
新出雲物語36|第六章 須佐之男命、日向国で日巫女に遇う① |父の遺作を公開する
この作品は、父が生前に書き残したものです。
原稿用紙のまま残されていたものを、書き写して公開しています。
原文には手を加えず、読みやすさだけ整えています。
興味を持ってくださった方は、是非最初からお読みいただければ幸いです。
出雲でフェーン現象が観測された日の午後、島原半島(長崎県)を抜け北上した台風は筑紫平野に近づいていた。出雲から遠征していた須佐之男命一行と伊都国に設けられた出雲支庁に派遣されていた駐在員達は尊と下春の指示で那珂川に係留してあった八隻の筏舟を陸へ引きあげ杭に繋ぎ止めた。
夕刻から風雨が強まりそれは翌朝まで続いた。豪雨で平野の中央を流れる那珂川はあふれ、収穫間近の田は泥水を被り、筑紫に拠点を置いていた伊都国、末盧国、奴国、不弥国では被害甚大となった。
須佐之男命が筑紫に来てから既に五年の歳月が過ぎ、伊都、末盧、奴、不弥の四つの国は出雲支庁を中心に連携を強めていた。台風が去って五日目、尊は首長を出雲支庁に招集し対策会議を開いた。
四人の首長が席に着くと尊は、
「此度の野分により多くの田が失われ、このままでは民人冬を越せぬことになろう・・・何ぞよき手立てあろうか・・・皆の思い述べて欲しい」
と、四人の首長に問いかけた。
暫時間を置いて、不弥の首長、篠栗が、
「我が不弥の南に山を越えると豊国と申す所があります・・・風と雲の動きから彼の地は此度の野分による災いなかったと思います。また、その南には日向国があると聞いております・・・この国は冬も暖かく、実り豊であるとのことでございますが・・・」
と、述べた。
これを聞いた尊は、
「豊国、また日向国とな・・・してこの地に赴くには山越えにてできようか」
と篠栗に尋ねた。
「これらの地に訪うに山越えは険しき山々が連りてこれを越え行くは難しく、舟を用いるほか手立てなきと思いまする」
と、篠栗は答えた。
尊はこれを聞き、
「幸いにして八隻の筏舟、陸に繋ぎ止め野分の災い免れて傷みなし。されば海の路にて豊国、日向国へ赴き、米を求める話を進めたいと思うが五十原守はどう考えるか」
と、問うた。
「不弥の長の申すこと尤もなり・・・それぞれの郷より若人を集めて豊国あるいは日向国に赴くのがよかろうと考えます」
と、五十原は答えた。
尊は、
「されば五日後に船出をいたそう・・・それぞれの郷より十人の若者を選び船着場に集うように・・・篠栗守には案内を頼む」
と、宣べた。
五日後、船着場には出雲、伊都、不弥、末盧、奴の国より選ばれた六十人の逞しい若者が集結した。船団の総指揮は須佐之男命であり、海路の案内役は篠栗、次いで海に詳しい下春、大歳、武、背振、出雲支庁で坂戸の補佐役二人が八隻の筏舟の長に選ばれた。
出航の用意が終ると尊は、
「これより豊国、日向国へ向うが、坂戸と穴持はこの地に残り郷人と力を合わせ荒れ果てし堤の繕いを進めるように・・・」
と、命じた。
博多湾を後にして船出をした八隻の筏船団は二日後豊予海峡に差しかかった。この海峡は流れが速く岩礁があることを知っていた先導役の篠栗は面舵にして船首を右の陸地と近づけた。そこは大野川の河口・・・現在の大分市である。
川の流れは澄んでいたが増水した痕跡はありこの辺りも増水があったことが察しられた。河口に人影はなく八隻の係留を終えると尊は篠栗と協議して、
「今宵はこの地に泊ることと致す。明日のことなれど、我は篠栗守と共に南の日向国に向かい、稲の実りを確かめて参らんと思う。
と言って
「下春、大歳、背振はこの地に留まりて舟の傷みし所を繕い、同じ舟にて来たる若者と共に我等の帰りを待つように・・・。また早くこの地の郷長と会いて話し合いを進めるようにするがよかろう。この役は、下春、大歳、背振に任せる」
と、命じた。
翌朝、尊一行五十人は不弥国の篠栗に先導され日向国を目指し出発した。筏舟で二頭の馬が運ばれており須佐之男命と篠栗が騎乗した。
一行は臼杵郷を通り佐伯へと南下した。この辺りは野分の被害は少なく、道すがら散見できる稲田は淡い黄金色となっていた。南下の旅の初日でもあり佐伯で一泊、翌日の計画を尊と篠栗で話し合うことにした。佐伯の長は篠栗から日向国への旅であることを聞いて食物を供し、郷の社を仮の宿舎として提供した。
厳しい旅を続けること五日、陽が傾き始める時刻、尊一行は広々とした平野に辿り着いた。篠栗は馬を止めて尊に、
「この地こそ我等が目指しておりました日向国でござります」
と、伝えた。
尊は馬上で平野を見渡し、
「皆よ、長き徒歩の旅、よく耐えてくれた。この地が我等が目指した日向国じゃ・・・向いの丘の上に砦らしきものがある。まずはあちらまで行きて見よう」
と、宣べた。
澄みわたる秋空の下尊一行は砦に向って隊伍を整えて行進を始めた。