してはいけないんだ!
それをしている限り、人はいつまでたっても差別に通じる偏見を捨てられないし、詐欺に騙される人もなくならない。そしてお金を中心にした詐欺的な文化はなくならない。だから、いつまでたっても世界中の人たちが一つになれない。ジジイが若いころから夢見ていた「素晴らしき世界!」は、いつまでも夢のままということ。
だから「本当の科学」が必要なんだ!
4.錯覚の自我と、理性的個人主義( 🅰 )がくっつくと‥‥
🅰 の「理性の個人主義」とは、🅱 の「個人主義=利己主義」のイメージを払拭するために作った「正当化」のことだと言ったよね。
🅰 理性的な個人主義(対義語は全体主義)
🅱 本能的・利己的な個人主義(対義語は利他主義)
つまり、「個人主義=利己主義」じゃ、理性を持ってしまった人間としては、ちょっと本能のままみたいで後ろめたさを感じちゃうよね。でも、「個人主義は一人一人の個人を尊重する考え方です」などと言えば、それなりに格好いいし、自分の利己主義も少々大目に見てもらえる、よね‥‥。
そういうことなんだ。
「自分、自分、自分」とやたら自分を主張したがる「錯覚の自我」と、この正当化されて大手を振ってのさばるようになった「個人主義」のイメージとが手をつなぐと、動物の時には起こり得なかったすごい変化が起こった。
肉食動物はお腹がいっぱいの時には他の動物を捕食したりしないよね。
それで動物界全体のバランスが保たれているようだ。だけど、人類はどんなにお腹がいっぱいでも捕食し続けるようになってしまったんだ。つまり、際限なく財産を搾取し独占し貯蔵し始めたということだ。
なぜなら「自分、自分、自分」とやたら主張してくる自我が、「もっともっと」と‥‥、つまり、正当化されて大威張りで横行し始めた個人主義(本来は利己主義)を煽り立ててくるからなんだ。
我々の、そのように飼いならされた脳の最大の好物は何だと思う?
それはね。
「わたしはNO.1だ!」
「わたしはみんなよりきれいだ!」
「わたしはみんなより勉強ができる!」
「わたしはみんなより金持ちだ!」
「わたしはみんなより人気者だ!」
「わたしはみんなより才能にあふれ、社会で必要とされている!」
と自分で自分を褒めそやすことだ。
自・他の意識が強い脳の好物は、他と比較して得られる「優越感」なんだ。
優越感を刺激するこのようなパスワードが入力されると、僕たちの脳はうっとりして心がウキウキしてなんだか楽しくなってくるはずだ。
うっとりして活性化している脳を燃え盛る炎にたとえるとすると、人類が作った「お金」はその炎に注ぐ「油」ということになり、もっと楽しさが倍加するという化学反応が起きる。
だけど、勘違いしてはいけないのは、今の我々の脳が個人主義的な《環境》に飼いならされていて、「わたし」を褒めそやすことに快感を感じるような回路が脳の神経細胞にできてしまっているから、という理由だからなんだ。
ジジイはその回路を変えることこそ、この世界を良くすることだと考えている。そうすれば、世界中のみんなが仲良く幸せに生きて、死をやたら嫌悪することなく祝福の中で死んでいけるようになると考えているんだ。
脳内の回路自体も、元々は「錯覚の自我」が作り上げている「錯覚の回路」だから、作り直すことは可能だ。
もし、科学によって「本当の自分」を知った人類の脳が、この脳の回路を変化させたとしたら、「優越感」を感じるとむしろ不快になり、逆に、助け合う気持ちを持つことに「快感」を感じるようになる。
ただし、回路を変えると言っても、一から作り直すわけではなくて、脳のOSをほんの少し科学的真実を上書きさせたものにバージョンアップさせるだけの話で、後で話すけど、まったく難しいことではないんだ。
5.では、本当の自分って何?
人類は言葉を用いるようになり、本能的だった脳が理性的な脳に変化した。理性とは goo 辞典によれば、次のような意味のことだ。
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
つまり言葉を用いるようになったことで物事を合理的に考えたり、善悪や真偽などを判断したりする脳が作られてきたということだ。
理性を持つことで、動物の頃には本能のおもむくままに行っていた行動に対して、正当化しなければどうにも居心地が悪くなってしまった。
つまり前にも「人は主義・主張で動くのではなく、自分の行動を正当化するために主義・主張を必要とする偽善的動物である」と言ったけど、自分の利己的な行動に対して何らかの正当な理由づけをしなければ、周囲の批判の目を感じてしまい、おちおち行動をとれなくなったんだ。
それで「個人主義」などという立派な正当論を作り出したというわけだ。
人類の歴史は、「錯覚の自我」を持ったことに端を発して、誰もが「利己的な個人主義者」になり、それが作った「貨幣経済」という仮想現実の歴史である、と言っても過言ではないと思う。
先ほど「自我」というのはこの脳の錯覚だと言ったけど、それはつまり、人間の脳が言葉を用いることになり、記憶の容量や記憶のバラエティーがどんどん増えることで作られてきた錯覚なんだ。
例えば、怪我をして痛いのは他でもないこの身体だし、マッサージをしてもらって気持ち良いのは他でもないこの身体。この身体に張り巡らされている神経系が、そのような経験(=記憶)を積み重ね、他とはカッキリとした境界線を持って存在しているかのように見えているこの身体の内側が、「自分」なのだと錯覚をし始めたんだ。
だけど『人類の育てた果実』を齧ってくれた人には理解してもらえると思うけど、痛いのも気持ち良いのも、実は脳が「痛い」とか「気持ち良い」と錯覚していたことなんだ。

その証拠に、事故で右腕を失ってしまったような場合、腕が存在しないにもかかわらず何年も右腕が痛いと感じてしまうこともある。これは幻肢痛という脳の錯覚だ。
その逆に、手のひらの触覚に対応する脳の部分が損傷すると、手のひらが燃えていても熱く感じないので、焚火に手をかざしていて手が火傷しても気づかなかったりする。それで後から「あれっ、手が焦げちゃってる」ということになる。これは脳がちゃんと錯覚してくれなかった場合の事故例だ。
ちなみに、「錯覚」というと、「そんなもの錯覚だよ、気にすんなよ!」というようによく使われたりするけど、とんでもない!
錯覚とは「在りもしないものを見ている」ものかもしれないけど、でも「錯覚」を持ってしまった時点で、それはその人には確かに存在し、その人や周囲の人の人生を変えてしまうほどの力があるものなんだ。
例えば、アパートの構造部が温度や湿度の関係で伸縮して起こるラップ現象なども、その原因を「この部屋でなくなった霊が歩いている」などと錯覚してしまった場合、引っ越しを余儀なくさせられたりするわけだものね。
でも、このような例を挙げるまでもなく、この身体の内側が自分であると信じている「錯覚の自我」が、人類を自然界から迷子にし、大海に放り出されて溺れそうにしてしまっている現状を見れば一目瞭然だ。この錯覚は、自然界を破壊してしまうほどの力を持ってしまったのかもしれないとも思うほどだ。
話を戻すけど、このように、痛いのも気持ち良いのも、実は脳の錯覚だったんだ。このような錯覚をする脳を持つ生物の方が、当然、生存する確率が高く、それが遺伝的に引き継がれて今に至っているのだろう。
そして、このような知覚がもたらす錯覚が積み重なることで、脳たちはくっきりと、自・他の境界線を作ってしまったんだな。
だけど人間の知覚なんて本当に鈍感なんだよ!
例えば君は誰かが歩いた臭いを、犬のように嗅いで、追跡できるかい!?
あれは、靴を通して人間の臭いが地面に染みついているのを、訓練をした犬は知覚できるかららしい。臭いが靴のあの厚いゴム底を浸透して、それが土に付着ししばらくは残留しているなんて、もし犬が教えてくれなかったら誰も気づかないよね!?
鳥の視力はすごくて、鷹の視力は人間の8倍もあるという話もある。ダチョウの視力は25.0だという。つまり人間には知覚できないものを彼らは知覚して生活しているんだ。
また人間の可聴周波数は約20~2万Hzと言われているけど、コウモリや蛾やイルカなどの可聴周波数帯ははるかに広くて、人間には到底聞き取れない2万Hzを超えた超音波を聞き分けて生活していると言われているよね。
また、蝶は人間が見ることができない紫外線を見ることができるそうだ。
紫外線が映る特殊なカメラで花を見ると、中心が緑色に見えているらしいけど、蝶にはそれが見えているので、それでその色のある所に蜜があることを見分けているのではないかとも言われているんだ。
科学的な検知器や計測機器に至っては生物の比ではないよね!
精密な検知器を用いれば、この宇宙の産声でもある約140億年前のビッグバンの名残も、ノイズとして検知することができる。ということは、我々の身体には四六時中、天球の全方向からこのビッグバンの名残の宇宙背景放射が電磁波として降り注いでいて、知らず知らずのうちに何らかの影響を受けているのかもしれないよね。
まずは人間はいかに鈍感かを知ってほしいんだ。
そんな鈍感な人間が感じていることなんてこの自然界のごくわずかなことだけ。触覚や視覚や聴覚などの五感からのごくわずかな情報で、脳が「これが自分である」と錯覚してしまっているに過ぎないんだよ!
先ほど、科学というのは切り刻むことが好きで、一つのつながっている人体にしても名前を付けることで、脳、神経、血管、心臓、胃、腸、皮膚、細胞、遺伝子‥‥などとどんどん細かく切り刻んで行くと言ったけど、それをまた元に戻すことを忘れちゃっているんだ。
ではその逆に、それらをつなげて行って、どこで途切れるか考えてごらん!
もちろん全部つながっているよね。じゃあ、君の身体は‥‥空気とつながっているし、足はこの床や地面とつながっている。地面は地球でつながっている。地球は大気とつながっている、大気はその外側の宇宙とつながっている‥‥。
ビッグバンから生まれたこの宇宙の中で、つながっていないものを考えてごらんよ!
一つでも考えつけるかい!?
絶対に無理なはず。
それでは、今度は、そのつながっていたものをたった一つでも断ち切ってごらん!
例えば君と空気とを切断したらどうなる?
君と床や地面とを切断したらどうなる‥‥?。
一瞬たりとも生きていないよね。
君が生きていくためには空気や地面とつながっていることが不可欠であり、それらがなくなったら君は即座に消滅する。ということは、空気や地面も君を構成している一部だったという考え方もできる。
これを、ジジイがよくする思考実験で『囲碁初心者の近視眼』というもので説明するね。
囲碁というゲームがあるけど、あれは簡単に言えば陣地取りで、より多くの陣地を囲った方が勝ちというものだ。効率良く、だいたい四隅から打っていく。
初心者の頃は、今自分が打っている場所の石を取られないようにすることや、相手の石を取ることで精一杯で、とても盤面全体を眺める余裕などない。
しかし上級者になると、盤面の右下隅の一手を打つ時、まだやりかけになっている左上隅や、将来的に埋められていく真ん中に与える影響や、それこそ盤面全ての影響を考えて一手を決定する。
どんな一手も、その後の模様に必ず影響が出てくるからなんだ。
何故なら、一つの盤上では全部がつながっているからだ。
同じように、この宇宙という一つの盤面上で打たれたどんな一手も、実は必ず全てのものに影響を与えているんだけど、初心者である人間にはそれが実感できないだけなんだ。
つまり、この宇宙という閉じた空間の中ではすべてがつながっていたということだ。
イメージで言うと下図のような感じ‥‥。これは「パスカルの原理」というものを図示してみたんだけど、鈍感な我々にはそのつながりがわからないだけなんだよ。

上図のように、この宇宙が風船のように閉じた空間だとすると、どこかに何らかの刺激が与えられたら(この図はわかりやすいように外部から圧力を与えた状況にしているけど、本当は内部で何らかの変化が起こったと想像してくれるかな)、その影響は全ての場所に及んでいるはず。
もちろんこれは単なるイメージで、実際の宇宙はその中で天体同士の引力などの影響があるからこのように均等にはならないけどね。
閉じた空間の中では、どんなに離れているものでも持ちつ持たれつの関係だったんだ。だけど、人間の知覚は自分に被害や利益として経験されなければゼロなんだ。鈍感だからつながりを知覚できないだけなんだ。
ついでだから、もう一つのジジイの思考実験『アメリカ合衆国くらいの大きさの浴槽』というのも説明しておこう。
今、アパートの畳の真ん中に浴槽が置かれていて、その表面ギリギリまでお湯が注がれていたとする。誰かが裸になってその浴槽に肩まで浸かる。
すると間違いなくその人の首から下の体積分のお湯が溢れて、畳を台無しにし、アパートの大家さんにこっぴどく叱られ畳代を弁償させられる。
ところが、例えば地球ほどの広大な畳の上にアメリカ合衆国くらいの大きさの浴槽が置かれていて、その中のお湯は風とかの自然現象の影響を全く受けないと仮定する。
ある人が、西の端のサンフランシスコ辺りで浸かったとしても畳に被害を及ぼすことはないし、東のニューヨーク辺りにいた人は、その人が浸かったことなど気づきもしない。
だけどもし精密な計測機器があったとしたら、その人が浸かったことはニューヨーク辺りでも観測されるはずだ。
まったく同じ体積でも、人間には、それが被害として経験されなければゼロと同じだ。これが鈍感で大雑把な人間の感覚というものだ。
これらの思考実験から、ちょっと君を驚かせてしまうような結論を言うけど、科学的に見れば、「本当の自分」とは、この宇宙そのものだったんだよ!
極端過ぎると感じるかい!?
バカバカしいと叫ぶかい!?
それともこの瞬間、パソコンを右上のバツで閉じるかい!?
じゃあ、君が境界線を持って、何物からも独立して存在しているかのように信じ切っている君のその身体。
それは約60兆個の細胞でできている(現在は37兆個とも言われている)のだけど、人間の口の中や胃や腸内や皮膚などあらゆる場所には、それよりもはるかに多い、数100兆個の他人の細胞が共生していたんだ。10倍くらいという学者もいるから、自分の身体だと信じていた細胞は、ほとんど他人のものだったんだ。
微生物と言われているものだね。
でも彼らが君の身体に愛想をつかして出て行ってしまったとしたら、君は生きていけないだろうね。
宇宙も微生物も、どちらも消えてしまったら君は生存できない。それはどちらも君の一部だからなんだ。
それなのに、微生物の方は、悪玉も善玉も含めて自分の身体だと思えるのに、宇宙は自分の身体だと思えないなんて、それこそ極端な誤解じゃない!?
違うかい!?
僕たちは知らなかっただけなんだ!
知らされていなかっただけなんだ!
いきなりだけど、ジジイは若いころ科学とは全く接点のない生き方をしていた。音楽や絵画や詩や小説などという芸術関係にしか興味がなかった。
何故かというと、世界が良くならないのは科学のせいだと思っていたくらいで、芸術こそが世界をつなげてくれると思い込んでいたからなんだ。
でも、世界を良くするためにと小説を書いているうちに、30歳後半くらいになって、世界を良くするためには科学が必要だとわかって、そこからめちゃくちゃ科学を勉強し始めたんだ。
30歳後半くらいまで、科学がこの自然界をどのように解明しているのかをほとんど知らなかったジジイだけど、それを知ることによって、どうして学校ではこんなに重要なことをちゃんと教えてくれなかったんだ、とすごく悔しかった。
大学を卒業したって、文系の人たちなんて、この科学が解明している真実を一生知らないで終わってしまうんだ。なんて腹立たしいことだ。
今から、僕たちの生きているこの宇宙の約140億年の歴史を1分くらいで説明しようと思う。
この宇宙の始まりは、ビッグバンという超高温で超高密度の小さな小さな種から大爆発が起こったと考えられている。下図の一番左。そして初めは素粒子と言われるものしか存在しなかった。約30万年後、その素粒子がくっついて宇宙最初の原子でもある水素やヘリウムの原子ができ、その後、様々な原子を構成する原子核から他の原子も生まれてきた。

そして原子核と電子が結びついて中性の「原子」ができることで、それまで原子核や電子に散乱されていた光の粒子は直進できるようになり、宇宙は「晴れ上がり」という状態を迎えることになる。
上の図は左から右へ時系列に流れている図で、右端が我々がいる約140億年経った現在の宇宙と言うことになる。
「銀河の形成」と書いてある部分があるけど、今存在するこの宇宙の中の全ての原子はこの頃に作られる。詳しいことは『人類の育てた果実』に書いたので、ここでは省略するよ。
それらの原子が星間物質となって宇宙を漂い、ビッグバンに始まりその時から連綿と続いている「ある方向性を持った力」によって再び集まって、約46億年前に地球が誕生し、その後、地球で有機物ができて生命が誕生する。
この生命が誕生するまでの過程は「化学進化」(⇐ 詳しく知りたい人はYouTubeで見てください)と言われている。有機物が誕生した場所は海底であるという説が一番有力らしい(他にも火星の隕石が運んできたという説もあるけどね)。溶岩による高温の熱水が噴き出る海底は、その水圧と金属の影響を受けて効率的に有機物が作られるらしい。
今でもビッグバンの大爆発の力は続いていて、ものすごい速さで膨張していると言われている。大きな風船がどこまでも膨らんでいく状態をイメージしてみるとわかりやすいと思う。ビッグバンが起きたことや膨張していることは、科学的な観察によって確かめられていることなんだ。証拠も今ではたくさん見つかっている。
そして、僕たちはその小さな小さな種から風船のように膨張しているこの宇宙の中の、全てのものとつながって、互いに影響を与えながら存在しているんだ。君のその身体は宇宙の歴史から見れば、ほんの一瞬の一時的な姿で、本当の「君」は、「この風船の内側の全て」であると言える。その中で常に溶け合っている状態なんだよ。
これをジジイは、「我々は部分であり全体である」と表現している。
だって君が死んでもその身体は決して消えることなく、分子や原子レベルに分解されてまたこの宇宙という「風船」の中で違うものに形を変えていくだけなんだ。それは決して「これが自分である」などという、鈍感な神経系の錯覚などではない。自然界と地続きだよね。これって、まるで、溶け合っていると言ってもいい状態だと思わないかい!?
ジジイが尊敬する立命館大学名誉教授の安斎育郎さんという分身さんは、人間が死んだらどうなるかということを科学的・数量的に記述するという画期的な試みをしてみせたことがある。
例えば、炭素原子は体重の18.0%なので、体重が60キロの人なら、10.8キログラムが炭素ということになる。
その人(仮にAさんとする)が死んで火葬に付されれば、10.8キログラムの炭素が酸素分子と結合して、二酸化炭素(炭酸ガス)の分子となって火葬場の排気筒から大気中へ放出されていくことになる。
火葬場から放出されるこの二酸化炭素が、もし地球の大気中に平均にばら撒かれたとしたら、無作為に大気(彼は地上10キロメートルを大気とした)中のどこかの空気を1リットル採取した場合、そこには一体何個のAさんブランドの二酸化炭素分子(あるいは炭素原子)が存在するのだろうか?
彼はそれを「アヴォガドロ数」などという聞きなれない尺度を使って計算したところ、1リットル当たりに含まれる炭素原子の個数が割り出された。すると、驚くことに、10万個以上もあるという答えが出たという。
たった1リットルに10万個以上だよ!
彼は言います。
「あなたが死んで火葬に付され、その身体を構成していた炭素原子が火葬場の排気筒から二酸化炭素に変換されて大気中に均一にばら撒かれたとしたら、エルサレムでもリオデジャネイロでもピョンヤンでもニューヨークでも網走番外地でもどこでも、1リットルの空気を採取したら、その中には10万個以上もの「あなたブランド」の二酸化炭素が含まれているということになる。その二酸化炭素は、野菜や穀物や雑草などの光合成に利用され、それを食べた動物の細胞となり、さらにそれらを食べた人間の身体になるわけです。(中略)
私の体を構成している原子のうち、あるものは過去にナポレオンの体を構成していた原子かもしれないし、徳川家康の体を構成していた原子かもしれないのだ。これは科学的な意味において『輪廻転生』と呼ぶにふさわしい大自然の摂理ではないか。
私の体も、やがてこの大自然の輪廻に参加し、あるいはベトナムで米となり、あるいはジンバブエで少年の心臓の一部となり、あるいは見も知らぬフランス人の脳に宿るかもしれない。
私の生命は『個体の死』とともに終わっても、私の体は世界に広がって生き続けるのだ」
地球上の原子はこのように減りもせず増えもせず、ひたすらリサイクルを繰り返しているわけなんだ。これって、見ようによっては、まるで溶け合っているようじゃない!?
『人類の育てた果実』を齧ってくれた人には理解してもらえると思うけど、この宇宙とは、ビッグバンの瞬間の力と方向と回転が作り出した自然界の法則(シナリオ)に則って、その時に存在していた素粒子が作った役者たちが演技させられている劇場だったんだ。
我々人類は、素粒子が原子になりそれが様々にくっついたり離れたりして見せていた一時的な変化の過程、つまり一時的に人間という配役を任された一役者に過ぎなかったんだよ。
僕たちの五感から入力された刺激は、電気信号に変えられて神経系を通って脳に到達し、そして今度は、それに対する反応として脳から何らかの命令が電気信号に変えられて筋肉などに伝わり、僕たちはその電気信号で動く。
逆に言えば、五感から何らかの刺激(=情報)が入力されてこない限り、我々の脳は何にもしない脳無し野郎なんだ。(* 実は、脳内に記憶されている “言葉” という音の刺激(=情報)の連鎖によって思考というものをしているけど、それが働くためにも、脳の外から刺激(=情報)が入力される必要がある)
つまり僕たちは、この脳を取り巻く《環境》に動かされている電気仕掛けの役者だったというわけだ。
これが、科学が自然界様に問いかけを続けて、教えていただいた素晴らしい回答だったんだ!
信じられないかい!?
とても受け入れられないかい!?
もし君が信じられない、受け入れられないと言うなら、なぜそのように感じるのかその理由を考えて欲しい。何が理解を妨害しているのかを‥‥。
いいかい!?
これこそ科学の解明した真実であって、信じる、受け入れる、といったレベルの話ではないんだ。
ジジイはこの科学が教えてくれた真実を知った時、身震いするほど感動したんだ!
だってこれこそ、傲慢になってしまった人類が謙虚になって、親元に帰ることができて、この宇宙の全てと手をつなぐことができる最高の教えだったんだ!
わかりにくいかなあ!?
じゃあもう一度おさらい。
この宇宙は小さな超高温・超高密度の種が大爆発したことで生まれて、それはまるで風船を膨らませるように今も大きくなっている。その風船の内部は膨らむことで徐々に冷やされ、初めに存在していた素粒子というものから様々な原子が生まれ、天体が生まれ、やがて地球に生物が出現し、人間が生まれる。
人間は自分たち人類だけは特別の何かだと思いたがるけど、そのようにして生まれてきた他の全ての物質と同じで、この宇宙という風船の内部のあらゆるものとつながって、持ちつ持たれつのような関係で生まれてきて、一時的な姿で今を生きているんだ。
そして、この五感を通して得られる刺激を電気信号に変えて動いていた、つまり《環境》に動かされていたんだ。もっと範囲を広めると、ビッグバンの瞬間に始動した方向性を持った力が、今も連綿と途切れることなく続いていて、その力に動かされていただけの電気仕掛けの役者だったんだ。
それがわかると、どこかの国の大統領もその人の脳を取り巻く《環境》に大統領にさせされ、その人の脳を取り巻く《環境》に様々な言動を取らされている‥‥という科学的真実が見えてくる。
別に大統領だけでなくたって、君も僕もね。
つまり、ジジイは生まれてからこの年まで、「自分の意思(意志)」なんかではなくて、ずっと《環境》に動かされて生きてきただけだったんだ。
今言った「意思(意志)」と言われるものだって、この脳が《環境》から何らかの刺激を受けて、このジジイの脳に浮かび上がった「錯覚」だったんだよ。その錯覚に対して、「錯覚の自我」が「自分の意思(意志)」だと思い込んでいただけなんだ。
例えば今この瞬間だって、ジジイの生きてきた《環境》に作られたこのジジイの「脳内記憶という一定の方向性を持った回路」の中を、この脳を取り巻く《環境》から何らかの情報が入力され、相互作用という反応をした脳が命令を下し、指先に到達した電気信号でジジイはパソコンに文字を入力させられていたということなんだ。
だってそうだよね。
僕や君の脳を取り出して、まったくの無刺激の空間に置いたとしたら、その物質(脳)は自分の意思とやらで何かを感じたり考えたりするだろうか?
何かを命令したりするだろうか?
脳というのは周囲の《環境》から刺激を受けなければ何にもしない、それこそ「脳なし野郎」だったんだ!
以前オリンピックで金メダルを獲得した人が「このメダルは自分の力で獲ったものでなく、なんだか、自分は何か強い力に背中を押されて今まで頑張ってきただけのような、不思議な気持ちです」と言ったのを聞いて、ジジイは思わず「その通り!」と大声で叫んでしまいそうになった。
科学が教えてくれていた「本当の自分」とは、自分の意思(意志)で考えたり行動したりしていたのではなくて、《環境》に動かされていた電気仕掛けの役者だったんだ。
それこそ腕の上げ下げから瞬き一つにしてもね。
この宇宙は、素粒子が作り上げた役者たちが自然法則というシナリオに基づいて演じさせられている劇場で、人間はその中で人間の配役を任され演じさせられている一役者だったんだよ。同じ人間でも、それぞれの《環境》の中でいろいろ個性的な役を演じさせられてはいるけどね。😃
その真実を知った人類が、どうして今までのような傲慢な「利己的な個人主義」のままなんかでいられるだろうか!?
つまり、この真実を知らずに、「錯覚の自我」にがんじがらめに縛りつけられてきた現在の我々が作る《環境》が、僕たちの行動を「個人主義的」に制限していただけだったんだ。
では、「個人主義的」に制限された人類が、どのような文化を築いてきたかを「個人主義の功罪(功績と罪過)」として次の順序で見ていこうと思う。
6.個人主義の功績
7.個人主義の罪過
6.個人主義の功績(お金の出現と目覚ましい繁栄)
大昔、人類が多くの仲間と力を合わせて狩りをして、それを持ち帰って大勢の家族で食べたりしていた時代は、特に自・他の意識は強くなかったと思われる。獲れた獲物はみんなのもので、みんなで分け合うだけだから、それほど自・他を意識する必要もない。
だけど、自・他の意識が強くなると「自分の所有物」という観念が生まれてくる。
自分の所有物と他人の所有物。
そしてそれを交換するシステムも生まれてくる。
物々交換や物品交換に始まってお金が出現する。
物々交換では直接欲しいもの同士を交換するが、物品交換では「布・塩・貝・砂金(金と銀を配合したもの)」などの比較的価値が下がりにくい物品と欲しいものを交換する。
ジジイは、このお金の出現こそ個人主義の一番の功績だと考える。
人類はお金を巡って競争し、そこから、人類の生活を向上させるためのたくさんのモノも発明された。
お金には、人間を元気にさせる魔法のような力が吹き込まれていったのだろう。
この自・他の意識が最初に強くなった人類は、歴史的に見て、ジジイは西欧の人たちだと考えている。だから個人主義という正当化が最初に必要となったんだろうと考えている。ある意味、記憶力や知能が最初に高くなって最初に優秀になった民族なのかもしれない‥‥と褒めておこう。
ジジイは早生まれなので、小学校では一年も先輩の子どもたちと一緒に学校で学ぶことになったけど、子供のころの一年というのは相当の能力の差があるよね。その先輩生まれの子どもたちが西欧の人たちだと思えばわかりやすいと思う。
だって、15世紀半ばから17世紀半ばの大航海時代と言われるすごい偉業を成し遂げたのは、西欧の人たちだったじゃない。
それまでは地球は平らだと思われていたけど、彼らがアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海を行ったことで、地球は丸くて一周して帰って来れることを発見した。
すごいことだよね。世界を一つにしたんだ。
だけど、"発見"した土地で略奪や搾取の限りを尽くした時代でもあった。
人類が自我に目覚め(⇒ 自我という眠りに落ち)、「自・他」の意識が強くなると、「所有物」という観念が生まれ、もっともっと富を得ようとする。
西欧の人たちが大航海時代を経て植民地支配をして富を増やそうとしたのは、当然の成り行きだったのかもしれないよね。そしてまだそれほど「自・他」の意識が強くなかった国の人類は支配されていくことになる。
人類の中で最初に優秀になった民族である、西欧の人たちから見れば、まだ動物のように本能的に生きている(と彼らが思い込んでいた)人たちを、啓蒙してあげようという上から目線も当然あったと思う。
「錯覚の自我」から生まれた「お金」を巡っての競争社会は、ますます激化する。今もまさに加速している時代の真っ最中だよね。
アスリートが競争することで、どんどん記録が塗り替えられて行くように、人類はお金を巡って競争することで、いろいろなものが発見され発明されていくことになる。それが自分の収益となり、ますますモチベーションアップに拍車がかかった。
そして、お金はこの地球を一つにつなげてくれた。通貨は違っても為替レートという基準を設けて、世界中の物を交換することができるようになったからだ。そして世界中の物を交換する物流システムまで作り上げた。物だけではない。人間だって簡単に地球を一周できるような交通システムもできた。
これもお金というものが便利だし、もっと言うと、わかりやすいからなんだ。
ジジイがこよなく愛する名作『星の王子様』の中に、次のような記述がある。
おとなの人たちに「桃色のレンガでできていて、窓にジェラニウムの鉢が置いてあって、屋根の上にハトのいる、きれいな家を見たよ‥‥」といったところで、どうもピンと来ないでしょう。おとなたちには「十万フランの家を見た」といわなくてはいけないのです。すると、おとなたちは、とんきょうな声を出して、「なんてりっぱな家だろう」というのです。
ジジイが子どものころ、ピカソの描いた絵というものが新聞で紹介されていて、家族のみんなはそれを見て「子どもが描いたみたいに下手くそな絵だなあ」と笑ったんだけど、その横に書いてあった金額を見て「下手くそに見えるのは間違いで、これこそが一級の絵画だ!」と感心したのを覚えている。
値段を付けると途端にわかりやすくなるよね。
だから人間は何にでも値段をつけて、値段に換算することで物の価値を測れるようになった。場合によっては、人間の価値まで収入で測る癖がついている人もたくさんいるだろう。
お金はこのように便利だし、大人たちにとってわかりやすいから、みんながすぐに飛びつくのもわかる。確かに、人類の第一級の発明品だったとも言えると思うんだ。
だけど絵画の価値や人間の価値って、本当に貨幣価値に換算できるのだろうか!? そんなはずはないよね。いくらわかりやすいからってやり過ぎだよ。
7.個人主義の罪過(お金が作り上げた悪しき文化)
先ほどの『6.個人主義の功績』では、「錯覚の自我は "自分の所有物" という観念を産み、所有物を交換するためのお金という便利なものを発明した」と言ったけど、今度はそれが最悪の社会を作ることになってしまった、という話をしようと思う。
「錯覚の自我」から始まった「利己的な個人主義社会」というのは、理性による正当化という後ろ盾を得て、大手を振ってのさばれるようになった。それとお金が結びつくと、どうしてもこの社会は、詐欺的言動の温床になってしまうんだよ。
それは次のような流れで「お金」と結びついてしまったことに起因する。

上図のように「お金」と「利己的な個人主義社会」が結びつくことで、「詐欺的な文化」が生まれてしまった。
人間のあらゆる営みがお金に還元される今の社会では、詐欺的ではない言動を探す方が難しいというくらいに、ほとんどの人の言動が詐欺的なんだ。詐欺的なことが当たり前すぎて、ほとんどの人が気づいていないけどね。(⇐ これが一番危険)
例えばテレビやインターネットのCMにおいて詐欺的ではない部分を探すのはまず無理なはずだ。何故ならあの手この手を使って消費者をその気にさせるために行うのがCMだからなんだよ。
お金に結びついているからこその「詐欺的行為」だよね。
別に詐欺は「オレオレ詐欺」に限らず、現代の人間社会の文化だとも言える。ただ、現行の法律では、詐欺罪は次の4つの要件が全て証明されなければ適用されないというだけの話なんだ。

詐欺罪は、とくに立証が難しい犯罪の一つだと言われているようだけど、なんとなくわかる気がするよね。詐欺とは人類の日常茶飯事の行動で、犯罪者が犯罪者を裁くような種類の犯罪と言えるかもしれないからね。
ジジイも少し営業を経験したからわかるけど、営業経験者なら、誰でも自分の会社の商品を勧めるためにある程度の嘘や誇張をした説明をしていたはず。相手の表情を盗み見ながら、楽しくもないのに笑顔を作ったりして。
そして不利な点は小さく明記したり聞かれなきゃ不利な点は黙っておく。自分の会社の商品が売れれば、自分の給料にも反映されるから。つまりこれもお金が作る詐欺的文化だ。
日常生活にはびこっているこの詐欺的言動だけど、実は政治の世界こそ、そして国際間こそ、成功するか失敗に終わるかは別にしてこの詐欺的言動の宝庫だと気づく人もたくさんいるはずだ。
でもそれを当たり前のことだと思ってやしないだろうか?
それが企業や国際的な「戦略」として必要なことだ、などと思ってやしないだろうか?
当たり前だなどと思っているとしたら、いかにこのお金が作っている「詐欺的文化」に洗脳されてしまっているか、と危機感を感じた方がいい。
大事なことなのでもう一度ジジイは言うぞ!
ちっとも当たり前なんかじゃないんだぞーっ!
今の人類の脳が、「錯覚の自我」に縛られている脳ではなくて、科学が教えてくれた「本当の自分」を知った脳に変化した場合にはどうなるか、と想像力を働かせて考えてみて欲しい。
ジジイは、人類がそのような脳に変化したなら、お金は不要になると考えている。詐欺的言動が嘘のように消えて、みんなが助け合う気持ちを持つようになる。
いいかい?
みんな生まれた時からお金の社会にどっぷりと浸かって、それが当たり前のように生きているけど、そんなの全然当たり前の世界じゃないんだぞ!
むしろこの自然界においては、人間という動物だけの特殊な営みなんだ。
じゃあ、君たちが家族の中で何かをあげたりもらったりした時、あるいは何かを手伝ってあげたりする時、いちいちお金を介するかい?
「大昔、人類が多くの仲間と力を合わせて狩りをして、それを持ち帰って大勢の仲間の家族で食べたりしていた時代」には、全くお金なんて必要なかったよね。
家族や大昔の人々の社会を「共同体的社会」と呼ぶとしよう。
共同体的社会はお金が無くてもやっていけてるよね。
もっと極端なことを言うと、動物はみんなお金が無くても生きているよね!
つまりお金は、自然界において、生存のための必要条件ではないんだ。
と言うことは、冒頭で「ジジイはお金が無くなれば餓死する生き方を選択した」と言ったけど、お金が無くてはどうしても人間は生きていけないという現在の状況こそ、自然界から見たら普通じゃなかったんだ。
どうして人間という生き物は、それを生存のための必要条件にしてしまったんだろう。
もう一度言うよ。
僕たちはお金なんて無くても生存することはできるはずなんだ!
それなのに、現在はお金が無くては明日の命さえ危ういのは何故!?
それを不思議に思わない人は、本当に「現代社会教」とでもいう怪しい宗教に洗脳されているとしか思えないよ。
もっとも、ちゃんとした宗教の体をなしているわけではないから、教祖は一人ではなくて、さしずめ世界中のお金を独占している少数の富裕層たちかもしれない。
みんなの憧れの教祖様たちさ!
遡ってよーく考えてみようよ。
自分の所有物という観念が生まれなければ、お金も生まれなかったよね。その前に「錯覚の自我」がなければ、あるいはその意識が薄ければ、人類は共同体的社会で生きていたはず。
つまり人類が「錯覚の自我」を持ち、そしてその「錯覚の自我」から自分の所有物などという観念が生まれ、物々交換が必要となり、そしてお金が生まれたんだよね。
そして「錯覚の自我」が作る「利己的な個人主義社会」というのは、もっともっとと財物を搾取し独占し貯蓄することばかりに意識が向かうんだよね。そしたら、自然にそこに格差が生まれる!!
ジジイが一番嫌いなのが差別だけど、そのせいで世界的に経済格差という差別が生まれている。
格差が生まれると、人間の心の中に「優越感・劣等感」が生まれる。
この優越感を幸福感と勘違いしている人が実に多いけど、優越感という幸福は、差別が形を変えて現れたものなので、非常にタチが悪いものなんだ。
人間の感情の中でも、もっとも醜く、しかも最も危険なものだとジジイは思うくらいだ。
インターネットでちょっと調べたところ、国民1人当たりの平均年収が約1.729万円の国があるかと思えば、平均年収約7万5.300円の国もあるらしい。ある人は特に肉体労働をせずに一日100万円以上も稼いでいると言うのに、ある人は朝から晩まで働いて一日100円にもならない。
ある富裕な家族は、一週間の家族旅行に何十億ドルを惜しみなく使う。でもある家族はガリガリに痩せてその日の食べ物さえ得られない。これがこのお金の社会の特徴なんだ。
別にその人が好き好んでその《環境》に生まれてきたわけではないのに、これではいくらなんでも不公平過ぎるじゃないか!? 不満や妬みや恨みや怒りや‥‥ありとあらゆる争いや犯罪の種がそこには満載だ。
いったい、まったくもって、どこまでも、とんでもない話だな!
君も、これが当たり前の社会だと思うかい!?
これこそが大人の社会なんだと、したり顔で、しかも笑顔で、子どもに説明できるかい!?
‥‥と言ったところで、生まれた時からお金は存在していたし、大学で習う経済学は、人間の中でも特に知能の優れた学者さんたちが作り上げている、先端をいく学問のようにも思われる。
だから、お金がのさばっている現代社会が間違いであるはずはない。誰もがそう信じている。それに、今さらお金を無くすことなんてできるはずもないよね。ジジイもそう思う。
だけど人類の脳が「科学的覚醒」を果たしたなら話は別だ!
その時はお金は不要になる。と言うより役に立たなくなり自然消滅するしかないんだ。
8.人間の行動のメカニズムを知れば見えてくる世界
人類の脳が「科学的覚醒」をしたなら話は別だ!
と言ったけど、それは人間はどのように動いているのか、という行動のメカニズムを知ればわかることなんだ。
『5.本当の自分って何‥‥』では、人間は自分の意思(意志)で動いていたわけではなくて、《環境》から浮かび上がらせられた意思(意志)で動かされていたと言ったよね。
つまり、人間の行動は《環境》に制御されていたということ。
そして「現代の我々の脳を取り巻く《環境》」の大部分は、「錯覚の自我」にがんじがらめに縛られている人類の総力で作っている。
だとしたら、人類が、科学が解明した「本当の自分」を知り、それを脳に上書きしたらどうなるだろうか!?
人類の脳が新しいバージョンになれば、それが作る《環境》から浮かび上がる「意思(意志)」も変化し、行動もガラッと変化してしかるべきだよね。
「錯覚の自我」が作っていた今までの《環境》(=個人主義的社会)。
⇩
人類が「本当の自分」を知り「科学的覚醒」を果たす。
⇩
今までの《環境》が、「錯覚の自我」が作っていた《環境》から、「本当の自分」が作る《環境》に変化する。
⇩
世界が共同体的社会に変化する。「自分の所有物」は「みんなの共有物」に変化する。
⇩
そうすれば、お金に頼らなくてもやっていける社会になる。
こういう流れによってお金が消えるという理屈だ。そうすれば、この社会も詐欺的な文化ではなく、互いに助け合う文化に生まれ変わる。
「優越感」を感じるとむしろ不快になり、逆に、助け合う気持ちを持つことに「快感」を感じるようになる。
しつこいようだけど、とても大事なことだし、わかりづらい部分だと思うから、もう一度説明させてもらうよ。
今まで僕たちが「自分の意思(意志)」と言っていたものは、「この脳」が《環境》から何らかの刺激を受けて、この脳に浮かび上がった「意思(意志)」だったんだよ。
要するに、自分由来ではなく、環境由来の「意思(意志)」だったんだ。
今言った「この脳」というのは、「《環境》によって作られた記憶の回路」を持った脳のことだ。記憶もこの脳を取り巻く《環境》が作るというのは当たり前の話だよね。《環境》から入力されない情報を記憶するなんてことは絶対に不可能だものね。
そして人間は誰でも一人ひとりの記憶が作るその回路によって、思考の流れやすい方向性が作られているんだ。人間が偏見を持ちやすいというのもそのせいなんだ。
だから偏見の一つでもある「この境界線を持ったこの身体の内側が自分である」と信じる「錯覚の自我」が、環境由来の「意思(意志)」を、「自分の意思(意志)」だと思い込んでいただけなんだ‥‥。
だけど今ではものすごく「自分の意思(意志)」がもてはやされているよね。「強い意志で困難を乗り越える」みたいな話が称賛される傾向がある。
以前、勉強のために、テレビで無料で聴講できる放送大学を見まくっていた時期があった。ある日、偶然見た講義が「人類の争いの歴史」のような内容で、それも最終回の講義だった。
その講義の最後に女性の講師が、「だけど人間には意志というものがあります。強い意志で二度と戦争を起こさないようにすることもできるはずです」と真剣な目つきで締めくくっていた。
そのころすでに、人間は今まで考えられていたように、自分の意思(意志)で行動を起こしているのではなくて、《環境》に浮かび上がらされていた意思(意志)に行動を取らされていたということを知っていたジジイは、こんなことを本気で言う学者がまだ存在することにガッカリしたんだ。
ちなみに「意思」と「意志」の違いを説明するなら、以下のようになる。
「意思」は「何かをしようとする気持ちや考え」という意味。
「意志」は「何かを成し遂げようとする強い気持ちや考え」という意味。
だけどこの説明は今まで言われていたような意味での「意思」や「意志」なんだよ。科学が解明している「意思」や「意志」は次のようになる。
「意思」は、環境によってその人の脳に浮かび上がらされた「何かをしようとする気持ちや考え」という意味。
「意志」は、環境によってその人の脳に浮かび上がらされた「何かを成し遂げようとする強い気持ちや考え」という意味。
科学者ほど「我々は環境に浮かび上がらされていた意思(意志)に行動を取らされていた」という真実を、みんなに伝えなければいけないのにね。それを伝えるのがこれからの科学者の使命と言ってもいいくらいだ!
それにもし本当に、その女性の講師が「紛争や戦争」をなくしたいと願うのなら、なおさら、「強い意志さえあれば人間は戦争をなくせる」なんていう、過去の物語にしがみついていては絶対にいけないんだ!
むしろ、我々全人類の脳に埋め込まれているその誤った信念こそが、いつまでたっても争いや犯罪をなくせなかったんだとわかってほしい!
だって、誰も好きで争いや犯罪などをしていたわけではない。彼らを取り巻く《環境》が、彼らに争いや犯罪をさせていただけなんだ。そして、「強い意志さえあれば戦争をなくせる」などという考えも、まさに、この「錯覚の自我」が作る《環境》から浮かび上がってくる考え方だよね。
同じ《環境》の中から浮かび上がったものである限り、どんなに立派な言葉でも人間の行動を変えることはできないんだ!
だから人間の行動を変えるためには、新しい《環境》に変えるしかない!
この夏も終戦記念日に合わせて、広島・長崎の原爆、ナチスの行った犯罪などのドキュメントが放送されていた。だけど、それを、被害者側と加害者側という立場に分けて見てしまう人がいる限り、対立も戦争もなくせない!
ジジイだって人間だから、そのようなドキュメンタリー番組を見れば、激しい怒りや憎しみや悲しみを抱く。だけど、そのような反応をする脳を引き継いでいては、人類は絶対にこの先も紛争も戦争も犯罪もなくすことはできない。
現に、ドキュメンタリー番組では「今もまたネオナチと言われる人たちが台頭してきている」などと締めくくっていたし、以前、戦争を体験した日本人の中から「あんな国やっつけちゃえばいいんだ」みたいな声を聞いたこともある。
いいかい!
心を鬼にして言うよ!
あの原爆投下という悲惨な事件は、アメリカ人が加害者であり日本人が被害者であったと同時に、日本人が加害者でもありアメリカ人が被害者でもあったんだ。
そしてナチスが加害者でありユダヤ人が被害者であっただけでなく、ユダヤ人が加害者でもありナチスが被害者でもあったんだ。
彼らだけじゃない! その時代の世界中の誰もが加害者であり、世界中の誰もが被害者となって、あのような悲惨な事件が実行されてしまったんだ。
つまり、その時代の《環境》を作っていた全ての人類が一緒になって、引き起こしてしまった惨事だったんだ。
「戦争は何の罪もない子どもやお年寄りを巻き込んでしまう」などと言う人がいるけど、とんでもない!
ジジイは死ぬ前にこれだけは強く言っておきたい!
子どもも年寄りも一般市民も、戦争に反対する人も賛成する人も、「錯覚の自我」に縛られているみんなで作る今のこの《環境》、この《環境》が引き起こしていたんだ!
人類が「錯覚の自我」に縛られ、利己的な個人主義社会が作っているこの《環境》が、戦争や犯罪を招いていたんだ!
そして戦争をなくそうとして作るドキュメンタリーが、それまで何も知らなかった人に、怒りや憎しみさえも植え付けてしまっている。憎しみの連鎖が生まれる。
今までの脳のOSで作っていた《環境》で、一生懸命なくそうとしていたから、むしろなくせなかったんだ。だったらその《環境》が変われば自然に戦争や犯罪はなくなる。
人間は、立派な標語や強い意志なんかで戦争や犯罪をなくせるものではない!
今の《環境》から浮かび上がるどんな「強い意志」で平和を願ったって、叶えられるはずはない!
なぜなら、今の我々の「錯覚の自我」が作る《環境》こそが、戦争や犯罪を招いていたのだから!
9.そして分身主義へ
この章を語る前に、ジジイが尊敬する大詩人「宮沢賢治」大先生分身さんの言葉を紹介しておきたい。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じて行くことである
(宮沢賢治『農民芸術概論』より)
これは全くこれからジジイが話そうとしていることを真っ直ぐに語ってくれていると思う。
ジジイがこの言葉に偶然出会った時の感動は今も忘れない!
100年も前にジジイと同じことを言ってくれていた人がいたなんて、なんと心強いことだと思った。
まずは「真の科学」が教えてくれていた真実の確認から。
1.「自分」とはこの境界線を持った身体の内側だと信じていたが、それは神経系の作る錯覚で、本当の自分とは、つながっている外側も全部、つまり宇宙そのものだった。(自我のない動物たちのことは地続きと表現したね)
2.我々が「自分の意思(意志)」と呼んでいたものは、今まで考えられていたように自然発生的に内発的に自分の中から生まれていたものではなくて、その脳を取り巻く《環境》からの刺激(情報)によって、その脳内に浮かび上がらせられていたものだった。自分由来ではなく環境由来だった。
3.つまり、我々は「自分の意思(意志)」で動いていたわけではなく、《環境》に動かされていたのだった。
これを知ることをジジイは「科学的覚醒」と呼んでいるんだけど、たったこれだけの真実を今の人類の脳に上書きしたら何が起こるか想像力を働かせてみて欲しい。世の中で悪と呼ばれていたものがことごとく消滅すると思わないかい?
今から僕たちの身体ができるまでを1分で説明するね。
始まりは受精卵というたった一つの細胞なんだ。それが何度も分裂を繰り返し、それぞれの環境に合わせた細胞が作られていく。それを「分化」と言う。

一つ一つの細胞に書かれている情報‥‥つまり設計図は一緒なのにもかかわらず、あるものは心臓の細胞になり、またあるものは目の細胞になったりしていたんだ。
これは、その環境に合わせて遺伝子の発現を制御する調節因子タンパク質が働き、その指令に従って分化するからということだ。
その逆に、皮膚になってしまった細胞も、元々の設計図は他の細胞と一緒なので、これをうまく培養してそれぞれの場所に移植すると、例えば胃袋ができたり、目玉ができたりする可能性が生まれる。
それを実験で、本当にそういうことができるということを証明したのが、あの有名な iPS 細胞だよね。

「分化」と言ったけど、これは宇宙のでき方も同じだよね。元は超高温・超高密度の小さな種(たね)から、環境に合わせて様々に分化して様々な天体ができ、地球ができ、植物ができ、そして今君や僕はここにいる‥‥それをジジイは「分身」と名付けた。
この宇宙の万物は、ビッグバンの時に存在した素粒子が、環境に合わせて様々に形を変えていただけで、元は一つ、つまり素粒子が作る分身たちだったんだよ。
また、面白いことに、同じ人間でも、その環境に置かれた状態の「その人」になっていく。細胞が、それぞれの場所でそれぞれの環境に合った発現をするように、我々人間という配役を与えられた役者は、それぞれの環境に合った役を演じさせられるようになる。
もう、君が今、このジジイの拙い文章を読んでくれているのも、すべて脳を取り巻く《環境》にやらされているということをわかってくれたかな!?
もちろんジジイも今、この脳を取り巻く《環境》に書かされている。しかも、「のどが渇いたからちょっとコーヒーでも飲むか」と、今、ジジイは脳を取り巻く《環境》に思わされた。
そう、「身体の内部からの情報」も、脳を取り巻く《環境》の一部だからね。
ビッグバンという小さな種(たね)から《環境》に合わせて分化して、天体や植物や動物になったわけだけど、その一つ一つをジジイは「分身」と命名したと言ったよね。
そして科学が教えてくれたこの真実を、現代の脳に上書きした視点を「分身主義」と名付けた。
「○○主義」と言うけど、これは別に主義でも主張でもないんだ。別に分身主義者なんて人たちを作ろうなんて思ってもいないし、そんな集団もナンセンスだ。
そうではなくて、科学時代にふさわしい、と言うよりこの科学時代に人類が持たなければいけない新しい視点、視座、スタンス、あるいは物を見たり考えたりするための土台といった意味に受け取ってほしい。
現在の「錯覚の自我」に縛られている脳が作っている視点を「個人主義」と言うのに対して、科学が教えてくれた新しい「本当の自分」が見る視点という意味で、「個人主義」にならって、2003年5月13日に「分身主義」と名付けただけなんだ。
そしてこの「分身主義」の特徴の一つとして、次のような視点を持って周囲の人間(=分身たち)を眺める。
一人の人が全ての《環境》を経験することはできないから、他の人たちは自分の代わりに自分のできないことをやってくださっている分身。
そのような視点が分身主義なんだ。そして、これこそが「真の科学」が教えてくれた「真実」なんだ。
ジジイはずっと「科学的真実」という言葉を使ってきたけど、「真実」とは、単なる「事実」とは違って、人間の想像力をくぐり抜けた先に立ち現れるものだと思っている。
科学は「この自然界の成り立ち」を言葉や記号や数字などで表そうとするけど、それらを想像力を使ってつなぎ合わせて「この自然界の本当の姿」を我々が目に見えるようなイメージ化したもの、という意味で「科学的真実」という言葉を使っているんだ。
人類が「科学的真実」を知ったら、つまり「科学的覚醒」をしたらということだけど、そしたらこの世界はどのように変化するかということを下に図示してみた。

10.愛すべきモンスター
ここまでの総まとめとして、下のような図を描いて簡単な物語を作ってみたんだ。
この図は、約140億年かけて作られている現在の宇宙を、人間の形に置き換えて表現したものだとイメージしてほしい。
本当の宇宙では、素粒子が原子や分子になって、そしてそれぞれの《環境》の中で天体になったり植物や動物に分化したように、この人体に模した宇宙では、脳や肺や胃や腸などの器官が天体で、皮膚の細胞が植物や動物だとイメージしてみてほしい。
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ある日のことです。
その中の皮膚の細胞のいくつかが「錯覚の自我」を持ってしまいました。
そして、それぞれの細胞が、「細胞膜の内側が自分だ」と言い張りだしたのです。やがて周りの細胞を敵視して攻撃するようになりました。

だけど、それは自分の身体を攻撃しているんだよね。誰もそのことに気づかないでいるのです。
「ねえみんな、仲良くやろうよ!」そんなことを言う者も中にはいましたが、ほとんどの者がそんな話には耳を貸しません。もはや、皮膚の細胞は、確固とした個人主義的社会を作り上げてしまっていたからです。
しかも、この個人主義的社会を作ってしまった皮膚の細胞の一部の者たちは、搾取したり独占したり貯蓄したりして、中には本来の細胞活動を他人に任せて自由を満喫する者も出てきてしまったのです。
でも、彼らこそ、皮膚細胞たちみんなの憧れでした。幸福になるためには彼らを見習って、搾取し独占し貯蓄する競争に勝ち抜くしかないと信じていました。
そこに、命の回数券とも言われる「テロメア」が残り少なくなった年寄りの皮膚細胞が現れて言いました。
「みんなは勘違いしているんじゃ。自分だと思っているのは「錯覚」だったんじゃよ。わしらはこの宇宙の中でどことも切れていないじゃないか!? 競争して相手を負かすことに明け暮れているけど、まさに自分を攻撃しているだけだったんじゃよ!」
「そんな話に騙されるもんか! それを信じた瞬間、他のやつらに出し抜かれて財産を横取りされるのが落ちだ!」
誰も聞き入れようとしません。
それどころか、新しく生まれて来る皮膚細胞たちも、過酷な競争に巻き込まれ、攻撃はさらに過激になっていきました。もはやサバイバルゲームです。年寄りの皮膚細胞は最後の力を振り絞って言ったのです。
「聞いてくれ! 車を作るという目的のためには、プラグやラジエーターやハンドルなどの部品が用意される。しかし、わしらは、それとは違って何かの目的のために用意された部品ではなかろうが!?
部分が、たまたま、今ある全体を作っているんであって、決して全体を作るためにあらかじめ計画を立てて、用意された部分ではない!
つまり、わしらは部分部分に見えてはいるけど、実は全体でもあったんじゃ。みんながそのように競い合い、傷つけ合い、奪い合うことで、肝心のわしらの宇宙がどんどん元気がなくなっていくのが見えないのか!?」
もちろん、そんなわかりづらい話に納得する者などいません。
その時です。どこからか何人かの叫ぶ声が聞こえてきたのです。それは、よく通る若々しい声たちでした。
「みんなは分身なのよ! あなたの全身はこの宇宙だったのよ!」
「さあ、みんな目を覚まそうぜ!」
「そうだ。この宇宙こそ、私である!」
その声は宇宙の隅々にまで染みわたり、ついに錯覚の自我を持った皮膚細胞たちは争うことをやめたのです。そしてこの宇宙という、自分の本当の身体を守ることだけを考えて、みんなで助け合う社会になったのです。
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こんな世界がやってくることが、ジジイの若いころからの願いだったんだ。😃😃😃
さて、次のような視点が分身主義の特徴だと言ったよね。
一人の人が全ての《環境》を経験することはできないから、他の人たちは自分の代わりに自分のできないことをやってくださっている分身。
そこで、このように想像することはできないかい!?
例えば君が尊敬する「偉人」や、憧れの「スーパースター」なんかを思い浮かべてみて欲しい。
では次に、君がその人の《環境》で育ったら君は一体どんな人になっていただろう? 当たり前の話だけど、「その人の環境」には「その人が祖先から連綿と引き継いできた遺伝情報」も含めるよ。
驚かないでよ!
それは、君自身が、その尊敬する「偉人」や、憧れの「スーパースター」その人になっていたということなんだ!
その逆に、今度は君が「大っ嫌いな人」や、あるいは「犯罪者」と言われている人を思い浮かべて欲しい。
君自身が、「大っ嫌いな人」や、あるいは「犯罪者」と言われている人の《環境》に育ったなら、その「大っ嫌いな人」や、あるいは「犯罪者」と言われている「その人」になっていたんだ。
当たり前の話だよね。
《環境》が人を作り《環境》が人を動かしていたからだよね。
一人の人が全ての《環境》を経験することはできないから、他の人たちは自分の代わりに自分のできないことをやってくださっている分身。
自分の代わりに、その《環境》で「英雄」になってくれた分身に対しては、妬みではなく自分を誇るような気持ちが湧いてくる。
自分の身代わりとなってその《環境》で「犯罪」を犯してしまった分身に対しては憎しみや怒りではなく、申し訳なさと許しと、その分身さんを救いたいという気持ちが湧く。本当の自分という「全身」を救うために。
そして君もジジイも、他の分身さんが経験できない《環境》の中で、彼らの代わりとなってこの《環境》で生きてあげている!
人類の脳に、このような「思い」が浮かんでくるような《環境》になったならなんて素晴らしいんだろう。そこにあるのは互いに分身同士「誇り合う(プラウドし合う)」気持ちだけだ。
ところで、ジジイは、分身たちのことを「愛すべきモンスター」と呼ぶことにしているんだ。よくスポーツ選手などのすごい人を「怪物」と表現したりするよね。
それと同じ意味なんだ。
この下のコラージュはそれをイメージ化したもの。ここには地球上の万物がいると思って欲しい。英雄と言われる人も犯罪者と言われる人も、植物も動物も楽器も建物も‥‥ありとあらゆるもの。もちろん君も僕も。
みんなビッグバンという一つの種から分化した分身たちだ。

君やジジイが、全ての《環境》を経験することはできないから、自分の代わりに自分のできない《環境》で生きてくださっている分身さんたちだ。
みんなの心の中にあるのは、互いをまるで自分を誇るかのように「誇り合う」気持ちと、悪いことをしてしまった誰かを責めるのではなく「救おうとする」気持ちだけだ! でもこのような世界になれば、なかなか悪いことをする人も出てこないと思うけどね‥‥。
そんな素晴らしい世界になったことを想像して、ジジイは11年前に小説を書いていた。武器もお金も消えて、みんなが助け合って明るく大らかに生きる世界だ。
『未来モデル小説「ブンシニズム・ドット・ネット」』
是非読んでみて欲しい。
人類は「科学的覚醒」を果たして「錯覚の自我」から解放されれば、必ずこの世界は素晴らしくなる。
これは、『4.錯覚の自我と‥‥』で話したように、そんなに難しいことではないんだよ。
別に一から作り直さなくてもいい。
今までの「錯覚の自我」を消し去る必要もないし、お金が作ってきた便利なシステムや文化を壊してリフォームする必要もない。
・今までの「錯覚の自我」をそのまま宇宙にまで拡大するだけ。
(ジジイはこれを「自我が育つ」と表現しているんだ)
・そしてお金が作り上げた素晴らしいシステムや文化を、そのまま利用するだけ。
お金が消えても、むしろ、今まで人類が築いてきた素晴らしい文化を全て活かすことができる。(『未来モデル小説「ブンシニズム・ドット・ネット」』)

そして、一部の富裕層が所有していた豪邸や夢のような別荘やプライベートジェットなども壊す必要もない。それらを世界中の人たちの共有物として、みんなで利用してみんなで享受できるようにすればいいという話だ。
これは皮肉のようだけど、ジジイがここまで批判してきた「錯覚の自我」を人類が持ってしまったからこそ生まれたものだよね。共同体的社会には決して生み出し得なかった夢のようなものたちだ。
「お金の功績」で話したように、人類が作った第一級の発明品である「お金」は、世界のどこでも短時間で行けるようにしてくれたし、世界中の美味しい物を食したり、いろいろな国の人たちと楽しめるようにもしてくれた。ある意味、夢のような世界をもたらしてくれていたんだからね。
そもそも、分身主義の視点から見れば、あらゆる創作品も発明品も、科学的な発見も、この《環境》を作っている全人類の総力で生まれていたんだよ!
芸術作品だって、全くの独自な物などどこにも存在しないよ。芸術というのは必ず模倣から生まれている。それにピカソだってゴッホだって、《環境》に絵描きという「配役」をさせられていただけなんだ。
科学的に、つまり論理的にという意味だけど、じっくり考えてみれば、この真実がわかるはずさ。
ジジイは、このような人間の在りようを、《環境》と《環境》をつなぐ「媒体」のような存在だと考えている。
発明品に特許を与えるのだって、現代がまだお金の世界だからで、発明品は本当は人類の共有財産のはず。みんなで享受して楽しめばいい。
作詞だって作曲だって、本当は、みんなが作っているこの《環境》が、その人間を「媒体」として作らせていたということが見えてくる。
科学的な発見に対しても一人にノーベル賞を与えて祝福するのはとんでもない勘違いで、本当は君もジジイも含めた全人類の総力で偉大な発見は生まれていたんだ。
最後にもう一度言うけど、鈍感な我々人類には、その関係性が見えていないだけだったんだよ。でも、科学がその関係性を教えてくれていたんだ。
さて、今まで話してきた長ったらしく理屈っぽい話も、ぜ~んぶ忘れてしまっても構わない。
ジジイは今回の話の中で、偉そうに誰かを批判したり、社会を批判したりしてきたけど、そんなものぜ~んぶ、まだ「錯覚の自我」から完全には抜け出せないでいる年寄りの御託だと思ってくれ。
ジジイが世界中の人に伝えたいのは、たった一言これだけなんだ。

そのためにこそ、我々民衆を導いてくれる影響力のある「真の科学者」が現れてくれることを、ジジイは心底待ち望んでいるんだ。
このジジイにはどうしてもできなかったことだから‥‥。😢😢😂
「真の科学」を通して、自然界様に「本当の自分」を教えてもらった「真の科学者」が、我々を導いてくれることを‥‥心底待ち望んでいる。(『「ジジイの遺言書-7-」真の科学とは何か?』参照)
そうそう、この一言を言いたいために、一銭にもならないこんな執筆活動を30年以上もジジイに続けさせてきた、このしつこい《環境》だけど、これは、この《錯覚の自我》が作っている《環境》の中にも、確かに《本当の自分》を知ろうとする力が生まれているということの証だと思う。
突然変異だか遺伝子のコピーミスだかは知らないけれど、ジジイはちょっと他の人たちと変異して生まれてきてしまったのかもしれない。子どもの頃はこんな自分に悩んだりもしていたけどね‥‥。(『自己紹介』参照)
でも、こんなジジイだって、世界中のみんなが作っているんだよ。ジジイの話に肯定的な人ばかりでなく、否定的な人も含めてすべての人が作っている《環境》からジジイは生まれさせられて、そして生かされてきたんだ。
そして、その《環境》が今のジジイを動かしている。
だから、後、何年生きられるかはわからないけど、生きている間は「媒体」として、これを言い続けさせられていこうと思う。
ジジイの背中をしつこく押し続ける、この《環境》に感謝することを忘れずにね。
世界中のみんなが作っているこの《環境》に‥‥感謝しながらね。
最後まで聞いてくれて本当にありがとう。🙏

★★★ 関連記事(保存版) ★★★
📌分身主義とは(ジジイの遺言書-10-)
📌真の科学とは何か?(ジジイの遺言書-7-)

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。
noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。
でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。