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〔講義003〕『評価基準①〜忘れ去られた名将・三浦俊也〜』[蹴球学部|社会学科]

    「名将」と聞いて、どんな監督を思い浮かべるだろうか。
    勝利を重ね、タイトルを手にし、華やかな攻撃サッカーを展開する。
    そんなイメージを持つ人が多いかもしれない。
    しかし、勝利までのプロセスが地味だったとしても、間違いなくチームを強くした監督がいる。
    三浦俊也もその一人だ。

    ■ 大宮アルディージャ 初のJ1昇格へ

    三浦俊也は2004年、大宮アルディージャの監督に就任。
    当時、チームはまだ企業色が強く、社員選手だった斉藤雅人や岡本隆吾らが主力として活躍していた。
    決して豊富な戦力を誇っていたわけではないが、三浦監督は持ち前の戦術眼とマネジメント力でチームをまとめ、2004年シーズン、クラブ史上初となるJ1昇格を達成する。
    大宮の歴史の中でも、この昇格劇は特別な瞬間だった。

    ■ 徹底した守備組織と人心掌握

    三浦監督のサッカーは、一言でいえば「堅実」。
    チーム全体で守備の約束事を共有し、組織的に動く。
    外国籍選手にも日本人選手にもハードワークを求め、若手(金澤慎・片岡洋介など)も積極的に起用した。
    当時のJ2では珍しかったローテーション起用も、選手のモチベーション管理を考えれば理にかなっていた。
    ただし、そのスタイルは華やかではない。
    むしろ、堅守速攻のような「堅実すぎる」サッカーだったため、ファンや一部のメディアから「面白くない」と揶揄されることもあった。

    ■ 他クラブでは評価されなかった功績

    札幌時代には、ギリギリながらもJ2優勝を果たし、再びJ1昇格を達成。
    当時、若手だった宮澤裕樹(現キャプテン)を丁寧に育て、いまなお札幌の中心選手として活躍している。
    しかし、札幌でも守備的なサッカーは一部から批判され、さらに神戸・甲府時代は、選手の特性と三浦監督のスタイルがかみ合わず、満足いく結果を残せなかった。

    ■ 守備の監督は、なぜ過小評価されるのか

    サッカーの世界では、攻撃的なサッカーのほうが「魅力的」「楽しい」「ファンが増える」と評価されがちだ。
    だが、攻撃が最大の防御になることもあれば、
    守備が最大の勝利条件になることもある。
    勝つために守備から入ることは、何も悪いことではないはずなのに、なぜ守備を整える監督は過小評価されるのか。
    その背景には、日本サッカーの「華やかな攻撃偏重」の文化、メディアやファンの「わかりやすいプレー至上主義」など、複雑な要素が絡んでいるのだろう。

    ■ いまこそ見直されるべき、守備の重要性

    日本サッカーが世界に近づくためには、ただ攻撃的なスタイルを追いかけるだけでは不十分だ。
    むしろ、守備組織を築き、苦しい試合でも勝ち点1を拾うことができるチームこそが、強いチームの証ではないか。
    三浦俊也は、まさにその基盤を築いた監督だった。
    もっと多くの人に、その功績を知ってもらいたい。

    【了】

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    〜人生の道標は、いつもオシムだった〜 ■ 投稿ジャンル:サッカー・哲学etc ■ 執筆スタイル:コラム・名言解説etc ■ すべて無料記事(有料記事なし) ■ 相互フォロー80% ■ シェッツェン大学設立(架空) ■ 13の学部学科(マガジン) ■ 初投稿:2025年7月4日

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