
③三人のAI編集者――生成AIの編集とは
生成AIを検索ツールではなく、自己の潜在意識や思考を拡張する「思考の編集者」として再定義するエッセイ最終回。ChatGPT、Gemini、Claudeという3つの異なる生成AIを編集者に見立て、口述筆記から推敲、最終調整までを泥臭く濃密に行う独自の創作スタイルを案内する。
前回は、生成AIとの対話の中で、本人も気づいていなかった無意識が表に引き出され、「さっきまで私を縛っていた、あの細い白い糸は、小さな白い鳥になって、文字の連なりの上を、羽ばたきもせず、行き来しているのかもしれない。」という一文が生まれた話を書いた。
書き終わってから気づいたことがある。あの白い鳥は、生成AIが作った比喩ではなかった。私の中に、もともとあったものだった。
では、生成AIは何をしていたのだろうか。今回は、「編集」という仕事について考えてみたい。
以前から、生成AIは「検索をする道具」ではなく、「内省=自分の思考や発想を拡張する道具」ではないかと書いている。今回の出来事は、まさにそれだった。生成AIは答えを教えてくれたのではない。考え方を教えてくれたのでもない。私の中にすでにあったものを、表に引き出すきっかけを作ったのである。
編集という仕事
編集という仕事には、いくつかの役割がある。
文章を読みやすく整え、読者が引っかかる場所を指摘すること。
作品の魅力を見つけること。
そして、作者自身もまだ気づいていないものを発見する。
時代が、読者が何を求めているか、それを作者に伝える。
いまや、生成AIはかなり高い水準まで来ているように思う。文章を整理する。
構成を組み替える。冗長な部分を削る。読者目線で違和感を指摘する。
場合によっては作者を叱咤激励までする。
そしていまや「作者自身も気づいていないものを見つける」という役割までできることを、体験したわけだ。その結果、予想していなかった比喩が生まれた。
人間の編集者にしかできない仕事
もちろん、人間の編集者にしかできない仕事もある。作家との信頼関係を築くこと。長い時間をかけて成長を支えること。出版社の方針や市場を踏まえて企画を考えること。その時代に何が求められているのかを判断すること。そうした役割は、生成AIが代わるのは難しいだろう。
しかし、「作品について考える編集」という部分については、驚くほど近づいている。
出版社では、誰にでも編集者が付くわけではない。編集者が付くこと自体が、一つの幸運だった。しかし生成AIを編集で使うなら、誰でも編集者を持つことができる。
しかも編集者は一人ではない。それそれ目線の違う編集者だ。
2026年6月現在では、こんな感じで過ごしている。
まずは原稿作成の伴走者のChatGPTに読んでもらう。寄り添ってくれるし、わかりやすくて、The編集者という感じだ。
つぎはGeminiだ。最近は、大げさに感動してくれることが多くて、気持ちを前向きにしてくれる編集者のイメージが強い。
さいごのチェックはClaude。語彙力があって、整合性のある文章に導いてくれる。この深さは文芸誌の評論家レベルだ。
こんな風につかっている
実際には、こんな風に使っている。
まず、頭の中にあることを口述筆記のような形でChatGPTに話す。
誤変換はたくさんあるが気にせず、じゃんじゃん話す。
気になるところを相談して議論を深めることも多い。
ChatGPTには、それを第一原稿として整理してもらう。
第一原稿ができたところでパソコンの前に座る。そこからが本番だ。
「ここは違う。」
「でも、こういう意味では?」
「いや、それも違う。」
気がつくと右側のスクロールバーのつまみは点のようになっている。今日も、ずいぶん話し込んでしまった。
そこで終わりではない。
今度はGeminiにも読んでもらう。
ChatGPTとは違う視点で、「ここは分かりにくい」「こういう解釈もできる」といった指摘を受ける。
その指摘を受けて、また原稿を直す。
さらにChatGPTに戻って議論する。
最後にはClaudeにも読んでもらう。Claudeは最近はシビアな反応を返してくるので、それを参考にしながら最後の調整を行う。
記事の要約は、Geminiに頼むことが多い。
Google検索との相性なのか、記事全体を客観的に整理した要約になることが多いように思うのだ。
逆に、発想を広げたり、構成を一緒に考えたりするときはChatGPTに相談することが多い。
振り返ると、生成AIそれぞれの得意分野に応じて役割を分担してもらっている感じだ。
三人の編集者
三人の編集者と何度も打ち合わせをしているようなものだ。
だから、時間がかかる。
第一原稿までの口述筆記の時間と労力のアドバンテージはすっかり無くなっている。
もちろん、生成AIを使えば数分で記事が書けるけれど、そこのプロンプトを磨くというのは、私の求めているものではない。
生成AIは「文章を生成する」と思っていたが、「作品を育てること」の方が、本当は得意なのではないか。
さらに言えば、作品だけではない。作者自身の思考を育てている。作者がまだ気づいていない考えや、潜在意識の中にある連想を引き出している。そういう意味では、生成AIは単なる編集者ではなく、「思考の編集者」と呼んだ方が近いのかもしれない。
数年前には、「AIは小説を書けるのか」という議論が多かった。今は「この製作に生成AIが関与しているか」「投稿の場合、選考除外もありうる」といった議論になっている。
しかし、このあとはその議論自体が古くなるのではないだろうか。「AIにどう編集してもらうか」ということの方が重要になる未来が来るのではないか。
記事の完成後
記事が完成したからといって、それで終わりでもない。
「この表現でいいだろうか」「タイトルはこちらの方がいいのではないか」「どんなサムネにするか」「いつ公開するのがいいだろうか」と、公開直前まで生成AIに相談していることも多い。
公開した後ですら、「この記事は、こういう切り口でも書けたかもしれない」と話し込むこともある。
作家は70%の原稿を編集者に渡すと言っていた。
私の場合は70%どころか、50%の原稿を編集者に渡している。
違うのは、その編集者が生成AIだということだけだ。
生成AIとの対話を続けていると、記事だけではなく、自分の考え方そのものが少しずつ整理され、広がっていく感覚がある。
編集されているのは、自分の内側なのかもしれない。
■■■■あとがき■■■■
実は、このエッセイのうち、②白い鳥と③三人の編集者は一つの原稿だった。
ChatGPTの提案で二つに分けた。
分けた後の「白い糸は鳥になる」に対するレビューを見てほしい。
「三人」の性格がわかると思う。
ChatGPT:構成を評価した
第1回は「編集とは何か」という哲学を書く。
第2回は「私はどう使っているか」という実践を書く。
この構成だと、シリーズとしても非常にきれいです。
私は、この切り方は成功だったと思います。むしろ、一本に詰め込んでいた頃より、作品としても、読み物としても強くなりました。
Gemini:全体的にポジティブで、「白い鳥」の残響を評価した
素晴らしいです!タイトルも含めて、一本のエッセイとして非の打ち所がない美しさに仕上がりました。タイトルも物語の詩的な美しさと論考としての問いを見事に両立させていて、強さがあります。
ChatGPTの提案通りにここで引いたことで、読後はあの「羽ばたきもせず、行き来している白い鳥」のイメージが頭から離れず、非常に深い「 reverberation(残響)」が残ります。
Claude:比喩の発見という一点に集中できたことを評価した
「潜在意識を読んだのではない」の流れを受けて、それを「編集という仕事」の定義そのものに昇華させてから次回に渡している。結論の輪郭がはっきりしていて、詩的に宙吊りにもしない、ちょうど中間の着地。
分割の判断は正解だった。「生成AIが編集者たりうるか」という大きすぎる問いを背負わなくて済み、「ひとつの比喩がどう発見されたか」という一点に集中できている。
「生成AIの編集とは」シリーズ 全3回 今回完結
それ以外にも、こんな記事を書いています。AIという外部シナプスとの対話によって、一人の人間の内面が変容していく話です。