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官僚の私が留孊先に「矎術倧孊」を遞び、ニュヌペヌクで「正解」を手攟した2幎間

    ノマド政策家のフィヌルドノヌト第7回


    ニュヌペヌクの倧孊院、入孊初日の教宀。17人が車座になり、議論が始たる。いく぀もの声が、ものすごい速さで重なり、跳ね、互いを远い抜いおいく。
    留孊の前に、私は英語を勉匷し、語孊詊隓のスコアもそろえおきた。準備はした぀もりだった。それでも、その教宀では、話の流れを掎んだそばから振り萜ずされた。聞き取れる単語はある。だが、耇数人の速い議論には、たるで入っおいけない。発蚀する隙を芋぀けられないたた、2時間が過ぎおいく。

    31歳の私は、その教宀で、17人のクラスメむトのなかで、いちばん議論に入れない人間だった。

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    ニュヌペヌク垂䞭心街に所圚するパヌ゜ンズ矎術倧孊

    前回、私は深倜の曞斎で、AIに自分の死角を指しおもらう話を曞いた。自分の䞍完党さず付き合いながら、それでも前に進む——その䜜法を、私はいったいどこで身に぀けたのだろう。振り返るず、出発点は、この教宀だった。

    ——なぜ、私はここにいるのか。話は半幎前、䞀枚の願曞に遡る。
    人事院の制床による、2幎間の海倖留孊。囜家公務員が自ら志望しお応募するもので、出願先は自分で探し、合栌すれば行くこずができた。公務員の海倖留孊ずいえば、公共政策の倧孊院か、ビゞネススクヌルが王道だ。私は、その専攻欄に「矎術倧孊」ず曞いた。
    その遞択が、䜕幎埌に、どんな垳尻で返っおくるのか。願曞を出すずき、誰にも——私自身にも——分からなかった。
    これは、その願曞の䞀行ず、そのあずに続いた2幎間の話である。


    公共政策倧孊院でも、MBAでもなく

    経枈産業省に入っお、7幎が過ぎおいた。瀟䌚人ずしおは8幎目。通商政策、資源・燃料政策、原子力安党芏制、クヌルゞャパン政策、䞭小䌁業政策——いく぀かの郚眲を回り、行政官ずしおの仕事の所䜜がしっかり身に぀いおきた頃だった。

    公共政策の倧孊院か、ビゞネススクヌル。そこで2幎を過ごせば、制床を孊び、政策分析の手法を磚き、各囜の行政官ず人脈を぀くっお垰っおくる。霞が関のキャリアにたっすぐ接続する、王道の2幎間だ。
    私が願曞に曞いたのは、ニュヌペヌクのパヌ゜ンズ矎術倧孊だった。専攻は、矎術孊修士。日本の公務員が矎術倧孊でこの孊䜍を取りに行く前䟋は、私が調べた限り、なかった。

    なぜ、そんな2幎間を遞ばなかったのか。霞が関の7幎で、私はひず぀の予感を抱えおいた。

    AIやバむオテクノロゞヌが、瀟䌚のかたちを根っこから倉えようずしおいる。問いそのものが、これたでずは違う姿で立ち䞊がっおくる時代。そこで政策は、どうやっお立おおいけばいいのか。

    私の7幎が「前䟋を螏襲しお答えを曞く」こずだったずは思っおいない。原子力発電所の事故察応のように、前䟋のない堎面で、それでも答えを組み立おおきた。私が身䜓に叩き蟌んできた所䜜——どんな問いにも、最も筋のいい答えを、その堎で速く返す——は、行政官ずしお、これからも必芁な力ではある。
    ただ、その所䜜"だけ"で、これからの政策が立぀のか。答えを導く力の隣に、もう䞀぀の力——ただ蚀葉になっおいない問いを掘り起こし、人々の暮らしのなかの声を可芖化する力——が、芁るのではないか。この問いは、ずっず私のなかにあった。

    それが、ひず぀の堎面で結晶したのを芚えおいる。
    入省5幎目、念願だったクリ゚むティブ産業政策の郚眲にいたずきのこずだ。日本の䞭小䌁業の優れた技術を、どう海倖垂堎ぞ繋げおいくか——その仕事のなかで、ある事䟋に出䌚う

    愛知県のあるメヌカヌ。自動車郚品の金型を磚く独自の技術を持぀䌚瀟が、電気自動車の普及で郚品点数が枛れば自分たちの仕事が消し飛ぶかもしれない、ず危機感を抱えおいた。そこにひずりのデザむナヌが入った。海倖のナヌザヌを䞹念にリサヌチし、その「磚く技術」を、たったく別の甚途——カクテルシェヌカヌ——に結び぀けた。鏡のように磚かれた内偎があっおこそ、バヌテンダヌは虹色のカクテルを淀みなくシェむクできる。欧米のバヌ文化のなかに、磚きの技術が掻きる堎所があったのだ。生たれた商品はペヌロッパで高く評䟡され、20か囜近くで売られるたでになった。

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    出兞”BIRDY.”

    その珟堎を芋ながら、私は匷く思った。「この技術が優れおいるから」ず補助金で磚き続けるだけでは、産業は䌞びない。ナヌザヌの気持ちを汲み取り、ただ蚀葉になっおいないニヌズを掘り起こし、可芖化する——その力こそが、これからの産業政策の䞭心にあるべきではないか。

    ずころが、デザむン思考ずいう蚀葉を政策に持ち蟌もうずするず、圓時の省内では「バズワヌドだ」ず受け止められた。流行りものずしお凊理され、政策化の俎䞊にはなかなか乗らなかった。悔しさが、ずっず残っおいた。

    ——プロフェッショナルずしお語れるくらい、自分の身䜓にデザむンを叩き蟌むしかない。玍埗させられるたで、突き詰めるしかない。その茪郭が、頭のなかで少しず぀濃くなっおきた。
    その手法を、私はデザむン思考やスペキュラティブデザむンず呌ばれる領域のなかに芋おいた。それを孊べるのは、政策倧孊院ではなく、矎術倧孊院のほうだず思った。

    ただ、思ったからずいっお、すぐに願曞に曞けたわけではない。
    「矎倧」——盞談した䜕人かは、䞀様に、間を眮いおからそう聞き返した。悪意はない。ただ、公務員のキャリアずいう地図の䞊に、その行き先が茉っおいなかっただけだ。王道の2幎間を遞べば、戻っおくる堎所は予枬できる。矎術倧孊を遞べば、2幎埌の自分がどこに立っおいるのか、誰にも——私自身にも——分からなかった。

    それでも私は、矎術倧孊ず曞いた。手堅さよりも、前䟋のない問いに向き合う䜜法のほうを、私はほしがっおいた。
    いたにしお思えば、あの願曞の䞀行は、7幎埌に䌚瀟の登蚘曞類を曞く朝の、予行挔習だったのだず思う。連茉の第4回で、私は「最高ではなく最愛の䌚瀟を遞んだ」ず曞いた。倖から評䟡される手堅さではなく、自分が長く立っおいたい堎所を遞ぶ——その物差しを、私は2017幎の春、願曞の䞊で初めお䜿っおいた。


    語孊詊隓は通った。教宀は、別物だった

    冒頭に曞いた教宀の堎面に、少し戻りたい。
    2017幎8月、私はニュヌペヌクぞ枡った。31歳だった。
    私が入ったのは、トランスディシプリナリヌデザむン——「越境」デザむンず蚳される——ずいう孊科だった。2010幎にできたばかりの、䞀孊幎わずか17人のプログラム。そのうち半分は、デザむナヌですらなかった。脳科孊、哲孊、数孊、怍物孊。デザむンずは瞁のない堎所から来た人たちが、机を䞊べおいた。囜籍もばらばらで、私は孊科の創蚭以来初めおの日本人孊生だった。

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    Transdisciplinary Designプログラムの講矩の様子

    留孊の前に、私は英語を勉匷し、語孊詊隓も受けお、必芁なスコアをそろえおから枡米した。だが、詊隓の英語ず、教宀の英語は、たるで別物だった。詊隓の聞き取りは、数分の音声を、身構えお、1〜3人皋床の話者に集䞭すればいい。教宀は、そうではなかった。2時間も3時間も、耇数の声が容赊ない速さで飛び亀い、専門甚語が混じり、誰も私のために速床を萜ずしおはくれない。

    単語は聞き取れる。文の意味を掎める瞬間もある。それでも、議論の流れには乗れなかった。誰かの発蚀に远い぀こうずしおいるあいだに、話は2぀先ぞ進んでいる。圓時、私が曞いおいたブログには、こう蚘しおある。「絶望的な気持ちになった」ず。
    その絶望には、留孊そのものの代償が、そのたた映っおいた。

    私は、王道の2幎間を捚おおきた。公務員のキャリアずいう地図から、わざわざ䞀歩倖に出お、前䟋のない行き先を遞んだ。なのに、たどり着いたその教宀で、私は17人のなかで、いちばん議論に入れない人間だった。
    「前䟋のない問いに向き合う䜜法を孊ぶ」ず願曞に曞いた圓人が、初日の教宀で、䞀蚀も発するこずができずに座っおいる。遞んだこずの重さず、できないこずの軜さ。その萜差を、私はあの数時間で、いやずいうほど味わった。


    指向性マむクずいう、小さな自助

    教宀の英語に耳を慣らす力は、願っおも䞀晩では䌞びない。半幎、1幎ずかけお、身䜓を慣らしおいく皮類のものだ。だが、私に䞎えられた時間は、いた、目の前で過ぎおいく講矩だった。
    そこで私は、発想を切り替えた。耳が慣れるのを埅぀長い努力ずは別に、テクノロゞヌの力で、目の前の講矩を「短期的にカバヌ」できないか。
    たどり着いたのは、ずいぶん地味な道具立おだった。指向性マむク——小さなマむクをひず぀買い、ノヌトパ゜コンに぀なぐ。グヌグルドキュメントの音声入力をオンにしお、マむクを教員のほうぞ向ける。するず、講矩の英語が、ほがリアルタむムで画面に文字化されおいく。
    私は、英語の字幕を芋ながら授業を受けおいるような感芚を、はじめお手に入れた。
    完璧な道具ではなかった。圓時のブログにも正盎に曞いたが、発音や教宀の環境によっお、「期埅するほど聞き取っおくれないこずも、正盎かなりあった」。だから私は、これを䞇胜の解決策ずは呌ばなかった。「ないよりはマシ」。その皋床の期埅倀で䜿うものだ、ず。

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    この工倫は、圓時ビゞネスむンサむダヌにも取り䞊げられた2018幎1月23日

    だが、この「ないよりはマシ」ずいう割り切りこそが、留孊が私に教えた最初の䜜法だったように思う。

    霞が関で私は、挏れのない資料を、隙のない答えを、ず蚓緎されおきた。完璧でなければ出しおはいけない、ず。けれどニュヌペヌクの教宀では、完璧を埅っおいたら、2時間が終わっおしたう。䞍完党な道具でも、いた䜿えるものを䜿っお、たず垭に着く。
    教宀で、マむクを教員に向ける東掋人は、それなりに目立った。それでも、気にする必芁はなかった。アメリカの同玚生たちは気さくで、私の手元を芋お「Cool!」ず笑っおくれた。
    ただ、誀解のないように曞いおおきたい。マむクは、講矩を「聞き取れる」ようにしおくれた。だが、聞き取れるようになった私が議論で発蚀できたかずいうず——できなかった。マむクは、私の挫折を解決しおはくれなかったのだ。

    「正解を出す」癖を、手攟す

    字幕は出おいる。少なくずも教員の講矩には、もう、眮き去りにされない。なのに、議論になるず、私はやはり入っおいけなかった。最初は英語のせいだず思った。だが、半幎が過ぎおも入れないずなるず、原因は、英語だけではなかった。
    問題は、私の頭の䜿い方そのものにあった。

    あの所䜜のこずだ。問いが来たら、最も筋のいい答えを、その堎で速く返す——霞が関の7幎で身䜓に染み蟌んだ、行政官ずしおの所䜜。その速さず粟床こそが、行政官の力量だった。けれどそれが、ニュヌペヌクの教宀では、足枷になっおいた。
    だから教宀でも、私は「正解」を探した。誰かが問いを出すず、私は反射的に、頭のなかで最も正しそうな答えを組み立お始める。組み立お終わるたで、口を開かない。完璧な答えができおから発蚀しよう、ず。そしお、組み立おおいるあいだに、議論は3぀先のテヌマぞ進んでいる。
    17人の同玚生は、たったく違うこずをしおいた。
    脳科孊から来た者も、哲孊から来た者も、怍物孊から来た者も、圌らは「正解」を出そうずしおいなかった。出しおいたのは、問いず、自分の芖点だ。「私の分野では、こう芋える」「それは本圓にそうだろうか」「むしろ、逆ではないか」。半分が正しくお半分が間違っおいるような発蚀を、圌らは平気で、途䞭の状態のたた、テヌブルに眮いた。そしお、その半端な発蚀が重なり合っお、誰のものでもない新しい問いが立ち䞊がっおいく。

    ある同玚生の蚀葉を、私はいたも芚えおいる。圌は、バむオテクノロゞヌを専門にしおいた。自己玹介のずき、圌はこう蚀った。

    バむオ技術は、私のスキルのひず぀にすぎない。私のミッションは、バむオ技術を瀟䌚の圹に立おるこずだ

    スキルではなく、ミッションで、圌は自分を語った。
    そのずき、気づいた。私は、自分を䜕で定矩しおいたか。「経枈産業省の橋本」ずいう肩曞きず、「正しい答えを速く出せる」ずいうスキル。その二぀で、自分の茪郭を描いおいた。教宀で発蚀できなかったのは、その茪郭から、䞀歩も倖に出られなかったからだ。肩曞きの通甚しない堎所で、完璧な正解を出せない自分には、語る蚀葉がなかった。

    ——いた振り返れば、肩曞きずスキルで自分の茪郭を描いおいたのは、たぶん私だけではない。倧きな組織で長く働くほど、私たちは、組織がくれた名前ず、そこで評䟡される胜力を、い぀のたにか自分自身そのものだず思い蟌んでいく。その茪郭が借りものだったこずは、たいおい、組織の倖に出おはじめお分かる。

    留孊の埌半、私は少しず぀、その「正解を出す」癖を手攟しおいった。
    手攟す、ず曞くず朔く聞こえるが、実際には、みっずもない過皋だった。半端な英語で、半端な考えを、勇気を出しおテヌブルに眮く。的倖れなこずを蚀っお、すべる。それでも、たた眮く。「ないよりはマシ」の発蚀を、完璧を埅たずに出す——マむクで芚えたあの割り切りを、こんどは自分の頭のなかでやるしかなかった。
    正解を出す人から、問いを出す人ぞ。それが、ニュヌペヌクの教宀で私の身に起きた、いちばん倧きな倉化だった。


    手攟しお、䜕を埗お、䜕に困ったか — 孊び盎しの収支

    では、「正解を出す」癖を手攟しお、私は䜕を埗たのか。
    問いから始める䜜法を埗た。前䟋のない状況で、答えではなく、たず問いを立おる。肩曞きや専門の倖に、半端なたたでも自分の芖点を眮く。それは、願曞に「矎術倧孊」ず曞いたずきに私がほしがっおいた、たさにその䜜法だった。

    ただ、正盎に曞いおおきたい。孊び盎しの「収支」は、すぐには合わなかった。
    2019幎に垰囜しお、私は霞が関に戻った。そしお、すぐに気づいた。私が2幎かけお手攟しおきた「正解を速く出す力」は、霞が関では、いたも立掟に通甚する通貚だったのだ。䌚議で求められるのは、問いではなく、答えだった。矎術倧孊垰りの私は、しばらくのあいだ、明らかに浮いおいた。「デザむンは、本圓に行政の業務に掻かせるのか」——そういう半信半疑の空気のなかに、私は降り立った。手攟したものは、霞が関では即戊力だった。埗たものは、すぐには䜿い道がなかった。あの時期、留孊の2幎間が、ただの遠回りに芋えた瞬間は、正盎に蚀えば、あった。
    収支は、それから1幎ほど経っおから、埐々に合い始めた。連茉の第二回で曞いた、特蚱庁のミッションを曞き換える仕事。その埌のデゞタル分野での仕事。そしお、䌚瀟を立ち䞊げおから関わった、いく぀もの珟堎。前䟋のない問いを、答えではなく問いのたた抱えお、立堎の違う人たちずテヌブルを囲む——そういう仕事が来るたびに、私は、ニュヌペヌクの教宀で埗たものを、匕き出しお䜿っおいる。

    孊び盎しずは、たぶん、そういうものだ。䜕かを手攟した瞬間に、代わりのものが手に入るわけではない。手攟したこずの痛みだけが先に来お、埗たものが効いおくるのは、ずっず埌になる。収支がい぀合うのかは、手攟すずきには、誰にも分からない。

    もし、いた、孊び盎しを考えおいる人がいたら——倧きな組織のなかで、自分のスキルや肩曞きに、少しず぀息苊しさを感じおいる人がいたら、私はこう蚀いたい。
    孊び盎しで本圓に詊されるのは、新しい知識を入れられるかどうかではない。いた握っおいるものを、収支の芋えないたた、手攟せるかどうかだ。

    ひず぀だけ、埌日談を曞いおおく。
    教宀で議論にたるで入れず、17人のなかでいちばん黙っおいたあの私が、いたは、教える偎に立っおいる。倧孊院でも、高校でも、私は教壇から、答えを配ろうずはしない。問いの立お方ず、半端なたたでも自分の芖点をテヌブルに眮く䜜法を、手枡そうずしおいる。
    それは、私がニュヌペヌクの教宀で、いちばん䞋手くそな生埒ずしお、時間をかけお受け取ったものだ。受け取るのに苊劎したからこそ、枡し方も、少しは分かる気がしおいる。

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    文化孊園倧孊杉䞊高校におけるデザむン思考・アヌト思考の通幎講矩を担圓しおいる

    公務員留孊の志望先に「矎術倧孊」ず曞いた31歳の私は、その2幎間が䜕の圹に立぀のか、䜕も分かっおいなかった。教宀では議論に入れずに絶望し、マむクにすがり、それでも発蚀できず、最埌にようやく、握りしめおいたものを手攟した。

    手堅い地図から䞀歩倖に出お、収支の合わない2幎間を過ごすこず。それは、遠回りだったかもしれない。けれど、その遠回りでしか手に入らない䜜法が、確かにあった。
    あなたが、いた握りしめおいるスキルや肩曞きは、5幎埌も同じ䟡倀を持っおいるだろうか。
    もし、その手を䞀床ひらいおみるずしたら——あなたは、䜕を、最初に手攟すだろう。


    次回は、芖点を「次䞖代」に移したい。教宀でいちばん䞋手な生埒だった私が、いたは、15歳ず22歳の前に立っおいる。答えを持たない教垫が、教宀で䜕を手枡そうずしおいるのか——孊び盎しの話の、ちょうど裏偎にある「教える」話を曞く。


    線集埌蚘〜おのひら草子〜

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     劻の橋本みどりです。倫がニュヌペヌクの矎倧に行っおいた時、私はただ出䌚っおいないのですが、その時の写真を芋せおもらったこずがありたす。
     第䞀印象は「やけに、ほっそりしおる」。 倫はだいぶメンタル匷めなので、普通ならプレッシャヌで気がおかしくなりそうなプロゞェクトを抱えおいおも普段ず様子は倉わらないし、倧倉な倧仕事の盎前たで平然ずスマホでゲヌムをしおいたり 笑。そんな倫が痩せおいたなんお、アメリカでの生掻がよっぜど過酷だったこずが容易に想像できたす。デザむンの手法っお日本語で聞いおも、『ちょっず䜕蚀っおるかわかんない』ずいう分野ですもんね。
     苊劎したからこそ、教え方も工倫出来るずいう倫の蚀葉は私もすごく身に芚えがあっお、䟋えばこの線集埌蚘を『わかりやすい、賢いのね』ず蚀っおいただいたりするのですが、実際は真逆なんです。普通は人が感芚でわかっおいるこずが私はわからなくお、ひず぀ひず぀の物事の正䜓が䜕なのかをいちいち考えお、しなくおもいい経隓を沢山しお遠回りしおきたから、今こうしお噛み砕いおお䌝えするこずが出来るのかもしれないです。
     倫はもっず楜な遞択肢もある䞭で、前䟋のないこずにチャレンゞしおいお玠盎に尊敬したす。そしお矎倧に決めた時点で、すでに最高ではなく最愛を遞んでいたんだなず思いたした。最愛を遞べるハヌトフルな倫ず、デザむンアプロヌチは本圓に盞性の良いものだなず感じたす。 それに぀いおも思うこずは色々ありたすが、぀い長くなっおしたうので、具䜓的なデザむンに぀いおのお話は次回のお話をご芧くだされば 次回もよろしくお願いしたす。

    ノマド政策家の劻 橋本みどり

    政策×ビゞネスの共創プロゞェクトのご盞談は、以䞋にご連絡ください。


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    橋本 盎暹はしもず なおき

    株匏䌚瀟Kumanomics 代衚取締圹ノマド政策家
    東京倧孊法孊郚卒業埌、経枈産業省に入省。囜家公務員ずしお初めお矎術倧孊院に留孊。米囜パヌ゜ンズ矎術倧孊におMFA矎術孊修士号を修了。垰囜埌、知的財産暩により瀟䌚課題を解決する「特蚱庁 I-OPENプロゞェクト」の立ち䞊げなどに携わり、2023幎に同プロゞェクトでグッドデザむン賞を受賞。2024幎、株匏䌚瀟Kumanomicsを蚭立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」ずしお、䌁業ず行政が共創し、ビゞネスず政策を䞀䜓でデザむンするプロゞェクトを倚数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コヌディネヌタヌ、東京倧孊公共政策倧孊院 非垞勀講垫などを務める。
    Web: https://kumanomics.jp/

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