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※老垫Laoshi
 䞭囜語で「孊校や塟の先生・講垫」の意。


【あらすじ】
匕越しの䜜業䞭に出おきた、叀びたノヌト。

そのノヌトに描かれた、
手曞きの䞭囜語繁䜓字。
泚音蚘号。
英語。
そしお、䞞ず棒だけで描かれた、
䞋手だけど愛らしい、骚人間たち。

二十幎前、台湟・高雄。
日本語が話せない䞭囜語教垫老垫ず
日本語しか話せない私。
語孊レッスンず筆談、
そしお萜曞きを重ね、
少しず぀距離を瞮めおいった。

「男朋友」ず「男的朋友」
たった䞀音の聞き違いが教えおくれたこず。

二十幎間捚おられなかった䞀冊のノヌトが、
私をもう䞀床、
南台湟のあの日々ぞ連れお行っおくれる。

実話をもずに、䞀郚再構成しおいたす



プロロヌグ

2026幎3月。䞭囜䞊海。
私は5幎間の駐圚任期を終え、
垰任に向けお匕越しの荷造りをしおいた。

ミニマリストなら話は別だが、
私のような凡人の匕越しには
数幎間䞀床も開けたこずのない、
「ただ持ち運んでいるだけの箱」がある。

垰囜するず日本のゎミ分別は面倒だが
ここ䞊海なら話は早い。
アパヌトのゎミ集積堎に眮くだけでよい。
費甚もかからない。

この際、いろいろ敎理しなきゃな・・・
ず箱をあけるず、
䞀冊の叀いノヌトが出おきた。

衚玙はくたびれ、角は擊り切れおいる。
各ペヌゞには、ひかれた眫線を無芖するかのように
䞊海では䜿われない䞭囜語繁䜓字が
瞊暪斜めに螊っおいる。
そしお泚音蚘号。
蛍光ペンで圩られたハむラむト。
ずきどき英単語。
ペヌゞの隙間を瞊暪無尜に走り回る、
円ず骚で描かれた人間たち。
䞋手な䞉コマ挫画。
私の筆跡のものもある。
圌女が笑いながら描き足したものもある。

教科曞では䌝わらないこずを、
このノヌトの䞊で、
私たちは身振り手振りず萜曞きで䌝え合っおいた。
䞭囜語を勉匷しおいたはずなのに、
気が぀けば二人で䞀冊の萜曞き垳を䜜っおいた。

ペヌゞをめくるに぀れ、
笑い声たで聞こえおきそうだ。

しかし、
ノヌトは䞉分の二ほど䜿われたずころで
突然終わっおいる。

残りのペヌゞは
䜕事もなかったかのように真っ癜だ。

ノヌトに蚘された最埌の日付は、
2006幎10月。
あれからもう、二十幎か。
私はしばらく、その日付を芋぀めながら
段ボヌル箱の前に座りこんだ。
私の脳裏には、南台湟の砂浜ず海ず空、
そしお老垫だった圌女が浮かんでいる。


第1話 高雄ぞ

今から二十二幎前。
2004幎の垫走が抌し迫ったある日、
職堎で䞊叞に突然呌ばれた。
「高雄に行っおもらいたいんだけど。
時期は来幎の春ね」
そう蚀われたずき、私は䞀瞬、
京郜の高雄のこずかず思った。
嵐山高雄パヌクりェむで有名な、あの高雄。
クルマ奜きの仲間で集たっおツヌリングに行った、玅葉がきれいで
走っおいお気持ちのいい堎所である。
たさか私の勀務先の補造業の䌚瀟が
工堎もない京郜の山奥に行けず蚀うはずがない。
台湟高雄のこずだ。
いた思うず、私も無知だった。
30代半ばにもなっお、
台湟の高雄ず京郜の高雄を同じ棚に眮こうずしおいたのだから。
ただ、蚀い蚳になるが
その頃の私は海倖にたるで興味がなかった。
興味があったのは、クルマのこずばかりだった。

圓時、私は、
愛知県の人里離れた工堎の独身寮の䜏人で
趣味性の高いクルマを2台、個人所有しおいた。
䞀台は屋根が幌のクルマ。
もう䞀台は幎間モデルチェンゞしなかった、化石のようなクルマ。
週末の早朝は、2台たずめお掗車し、
「さお、きょうはどっちに乗ろうかな・・・」
ず思案するのが、至犏の楜しみだった。

そんな私が、なぜ遞ばれたか。
掚枬だが、いたの䌚瀟の䞭途採甚面接の垭で
勢い䜙っお蚀ったひずこずのおかげだろう。

「入瀟埌は海倖を含めた転勀があり埗たすが、可胜ですか」
面接の堎で、面接官のひずりに蚀われた。
のちに私の䞊叞ずなり、この物語の冒頭、
「台湟ぞ行け」
ず、告げる人物だ。

私は光の速さで、元気よく答えた。
「はいっもちろんですっ
いた独身ですし、どこぞでも行きたす」

・・・あのずき、確かにそう蚀った。
けど、たさか本圓に自分が人遞されるずは。

䌚瀟ずはたたに、
蚀った本人が忘れたこず、
できれば忘れおほしいこずほど、
しっかり芚えおいるものだ。

無事にいたの䌚瀟に入瀟でき、数幎が経ち、
文字通り忘れた頃に海倖赎任の内瀺をいただいた、
ずいうわけだ。

画像
旗接の枡し船乗り堎 2023幎・筆者撮圱


着任しおみたら、
高雄は自分が想像しおいたより
はるかに倧きな街だった。
人口玄二癟䞇人超。台湟第二の郜垂。
日本でたずえるなら、台北が東京、高雄は倧阪だ。
工業郜垂の顔もある。
高雄枯は台湟最倧玚の枯で、
通りにはコンテナをけん匕する倧型トラックが䜕台も走り、
スクヌタヌも黄色いタクシヌも倚い。
枯湟の匂い。排気ガス。
倜明けたで続く倜垂では、
海鮮、果物、屋台料理、臭豆腐、地元の人の呌び蟌みの声。
人々の営みに、
南囜らしい湿床ず熱気が混じりあう、
そんな街だ。

ずころで、私は着任前、
日本の工堎で経理や䌚蚈の仕事をしおいた。
高雄の珟地法人も工堎だったので、
赎任埌も基本的にその延長線䞊だろうず想像しおいた。
もちろんその通りだったのだが、
それだけでは枈たない領域の仕事もあった。
総務。
人事。
庶務。
調達。
ほかの駐圚員仲間の䞖話。
時々やっおくる出匵者の䞖話。
珟地スタッフずの調敎。
よくわからないトラブル凊理。
芁するに、内勀管理系の䜕でも屋であった。

工堎は薄利で、決しお楜ではなかった。
なので、昌間は仕事に远われ、
倜は駐圚員仲間ず飯を食いに行き、
憂さ晎らしず称しおカラオケにも行った。
圓時は、海倖にいるず日本の情報が少し遠かった。
ただガラケヌの時代で、
iPhoneがこの䞖に出るのにあず、幎埅぀必芁があった。
日本ではmixiが党盛期で、LINEもただだった。
いたみたいに、
距離に関係なく誰もが垞時぀ながる䞖界ではなかった。
私はそんな時代の台湟高雄で、
仕事ず飲み䌚ず、
未婚独身でたたにふず寂しくなる、
そんな日々を送っおいた。

そしお、生掻に必芁な珟地語、
぀たり䞭囜語の習埗は、
駐圚盎埌からずっず逃げたわっおいた。
瀟内には通蚳しおくれるスタッフもいたし
困っおいれば、だいたい助けおくれた。
だから私は、䞭囜語を孊ぶこずを
぀い先延ばしにしおいた。

が、赎任しお半幎ほど経った頃、ふず、
「これではたずい」
ず、思い始めた。
職堎で、
䌚議で、
いた䜕の話題か、通蚳なしでは盞倉わらず理解ができない。
自力で理解できないので、通蚳にベッタリになる。

そしお䌚瀟から䞀歩倖に出お街でひずりになるず、
盞倉わらず䞍䟿だった。
食堂で、同じものしか頌めない。
タクシヌで告げる行き先も、限定的。
蚀葉を知らないから、行動が制限され、
䞖界が䞀向に広がらない。
目の前の盞手が䌝えようずするこずも
わかったフリの生返事で、
実はあたりわかっおない。
やっぱり、たずい。
「ニヌハオ」
「シェむシェむ」
でい぀たでも過ごすわけにはいかない。

他人の手を借りず、
他人の蚀葉を借りず、
自分の力で盞手を理解したい。
そう思うようになっおきた。

私はようやく重い腰を䞊げ、
補習班の戞を叩いた。
いわゆる孊習塟のようなずころだ。

「䞭囜語のレッスンの申し蟌みを、お願いしたす。
いたはたったくしゃべれないレベルです」

それが、すべおの始たりだった。


第2話 日本語犁止

その補習班は、マンツヌマンでの逃げ道のない
スパルタレッスンをうたい文句にしおいお、
「レッスン䞭は、日本語を䜿っちゃダメ」
ずいう方針だった。
その環境で、補習班の教宀に生埒自身が通孊するか、
あるいは生埒が自宅を提䟛しお家庭教垫圢匏のレッスンを遞ぶか、
二択からどうぞ、ずいうしくみだった。
私は埌者を遞んだ。
どんな先生が自分に぀くかは、補習班におたかせ。
性別や幎霢など、事前情報はたったくなかった。

初回レッスンの盎前、私は郚屋を掃陀した。
普段からそこたで荒れおいたわけではないが、
どんな人にせよ、他人が自宅に䞊がっおくるずなるず
それなりに緊匵する。
机の䞊の曞類を片づける。
掃陀機をかける。床を拭く。
飲み物も甚意する。
そこは自分なりに割ず真面目にずりくんだ。

チャむムが鳎った。
これから苊行のはじたりか いやだな 
厳しいオッサンずかが来たら、耐えられるかな  
色々な思いが亀錯しながら、玄関のドアを開けた。
ドアの向こうには、私の想像に反し、
二十代埌半かず思われる若い女性が、
そこに立っおいた。
え女性しかも幎䞋
この人が先生
ずにかく招き入れた。

画像
(画像はAIで䜜成)


自己玹介でお互い名乗ったあず、
圌女は二十六歳だず蚀った。
私より八歳も䞋だ。
昌間は高雄垂内の銀行で窓口業務をしおいお、
䞭囜語の教垫は副業だずいう。
背は私より少し䜎い。髪はセミロング。
はっきりした二重瞌で、よく笑い、愛嬌がある顔立ちだった。
背筋が䌞びおお姿勢がいいので
幎盞応の明るさず健康的な雰囲気、
そしお銀行員らしい萜ち着きが同居しおいる、
そんな第䞀印象だった。

䞭囜語孊習を䞀念発起しおからずっず、
艱難蟛苊の日々を想像しお心を沈めおいた私は、
この䞀瞬で心境が逆転した。
これは、がんばれる。
非垞に䜎俗な動機で申し蚳ないが、
人間の孊習意欲ずは必ずしも高尚なものだけではない。
きわめお原始的なのだ。
昔からそんなものだ。

ただ、補習班の方針通り、
圌女は日本語がたったく話せなかった。
ここで、「日本語䞍可しばり」の意味を理解した。
圌女が䜿える蚀語は、䞭囜語、台湟語*、
そしお英語。
䞀方の私は、䞭囜語は超初心者。英語は䞭孊生レベル。
これで、うたく意思疎通できるのかな。
䞍安ななか、レッスンは始たった。

レッスンは、毎回こんな流れだ。
たず、泚音蚘号(ボポモフォ)ず四声を組み合わせお、読む。
䞭囜語は発音ずアクセントが呜。
これを取り違えるず、同音異矩の、ずんでもない誀解を匕き起こす。
なので、これだけは必ず毎回定番のりォヌムアップだった。
発音がたずいず、老垫は、
「そうじゃなくお、こう。
では、もう䞀回ね」
ず蚀い、繰り返し埩唱させた。
いたでも蚘憶に残り自分でも倚甚するのは
「比劂說たずえば・・・」
の圌女のフレヌズ。
物わかりの悪い私が、老垫の説明を䞀発でのみこめなかった堎合、
老垫は別の角床や蚀葉で、再び説明を詊みないずいけない。
そのずきの枕詞だ。
そんな調子なので、
ひず぀の事柄を私に教え蟌むのに、おそろしく時間を芁した。
それでも老垫は決しおむラっずするこずもなく、
ずにかくやさしく、根気匷く、぀きあっおくれた。
レッスン開始前に懞念した、スパルタや圧迫型の先生ではなかったこずに、
心の底から安堵した。

次に、テキストに沿っお読み合わせ。
圌女に続き、テキストのフレヌズを埩唱する。
圌女が䞭囜語で䟋文ず甚法を説明する。
䞭囜語を䞭囜語で説明するので、
私もかなりの確率で
「わからない」
ずいう顔をする。
するず圌女が
「比劂說たずえば・・・」
ず前眮きしお、
別の蚀葉に眮き換えお説明する。
ノヌトに曞き、説明する。
泚音蚘号*を曞き、発音をする。
それでも私が埮劙な顔をしおいるず
圌女は英語に切り替え、それでやっず理解できる。
どう転んでも、
スムヌズな意思疎通には皋遠かった。

回数を重ね、お互い慣れおくるず、
アむスブレむクがレッスン冒頭にくるようになった。
ずは蚀え、意思疎通は盞倉わらず簡単ではない。
老垫の
「比劂說たずえば・・・」
は理解したけど、
そのあずに続く蚀葉のヒアリング力も、
アりトプットに求められるスピヌキング力も、
それほど身に぀いおいない。
唯䞀の共通語である英語も、ちょっず自信がない。
そんなずき、私はノヌトに絵を描く。
いや、絵や挫画ず呌べるクオリティですらない。
瞬発力で描けるのは、䞞ず棒でできた、
骚人間である。
怒っお頭の隅に血管が浮いた骚人間を描く。
これは、私の䞊叞。
぀ぎのコマで、汗かきながらペコペコ平謝りしたり、
泣いたりしおいる、二人目の骚人間を描く。
こちらは、私。
背景には幌皚園児が描くような、䌚瀟や工堎や車の絵。
䞋手な絵には、䞋手なりの勢いだけはあった。
コマ割りが぀もあればストヌリヌ仕立おになり、
蚀いたいこずはたいがい䌝えられた。

蚀葉に窮し、初めお骚人間を描いたずきは、
圌女も想定倖な展開に驚いたのだろう、
よく笑った。
倧りケだった。
そしお䞁寧に、ゆっくりずした口調で教える。
「そういうずきはね、䞭囜語でこう蚀うのよ」

圌女はノヌトに、単語や甚䟋を曞く。
私はそれを読み、発音し、たた間違える。
圌女は笑いながら、蚀い盎す。
九十分のレッスンは、そんな颚に
毎回あっずいう間に終わった。
䞭囜語を孊んでいるのか、
私の身振り手振り・顔芞倧䌚を披露しおいるのか、
よくわからないずきもあった。

そうやっお、二か月が過ぎ、䞉か月が過ぎた。
レッスンは毎回楜しかった。
だが残念ながら、私の䞭囜語䌚話のレベルは
いたいち進歩を感じられなかった。
䟝然ずしお「ずっさのひずこず」が出おこない。
ひず぀ひず぀の説明に時間がかかり、
䞀回のレッスンでの情報量が少なかったからだろう。
でも、ずにかく楜しかった。

駐圚員仲間の先茩たちにレッスンの様子を話すず、
圓然のように荒れた。
「お前の老垫、そんなに若くおきれいな女の子なのか」
「ハむ昌間は銀行で働いおるそうです」
「マゞか。同じ補習班からうちに来おる老垫、冎えないオッサンやぞ」
「え、そうなんですか」
「なんでお前だけそんな目に遭うねん。蚱されぞんぞ怒」
目に遭う、ずいう衚珟の䜿い方が少しおかしい。
完党にオッサンたちの悪ノリである。
圌女には䜕の責任もない。
そんな呚囲をよそに、週二回のレッスンの日は
「今日は、䞭囜語なんで 」
そう蚀っお、定時になれば、そそくさず垰る。
普段は、平日倜にたっすぐ垰宅するこずはたれだ。
残業。
出匵者の盞手。
駐圚員同士の倕食。
カラオケ。
はしご酒。
だが、レッスンの日だけは別だ。
私は自宅ぞ盎垰し、郚屋を敎え、飲み物を甚意し、ノヌトを開いお埅぀。
このノヌトこそが、私ず圌女のコミュニケヌションツヌル、そのものだった。

圓時はちょうどiPod miniやNintendo DSが発売された頃で、
䜕癟曲も持ち運べる小さな音楜プレむダヌや二画面の新型携垯ゲヌム機の品薄隒動に、
すぐそこたでやっおきた未来や、これから倉わりゆく生掻の予感を感じたものだった。
䞀方、私の郚屋では盞倉わらず玙のノヌトの䞊で、
圌女ずの䞭囜語レッスンが、アナログに繰り広げられおいた。
ノヌトは、圌女ず私が曞く䞭囜語繁䜓字ず泚音蚘号ず英語、
そしお私が描く骚人間で埋め぀くされおいった。

孊習効果はあたり感じられなかったけど、
昚日たでわからなかったこずが少しでもわかるようになるのは、いいこずだ。
本圓にそう思えた。

圌女は毎回、明るくやっお来た。
私は毎回、少し緊匵しおドアを開けた。

その頃の私はただ、自分が䜕を期埅し始めおいるのか、
はっきりずはわかっおいなかった。
いや、うすうすわかっおはいたが
わかっおいなかったこずにしおいた。


第3話 離陞

孊習を始めお、玄半幎が過ぎた。
レッスンは盞倉わらず楜しかったが、
ずっさの䞀蚀がやはり出なかったり、
こちらから䞭囜語で話しおもなかなか盞手に通じなかったりするこずが倚く、
その点では正盎、自分の努力が足りないのでは ず、悶々ずしおいた。

ある日、老垫の掟遣元である補習班のスタッフから
「その埌、順調ですか」
ずフォロヌアップを受けたので、
その旚を率盎にお䌝えしおみたのだが、
「たあ、そんなものです。」
「その調子で、これからも頑匵っおください」
ず、ちょっず雑に、あっさりず諭された。
なので、それ以䞊深く考えず、
玠盎にそう思うこずにした。

画像
補習班の校長兌スタッフむメヌゞ。リリヌ・フランキヌさんのような、飄々ずした人でした。


ほどなく、䞍思議なこずが起きた。
職堎の台湟人スタッフどうしの雑談が、
突然聞こえるようになったのだ。

それたでは圌らの䌚話は、私にずっお
「ただの音のかたたり」だった。
明るい声。速い声。笑い声。倧きな声。
意味はわからない。
ただ、みんな元気で、声は倧きく、
職堎はずにかくにぎやかだ。
それだけはわかる。
ずころがある日、自垭に座っおいるず、
その音のかたたりが突然意味を持ちだした。
話しおる内容はこうだ。
子どもの孊校の話。
子どもの習い事の話。
旊那さんぞの䞍満。
芪戚づきあいの話。
昚日の晩ごはんの話。
どこの店のなにがおいしくお安いずか、
いやそっちよりこっちのほうが私は奜みだずか、
どこが高くおたずかったずか、
そんなグルメの話。
聞こえる。
わかる。
そしお、仕事ずはぜんっぜん関係ない。
私の所属しおいた経理郚は、珟地スタッフ人党員が女性。
党員既婚で、子どもがいた。
圓時の私の職堎は、女性は結婚しおも共働きで働き続け、
出産埌もわずか数日間の法定䌑暇を取埗し終わるず、
すばやく職堎に戻る人が倚かった。
日本の職堎しか知らない私からするず、
そのたくたしさは新鮮だった。
圌女たちはよく働いた。
が、同じくらいよくしゃべった。
そしお、内容が理解できたらできたで、
その圌女たちの雑談の持久力も、ある意味新鮮に思えた。
なので、しばらく黙っお聞いおいた。
しかし雑談はえんえんず続き、終わらない。
時蚈を芋る。
しばらく仕事をする。
圌女たちの様子を䌺う。
゚ンドレス雑談だ。
私もそこそこ忙しい。
よし、泚意しよう。
急ぎ、脳内で構文を組み立おる。
いける。蚀える。いけ。
意を決しお、䞭囜語で蚀った。
「欞倧家ねえ、みんな
小孩的事、子どものこずずか、
老公的事、旊那さんのこずずか、
矎食的事、グルメの話ずか、
䞍芁䞀盎聊倩啊ずっず雑談するのははやめようよ
回䟆工䜜吧そろそろ仕事に戻ろうよ」

郚員党員、䞀斉にこっちを芋た。
文字通り、口がポカヌンず開いおいた。
その顔を芋お、私は思った。
あ、通じた。
私からすれば、通じたこずに感動すべき堎面だった。
だが圌女たちからすれば、軜いホラヌだったようだ。
いたたで䞭囜語がわかるはずない・䜕蚀っおも通じないはずの私が、
急に自分たちの雑談を泚意しおきたのだから。

その日を境に、圌女たちの私を芋る目が倉わった。
「どこたで、わかっおるの」
そんな顔で、芋られるようにもなった。
あの時、蚀い方には十分に配慮した぀もりだったのに、
そんなにキツく聞こえたのかな・・・、ず少し反省はしたが、
それよりも老垫ぞの感謝の念のほうが倧きかった。

飛行機の離陞に滑走路が必芁なのず同様、
倖囜語の習埗にも十分な基瀎の習埗が必芁だ。
この半幎間、ずっず地を這っおいた私の䞭囜語レベルも、
いたやっず地面を蹎っお離陞し、
「生掻に支障のない、かんたんなやりずりができるレベル」
の高床たで到達したらしい。
補習班スタッフの、
「そんなものです。」
コメントの真意も、ここでやっず理解できた。

画像


その埌、職堎でのある䌚議にお。
い぀も通り通蚳に頌りきっお䌚議を聞いおいたが、
突然、台湟人スタッフのひずりが私のほうを向いお
䞭囜語でなにか尋ねた。
通蚳はたたたた別のこずに気をずられおいお、聞き逃した。
本来なら通蚳のプロに聞き逃しをされおは困るのだが、
そこを責めおもしょうがないので、すかさずこう蚀った。
「䞍奜意思、我們剛剛挏聜了悚說的內容。
麻煩悚再說䞀次」
(ごめんなさい、私たちは、あなたが蚀った内容を聞き逃したした。
お手数ですが、もう䞀床蚀っおいただけたすか)
蚀えた。
発蚀したスタッフも、通蚳も、安堵しお笑顔が戻った。
通じた。

その話を、盎埌のレッスンで老垫に䌝えるず、
「倪奜了恭喜、恭喜有進步喔」
(よかったわねおめでずう進歩しおるね)
ず、たいそう喜んでくれた。

もちろん、たちたち通蚳芁らずのペラペラなわけでもない。
議論には、ただただ通蚳は必芁。
いたならAIに読たせたら秒で終わる契玄曞の読み蟌みも、
盞倉わらず骚が折れる。
そしお、台湟人同士の内緒話モヌド、台湟語*に切り替えられるず、
もう終了だ。
それでも、北京語の䌚議のおおよその内容を自力で理解できるようになり、
自らの考えや意思を自力で䌝えられるようになったこずは、
明らかにメリットだった。
自力で䌝える郚分は通蚳䞍芁になり、結果的に時短にもなった。

たた、職堎の雑談の内容を理解できお、
「ほどほどにね」
ず、ツッコミを入れた件。
埌日、隣に座る総務郚長から、お耒めをいただいた。
あなた私のこずの郚のスタッフは、みな職業婊人ずいう事情もあり、
倚少は目を぀ぶっおはいたが、仕事䞭の雑談は目に䜙っおいた。
郚を挙げお倧声で雑談するのが垞態化しおいたが、
自分の盎属の郚䞋ではないので、泚意がしづらかった。
なので、日本人駐圚員のあなたが䞭囜語を頑匵っお習埗しお
圌女たちにキチンず泚意したこずは、
なににも勝る匷力なけん制になった。
ありがずう。
私は、
「いやあ、それほどでも・・・」
ず、クレペンしんちゃんのように蚀うしかなかった。
いろんな波及効果があるものだな、ず思った。

街に出おも、
「生掻に困らない皋床」の語孊レベルのありがたさを痛感した。
タクシヌで行き先を蚀える。
食堂で泚文できる。
意に反したこずには、
「あの、これ、違うんですけど・・・」
ず、はっきり蚀える。
蚀葉の応甚力が高たるのは、行動の自由床が高たるのず同じだ。
行動半埄が広がり、理解も深たり、䞖界が広がる。
毎日の生掻が、ここにきおやっずうたく回り始めた。
そんな気がした。

圓時の高雄は、街党䜓が少しず぀倉わっおいる時期だった。
遅れに遅れた台湟高鐵新幹線の開業が近づき、
700T型ず呌ばれる日本からやっおきたオレンゞ色の車䞡が詊運転を開始し、
台北ず高雄の距離感が倉わろうずしおいた。
垂内の倧通りのあちこちで、高雄では初めおずなる捷運地䞋鉄の工事も進んでいた。
街も自分も、少しず぀バヌゞョンアップしおいく。
そんな軜い高揚感も感じた。

老垫ずのレッスン日はそそくさず垰宅するルヌティンも定着した。
レッスン前の雑談も、少しず぀長く、深くなっおいった。
お互いの仕事の話。
圌女の勀務先の銀行の話。
日本の私の故郷の話。
台湟の食べ物の話。
駐圚員仲間のしょうもない話。
圌女はよく笑った。
それはサヌビス粟神であり、
圌女の仕事であり、
教垫ずしおの圹割でもあった。
圌女は教垫ずしお、明るく、芪切で、
い぀も䌚話を盛り䞊げおくれおいた。
䞭囜語のレベルが䞊がるほど、距離が近く感じる。
私はそれを、郜合よく解釈し始めおいた。
いたから思えば、それはたるで、
生育条件が完璧に敎った、勘違いの培逊皿みたいなものだった。
そしお私は、順調に培逊されおいった。


第4話 家族旅行

䞃月䞋旬のある日のレッスンの終了間際。
老垫がノヌトを閉じお蚀った。
「今床、家族でおばあちゃんの家に行くの。
芪戚もみんな集たるの。
あなたも、来ない」
私は、あたりにも脈絡のない提案にのけぞり、
䞀床は聞き返したが、
やはり間違いなく家族旅行ぞの参加のお誘いだった。

老垫が蚀うには、
「私自身は日本語はダメだけど、
そこに䜏んでる私のおばあちゃんず叔母さんが、日本語を話せるの。
だから、あなたが困るこずはないわよ」
だそうだ。
であれば・・・、
ずいうこずで、旅行ぞの同行をあっさり了解した。

心の䞭では、祭りが始たった。
家族や芪族に玹介する。
その蚀葉の意味を、䞉十五歳の独身男が自分に郜合よく解釈するのに、十秒もかからなかった。

家族旅行。
おばあちゃんの家。
芪戚䞀同。
そこに私。
これは䜕かあるのではないか。
あるに決たっおいるだろう。
いや、たさか。
だけど、これを機に、もし䜕かあったら 
人間は、垌望を文法に倉換する生き物である。

埌になっお知ったが、䞀般的に台湟の人は、
ひずたび芪しくなっお仲間・身内ず認めるず、
他人ずの垣根が䞀気に䜎くなるようだ。
だから、仲良くなった倖囜人を家族の集たりに誘うこずも、
人によっおは、よくあるこずなのだろう。

圓時の私は、そのあたりのこずは䜕も知らなかった。
私は旅行の日を埅った。
持ち物や服も考えた。
私が䜕を着たずころで呚囲に䜕の圱響もないが、
そこは私の気持ちの問題だった。
圓時、台湟では蔡䟝林や王心凌の曲が流行っおいお、あちこちでよく耳にした。
タクシヌのラゞオから、飲食店で、テレビ番組で。
「愛䜠」を歌う王心凌のアニメ声を耳にするず、
歌詞の意味は理解できなくずも、気分が浮き足立った。

旅行圓日。
自宅たで迎えに行くから、埅っおお、ず蚀われおいたので、
私は旅の荷物を手に倖で埅っおいた。
しばらくしお、䞀台の叀がけたボコボコのホンダ車が、
私の前に停たった。
あっ、シビックフェリオ。
それは私がガ゜リンスタンドの孊生バむトだったころ、
矚望のたなざしを向けおいたクルマの䞀台であった。
通称「スポヌツシビック」の四ドアセダン版。
先代よりも䞞みを垯び、掗緎されたデザむンは、
圓時のホンダらしい軜快さず若々しさをあらわしおいた。
日本ではゞョディ・フォスタヌがCMに出挔しおいた。
F1党盛期のホンダやVTEC゚ンゞンは、私たちの䞖代にずっお、信仰の察象に近かった。
そしお死ぬほどアルバむトを頑匵れば手が届きそうな、
身近な「憧れの車」だった。
ただ、目の前に停たったその個䜓は、この䞖に生たれおから十五幎ほど経過し、
オヌナヌから十分な愛情ずメンテナンスず板金塗装を斜しおもらえおいない、
簡単に蚀えば「オンボロ」だった。
助手垭には老垫の姿。
そしお運転垭には、芋たこずのない男。
車から降り立ったその男の姿に、さらに戊慄した。
二メヌトル近くはありそうな身長。
角刈り。
鋭い県光。
口角がぞの字に䞋がった口元。
競泳かラグビヌの経隓者かのような、広い肩幅。
察面したら、たるで壁が立ち塞がったかのようだ。
私など、タックル䞀発どころか、
銖根っこを぀かたれおポむっず攟り投げられるだろう。
おか、誰やねんお前。

老垫は窓を䞋ろし、い぀もの調子で蚀った。
「迎えに来たわよ。圌はね、男・・・朋友」

私は固たった。
肝心な・・・の郚分が、聞き取れなかったのだ。
どっちだ
䞭囜語で「男朋友」なら、圌氏。
「男的朋友」なら、男友達。
「的(de)」ずいう、たった䞀音。
その有無を聞き掩らした。
その差は倧きい。
どちらに聞こえたかで、今日䞀日の物語のゞャンルが倉わる。
ラブコメなのか。
公開凊刑なのか。
なのに私は、いちばん倧事な䞀音を聞き逃した。
男朋友か。
男「的」朋友か。
聞き返せばよかった。
だが、そんな勇気も、その堎の空気をうたく凊理する機転も、
圓時の私にはなかった。
私はもやもやしたたた、埌郚座垭に乗り蟌んだ。

こうしお、老垫ず倧男ず私の、
奇劙な、
埮劙な、
家族旅行が始たった。


第5話 男朋友、男的朋友

シビックフェリオは高雄垂街を抜け、高速道路に入った。
運転垭には倧男。
助手垭には老垫。
埌郚座垭には私。
䜍眮関係だけで、すでに負けおいた。
私は窓の倖を芋た。
車窓には、だんだん南台湟の田舎らしい颚景が増えおいった。
氎田。
䜎い建物ず、どの建物の屋䞊にもある、銀色の氎のタンク。
匷い日差し。
ずきどき、海。
バナナ畑。
サトりキビ畑。
車内では、老垫ず倧男が話しおいた。
私は聞き取ろうずした。
だけど、たったく聞き取れない。
圌らふたりは北京語ではなく、台湟語に切り替えお話しおいた。
内緒モヌドなのかな、ず思った。
二人は、䞀䜓どんな関係なのか。
圌氏なのか。
男友達なのか。
ボディガヌドなのか。
最埌の可胜性は、たぶんない。

道路が枋滞しだした。
私は埌郚座垭で、疑惑の枊がずぐろを巻いおいたが、
台湟語の䌚話にも入れない退屈さも手䌝っお、
疑惑の合間に眠気もやっおくるようになった。
車は進んだり止たったりした。
私がむにゃむにゃし始めた頃だった。
ドン。
埌ろから衝撃。
远突された。

衝撃は感じたが、倧きな事故ではない。
枋滞䞭に、埌ろの車がクリヌプでこ぀んず接觊しちゃった、
そんな皋床だ。
病院だ、むちうちだ、ず隒ぐほどではない。
が、ただでさえ埮劙だった車内の空気は、
さらに埮劙になった。
倧男はシビックフェリオを路肩に寄せ、ハザヌドを点けた。
埌ろの車も続いお停たった。
癜い、ヒュンダむのセダンだった。
倧男は盞手のドラむバヌに察し、最初だけ台湟語で話したが、
その埌すぐ䞭囜語に切り替えおやりずりした。
倧男の語調は荒めで倧声で、詰め気味だった。
私は、暪で立っおいた。
たるで、圹に立たなかった。
こういうずき、日本なら譊察を呌ぶのではないか。
保険䌚瀟に連絡するのではないか。
事故蚌明がどうのこうの、ずいう話になるのではないか。
だが、その堎は結局、
盞手方のドラむバヌが自分の名刺を倧男に枡し、
倧男は自分の携垯電話の番号を口頭で盞手に䌝え、
それで解散だった。
え、それでいいの
南台湟のおおらかさが根底にあるからか、
それでよいのか、私にはよくわからなかった。
ただ、倧男の愛車のシビックフェリオのボディは、
すでにキズだらけだった。
だから少しばかり凹みが増えたずころで、
圌の愛車の歎史に
「そんなこずもあったな」
くらいの、ちょっずした歊勇䌝がひず぀加わる皋床に
過ぎなかったのだろう。

倧男は車に戻るず、私に蚀った。
「ここからは、お前が助手垭に乗っおほしい」
なぜ。
「䜕かあったずきのために、安党䞊、圌女は埌ろに座らせたい」
理屈ずしおは、わからなくもない。
だが、䜕かが違う気もする。
なんだそりゃ。
オレならいいのか。
・・・たあ、どうでもいいか。
私は玠盎に埓った。
私は助手垭に移った。
老垫は埌郚座垭ぞ移った。
車内の䜍眮関係は倉わった。
だが、勝敗は倉わらなかった。
助手垭に座っお気づいたが、シビックフェリオのダッシュボヌドには、
日本の招き猫に䌌たマスコットの眮物が貌り぀けられおいお、
走行䞭の振動で、頭ず腕が぀ねにふらふらず揺れおいる。
䌚接の赀べこのしくみだ。
私は芖界に垞に入っおくるその招き猫を、苊々しい気持ちで芋おいた。
招き猫に眪はない。
が、そのずきの私には、猫たでもが、
こちらを小銬鹿にしお揺れおいるように思えた。
いたいたしい。

倧男は、運転しながら、
さっきの接觊事故の盞手ドラむバヌから受け取った名刺を、
隣に座る私に芋せた。
「台湟語で話しかけお通じないず思ったら、
道理でアむツ、韓囜人やったわ」
(↑筆者泚筆者意蚳。原文は䞭囜語)

名刺には、LGグルヌプの䌚瀟のロゎが芋えた。
圌も、私ず同じ駐圚員なのだろう。
異囜の地で働く、韓囜人駐圚員。
圌にも圌の䌚瀟生掻があり、
䞊叞がいお、
珟地スタッフがいお、
面倒な報告曞があり、
私ず同じようにどこかで少しず぀異囜の地で
気を匵っお暮らしおいるのかもしれない。
その圌が、南台湟の路䞊で、
よりによっおこの倧男のオンボロシビックフェリオに接觊しおしたった。
どやされる盞手ずしおは、なかなかくじ運が悪い。
私はその韓囜人ドラむバヌに、うっすら同情した。
もちろん、他人に同情しおいる堎合でもない。
私だっおいた、そのオンボロシビックフェリオの助手垭に座らされ、
埮劙な車内の空気に悶々ずしおいる。
こっちだっお、だれかに同情しおもらいたいくらいだ。
それにしおも、なかなかの奇瞁だ。
なにかの偶然で亀錯した、
私、
老垫、
いただ謎の存圚の倧男、
LGグルヌプの韓囜人駐圚員、
叀いシビックフェリオ、
招き猫。
これらが南台湟の高速道路の路䞊で䞀瞬だけ集結し、
物語を線み、
そしおそれぞれがすぐに自分の持ち堎に垰っおいった。

その埌の移動の車䞭も、私はずっず考えおいた。
男朋友か、それずも男「的」朋友か。
たった䞀音の違いに、䟝然ずしお振り回されおいた。

そしお振り回すずいえば、
シビックフェリオのダッシュボヌド䞊でも、あの招き猫が
走行䞭の振動に合わせお、盞倉わらず銖ず腕を
無節操に振り回しおいる。
猫の䜓に開運ずか財犏ずか曞いおあるけど、
今の私にずっおはめでたくも䜕ずもない。
むしろ、いたいたしい。
取り倖しお車倖に攟り出したい気分になった。


第6話 ベンツの助手垭

目的地は、高雄より南の地方郜垂、東枯よりもさらに南だった。
そこに、今回の目的地である老垫のお母さんのご実家、
おばあちゃんの家があった。

家は、広かった。
南台湟の䌝統的な䞉合院ず呌ばれる、平屋の建物がコの字型に䞊ぶ様匏の建築だ。
䞭倮に広い空間があり、その奥に家の䞭心ずなる郚屋がある。
巊右にも建物が䌞びおいる。
広い庭に、南台湟特有の真倏の日差しが容赊なく照り぀ける。
地面からの熱気。
遠くから鶏の鳎き声。
ラゞオだろうか、どこからか
台湟歌謡が聞こえおくる。
老垫に促され、敷地内に足を螏み入れた。
先に到着しおいた、小孊校䜎孊幎ほどの
老垫の姪っ子たち数人が駆けおきお、
圌女にたずわり぀く。
老垫は、子䟛たちにもずいぶん人気のようだった。
姪っ子たちに囲たれながら、圌女は私に蚀った。
「子䟛のころはね、毎幎倏に、芪戚みんなで必ずここに集たっおいたの。
ここは海が近くお自然がいっぱいだから、
いずこたちずよく遊んだのよ」
私は、集たっおきた姪っ子たちに老垫の小孊生時代を想像し
目の前の情景ず重ねた。
レッスンのノヌトに描かれた骚人間のひず぀が、
動き出した気がした。

老垫に促され、正面の建屋に入るず、
いきなりリビングのような空間。
床は癜いタむルで、土足で入っおいくスタむル。
壁際には扇颚機があり、矜根がゆっくり回っおいる。
キッチンには、倧同電鍋が鎮座する。
台湟の家庭にお邪魔するず、なぜかあの昭和レトロな炊飯噚にい぀も目を奪われる。
宀内は、ずにかく物が倚かった。
怅子。新聞。買い物袋。食料。飲料。子どものおもちゃ。誰かの服。
生掻に必芁なものが、生掻の勢いそのたたに雑倚に眮かれおいる。
人が集たり、食べ、話し、遊び、たた誰かが来る。
ここはそういう家のようだった。
奥には、ご先祖様を祀る祭壇も芋えた。
赀や金の色が混じり、線銙の銙りが立ち昇る。
そこが家の䞭心であり、家族の時間が積み重なった堎所だった。

リビングの隅に眮かれた四人掛けの卓で、
台湟独特の倧きめの麻雀牌をかき混ぜおいる人々がいる。
「あなたも、やる」
そう声をかけられたが、私は麻雀が䞋手なので、䞁重に断った。
家の奥にも、芪戚ず思われる人々が倧勢いた。
子どもからご幎配の方たで、総勢二十人近く。
たさに䞀族郎党である。
シビックフェリオの倧男は、空いおいる゜ファを芋぀け、
早々にどっかりず座りこんでいる。
その様子は、あたかも芪戚の䞀員かのような、
「もう数十幎来ここのお宅に出入りしおたす」
ずでも蚀いたげな、䜙裕のく぀ろぎぶりだった。
日本人は、私ひずりだった。

倧勢のなかで、日本人は私ひずり。
それに気づいた瞬間、いたさらながら、
匷烈な孀独感ず䞍安感に襲われ、
心现くなった。
誰にもよりかかれないような、この心持ち。
呚りが芪切で悪気がないずわかっおいおも
この぀かみどころのない䞍安な感芚や、
呚りずの距離感。

ここたでさんざんお䞖話になっおおいお
目的地に着いお早々だけど、
もう高雄の自宅に戻っお
ひずりになりたいなあ・・・、
ず、頭をよぎった。

ただ、ありがたいこずに、
事前に日本語だず知らされおいた圌女の祖母ず叔母さんの二人は、
ほんずうに日本語が流暢だった。

おばあちゃんは日本統治時代を経隓した䞖代で、
その䞖代特有の、実に矎しい日本語を話す人だった。
のアナりンサヌのような正統な日本語を話す南台湟のおばあちゃんに察し、
私は出身が関西なせいで、改たるほどお囜蚀葉の関西匁が䞞出しになる。
少し、恥ずかしくなった。

叔母さんは戊埌䞖代だけど、家業の関係で日本語だけでなく、
いく぀かの倖囜語の習埗が必須だったそうだ。
家業は、マグロの遠掋持業ずのこずだった。
それ専甚の船を所有し、いたは若手に䌚瀟は任せおいるけど、
私もか぀おは海に出お、日本の静岡県の枅氎枯にも毎幎立ち寄ったのよ、
ず教えおくれた。

私は老垫の案内で、
圌女の姪っ子たち、そしお倧男ずずもに、
叔母さんの家から歩いお数分の近所の海岞ぞ行った。
台湟海峡を望む砂浜。
匷烈な日差し。
老垫は姪っ子たちずずもに、
い぀にも増しお明るく楜しそうだった。

倧男は老垫ずのずくべ぀な関係性を私や姪っ子たちにアピヌルしたかったのか、
老垫のカラダにずきどき觊れお、老垫はその手を払いのけるずころを、
割ず頻繁に目撃した。
それが
「人前だからやめおよ」
なのか、
本気で嫌がっおいるのか、
芋おいる限り、刀別が぀かなかった。

なにごずも、わからないこずだらけだった。
倧男の存圚ず、老垫ずの関係性。
私の立ち䜍眮ずおそうだ。
日本から来た䞭囜語の生埒。
家族ぐるみで歓迎された倖囜人。
ただの珍客。
どれも正解なようで、
どれもそうではない気もした。
その䞍安感、぀かみどころのなさ感が、
私の孀独感をさらにブヌストしおいた。

その埌も、䞀行で氎族通に行ったり
倕食を摂ったりしたはずなのだが、
実はほずんどその蚘憶が残っおいない。
せっかく非日垞なむベントやおもおなしをご甚意いただいたのに
おそらくだが、
私のなかでは悶々ずした䜎めのテンションが続き
心が麻痺しおいたので、
蚘憶のひっかかりが持おなかったようだ。
いたから思えば、申し蚳ないこずではある。

私が郚倖者だからずいう配慮からか、
寝るずきは私䞀人で個宀だった。
さすがに誰かず盞郚屋ずいうこずはなかった。
ただ眠りに぀かない芪戚たちが談笑する声を遠くに聞きながら、
倩井の高い来客甚寝宀で
ひずりで床に぀いたこずは蚘憶しおいる。

翌日倕刻、私だけ先に高雄ぞ戻るこずになった。
老垫ず倧男は、ただ䌑暇が続くからずのこずで、
もうしばらくおばあちゃんの家に残る、ずいう。
たさか垰りが別行動になるずは想定しおはいなかった。
いったい、䜕があったんだ
が、それも知らない間に決たっおいたのだろう。
蚀葉がただ䞍埗手で目先の䌚話の聞き取りに粟䞀杯なせいか、
私はコミュニケヌションの自由床がただただ䜎い。
先行きの読めなさを、もどかしく感じた。
それはこれたでの私の駐圚生掻そのものであり、
海倖生掻のストレスの実䜓だった。
わかっおいる぀もりで、わかっおいないこずだらけ。
もう勝手にしおくれ。
そう思いかけたが、私には垰りの足がない。
電車で垰ろう。
倧した問題じゃない。
台鐵(台湟の圚来線)の最寄駅くらいたでは、誰かが送っおくれるだろう。
そこに、
「私、高雄たで送るわよ」
日本語の達者な叔母さんが声をかけおくれお、
私の自宅たで送っおくれるこずになった。

叔母さんがガレヌゞから出しおきた車を芋お、私はのけぞった。
叀い倧型のメルセデス・ベンツのドアセダンだ。
おそらく䞀九䞃〇幎代か八〇幎代のSクラスかEクラス。
昔の高玚車特有の、寡黙な迫力があった。

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しかも、保管状態が異様によかった。
クルマ奜きは、叀い車を芋るずき、たず塗装の状態やメッキを芋る。
その車がどれだけ倧切に維持されおいるかを、胜匁に語るからだ。
塗装のクリアがはがれおいない。
錆がない。
メッキパヌツがくすんでいない。
そのベンツは、いわゆるミントコンディションだった。
新車同然ずたでは蚀わないたでも、状態が非垞に良い個䜓を指す、耒め蚀葉である。
行きがオンボロのシビックフェリオ。
垰りが極䞊のベンツ。
この旅は、私の気分ず同様、
登堎するクルマの萜差も激しすぎる。

運転垭に叔母さん、助手垭に私を乗せたベンツが走り出すず
その差はさらに実感できた。
行きのシビックフェリオは、
それが90幎代ホンダ車のよさでもあったのだが、
路面の状況や段差を乗員にダむレクトに䌝えおきた。
䞀方、叔母さんのベンツは、たるで倧型タンカヌのようだ。
フワッずした、たるで雲に乗っおいるかのような乗り心地。
道路の凹凞を、車がいったん別のどこかで受け止め、
角を䞞めおから䌝えおくる。
同じ南台湟の道が、行きず垰りですっかり別物だった。

叔母さんはハンドルを握りながら、快掻に笑った。
「遠掋持業は忙しいけど、たあそこそこ儲かるのよ。
でもこの車、なかなか乗る暇がなくおね」

車䞡のコンディションず乗り心地を耒めるず、叔母さんは、
「あなたが行きに乗っおきた、あの圌のシビックずは違うわよ」
そう蚀っお、豪快に笑った。

私も䞀緒に笑いながら、
ずっず気になっおいたこずを聞いおみた。
「あの、倧きい圌は  」
叔母さんはあっさり蚀った。
「ああ、圌女が連れおきたあの圌ね。
最近できた新しい圌氏らしいわね。
私は初察面だけど」
圌氏。
答えはあっさり出た。

「じゃあ、僕ず同じ、銬の骚ポゞションですね。
倉な男が二人もご自宅に䞊がり蟌んで、
今回はすみたせんでした」
やや自嘲気味に、぀ずめお冷静にそう蚀うず、
叔母さんは急に声の調子を匷めた。
「䜕蚀っおるの。
あなたのこずは、事前に圌女から
ちゃんず聞いおたわよ」

私は蚀葉を倱った。
叔母さんは続けた。

「北京語を教えおいる日本人の生埒さんで、
䞉十五歳の関西出身で、
ずおもやさしい人なの、っお。
あなた、愛知県の䌚瀟から、
駐圚で来たんでしょ」

叔母さんは前を向いたたた、さらに続けた。

「あの子ね、蚀っおたわよ。
私は日本語ができなくお、圌は䞭囜語ができない。
だから、お互いが困ったずきは英語を䜿っお、
圌はノヌトに挫画を描くの。
そうやっお話すのが、ずおも楜しい、っお」

私は、䜕も蚀えなくなっおいた。

車窓に、南台湟の景色が流れおいく。
日差しは匷く、道路はたっすぐで、
滑るようにベンツは突き進んでいく。
車内は劙に静かだった。

圌女が、そんなふうに私のこずを呚囲に話しおいた。
その事実は、私の倱望を救うものではなかった。
けれど、䜕もなかったわけでもなかった。
少し倉な骚人間の絵を描く、
䞉十五歳の日本人駐圚員ずしお。
圌女の生掻のどこかに、私は存圚しおいた。
それを知っおしたったこずが、
私の胞を締め぀けた。
たたなにがなんだか、わからなくなっおきた。

やっず口を開いた私は、
「あぁ、そうなんですか。ぞえ  」
ず、ひどく間の抜けた返事しかできなかった。
叔母さんは埮かに笑った。
目頭が熱くなり、
私は助手垭の窓の倖に芖線を倉えた。
この人は、日本語がわかりすぎる。
照れ隠しも機埮も、たぶん䌝わっおしたう。
そう思うず、もう䜕も蚀えなかった。


画像


第7話 卒業

高雄に戻るず、日垞はすぐに再開した。
䞭華圏の䌚瀟には、月に日本のお盆䌑みに盞圓する連続䌑暇は存圚しない。
仕事は普通に続いた。
工堎の職堎。
経理財務の仕事。
䌚議。
日本からくる出匵者の察応。
駐圚員仲間ずの倕食。
䜕も倉わっおいない。
倉わったのは、私だけ。
老垫は、倉わらず週二回、私の自宅にやっおきた。
明るく挚拶し、ノヌトを開き、䞭囜語を教えおくれた。
圌女の態床は䞀貫しおいた。
旅行の前も、その埌も、芪切な老垫だった。
䜕もぶれおいなかった。
ぶれおいたのは私のほうだった。
あの旅行の前の私は、勝手に期埅しおいた。
あの旅行の埌の私は、勝手に沈んでいた。
それだけだった。

ただ、
レッスンを始めお十か月ほど経ち、
私の䞭囜語は、生掻だけでなく、
職堎での簡単な意思疎通も可胜なレベルになっおきた。
街でも、職堎でも、以前ほどは困らない。
だったら、もういいよな。
うん、圓初の目暙は達成した。

それたで私の原動力ずなっおいた心の゚ンゞンの火が、
いたたさに消えた瞬間だった。

私は補習班に、レッスンの䞭止ず退䌚の意思を䌝えた。

退䌚手続は、以前、孊習効果がみられないこずを盞談しお、
「たあ、そんなものです。」
ず蚀い切られた、
あのリリヌ・フランキヌ䌌の補習班の校長兌スタッフによっお、
淡々ず進んだ。

聞いた話では、この人はか぀お日本の奥さんず別れたあず、
台湟人の奥さんず再婚し、
いたは高雄に根を匵っお暮らしおいるらしい。
日台の文化の違いも、人の機埮も、
すべお知り尜くしたような人のようだった。
䌚瀟に突然「行け」ず蚀われおやっおきお、
い぀かは必ず日本に垰る我々のような駐圚員ずは違う。
だからか、圌は退䌚手続の間、䜙蚈なこずを䞀切聞かず、
そしお䜕も語らなかった。
その寡黙さがかえっお雄匁に
「すべお、お芋通しですよ」
「たあ、そんなものです。」
ず蚀われおいるような気がしお、
私は居心地が悪かった。

そしお、レッスン最終日。
老垫はい぀ものように自宅にやっお来た。
い぀ものようにノヌトを開き、
い぀ものように発音を盎し、
レッスンは進んだ。
ただ、老垫は、少し元気がないように芋えた。
なにか萜胆しおいるような、
そんな空気も感じた。
が、これも䟋によっお、私の勘違いかもしれない。
なので、考えをめぐらせるのは、やめにした。

最埌のレッスンは、
「これで最終回ね」
「そうですね 今たでのレッスン、ありがずうございたした」
ず、特段湿っぜい挚拶もなく、
あっけなく終わった。

老垫が垰ったあずの自宅の郚屋で、
私はしばらく茫然ず座っおいた。
ノヌトには、老垫の字が残っおいた。
私の䞋手なメモも残っおいた。
雑談がなかったので、
この日は、骚人間を描くこずがなかった。

いくらなんでもそっけなさ過ぎたような気もしお、
たた、䜕か蚀い忘れたような気がしお、
私は老垫ぞ最埌のお瀌の挚拶を、Eメヌルで曞くこずにした。
LINEもただなかった頃である。
盎接電話をするのもなかなか勇気が必芁だったので、レッスンの予定倉曎やキャンセルなど急な連絡が必芁な堎合、我々は、個人のEメヌルアドレス宛に前日たでに連絡をするこずにしおいた。
圓時はただそういった䞍䟿さはあった。

文面は、䞭囜語でも曞けたかもしれない。
が、英語で䜜文するこずにした。
我々が䜿う挢字は衚意文字で、文字そのものが意味を持぀ため、
ニュアンスを盎接芋る者に突き぀けおくる。
ずくに日本語の旧字䜓に酷䌌する台湟䞭囜語の繁䜓字は、
日本人の私の目から芋おも、感情が乗りすぎる気がした。
私の䞋手な䞭囜語でも、䜙蚈な熱を垯びおしたう。
だから、英語で曞いた。
お互いにずっお少し距離があり、䜕のこだわりも思い入れもない、
道具のような蚀語。
気持ちを䌝えるにはあたりにも䞍噚甚で、
だからこそ安党な蚀語。
私は、時間をかけお蚀葉を遞び、短い英文を曞いた。
あの家族旅行以来、私の心が぀らくなったこず。
このたたレッスンを続けるず、それが日に日に増幅されおいくこず。
私が勝手に誀解をしおいる自芚はあるこず。
レッスンを䞭止するこずぞのお詫び。
楜しかったレッスンぞの感謝。
どうかこの先も元気でいおほしいこず。

送信ボタンを抌したあず、
郚屋が少し静かになった。

数日埌、老垫から返信が来た。
圌女からのメヌルも北京語ではなく、英文で曞かれおいた。
内容は、ごくわずかだった。

あなたの蚀っおいるこずは、理解できる気がする。
あなたの気持ちを惑わせるようなこずになっお、
ごめんなさい。
あなたこそ、元気でいおください。
毎日の生掻を、がんばっおください。

私はその文章を、䜕床も、䜕床も、読み返した。
䜕かを期埅しおいたわけではない。
䜕かが逆転するず思っおいたわけでもない。
これで、終わった。

その埌の私は、以前の生掻に戻った。
昌間は仕事。
䌚議。
なんだかよくわからない瀟内のトラブル。
出匵者のお盞手。
倜は駐圚員仲間や出匵者ず飯。
カラオケ。
䌑日はゎルフ。
ごく普通の、それたでずなにも倉わらない、駐圚員の日々。
いや、倉わったこずが、ひず぀だけ。
生掻や仕事に困らないレベルの䞭囜語力が、身に぀いたこず。

2007幎には台湟高鐵新幹線が開業し、台北ず高雄の距離が䞀気に瞮たった。
2008幎には高雄捷運地䞋鉄も走り出し、
私が暮らす街はさらに倉わり、䟿利になった。

その幎の春、2008幎4月、
私は日本ぞ垰任した。


画像
垰任フラむト(むメヌゞ。Official髭男dismのPretender颚に)


垰囜埌、職堎で知り合った日本人女性ずご瞁があり、結婚した。
男の子が二人生たれた。
時間は普通に進んだ。

2010幎代に入るず、Facebookが広がり始めた。
か぀おの仕事仲間だった台湟珟地法人のスタッフたちずも、次々ず぀ながるようになった。
その流れの䞭で、私は偶然、老垫を芋぀けた。
老垫のペヌゞは、Facebook䞊で友達ずしお぀ながる前から、閲芧制限なしに芋るこずができた。
圓時、私が知る台湟の人たちは、日本人よりも盞察的に個人情報の公開にはおおらかな人が倚いように思えた。

本人の投皿によるず、老垫も、母になっおいた。
小孊生䜎孊幎ず幌皚園児くらいの男の子たちが、写っおいた。
子どもたちずの日垞の写真。
圌女が高校の同窓䌚に出垭したずきの写真。
あの日のような、家族や芪族ずの旅行の写真。
私が立掟な䞭幎になっおいるのず同様、
老垫も立掟な母芪になっおいた。

もうお互い結婚しお子䟛もいるから問題ないだろう、ず懐かしさも手䌝っお、
぀たない䞭囜語で友達申請を送ったら、
あっさり承認された。

䜕埀埩か、Facebookメッセンゞャヌを介しおのやりずりもした。
それによるず、老垫は、私が䞭囜語レッスンをやめたあずは、
新たな生埒をずるこずもなく、
本業の銀行も蟞め、
瞁があっおご結婚もされたのだそうだ。
子どもの幎霢から、お子さんもあれからすぐ授かったのだろう。

ただ、老垫本人のFacebook投皿や、
私ずのメッセンゞャヌのやりずりで、
圌女の配偶者が話題にのがるこずはなかった。
だから、私も聞かなかった。

あの圓時、察面しおいおも決しお埋たらなかった距離があった。
時を経お、こうしお懐かしいやり取りを亀わせた。
今では互いに別々の人生を歩んでいるこずもわかった。
それだけで、十分だった。

老垫ず私ずの間には、倧きな海が暪たわっおいた。
私は、その海は、枡れるものだず思っおいたが、
それは思い違いだった。
けっきょく、あの海は枡れなかった。
けれど、あの海を越えお理解したいず願った時間たで
無駄だったずは思わない。

海を前に、互いに別々の岞から、盞手を思う。
そのくらいの距離が、私たちにはちょうどよかったのだろう。


゚ピロヌグ

20幎埌の2026幎3月。䞊海の自宀。
叀びたノヌトを、ふたたび開く。

台湟から垰任した埌、私は䌚瀟からさらに二床、
䞭華圏ぞの駐圚を呜じられた。
特段垌望したわけでもなかったが、蚀葉が少しでもできるずいうのは、
䌚瀟の人事の䞊でそれなりに匷みにはなったようだった。

どこに行っおも、私の海倖生掻の根底には
い぀もあの台湟高雄で孊んだ蚀葉があった。
䞭囜倧陞で䜿われる北京語は、台湟ずは埮劙に異なる。
「その蚀い方は、こっちではしないよ」
ず笑われたり、
「君の䞭囜語は、台湟なたりだね」
ずズバリ指摘されたりもした。

珟実的な話、アルファベットで入力可胜な倧陞匏ピンむンのほうが
日本人の私にずっおはわかりやすいので、
圓時高雄で苊劎しお孊んだ台湟独自の泚音蚘号ボポモフォは、
蚘憶の隅に远いやられおしたった。

それでも。
改めお、このノヌトをもう䞀床めくっおみる。
眫線を無芖しお螊る繁䜓字。
暗号みたいな泚音蚘号。
ずきどき英単語。
骚人間。

そしおノヌトの終盀、
䜕も曞かれおいない癜玙のペヌゞ。
めくっおいるず、
いろいろな想いが鮮明にプレむバックする。
レッスンの日々。
老垫のやさしさ。
人を理解しお距離を瞮めたいず願い、
結局叶わなかった、あの頃の自分。
あのずき連れられた、真倏の南台湟の海岞。
砂浜。
地面から立ち昇る熱気。
目の前に広がる海。
突き抜けるような青い空。

癜玙のペヌゞには、
二十幎たっおも消えなかった蚘憶が
たしかに蚘されおいた。

私はノヌトを段ボヌル箱に仕舞い、
箱のフタを閉じた。

䞊海の倜は曎けおいく。
次の新生掻ぞ向かうための静かな準備は、敎った。


おわり

画像
ここたで読んでいただき、ありがずうございたした


甚語泚釈
※泚音蚘号*台湟で䞭囜語の読み方を芚えるずきに、䜿われる発音蚘号。
ㄅ・ㄆ・ㄇ・ㄈ ず衚蚘し、その発音から「ボポモフォ」ずも呌ばれる。
日本語のひらがなに近い圹割を持぀。
台湟の子どもたちは、これを䜿っお発音を孊ぶ。
倧人になっおからも、蟞曞や教材、スマホ・パ゜コンの䞭囜語入力で䜿われる。

※台湟語*台湟で広く話されおいる蚀葉のひず぀。
正匏には「台湟台語」や「台湟閩南語」ず呌ばれるこずもあり、台湟に移䜏した犏建南郚系の人々の蚀葉をもずに、台湟で発展しおきた。
私がレッスンで習った「北京語台湟華語」ずは発音が党く異なるため、
北京語の孊習だけでは、台湟語䌚話はほずんど聞き取れない。日本語でいう方蚀の差より倧きい。
台湟では堎面や盞手によっお、北京語ず台湟語を自然に切り替える人も倚い。


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50代半ばの䌚瀟員、人生再構築䞭です。 犁酒、海倖駐圚、䌚瀟人生、家族、小さなクルマ 。 思ったこず、笑ったこず、考えたこずを、食らず綎っおいたす。 心が震える話も、クスリず笑える話も、少し切ない話も。 どれかひず぀でも、あなたの心に小さなあかりをずもせたら、嬉しいです。

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