なぜBeyoncéはAOTYを取れなかったのか ― グラミー賞と“音楽の中心”の歴史
1. はじめに
ビヨンセは、グラミー賞史上最多受賞アーティストです。
それなのに、長い間たった一つだけ取れない賞がありました。
Album of the Year(AOTY)。
「なぜ?」
多くのファンが、何度もそう思いました。
ただし、グラミーの個々の投票内容は公開されていないため、「なぜ取れなかったのか」を外部から一つの理由に決めることはできません。
この記事では、歴代の受賞結果や当時の反応、Recording Academyの変化をたどりながら、その背景を考えていきます。
『Lemonade』でも取れない。『Renaissance』でも届かない。
高い評価を受けてきたアーティストが、なぜAOTYだけは長年受賞できなかったのか。
その歴史をたどっていくと、ビヨンセ個人の受賞歴だけでは終わらない、グラミー賞をめぐる長年の議論が見えてきます。
2. グラミー賞とは何か
グラミー賞(Grammy Awards)は、アメリカのRecording Academyが主催する、世界最大級の音楽賞です。
よく「音楽界のアカデミー賞」とも呼ばれています。
グラミー賞にはジャンル別部門のほか、ジャンルを問わず競われる主要部門があります。その中でも最重要部門が、Album of the Year(AOTY)です。これは、ジャンルを問わずアルバム全体を対象とするグラミーの主要部門です。
Recording Academyの公式サイトでは、パフォーマンス、プロダクション、エンジニアリング/ミキシング、ソングライティングなどが評価要素として挙げられています。文化的影響力や「その年を象徴した作品か」といった点は、公式の評価基準として明記されているわけではありません。
そしてビヨンセは、35回もグラミーを受賞しながら、このAOTYだけを長年受賞できずにいました。
3. ビヨンセは、ジャンルを超えてグラミーを取ってきた
ビヨンセは、R&Bを出発点にしながら、Pop、Dance/Electronic、そしてCountryなど、異なるジャンルの部門でもグラミーを受賞してきました。
つまり、グラミーで評価されていなかったわけではありません。
むしろ不思議だったのは、ジャンル別ではこれほど多く受賞しているのに、アルバム全体を評価するAlbum of the Yearだけは長年届かなかったことです。
この「たくさん勝っているのに、AOTYだけ取れない」というねじれが、長年議論されてきました。
4. AOTYだけ勝てない…!
ビヨンセ自身のアルバムがAOTYにノミネートされた年を見てみましょう。
2010年
『I Am... Sasha Fierce』 → 『Fearless』(Taylor Swift)が受賞
2015年
『Beyoncé』 → 『Morning Phase』(Beck)が受賞
2017年
『Lemonade』 → 『25』(Adele)が受賞
2023年
『Renaissance』 → 『Harry's House』(Harry Styles)が受賞
4作品がAOTYにノミネートされましたが、いずれも受賞には届きませんでした。
なお、Recording Academyの公式記録では、Lady Gaga『The Fame Monster』に参加したフィーチャード・アーティストとしての2011年のノミネートも含まれるため、『Cowboy Carter』以前のAOTYカテゴリーでのノミネート歴は計5回とされています。
もちろん、これは単純に「差別が原因だった」「政治だった」と一言で説明できる話ではないのです。
では、ビヨンセはどんな作品でAOTYを逃してきたのでしょうか。
ビヨンセがAOTYを逃してきた作品を並べてみると、それぞれかなり性格が違います。
2013年の『Beyoncé』は、事前告知なしで発表されたビジュアルアルバム。
2016年の『Lemonade』は、音楽と映像を通して、家族や裏切りだけでなく、黒人女性の経験やアメリカ南部の文化まで描いた作品でした。
2022年の『Renaissance』では、ハウスやディスコ、ボールルームカルチャーなどを取り入れています。
つまりビヨンセは、同じようなアルバムを作り続けてAOTYを逃していたわけではありません。作品の方向を大きく変えながら何度も候補になり、それでもAOTYには届かなかったのです。
5. 黒人女性がAOTYを取れなかった“長い空白”
ここで、AOTYの受賞者を実際に見てみましょう。
歴代の受賞者を振り返ると、黒人女性の受賞者が非常に少なかったことが分かります。
黒人女性のAOTY受賞者は、2025年まで4人だけだった
これまでAOTYを受賞した黒人女性は、長いグラミー史の中でもわずか4人です。
1992年
『Unforgettable... with Love』
(ナタリー・コール(Natalie Cole))
1994年
『The Bodyguard』
(ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston))
1999年
『The Miseducation of Lauryn Hill』
(ローリン・ヒル(Lauryn Hill))
2025年
『Cowboy Carter』
(ビヨンセ(Beyoncé))
そして重要なのは、1999年のローリン・ヒル以降、2025年のビヨンセまで約26年間、黒人女性の受賞者がいなかったことです。
26年…。
さすがに長すぎます。
黒人アーティスト全体でも、AOTY受賞は多くなかった
もちろん、黒人アーティストがAOTYから完全に排除されてきたわけではありません。
Stevie Wonder、Michael Jackson、OutKast、Jon Batisteなど、黒人アーティストの受賞例もあります。
それでも、黒人女性に限れば、2025年のBeyoncéまで受賞者はわずか4人でした。
「限られた枠だった」とは、どういう意味なのか
グラミーにはR&BやRapなど多数のジャンル部門があり、黒人アーティストもそこで多くの受賞を重ねてきました。
一方、AOTYはジャンルを問わず一つのアルバムを選ぶ部門です。
ただし、歴代の結果だけから「特定のジャンルだから不利だった」と断定することはできません。
確認できるのは、黒人女性のAOTY受賞者が非常に少なく、1999年のローリン・ヒルから2025年のビヨンセまで約26年間の空白があった、という事実です。
6. 2017年『Lemonade』が象徴した分岐点
ビヨンセとAOTYの歴史を語る上で、特に印象的だったのが2017年のグラミー賞です。
この年、『Lemonade』は多くの批評家から高い評価を受け、音楽メディアの年間ベストにも数多く選ばれました。その後も、2010年代を代表するアルバムの一つとして高く評価されています。
しかしAOTYを受賞したのは、『25』(アデル(Adele))でした。もちろん『25』も、世界的な大ヒットとなったアルバムです。ですから、「アデルが受賞するのがおかしい」と言いたいわけではありません。
ただ、それでも2017年が今も語られる理由の一つが、受賞したアデル自身のスピーチです。
アデル自身が『Lemonade』を称賛した
受賞スピーチで、アデルは涙ぐみながら言いました。
「私の人生のアーティストはビヨンセです」
さらにアデルは、自分にはこの賞を受け取れないという趣旨の言葉を続け、『Lemonade』を「記念碑的」で「美しく、魂をさらけ出した」作品だと称賛しました。
この時のアデルは、自身の受賞スピーチの中で、ビヨンセと『Lemonade』への敬意を強く語りました。
なぜ『Lemonade』はそこまで特別だったのか
『Lemonade』は、家族や裏切りという個人的なテーマだけでなく、黒人女性の経験やアメリカ南部の文化を、音楽・映像・詩を通して描いた作品でした。
だからこそ2017年の結果は、単に「ビヨンセがAOTYを逃した」というだけでは終わりませんでした。受賞したアデル自身が『Lemonade』を強く称賛したことで、「これほど評価された作品でもAOTYには届かないのか」という議論が、より強く残ることになったのです。
2017年に残った「なぜ?」
私は『Lemonade』の頃から、「これ以上何をやればAOTYを取れるんだろう」と感じていました。
もちろん、投票内容は公開されていないため、『Lemonade』がなぜ『25』に敗れたのかを外部から断定することはできません。
それでも、受賞したアデル自身がスピーチの大部分を使ってビヨンセと『Lemonade』を称賛したことで、この結果は強く印象に残りました。
そして私にとっても、「なぜビヨンセはAOTYに届かないんだろう」という疑問が、さらに大きくなった年でした。
7.ジェイ・Zのスピーチと業界の空気
2024年のグラミー賞で、大きな話題になった瞬間がありました。
ジェイ・Zが、グラミーの「Dr. Dre Global Impact Award」を受賞した際のスピーチです。
その中で彼は、妻であるビヨンセに触れながら、こう語りました。
「最も多くのグラミーを持つアーティストなのに、Album of the Yearを一度も取っていない」
そして続けて、「数字だけ見ても、これはおかしい」という趣旨の発言をしました。
この発言は、夫として妻を称賛するだけでなく、「史上最多のグラミー受賞者がAOTYを一度も取っていない」という事実を、グラミー自身のステージで突きつけるものでした。
高い評価とAOTYの結果が一致しなかった
『Lemonade』や『Renaissance』がAOTYを逃した際には、ファンや音楽メディア、批評家の間でも、その結果をめぐる議論が起きました。
「ビヨンセが評価されていない」というより、高い評価を受けながらAOTYには届かない。その状況が何度も繰り返されていたのです。
グラミーの結果は、どう決まるのか
グラミー賞は、Recording Academyの投票会員による投票で決まります。
つまり、BeyoncéがAOTYを逃した理由について、「誰かが意図的に落としていた」「この作品だから票が集まらなかった」と外部から断定することはできません。
Jay-Zが指摘したのは、個々の投票者の意図ではなく、史上最多のグラミー受賞者でありながら、AOTYを一度も受賞していないという結果でした。
そしてJay-Zのスピーチから1年後、2025年のグラミー賞で、『Cowboy Carter』がAOTYを受賞します。
前年に彼が指摘した「史上最多受賞者なのにAOTYを取っていない」という状況は、ここでついに終わりました。
8. 2025年『Cowboy Carter』で起きた逆転
そして2025年、第67回グラミー賞で、ビヨンセはついに『Cowboy Carter』でAlbum of the Year(AOTY)を受賞します。
これは、1999年のローリン・ヒル『The Miseducation of Lauryn Hill』以来、約26年ぶりとなる黒人女性のAOTY受賞でした。
しかもこの受賞は、単なる「初受賞」では終わりませんでした。
『Cowboy Carter』は、カントリーを軸に、アメリカーナ、ゴスペル、R&B、ブルース、フォーク、ロックなど、さまざまなアメリカ音楽を横断する作品です。
『Cowboy Carter』は、「ビヨンセのカントリー挑戦」だけでは終わりませんでした。むしろ、「アメリカ音楽って、そもそも誰が作ってきたんだっけ?」という話にまで踏み込んでいました。
これがビヨンセのかっこいい所です。
そもそも、なぜこの受賞はここまで大きく語られたのか
現在のカントリーには白人文化のイメージが強くありますが、その歴史には黒人音楽も深く関わっています。バンジョーの祖先となる楽器は西アフリカにルーツを持ち、アメリカ南部では黒人と白人の音楽文化が互いに影響しながら発展してきました。
『Cowboy Carter』は、そうしたカントリーから見えにくくなっていた黒人音楽の歴史にも、改めて注目を集める作品となりました。
だから2025年の受賞は「ただの悲願達成」ではなかった
もちろん、「35回受賞してきたのにAOTYだけ無かった」という物語の完結として見ることもできます。
ただ、黒人女性としては約26年ぶりのAOTY受賞であり、その作品がブラック・カントリーの歴史やアメリカ音楽のルーツにも目を向けた『Cowboy Carter』だったことは印象的です。
この受賞を一つの理由だけで説明することはできません。
それでも、長年のAOTYの歴史と重ねれば、2025年の結果は「ビヨンセがついに勝った」だけでは終わりません。
9. おわりに
結局、この問題を「人種差別だけ」で説明することはできません。グラミー賞はVoting Membersによる投票で決まり、個々の投票理由も公開されていないからです。
実際、ビヨンセはAOTYを受賞する前から、すでに史上最多グラミー受賞アーティストであり、音楽業界の中心人物でした。才能が否定されていたわけでも、評価されていなかったわけでもありません。
ただその一方で、高い評価を受けた『Lemonade』や『Renaissance』でもAOTYに届かなかったことは、ファンや批評家の間で繰り返し議論されてきました。だからこそ、この歴史を振り返ると、「誰が音楽の中心として評価されてきたのか」という問いまで見えてきます。
そして正直に言えば、理屈では説明できても、ファンとしてはやっぱり悔しかった。
だから『Cowboy Carter』で名前を呼ばれた時、涙が出てきました。
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