いわき湯本の「裏路地」に、自分の店を作った理由。裏湯本が生まれるまで
裏湯本と言い始めたのは、まだ店がなかった頃
裏湯本と言い始めたのは、まだKyotenができる前のこと。
本業の Photo Studio Catalyst を動かしていた時代だ。
(Catalyst は今もちゃんと生きていて、ここが自分の原点でもある。)


湯本に引っ越してきてからの日々は、
カメラを持って街を歩くところから始まった。
まるで探検するように知らない街を歩いた。
裏路地や、見逃してしまいそうな看板。
道端に咲いた名前も知らない草花。
どこか傾いた古い建物。
誰も気に留めない景色を拾い集めるように、
静かで、でも確かに息をしている湯本を歩いた。

観光客が減った温泉街の、静かな“素の顔”
当時の湯本は、観光でにぎわうイメージとは少し違っていた。
浴衣姿の人はほとんど見えないし、
駅前の飲食店には灯りがあるが、
立立体橋を渡って三函地区へ入ると、
空気そのものがガラッと変わる。
灯りの消えたスナックの看板。
薄暗い路地に続く板塀。
気配を隠しながら歩く野良猫。
湯気だけが所々に上がっている裏路地。
観光パンフレットには絶対に載らないような。
でも、この“いなたい”感じに妙に惹かれた。
昭和の匂いが、そこにはまだ残っていた。

三函に漂う、昼と夜の二面性に惹かれて
三函地区には、いつからか理由なく惹かれていた。
夜になると、
うっすらと光る古い看板、
どこかの店から漏れるカラオケの声、
風に乗って漂ってくる焼き鳥の匂い。
昼になると、
人通りがほとんどなく、
静かで、どこか取り残されたような建物が並んでいる。
でも、その昼の寂しさと、夜の湿ったような温かさの“ギャップ”が心地よかった。
自分の好きな“裏”がここにはあった。

コロナで仕事が消えた日々と「スパサイド三函」との出会い
そしてある年、コロナが始まった。
イベント撮影がメインだった俺の仕事は、
キャンセルが続いて一気に減った。
「どうしようか…」と考えていた頃、
ずっと気になっていたアパート「スパサイド三函」に
空きテナントが出た。
直感だけで、不動産屋へ電話した。
内見して、その場で即決。
半年かけてDIYで全てを作り、
イベントがなくても仕事ができるスタジオを整えた。
この小さな裏路地に、自分の居場所を作った最初の日だ。
ふと口から出た一言──「ここ、裏湯本だな」
スタジオを構えて2年ほど経った頃、
自分の中でひとつの言葉が自然と浮かび始めた。
古い看板の灯り。
旅館の隙間から漂う湯気。
ふっと音が消えるような三函の静けさ。
その景色を見ながら、
ふと口をついて出た言葉がある。
―― 「ここ、裏湯本だな」
ただの思いつきだった。
でも本当にしっくりきた。
正面の光より裏側の温かさ。
新しいものより古いもの。
派手さより暮らしの匂い。
自分が惹かれていたのは、ずっとそっち側だった。
その日から、この辺りを“裏湯本”と呼ぶようになった。

Kyotenができて、裏湯本に“灯り”がともり始めた
まさか数年後、
本当にこの場所で店を始めるとは思っていなかった。
Kyotenができてからの毎日は、
楽しくて、刺激があって、でも苦しくて。
そんな日々の連続だ。
経験もないまま飲食店を始めたんだ。
そりゃあ悩みだらけだし、
「どうしたら来てもらえるんだ?」という壁は
今でもずっと目の前にある。
でも、
サッカーの話で酒が進む夜、
勝った日の歓声が店の外にまで漏れる夜、
負けた日の静けさに未来の話が滲む夜――
そんな時間を繰り返すうちに、
裏湯本という名前に、
すこしずつ血が通い始めた。
小さな店のチャレンジが、誰かの灯りになれば
人に知ってもらうための挑戦。
足を運んでもらうための工夫。
それが上手くいく日もあれば、全く届かない日もある。
でも、
小さな店の、小さな挑戦でも、
誰かの背中を押すことがある。
そんな場面を、この数年で何度も見てきた。
飲食店でも写真館でも関係ない。
小さなお店をやる人なら、
みんな同じ悩みを抱えている仲間だ。
俺の体験が、
誰かの笑顔になったり、
一歩踏み出すきっかけになったり、
ほんのちょっとのヒントになったら嬉しい。
ただの戯言かもしれない。
でも、何も知らずに飛び込んだ店主のリアルだ。
裏湯本は、まだ始まったばかり。
さぁ、共に戦おう。
そして乾杯の続きを、ぜひ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この話には、まだ書いていないことがあります。
なぜこの物件だったのか。
どうやって店を作ったのか。
何を考えていたのか。
そして、なぜ「Kyoten」という名前にしたのか。
その話は今後、もう少し詳しく書いてみようと思います。
