
ジャンヌダルクに祈りを捧げる旅 - オルレアン、ルーヴル、パンテオン、ランス、プロヴァン、ルーアン
百年戦争
百年戦争 1337年-1453年
ジャンヌ 1412- 1431年
1412、ヴォージュ地方の小さな村ドンレミで生まれる

行っていないので、GoogleMap



1425、聖人たちの声を聞く


Jeanne et ses voix

Sainte-Croix d'Orleans


1891 ピエール・ラガルド
『声が聞こえる』

Jeanne d'Arc entendant des voix
Huile sur toile オルレアン美術館にて

1871、愛国の象徴としてヒロインに
19世紀最後の数十年、1871年にフランスがプロイセン軍に敗れた後、ジャンヌ・ダルクは次第に愛国的な旗手としての役割を放棄し、芸術家たちは、まだ子供だった羊飼いの女ジャンヌ・ダルクが、聖ミカエル、聖カタリナ、聖マルガリタ (アンティオキアの聖マルガリタの声に耳を傾け、彼女を神聖な使命へと導いてくれたとされる様子に魅了されました。
13歳の時に3人の神の使者が訪れ、英軍と戦う国王シャルル7世を助ける、という戦士としての使命に導かれたと、ジャンヌは1431年の裁判中に語っています。
宗教と超自然の間を揺れ動き、強い象徴主義の可能性を秘めたこのエピソードはサロン中を侵食し、1891年にはピエール・ラガルドがこのテーマを表現する番になりました。
アカデミック画家フェルディナン・アンベールに師事したピエール・ラガルドは、1878年にサロンでキャリアをスタートさせ、様々なジャンルで作品を制作しました。
アンベールが15区市庁舎の結婚式場の装飾という大作を受注し、その制作に協力しました。
1890年代初頭にラガルドが採用した、象徴主義の影響を強く受けたマットペインティングを好んだ、空想的な作風の典型であるこの作品において、ラガルドは愛国的なイメージを捨て、まるで幽霊のような声が宿っているかのように、ジャンヌを期待に満ちた表情で描いています。 1871年の敗戦に深く心を痛めた画家は、世紀末の悲観主義に陥り、夕暮れの色調で描かれた荒涼とした広大な風景の中に、ジャンヌの小さな姿を孤立させました。これは、彼が晩年に描いた1902年の『撤退』や1906年の『戦争へ向かって』といった、戦争によって荒廃した広大な風景を予感させるものでした。
このエピソードは、ジャンヌが神のメッセージによってフランスを救った国民的英雄として人々の意識に定着するきっかけとなり、1909年の列福と1920年の列聖の重要な根拠となりました。
1852 フランソワ・リュード
『お告げに耳を傾けるジャンヌダルク』

Jeanne d'Arc écoutant ses voix
Marbre, ルーヴルにて

《La Vie de Jeanne d'Arc》 ジャンヌの生涯4連作中
1429、オルレアンへ
1429年4月29日の夜に、ジャンヌはこの地に到着しました。
オルレアンのジャンヌ像



Sainte-Croix d'Orleans





Sainte-Croix d'Orleans

Sainte-Croix d'Orleans
オルレアン解放
到着10日後の5月8日にはイギリス軍が包囲を解いて撤退しました。

Sainte-Croix d'Orleans

Sainte-Croix d'Orleans

Sainte-Croix d'Orleans

Sainte-Croix d'Orleans
1982、Georges MATHIEU "Libération d'Orléans par Jeanne d'Arc"

(Boulogne-sur-Mer, 1921 - Boulogne-Billancourt, 2012)
Libération d'Orléans par Jeanne d'Arc
1982 Huile sur toile
Commande de la Ville d'Orléans à l'artiste en 1982 オルレアン美術館にて
リヨンのノートルダム大聖堂 (フルヴィエールのバジリカ) Basilique Notre-Dame de Fourvière
ジャンヌダルクのオルレアン解放の壁画


同年7月17日、シャルル7世のランス大聖堂での戴冠式
トルバドゥールと、アングルによる『シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク』

アングルは、当時のロマン主義が重視する感情や色彩の表現を「野蛮」であるとして激しく嫌悪し、自らを新古典主義の正統な後継者と位置づけていました。しかし、アングルが描いた『シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク』などの作品は、トルバドゥール様式が好む「中世の国民的英雄」というロマン主義と共通する題材を選んでいます。ここで重要なのは、アングルがロマン主義的なテーマを扱いながらも、その描写技法においては、厳格で正確なデッサンと、冷徹なまでの緻密な仕上げという、彼の新古典主義的な美学を徹底して貫いたという点です。したがって、アングルのジャンヌ・ダルクの絵は、テーマはロマン主義の潮流に乗りながら、手法は反ロマン主義の哲学で描かれた、当時の美術界の対立を象徴する作品の一つであると言えます。
ルーアンの箇所で詳しく述べます
友人と3人でパリからエクスプレス的なので訪れました。
ランスのジャンヌ像






プロヴァン
2023年10月、P線で訪れました。

Collégiale Saint-Quiriace

ランス大聖堂における戴冠式を無事に終えた帰路、ジャンヌはシャルル7世共々プロヴァンに逗留し、このバジリカ(Collégiale)でミサを聞きました。
1835、ルイ・フィリップ国王の娘、マリー・ドルレアンによるジャンヌの彫刻

1835 年、ヴェルサイユでの歴史的ギャラリーのために、ジャンヌ・ダルク全身像の制作を父親から委嘱されました。
徹底的な調査の末に、マリーは戦闘的ではなく祈りに満ちた中世の鎧を着た戦士をデザインしました。
この彫刻は大成功を収め、様々な場所に据え置かれることになりました。
調べると、アリ・シェファーの弟子でした。
1430、コンピエーニュで捕縛され、イングランドに引き渡される

コンピエーニュ (Compiègne)は、フランス・オワーズ県
1431、ルーアンで火刑に処される
ルーアン
2023年9月の文化遺産の日に、パリからTERで訪れました。
ルーアン城のドンジョン Donjon de Rouen


文化遺産の日だからか、無料でした。実際に使われた塔は既に壊れているそうですが、幽閉され拷問された塔と同タイプ & 時代のドンジョンとのこと。元はルーアン城の一部でした。
1827 クローディウス・ジャカン 『捕虜となりルーアンに移送される』

Jeanne d'Arc. Prisonnière des anglais, elle est transférée après le combat, dans les prisons de Rouen
1819 ピエール=アンリ・レヴォワル『ルーアンの囚人ジャンヌ・ダルク』

Lyon, 1776 - Paris, 1842
Jeanne d'Arc prisonnière à Rouen, 1819
Huile sur toile, Musée des Beaux-arts
ルーアン美術館にて
こちらの絵に似ていると思ったら、 RÉVOILはダヴィッドの工房にいたそうで。師からの逆オマージュかな。

Les Sabines., David, Jacques-Louis
ルーアン城の塔に閉じ込められたジャンヌは、英人及びブルゴーニュ人の告発者たち、そして彼女を苦しめた《houspilleurs》と呼ばれる警備員たちとの間に立ちはだかります。迫り来る死を悟りながらも必死に抵抗を続けるジャンヌの背後に、十字が描かれています。
ピエール=アンリ・レヴォワルのこの作品は、1819年のサロンに出品され、シャルル10世の義理の娘であるベリー公爵夫人によってすぐに購入されました。
この作品は、ナポレオンの第一帝政の初期から発展した、中世芸術、特に国民的な英雄像や理想化された歴史への嗜好をよく表しています。王政復古の到来で、君主制とキリスト教の輝かしい過去を強調することが重要視されたのです。
この物語的で逸話的な絵画はトルバドゥール《troubadour》と呼ばれ、ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた作品は非常に人気がありました。
トルバドゥール troubadourとは
トルバドゥール様式は、19世紀前半のフランス美術におけるトレンドの1つであり、より大きな美術運動であるロマン主義の初期として位置づけられます。
特に中世やルネサンス期におけるロマンス、騎士道、歴史的英雄の「逸話」を好んで主題とし、歴史考証に基づいた衣装や背景を緻密に描写することを特徴としました。ロマン主義は感情や情熱、過去への憧れを重視しましたが、トルバドゥール様式も国民的英雄への関心という点でそのテーマを共有しつつ、表現自体は静的で感傷的なものが中心でした。
1431、ルーアンで火刑に処される

Le Bûcher de Jeanne d'Arc
1867、Isidore PATROIS 『火刑場へ向かう』

Huile sur toile

1835、アンリ・シェファー(アリの弟) 『ジャンヌがルーアン広場に到着する。彼女を裏切った司祭は彼女の足元にひれ伏し、許しを請う』

Jeanne d'Arc arrivant sur la place de Rouen. Le prêtre qui l'avait trahie se jette à ses pieds et implore son pardon.
オルレアン美術館にて
そのアトリエが現在パリのロマン主義博物館となっている、アリ・シェファーの名声に隠れがちな、弟・アンリの作品。
オランダ王ルイ・ボナパルトの宮廷画家であった父から学んだ二人は、1811年にアリーが、1813年にはアンリがゲランのアトリエに入門。同門のレオン・コニエ、ドラクロワ、ジェリコーらと共に二人は感性を磨き、新興ロマン派の画家たちの仲間入りを果たしました。アンリがサロンに出品したのは1824年でした。
兄アリーのお陰もあり、シェファー兄弟の作品は、ロマン派の若者たちの熱心な支持者であったルイ=フィリップの寵愛を得ました。
七月王政の時代、1831年のサロンでアンリの『シャルロット・コルデーの逮捕』が落札された後、アンリはヴェルサイユ宮殿のGalerie des Batailles用にいくつか依頼を受けました。
その中にはアンリの『ジャンヌ・ダルクのオルレアン入城』も含まれ、それを観たオルレアン公フェルディナン・フィリップ (Ferdinand-Philippe, duc d'Orléans)は1833年に↑この絵を依頼し、翌年納入されました。ジャンヌの主題はオルレアン家に特に愛されていたのです。
劇的な可能性を秘めたこの場面で、アンリ・シェファーは、1431年5月30日、ジャンヌがルーアンの旧市場広場に到着した運命の瞬間に登場人物たちの心に宿った信仰を描くことを選択しました。
激怒し傷ついた彼女は、信仰の熱意に支えられ、二人の修道士、ラドヴニュ兄弟とイザンバール兄弟に付き添われています。
一方、司祭ニコラ・ロワズルールは、告解の秘密を漏らし、致命的な判決を早めたことへの許しを乞う。この絵は1835年のサロンで大成功を収めました。
1822頃、ジャン=エヴァリスト・フラゴナールの絵画『火刑に処せられるジャンヌ』

Jeanne d'Arc sur le bûcher
vers 1822、ルーアン美術館
この火葬シーンの劇的な迫力は、ロマン主義的な感性により近いものとなっています。

Sainte-Croix d'Orleans

Sainte-Croix d'Orleans

1456、再審で無罪判決を受け、名誉回復

Parc de l'Hotel de Ville
火刑を言い渡された裁判所
"EN CE MEME LIEU LE MERCREDI EN JUILLET 1456 JEANNE DARC FUT SOLENNELLEMENT REHABILITEE"
処刑された1431年5月30日、
その25年後の1456年に
火刑の宣言を受けたその場所にて
名誉を回復された
réhabiliter
有罪宣告を取り消す,復権させる;
名誉を回復させる;再評価する。

Parc de l'Hotel de Ville
1867、オーギュスト・グレーズ 『ジャンヌ・ダルクの子孫』

真実、正義、そして時が見守る中、ジャンヌは勝利の女神から戴冠を受けます。勝利の女神は、聖人にのみ与えられる殉教の掌を手に持ち、判決が読み上げられます。
一方にはシャルル6世とラ・イールが若い戦士の前にひれ伏し、左側にはコション司教がジャンヌ・ダルクに対する重罪で有罪判決を受けています。
グレーズは1836年にロマン主義の庇護の下、サロンにデビュー。絵画を通して寓意を現代化しようと試みて、20世紀半ばを代表する画家の一人となりました。
1845年から51年にかけて、モンペリエのパトロンであったアルフレッド・ブリュヤスの支援を受け、その後も国家、セーヌ県、そして地方都市からより広範な支援を受け、パリではサン=トゥスタッシュやサン=ルイ=アン=リル、モンペリエではサン=ロックといった依頼や装飾品を依頼されました。
彼の作品に歴史的な題材が描かれることは稀で、この巨大なキャンバスは例外的な作品と言えるでしょう。
1867年のサロンに出品されたこの作品は、資金と展示の見込まれる唯一の機関である国家購入されることを意図していたと考えられており、時事的な題材は、まさにこの作品にうってつけでした。
と言うのも、1855年、オルレアン大司教で非常に影響力のあったデュパンルー師は、最初の弔辞でジャンヌ・ダルクを初めて聖人として紹介し、続いて1867年に二度目の弔辞でジャンヌの列聖を提案したのです。
そのような経緯で描かれた、ジャンヌを裁判の中心に据える寓話であるこの作品ですが、当ては外れてこの裁判は1874年まで行われず、ジャンヌは1921年まで列聖(Canonization)されませんでした。(1909年に列福 Béatification)
ジャンヌ・ダルクの図像を刷新したこの美しい作品は、公的な機関(国家・政府)に購入されず、国家の公式な美術コレクションには加えられませんでした。
1914年、オルレアン美術館は息子の画家レオン・グレーズからこの作品を取得することができました。
聖ジャンヌダルク教会 Église Sainte-Jeanne-d'Arc

キャンドルを灯して祈りました。
ちょうどこの頃、友人が父親を亡くしていたので、彼のためにも祈りました。






1920、カトリック教会により聖人として列聖
ルーアンのジャンヌ像


ルーアンやオルレアンのジャンヌ像のための習作デッサンがありました


オテルドヴィル公園横で、珍しい真っ白な鳩に出会いました🕊️

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ありがとう🙌

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