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自分の逆張りなところ・順張りなところ、一挙公開!


みなさん、逆張りしてますか?

わたしはしています。


しているというか、生活のなかで「これって逆張りだなぁ」と自分に対して感じる瞬間は多いです。なにせ、逆張りオタクなので。


……「逆張りオタク」を自称するなどというのは、この世でもっとも徳の低い(ダサい)行為のひとつですが、今さら取り繕ってカッコつけてても仕方がありません。開き直っていきましょう。

ところで、「逆張り」を自認するわたしですが、だからこそ "逆に" 「これに関しては自分って順張りだなぁ」と感じることも多々あります。

そのとき、逆張りである自負とのギャップからガッカリするかと思いきや、「フッ 俺って意外と世間と足並みを揃えるときは揃えるし、名作をきちんと評価する人間なんだよな……」となぜか嬉しくなります。(これって「自称逆張りあるある」だと思うんですけど、いかがでしょうか)


さて、今回は、そんな逆張り自認オタクのわたくしが、自分自身に対して「これって逆張りだよなぁ」「これは順張りだなぁ」と思う事柄を、思いつく限りリストアップしていきます!
(つまり、そう、単なる自分語り記事です。まいったか!!)


※注意点
リテラシーのある皆さんならすでにお気付きの通り、わたしが本記事内で用いている「逆張り/順張り」は、これらの単語の厳密な意味からはズレています。誤用しています。

ぎゃく‐ばり【逆張り】
1 取引で、人気のよいときに売り、悪いときに買うこと。⇔順張り。
2 俗に、大勢や時流に逆らう言動をすること。「逆張りの主張」

コトバンク「逆張り」より引用

もとは1の投資用語だったものが2の慣用表現にも広がったわけですが、逆張りには「わざと周囲に逆らうほうを選ぶ」という故意のニュアンスが含まれます。順張りも同じく「周りを見てそれに従う」ような、一旦ほかの人々を確認してから判断することが前提の行為です。

しかし、わたしが今回使う「逆張り/順張り」には、そうした「わざと」や「あえて」、「周囲を見て判断」といった要素はあまり含まれていません。

つまり、自分で「よし!逆張りをやろう!」という明確な意思のもとにやっているのではなく、自分の好みをあとから振り返って、結果的に大勢や時流に逆らっているか/従っているか、という意味で「逆張り/順張り」という単語を使っています。

要するに、意味としてはむしろ「マイノリティ(少数派)/マジョリティ(多数派)」といったほうが正確です。

それでもこれらを使わずに「逆張り/順張り」を用いるのは、現代において「マイノリティ/マジョリティ」にはジェンダーマイノリティや人種的マイノリティといった社会構造に基づくニュアンスが強く、それらとの混同を避けたいため、というのがひとつ。

あとは、普段からフランクに、正確な意味からはズレた誤用で「逆張り/順張り」を自認しているため、自分のなかではこれらのほうが自然でしっくりくるから、というのが二つ目の理由です。

厳密には誤用しているよ!というのをご理解頂いたうえでお読み下さい。

あと、オタクなので必然的に、言及対象の多くはアニメやゲームなどのコンテンツ(の好き嫌い)となっています。自分の好きな作品が雑に貶されているのを許容できる人だけ、以下お読みください。


~注意書き終わり~



逆張り


・ラテンアメリカ文学のなかでもブラジル文学が好き

まずは小手調べにこの辺りからいきましょうか。

『百年の孤独』文庫化にともなうブームなど、ラテンアメリカ文学(中南米の文学)じたいは、海外文学のなかで「逆張り」と呼べるほど周縁的なジャンルではなくなりつつある昨今ですが、わたしはさらにマイナーを行きます。

ラテンアメリカ地域において(ほぼ)唯一、スペイン語圏ではなくポルトガル語圏であるブラジルの小説が特に好きです。

この原語の違いゆえに、ラテンアメリカ文学のなかでも、ブラジル文学はしれっと無いことにされる場合が多く、また翻訳もイスパノアメリカ文学(スペイン語圏のラテンアメリカ文学)に比べて、まだまだ盛んであるとは言えません。

最近は水声社からブラジル現代文学コレクションが刊行されているほか、光文社古典新訳文庫のマシャード・ジ・アシス("ブラジルの夏目漱石")の2作は必読の大傑作です。


「逆張り」で、より知名度が低く読者の少ないマイナーな分野を好んで読むことは、ちょっとだけ優越感にひたれて気持ち良いし、そして出版文化や社会にとっても価値のある、win-winの行為です。このように、あえてマイナーに惹かれる逆張りには、良い面も確実にあるのです。



それでは、もっとシンプルな逆張りも挙げてみましょう。



・映画『国宝』が心底つまらなかった

大ヒット中ゆえ褒めてる絶対数が多いだけで、割合としては意外と酷評派もいる気はします。わたしの周りのオタクはだいたいそうでした。

ただ「なぜこれがウケているのかさっぱり分からない」とは思わず、「こういうのどうせみんな好きだよね〜わかる〜 自分は嫌いだけど〜」といった温度感なので、やはり逆張りと呼ぶのがしっくり来ます。
(劇場版『チェンソーマン レゼ篇』も嫌いでした)



アニメ編いきます


・アニメ『凪のあすから』では美海よりもまなか派

『true tears』で乃絵より比呂美派、『とらドラ!』で大河より実乃梨派、『ダリフラ』でゼロツーよりもイチゴ派……等は逆張りだと感じないのに、凪あすのこれだけ逆張りっぽいのはなぜでしょう?? 未だに納得がいきません(おそらく、幼馴染属性に惹かれるか、片想い・失恋属性に惹かれるかの違い)

ただ、わたしは決して、まなかが美海より不人気だから好きとか、そういう逆張りのつもりは毛頭なく、心からまなかが好きです。みんなも当然そう思うよね??と信じて疑わずに見終わって周りに聴いたら、美海派がほとんどを占めていて愕然としました。(それでも……アンタだけは、""こっち側"" だと一生信じてるからな、岡田麿里……)

また、『凪あす』の2クール目(後半)よりも1クール目(前半)のほうが好きです。まなか派なので…… この同志にも会ったことがありません。「凪あすは後半から面白くなるから!1クール目は我慢して観て!」というような善意の布教コメントをネットで見かけるたびに、脳内でキレてます。


・アニメ『日々は過ぎれど飯うまし』の「くれまこ」が嫌い

これはもうCP論争なのでとんでもなく危険な話題です。

『ひびめし』は大好きですが、くれまこ(「くれあ」と「まこ」のカップリング)は……。

百合CPが一律に嫌いなわけではなく、くれしの(くれあとしのん)あるいはまこしの(まことしのん)派です。しのんが好きなので。まこしのは幼馴染だし。

ふだん幼馴染好きを公言しているオタクでもひびめしではくれまこを叫んでいるのを見ると「幼馴染厨の矜持はどこいった!!」と胸ぐらに掴みかかりたくなります。

詳しくはこちら↓



ここから、エロゲ関連の逆張り3連発、いきます



・エロゲ『euphoria』では梨香√がいちばん好き

合歓でも叶でも凛音でもなく!
これは自分でも笑ってしまうくらいの逆張りです。でもマジで心から梨香が好きなんです。

あの閉鎖環境で恋愛してしまうことの愚かさを自嘲的に描きながら慎ましくまとまったシナリオがすばらしい。
私の「どんでん返しギミックやスケールのデカい劇的な話が嫌い。ちっぽけで地味な話が好き」という嗜好がよく表れています。←この嗜好じたいが相当な逆張り



・エロゲ『沙耶の唄』でいちばん面白いのは、耕司と主人公(郁紀)との関係だと思っている

男主人公とヒロイン・沙耶との甘美で破滅的なヘテロの「純愛」関係がいまだに高く評価されている古典的名作ですが、明確にそこへのカウンターとして、上のような男同士の熱い湿った関係を推しています。BL好きこそ沙耶の唄をやってほしい。これはガチ

『沙耶の唄』で郁紀と沙耶のヘテロ「純愛」関係のことしか話題に出さないエロゲーマーは全員フェイクだと思ってます。



・『フラテルニテ』をエロゲの中でもトップクラスに上品なゲームだと思っている

クロアプの話が多くてすみません。好きなので

鬱ゲー・グロゲーとして名高い『フラテルニテ』ですが、わたしは本作の真価を、そういう過激さにではなくて、尊厳を踏みにじられていく若者たちにこの上なく寄り添っている優しさや誠実さにこそあると思っています。

特に、小西千喜さんや桧垣暎さんの扱い方は、他のエロゲでは類を見ないほどにルッキズムやジェンダーマイノリティに関する優れた描写があり、そこらの「純愛」エロゲなんかよりもよっぽど、こちらのほうが「上品」な作品だと信じています。(もうお気付きでしょうが、わたしは「純愛」(和姦)エロゲのアンチです)

本作を「とにかく過激でヤバいゲーム」として持て囃している層がYouTubeなどインターネットであまりにも多くて心底うんざりしているので、余計にこうしたカウンターの物言いをしたくなってしまう節はあります。。

小西千喜さんについて、詳しくはこちらの寄稿文で論じました。



・Steamアンチ

ゲームの話題の流れでいうのですが、わたしはSteamにやや苦手意識があります。

まず言っておくと、アンチである前には私はSteamにわかです。あんまりこのプラットフォームのことを知りません。

ですが、DLsiteやFANZAや、ふりーむなどで直接PCローカルにダウンロードして遊ぶのに慣れたノベルゲーマーとしては、いちいちSteamにアクセスしないといけないのは面倒くさく、しかもなんか常にプレイ時間とか測ってきて監視されているようで息苦しいです。(たぶん私が情弱なだけで、よりスマートで気楽なプレイ方法もあるのでしょうけれど……)

それに何より、「Steamゲー」としてネットで話題になる類のゲームがわたしは苦手なことが多いです。都市伝説解体センターとか……

実際に個々の作品が嫌いかどうか、というよりも、そうやってネットでバズりやすい場・バズらせたがる人々とバズりをありがたがる人々が好んで使っている(ように錯覚してしまう)プラットフォームなので、逆張りとしてはどうしても忌避感を覚えます。

ということで、好きなPCゲーム配信プラットフォームは……ふりーむとノベルゲームコレクションでしょうか。(いうてあんま利用してないけど……)

ここでitch.ioとかを挙げられたら強いんですが、残念ながらまったく使ったことがありません。海外ゲー掘りたいです



・「第四の壁」を破る系のメタフィクションが嫌い

これは正確な意味での逆張りかもしれません。なにせ、ある時期オタク達がみんなsteamの某ゲームに狂ったようにハマっていたのを横目で見て「こういうオタクにはなりたくないな」と思ったのがおそらくきっかけなので。

メタフィクション全般が嫌いというわけではなく、好きでこだわりがあるからこそ、安易な使用と持て囃しには眉をひそめてしまいます。
(好きなメタフィクション作品は、ミラン・クンデラ『不滅』(小説)やアッバス・キアロスタミ『そして人生はつづく』(映画)などです)

「第四の壁」嫌いなのは自分のオタク観・フィクション観にも深く関係しています。詳しくはこちら↓





そろそろ "核心" に迫ろうと思います



・音楽ライブが苦手

これがもっとも私の逆張り性を分かり易くお伝えできる特徴だと思います。音楽はそれなりに好きですが、それをみんなで1つの場を共有して聴くのが苦手なんですよね・・・

そもそも、人がたくさん集まっている場が苦手、という前提がありますが、ライブ会場は単なる人混みよりも嫌いかもしれません。

なぜなら、ひとつの対象をみんなで観たり推したりする行為/空間が苦手だからです。

ふつうの雑踏はそれぞれにバラバラなことを考えていますが、ライブ会場はステージという〈中心〉があって、大勢がそちらの方向を向いて、ほとんど同じ気持ち(好き)を持って空間を共有する(ことが称揚され当然視される)場だから、その精神性に気持ち悪くなってしまうのです。

例えば、わたしだってこれまで、好きなアーティスト──サカナクションやOrangestar──のライブには何度か行ったことがあります。

しかし、確かに憧れのアーティストに生で会えるのは嬉しいものの、それ以上に、会場に着いた時点で、自分と同じアーティストを好きなひとがこんなにたくさんいる、というのを強く意識させられて、頭がくらくらしてきて、比喩や誇張ではなく、本当に気分が悪くなって開演までトイレに籠っていたことがあります。
そのときはマジで、自分はつくづく拗らせた、生き辛い逆張り野郎なんだなぁと痛感しました。

お気付きの通り、要するに、私は俗にいう同担拒否オタクに近い精神性を持っているのだろうと思います。
自分が好きなものを、自分だけが好きでいたい。
この想いの根底にあるのは、他のひとに自分の「好き」を取られたくない、という独占欲というよりも、むしろ、自分の好みが〈大衆〉とおんなじ凡庸なものであることを自覚させられたくない、自分の平凡さを認めたくない、という恐怖心でしょう。

とんでもなく自意識とプライドが高い幼稚なナルシスト、というわけです。
(※このように自分を分析した気になって卑下するのも、冷静だからでも謙虚だからでもなんでもなくて、「他人に、自分が思っていない角度からdisられるのが怖いから、あらかじめ自分で出来るだけ自己否定しておこう」という防衛機制の発露に過ぎません。)

もういい歳なんだから、いい加減こういうのからは卒業したいんですが…… 生きるってままならないものですね。恥を晒してのたうち回って生きていくしかないものでしょうか。


閑話休題。
「大勢がひとつの対象を見つめる場」が苦手、という話でした。
したがって、映画館も苦手です。映画というジャンル自体があんまり好きではない、というのもありますが、まだ自宅で配信で観るほうがはるかにマシです。
同じ理由で、VTuberなど、人気配信者の配信を観るのも骨が折れます。


・ソシャゲができない/続けられない

これも「流行りものが嫌い」の一種ではあるんですが、ソシャゲは特に、コンテンツ運営の構造そのものが、定期的にイベントで新キャラ(ガチャ)を実装して、SNSが大いに盛り上がって──と、その名の通りソーシャルな同時代性・リアルタイム性を重視しがちなコンテンツです。そのため、私はソシャゲを続けることは難しいです。

もちろん、インターネットの盛り上がりなど一切関知せず、己の身一つでソシャゲと向き合って楽しみ続けている、そんな現代の修行僧のようなプレイヤーもいるにはいるのでしょう。われわれネット民からは観測できないだけで。わたしはそういう人々を本当に尊敬します。自分にはない "強さ" を持っているから・・・

なのでわたしは、ソシャゲの代わりに、PCゲーム……それも、ひとりで何時間も物語に向き合い続けることを強いられるノベルゲーム/エロゲを好んでプレイしています。
たとえ逆張りでなくとも、現代のエロゲーマーなら誰しも、こういう「俺は時代に流されず硬派にひとりで作品と向き合うオタクだぜ」という自負心が少なからずあるんじゃないかと思っているのですが……違いますか??
まぁ、ソシャゲと両立して楽しんでいる人も多いし、そういうオタクがけっきょく最強なんですが……


さて、ここまではオタクとして好き/嫌いなコンテンツの話題が主でしたが、以降はより私の実人生・プライベートに関わる "逆張り" エピソードを紹介していこうと思います。


・小さい頃、プールで泳がずに水道で遊んでいた

わたしの最古の逆張りエピソードです。自分では覚えておらず、母親から聞きました。

幼稚園入園よりも前くらいの頃に、園のプール開放があり、連れていかれたところ、他の子どもたちがみんな楽しそうにプールに入って遊ぶなかで、わたしだけがプールには一切見向きもせずに、プールサイドの水道でチョロチョロ水を出してひとりで遊んでいたそうです。

「プール(水)が怖かっただけでは?」「そのくらいの歳なら泳げないのも普通では?」と冷静に考えれば思いますが、しかし、大人になって親からふとこの話を聞いたときに、あまりにもその後の逆張り人生を暗示している、象徴的すぎるエピソードだと思って爆笑してしまいました。
どうやらわたしは、3歳くらいの頃から逆張りだったようです・・・


・小学生くらいの一時期、「紫が好き」と言っていた

本当はふつうに赤とか緑とかも好きなのに、好きな色をきかれたらあえて「紫」をいちばんに挙げていました。かわいいですね。
……逆張りというより、ちょっと早い中二病ですね。

もちろん、逆張りとかではなく普通に紫は良い色だと思います(謎のフォロー)



・大学受験の勉強をしなかった

高校生の3年間が、自分の人生のなかでもっとも「逆張り」が弊害となった時期かもしれません。
あるいは、このころ自分は、周りのほかの人ととにかく違うことをしなくては生理的に気が済まない人間なのかもしれない……と初めて自覚したかもしれません。

みんなが部活などに打ち込んでいる1・2年生の頃はものすごく真面目に学校の課題などをこなしていていました。その成果もあり、3年生になる頃には国内のどこの大学でもA判定は出るくらいの成績はあったのですが、みんなが本気で受験勉強に取り組み出した3年後半になって、逆にわたしは一切勉強のやる気を失くしていました。もちろん、逆張り以外の理由はあったのですが、それでも、あれだけ勉強がイヤだイヤだと言っていたみんなが、突然目の色を変えて必死に勉強し出したのを見て、その現象・光景に怖さや気持ち悪さを感じたのを覚えています。

「人生のこの時期になったら、とりあえず普通はみんなこうする」というような、そういう見えない常識やレールに従うのがとにかく嫌でした。

みんながセンター試験の追い込みをしている12月ごろ、わたしは近所のタリーズで「人はなぜ生きるのか」「なぜ私たち高校生は国語や数学、理科といった科目を勉強しなければならないのか」を真剣に考えてノートに書き殴っていたり、ネカフェであの花を観たり、家出をしたりしていました。

思春期ですね。若いですね。

と、懐かしんで言いたいところなのですが、こうした10代の頃の精神性がまったく変わっていないどころかますます酷くなっているので、他人事・ノスタルジーごとじゃあないんですよね・・・



・就活をしなかった

これもだいたい上と同じです。だいたいみんな「就活嫌だなぁ」と言いつつその時期になったらなんやかんやでしっかり取り組むことが多いですが、わたしの就活嫌いは一線を画しており、もはや「就活嫌だなぁ」と一瞬たりとも思ったことがないほどです。はじめから、自分がするものではないと、考えるまでもなくなぜか確信していたので。
「就活が嫌だ」と思えるのは、少しでもやる気がある者だけです。

というわけでなりゆきで院進したのですが、大学院で、基本全員参加の就活オリエンテーション的なもの(企業への大学推薦枠の説明など)があり、それに数十分参加しただけで、むこう1週間は憂鬱になって寝込みました。とにかく社会に出たくないし、労働したくないし、みんなと同じことをやるのが嫌だったようです。(けっきょく、修士論文を書き上げて教授陣の前で発表したにも関わらず拒絶 rejectされてそのまま中退するという、なかなかにレアな顛末を辿ることになったので嬉しかったです、自分のさもしいプライドが保たれて……)



・お酒を飲まない

これも逆張りなんでしょうか。最近はこういう人も増えているとは思いますが。
前述の通り、とにかく「人生のこの時期になったらふつうはみんなこれをやる」とされることが生理的に、魂の芯からしたくない性質なので、20歳になってもお酒を飲もうと思いませんでした。飲みたいと思ったことが一度もなく、飲んでもおいしいと思ったことが一度もない。ので、酔ったことがいまだにありません。

同じような理由で、タバコやギャンブルにもいっさい興味がありません(まぁアダルトなコンテンツにはゴリゴリ興味あるんですが……)



・「絶対に結婚しないぞ」と思っている

兄弟や、周りの旧友たちがどんどん結婚し始める時期なので、そりゃあ、こうなりますよね…… 傾向から分かり易い!

仮に、社会的に結婚しないことがマジョリティ・当たり前になったら、逆張りして自分は結婚したくなるのだろうか、ということを最近よく考えます。

あるいは、何年か、何十年かが経って、周りのみんながどんどん死に始める時期になって、「自分は絶対に死なないぞ!!」と叫び始めたらアツいですね。その前に死んでると思いますが。

※結婚したくないのを「逆張り」だと思ってできる/言えること自体が、したくても結婚が現行制度では不可能なマイノリティにとっては怒りや悔しさ、虚しさを覚えるような抑圧的で無神経な振る舞いであるということ、自覚しながらも書かせて頂きました。
現状わたしはヘテロですが、一刻も早く同性婚が認められるべきだし、異性愛主義に基づく結婚制度には根本的に反対もしています。
ただし、そうした政治的信条と上記の「逆張り」とはいったん切り離して受け取ってほしいとも思っています。(他の同性婚賛成派・結婚制度反対派の主張までもが単なる「逆張り」だと解されるのは絶対に嫌なので)



・ハンバーグ店「さわやか」のアンチ

静岡出身なのですが、一度だけ「さわやか」に家族で食べに行ったことがあります。でも、ぜんぜん美味しくありませんでした。

しかも、わたしだけでなく、一緒にいった両親や祖母までもが、口を揃えて「あんまり美味しくない」と言いました。

どうやらわたしは、自分ひとりの力でここまで逆張りになれたのではなくて、逆張り家族に生まれていたようです。

(冷静に考えれば、我が家の食卓のハンバーグとはおそらく流派?が違って、食べ慣れていなかったから、なのでしょう。それにしても、「さわやか」って県外のひとがやたらと話題に出してありがたがっているイメージがあるんですが、県民もちゃんと美味しいと思っているのでしょうか? さわやか好きの静岡県民に会ったことがない)



「逆張り」リストは以上です!!!

ちょっと逆張りなところを挙げすぎました・・・ 同じくらい「順張り」ポイントを見つけるのはさすがに難しそうですが、できるだけ頑張ります



順張り

逆張りの逆、なので、世間から評価されているものが順当に好きであるような例が多いです。

この項を読み終わる頃には、わたしを逆張りだとは誰も思わなくなっている……のを目指して挙げていきます。



・アニメ『アポカリプスホテル』が大好き

Twitterのオタク達が1,2話くらいからずっと褒めていて、「でもSF苦手だからな~~」と食わず嫌いしていたのですが、一気見したらほんとうに面白かった!!

老若男女、誰が観ても面白い傑作って本当にすごいと思います。



・漫画『なるたる』『ぼくらの』面白かった

オタクからの扱われ方(『フラテルニテ』とやや似ているような)を見ていて、なんとなく苦手そうだな〜と思っていたのですが、読んでみたら意外とまっとうに面白くて楽しめました。名作は名作

(それでもいちおう「言われてるほど鬱漫画とかじゃあなくて、シンプルにエンタメとしてめっちゃ良い漫画じゃねぇか!!」と思っているのは逆張りポイントかもしれませんきっとそう)


そういえば、この↑noteも、同じような逆張り意識で書いた記事だったな、と思い出しました。あの頃Twitterにうじゃうじゃいた、「『宝石の国』がいかにしんどい展開で最悪を更新していく鬱漫画か」と嘆きながらニヤついている(ように思えてしまう)オタクたちが憎くてムカついて仕方がなかったので、そいつらを全員ぶっ倒そうという気持ちだけで書いたような覚えが……

(そもそも批評や評論って本質的に逆張りなところはありますよね。誰もが思ってて分かってることをそのまんま言ってもつまらないので……。そのさらに逆張りで、あえてみんなにウケている人気作を堂々と褒めることもよくありますが、けっきょくぜんぶ逆張りですからね。逆張りこそ世界に新たな価値を与える生産的な行為だ!!!)



・漫画『サマータイムレンダ』面白かった

これも意外でした。ループものやホラー?チックな話は苦手な傾向にあるのに!

……せーのっ  \夏の離島……サイコー!/



・夏が好き

そうなんです。わたしは、あれだけ逆張りなのにも関わらず、四季のなかで圧倒的に夏が好きなのです。

究極の順張りのようでいて、酷暑が進む昨今は急速に逆張りへと傾きつつある??



・「サマータイムレコード」が好き

夏のエモ最高!! 毎夏聴きまくってます

他にカゲプロ曲だと「少年ブレイヴ」が大好きです(きみコさんver.もいいけど、やっぱりアルバム限定のIA版が好き)



・Orangestarで「アスノヨゾラ哨戒班」がいちばん好き

順張りというか、これは普通に、最初に出会った作品を親だと思い続けるひな鳥オタクの性です。
しかし、最近だともうOrangestarの代表曲はアスノではなくて「Surges」とか「Henceforth」になってきているのでしょうか。老害リスナーにはもうなにもわかりません

とはいえ、そもそもOrangestarを好きな時点で順張りのボカロ好き……と見せかけて、そうでもないんでしょうか。根強い人気はあれど、ボカロ史のなかでみても、Orangestarじたいが割と異端な存在ではあると思うので。そこが好きなんですけどね。



・「若者のすべて」「エイリアンズ」は超名曲だと思う

名曲は名曲。それぞれ、フジファブリックとキリンジでいちばん好きな曲であるというのも順張り(というか「にわか」なだけ?)



・バキ童チャンネルを楽しんで観ている

オタクのなかではド順張り



・ラランドや令和ロマンが好き

お笑い好きとしてミーハー
でも世代近いし、やっぱおもろいです。



・M-1が好き

ミーハー



・MBTIでは仲介者(INFP-T)

そもそもMBTIという軽薄な流行りモノをやること自体がかなりの順張りです。

そして、いざやってみたら日本人ではいちばん多いタイプになってしまい、とても悔しくて恥ずかしくて、あまり公言しないようにしてます。言うのはこれが最初で最後です。
(いちばんありふれたタイプに分類されることをやっぱり私はとても恥ずかしいと感じるんだ~というのを知れただけでも診断やって良かったです)

ちなみに、MBTI周りでの究極の逆張りは、「くだらないからやらない」派よりも、「やってみたけど質問が多すぎて毎回最後までできない」派閥が現環境では強いと踏んでいます。(観測範囲に複数名いる)



・関東に引っ越した

まごうことなき順張り
それも、やむを得ず、とかではなくて、漠然と「人生で一時期は東京近郊に住んでみたいから」という理由で引っ越した超絶ミーハーです。

引っ越してからのこの一ヵ月で、めちゃくちゃ色んな人と会ってます。楽しいです。
会ったことなくても、みなさんぜひ気軽に誘ってください♪
自分語りをするのと、他人の自分語りを聞くのが大好きなので……

直接会わずとも、プロフに載っけてるDiscord IDからぜひお気軽にフレンド申請して下さい!
よく、申請してくれた全く知らない人と長文のチャットをしたり、通話したりしています。大学新入生の人生相談に乗ったり、数学・物理のアドバイスをしたりしたこともあります……



順張り? 逆張り?

さて、これまでいろいろと「逆張り」か「順張り」かに振り分けて、自分の好き嫌いやエピソードを挙げてきましたが、すべてがこの2つのどちらかにキレイに振り分けられるとは限りません。

そこで、最後におまけとして

「これって順張りなのか逆張りなのか判断がつかない。どう思いますか?」リスト

を挙げてみます。みなさんも一緒に考えてみて下さい



・Twitterをやめた

オタクとしては逆張りなのか、むしろ衰退・崩壊が進んでいる今でも続けているほうが逆張りで、辞めるほうが順張りなのか……

とはいえ、わたしは以前活動していたTwitterアカウントは消しましたが、フォロー0/フォロワー0の完全ROM専鍵垢で、今でも毎日数時間はTwitterに張り付いて見まくっています。つまり、まだまだ現役のツイッタラーといっても過言ではありません。

Twitterを愛し過ぎているがゆえに憎んでもいます。それも順張り(よくいるオタク)ですね



・ヨルシカよりn-bunaが好き

節子、それは逆張りじゃなくて「懐古厨」や……



・『ちいかわ』ではうさぎが好き

うさぎしか好きじゃないです。あいつ人気キャラなんすか??



まとめ

いろいろ書いてきたけど、けっきょく、逆張りとか順張りとか世間の評を気にせずに、自分の素直な気持ちで感想を持つのがいちばんですね!



……と、当たり障りなく、まぁるく締めたら良かったのでしょうけれど、逆張りなのでそうは問屋が卸しません。

「逆張りはダメだ。自分の素直な感想を大事にすべき」という風潮があります。

しかし、はたして、世間や他人の意見にまったく左右されていない、完全にまっさらな「自分の素直な感想」などあるのでしょうか?

どんな鑑賞経路であれ、基本的にはその作品・コンテンツの世間的な位置付けを少なからず知った(ネタバレされた)うえで鑑賞しているはずです。

たとえ新作映画を公開日の朝イチに(他に観客が誰もいない映画館で)観たとしても、あらかじめ監督や出演者などの製作陣の情報をわずかでも認識していれば、それらスタッフの世間での位置付けを知っていて、逆張りしてしまう余地はありますし、事前情報が一切なくとも、観ながら、それまでの自分の観てきた映画や経験と比較して、自分がその映画に対してどんな感想を抱くかは影響を受けるでしょう。それらの経験は間接的に他者や世間を内包しており、どこまでいっても逃げられません。

つまり、わたしの言いたいのは、完全に純粋な、まったく逆張りも順張りもしていない、自分の素直な感想や反応など、幻想だということです。

わたしたちは、社会のなかで生きている限り、誰しも必ず、少なからず逆張りや順張りをしています。
むしろ、逆張り/順張りをすることこそが、われわれが「生きている」ことの証だとすら言えるかもしれません。

だからわたしは、自分が逆張りをしてしまうこと、逆張りクソ野郎であることに、あまり思い悩まないようにしています。開き直りかもしれないけれど。


わたしは、逆張りをする自分が嫌いです。

わたしは、逆張りをする自分が好きです。

わたしは、順張りをする自分が嫌いです。

わたしは、順張りをする自分が好きです。


すべてを抱えて、恥を晒して、わたしは死ぬまで生きていきます。生きていくしかないのです。




みなさんも、自分の逆張りなところ/順張りなところを考えてみて下さい。
そして、よかったら、それらを恥ずかしがらずに書いてみて下さい!! 読みたいな~~っ


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