世にも奇妙な小噺 ~始期(2/4)~
あらすじ
二週間前に訪ねた佐藤道子のことが、可奈子はどうしても気にかかっていた。近くまで来たことを口実に、彼女は再び佐藤家を訪ねる。前回と変わらず穏やかな道子との会話に、可奈子は自分の考えすぎだったのかと思い始める。だが、ふとした瞬間、家の中に前回とは違う気配を感じる。そして道子の口から、この家で長いあいだ続いてきた、ある奇妙な話が語られ始める――。
第一話はこちらから
可奈子が佐藤さんの家を訪ねてから、二週間が経っていた。
金井さんから寄せられた相談については、ひとまず問題なしとして上司へ報告している。次に様子を見に行くのは来月でいい――そういう話になっていたが、可奈子には、あの日わずかに開いていた襖のことがどうしても引っかかっていた。
その日、可奈子は担当地域の実態調査を終え、帰路についている途中だった。交差点を直進しようとしたとき、ふと、佐藤さんの家がここからすぐ近くにあることを思い出した。
不必要な訪問は避けるべきだと分かっていたため迷ったが、前回、佐藤さんが楽しそうに世間話をしていた姿を思い出すと、少なくとも迷惑がられることはないだろうと思った。
可奈子は交差点を直進せずに左折し、ほどなくして佐藤さんの家に着いた。庭に車を停めてチャイムを押すと、佐藤さんはすぐに出てきた。
「あら、清水さん。また見回りですか」
「お久しぶりです。ちょっと近くまで来たものですから、お元気かと思いまして」
「私の方は相変わらずですよ」
佐藤さんは二週間前と変わらず、はきはきと答えた。それから「どうぞ」と可奈子を室内へ促すと、この前と同じようにダイニングへ消えていった。
可奈子は玄関先で一瞬迷った。近くを通ったからと、勢い任せに訪ねてしまったことを少し後悔していた。
だが、ここまで来たからには、あの日のことをもう一度確かめてみようと思い、玄関を上がってリビングへ入った。前回と同じ座布団に座ろうとしてやめ、今回は襖が正面に見える位置に腰を下ろす。
可奈子は襖をじっと見つめ、完全に閉まっていることを確認した。
廊下から、スリッパのぱたぱたという音が聞こえてくる。やがて佐藤さんが、この前と同じように湯飲みと菓子器を運んできて、テーブルの上に置いた。
「また来ると思わなかったわ。相変わらず何にもなくてごめんなさいね」
佐藤さんが差し出した菓子器には、切り落としのバームクーヘンとおかきが入っていた。
「いえ、こちらこそ、突然また訪ねてしまってすみません」
やはり迷惑だったかと思ったが、可奈子の心の声を読み取ったかのように、佐藤さんは笑った。
「いいのよ。予定なんて特にないから」
「最近、何か困ったことはありませんか?」
「特に何もないわねえ。一人暮らしで、たまに寂しくなるぐらいかしら」
「お食事なんかは、ご自分で?」
「ええ。簡単なものばっかりだけどね。昨日は暑かったから素麺にしたの。今日も残った薬味を使わないと」
「買い物は大丈夫ですか?」
「近所のスーパーまでなら、まだ歩いていけるから平気よ。重いものはちょっとしんどくなってきたけど」
「無理はしないでくださいね」
「はいはい。清水さんに怒られないようにします」
佐藤さんはそう言って笑い、麦茶を一口飲んだ。
「そういえば最近、隣の家の芝崎さんが入院されたそうなんですよ。みんな年取ってきちゃって、いやねえ」
そうして佐藤さんととりとめのない話を十分ほどしたころ、可奈子は、前回の襖のことをどう切り出したものかと考え始めていた。
突然あの日のことを切り出しても、またはぐらかされるだけかもしれない。どう尋ねようか考えながら麦茶を一口飲み、何気なく襖へ目をやった可奈子は、いつの間にかそこにわずかな隙間ができていることに気付いた。
可奈子は一瞬、目を疑った。
来たときには、確かに閉まっていた。
佐藤さんがバームクーヘンに手を伸ばした隙に、座り直すふりをしながら、可奈子はさりげなく体を傾けてその背後を覗いた。
「わっ」
思わず声が漏れ、可奈子の肩がびくりと跳ねた。
「何? どうしたの?」
突然の声に驚いた佐藤さんの体も、わずかに揺れた。
可奈子の視線が自分の背後へ向いていることに気付き、佐藤さんも振り返る。
「あら。珍しい。今日は逃げないんだねえ」
こぶし一個分ほど開いた襖の隙間から、小さな子どもがこちらを覗いていた。
片手を襖にかけ、隙間から顔だけをひょこっと出している。まん丸な目は瞬きもせず、可奈子の方をじっと見つめていた。顔の位置からすると、立っていたとしても可奈子の座高より低い。わずかに見える肌は、外で遊ぶ子どもとは思えないほど白かった。
「今日は?」可奈子は、佐藤さんの言葉の意味が分からず、思わず聞き返した。
「この前、清水さんがいらしたときも来たんですよ。ただ、すぐにいなくなっちゃったんですけどねえ。恥ずかしがり屋さんみたい」
佐藤さんは、目の前にいる子どものことを特段不思議がっている様子もない。
「この子は、佐藤さんのお孫さん……ですか?」
「ええと。なんて言えばいいんでしょうねえ……」
佐藤さんは少し視線を逸らし、言葉を濁した。
「ご近所の子とか?」
「いいえ。そういう子じゃないの」
「親戚のお子さんですか?」
「それも違うわねえ」
可奈子はもう一度、襖の隙間にいる子どもを見た。見知らぬ大人を警戒しているようにも見えるが、それにしては、佐藤さんの受け入れ方があまりにも自然だった。
「じゃあ……どなたなんですか?」
「昔からいるんですよ。この子」
「昔から?」
「ええ。めったに姿を見せることはなかったんだけどね」
「ご主人も、この子のことをご存じだったんですか?」
「知ってはいたけど、見えなかったみたい。うちのお父さんは、一度もこの子を見たことがないの」
可奈子は返事に困った。
佐藤さんには見えて、ご主人には見えない。しかも近所の子でも親戚でもなく、昔からこの家にいるという。
「……それはつまり、座敷わらし、みたいなものなんでしょうか?」
「まあ、そういうものなのかねえ」
佐藤さんは、独り言のようにつぶやいた。
それから襖の隙間にいる子どもを見て、少し首をかしげる。
「それにしても、お客さんに姿を見せるなんて珍しいわ。うちのお父さんでさえ、一度もこの子を見たことなかったのに」
可奈子はまだ状況を呑み込めず、襖の隙間にいる子供と佐藤さんの顔を交互に見た。
「普段は佐藤さんにしか見えないんですか?」
「ええ。昔は私の前にもめったに出てこなかったんだけど、最近はよく見るのよ」
可奈子はふと、金井さんからの相談を思い出した。
「あの子とは、よくお話しされるんですか?」
「あの子は何もしゃべらないわ。ただ、私がずっと話しかけてるだけね」そう言うと、佐藤さんはふふっと笑った。
金井さんがいっていた「佐藤さんが誰かと話している」というのは、このことなのではないかと思った。それなら説明がつく。
「半年前にお父さんが死んじゃって、私が寂しそうだから、慰めてくれてるのかしらねえ」
「よく姿を見せるようになったのは、ご主人が亡くなってからなんですか?」
「こんなに頻繁に出てくるようになったのは、その頃からね。今まで何十年も、こんなことなかったから不思議なの」
「何十年? そんなに前からいたんですか?」
「一番最初に見たのは、もう五十年ぐらい前になるわ。この家をリフォームする前からいたのよ」
二人が話している間も、男の子なのか女の子なのか分からないその子どもは、襖の隙間からじっとこちらを窺っていた。
「ほら。あなたもお姉さんとお話しするかい」
佐藤さんは振り返り、子どもに向かって手招きした。だが、その子はそれ以上、姿を見せるつもりはないらしい。
「もしかして、もう帰れって言われてますかね?」今まで経験したことのない奇妙な視線に落ち着かなくなり、可奈子は冗談交じりに笑った。
「そんなことないわ。もしそうだったら、そもそも出てこないわよ。ほんとはお話ししたいんじゃないかしら」
佐藤さんは「ねえ。そうでしょ」と言って子どもに話しかけたが、子どもは瞬き一つせず、相変わらずこちらを見つめている。佐藤さんの言う通り、声をかけても何の反応も返さないようだった。
「それにしても、五十年も前からいるってすごいですね。佐藤さんご夫婦のことが大好きなんですね」
「そうだと嬉しいわねえ」
佐藤さんは少し意味ありげに頷いた。
それから湯飲みを両手で包み、しばらく遠くを見るように黙っていた。
「最初に見たのはね――」
そう言って、佐藤さんは五十年前の話を始めた。
続く
