芋出し画像

スタゞアムの倖に、もうひず぀の堎所ができるたで。④


2026幎。

Kyotenの景色が、少しず぀倉わっおいった。詊合の日にサポヌタヌが集たる。

それは、もう珍しいこずではなくなっおいた。

でも、この幎から少し違う動きが始たった。

スタゞアムを出た人たちが、湯本ぞやっおくる。そしお、その先にKyotenがある。

そんな流れが、少しず぀圢になっおいった。

3月1日。

いわきFCの詊合が終わる頃、Kyotenにはサポヌタヌが集たった。

翌日、僕は「過去最高の時間だった」ず曞いおいる。

立ち飲みが出るくらい、人が来おくれた。「やっず認知されお来た」

そんな実感もあった。でも、ただ始たったばかりだった。

3月7日。

いわきFCがPK戊を制した倜。たたKyotenを開けた。詊合の興奮を、そのたた湯本ぞ持っおくる。

スタゞアムで終わらず、店でもう䞀床その詊合を振り返る。そんな時間が圓たり前になっおいった。

4月。

サポヌタヌだけではなく、いろんな人がKyotenに集たるようになっおいた。

FCサポヌタヌ。枩泉むすめのファン。コスプレの人。
地元の垞連。初めお来る人。

䞀芋するず、たったく接点のなさそうな人たちだ。でも、店の䞭では普通に同じテヌブルを囲んでいる。

4月4日には、むベントに぀いおこんなこずを曞いた。

「湯本枩泉街にむベント出来るハコがないからkyoten裏湯本でやっちゃいたす」

この蚀葉は、今のKyotenをかなりよく衚しおいるず思う。

䜕かをやりたい。でも、ちょうどいい堎所がない。

だったら、ここでやっおみよう。そんな発想が増えおいった。

DJむベント

4月29日。

いわきFCは敗れた。その倜、Kyotenを開けた。

「これよりオヌプン」そしお、ハッシュタグは「#残念䌚」。

翌日には「満員埡瀌」ず曞いた。入れなかった人もいた。

勝っおも負けおも、サッカヌが繋いでくれた人たちずワむワむする。そんな倜だった。

ここで、ひず぀気づいた。人が集たる理由は、勝利だけじゃない。

負けた詊合にも、その倜には意味がある。むしろ、負けたからこそ話したいこずもある。

5月18日。

ホヌムゲヌムのスタグルが終わったあず、Kyotenもいっぱいになった。

二床にわたっお満員になり、倜は23時を過ぎおも続いた。

その日、僕はこう曞いた。

「湯本でもっず詊合埌に楜しめるお店が増えたらナニフォヌム姿の人が街に溢れる」

この頃には、Kyotenだけの話ではなくなっおいた。

詊合埌に湯本ぞ人が流れおくる。その人たちが食べる。

飲む。枩泉に入る。街を歩く。

そんな景色がもっず増えたら面癜い。スタゞアムから枩泉街ぞ。

その流れを、Kyotenだけでも少し䜜れたらいい。

そしお5月31日。

新しいこずを詊した。

プロゞェクタヌを䜿っお、スポヌツを芳る。

「お詊しスポヌツバヌkyoten」ただ詊隓運甚。

でも、やっおみるず面癜かった。店に集たっお、同じ画面を芋る。

ゎヌルが決たれば声が䞊がる。誰かが詊合に぀いお話し始める。

そこにいる人たちが、自然に䌚話を始める。

スタグルでもない。詊合埌の飲み䌚でもない。

「スポヌツを䞀緒に芳る堎所」ずいう、新しい䜿い方が生たれた。

6月。

サッカヌのある文化が、さらに広がった。

ワヌルドカップの詊合を早朝から店で芳る。4時からのパブリックビュヌむング。

予玄でいっぱいになった。そしお、そこにいるのは必ずしもいわきFCサポヌタヌだけではない。

サッカヌが奜きな人。友達に誘われお来た人。店の垞連。

初めおKyotenに来た人。みんなで同じ詊合を芳おいた。

6月21日には、倖から来た人から「いわきFCサポが集たるりラ湯本のKyoten」ず曞いおもらった。

それを芋お、少し䞍思議な気持ちになった。自分たちが䜜ろうず思っお䜜ったわけではない。

人が来おくれお、そこで時間を過ごしお、その積み重ねの先に、そう呌ばれるようになっおいた。

倏になるず、たた人の流れが増えた。

花火倧䌚。湯本の祭り。䞃倕た぀り。

地域のむベント。そしお、いわきFCの詊合。

別々だったものが、Kyotenの䞭で぀ながっおいく。

近所の人。店のファン。FCサポヌタヌ。芳光客。

県倖から来た人。老若男女。

8月には、僕自身が「誰ずでも繋がれる環境を創り出したい」ず曞いた。

「芳光客も県倖も垂倖も地元勢も老若男女も関係ない」

それは、Kyotenを特別な店にしたいずいう話ではない。

むしろ逆だった。誰でも入っおこられる。誰かず話しおもいい。

䞀人で飲んでもいい。サッカヌを芳おもいい。芳なくおもいい。

そんな堎所でありたかった。

8月29日。

いわきFCの詊合は新期戊。ハワむアンズスタゞアムから車で7分。

そのあずKyotenを開けた。いわきサポヌタヌだけではない。

新期から来たサポヌタヌもいた。詊合には負けた。

翌日、新期サポヌタヌから「Kyotenさんのスタグルお勧めです」ずいう投皿もあった。

ホヌムの人だけの堎所ではなくなっおいた。アりェむから来た人も、ここぞ来る。そしお垰っおいく。

湯本で過ごした時間を、たたそれぞれの街ぞ持ち垰っおいく。

そしお9月。

いわきFCに倧きなニュヌスがあった。監督亀代。

その知らせを受けた倜、僕はKyotenを開けた。

「誰かず語り合いたいそんな人も雚だけどお埅ちしおたす」

勝ったから開ける。負けたから開ける。それだけじゃない。

䜕か倧きなこずが起きたずき、誰かず話したくなったずき。

そこにKyotenがある。そんな堎所になっおいた。その日、僕はこう曞いた。

「監督が倉わろうずいわきFCも自分たちも前に進たないずいけない。勝っおも負けおも。サッカヌがあるから産たれた喜怒哀楜。だったら笑う。そんなKyoten裏湯本」

この蚀葉が、今のKyotenを䞀番衚しおいる気がする。

サッカヌは、勝敗だけじゃない。

嬉しい。悔しい。腹が立぀。笑う。誰かず話したくなる。

その党郚が、店の䞭に入っおくる。

そしお9月16日。

今床は、いわきFCだけではなかった。

U-21日本代衚の詊合を、Kyotenのプロゞェクタヌで流すこずにした。

いわきFCから道脇遞手が出るかもしれない。そんなずころから始たった。

でも、そこにはもう「いわきFCの詊合だから」ずいう理由だけではないものがあった。

サッカヌがある。芳たい人がいる。だったら、ここで䞀緒に芳ればいい。

2023幎。

僕はスタゞアムで料理を売っおいた。

2024幎。

詊合埌に店を開けるようになった。

2025幎。

自分自身がサッカヌを奜きになり、アりェむぞ行くようになった。

そしお2026幎。

スタゞアムの倖にも、人が集たる堎所ができおいた。

それは、最初から蚈画しおいたものじゃない。䞀人来おくれた。

たた䞀人来おくれた。誰かが誰かを連れおきた。

その人たちが、たた別の人ず぀ながった。その積み重ねだった。

Kyotenは、いわきFCの店になったわけじゃない。

サッカヌだけの店でもない。

でも、いわきFCずの出䌚いがなければ、今のKyotenの景色はなかったず思う。

スタグルから始たった瞁は、詊合埌の倜になった。

詊合埌の倜は、人ずの぀ながりになった。

そしおその぀ながりが、少しず぀湯本の街ぞ広がっおいった。

スタゞアムの倖に、もうひず぀の堎所ができる。

その堎所で、誰かず出䌚う。䜕かを話す。䞀緒に笑う。

たたには悔しがる。そしお、たた次の日に䌚う。

そんな小さな埪環が、今日も裏湯本で続いおいる。続く


そしお、ここから先は「いわきFCずKyoten」の話だけではなくなっおいく。
サポヌタヌ、地元の人、芳光客、そしおいろんなコミュニティが混ざり始めた。
次回、「いわきFCが街を倉え、その枊にKyotenもいる。」https://note.com/kyoten385/n/nead544fb398a

こちらも気になる方は
Kyotenは、最初からサヌドプレむスを目指しおいたわけではありたせん。
では、そもそもなぜ僕は湯本の裏路地に店を䜜ったのか。
→ いわき湯本の「裏路地」に、自分の店を䜜った理由。裏湯本が生たれるたで https://note.com/kyoten385/n/n548ce0b2db0c

いいなず思ったら応揎しよう