
私が向き合うべきは義姉でした〜全ては私の「自己肯定感の低さ」から始まった〜
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以前の記事で、母との「怒り」を見直した私ですが、実はあの後、もう一人『思わせていたかもしれない人』の顔が浮かびました。それは、義理の姉です。
🔽以前の記事はこちら
私が高校生の頃、5人兄妹の一番上の兄が結婚し、初めて姉が出来ました。
最初は別々に暮らしていましたが、途中から実家に入り、みんなで同居することになりました。
同居することになり、初めての甥っ子も生まれ、甥っ子がこんなに可愛いんだと知りました。
そのうち、祖母が病気になり、母が看病に行く為、姉が私たちの食事を作ることになりました。父と、私たち弟妹の食事を朝晩、文句も言わず作ってくれました。
だけど私は、どこかで、「なんでお姉さんが作るの?」と思っていました。
今思えば、母の役割を、他人の姉がつとめることに嫉妬していたのかもしれません。
・・・いや、そうだ、私は姉に嫉妬していたんだ。
自己肯定感の低すぎる私は、姉がいい人であればあるほど、苦しかったのかもしれない。
どこかで、「私の兄を取らないで!」と思っていたのかもしれない。
そうか、この私の「自己肯定感の低さ」が全ての始まりだったのかもしれない・・・。
◇
姉が私たちのご飯を作るようになると、そのうち姉は、他の弟妹と揉めるようになりました。
他の弟妹がどんな喧嘩をしたのかは聞いていませんでしたが、3番目の兄は「『こんなもん食えるかー!』って、ひどいこと言ってたわ」と、後になって聞きました。
そんな時、一番上の兄に言われました。
「ことりは分かってくれると思うから、よろしくな。」
しかし、当時の私は全く分かっていませんでした。
「お姉さんがきたから、家族がごちゃごちゃになるやん。」
心の中でそう思っていたのです。
ある日、仕事中に、兄から電話がかかってきました。
「今日、夜ご飯食べるんか?」
「あー、まだどうなるか分からん」
「分からんじゃないて!後から言われても困るんやで!」
怒り気味で言われたことにイラっとして、私は言い返してしまいました。
「じゃあいいわ、もう私の夕飯はなしでいい!」
「これからずっとか!?」
「うん、これからずっとなしでいい!!」
そう言い放って電話をきりました。
その日から私の夕飯はなくなりました。
でも、それで良かった。
揉めるくらいなら、夕飯なんてなしでいいと思っていました。
しかし、それを見ていた母が心配し、ある日から私の分のご飯を作り始めた。
私は「食べないからいいって!」と言ったのだけど、「そんなことはアカン」と、心配して作ってくれるので、仕方なく食べることにしました。
たぶん姉は、おもしろくない、嫌な気持ちだっただろうと思います。
いつからか、また姉のご飯を食べるようになりました。なんでそうなったのかはもう思い出せません。。
ある日また、夕飯を急に外で食べに行くことになり、たぶんもう作り終わったであろう時間に連絡してしまいました。
家に帰ると、兄に「ちゃんと謝っておけよ」と言われました。
正直、めんどくさいな、と思いました。
もしこれが母だったら、「ご飯食べに行くことになったから、夕飯は明日の朝食べるね。置いておいて」と言えば、特に何も言われなかったからです。
姉に直接謝る勇気がなかった私は、謝罪の手紙を書きました。
でも今思えば、言葉では「ごめんなさい」と言いながら、心の中は姉への怒りの方が大きくて、ちゃんと謝っていなかったのだと思います。
次の朝、その手紙を見つけた姉は、手紙を破り捨てて激怒したらしい。
兄からそう聞きました。
謝ったつもりでいた私は、
「え!?なんで!?」と驚きました。
その日から姉の無視が始まりました。
ドアをわざと強く閉めたりして、あからさまにイライラをぶつけてくるようになりました。
無視されることがこんなにも辛いんだと知りました。
この状態が何日も続くので、見るに見かねた父と母が言った。
「もう三人で、離れの家で住め」
3番目の兄は家を出ていたため、その日から、2番目の兄と妹と私の三人で、離れの家で暮らすことになりました。
ただ、たまに母屋に帰ると、相変わらず姉からの無視は続いています。
イライラもあからさまに見せられ、父と母の前で我慢できずに泣いたこともあります。
私たち兄妹は、姉のことを「怖い姉」と恐れていました。
◇
私が結婚することになり、このままではいけないと思った母が、私と姉を呼んで、2人で話をさせてくれました。
「私がなんで怒ってると思う?」と姉が言いました。
「分からない」と答えると
「お母さんには謝れるけど、お姉さんには謝れないみたいなこと書いたやん?それがね…」
姉の言葉に、ハッとしました。
「そうなんだ……ごめんなさい」
私は、「離れで暮らして、ご飯を作る大変さとか知りました。ごめんなさい」などと、精一杯の謝罪をしました。
お姉さんは黙って聞いていました。
そして、立ち上がり、父のところへ行き、「仲直りできそうです」と伝えてくれたのです。
許してもらえたんだ…と嬉しかった。
姉は、前のままの状態だったら、私の結婚式にも出ないつもりだったそうです。
そして、私は結婚し、家を出ました。
◇
その後もお盆や正月には、兄妹みんなで実家に集まりました。
実家に着いて姉に挨拶すると、なぜかまた無視されることがありました。
それは私だけじゃなく、兄妹みんなに対してでした。
姉は機嫌のいい時と悪い時の波があって、いつも実家に帰るのが憂鬱でした。
でも、「みんなが集まるなら…」と、重い足取りで実家へ向かっていました。
やはり無視されるのは辛いです。
兄妹達とたまに、「なんであんなに怒ってるんだろうね」と愚痴を言っていました。
◇
この2年、娘のことで悩んで、思考を見直していると、義姉に対して考えさせられることが何度かありました。
2026年2月1日
ある日、目が覚めてすぐ、なぜか我が家の猫達の喧嘩について考えていました。
「なんで猫たちの喧嘩がおさまらないんだろう?」
そう考えていると、ふと思ったのです。
いつも攻撃している「イロくん」と、攻撃されている「りんちゃん」。
この2人の関係は、もしかして「私」と「お姉さん」なのかもしれない、と。
でも、りんちゃんが攻撃されているということは、私の潜在意識の中で「私がお姉さんを攻撃している」ということ?
私はずっと、お姉さんにイライラをぶつけられている「被害者」だと思っていました。
でも、逆・・・!?
YouTube「思考の学校」の宮増侑嬉さんが言っていた。
誰かのせいだと思っている「被害者意識」は、実は「攻撃思考」なのだと。
お姉さんへの不満を、他の兄妹と一緒になって裏で話していたということは、お姉さんを皆で寄ってたかって攻撃してたということ。
孤立させていたということ。
そうか…そうかもしれない…。
もし私が、みんなから影でそんなふうに思われ、言われているとしたら、すごく辛くて耐えられない。
私は、物凄い被害者だと思ってたけれど、実は物凄い加害者だったんだ…。
お姉さん、本当にごめんなさい。
猫たちが、大切なことを教えてくれました。
ありがとう。
◇
それからしばらく経った2026年4月24日のことです。
娘たちの姿を見ていて、ふと思ったことがありました。
「次女は長女に借りた物に対して、なんであんなに感謝が出来ないんだろう?」
そう思った瞬間、ある昔の記憶が蘇ってきました。
それは、私の成人式の時のこと。
母が私のために、姉から着物を貸りてくれました。それは、お姉さんが成人式の時に、ご両親に買ってもらった大切な、大切な着物でした。
それなのに、当時の私はお姉さんに全く感謝していませんでした。
感謝どころか、「着てあげるわ」くらいの横柄な気持ちでいたのです。
おまけに着慣れないからと、成人式が終わるとすぐに脱ぎ捨て、友人の家へ遊びに行ってしまいました。
もちろん、お礼の言葉なんてひと言も言わずに。
(うわ、そうか…次女は、あの頃の私じゃん。
いや、むしろ私の方がよっぽどひどい…)
大事な着物を借りておきながら、何の感謝もせず、あんなに横柄な態度を取っていたなんて。
なんてひどい妹だったんだろうと、自分が最低に思えた。
次女は、あの頃の私を演じてくれたんだ。
これに気づいて!と教えてくれたんだ。
教えてくれてありがとう。
◇
さらに、2026年5月30日
また娘たちを見ていて、
「次女が、長女に対してすごく冷たいな、なんでだろう?」と思う出来事がありました。
するとまた別の記憶を思い出しました。
(私が昔、お姉さんに対して冷たかったからかも…)
お姉さんは、家族のために色々なことをやってくれていたのに、私は全く感謝していませんでした。
毎日ご飯を作ってくれているのに、「食べてあげてる」という横柄な気持ちでいた。
それだけではありません。昔、悪徳業者からの電話に困っていた時、私はお姉さんに「しつこい電話かかってくるけど、いないって言っておいて!」と面倒な用事を押し付け、そのまま出かけてしまったことがありました。
あとでお姉さんから「電話の相手に、ものすごい暴言を吐かれた」と聞かされたのに、当時の私は「ごめんなさい」も「ありがとう」も伝えていませんでした。
私はいつも「自分は悪くない」という被害者意識のなかに閉じこもり、お姉さんへの感謝を完全に忘れていました。
◇
そんな過去の傲慢さが次々と溢れ出し、頭から離れなくなったその日。
私は夫を会社まで車で送っていきました。
その帰り道、車内で一人になった瞬間でした。
ふと、抑えきれない感情が突き上げてきて、「お姉さん、ごめんなさい!!」と、車の中で叫んでいました。
その瞬間、突然涙が溢れてきました。
「お姉さん、ごめんなさい!!! 何にも悪くないのに、本当にごめんなさい!!!」
さらに大きな声で叫び続けました。
涙がどんどん溢れて、視界が滲みます。
「ほんとに、お姉さんはなんにも悪くなかったー!!! 大事な着物も貸してくれたのに、感謝もしなくてごめんなさい!!! 色々してくれたのに……ごめんなさい! ありがとう!!!」
「お姉さん、ごめんなさい!!!」その言葉を、何度も、何度も、繰り返しました。
涙が止まりません。
お姉さんへの謝罪のなかで、家族みんなへの想いも溢れ出してきました。
「お母さんもごめんなさい! お姉さんに感謝しなくてごめんなさい!」
「お父さんもごめんなさい! いっぱい心配させてごめんなさい!」
「お兄ちゃん! お姉さんと離婚しなくて本当に良かった!!! お姉さんは何も悪くないのに、ずっと私の味方もしてくれて、本当にありがとう!!!」
「お姉さんごめんなさい!!! 本当に、本当に何にも悪くなかったよーーー!!! ごめんなさい!」
家に着くまで、私は車の中でずっと、泣き叫びながらハンドルを握りしめていました。
◇
振り返ればこの2年間、私は娘の不調に悩み、必死に自分の思考を見直してきました。
辛くて苦しい日々でした。
でも、もしかしたら私は、この大きな「気づき」に出会うために、この2年間悩んできたのかもしれない。
娘が、身をもって私にメッセージを伝えてくれていたのかもしれない。
今ならそう思えます。
お姉さんは、「怒ってはいけない」と自分の感情を抑え続けてきた私の母の代わりに、我が家で怒りを表現してくれていたのかもしれません。
母が抑え込んだ怒りを、代わりに引き受けて、私たちに見せてくれていた。
感情を抑え込むことは、めぐりめぐって、家族のなかに色々な弊害を引き起こしてしまうのだと痛感しました。
もともとは、私の「自己肯定感の低さ」から生まれた、醜い嫉妬から始まったことでした。
自己肯定感を上げるために必要なのは、他人の目を気にすることではなく、自分のありのままを認めてあげること。
これまで、自分のことを認めてあげられず、責めてばかりいた自分自身を、これからは目いっぱい愛してあげたいと思います。
お姉さん。娘たち。
私に、こんなにも大切なことを気づかせてくれて、本当にありがとう