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はじめまして。「飛こーき」という変な人間です。

    みなさんこんにちは!

    俺は「飛こーき」こと、
    松岡輝樹(まつおかこうき)といいます。

    これから、俺の人生を作品にして残します。
    なので、自己紹介だけでも長いかもしれません(笑)

    これを書いている中身の人はこんな人です↓

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    松岡輝樹/飛こーき

    はい。身なりまったく気にしない野生児です(笑)

    まず!!皆さんに謝りたい。

    おしゃべりとかしゃべって思考をまとめるのが好きな反面、文章を書く行為自体はあんまり好きやなかった。
    やから、今までのnoteの記事を自分の素材を使ってもらって、ほとんどAIにお願いし、書いてくれてましたが、これからは俺が自分の言葉ですべて文章を書きます。

    理由は3つ!

    ・俺の生の話を自分の言葉で描きたい
    ・俺の作品を作っていきたい
    ・過去の話、体験、経験、未来の話を赤裸々に描きたい

    俺の文章は決して、整った文章ではないです。
    漢字もあえて「違う漢字」を使ったりします。

    なんなら、自分で造語作ったり名言作ったりします(笑)

    起承転結とか結論→理由→具体例→結論とか、
    文章を書くための小手先の技術も使う気ありません。

    というのも俺は、
    読書も映画もアニメも漫画も苦手です。
    ほとんどまったく読んだことがありません。

    どちらかというと、経験や対話を通じて理解を深めて成長していくタイプの人間です。

    幼少期は、図書館や映画館みたいにシーンとしてる空間が苦手で、わざと声を出して周りの反応をみたくなるようないたずらっ子でした(笑)

    一度、わざと「あー!」とか声だして
    図書館からつまみ出されたこともあります。
    …まじ、クソやろ(笑)

    出身は、福岡県北九州八幡西区光貞台ってところで生まれました。
    35歳にして、湯布院へ移住といったところです。

    薬剤師になったけど、違和感があった

    僕の持っている資格は薬剤師です。

    薬剤師は現役合格し、24歳から働いていました。
    福岡で1年。北九州で9年間薬剤師やってました。

    その、10年の間にドラッグストアも調剤薬局も調剤薬局の管理薬剤師も病院勤務も経験しました。

    しかし、調剤薬局に勤務し始めてから仕事していくうちに、俺に薬剤師は向いてないなぁと思った。

    理由は、「人の命が関わるから。」

    自分はどうでもいい。
    けども、おくすりやさんは、人の命を預かってる仕事です。

    命の重みは本当にでかいです。

    なので、この仕事はリスクは大きいし、
    性格的に「慎重派の人が向いてる仕事」かなと。

    俺はというと、行動派で失敗してなんぼやろ!とか
    性格的にかなりてきとうで大雑把なもんなので、
    よく注意されていて、その都度イラッとしてました。

    薬剤師は「確認が命」の仕事なので、
    自分の性格にあった仕事じゃねぇなと。

    もう薬剤師を辞めたいなぁ。そんなことを思いながら仕事をしていた9年後に、ようやく嬉しい転機が訪れました。

    湯布院の地と素敵なご縁があり、
    「家族でカフェ兼雑貨屋アトリエ」をやってみらんか?
    といったお話です。

    めちゃくちゃ嬉しいチャンスやな!と思いました。
    というのも、俺には夢が5つありました。

    まず、1つ目の夢は幼稚園の時。
    「虫(蝶)博士になりたい。」

    結果、叶いました↓

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    それから、学生時代は夢っていう夢は特にありませんでした。
    でも、しいていうなれば、小学校の歴史の教科書を見ていたとき。2つ目の夢は、

    「偉人か有名人になりたい」

    偉人にはそう簡単になれないけど、
    中学生から始めた陸上競技(短距離100m)では
    一瞬だけ北九州市内で有名人になれました。

    それは、北九州の市内大会や県大会で1位~3位の順位をコンスタントに出していたとき。

    それから、全国大会に出ることと、
    100mで10秒台を出すことが夢になりました。

    その時は、浅川中学校という中学校に通っていましたが、中学3年あたりになって開花し、100mの決勝で「先頭は浅川の松岡くん!」って言われたときはめちゃくちゃ嬉しかったです。

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    これは社会人陸上の写真。ちなみにピンクです。

    中学3年の秋には200mの方で全国大会に出場し、飯塚翔太選手の前の組で走った経験があります。

    しかし、高校で記録が思うように出なかった。
    その時にはじめて、陸上だけでは飯をくっていけない不安がよぎりました。

    その不安を父に相談したところ、
    幼少期に虫博士だったり、理科だけ得意なのを父がよく知っていて、

    「薬学部に進むのはどうか?」

    と言われた。

    最初はイメージがわかなかったけど、
    まぁとりあえず行ってみようかなって感覚でした(笑)
    薬学部に通うかわりに、陸上を高校3年で引退しました。

    ただ、小さい頃から勉強嫌いだったため、
    教養も学力ももともとなかったので、
    指定校推薦というやつで薬学部に入学した。

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    とりあえずいってみるわ!!🔥

    俺は行動派なもんで、勢いよく薬学部に飛び込んだ(笑) 


    しかし、甘い世界ではなかった。


    薬学部に入学したばかりのときの基礎学力テストは、約200人いるなかの学年最下位。ビリ。

    でも、俺は燃えた🔥

    あとは上に這い上がるだけやん!

    アルバイトせずに愚直に毎日勉強をした結果、

    6年後。

    「学年18番で薬剤師現役合格した。」

    1位はとれなかったけど嬉しかった😁

    それから、薬剤師になったものの、
    社会に出てからめっちゃくちゃ苦労した。

    それは、「人と協力して何かをすることが不得意だったから」だ。

    俺は一人っ子で、一人が大好きな人間やった。
    幼少期は1人遊びが好きで、人となにかをするってのはもってのほかだった。

    大学時代の勉強も陸上もほとんどすべて、
    ほぼ1人で技術を磨きあげてきた。

    とにかく、周りと協調するのが苦手やった。

    だから、社会に出た瞬間、周りに合わせるのに苦労した。正直、それが1番大変でした。

    周りとうまくコミュニケーションがとれなくて、
    結局孤立し、自分が全部一人で背負ってやろうとしてしまう…。それが辛かった。

    また、薬学部の時代は、薬剤師が重たい仕事だと思わなかったもんで、とにかく学年順位をとろうと必死だったので、薬剤師になって感じたのは、「人の命に関わる仕事だったんだな」ってこと。

    俺の昔からの性格は、やったらやりっぱなしで、
    てきとうで大雑把でめんどくさがりやった。

    自分はおしゃべりな癖して人の話は聞かないし、
    ルール従えにイラつく人やし、ルールを疑う人やった。
    ましてや、自分ルールや我流に変えてたくらいなかなりのひねくれものだ。

    でも薬剤師の仕事はというと、
    「確認作業」と「正確性」と「慎重さ」と「既存のルールに従うこと」と「傾聴力」が求められている。

    …まあ、俺にとって無理ゲー(笑)
    そのギャップに非常に苦しんだ。

    また、もともと俺は勉強嫌いですから、
    「薬剤師は生涯自己研鑽」という言葉や「専門性」って言葉も嫌いやった。

    薬剤師になりたてのころは、
    仕事に対してすごく熱心で厳しい上司さんのもとで働いた。

    その時代はきつかった。今でもよく覚えている。

    その当時、調剤ミスもたくさんしてきたし、
    俺は、薬剤師の仕事が向いてないなぁと
    調剤薬局に勤めてから1年目で感じた。

    しかし、お金のために、生活のために、
    この仕事をやらざる得なかった。

    結果、調剤薬局を約8年やってきた。
    (俺、よく我慢して続けたぜ…)

    正直、何度も「薬剤師の道から逃げたい」と思った。

    あらゆる職場で、僕、薬剤師本当はやりたくないんですよねーとまで言ってたくらいだ。

    人の気持ちを読んだり考えるのが苦手なので、
    周りはどう思ってたか分からんが…苦笑

    そんなとき、薬剤師以外の世界を知りたい!と思い、約1年間ロードバイクと共にひとり旅をしてみた。

    旅をして、カフェと雑貨屋の夢が生まれた

    まずは、福岡の福津や糸島、山口の角島をサイクリングしたり、バスツアーの参加や1人や友達と居酒屋巡り。

    しまいには、佐賀、長崎、対馬、沖縄と幅を広げた。飲食は必ずカフェに行ってた。

    借金は莫大に膨らんだけど、
    その結果、俺の世界がガラッと変わった。

    共通していたのは、

    「自然の多いところに足を運んでいた」
    「珈琲屋や雑貨屋さんに無意識に寄っていた。」

    そして、ひとり旅をした経験のあとに思った。


    俺はいつか、カフェか雑貨屋さんがやりたい!🔥

    と。

    7年前くらいからそんな夢ができました!
    それが3つ目の俺の夢です。

    アロマ本を作って、初めて作品が売れた

    しかし、コロナ渦になって、旅するのを辞め、
    アロマセラピーの発信をするようになった。

    ちょうどその当時は香りや精油に興味を持ったのと、免疫力があがる香りは何か?
    を知りたかったところから始めた。

    アロマの精油のことを短期間でたくさん勉強し、
    調べつくして発信を始めてから約1年後…

    「アロマセラピーの精油をわかりやすく」の本を自費(手作りで)出版した。

    その結果、80部くらい購入してくれた。

    正直、めちゃくちゃ嬉しかったし、
    実際に現場で使ってくれている人もいてるくらいだ。

    めちゃくちゃ感謝しかない。シェイシェイ。

    実際に販売してるアロマの本はこれ↓
    今は、Kindleで買えます😁
    約90種類の精油をまとめとります。

    その当時に書いた自己紹介noteはこちら🌺↓

    アロマの発信をし始めたころと同時期に、
    今の奧さんと一緒に同棲することになった。

    奧さんは過去のトラウマでか、働くのが苦手な人やったので、俺が変わりに生活のために薬剤師をやらざる得ない状況だった。

    でも、奧さんと一緒になった決め手は

    「カフェがやりたい!」

    といってくれてたこと。

    また、奧さんは俺と同じで楽しいことが好きな人で、俺の変なジョークやボケで笑ってくれるし、俺ら二人は「相手を楽しませたい」って気持ちが強い人やった。

    やから、じゃあそのためにカフェと雑貨屋を始めよう!というのが始まりだった。

    お金で夢が止まった時期

    しかし、生活費を払っていくのに精一杯やった。

    だから、仕事の文句いいながら、会社にいくの嫌々いいながら行ってたことを今でもよく覚えている。

    1番そばでずっと、俺の仕事の文句を聞いて耐えてきたのは、奧さんやなかろうか?と思う。

    ※今は、私はずっと我慢してきた!って愚痴られるくらいだ(笑)

    その間に、いつか薬剤師を辞めてやるって気持ちでブログやらnoteやらYouTubeやらあらゆる副業にチャレンジしたが、ほとんど収益にならずに成果が出なかった。

    正直、悔しくて時には泣いた日もあった。

    でも、自分の夢ややりたいこと、想いを抑えることがどうしてもできなかった。

    その結果、たまたま八幡駅前近くに空いてたテナントがあったので、そこを借りて一発逆転カフェ兼雑貨屋をやろう!と思いきって起業しようと思って、某銀行にいって融資を借りようとした。
    計画書も書いた。

    しかし、多額のローンを抱えているため、
    審査は通らなくて追い返された。

    まじで悔しかった。

    そのときの話はこの2つの記事で書いてる↓

    「ローンをいっそ凍結させたい」ってくらいに悔しかった。まじで泣いた。一人で吠えた🐶

    ずっとお金の悩みがついてくるせいで、俺の夢は叶わなかった。

    お金さえあれば…とまで思ったこともあった。

    そこからしばらく、管理薬剤師として糖尿病内科の薬局で1年半働いていた。 認定薬剤師もとっていた↓

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    認定薬剤師証

    しかし、ずっと働いていた会社も2025年の12月で退社することになった。 

    理由は、俺って外っつらはいい(患者さん対応などでクレームなし)ものの、職場内では遊び心でふざけるし、患者さんいないときは筋トレするしスマホいじるしブログ勝手に書くし、あんまり協調性なくて会社の細かなルール守れんもんで、しまいにはスタッフと喧嘩までしたため「秩序を守れない人」ということでボーナスも支給されずに12月終わりに追い出された(笑)
    まぁ、ちゃんと3ヶ月前には退職届出したけど。

    正直、なんとも言えなかった。

    しかし、雑貨屋&カフェをやりたいって夢を掲げてから、7年後の2025.12月の終わり。

    旅行はめっちゃ久しぶりで、家族で大分旅行にいったときだ。

    湯布院で、7年越しの夢が動き出した

    大分湯布院のとある宿に泊まったところの支配人の方と家族でたくさんお話して仲良くなった。

    そこの旅館はめちゃくちゃ気に入ったので、agodaで口コミ入れた後に、「もう一回あの旅館いこうや!」って話になって、2回目は1月12日の奧さんの誕生日に泊まりにいった。

    その時に、支配人の方とお話していたなかで、
    ここの宿がめちゃくちゃいいって話になって、
    奧さんが「ここに住み着きたいです!」というと、支配人の方が

    「受付の上の部屋が空いてますよ」

    と言ってくれた。

    正直、めちゃくちゃ嬉しかった。

    それから2ヶ月後の2026.3月に、もう一度湯布院の宿屋にいって、物件の話し合いのため当初3日の予定が、7日間延長滞在していたもので、3ヶ月契約で勤めていた派遣会社を「ルール違反」で退社することになり、その変わりに旅館の敷地内の空き家物件をお借りすることとなった。

    まじでありがたい話。大きなチャンスになった。
    …ってかルール違反で首切られたって赤裸々すぎやろ、俺(笑)

    そこで思った。

    「俺は会社に所属して働くことは向いてない」なと。

    理由は、ルール違反するし場の秩序は守れんし、好き勝手するわがまま野郎やから…(笑)

    しかも、そこの物件は2階建てやったので、
    2階は自分たちの住む家にして、
    1階は「カフェ兼雑貨屋アトリエ」として使っていいよ!って話になった。

    なにより、僕ら家族を信頼してくれた大家さんと支配人の方には感謝しかない。

    ようやく、7年越しにカフェ兼雑貨屋の夢が叶いそうです🔥

    7年越しの夢でしたが、すごくいいチャンスをいただけたので、まぁ、あとはやるしかねぇ!!!

    その気持ちで、これから「カフェ兼雑貨屋アトリエ」を頑張りたいと思っています💪

    これから人生を作品にする

    同時に、俺の人生を作品にします。
    俺の作品は、note・写真・AI音楽・アクションペインティング(絵)・料理・コーヒー・歌・雑貨・空間作りとさまざまです。

    楽しみにしてもらえるとうれしいです😁!

    自己紹介なのに5000文字以上も書きましたが、
    夢って面白いもので、
    夢を口にすることでおおよそのことは、叶うものです。

    だから、俺みたいに夢を持ってるドリーマーたちは
    とにかく人に夢を語ってください。

    夢は叶わなくてもいい。恥ずかしいことでもなんでもない。
    でも、「夢のために努力した過程」や「想い」を大切にしてくださいね😁👍

    それも人生。

    長文自己紹介読んでくれてありがとうございました!
    ほかの記事も気軽に読んでくださいね。

    ※なお、この記事は、俺が何者なのかをまとめた自己紹介です。
    薬剤師を辞め、湯布院でカフェ兼雑貨屋アトリエを始めようとしている理由を書きました。

    合わせて読みたい記事

    北九州から大分湯布院に移住して数日目にかいた話はこれ↓

    カフェ&雑貨屋を開業するにあたり、湯布院の街道を市場調査をして感じた人間分類表も作りました。これおもろい記事です!読んでね☺️↓

    最後に、そもそも自分ってどんな環境が合うんだろう?強みって、弱みって、なんなんやろ?それが知りたいかたはこれだけやって!
    有料やけど価値がある記事で現在5人の方が読んでくれています。人生変わるといいな!😁↓




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    飛こーき|人生を作品化する野生児。 薬剤師💊湯布院に移住し暮らしつつ、 アート、写真、文章、AI、自己理解を使い 「自分らしい人生」を実験中。 普通になれなかった人のための 人生の取扱説明書を書いてます✏️ ※ちなみに自分の言葉で、 体験や経験から得た気付きを書いてます😁👍

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