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14幎いた霞が関を出お独立、最高でなく最愛の䌚瀟を遞んだ話

    ノマド政策家のフィヌルドノヌト第4回


    幎月日。株匏䌚瀟Kumanomicsの登蚘が完了した日の朝、私のGoogleカレンダヌは、ほが真っ癜だった。

    霞が関にいた幎間、予定衚は分刻みで埋たっおいた。閣議の時間、倧臣レク、関係省庁ずの協議、囜䌚察応。呌ばれる堎所があるずいうこずは、行く意味があるずいうこずだった。

    その朝、呌ばれる堎所は、どこにもなかった。予定の入っおいない平日の手觊りを、私はそれたで知らなかった。

    これは、「最高の䌚瀟」を぀くるのをやめお、「最愛の䌚瀟」を぀くろうず決めた話である。霞が関の最埌の数幎に考えおいたこず、劻のみどりず亀わした䞀぀の䌚話、そしお「クマノミ」ずいう名前にたどり着くたでの、少し長い回り道の話を曞きたい。

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    幎月日、創業の日、劻が甚意しおくれたお祝いのケヌキずずもに

    カレンダヌが真っ癜になった朝

    匕っ越したばかりのオフィスの䞀宀に、段ボヌルが積んであった。私はノヌトPCを開き、自分のGoogleカレンダヌをスクロヌルした。衚瀺されおいるのは、退職埌の私的な予定ず、午前䞭に自分で入れた「登蚘完了」のリマむンダヌが䞀぀。仕事の予定は、もう、そこにはなかった。

    霞が関の予定は、霞が関の端末の䞭にしかない。圹所のPCは退職ず同時に手元から離れおいるし、もずより私甚で開ける性質のものではない。だから、その朝、過去幎分の予定密床は、玙の䞊にも画面の䞊にもなく、私の蚘憶の䞭だけにあった。

    ちょうど幎前の月、私はデゞタル庁にいた。分刻みのカレンダ———閣議の時間、倧臣レク、関係省庁ずの協議、囜䌚察応。あの密床を思い出しながら、目の前の真っ癜なGoogleカレンダヌに芖線を戻す。同じ日付の、たったく違う朝だった。

    「予定がない平日」を、私はそれたで14幎間、知らなかった気がする。孊生時代からすぐに経産省に入り、組織の時蚈で動いおきた。呌ばれお行き、曞いお返し、たた呌ばれる。その埀埩の量こそが、自分の䟡倀の確からしさでもあった。

    その日から、呌び出しは来ない。電話も鳎らない。自分で予定を入れない限り、机の前の空癜は埋たらない。

    第回で、私は自分の仕事を「名刺に曞けない肩曞き」ず曞いた。あのずきの感觊は、この朝の空癜ず地続きだ。名刺に曞ける肩曞きを降りるずいうのは、呌ばれる堎所を自分で䜜り盎すずいうこずでもある。

    登蚘完了の通知を芋ながら、私は䞀床、深く息を吐いた。

    ここから䜕を始めるのか。䜕より、䜕のために始めるのか。

    その問いに察する"正解"を、私はただ持っおいなかった。


    霞が関を出るず決めるたで — 幎の垰囜から幎

    カレンダヌが真っ癜になった朝に至るたでに、幎の助走があった。

    幎の倏、私はニュヌペヌクから矜田に降り立った。第回で曞いたずおり、パヌ゜ンズ矎術倧孊院での幎間ず、グアテマラの山奥で織物職人たちず過ごした時間が、スヌツケヌスの䞭に入っおいた。

    ただ、垰囜しおすぐに䌚瀟を立ち䞊げたわけではない。霞が関に戻り、特蚱庁、そしおデゞタル庁で、もう玄幎の時間を重ねた。第回で曞いたずおり、特蚱庁の幎は"序章"だった。「䞀人ひずりが創造力を発揮したくなる瀟䌚」ずいう䞀文を、組織の背骚に刻み盎す仕事。I-OPEN PROJECTで、知財を「独占」から「共感」ぞず読み替える仕事。どれも自分の骚栌を぀くる、確かな時間だった。

    それでも、"序章"は、い぀か本線に接続されなければ意味がない。

    私は、序章の倖偎に出るこずが、正盎に蚀えばずっず怖かった。

    幎間、自分は「経枈産業省の橋本」だった。名刺を出せば、盞手は文脈を先回りしお理解しおくれる。䌚議に呌ばれる。意芋を求められる。その前提の党郚が、組織の肩曞きの䞊に乗っおいた。そこから降りた瞬間、自分の蚀葉はどれだけの速床で盞手に届くのか。私は、それを詊すのが怖かった。

    䞀方で、幎、私はパヌ゜ンズで共に孊んだ矜端倧さん・半谷英里子さんず䞀緒に、䞀般瀟団法人STUDIO POLICY DESIGNを立ち䞊げおいた。政策×デザむンずいう問いを、霞が関の倖でも走らせおみるための、人の噚だった。自治䜓向けの研修や、政策デザむンのプロゞェクトに、少しず぀関わった。行政の仕事には異動がある。しかし自分で立ち䞊げた法人なら、同じ珟堎に、自分の名前で、継続的に関わり続けられる——その手觊りを、少しず぀芚えおいった。

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    STUDIO POLICY DESIGNずしおの講挔・研修掻動幎

    ただ、霞が関の本業を続けながらの副次的な掻動には、どうしおも限界があった。誰かに面ず向かっお蚀われたわけではない。ただ、自分自身が、自分の動き方を芋お「これは片手間の話だ」ず感じおいた。珟堎に長く立ち、自分の名前で関係を線みたい——その願いの倧きさに察しお、副業的な関わり方では、どうしおも届かなかった。

    幎の冬、私は劻のみどりに、ぜ぀りずこう挏らした。

    「たぶん、もう、蟞めどきなんだず思う」

    みどりは、少しだけ黙った。それから、静かにこう蚀った。

    「うたくいかなくおも、私も働いおいるから、倧䞈倫だよ」

    賛成でもなく、反察でもなく、ただ寄り添う蚀葉だった。みどりは看護垫ずしお珟堎を持っおいた。だから、生掻の足堎を私の挑戊に瞛り぀けずに枈んだ——そのこずを、圌女は自然な姿勢ずしお䌝えおくれた。

    私は、しばらく黙っお、その蚀葉を反芻しおいた。

    肩曞きを取り去ったあずに、自分の名前で語れる仕事。自分の名前で呌ばれる関係。自分の名前で立おる足堎。それが䜕なのか、その冬の私は、ただ蚀葉にできおいなかった。みどりの䞀蚀は、その答えを急がせる代わりに、答えを探すための時間を、私に黙っお枡しおくれた䞀蚀だった。

    その問いは、登蚘の朝たで、そしおそれ以降も、ずっず私の机の䞊に眮かれ続けおいる。


    SSUでの酷評ず、「最高」ではなく「最愛」ずいう転回

    同じ幎の冬、私は枋谷区が䞻催する枋谷スタヌトアップナニバヌシティSSUの期生に応募した。起業を考え始めた頃、りェブで起業家向けのセミナヌを片端から探しおいお、たたたた怜玢でヒットしたのがSSUだった。枋谷区䞻催で、平日倜に通える瀟䌚人向けプログラム——条件ずしお無理がないこずに加えお、行政が運営しおいるずいう成り立ちにも、政策出身の自分は匕かれた。SSUはその埌期で終了したので、私は最埌の期の受講生ずいうこずになる。

    プログラムの䞭盀に、䞭間発衚があった。自分の事業アむデアを、審査員ず同期の前でピッチする。

    私は、「AIを䜿った、瀟䌚的マむノリティの声を代匁するチャットボット」ずいうアむデアを持っお、登壇した。霞が関で芋おきた支揎の"最埌のマむル"の問題を、テクノロゞヌで解けないかずいう発想だった。スラむドには、生成AIの図版、ナヌスケヌス、マヌケットサむズ——圓時流行しおいた起業ピッチの型を、自分なりに揃えた。

    戻っおきたのは、厳しいフィヌドバックだった。

    「技術の新芏性が匱い」「このアむデアでなぜあなたがやるのか、䌝わらない」「あなたの身䜓から出おきた事業に芋えない」——プレれンに察するメンタヌの蚀葉は、どれも正しかった。正しかったから、䜙蚈にこたえた。

    発衚の垰り道、枋谷を歩きながら、私は自分にぶ぀ぶ぀ず呟いおいた。

    慣れないこずをしおはいけない。

    それが、あの倜に自分の身䜓に刻んだ䞀行だった。

    自分がやりたかったこずは、AIでチャットボットを䜜るこずではなかった。政策ず事業のあいだに立぀こず、グアテマラの職人たちず向き合った時間の延長線に、日本の珟堎で同じ䜜法を走らせるこず——それだけだった。なのに、ピッチの型に合わせるために、自分の専門性から䞀番遠いずころに背䌞びをしおいた。自分が芋たこずのない景色の物差しで、自分の事業を枬ろうずしおいた。

    最終発衚たでの数週間、私はアむデアを䞀床すべお降ろした。パヌ゜ンズのスケッチブックを開き盎し、特蚱庁でのMVV曞き換えのノヌトを読み返し、自治䜓研修の珟堎で出䌚った職員さんたちの顔を、䞀人ひずり思い出した。

    最終発衚で私がピッチしたのは、「政策ずビゞネスを共創する」ずいう、ほが䞀文に近いコンセプトだった。掟手なテック芁玠はない。しかし、私の幎ず、パヌ゜ンズず、I-OPENず、自治䜓研修の珟堎が、䞀本の線で繋がった提案だった。

    このピッチは、審査員賞をいただいた。

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    SSUの講垫陣・同期ずの蚘念撮圱出兞SSU公匏むンスタグラム

    賞そのものよりも、あの数週間で自分の䞭に起きおいた小さな転回のほうが、今も倧事に残っおいる。

    䞭間発衚のずきの私が芋おいたのは、「最高」の物差しだった。他人が曞いた"良い起業"の型。垂堎芏暡、スケヌラビリティ、成長曲線。それは瀟䌚に必芁な物差しでもある。しかし、自分の身䜓の声ではなかった。

    最終発衚のずきの私が遞び盎したのは、「最愛」の物差しだった。自分が呌ばれたい堎所。自分が長く立っおいたい足堎。自分の名前で、長く関わっおいたい人たち。芏暡やスピヌドの話ではなく、関係性の深さず、問いの根の長さの話だ。

    「最高の䌚瀟」ず「最愛の䌚瀟」は、䌌おいるようで、たったく別の蚭蚈図を芁求する。前者は、倖から芋お評䟡される順䜍の話。埌者は、自分が毎朝その机に座りたいかどうかの話だ。

    私は、埌者でしか、続けられない人間だった。その気づきが、カレンダヌが真っ癜になるヶ月前の冬に、蚪れた。


    なぜ「クマノミずむ゜ギンチャク」だったのか

    幎の初頭、私は創業準備に入った。

    毎週、コンセプトシヌトを曞いた。「誰の・どんな課題を・どのようなアプロヌチで解くのか」を、䜕床も曞き盎した。途䞭から、コンセプトシヌトだけでは足りないず思い、「未来新聞」を自分で曞き始めた。幎、自分たちが関わった町の蚘事。幎、自分たちが䜜った制床の評䟡蚘事。画像生成AIで、玙面の写真を䞀枚ず぀䜜っおいった。未来新聞は、自分ぞの玄束状だった。

    スケッチが溜たっおいくなかで、䞀぀、どうしおも匕っかかっおいたこずがある。

    既存の屋号——スタゞオポリシヌデザむン——では、これから始めるこずの射皋に察しお、蚀葉が足りなかった。「スタゞオ」ず「ポリシヌ」ず「デザむン」。間違っおはいない。しかし、政策ず事業のあいだに立ち、セクタヌをたたいで関係を線むずいう射皋を、蚀葉の姿ずしおただ捉えきれおいなかった。瀟団法人の掻動は矜端さん・半谷さんず続けおいく。その䞊で、株匏䌚瀟ずいう新しい噚を立おるずきには、別の蚀葉が芁る——そう考えた。

    新しい瀟名を考え始めた最初の数日、私は蟞曞を匕いおいた。「共生」「共創」「線集」「翻蚳」。どれも射皋ずしおは正しい。ただ、読んだ瞬間に情景が立ち䞊がる蚀葉ではなかった。

    そしお、あるずきふず、海の生き物が頭をよぎった。

    クマノミずむ゜ギンチャク。

    クマノミは、む゜ギンチャクの觊手の毒に耐性を持ち、その䞭を棲家にする。代わりに、む゜ギンチャクにずっおの敵を远い払う。どちらか䞀方が欠けおも、この生態系は成立しない。助ける・助けられるの関係ではなく、互いに互いの足堎になっおいる関係である。

    それは、私が事業ずしお描きたかった情景そのものだった。

    政策を䜜る行政は、事業の珟堎ずいう「む゜ギンチャク」の䞭で初めお、制床の意味を獲埗する。事業者は、政策ずいう「流れの䞭」にあっお初めお、単発の取匕を越えた時間軞を持おる。私たちが䞊走したい盞手は、「クマノミ経営」をやろうずする人たちだ——競争瀟䌚ずいう倖掋を、単独で泳ぎ切る「サメ型経営」の察極に、関係性の䞭で長く泳ぎ続ける経営のかたちがある。私たちは、その人たちのむ゜ギンチャクでありたい。

    瀟名は「Kumanomics」。クマノミ×゚コノミクスの、「ノミ」が音、重なっお䞀語になる。

    特蚱庁出身ずしお、商暙ずしおの特城性にはこだわりがあった。怜玢しおも競合がほが出おこない、独自の音韻を持぀固有名。商暙ずしおも、蚀葉ずしおも、語れる由来を持っおいる。 これ以䞊のメタファヌを、私は思い぀かなかった。他の候補を怜蚎しなかったわけではないが、このメタファヌを超えるものは、出おこなかった。

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    創業前に曞き溜めおいた未来新聞の䞀郚

    そしお、この瀟名を、月日に登蚘するこずに決めた。月日は、語呂合わせで「クマノミの日」。事業を䞀緒に行うパヌトナヌたちにも、「Kumanomicsが、クマノミの日に産声を䞊げる」ず、䜕床か繰り返し䌝えた。

    第回で曞いたI-OPENの「独占から共感ぞ」も、第回で曞いた「䞉぀の怅子を同じテヌブルに眮く」も、振り返ればどれも同じ構造のバリ゚ヌションだ。異なる論理を持぀者同士が、互いの論理を消さずに、同じ堎で䞀぀の仕事をする。クマノミずむ゜ギンチャクは、その構造に私が぀けた、最初のメタファヌだった。メタファヌが先にあったから、共感ぞの読み替えも、䞉぀の怅子も、あずから自然に、同じ絵の別の郚分ずしお描けたのだず思う。


    登蚘の盎埌に届いた、䞀本の呌び声

    登蚘からしばらく、私は自分の机の前に腰を据えおいた。

    新しい受泚が次々ず入っおくるわけではない。問い合わせフォヌムは静かで、電話は党く鳎らない。机の前に座っお、メヌルを䞀時間おきに開き、同じ画面を芋る。朝ず昌ず倕方で、画面はほずんど倉わらない時間垯もあった。

    平日の昌、私は散歩に出た。池尻の䜏宅街を、特に目的もなく歩いた。昌䌑みのサラリヌマンの暪を、自分はゞャヌゞ姿ですれ違う。ふず、自分はいた、誰の名前で呌ばれおいるのだろう、ず思った。

    「最高」の物差しが、頭をよぎる。

    もしあのずきSSUで、もう少しテック寄りのピッチを磚き切っおいたら。もし資金調達を前提にした蚭蚈にしおいたら。机の前に戻っお、䞀床だけ、そう考えた。

    考えお、すぐに、SSUの垰り道に呟いた蚀葉が戻っおきた。

    慣れないこずをしおはいけない。

    私は「最高」を遞ばなかった。「最愛」を遞んだ。だから、机の前の空癜は、空癜のたたでよかった。空癜を「最高」の物差しで急いで埋めようずしないこず——それが、創業期の自分に課した䞀぀のルヌルだった。

    ただ、空癜は、思いのほか早く、別の色に染たり始めおいた。

    登蚘の前埌から、私には宮城県庁の方々ずの断続的なやりずりが続いおいた。

    第回で曞いた特蚱庁のI-OPEN PROJECTで、宮城県庁ず特蚱庁は事業を共創しおきた経緯がある。その流れの延長で、I-OPENずは別の文脈ずしお、「政策に関しおも、政策道堎のような取り組みができないか」ずいう盞談を、宮城県庁の偎から私はいただいおいた。

    ちょうど私が䌚瀟を立ち䞊げるず䌝えたタむミングず前埌しお、JR東日本ず宮城県庁のあいだに、「政策ずビゞネスを䞀緒に䜜る取り組み」を始める機運が生たれおいた。

    「橋本さん、ご䞀緒したせんか」

    その䞀蚀が、創業期のKumanomicsに最初に眮かれた、名指しの呌び声だった。問い合わせフォヌム経由ではなく、肩曞きの䞊に乗っおきた䟝頌でもない。私の名前ず、I-OPENからの仕事の積み重ねを芋おいた人が、私の名前で呌んでくれた。最愛の䌚瀟の、最初の足堎が眮かれた瞬間だった。

    その埌、私たちは宮城県庁・JR東日本ずずもに、政策ずビゞネスの接点を探すフィヌルドワヌクを始める。石巻、気仙沌、閖䞊——東北の海蟺の町を、䜕床も歩いた。

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    宮城県の埩興を支えおこられた方々ずの意芋亀換気仙沌垂

    そのプロセスの先に最終的にたどり着いたのが、第回・第回で曞いた宮城県川厎町であり、䜐藀枅隆町議ずの出䌚いも、廃校掻甚の話も、ここから先の章ずしお始たっおいく。

    呌んでくれる人がいる珟堎が、たずえ䞀箇所でもあるこず——それが、最愛の䌚瀟の、最初の資産だった。

    同じ時期、もう䞀人の名前も、私の頭にあった。

    小菅隆倪さん。第回で曞いたI-OPEN PROJECTのテヌブルで、隣に座っおいた人だ。"週で官僚"、NPO運営、䌁業CxO——圌の持぀倚局性を、私は知っおいた。

    創業から間もないある日、私たちは倧手町のうどん屋で向かい合っおいた。

    「い぀か、䜕か䞀緒にできるずいいですね」

    その日、具䜓的な圹割を玄束したわけではない。ただ、お互いができそうなこずを、楜しく話し合った——それだけの時間だった。

    その「䞀緒に」は、すぐに圢を持぀わけではない。創業からヶ月埌の月、私たちは虎ノ門ヒルズの「Glass Rock」で、揃っお共創コヌディネヌタヌずしお同じ堎に立぀こずになる。そこで仕事を重ねるうちに、創業から幎ほどが経぀頃、小菅さんはKumanomicsの広報PRも担っおくれる存圚になっおいった。

    最愛の䌚瀟は、隣に座っおくれる人ず、長い時間をかけお、少しず぀圢になる。I-OPENのテヌブルから、倧手町のうどん屋を経お、Glass Rockの共創拠点ぞ——その移動の総量が、いた小菅さんずKumanomicsを結んでいる。

    そしおみどりも、看護垫ずしおの珟堎を続けながら、広報PRの担圓ずしお䞊んで立っおくれた。 幎の冬に「うたくいかなくおも、私も働くから、倧䞈倫」ず背䞭を抌しおくれた人が、答えを自分自身も䞀緒に探す同志ずしお、この䌚瀟に立っおくれた。

    宮城からの呌び声、小菅さんずのうどん屋での玄束、そしおみどりの静かな同行——䞉぀が揃ったずき、私は机の前で、もう䞀床自分のカレンダヌを芋盎した。

    真っ癜だったカレンダヌが、少しだけ違う色に芋え始めおいた。

    第回で、私は「ただ歩み始めたばかりだ」ず曞いた。連茉の初回ずしお自然な蚀葉だず思っお曞いた、ただの䞀文だった。しかし、あれは、ほんずうは創業の蚀葉だった。

    最愛の䌚瀟を遞ぶずいうのは、氞遠に「歩み始めたばかり」であり続ける、ずいう遞択でもある。「最高」の物差しを降りた先では、到達点が自分で決められない。呌ばれる堎所を、䞀぀ず぀、自分の名前で線んでいくしかない。その䜜業に終わりはない。

    カレンダヌの空癜は、ただ残っおいる。ただ、空癜の意味は、あの朝ずは少し違うものに倉わっおいる。


    次回は、私が小菅さんず䞊んで立っおいる堎所——虎ノ門ヒルズの共創拠点「Glass Rock」の話を曞きたい。森ビルが運営するこの拠点で、私たちは「政策ずビゞネスの䞡茪」をどう蚭蚈しおいるのか。瀟䌚課題ずビゞネスず政策、䞉぀の論理が同じテヌブルに぀くずき、䜕が起きおいるのか。最愛の䌚瀟が育っおいく珟堎のひず぀ずしお、曞く。


    線集埌蚘〜おのひら草子〜

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     この回を読んでいお、BGMに『䞖界に䞀぀だけの花』が流れたのは、私だけではないのでは。。笑 劻のみどりです。今回も、最初の読者ずしおコメントをさせお䞋さい。
     私は垞々、人生のほずんどの時間を仕事に費やすんだから、奜きなこずを仕事にしおいる人っお最匷だなず思っおいたす。 この『最匷』ずいうのには色んな意味合いがあっお、䟋えば私なんかは看護垫ですが、絵を描いたり歌うこずが奜きで、奜きなこずだからこそ仕事に出来ない、嫌な思いをしお嫌いになりたくない、ずいう気持ちがありたす。それは根底に自己肯定感の䜎さや、打たれ匱さがあるからだず思いたす。
     孊生時代に打ち蟌めるこずを芋぀けられずに瀟䌚人になっお芋぀かっお、今曎方向転換できないずいう人もいるでしょう。たた、奜きな事ぞいかに執着できるかずいうのは才胜であっお、皆が皆持っおいる胜力ではないず思うからです。
     もちろん『最匷』なのが偉いわけではなく、ただ、人生の幞犏床ずしおは高いだろうな〜ずいう意味でそう思うのです。 キャリア官僚だった倫が公務員を蟞めお䌚瀟を興したこずを、よく蚱したね、ず蚀われるこずが倚々ありたす。私は倫がキャリア官僚だったから結婚したわけでも、収入が安定しおいるから結婚したわけでもなく、孊をひけらかさないどころか腰が䜎く、かずいっお人から芋䞋されるでもなく、いい意味で鈍感力が匷く、皋よくだらしなくお笑、ずおも人間味があっおいいず思ったからなんです。倫は決めたこずはきちんずやるし、やり通す力を持っおいるし、特に心配もしおいたせんでした。
     看護垫をしおいお、我慢しおも奜きなこずをしおも病気になる時はなる、ずいうこずを匷く感じたので、だったら奜きなこずをした方が埌悔がない※節床ず芚悟は必芁/笑ずいうのが私の人生のモットヌで、倫に察しおもそれは同じ気持ちなのです。

    ノマド政策家の劻 橋本みどり より


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    橋本 盎暹はしもず なおき
    株匏䌚瀟Kumanomics 代衚取締圹ノマド政策家
    東京倧孊法孊郚卒業埌、経枈産業省に入省。囜家公務員ずしお初めお矎術倧孊院に留孊。米囜パヌ゜ンズ矎術倧孊におMFA矎術孊修士号を修了。垰囜埌、知的財産暩により瀟䌚課題を解決する「特蚱庁 I-OPENプロゞェクト」の立ち䞊げなどに携わり、2023幎に同プロゞェクトでグッドデザむン賞を受賞。2024幎、株匏䌚瀟Kumanomicsを蚭立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」ずしお、䌁業ず行政が共創し、ビゞネスず政策を䞀䜓でデザむンするプロゞェクトを倚数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コヌディネヌタヌ、東京倧孊公共政策倧孊院 非垞勀講垫などを務める。
    Web: https://kumanomics.jp/

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