
逃げ続けた僕が、海外で初めて“自分”と向き合った日。オーストラリア戦記Vol.2
続編です。
■ 野生のカンガルーと、自分の無知
語学学校を卒業した僕は、生きるために田舎町のファームへと向かった。
とりあえずポケットWi-Fiとプリペイド携帯だけを握りしめ、降り立った駅は、ど田舎。
そこで出会った同い年の日本人に言われた一言が、
「セカンドビザ(2年滞在できる権利)のために来たんでしょ?」
「……ん? セカンドビザって何?」
何も調べず、ただ勢いだけで来てしまった。自分の無知さが怖くなった。
朝5時半から夕方までイチゴを狩り続ける重労働。
「えぐ、なにこれ」
一週間でそう確信した僕は、即座に荷物をまとめてその町をおさらばした。今思えば、この「逃げ」の判断だけは、野生の勘で正解を選んでいたんだと思う。
■ 台湾人が教えてくれた「自分の国の誇り」
次に移り住んだのは、10人の多国籍なシェアハウス。
台湾人が6人、日本人2人、フィジーにコロンビア。ここでの生活が、僕の価値観を根底から揺さぶった。
台湾人の友人たちは、自分の国の歴史をまるで自慢するように、熱く語ってくれた。
対する僕は、日本の歴史なんて何一つ喋れない。興味すら持っていなかった。
異国の地で、僕は自分の空っぽさに気づかされた。
■ エセ寿司屋のキッチンと、公園の涙
仕事探しも必死だった。レジュメの書き方もわからず、とにかく数打ちゃ当たると応募しまくり、辿り着いたのは韓国人オーナーが営む「エセ寿司屋」のキッチン。
そこには、僕よりずっと長くオーストラリアに住む「かっこいい日本人のお兄さん」たちがいた。
けれど、ある時からその一人が豹変する。
毎日繰り返される罵詈雑言。
「なんでできない?」「お前、何しに来たの?」
逃げ場のないキッチンでボロクソに叩かれ、僕は心折れた。
ある時の昼休憩、近くの公園で一人、20歳の男が声を殺して泣いた。情けなくて、悔しくて、仕方がなかった。
■ 「また逃げるのか?」自分との対話
涙を拭いながら、自分に問いかけた。
「おい、また逃げるのか? 水泳と大学も辞めて、ここも辞めて、お前は一生逃げ続けるのか?」
「ダサいよ。やるしかないだろ。ここで耐えなきゃ、何のために日本を出たんだよ」
泣きながら自分に言い聞かせたあの時間は、僕が「本当の意味」で自分と向き合った瞬間だった。
結局、一ヶ月の罵声を耐え抜いた頃、僕は一回りも二回りも図太くなっていた。
「逃げ場のない場所で自分を奮い立たせた。
いつの間にか、泥臭くも折れない
「自分自身の根っこ」を手に入れていたんだ。
次に続きます・・・