
「意味不明」の正体を考える
「意味不明」に見えるのは、文脈が共有されていないだけかもしれない
「何を考えているのか分からない」「行動が理解できない」
そうした意味で「意味不明」と言われてしまう場面があります。職場の中でも日常の関わりの中でも、そうした言葉が使われることは少なくありません。
ただ、その言葉が使われているとき、本当に「意味がない」状態が起きているのかというと、少し違う見方もできるのではないかと感じています。
その人の中では、ちゃんと意味がつながっている
ある行動や反応が周囲から見ると唐突に見えたり、文脈がつながっていないように感じられることがあります。ですがその人の中では、これまでの経験やその場の状況、感覚の積み重ねの中で、ちゃんと意味がつながっていることも少なくありません。
ただそれが周囲からは見えにくい形で起きている。その結果として「意味不明」という言葉で表現されてしまう。そうしたことが起きているのではないかと思うのです。
「理解できない」のではなく、「文脈を見つける」
もしそうだとすると、必要なのは「理解できない」と切り離すことではなく、どんな文脈の中でその行動が生まれているのかを、少しずつ見ていくことなのかもしれません。
背景にある経験や、その人なりの感じ方、環境との関係性。そうしたものを丁寧に見ていくことで、これまで見えなかったつながりが見えてくることもあります。
発信された私たちにとって理解のできないワード。一方で、私たちが知り得ないプロセス、見えない裏方の末、目の前にいる方から、届けられた断片。
断片がいくつかつながり見えてくる文脈。
「意味不明」に見えていたものが、少しずつ「そういうことだったのか」に変わっていく。そのプロセス自体が、関わりの中で大切にしたいことのひとつのように感じています。
文脈を想像してみる視点
もし今誰かのことを「意味不明」と感じている場面があったら、そこにどんな文脈があるのかを、少しだけ想像してみる。そんな視点があっていいのかもしれません。
このテーマについては、こちらでも書いています。
・内省の内省
・「棚の上」を下ろすこととは
・環境が合わないについて
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