
創作大賞2026/応募作品「歩み」第4章:道は選んだ先に現れる
カルナレイキ(R)を学んだことで、
私の中の「感じる」という
基準は大きく変わり、
それと同時に、
当時悩んでいた人生の分岐点も、
気づけば自然と進んでいた。
カルナレイキ(R)を申し込む時に、
もう一つ気になっていたレイキがあった。
それが、
セキムセイキームレイキだった。
カルナは「慈愛」、
セキムは「愛」がテーマ。
私はなぜか、
「まず慈愛を学び、その先に愛がある」
という順番が自然に感じた。
そして、カルナレイキを学んだ後、
予定していたように
セキムセイキームレイキを受講した。
セキムセイキームレイキを学んだ時、
私の中で印象的な体験が二つある。
1つ目の体験
一つ目は、
宇宙の流れの中に入ったような体験だった。
それは、まるで大きな流れるプールに、
ゴムボートごと入ったような感覚だった。
その時、
これが「流れに身を任せる」
ということなのかもしれない
と思った。
宇宙の流れの中に入ったのだから、
「もう何も考えず、ただ任せていればいい。」
そんなふうに思っていた。
けれど実際には、
それだとゴムボートは流れに乗りながら
流されていくだけだから
目の前に障害物がでてきたら、
ぶつかってしまう。
「あれ?」
思っていたのと違う。
これじゃ、ダメ。
「オールを使って、
自分で方向性をつけないと。」
その時、初めて気づいた。
「流れに入る」ことと、
「流される」ことは違うのだ。
もう一つの体験
二つ目の体験は、
広大な砂漠の中に立っているような
感覚だった。
見渡す限り、360度どこを見ても
砂漠、砂漠、砂漠。
同じ景色が広がっている。
あっけにとられていると、
どこからともなく声が聞こえた。
「どこでも好きな道を行きなさい」
困ったなぁ。
どこを見ても同じだし、道なんかない。
ただ、砂漠が広がっているだけ。
右へ行けば何かがあるのか、
左へ行けば何かがあるのか、
何もわからない。
「どうしよう」
そう思った。
けれど、いつまでもそこに
立ち尽くしているわけにはいかない。
意を決して、一つの方向を指差した。
「私は、この道を行く」
その瞬間だった。
指差した先の砂が消え、
その下に一本の道が現れた。
その光景に驚いた。
砂の下には、すでに道があったのだ。
けれど、
その道は自分で決断した時に
初めて現れる道だった。
その時初めて、
そんな道があることを知った。
その道がどこへ続いているのかは、
まだわからない。
けれど、
歩き始めると不思議なことに、
その先に進むための道しるべが
ところどころに現れてくるのだった。